第4話「追記」
その日は、少し帰りが遅かった。
特別忙しかったわけじゃない。
ただ、細かい用事が重なって、気づいたら時間が過ぎていた。
***
家の前に立つ。
見慣れたドア。
変わらないはずの景色。
***
「……」
***
鍵を開ける。
***
「ただいま」
***
中に入ると、いつもの空気がある。
何かが違うわけではない。
それでも、ほんの少しだけ、静かに感じた。
***
返事があった気がした。
***
「……」
***
はっきりとは覚えていない。
気のせいかもしれない。
***
リビングの方から、声がしたような気がする。
***
「……」
***
誰の声かは、考えなかった。
***
いつもある音だから。
***
靴を脱いで、部屋に向かう。
***
特に変わったことはない。
そう思う。
***
それでも、頭のどこかに、昨日のことが残っていた。
***
更新日時。
***
「……」
***
あれは、結局なんだったのか。
***
考えても答えは出ない。
***
部屋に入って、ドアを閉める。
***
静かになる。
***
「……」
***
スマートフォンを取り出す。
***
少しだけ迷う。
***
でも、結局開く。
***
小説のページ。
***
一覧画面。
***
恋愛小説。
「君が物語を奏でるなら」
***
閲覧数は、また増えている。
***
もう驚かない。
***
それよりも。
***
最終更新日時。
***
「……」
***
——数秒前。
***
「……」
***
小さく息を吐く。
***
「……またか」
***
昨日と同じだ。
***
見ている間に、更新されたことになっている。
***
「……」
***
画面をタップする。
***
作品ページが開く。
***
本文をスクロールする。
***
一話目。
二話目。
三話目。
***
変わっていない。
***
「……」
***
一番下までスクロールする。
***
空白。
***
「……」
***
指を止める。
***
昨日も、ここで少し違和感があった気がする。
***
「……」
***
もう一度、ゆっくりと画面を見直す。
***
最後の行。
***
その下。
***
「……」
***
ほんの少しだけ、スクロールが伸びる。
***
「……」
***
空白だったはずの場所。
***
そこに、何かある。
***
「……」
***
ゆっくりと、画面を下に動かす。
***
短い一文。
***
そこに、表示されている。
***
「……」
***
理解が、少し遅れる。
***
「……こんなの」
***
書いた覚えがない。
***
でも、そこにある。
***
文字は、自分の書き方だった。
改行の位置も、言い回しも、癖も。
見慣れている。
***
「……」
***
喉の奥が、少しだけ乾く。
***
画面に表示されている一文。
***
——今日は、帰りが少し遅かった。
***
「……は?」
***
思わず声が出る。
***
視線が、その一文から動かない。
***
「……」
***
ついさっきのことだ。
***
今日の出来事。
***
「……いや」
***
あり得ない。
***
そんなもの、書いていない。
***
そもそも、これは恋愛小説だ。
***
こんな一文が入るはずがない。
***
「……」
***
もう一度読む。
***
——今日は、帰りが少し遅かった。
***
事実だ。
***
間違いなく、事実。
***
「……」
***
画面を閉じようとする。
***
やめる。
***
もう一度、スクロールする。
***
その一文の、すぐ下。
***
空白。
***
それ以上は、何もない。
***
「……」
***
戻る。
***
一覧画面。
***
最終更新日時。
***
「……」
***
——数秒前。
***
「……」
***
もう一度、作品を開く。
***
さっきの一文。
***
消えていない。
***
そのまま、残っている。
***
「……」
***
しばらく、画面を見ていた。
***
何も起きない。
***
「……」
***
そのとき。
***
画面の一番下が、わずかに動いた。
***
「……」
***
スクロールしていないのに。
***
下に、ほんの少しだけ伸びる。
***
「……」
***
指が、勝手に画面を触る。
***
ゆっくりと、下に動かす。
***
空白だった場所。
***
そこに、もう一行。
***
「……」
***
増えている。
***
さっきは、なかった。
***
確実に、なかった。
***
表示された新しい一文。
***
——いま、部屋にいる。
***
「……」
***
息が、止まる。
***
画面から目が離せない。
***
「……」
***
さっきの出来事。
***
いまの状況。
***
そのまま、書かれている。
***
「……」
***
ゆっくりと、顔を上げる。
***
部屋の中。
***
何も変わらない。
***
机。
***
ベッド。
***
壁。
***
「……」
***
もう一度、画面を見る。
***
——今日は、帰りが少し遅かった。
——いま、部屋にいる。
***
「……」
***
喉が、ひりつく。
***
「……なんだこれ」
***
小さく呟く。
***
答えはない。
***
ただ。
***
画面の中に、自分が書いていないはずの文章がある。
***
それだけだ。
***
「……」
***
そのとき。
***
ほんの一瞬だけ。
***
画面の下が、また動いた。
***
「……」
***
新しい一文が、表示される。
***
「……」
***
——いま、見ている。
***
「……」
***
背中に、冷たいものが走る。




