第三十二話 令嬢、悪巧みを考える
冒険者ギルドの受付業務に携わると様々な経験をする事ができる。
意気揚々と依頼を受けた若者一行が帰ってこなかったりするのは珍しくないし、腕に自信のあるベテラン揃いのパーティーが簡単な依頼で全滅する事もある。
希少種のモンスターに片腕を食われ、それでも仕留めた者が簡単な止血だけして報告に乗り込んできた事もある。興奮していたためか、痛む素振りすら見せずに血を振りまく冒険者はひどく現実味がなかった。その後、話している最中に貧血でぶっ倒れて運ばれていったが、後片付が大変で職員達の間では、その冒険者の評判は宜しくない。
そんな受付職員でも、目前で繰り広げられている光景は初めてだった。
最近ギルドに訪れるようになり、無鉄砲さや何処か投げやりな雰囲気から注意人物となりつつある女魔法使い。そんな彼女が力なく膝を落とし、一人の少女に許しを乞うように見上げている。
視線を向けられていた少女は、少しだけ困惑した後、見る者が溜息をつくような柔らかい笑みを浮かべると、女魔法使いの肩にソッと手を置いた。
「大丈夫です」
ただ一言。非常に簡素な言葉だが、そこには何故か信じてしまう力強さがあった。遠巻きに見ていた野次馬すらも思わず見とれ、直接言われた女冒険者は体を打ち振るわせると、流れる涙を隠すようにして少女の胸に顔を埋めた。
少女は女冒険者の頭を、まるで子を想う母のように優しく撫でる。そして、暫くそうすると少女は姉と呼んだ女性に女魔法使いを託した。
託された妙齢の女性は少女の姉のようで、入ってきた時には母と呼ばれ、少女と巫山戯あっていた。しかし、今は真剣な表情で頷き、丁寧に女魔法使いを支えて出口へと向かった。
少女は二人の背中を見送り、後を追うべく歩を進めるが突然振り返った。小さな体で背筋を伸ばし、ちょこんとスカートを摘むと静かに頭を下げる。騒々しいのが常の冒険者ギルドに似合わない丁寧な礼だが、不思議と少女ならば当たり前と思えるような自然な仕草だった。
「皆さん、お騒がせいたしました」
そして去った少女。
少女がいたのは僅かな時間。しかし、この場に残された者達はまるで幻影を見るかのように、少女が去った後ろ姿をいつまでも思い浮かべていた。
◆
「ふむ、どうしようかな」
ギルドから出て少しだけ離れた場所で、アティに支えられているカルナを見て独り呟くタリア。
何やらカルナが追い詰められており、見知らぬ仲ではなかった事と、その様子からタリアにとって不都合な事を口走る危険を感じたので、咄嗟に連れ出した次第だ。
しかし、ここまで関わってしまった以上、問答無用で放り出すのは心情的に難しい。取り敢えず、話だけでも聞くべきと結論づけた。
「市場の視察は此処までにして、帰ろうかお姉様」
「分かりました」
まだ覗いてみたかった店は多々あるのだが、今回は諦めるしか無い。カルナの事が片付いたら再び訪れることにしよう。できるなら明日にでも。
そんな決意を胸に、タリアはゆっくりと帰路へと付いた。
◆
屋敷へと戻ると、帰宅人数が増えていることに少しだけ眉をひそめたスレインが迎えてくれた。タリアはそんな彼に、カルナを客人とだけ伝えて応接間に向かった。
屋敷を任されているスレインとしては予定にない来客で、しかも見るからに平民冒険者のカルナを見て思うところがあるようだった。
そして、普通は立ち入ることのない公爵家の王都宅を見ても、厳しい視線を送ってくる屋敷の者に気付いても、今のカルナは特に畏まったりなどしていない。ただ流されるままに身を任せている。悪い意味で諦めに近い状態のようだった。
カルナを応接間のソファーに座らせ、反対側にタリアが座る。今回はアティもその隣に腰を降ろした。すると、いつの間にか入室していたスレインが三人の前に紅茶を置いた。僅かに柑橘系の香りが漂い、外から帰ってきたばかりで市場の喧騒が尾を引いている心が落ち着いていく。
そして、紅茶を置いたスレインは退出せず、視界に入らないギリギリの場所に移動して直立不動の待機状態となった。何も言わないが、話は聞くのが彼なりの境界線なのだろう。タリアが退室を促せば従うだろうが、今はまだそのつもりはない。
タリアは紅茶を一口飲むと、さて、とカルナに話し掛けた。
「お久しぶりです、カルナさん。元気にしてました……とは言い難いようですね」
「……はい」
「それで、何があったのですか? 助けて欲しい、と仰っていましたが」
タリアの問いにカルナはポツリポツリと話していく。感情のこもらぬ言葉と、目の前に置かれた紅茶を一点に見下ろしている俯いた表情。
カルナの出自から、両親の借金について。そして、姉妹を狙ったと思われる仕組まれた出来事。
本来ならカルナに責任はない借金だが、それでも家族のためと歯を食いしばってきた彼女に同情はするタリア。しかし同時に、悲惨ではあるが聞かない話ではないとも思った。少し裕福な平民を、言葉巧みに騙す商人など掃いて捨てるほどいるし、貴族でも同じような輩は多々存在する。カルナの姉妹が貴族の目に止まったことが運悪く、自制できなかった両親も大きな原因と言えた。
「一つ宜しいでしょうか?」
タリアの横で黙って聞いていたアティが口を開いた。
「借金ですが、新たな分を含めてもダンジョンで得た利益で賄えると思いますが。それで一括返済し、姉妹を連れて家を出ては如何でしょうか? 贅沢はできずとも、姉妹が成人するまでは生活できるとは思います」
カルナがタリア達と共にフレバードダンジョンで成した功績により、それなりの額が彼女の懐に入っているはずだ。
そして、借金の利子を考えれば早く返したほうが良いのだが、彼女はそれをしていない。まさか勿体無いなどと惜しんでいるとは思えないが、これまでの話では言及されていなかった。
アティが指摘すると、カルナの表情が苦々しく歪んだ。
「私の分の報酬は……もうありません。返済に権利を売ってしまいました。それでも、まだ借金はあるのです」
「つまり、最初の違約金や、それ以降に借りたお金以外にも何かあるのですね?」
呆れたアティの言葉に、カルナは黙って頷いた。
その呆れはカルナの両親に向けられたもの。実の娘をこれ程まで追い込むなど普通ではない。仮にアティが助言するならば、両親とは距離を置くべきと言うだろう。例え生みの親であっても、カルナが姉妹を助けたいのならば、それが必須だ。現状を打破しても、両親が変わらなければ同じことの繰り返しとなるだろう。
アティ個人としては、カルナの手助けをすることはやぶさかでない。が、当然優先すべきはタリアの事。そしてグランドール家の事だ。控えているスレインも同じ意見のようで、厳しい視線に変わりはない。
「私がダンジョンで権利を取得した話が両親の耳に入ったのです」
「しかし、それでも成人しているカルナさんのお金には手を付けられないはずです」
「はい。しかし、両親は違いました。娘の私がお金を出すのは当然だと考えていたようで、貴族の位を買うという話に乗ってしまったのです」
カルナの言葉に流石のアティも二の次を失う。
爵位の購入。そのような事は不可能だ。国法により禁じられており、判明すれば最悪死罪だ。しかし、貴族の世界に慣れているタリア達とは異なり、カルナの両親はごく普通の平民なので知らなかった可能性もゼロではない。それでも愚かな行動だとしか言えないが。
「娘の私がお金を払うから、と違法な契約を結び、事後承諾でフレバードに連絡を寄越しました。最初、手紙を読んだ時は何かの間違えかと思いました。それか、悪質なイタズラかと。それでも、気になって村に帰ってみれば両親は拘束されていて、保釈金と罰金に加えて貴族になった後のためと購入した品の数々の支払いが待っていました」
普通ならそこで縁を切っても不思議ではない。
「笑っちゃいますよ。ダンジョンの権利を売り、駆けずり回って何とか家に帰ってみれば、両親は反省するどころか、次は騙されないって言うんですよ? それでいて、妹二人は暫く貴族の家に奉仕に出すと既に商人に連れて行かれてました。私がまたお金を稼いだら引き取って、また家族で仲良く暮らすんだって。私が稼げたのはタリア様達とたまたまご一緒できたからなのに。私にそんな力なんてないのに」
自虐的に笑うカルナ。笑いつつも、感極まって涙も流している。
「もう、私の力じゃ無理なんです。お願いです、タリア様。こんなことをお願いするのは筋違いだと分かっています。私にできることなら、なんだってします。一生お仕えもします。だから、妹たちを助けてください」
深々と頭を下げるカルナを、請われたタリアは黙って見つめている。
タリアの立場上、簡単に手を貸すことはできない。カルナの話の所々には他家の貴族の存在や、貴族の位を売買する話を持ちかける輩が見え隠れする。公爵家であるグランドール家が本腰を入れれば恐らくは解決する問題だが、それなりにリスクは生じる。相手貴族が属する派閥によっては、国内貴族間でパワーバランスが崩れて治安や経済が悪化する危険もある。父親であるハルバートだったとしても、状況によってはカルナから手を引くだろう。
だからこそ、即答はできない。慎重に状況を把握する必要がある。
「タリア様、私は反対します」
しかし、アティの言葉にカルナが弾かれたように顔を上げた。そこには信じていた者から裏切られたような、絶望的な表情。
だが、そんな表情を見てもアティは意見を曲げることはしない。主であるタリアが言いにくい事を明言し、恨みを買うのも従者の役目だとアティは思っていた。
スレインが一歩カルナに近づいた。タリアがアティの言葉に同意すればこの話は終わりである。その際に、カルナが逆上してタリアを害する可能性を考慮していた。当然、アティが側にいるので大丈夫だとは思うが絶対はなく、彼に油断はない。
「……」
タリアは考える。一時でも行動を共にした仲間を助けるべきか、貴族としての立場を考慮して手を引くか。見渡すとタリアの言葉を待つアティとスレイン。そして、涙を溜めて見つめるカルナ。
「取り敢えず、スレインは情報の裏を洗って下さい」
甘いな、とタリアは自分自身で思う。カルナの姿が、まるでアネッサが自分を心配するようだと思ってしまった。
一応、完全には助けるとはせずに、まずは探りを入れることにしたが、事情を知れば知る程抜け出せなくなるとも思っていた。
それでも、タリアの迷いのない視線にスレインとアティは従う。主が決めた以上、従者である彼らは全力でそれを成し遂げるのだ。
「承知致しました」
一礼し、スレインは部屋を後にする。彼がどのように調査するのかはタリアには分からないが、それ程かからずに情報を集めてくるだろう。
アティはタリアの言葉を何処か予想していたようで、ため息を付いていた。
そして、カルナは完全には見捨てられなかったことに、感謝して安堵の涙を流した。
「まずは事実確認をします。私が力になれるか、なれないか。それはその後に判断します。最悪、私は私の意思でカルナさんの手を離します。覚悟だけはしておいてください」
タリアが自分自身の意思と判断でカルナを見捨てる可能性もあると宣言したが、カルナはそれでも感謝した。
「はい。有難うございます、タリア様」
再会後、初めてカルナが純粋な笑いを浮かべた。
◆
スレインの情報は意外と早く集まり、それはタリア達が屋敷でオヤツを食べ終わった後の事だった。
市場でたらふく買い食いしたタリアだが、デザートは別腹と言わんばかりにパンケーキを食べ尽し、未だお腹一杯のアティの気分が悪くなった時、スレインが戻ってきた。
「幾つかの商人を聞いて回りました。結果、それらしき話を聞くことができました」
「スレイン、一応聞きますが聞き取りで我が家の動きを相手方に察知される可能性は?」
「むろん、十分考慮しております。グランドール家を敵に回すような者はおりませんし、私個人も彼らには色々と貸しがありますので」
「では、報告の続きを」
真面目な表情だが、口元に生クリームを付けた状態で問うタリアと、まったく気にせずに話を続けるスレイン。仕方なく、アティがハンカチでタリアの口元を綺麗にした。
「結論から申し上げますと、カルナ殿の姉妹を雇い入れたのはヘイムスカー男爵の可能性が高いです」
タリアは覚えている貴族のリストから該当する貴族を洗い出すが、残念ながら不明だった。
「聞いたことありませんね。アティは知ってますか?」
「いえ、有力な貴族ならば男爵でも把握しておりますが……」
「となると、あまり影響はないと考えても?」
タリアの言葉に、スレインは頷いた。
「カルナ殿には申し訳ありませんが、不幸中の幸いといえます。貴族としての力も弱く、民や商人からの評判も宜しくありません。タリア様のおっしゃる通り、潰してしまっても影響は少ないと考えられます」
「しかし、それ程の人物ならば何故、今までやってこれたのでしょう? 某ヴックヴェルフェン子爵といい、意外とこの国の貴族は程度が低いのでしょうか?」
タリアの貴族の基準は言うまでもなく、父であるハルバートだ。そのため、どうしても他の貴族と比べてしまう。当然、スタブや今回のヘイムスカー男爵のような人物ばかりではないのだが、タリアの運が悪いのか出会う他の貴族がそんな人間ばかりだった。
思わずスタブの醜悪な姿形を思い出してしまい、気を落としたタリアだが慌てて頭を切り替えた。
「いずれにしても、カルナさんの妹たちを少し強引に取り戻しても、我が家の力なら圧倒できるのですね」
「イリス様にお伝えしますか?」
ハルバートは領地に留まっているので、王都にいる母イリスに報告する必要がある。仮にも相手は貴族なので、喧嘩を売るならば許可が必要だ。
そして、姉妹を取り戻す方法もいきなり強引に行うのは愚行だ。最初は穏便に交渉をし、相手が折れればそれで良し。駄目ならば次点で少し強引に行く。しかし、いくらタリアでも、それらが行えるような人材を急に手配するのは難しい。その協力を得るためにも、イリスの力は必要だった。
アティの当然な提案なのだが、タリアは少し考え込んだ。
「うーん、でもお母様とお姉様は学園でお話中だし。その後もご用事があるみたいだから」
「では、ご帰宅されるまで待ちますか?」
「――その件ですが」
スレインが割り込んだ。
「丁度本日、姉妹が商人からヘイムスカー男爵へ受け渡されるようです。その後、恐らく男爵の領地へ向うと話に聞きました」
「う、うーん……」
どうもタイミンが悪い。スレインの言葉通りならば、イリスを待っていては間に合わない可能性も出てきた。王都を出発して直ぐにどうこうなどとは考えにくいが、絶対の可能性はない。
スレインの言葉を聞いて顔を真っ青にするカルナを見て、タリアは仕方ないと覚悟を決める。そして、正直気が進まないのだが、考えていたプランを提案することにした。
「他貴族の不正を正すのは、公爵家令嬢としての義務だと私は考えます。しかし、私には今すぐに他貴族の屋敷に乗り込み、立ち回るだけの権力も力もありません」
タリアの言葉に三人は黙って聞き入っている。
「だから、時間を稼ぎます」
「しかし、どのようにでしょうか?」
アティの言葉に、タリアはいつもの悪戯をする時の笑みを浮かべた。




