第三十一話 令嬢、王都で食べ歩く
額に感じるヤスリで削られるような断続的な痛みでタリアは目を覚ました。
目の前にはアティが契約している精霊スノトラの分霊であるスーさんの顔があり、タリアの額を一心不乱に舐めていた。ザラザラとした舌と、微かに触れるヒゲの感覚にタリアは顔をしかめ、スーさんを持ち上げてから身を起こした。
「スーさん、痛いよ」
『なー』
持ち上げられて後ろ足が伸びたスーさんが、おはようと挨拶するかのように鳴いた。一方の起こされたタリアは目覚めは最悪だ。どれだけ舐められていたのか分からないが、未だにヒリヒリとする額に少し涙目になる。
暇な時にスーさんと遊んでいると、指先などを舐めてくるのだが、それ位なら問題ない。しかし、顔のような皮膚が薄い箇所を舐められると非常に痛く、目覚めている時ならば直ぐに身を引くレベルだ。
悪びれた様子もないスーさんに、タリアはため息を付くと開放する。放たれたスーさんはタリアが眠っていたベットの中央に移動すると乱れた毛並みを整え始めた。
タリアは眠気眼を擦りベットから這い出る。普段の自分の部屋ではなく、王都に向う途中にある街宿の一室だ。高価な装飾品はないが、小奇麗で眠るだけならば問題のない清潔な部屋だ。素泊まり目的の宿のように雨風が入ってくる心配もない。
見ると、同室のアネッサや従者のアティやステラの姿はない。昨晩は三人よりも早く眠ったタリアだが、起きるのは最も遅かったようだ。部屋の広さの都合から、エメリアとメリッサは別室となっていた。
「タリア様、お早うございます」
外に出るには最低限の身支度をしなければならない。さてどうしようか、とタリアが悩んでいるとタイミング良くアティが入ってきた。主人の目覚めを熟知している優秀な従者である。
「おはよう、アティ」
「どうされたのですか、その額はっ!?」
タリアの額を見たアティが目を丸くした。
「スーさんに舐められたよぉ。赤くなってる?」
「なってますね」
「うぅ、痛い……」
額を抑えるタリア。それを見て笑えば良いのか、スーさんを叱れば良いのか迷うアティ。
精霊の分霊であるスーさんは知性が高く、人間の言葉も理解する。猫のように遊ぶことはあれど、タリアの事は守護対象として認識している筈だ。そのスーさんが、タリアの額が赤くなるまで舐め続けるのは少し妙だ。
「タリア様に何かあったのですか?」
熱心に毛づくろいを続けていたスーさんにアティが問う。
スーさんは丸い目をアティに向けると、一声鳴いた。
『なー』
「どんなことがあったのですか?」
『なー』
「なるほど、なるほど」
『なー』
真剣に語り合う一人と一匹。知らぬ者が見れば関わりたくない人扱いされる光景だ。
スーさんの鳴き声を理解できないタリアからすれば、いつの間にか仲間外れにされたようなものだ。早る気持ちを抑えて、一区切りついた所で割って入った。
「なんて言ってるの?」
「分かりません」
「えー」
「通訳を呼びます」
力抜けるタリアだが、アティは気にせずにスノトラを呼び出した。
呼び出されたスノトラは、寝起きのように大あくびをして登場した。噛まれたら怪我では済まない大きく鋭い牙が見え隠れしている。
「スノトラ、なんと言っているのか教えてください」
『はいはい』
『なー』
それから暫く部屋には『なーなー』という鳴き声が続き、スノトラはふむふむと頭を上下に揺らして聞いた。そして、ようやく聞き終えたスノトラは告げる。
『うなされていたから起こしたって』
「それだけですか?」
『それだけ』
「なるほど、分かりました」
『んじゃー』
役目を終えて消えるスノトラ。スーさんも毛づくろいを終えたのか、タリアの中に消えていった。
これで解決、とアティはタリアの身支度に入る。しかし、納得いかないのはタリアだ。うなされていたとは言え、赤くなるほど舐められた。しかも目立つ額を。もう少し別の起こし方があるのではないかと思う。例えば、肉球で顔を叩くとか。
そんな抗議をアティにするが、はいはい、と聞き流されてしまう。仕舞いにはスノトラで舐められるよりはマシです、と言われてしまう。大型肉食獣並の体格を持つスノトラの舌は、タリアの顔くらいの幅がある。そんなもので舐められれば、自分の顔は削れてしまうかもしれない。タリアは想像し、身震いした。
「ところで」
手慣れた様子でタリアの服や髪を整えていくアティが聞いた。
「うなされていた夢はどのようなものでしたか?」
問うアティの表情に少し緊張が混じる。タリアが見る夢は只の夢ではない。未来または過去の光景を見ている可能性があり、それがうなされる内容だとすれば、碌な光景ではない。場合によっては、現在真っ只中である王都への移動にも影響が出る可能性すらある。
真剣な表情のアティに、タリアも真面目に考える。だが、あれっと頭を傾けた。
「えーと、あれっ!? 何の夢だったっけ……」
「思い出せないのですか?」
「思い出せないというか、んー」
腕を組み、頭を捻り記憶を辿る。
自分がうなされた夢。しかし、どうしても記憶を引き出せない。断片的な光景はおろか、最初から最後まで全てが霧にかかったようにぼやけている。夢の中で自分がどのような感情を抱いたのかすら分からない。こんな事は初めてだった。
「んー、ダメだ。分からないや」
どうしても思い出せず、肩を落とすタリア。
「仕方ありません。思い出せたら、直ぐに教えてください」
「分かった」
それから身支度が終わるまでタリアは頭を悩ませたが、結局夢の内容を思い出すことはできなかった。
思い出せない位の夢ならば重要なものではない。そう思いつつも、タリアの心はざわめき立て、何故か感じる喪失感に言い様のない焦りをタリアは感じていた。
◆
前回タリアが王都にやってきた時は、ハルバートを救出する過程で魔力酔いになり、まともに行動することができなかった。倒れたタリアは王都にある別宅に直行してそのまま数日寝込み、回復後も直ぐに領地へトンボ返りしたので実質的に何もやっていないのと同じだった。
しかし、今回は体調万全だ。額が少し痛いくらいで他は問題ない。主な用事は王との面会だけで、それはいつになるか分からない。そのため、空いた時間は王都の美味しいもの探索に費やす予定だった。
その王都が、今タリア達一行の目前にそびえ立っている。最も目立つのはこの国の最高権力者が君臨し、自国他国の人間問わずにその力を誇示するかのような王城だ。
一行の馬車は幾つか点在する検問付きの門へと向かう。既に王都へ入るための検問場には商人や旅人の列が出来ていた。タリア達一行が辿り着いた時間帯が昼前だったからか、一際混雑している。しかし、そこはグランドール公爵家という権力が効いた。何も言わずとも、門番の一人が馬車の紋章に気付き慌てて駆け寄ってきた。後は馬車の行者が対応し、あっと言う間に他の待ち人を飛ばして手続きが完了してしまった。皆、恨めしそうに見ているが文句を言う者は皆無だった。
王都の中は賑やかで、至る所で馬車が行き交っている。グランドール家の領地で最も発展した街でも、ここまで人や馬車の数は多くない。田舎から出てきた出稼ぎの若者がこの光景を見た時、しばらく呆然とする姿は名物にすらなっていた。
タリア達はまず王都にあるグランドール家の別宅へと向かう。王都の区画はある程度整理されており、その位置取りも王城に近いほど権力や財力が高い人間が座るようになっている。貴族が住む家の隣に、平民の荒屋が建っていることなど皆無だ。王都は他国の侵略を想定して防壁構造となっているので、危険が真っ先に訪れる外周を貴族が望むはずがなく、必然的に城に近い方から貴族たちが屋敷を作っていった。
馬車をしばらく走らせれば、平民の姿は段々と減っていき、馬車の品質も徐々に上がっていく。そして、ようやく別宅の前に辿り着いた時には、周囲にいた馬車は皆無となっていた。
「お疲れ様でした」
行者が馬車の扉を開く。まず最初に降りるのは、この一行で最も権力が高いイリスだ。彼女の従者も付き従って降りる。次にアネッサとステラ。最後にタリアとアティだ。
降りた先には別宅の従者一同が迎えで参列していた。各人の仕事もあるので全員ではないだろうが、それでもかなりの人数が集まっている。その中から一人の男が一歩前に出てきた。
「お帰りなさいませ、奥様、アネッサお嬢様、タリアお嬢様。長旅お疲れ様でした」
「今帰ったわ。あの人から連絡は受けているかしら?」
「はい、既に学園の方に手配済みです。学園側はいつでも席を設けると話しております」
「では、一息入れたら直ぐに行くわ。それと、前々から話に上がっていた幾つかの貴族家とお茶会も行うわ。手配して」
「承知致しました」
そう言い、こうべを垂れる執事の格好をした男。年齢は二十代後半ほどで、同年齢の男性にしては細身だが身長は高い。眼鏡をかけており、無表情にイリスの言葉を聞く姿は取っつきにくそうな雰囲気を与える。
実際、タリアが別宅を訪れた際には彼と話をする機会があるのだが、外モードの時は兎も角、喜怒哀楽に正直な内モードの時には間が持たないと思っている。内モードで会うことはないが。
領地にある屋敷の執事筆頭はガーディーだが、王都の別宅を任されている者の中で最上位に位置するのが彼――スレインだった。二十代で公爵家の別宅を任されるという年齢にそぐわない高い地位から、その能力が窺い知れる。
そんなスレインにイリスは次々と質問や指示を出していく。問われ指示されたスレインも滞ることなく受け答えしている。並の従者ならば混乱する情報量でも涼しい顔をしている従者にイリスは少しだけ不満そうにした。
「相変わらず優秀な従者ね」
「奥様やハルバート様に鍛えられましたので」
「最初の頃の慌てふためく貴方の姿が懐かしいわ」
本人としてはあまり触れられたくない過去なのか、ようやく表情が崩れた。
「……私も昔は若かったですので」
十分に今でも若い部類なのだが、その立ち振る舞いが古参のような台詞を違和感なく刷り込ませる。
イリスはようやく一矢報いたのに満足すると、最後にと付け加えた。
「それと、国王にタリアが到着した旨をお知らせして」
「承知いたしまいた。直接私が城に向かいお伝えします」
「それじゃあ、私とアネッサは少し休んで学園へ行くわ。タリアはどうします?」
突然話を振られたタリアは慌てて考える。あまり見ない母の貴族としての振る舞いに、少々見惚れていたようだ。
このままイリスとアネッサと共に小休憩を楽しんでも良いのだが、時間はもうすぐ昼時だ。学園への訪問前なので二人とも軽食で済ませるだろう。しかし、タリアとしては久しぶりの王都だ。何か見知らぬ料理の探索に勤しみたい。可能ならば気に入った料理や食材を購入して、夜にでも二人にも味わってほしい。
そんな考えから、タリアは小さく頭を横に振った。
「お母様、私は市の視察を行いたいと思います。領地と王都でどれだけ物価に差異があるのか調べたいのです」
実は視察という名の食べ歩きではあるが、そこは貴族である。言葉を選んで告げた。
タリアの意図にこの場の者はある程度察しているのだが、それを指摘することはない。タリア程の年齢の少女ならば、数日間の息抜きできない移動に不満が溜まるのは当たり前だ。むしろ、かんしゃくを起こしたり、不機嫌にならないだけ大人びていると言っても良い。そのため、少し位の遊びは許容範囲と考えられた。
「良いわ。どうせ、王との面会も直ぐに行われるわけではないわ。アティ、お願いね」
「承知いたしました」
到着したその日に王家と公爵家の面会が行われるとは思えない。緊急事態ならまだしも、今回は労をねぎらうためのものだ。行く側も受け入れる側も準備が必要だ。
しかし、イリスの言葉にタリアは疑問を抱いた。昔と違い今の自分はアティの他にも側に控えてくれる人たちがいる。彼女たちの名が呼ばれなかったのだ。
「エメリアお姉様とメリッサ様は、私と同行されないのですか?」
タリアの言葉に、二人は申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい、タリア様。私はお祖父様に呼ばれているので、教会の方に行かなくてはならないのです」
「私は、王都にある図書館で、調べ物。色々と」
予定のある二人にタリアは残念そうに肩を落としたが、すぐに明るく立ち直る。
「そうですか、ではアティと二人っきりですね」
「そうですね」
久しぶりの二人だけですね、と令嬢モード全開で笑みを振りまくタリアに、アティは素直に頷いた。これがタリアの自室だったら、アティは生贄は自分だけですか残念です、と言ってのけただろう。
「それと――」
スレインに意味ありげに視線を送るイリス。そして、黙って頷くスレイン。
タリアは正真正銘の公爵家次女だ。たとえ、その中身が破天荒で食いしん坊だとしても、その事実は変わらない。屋敷から一歩でも外に出れば、その身を狙う者が存在する前提で行動する必要がある。グランドール家の衰退を望む他貴族や、年々拡大を続ける経済面のおこぼれ預かりたい商家、単純に貴金属を狙うゴロツキ、はたまた可愛らしい少女を狙う犯罪者。挙げればきりがない程、狙われる理由が溢れている。
だからこそ、常に側にいるアティの他に、人ごみに紛れて護衛する者たちが必要となる。良からぬことを企む輩はもちろん、護衛対象であるタリアにも気付かれずに守る者たちだ。
イリスはその手配をするようにスレインに視線で命じ、彼はすぐに理解したのだ。
「お母様?」
不自然に言葉を切ったイリスにタリアがいぶかしむ。そんな娘に、母は普段の柔らかい表情を浮かべた。
「私とアネッサにお土産をお願いね?」
娘を思う母の気持ちに気付いているのか、それとも頭の中は既に食べ物で埋め尽くされているのか。
タリアは胸を張って頷いた。
「任せてください! 二人があっと驚くようなお土産を探してきますね」
◆
「では、姉妹という設定でいきましょうか」
「うい」
イリスたちと別れ、別宅にある一室で着替えたタリアとアティ。その姿は街中にいても違和感のない程度に小綺麗な格好となっている。さすがに街中を貴族風の煌びやかな装飾がある服で巡り歩くのは目立つ。店に入れば警戒されるだろうし、露店のような立って食べるような所を見られるのは風評的に好ましくない。
そのため、服装を変えて主人と従者の関係も姉妹と偽る。
「名前も偽名にしましょう。私はともかく、タリア様の名を聞けば勘付かれる可能性もあります」
グランドール家次女の姿を見たことはなくても、名を知っている者は多い。特に一般では商売に関わる者はその傾向が強いだろう。グランドール家が有力な商売相手として認識されているが故の状況だ。そして、親を落とすならば子から攻めるのも手だ。だからこそ、念には念を入れて名を偽る。
「んじゃあ、リアで」
「安直すぎのように思えます」
スーさんと言い、ピーちゃんと言い、タリアの名付けは首を捻りたくなるものが多い。
「うーん、じゃあリタで」
「……わかりました、リタ」
結局、自分の名前を入れ替えただけだが、リアよりはマシと判断するアティ。どうせ、今回ばかりの名である。
アティは既に意識が市場に先行して気をそぞろにする主の横で自らの装備を確認する。着衣の下に隠し持つ各種刃物。緊急時に周囲に知らせるための呼子笛。そして軍資金。特にお金は十分な金額か確認する。この食いしん坊令嬢がどれだけ食べるか分からず、途中で資金が潰えようものならば小悪魔の如く恨み辛みを言うことは確実だ。口と鼻を摘めば静かになるだろうが、抵抗が予想されるので面倒くさい。余計なリスクは事前に回避できるものは回避すべきだ。
アティは十分すぎる金額を確認して覚悟を決める。
「では、行きましょうか」
「出発!」
正門ではなく、業者が出入りする際に利用する裏から出て行く。偽装のため同時に屋敷の者も複数人出ていく。バラバラの方向に歩いて行き、少し歩いた所で反転する。そして行き交う人々の顔を確認して尾行を警戒。それからようやく目的地へと向かった。あとは隠れ潜む護衛たちに警戒を任せることにした。むろん、直接襲ってきた場合はアティの容赦ない制裁が待っている。
「今日は何があるか楽しみだね、お姉さま」
「そうね、リタ」
嬉しそうに手を引くタリアに、アティはほんの少しだけ張り詰めた神経を緩めた。
もう直ぐ昼だからか市場は活気付いており、至る所で景気の良い掛け声が飛び交っている。肉や野菜をはじめとする食料品や、木や石を加工して作った装飾品、店主自らが鍛えたことを売り文句にしている装備品を並べている店もある。中には怪しげな薬を並べて、これまた怪しげな店主が笑いを漏らしている奇抜な店もある。さすがにその店の前は誰もが足早に過ぎている。それで商売になるのかと疑問に思ってしまう。
そんな混沌とした場所に、ある意味混沌とした精神を持ち合わせる令嬢が降り立った。
「とりあえず、端から順に食べていこうか」
「ちょっと待ってください」
真面目な表情で言ってのけるタリアに、驚愕するアティ。思わず敬語で応じてしまった。見るとタリアはきょとんとした表情をしている。まるで、それが当たり前のようだ。
食いしん坊魔神め。
アティは心内で毒吐くと、申し訳なさそうに告げた。
「これから昼時で、どんどん混雑してくるわ。そうすれば見て回ることも難しくなるから、素早く移動して気になったものだけを買いましょうね?」
「ぶー」
「買いましょう、ね?」
アティは笑顔のまま、繋いだ手を少しだけグリグリと握る。
「あたた、分かった、分かったよお姉さま」
「分かってくれて嬉しいわ、リタ」
側から見れば仲の良い歳の離れた姉妹が微笑ましく市を見て回る姿。その実は、食の獣を制御する猛獣使い。そんな二人はブラブラと歩いて、目についたものを買っていく。ぶつ切りにした肉を串に刺して焼いただけの串焼き。その場で絞った果実の飲み物、燻製にした肉と野菜をパンに挟んだものなど。普段食べることのない簡単なものを食べ歩く。味は幾分か落ちるが、これはこれで美味しく楽しいとタリアは思っている。
食べ物を購入する際、アティは必ず二人分を購入する。そして、まずスノトラでコッソリと毒検査を行い、その後アティが実食。最後にタリアが食べる流れを繰り返している。突発的な買い食いゆえに、不届き者の手は伸びにくいだろうが、偶然の食材の痛みなどの懸念もある。万が一を防ぐための対策だ。
だが、それは必然的にタリアが求めればアティも例外なく食べる必要があるということ。最初のうちはまだ良かったが、だんだんアティの満腹感が強くなる。
これ美味しい、もう一個。あれが美味しかったから、ちょっと戻ってもう一個。さて、次に行こうか。
小さな体のどこにそれだけ入るのか疑問を抱くほど、タリアは食べていく。普段の食事時にはアティはタリアの後ろに控えているだけで、おかわりを求められた時に対応する位だ。よく食べることは知っていたが、実際に自分も同じ量を食べると、その異常さを嫌でも理解した。
「り、リタ。まだ食べるの?」
そろそろ食べ止めにしませんか? そう告げるが、相手は容赦がなかった。
「えっ、まだ半分程度だけど」
思わずアティがタリアのお腹を触ったのは仕方がなかったのだろう。
小さな胴回りをさすり、次にお腹を軽くポンと叩く。同じだけ食べたにもかかわらず、普段の着替えの時と体型に変化は見られない。逆に自分のお腹が張っており、少々苦しくなってきている。
そんな事をしていると、以前タリアの異能について調べていたメリッサの言葉が脳裏に浮かんだ。
曰く、タリアの食欲と睡眠欲は予知夢という異能を発現するための副次的な現象かもしれない、という仮説だ。あくまでも仮説なので事実は分からないとも付け加えていた。
もちろん、力とは関係なくタリア本来の性格が食いしん坊で怠け者の可能性もある。
「さ、さすがに食べすぎよ。お土産も買うのでしょう? そろそろ次に行こうね」
「はぁーい」
しぶしぶという体で同意するタリア。しかし、視線は未だに食べ物に釘付けだ。明らかに未練がある。
アティはタリアの気が変わらぬ内にと、手を引いてその場を離れていった。
二人を影から見守る護衛たちは、麗しき令嬢の信じられない食欲に言葉を失っていた。そして、こんなことを報告しても信じてくれまいと、職務怠慢を疑われないか心配になりながら仕事を継続した。
その後、意図的にアティは市場で食べ物屋を避けながら進んでいった。時折遭遇する食べ物屋は体でタリアの視界から隠し、匂いに勘付かれそうになれば密かに風魔法で分散させてごまかした。タリアの体の小ささと、魔法を使えることに感謝した。
やがて市場から外れたのか、出店の数が減っていく。ここに来るまでにお土産にはある程度目星をつけていたので、それを購入して帰ろうか。そう考え始めたアティだが、タリアが繋いだ手を引っ張った。
「リタ?」
「カルナがいたよ。あっち」
タリアの言葉に困惑するアティ。だが、タリアは構わずにグイグイと引っ張っていく。
タリアの口から出てきた一人の冒険者の名。女魔法使いで、縁があって何度かタリア達と顔を合わせたことがある人物だ。
最後に別れたのはフレバードの街で、ダンジョンの未開エリアを発見した時だ。訳あって借金を抱えていたカルナだが、報酬で十分賄えたはずだ。その彼女がフレバードではなく、王都にいた。あれから幾らか時間が経っているので、王都にいても不思議ではない。彼女も冒険者なのだ。仕事をする場所は自由だ。
タリアの指差す方を見れば、確かにカルナに似た背丈の女性が歩いている。こちらには気付いておらず、ゆっくりと建物の中に入って行った。
「冒険者ギルドですね。仕事でしょうか。彼女もよくよく私たちと縁があるみたいですね」
その縁がカルナにとって幸か不幸かは定かではない。
「リタ、この場は顔を合わせない方が良いわ」
一応、今のタリアは身分を隠しての行動中だ。カルナと会った時に彼女が口を滑らせれば余計なトラブルを起こしかねない。タリアやアティにとっては、一時的な騒ぎでも、カルナにとっては仕事に影響が出ることもあり得る。公爵家と繋がりがある冒険者。それで腕が確かなら問題ないが、カルナの冒険者としての腕前は下から数えた方が早い方だ。そんな冒険者が何故、となれば護衛や後ろ盾がないカルナにとって喜ばしくない状況となる。
アティの言葉に、タリアは一旦立ち止まる。しかし、直ぐに再び歩を進めた。
「リタ?」
「なんか、様子が変でした。元気がないというか、覇気がないというか。ちょっと気になります」
「……騒ぎになりそうになったら、直ぐに離脱しますからね」
「はい」
瞬間、従者に戻ったアティに、令嬢として返事をするタリア。
アティは満足げに頷くと、タリアを連れてギルドの門をくぐる。
タリアが冒険者ギルドに入るのは、これが二度目となる。前回のフレバードでは他の面々がおり、女性陣が目立ってはいたがウィルネスの睨みで他者を威嚇していた。しかし、今はタリアとアティの二人だけ。アティだけならば魔法使いの女性と一瞥だけされて終わりだっただろう。しかし、そこにタリアのような子供が一緒にいれば話は別だ。明らかに場違いな来訪者に視線が集中した。
時折訪れるような冒険者に夢見る少年ではなく、明らかに荒事には向いていない幼い少女。そして手をつなぐ妙齢の女性。注目はしたが、冒険者やギルドの職員はどう反応すべきか困惑すらしている。
そんな微妙な空気を読み取ったのは、一時的に外モード全開のパーフェクト令嬢と化したタリアだった。周囲を見渡し、一考するとおもむろに隣に立つアティの腰に抱きついた。
「お母さん、怖いです~」
静寂と、そして聞こえてくる囁き声。子連れ女冒険者やら、未亡人冒険者、はたまた妹の忘れ形見連れ冒険者。子供はおろか、結婚や恋人の影も見えないアティにとって、それは呪われた言葉。体格の良い男冒険者が哀れみと慰めの視線を送ってくるのがアティの心を深く突き刺した。
この状況を作り出した元凶はアティの腰に抱きついて無邪気に笑っている。取り敢えず、アティはその憎たらしい頭を鷲掴みにして指先に力を入れた。
「今、なんと?」
「いでで、頭が、頭が潰れるぅ」
「私が、なんと?」
「お、お姉様ー。私のキレイなお姉様ですぅー」
指先から力を抜くと、開放されたタリアは、おぐぅと奇妙なうめき声を上げて離れる。
アティは周囲を見渡して視線で牽制する。それまで興味深そうに見ていた見物人らは咄嗟に視線を反らした。外見に似合わず、この女性は危険だと認識されたようだ。
そして、そんな二人の騒がしい一連のやり取りに全く感心を示さなかった人物がいた。あれだけタリアが騒いだにも関わらず、ギルドの受付で揉めている人物。あまり自己主張をせず、タリアに良いように流されたカルナだ。受付の職員はカルナの言葉を幾度も首を振って断っているが、それにカルナが食い付いている様に見える。やはり、様子がおかしい。
アティが背後から近づくと、揉めている会話が聞こえてきた。
「ですから、次の依頼を下さい。きちんと前の依頼は達成している筈です」
「しかし、あなたは既に今日だけで三件の依頼を達成しています。次は明日以降にするべきです」
「まだ今日は時間があります」
「あなたの体調や準備に懸念があるのです」
「自分の体調は自分が一番分かります。大丈夫です、早く次を」
「許可できません。本日は報酬を受け取ってお引き取り下さい」
「ギルドの依頼受注規定には違反していないはずです。お願いします」
「お帰り下さい」
そんなやり取りを聞き、どうやらカルナが依頼を頻繁に受注しているのだと理解した。冒険者は自分の管理は自分で行う。当たり前の事だ。そして、ギルドが冒険者の依頼受注に口を挟むことは滅多にない。依頼の条件を満たしていれば、老若男女関係ないのだ。そのギルド職員がカルナを静止するなど、余程の事だ。
他の冒険者も揉めているカルナに気付いたようだ。その内の一人の口から思わず出てきた言葉に、タリアとアティは眉を潜めた。曰く、死にたがりのカルナ、だそうだ。聞いて気持ちのいい通り名ではない。
いい加減、職員も険しい表情になってきており、このままだと話が拗れそうだと判断してアティは声を掛けることにした。
「カルナさん、お久しぶりです」
「……えっ? あ……」
呼ばれ、露骨に表情をしかめて振り返るカルナ。しかし、相手がアティということを認識すると途端に表情が崩れた。
驚き、そして破顔して涙を流し始める。まるで迷い子が親を見つけた時のような反応だった。
「アティ……さん?」
「はい」
「……お願いします」
「はい?」
「……助けて」
ようやく一言だけ絞り出し、アティの服に掴みかかるようにして顔を伏せるカルナ。
事情は分からないが、どうやら彼女は追い込まれている状況のようだった。
しかし、頼られたアティは正直回答に困っていた。アティにはカルナを何かから救えるような万全の力を持っているわけではない。精々が、精霊や魔法の物理的な力で解決することができる位。大金を所持しているわけでもなく、権力があるわけでもない。
取り敢えず、他人の目や耳が無い場所に移動するべく提案しようとした時。一人の公爵令嬢が動いた。
自分よりも背の高いカルナを見上げ、涙を流す年上の女性に対して言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。両手を静かに伸ばしてカルナの頬を流れる涙を優しく拭った。
「カルナさん」
それはまるで、教会の神父が迷える子羊を導くかのような言葉。タリアの一言一句がカルナの波荒れた心を落ち着かせていく。
「大丈夫です、安心して下さい」
事情も知らない、分からない。本当に助けられるのかも分からない。
タリアの言葉には何処にも根拠がない。しかし、カルナの張り詰めていた心は、ようやく少しだけ紐解かれたのだった。




