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令嬢は怠惰を望む  作者: ゆうや
第二章
29/39

第二十七話 令嬢、姉と一緒に眠る

 時間を遡る。

 タリア達がフレバードへ出発してから数日経ったある日。ハルバートの元へ王都から手紙の束が送られてきた。数にして数十通程度で、どれも差出人の名義は異なっている。手紙の色や大きさも様々で統一性はない。

 これらは王都にあるグランドール家の別宅に送られてきたもので、そこで一旦精査された後にグランドール領地へと転送されている。つまり、実際はこれ以上の手紙が存在しており、ハルバートの元に来た時点で数は減っているのだが、それでも非常に多かった。

 ハルバートは差出人を確認し、慣れた手付きで分類していく。同位貴族、下位貴族、商人、ギルドなど。中には妻への茶会の誘いや、タリアへのお見合い申し込みなども混ざっている。取り敢えず、お見合いの手紙は破り捨てたくなる気持ちを何とか押さえ込み、机に叩きつけた。

 このように様々な人物から手紙が送られてくるのは珍しい事ではない。好意、悪意に関係なくグランドール公爵家と接触を望む者は多いのだ。


「んっ?」


 パラパラと手紙を流し見ていたハルバートの手が止まった。

 その手紙は目立たない茶色の封筒で、他のものと違い立派な封蝋もない。差出人もガゼットとだけ書かれており、本来ならば精査の時点で弾かれるようなものだ。

 当然、今こうしてハルバートの手の中にあるのは、この差出人の手紙は送ってくるように言い付けているからだ。

 他の手紙を脇に置き迷いなく封を切る。中からは数枚の便箋が出てきた。

 目を通すと、季節の挨拶から入って近状報告と少しの相談。最後にお互い健康に気を付けようで締めくくられている。至って普通の挨拶状だった。もし、この手紙を第三者が読んだ場合、途端に興味を失うかハルバートと手紙の主が旧友と気付く程度だ。見られて困る内容ではない。

 しかし、ハルバートは大切そうに手紙を懐に仕舞い込む。そして、当主の許可が無ければ入ることができない書斎へと向かった。ハルバートは当主なのでもちろん問題ない。

 書斎は以前ハルバートが隣領に出向している時に起きた疫病に関して、タリアに使用を許可した部屋だ。それ以降、ハルバート以外は誰も足を踏み入れていない。

 書斎に入り小さな机に懐の手紙を置く。そして次に、本棚を見渡して目的の本を探す。今まで何度か使っているので、ある程度の位置は把握していた。


「王家、王家っと。……あった」


 ハルバートが手にした本。それは『王家における基本的な礼儀作法について』だった。

 本棚から大切に引き出し、少し付いていた埃を払いつつ机に向う。

 そして、便箋に書かれている内容を手でなぞって答え合わせをしていく。書かれている日付や時間から、本のページと行数を特定する。近状報告にある失敗談から、該当する作法のページに埋め込まれているメッセージを読み込む。そのようにして、順に本当に手紙で伝えたい内容を一文ずつ読み解いていった。


 実際のところ、手紙の差出人であるガゼットとは、ガルゼ・イーセットを略した名である。ガルゼはイーセット王国の国王であり、ハルバートを含めた貴族達の上に君臨する人物だ。つまり、この手紙は国王からハルバートへの内密な伝令であった。万が一紛失した場合でも、この本が無ければ只の手紙にしか読めず、情報が漏れることはない。逆に本だけを読んでも礼儀作法のタイトルで偽装した只の房中本である。

 これはハルバートと国王のみの間で行われる暗号連絡手段の一つなのだ。


 そして、全ての内容を確認したハルバートは手紙を焼却する。これで情報はハルバートの頭の中だけだ。

 手紙に書かれていた本当の内容にハルバートは暫く難しい表情で腕を組む。幾度かこのやり取りを行っているが、毎回ロクな内容ではない。今回も例に漏れず厄介な内容だった。

 しばらく考えていたハルバートだが、一区切りつけたのか立ち上がった。そして解読に用いた本を戻すために本棚に近づく。

 しかし、本棚に戻そうとした時。本の間から一枚の小さな紙が落ちた。反射的に手に取るハルバート。そして、書かれているメッセージに吹き出した。


『イリス様にバレない様、お気を付け下さい。タリア様にはバレました。 アティ』


 娘の侍女からの心優しい忠告。間違いなく入室を許可した時に本を見つけられ、内容を読まれた証拠だ。本のタイトルが疫病とは関係ないので読むことは無いと思っていた。しかし、娘は予想以上に頑張って調べてくれたようだ。

 今思えば、しばらくの期間タリアとアティの視線が冷たかったような気がする。心当たりも無かったので気のせいかと思っていたのだが、そうではないらしい。

 本を開けば目に入る本当のタイトル『王とメイドのいけない関係』。これを考えた王を頭の中で殴る。娘に対する父親の威厳を回復したいが、本当のことは話せない。貴族故に家族にも話せないことは多々ある。この王とのやり取りも、その内の一つだ。

 つまり、このまま書斎の本棚に偽のタイトルを付けた卑猥な本を隠す父親として生きていく事となる。他に道はない。


「なんて事だ」


 この日、ハルバートは自棄酒をした後、咽び泣いて枕を濡らした。





 屋敷に帰る馬車の中で珍しくタリアは起きていた。いつもなら膝枕で眠るのだが、この時ばかりはそんな余裕が無いようで、窓から外を見て到着は今か今かと焦れていた。

 途中で経由する小さな町で泊まる際も、枯れないように瓶詰めした月光草を眺めており、不気味なほど静かだった。

 そして数日後。念願の屋敷への帰還が叶った。馬車を降り、出迎えた使用人たちに笑顔を振りまきながらハルバートの部屋へと向う。急かす心は無意識にタリアの足を早めていた。

 ハルバートの部屋の前に辿り着き、ウィルネスがノックをすると入室が許された。


「よくぞ無事に帰った」


 ハルバートの第一声は一同を労うものだ。しかし、実際はダンジョン内でレナと遭遇するなど、結構際どかったので後ろめたい。

 そんな感情を振り払うように、タリアは手に持っていた瓶を掲げてハルバートに見せた。


「お父様、月光草を手に入れました!」


 タリアの宣言にハルバートは一瞬目を見開いた。しかし、直ぐに元の表情へと戻る。


「月光草か。そうか、手に入ったのか。頑張ったのだな」


 予想よりも反応の薄いハルバートにタリアは内心首を撚る。

 タリアが月光草を手に入れた時はレナとの駆け引きで喜ぶ余裕はなかった。それでも、ギルドへの報告後、無事に宿に辿り着いた時には嬉しさのあまり小躍りをした。ハルバートも踊るとまでは言わないが、それ相応に喜ぶと思っていたのだ。その予想が外れた。これ位の成果は当たり前だと思っているのか、それとも驚きすぎて逆に冷静になっているのか。

 タリアの疑問を他所に、ハルバートは淡々と指示を出している。


「アティはアネッサの担当医を呼んできてくれ」


「承知しました」


 アティが部屋を出ていくのを横目に、タリアはハルバートの机に瓶を置いた。月光草は今も葉が薄く輝いており、只の草ではないことは一目瞭然だ。アネッサを救う可能性があるからか、余計に神秘的に見える。


「お父様、これが月光草です」


「ほう、本当に葉が光るのだな」


「はい。お父様はこれをご存知だったのですか?」


 ハルバートやイリスは、アネッサを救うために何年も調査をしてきた。当然、その中には月光草を使用したエリクサーや治療薬も含まれている筈だ。月光草の存在を知っていても不思議ではない。


「ああ、冒険者に依頼したり、商人に優先的に回してもらうように話を付けていたのだが、結局見つかることはなかった。それをお前達が見つけてくるとは、本当に驚いたよ」


「運が良かったのです」


 タリアが隠し部屋を見つけ、カルナが月光草の存在を知らなければ手に入れることは出来なかった。もし、ギルドでカルナを誘っていなかったらと思うと、正直考えたくもない。

 アティが戻るまで、ウィルネスがハルバートに本来の目的である間者に関する情報を伝える。遭遇したレナの存在と、その時にモンスターと冒険者を操っていたこと。案の定、ハルバートの視線が険しいものとなった。レナと聞いて煮え湯を飲まされた事を思い出したのか、それともタリア達が場合によっては大事になっていたからか。取り敢えず、タリアはウィルネスの背中に隠れてやり過ごした。

 チクチクとした小言を兄でガードすること数分。アティが戻ってきた。


「お待たせ致しました」


 入ってきたのはアティと息も絶え絶えなアネッサの担当医の男。恐らくかなり急いだのだろう。しかし、アティは平然として息を乱していない。担当医の体力が無さ過ぎるのか、アティの体力が有り余っているのか。それとも両方なのか。

 連れてこられた担当医は、ハルバートの机の上にある瓶の中身を見て呼ばれた理由を理解したようだ。話が早かった。


「では、拝見致します」


 担当医は一度汗を拭ってから、慎重に月光草が入っている瓶を持ち上げる。そのまま回すようにして様々な角度から確認している。


「ほほう。これはまさに月光草ですね。私がこれを見るのは二度目です。よく見つけられましたな」


 感心しながら担当医が断言した。月光草が偽物の可能性もあり、一株の不安を感じていたタリアだが、本物と鑑定された事で胸を撫で下ろした。

 しかし担当医は褒めつつも、ハルバート同様に冴えない表情だ。


「一応、確認しておきましょうか。確かに月光草を使用した治療薬は非常に強力です。しかし、アネッサ様のご病気に何処まで効果があるのかは分かりません。今までこの治療を行ったケースがないので、完治するかもしれませんし、全く効果がないかもしれません」


 月光草を原料とした治療薬は、今まで何例か奇病難病に投与され完治したと報告されている。しかし、それはあくまでもアネッサ以外の病状に対してだ。他の病気には効き目が合っても、アネッサの病気には効かない可能性は十分ある。


「でも、何もしなければ何も変わりません。お父様、お医者様に薬を作って頂いても宜しいですよね?」


「ああ、もちろんだ。しかし、その前にタリア。一つ言っておくことがある」


 一秒でも早く薬を調合して欲しいのだが、ハルバートの真剣な表情を見たタリアは素直に頷いた。


「確かに月光草でアネッサの治療ができるかもしれない。しかし――」


 ハルバートの歯切れの悪い言葉。タリアは黙って次の言葉を待つ。そして数秒の沈黙を置いてから、ようやくハルバートが先を続けた。


「月光草から薬を作るには一年位の時間が必要なのだ」


「えっ?」


 我が耳を疑うタリア。思いもしなかったハルバートの言葉に担当医を見る。彼はハルバートの言葉を肯定するように黙って頷いた。

 タリアは薬草を作る知識がない。そのため、すり潰した月光草を水で服用すると勝手に思い込んでいた。しかし、実際は一年もの時間が掛かる。それを知っているからこそ、ハルバートや担当医は手放しには喜ばなかったのだろう。アティを始めとした面々も知らなかったようで、タリアと同様に言葉を失っている。

 担当医が月光草の詳細について語る。


「月光草は満月の夜に最も魔力を帯びて光り輝きます。その際に葉の表面に浮き出る水滴を集めて薬とします。その水滴が薬として十分使えるまで、約一年かかるのです」


 アネッサの容態はかなり悪い。予知で見たタリアが葬花を摘む光景は、とても一年後とは思えない。もっと近々の筈だ。

 駄目だ、間に合わない。そう思った瞬間に一気に血の気が引いていく。指先が冷たくなり吐き気と目眩がタリアを襲う。そのまま倒れなかったのが不思議な位だった。

 これまで感じていた達成感や、アネッサを救えると信じていた希望が一気に吹き飛んだ。そして、脳裏にレナの言動が浮かぶ。何故あれ程簡単に月光草をタリアに譲ったのか。アネッサが元気になる事など、レナは望んでなんかいない。気にもしていない。ただ、タリアが今この時。絶望に侵食されて涙する光景を想像してレナは笑っていたのだ。

 悔しいが確かに泣きそうだ。諦めそうになっている。幾ら奮い立たせようとしても気力が沸かない。しかし、最後の最後で踏ん張っているのは思い通りになってたまるかという意地と、アネッサを想う気持ち故だ。


「分かりました。では、薬の調合はお任せいたします。私は他にも手がないか探しますので、お父様の書斎をお借りしたいのですが宜しいですか?」


「その前にアネッサに顔を見せてあげなさい。タリアが無事に帰ってこれるか心配していたぞ」


「はい、お父様」


 そして、ウィルネス以外の女性陣が執務室を後にする。彼はまだ間者に関する調査報告の続きが残っている。再び小言確実な状況で、一人犠牲になった形だ。

 早々に立ち去っていく妹達の姿を恨めしそうに見送りながら、ウィルネスは気を取り直して報告を続きを行っていく。





 タリアが屋敷を不在にしていたのは七日ほどで、アネッサの部屋に最後に来たのは出発する直前だった。それ程期間が空いたわけではない。しかし、様々な出来事があったためか、アネッサの部屋は妙に懐かしい感じを受けた。

 部屋にはアネッサの侍女であるステラもおり、タリアに向かって一礼している。部屋の主であるアネッサは体調がそれ程良くないのか、目を覚ましているがベットに横になったままだ。

 タリアはベットの側まで近づき、内心を押し殺して話し掛けた。


「お姉様、只今帰りました」


 たったの七日間。それだけの日数でアネッサの頬はコケて、手の甲からは瑞々しさが失われている。艶のあった髪はステラが整えているようだが、それでも隠しきれないほど傷んでいる。

 この時初めて、タリアはアネッサに死相を見た。今この瞬間にでも目を瞑り、そのまま息を引き取ってしまうかもしれない。大切な家族が目の前で失われる事にタリアは恐怖した。


「お帰りなさいタリア。怪我はない?」


 辛そうに首を向けるアネッサ。起き上がろうとしたが、力が入らない様子でステラに止められていた。

 タリアは優しくアネッサの手を取り、両手で包み込む。記憶にある温かい姉の手が今は冷たい。歯を強く噛み締めて堪える。一番の辛いのは自分ではない。アネッサなのだと言い聞かせる。

 タリアは何とか笑みを浮かべた。上手く笑えているか自信はない。


「はい、私は怪我一つないです。ウィルお兄様が凄かったんですよ。こう、一撃でゴブリンをバッサバッサと切り倒して、圧倒してました!」


「あら、それは凄いわね。私も見てみたかったわ」


「今度、お姉様も一緒に行きましょう。少し怖かったけど、とっても刺激的でした!」


「そうね」


 取り留めのない話。フレバードでの出来事を面白おかしく語り、少しでもアネッサを笑わせようとする。傍から見ればタリアの方が痛々しく見えたかもしれない。アネッサもそれに気付いていたのかもしれない。それでも、タリアは精一杯面白おかしく話した。それがアネッサとの最後の会話となっても後悔しないように。

 そんな姉妹を見るアティとステラの従者二人は何を思うのか。ただ沈黙でそれぞれの主を見守っていた。





 タリアが目を覚ますと、目の前にアネッサの寝顔があった。驚きの声が口から出そうになり、慌てて手で抑えた。幸いアネッサが目を覚ます様子はなく、タリアは起こさないようにソっとベットから抜け出した。

 固まった体を伸びをしてほぐしながら状況を確認する。ベットにはアネッサが寝ており、自分はその横で寝ていたようだ。どうも目に違和感があると思い、拭うと涙のあとがあった。寝る前の記憶を辿れば、フレバードで出会った魔法使いのカルナの事を話していた。涙するような話ではなかったので、この涙は眠ってから流れたものだろう。アネッサが涙を見て心配しなかっただろうか、とタリアは思った。

 手に入れた月光草に関しては、まだ話すことができていない。薬の目処がついたから、あと一年待って欲しい。そんな事を今のアネッサに伝える勇気はない。


「お姉様」


 小さく呟く。本当に息をしているのか疑いたくなる程、アネッサの呼吸は静かで小さい。思わず手に触れると弱々しく握り返してきた。その感覚に安堵する。

 こうして手を繋ぐのは本当に久しぶりだった。幼い頃は頻繁に一緒に寝て、その時には必ず手を繋いで貰っていた。しかし、アネッサの調子が悪くなり始め、タリアも令嬢としての仕事が徐々に増え始めてからは自然と機会が減っていった。

 誰も見ておらず、悪いことでもないのに何故か気恥ずかしさを感じてしまう。

 いつまでも手を握っているわけにはいかないので、アネッサに布団を掛け直してから離れる。そして部屋を見渡して疑問が浮かんだ。


「アティ、ステラ?」


 二人の従者がどちらもいない。もちろん、二人にはタリアやアネッサの世話以外にも仕事があり、席を外すこともある。実際、どうしてもアティが抜ける必要がある時や休暇の時には、代わりの従者がタリアに付いてくれる。内モードになれないのでタリアの精神的負担が増大するが、それは仕方がないと思っている。

 しかし、二人同時にいなくなりアネッサを見守る人間が皆無になることはあり得ない。元気なタリアならば眠ってしまえば朝まで放っておいても問題ないだろうが、今のアネッサから目を離すのは危険過ぎる。いざという時に気付くことができない。

 それとも、自分達を放っておく必要があるほど重要な出来事が起きたのだろうか。

 タリアは人を呼ぶために急ぎ足で部屋の扉へと向う。ドアノブに手をかけ、回そうとした時。背後から物音がした。


「っ!?」


 自分とアネッサ以外に誰もいない筈の部屋で聞こえてきた物音。起きた時に見渡した際には、誰もいなかったはずだ。恐る恐る振り返る。アネッサの無事を確認し、次に人が出入りできる窓が閉まっていることを確認する。

 何処も変わりはない。聞き違いかと思い、ふと視線を下ろした時。ソレを見つけた。


「あの時の、黒い本……」


 装丁が真っ黒でタイトルが無い本。ハルバートの書斎で見つけて読んだ本だ。あの時は強制的に眠らされて、その時に見た夢が未来ではなく過去の光景だった。しかし、本を読んだ影響だろうか。体への負担が大きかった。

 その後、幾ら書斎を探しても見つけることが出来なかった本が今、タリアの目下に置かれている。

 ベットから扉に向う時には無かったはずだ。タリアの聞いた物音が本が置かれた音だったとしか思えない。誰かが置いたのか。それとも本自身が何処からか出現したのか。そして、今このタイミングでタリアの前に現れたのは理由があるのか。


「……」


 無言で慎重に近づく。拾おうと手を伸ばし、指先が触れる直前に一瞬躊躇ったが意を決して拾う。ズッシリとした感覚は緊張のためか前回よりも重く感じた。

 両手でしっかりと持ちながらタリアは迷う。これを読むべきか、それともアティやハルバートに見せるべきか。恐らく他の者に見せれば自分が読む事は不可能になる。前回は読んで倒れた後に吐血した。夢の中では激しい頭痛に襲われた。再び同じ事が起きる可能性は高い。タリアも同じ目に遭うのは避けたい。

 だが、同時に考えてしまう。前回のように、これが切っ掛けで状況を変えられるのではないかと。もちろん確証はない。前回が偶然そうなっただけなのかもしれない。それでも他に手がない現状では賭けてみたくなる。

 タリアは迷いつつも、本をめくろうとする。しかし、開く直前に指を止めてしまう。手が震える。膝も震えてきた。震えを抑えようとしても、逆に大きくなってしまう。

 痛いのは嫌だ。自分を大切にしてくれる人達に心配を掛けるのも嫌だ。アネッサも知ればきっと止めるだろう。

 今は手元に置いておき、後で相談して念入りに調べてもらう。そして、もしタリアが読むことになった時には回復魔法を使える人間を側に置いてから読む。それが最も安全な方法だ。

 だからまだ読む時じゃない。そう自分に言い聞かせる。


「タリア?」


 葛藤するタリアの耳に聞こえてきた小さな声。見ればベットで横になっているアネッサが目を覚ましていた。

 慌てて本を後ろ手に隠して駆け寄る。視界にタリアの姿が入ると、アネッサの表情が目に見えて和らいだ。


「大丈夫ですか、お姉様。どこか具合が悪いのですか?」


「いいの。あなたが近くにいてくれれば大丈夫」


 弱々しく笑う姉にタリアの胸が痛む。本当にこの対応で良いのか。万が一、それで手遅れになってしまったら。あの時、なぜ直ぐに読まなかったのかと後悔したら。確実に一生悩み続けるだろう。


「タリア、もっと良く顔を見せて頂戴」


「はい」


 今いる距離で顔が見えない筈がない。それでも、タリアは言われたままにアネッサに近づいた。

 アネッサはタリアの頬に両手を添えながら、ゆっくりと紡ぐようにして告げた。


「私ね、エメリア様に嫉妬していたの」


「えっ……」


 突然の告白にタリアは驚いた。

 今まで、アネッサとエメリアが顔を合わせたのは数える程度だ。出会った経緯は予知に関連する事以外は話しており、アネッサも外でタリアの助けになる人が出来て良かったと喜んでいた。それが、突然嫉妬していたと言われたのだ。自由に出歩けないアネッサが羨んでいたとしたら、良かれと思って色々と話をしたのは迷惑だったのかとタリアは後悔した。

 しかし、続けたアネッサの言葉はそんなタリアの考えとは異なっていた。


「だって、タリアがいきなりお姉様がもう一人できたって言うのよ? 私があまり構ってあげられないから、見限られちゃったのかと思ったわ」


「そんな事ありません! アネッサお姉様は私の大切なお姉様です!」


 タリアにとってエメリアは年上の親友であり、頼れる義姉でもある。色々と構ってくれるので、近所のお姉さんのような人物である。そして、アネッサは唯一無二の血の繋がった姉で、決してその代わりになる人間など存在しない。タリアにとって、二人とも大切な姉なのだ。


「分かってるわ。だから私の勝手な嫉妬。タリアの姉は私一人だけなんだっていう自分勝手な気持ち。タリアに折角頼れる人ができたのに、楽しそうに話すタリアを見て、そんな酷い事を考えていたの。幻滅した?」


「そんな事ありません」


 むしろ、逆にタリアは己の無神経さを呪った。もし自分が病床にいる時に、アネッサやウィルネスに義妹が出来たと嬉しそうに言われたら、恐らくアネッサと同じように感じるだろう。例えそこに他意がないとしても、寂しさを感じることは間違いない。アネッサが毎回楽しそうに自分の話を聞いてくれることに胡座をかいていた。

 タリアが悲痛な表情で俯くと、アネッサが少しワザとらしく明るい声で言った。


「知ってた? そこの窓から、タリアとアティが畑で楽しそうにしているのが見えるのよ?」


「えっ、そうなのでしゅふぁぁぁ」


 まさか見られているとは思わず、驚いて顔を上げたタリアの頬を両側に伸ばすアネッサ。痛くはないが上手く喋ることができない。アネッサは何が面白いのか、グニグニとよく伸びるタリアの頬を弄くり回している。それは普段のタリアとアティのやり取りそのものだった。


「私も一度やってみたかったのよね。アティったらとても楽しそうだったんですもの」


「ふぁ、ふぁー」


「思っていた以上に楽しいわ。本当、何で出来ているのかしら?」


「別に普通ふぁー、ほっぺふぁー」


「うふふ」


 そのまま暫くアネッサはタリアで遊び続け、ようやく解放されたタリアが頬をさすっているとアネッサが少し声を強張らせた。


「タリア。もし私がいなくなっても、あなたは元気でいて頂戴。もちろん、最初は落ち込んでも良い。悲しんでも良い。でも、きっと最後には立ち直っていつもの笑顔で皆を励ましてあげて?」


 それはまるで遺言のようで。アネッサ自身が己の体を十分に理解していることを示していた。


「……お姉様はこれからもずっと先まで生きていかれるのですよ?」


「そうね。そうだったら良いわね」


「お兄様の結婚式とか、お姉様の結婚式とか出てみたいです。あと、お二人の子供と一緒に遊んでみたいです」


「私もタリアのお婿さんとか、タリアの可愛い子供と会ってみたかったわ」


 そこにあるのは自分の生を諦め、運命を受け入れたアネッサの姿。両親がいつしか見せるようになった表情。タリアが嫌いな数少ない家族の姿だった。

 そして、少しずつアネッサの瞼が閉じていく。


「少し、話疲れちゃったわ。ちょっと眠るわね」


「お姉様?」


「……」


 突然の眠りに慌てタリアがアネッサに呼びかける。しかし、反応がないアネッサ。軽く揺するが、それでも起きない。


「お姉様! 誰か、誰か来て!」


 取り乱しながら叫ぶタリア。しかし、誰も来る気配がない。おかしい。あり得ない。どうなっている。そんな感情ばかりが募る。考えれば考えるほど思考は乱れていく。部屋の外からは足音すらも聞こえてこない。

 慌てた拍子に隠していた黒い本がタリアの手からすり抜けた。落ちた音でようやく存在を思い出したタリア。もう、迷っている暇も冷静な判断も無かった。ただアネッサを助けたい。生きてもらいたい。それだけの感情で本を拾い上げ、躊躇すること無く勢い良く開いた。


 眠るアネッサの横に、タリアの小さな体が倒れ込んだ。





 ここは何処なのか。

 夢の中でタリアは周囲を見渡して思った。今までも夢の中の場所が分からないことは多々あった。その度に移動できる範囲で動き回り、少しでも情報を得ようとした。

 白い壁に囲まれている部屋でドアと窓が一つずつある。部屋の中央にはベットが置かれており、シーツと掛け布団は真っ白で手入れが行き届いているようだ。そして、ベットには上半身を起こして窓の外を見ている少女がいた。年頃はタリアよりも上だろうか。後ろでまとめた珍しい黒髪が特徴的だった。

 少女は何をするでもなく、ひたすらに外を眺めている。


「暇だ……暇すぎる」


 少女が呟いた。


「よりにもよって、こんな時期に私だけ病気するとか運が悪すぎ! くそぉ、修学旅行だったのにー! 新幹線でババ抜き! 班別行動で美味しいもの! 夜に恋バナ!」


 それまでの静寂が嘘のように少女がベットの上で暴れている。

 タリアは少女が言っていることをほとんど理解することができなかった。辛うじて分かったのは、少女が病気で何処かに行く事が出来なくなったということだけだ。

 暴れていた少女がベットから抜け出して窓へ向う。その足取りはしっかりしており、とても病人には見えない。


「あれか、あの新幹線か! くそぅ、呪いのメールを佐奈と由美に送ってやる!」


 何かを取り出して指でなぞっている少女。そして、そんな少女を戸惑いながら見るタリア。

 部屋にある品々はタリアの目から見て、とても質の高いものだと分かる。少女の服装も見たことが無いものだが安くは見えない。言動は少しアレだが、ひょっとしたら何処かの国の貴族だろうか。そんな当たりをつける。

 では、ここは何処の国だろうか。部屋に唯一ある窓から外を見た。


 見たことのない世界。


 タリアの脳裏に浮かんだのは、まさにそれだ。

 今いる部屋がとんでもない高さにあると理解した。見下ろす先で歩く人々。フェニの背中に乗って空を飛んだ時も、その高さに驚いた。しかし、それはあくまでも精霊という特別な存在によって見ることができた光景だ。普通の人間には見ることの出来ない光景だった筈だ。

 今いる部屋はどうだろうか。この部屋も建物の一室に過ぎない。しかし、これだけの高さの建物を建築するなど不可能だと思っていた。

 人々の他にも馬車ではない物が動き回っている。一直線に並んで移動しているが、時折左右に別れる物もある。当然、タリアはそれを見たのはこれが初めてだ。

 少し視線を上げれば、同じような高さの建物が乱立し、中には更に高いものまで存在する。

 タリアの住むイーセット王国はもちろん、人伝に聞いてきた他国の様子とも異なる。


(これはきっと、未来でも過去でもない)


 そしてきっと、他国の光景でもない。


(なら、ここは何処なのっ!?)


 呆然としたタリアの疑問に、答えは返ってこなかった。





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