第二十四話 令嬢、遠出する
心地良い揺れと後頭部に感じる暖かさにタリアは意識を覚醒させた。一定のリズムで刻まれる揺れは、まるで母体に守られる胎児のように安堵を感じさせる。時折起こる不規則な揺れに不快感を感じても、直ぐに温かく柔らかい感覚が額を覆ってくれる。まるで、雲の上で眠っているような居心地の良さだ。
ボンヤリとしていた意識が少しずつ覚醒するにつれ、段々と聴覚がはっきりとしてくる。今までも聞こえていたはずの音が、脳内で認識されるようになる。意外と騒がしい。そして、額に触れる感覚は温かい誰かの掌だと分かった。
うっすらと瞼を開く。すると一人の女性が視界に入った。エメリアだ。しかし、エメリアの表情に普段の笑みはない。能面ともいえる表情はタリアが初めて見るものだった。少し顔を逸らすと新しい情報が入ってきた。馬車である。狭い空間と乗り慣れた揺れ。そこに何故か自分は横になっており、エメリアに膝枕をされて眠っていたようだ。対面にはアティとメリッサが座っており、さらに二人に挟まれる形で一人の男性がいる。
「ウィルお兄様?」
寝起きで見間違えたわけではない。先日、久しぶりに顔を合わせた実の兄であるウィルネスだった。腕を組んで目を瞑っているが、三方向からの非友好的な視線に居心地悪そうにしていた。
「タリア様、目を覚ましたのですね?」
タリアが目覚めた事にエメリアが気付いた。横を向いていたタリアの顔を優しく自分の方へと戻すエメリア。既にいつもの彼女の雰囲気が戻っていた。
「エメリア様、ここは一体……。それに、何故お兄様が?」
「ここはフレバードの町へ向かう馬車の中です」
「フレバード?」
聞いたことのない地名だ。
「グランドール領に複数点在するダンジョンの内の一つ、フレバードダンジョンに最も近い町の名です。私たちは、そこに向かっている最中なのです」
「ダンジョン?」
状況が飲み込めないタリア。落ち着くために目覚める前の記憶を呼び起こす。その途端、湧き上がる喪失感と虚無感。アネッサの病気を何とかしたいが為に、暴走した言動をアティに叱咤された事は覚えている。思わず涙を流してしまい、なりふり構わず抱きついて泣いた事に少し頬を染めた。アティの様子を見ようと再度顔を傾けようとする。気恥ずかしいがアティが自分をどう思い、どう感じたのか確認したかった。
しかし、ガシッとエメリアに頭を固定されてしまった。
「エ、エメリア様?」
「大丈夫です、タリア様」
「な、なにが大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫なのです」
ひたすらに大丈夫と語り続けるエメリア。その両手はタリアの頭をしっかりと固定しており、微動だにしない。
一方のタリアとしては意味不明だった。何故ダンジョンに近い町へと向かっているのか。何故、兄ウィルネスが馬車に同乗しているのか。そもそも、ようやく屋敷に帰還したのに、気付いたら別の町へ向かっている馬車の中だ。まだ夢の中と言われた方が納得できる。
「だ、誰か説明をお願いします~」
虚しく上がるタリアの言葉に、虚しい沈黙だけが応えてくれた。
そして、エメリアによって視界を固定されたタリアの見えぬ所にて、ウィルネスが女性陣からの冷たい視線に晒される時間は、馬車が町に着くまで終わることはなかった。
◆
タリアが馬車の中で目を覚ますよりも時間は遡る。
タリアを部屋に寝かしつけた後、ハルバートの元へと参上したアティ。迎え入れたハルバートは既にタリアの異変を耳にしていたようで、人払いがされていた。そのため、アティは余計な前置きを省略して話し始めた。
「タリア様にダンジョンの件が伝わってしまいました。孤児院にいた少女の口から漏れてしまい、予見できなかった私の失態です」
ダンジョンだけに関わらず、街中では様々な噂が飛び交う。そのため、普通の住民ならば情報を遮断することは難しいがタリアの場合は別だ。接する者の数が少なく、また決まっているタリアの場合は相手に口止めをすることは難しくなかった。しかし、孤児院で相手する子供までは手を回せなかった。可能性としては認識していたが、まさに懸念していた通りになってしまった形になる。
「そうか。それで、タリアは納得してくれたのか?」
「理解はされていると思われます。しかし、ご自身がダンジョンに潜るなどと提案され、思わず怒鳴りつけてしまいました。メイド失格です」
「アティがタリアを怒るなど初めてだな。全く、タリアの自分を顧みない直向きさは誰に似たのだか」
その思いは、かつてのハルバートの冒険者仲間が常々抱いていた懸念と全く同じなのだが、当の本人は気付いてもいなかった。
「今は眠っておりますので、起きられましたら冷静に話をしてみます」
「分かった。私もタリアと話をしておこう。不安や不満を口にすることで、少しは気が晴れると良いのだがな。それと、万が一タリアがダンジョンに連れて行けと言っても――」
「絶対にお連れしません」
「それで良い」
ダンジョンにアネッサの病気に効くアイテムが存在する可能性は限りなく低い。そこに大事な娘を命がけで向かわせるわけにはいかない。疫病の時も活路がない状態では、この地を離れる事は許さなかった。今回も可能性がある程度あるなら話は別だが、今の状況では絶対に行かせることはできない。
「アネッサには可哀想だが、このまま治療法が見つからずに命を落としたとしても寿命と割り切る。私もイリスもアネッサ自身も、それで納得している」
「はい」
「それに――」
突如、ハルバートが口を閉ざした。そして、僅かに感嘆しながらゆっくりと振り向く。
「ふむ、少し油断したな。まさか、ここまで腕を上げているとは思わなかった」
そう言ってハルバートの視線が向かう先には、一人の男が立ち尽くしていた。旅用のマントと腰に携える長剣。王から受け取ったものではなく、普通の何処にでもある一振りだ。そして麻袋を肩に掛けて最低限の荷物を所持している格好は、お世辞にもキレイとは言えず、掃除が行き届いているハルバートの執務室の床を汚していた。
タリアの件で頭が一杯になっており、完全に気付けなかったアティ。慌てて侵入者に構えようとするが、その人物を確認して警戒を少しだけ下げた。
「お久しぶりです、父上」
一歩前に歩み、頭を下げる男。アティは彼と一度だけ顔を合わせている。ハルバートに疫病の情報を持っていく最中の事。隣領地で検問を引いていた部隊の隊長であり、この部屋の主の息子。グランドール家の次期当主ウィルネスだった。その表情は疲れと、驚きで満ちている。ハルバートとアティの会話を何処まで聞いていたのか。
「元気そうだな息子よ。しかし何故突然に、しかも隠密に帰ってきた?」
「……王に部隊の再編成が終わるまで暇を与えられました。忍んだのは……あまり騒ぎにはしたくなかったので」
「そうか」
明らかな言い訳だが、ハルバートはそれ以上追求しなかった。十中八九、帰還で騒ぎとなればタリアと顔を合わせざるを得ないと考えたのだろう。
「軍に入ったことはお前の血肉となっているようで安心したぞ」
「……それでも、魔族には手も足も出ず、部下は命を落とし、結局妹の従者に命を救われました」
その時の光景を思い浮かべたのか、ウィルネスの表情に影がさした。
「その件については、あまり深く考えるな。タリアの従者達が他と比べて別格なのだ」
「それは……妹が予知夢を見る異質な存在だからでしょうか?」
振り絞るように口にするウィルネス。やはり、かなり最初から話を聞いていたらしい。
「それに、アネッサが命を落とすなど、そこまで病状が悪いのですか?」
軍に所属して長らく戻って来なかったウィルネス。職務柄、簡単に王都を離れることはできないのだが、ウィルネス自身もあまり実家と関わりを持とうとはしなかった。本当に必要最低限の手紙のやり取りで終始していた。一方のハルバートも、手紙から情報が漏れる可能性を考慮してタリアの力について触れることはなかった。アネッサに関しても、余計な心配をかけまいとしていた。そもそも、アネッサが倒れた事に関しては、ハルバートも隣領地から帰って初めて知ったのだ。ウィルネスに伝える時間はなかった。
「ふむ、お前には色々と話をしておいた方が良いだろう。いずれ、全てを伝えるつもりだったからな。それが今になったということか」
ハルバートが覚悟を決める。そして、応接用のテーブルを指差した。
「長くなる。座って話そうではないか」
そして、この日。タリアの秘密を知る人間がもう一人追加されたのだった。
この時のウィルネスの心情を言い表すならば、後悔と怒りだ。自身が貴族の責務に押し潰されかけていたとはいえ、無垢な妹を罵倒した過去。あの時、タリアに害意がない事など分かりきっていた。しかし、謝罪して関係を修復せずに家を後にしたのは紛れもない自分だ。すまなかった。只その一言で妹は破顔して許したことだろう。それが出来なかった。しかも、異能の力に怯えたタリアを、自分の気を引くためと決め付けて放置した。心底過去の自分を殴り飛ばしたいと思った。
アティは話を聞くウィルネスを黙って見続ける。その視線は厳しく、とても仕える家の次期当主に向けるものではない。しかし、ハルバートもウィルネスも咎めることはしない。ウィルネスがタリアを一方的に敵視し、タリアが苦しんでいる時に見捨てたのは逃れようのない事実である。それをハルバートはもちろん、当のウィルネスも理解しているからだ。逆にタリアの身を考え、ここまで憤りを感じる者がタリアの側にいる事は喜ばしいことだった。
一通りの説明をハルバートから受け終わった時には、一刻ほどの時間が過ぎていた。
「何か質問はあるか?」
アティの用意したお茶で乾いた喉をゆっくりと潤すハルバート。ウィルネスは最後まで黙って聞き続けていた。
「アネッサのことは覚悟しておりました。いつか、このような日が来るのではないかと。しかし……タリアに関してはとても信じられません。父上が虚偽を仰っているとは思えませんので、真実なのでしょう。しかし、私は……」
嘘であって欲しい。でないと、自分が非道な人間に思えてならない。
「だろうな。普通は信じられない。お前の信じたくない気持ちも理解している。しかし、それでもあの子によって我が領地が繁栄し、危機を回避できたことは紛れもない事実だ」
「……分かりました。それで、妹――タリアの夢にアネッサへの葬花を選ぶ光景が出てきた、と」
「当初は私が命を落とすと思っていたようだがな。もちろん、まだアネッサが死ぬとは決まったわけではない。私の時と同様に、別人の可能性もある」
しかし、女性への葬花をタリアが摘みに行く。それはタリアに近い女性が命を落とした事に他ならない。そして、現在進行系でアネッサの病気が悪化している。可能性としては高いと考えざるを得ない。
「父上はタリアをダンジョンへ連れて行くことに反対されているのですね?」
「当然だ。許すだけの根拠がない」
「では、リスクを犯すだけのメリットがあれば許可されるのですね?」
「……何を知っている?」
ハルバートに僅かな警戒感が交じった。
「実は、私が帰郷したのは暇を与えられたと同時に、王から任務を与えられました」
「任務だと?」
「はい」
ここで言葉を切るウィルネス。その視線はアティに向けられている。彼女に聞かせても良いのか迷っているようだ。
「構わん。話せ」
「分かりました。グランドール領にあるフレバードダンジョンに隣国アストールの間者が頻繁に潜り込んでいる情報を得ました。部隊を動かすと察知される可能性があったので、実家がある私が帰郷と同時に、それとなく調査するように命じられたのです」
「アストール……」
自然とハルバートの言葉が重くなる。前回の魔族召喚騒動を裏から手引したと思われるアストール国。騒動の後に王が抗議をしたが、一切の関与を否定した。明確な証拠があるわけではなかったので、それ以上は追求できなかったが、ハルバートを筆頭に幾人かの者は確信していた。そんな隣国が自分の領地でコソコソと動き回っている。警戒するのは当然だった。
「王から任務に必要な人材や資材の調達は私に一任されております」
「お前はそこにタリアを含めると言うのか?」
「万が一、アストールが良からぬ事を企んでおり、それを阻止する事ができれば領地の安泰に繋がります。またグランドール家の全ての者が王への忠誠を誓っていると内外にアピールすることにもなります。そして、私事になりますがアネッサを救う情報を得られるかもしれません」
アネッサを救う手立てを探すためではなく、あくまでも国や領地を考えて予知が可能なタリアを投入する。間者絡みならば予知は強力な武器となる。その最中に偶然アネッサを救う情報が得られたとしても、それは偶然として扱う。そのような体面をウィルネスが掲示した。
「だが、我がグランドール家はお前とタリアを同時に失う可能性を抱え込むわけだ」
「調査が目的で戦闘が発生するとは限りません。危険と判断すれば撤退します。それに、タリアが行けば我が領地の最大戦力を最低限の人数で投入できるのではないでしょうか?」
グランドール家の最低人数での最大戦力といえばタリア、アティ、エメリア、メリッサの四人である。一見すると綺麗所が揃った令嬢のお連れ一行だ。それが軍の部隊を凌駕する戦力とは誰も思わないだろう。
ハルバートはタリアを連れて行くことは拒否したい。しかし、貴族の立場で考えると揺れてしまう。そして、アネッサを救う手立てをタリアが見つけ出してくれるのではないかと期待してしまう。
「……分かった。許可しよう」
苦渋の決断。損得を計算し、親としての感情を差し引いて判断を下した。
「その代わり、絶対に無理はするな」
「はい」
「タリアに何かあれば……私はお前を許せる自信がない」
「ご心配なく父上」
ウィルネスが立ち上がった。
「私自身が自分を許せそうもないので」
そして部屋を静かに出ていった。
◆
「お待ち下さい」
部屋を退出したウィルネスを、意外にもアティが追って来た。快く思われていない事を理解しているウィルネスは足早に去ろうとしたが、その背中にアティは声を掛ける。
「一応、ご挨拶をしておこうかと思いまして」
流石に無視するわけにはいかず、振り返るウィルネス。案の定、アティの視線は鋭く、厳しい。
「タリア様の従者をさせて頂いております、アティと申します。以前はイリス様のお側にいました」
「ああ」
言われ、記憶を辿ればイリスの側にいる姿を見た気がする。正直、確信までは持てなかった。そもそも、自分の従者以外で顔を覚えるのは稀である。屋敷から離れていたので余計に顔と名は覚えていない。
「ウィルネス様が屋敷をお出でになられたのと同時期にタリア様付きとなりました。タリア様は当時非常に不安定でしたが、今ではすっかり元気になられました。少々元気過ぎる面もあるのは困りものですが」
「……」
言外にお前はタリアを見捨てたが、自分は立ち直るまで側で支え続けたと言われる。耳が痛かった。
「今回もタリア様を勝手に騒動に巻き込んでくださり、言葉も出ないほど打ち震えております。まあ、タリア様自身はアネッサ様のために何かできると喜ばれるでしょうが。いずれにしても、私はタリア様のお側におりますので、道中宜しくお願い致します。では」
綺麗に一礼してウィルネスの反応を見ずにハルバートの部屋に戻るアティ。残されたウィルネスは、ほぼ初対面の次期当主にあそこまで毒を吐けるものなのかと、逆に感心してしまった。
記憶の中のタリアを思えば、可愛らしく人懐っこい妹だった。この前の会話でも、そんな一面が垣間見えた。ならば、従者の中にそんな彼女を慕う者がいても不思議ではない。そして、そんなタリアを自分の都合で見捨てたような兄を好ましく思う者は皆無だろう。限度はあるが、ある程度の皮肉は甘んじて受け入れるしかないだろう。
ウィルネスは重い足取りで久しぶりの自室へと歩き出した。
◆
フレバードはダンジョンがあるために栄えた町だった。冒険者が寝泊まりするための宿屋や、飲食店。装備の新調や修理を行う武器屋。ポーションなどダンジョン内では欠かせない回復系アイテムを販売し、レアアイテムを買い取る商店などなど。ダンジョンが人を集め、人が人を呼ぶ。お金が巡り経済が活性化する。ダンジョンが消滅すれば町も消滅するといっても過言ではない場所だった。
そんなフレバードへと辿り着いた一行。まずは拠点となる宿を抑えた。あまり高級過ぎる宿を取れば身分がバレる可能性もあるので、程々のレベルを持った宿を探し出した。当然、男性と女性は別部屋だ。現在はアティがタリアに状況を説明していた。ウィルネスは女性陣によって早々に叩き出された。
「なるほど、なるほど」
腕を組み、聞かされた内容に頷くタリア。アティを筆頭にエメリアとアネッサも今回の遠征には快く思っていないようで、それぞれ渋い表情だ。
「お父様から許可が出たなら、頑張って成果を出すしかないね。お姉様――じゃなくて、間者の情報を得ないとね!」
一方のタリアは非常に張り切っている。無理かと思われていた探索に加わることができて嬉しいらしい。
「タリア様、ダンジョンに、潜ったことは、ある?」
「ないです」
メリッサの質問に即答するタリア。そもそも、貴族令嬢がダンジョンに潜ることなどない。
「ダンジョンは、私達でも危険。油断禁物」
「えっ、でもアティもメリッサ様も精霊使いであんなに強いじゃないですか。エメリア様に加えて、お兄様もいれば問題ないのでは?」
「ダンジョンで、大規模魔法を使えば、生き埋め確実。狭い空間もあるから、前衛と後衛との連携重要。私達に、その経験値はない」
「他にも問題はあります」
メリッサに次いでエメリアも告げた。
「私達のパーディーにはトラップを解除したり、回復魔法を扱える人間がいません」
空間が制限され、罠が存在するダンジョン内において、パーディーに必要とされるのは総合力といえる。攻撃に特化したメンバーや、魔法使いだけのメンバーでは深くまで潜ることは不可能だ。必ず何処かで亀裂が走る。
精霊使いのアティとメリッサ、防御に特化したエメリア、予知と戦力にはならないタリア。そこに剣と魔法をバランス良く扱い、対人戦を重視した軍人のウィルネスだ。超攻撃型ながら、特定防御に秀でた陣営といえる。タリアの予知は不確定要素なのでオマケ扱いだ。罠を見抜いて解除したり、怪我を治療可能な者がいないのだ。力押しで潜ったとしても、罠にかかって治療できずに命を落とす可能性が高い。
「うむむ、思ったよりもダンジョンて大変なんだね。でも、お父様に頼めば誰か紹介してくれたんじゃないの?」
タリアの言う通り、屋敷にはアネッサ専属の医者がおり、彼らは回復魔法も使える。しかも複数人いるはずだ。しかし、アティは残念そうに否定した。
「彼らはダンジョンを進める程、体力も技術もありません。体力のない者のサポートはタリア様だけで手一杯です」
「むむむ」
当てが外れて悔しそうなタリア。そもそも、ダンジョン知識のないタリアが思い付きそうな事なので、アティ達は既に確認を終えている。
「甘い考えは禁物です。ダンジョンという場所は、タリア様の考えている大変さの百倍位でお考え下さい」
「あい」
百倍、百倍と唸るタリア。どんな修羅の場所となってしまうのか不明だが、取り敢えずは簡単ではない事は理解したようだ。
「まずは冒険者ギルドへ向かいます。そこでダンジョンに潜る手続きを行い、可能なら仲間を見つけます。ですが、私達の事情が事情ですので、絶対的に口の固い者か、私達の身の上を既に知っていて信頼できる者を探します」
そんな人間が都合良くいるとは思えない。そのため、浅い階層で直ぐに地上に帰還できる領域を主に探索する事になるだろうとアティは考えていた。
「んじゃ、早速行こっか」
隣部屋のウィルネスに声を掛けて合流する。ギルドに向うことを話すと、想定内だったようで反対はされなかった。
そうして宿を後にし、暫く町中を歩く。ギルドの場所は宿屋の主人に聞いた。幸い、分かりやすい場所にある建物のようだ。歩いていると、ダンジョンに近い町のため、あちらこちらに冒険者の格好をした人間がいる。全身を覆った甲冑を着ている者もいれば、とんがり帽子で分かりやすく魔法使いの女性もいる。性別も年齢も、果てには種族さえも異なる者がおり、その目的は違えど皆がダンジョンに潜っていく。明日には命を落としているかもしれないし、レアアイテムを見つけて大金持ちになっているかもしれない者達。ある意味、ダンジョンとは生きている瞬間をこの上なく実感できる場所なのかもしれない。
しばらく観察しながら歩き、タリアが疲れを感じ始めた頃。ようやくそれらしい場所へと辿り着いた。
近隣の建物のように一階建てではなく、二階建ての為かなり目立つ。屋上は見張り台を兼ねているようで、町の外を目視で見回している男が一人いる。出入り口の端には屈強な男がそれぞれ一人ずつ立番をしており、出入りする者を観察している。冒険者ギルド特有なのか、他の場所と比較して独特の近寄り難さを感じた。
別に後ろめたい事をしているわけではないのに彼らの目前を通り過ぎる際、タリアは内心ドキドキしたが呼び止められることはなかった。建物内は冒険者の格好をした者ばかりで、普通の格好をしているのは受付の中にいる者だけだ。受付は三人で、男性が二人に女性が一人。そして、出入り口のように立番がここにも二人いた。受付でゴネる者への対策だろうか。
「では、ダンジョンに潜る申請をしてきますので、タリア様は一人にならないように注意して下さい」
「分かった」
そう言い、アティが受付に並んだ。彼女の前は三人なので、それ程時間は掛からないだろう。
せっかくなので、タリアはこの機会に冒険者ギルドの中を歩き回る事にした。背後にはエメリアとメリッサが付いているので問題ないだろう。ウィルネスは情報収集と称して色々見聞きしている。
冒険者やそのギルドに関して、タリアは知識としては知っていた。しかし、実物を前にすると自分の認識と大分隔離していた事に気付かされる。職業柄、荒くれ者が多く、ギルドの中では喧嘩が耐えないような場所だと思っていた。しかし、実際は違った。確かにタリアのような少女がこの場に来ることは珍しいようで視線を集めている。だが、どれも害意はなく興味本位のようにしか見えない。視線が合い、無邪気に笑えばぎこちなく笑い返してくれる。恐らく、お菓子を可愛くねだれば貰えるだろう。
実際の所、冒険者ギルドの中は町中と比べると騒ぎは少ない。屈強な立番の存在もあるが、下手な騒ぎでも起こせば、その冒険者は資格を剥奪されて活動ができなくなるからだ。剥奪までいかなくとも、ランクを上げる際に不利になる。誰も好き好んで自分の首を締める事はしない。一方で、職員の目が届かない路地裏などでは時折冒険者同士で揉め事が起きている。
「お、あれが噂に聞く掲示板かぁ」
壁一面に貼り付けられている依頼の数々。よく見ると、依頼の他にもメンバー募集やパーティーへの勧誘待ちの紙も貼られている。本当ならもっと近づいて拝見したい所だが、掲示板にも冒険者が何人か陣取っているので邪魔にならないように自重する。
「んっ?」
その時、一人の冒険者がタリアの目に止まった。掲示板を睨むようにして視線を巡らせている女性だ。タリアは彼女に見覚えがあった。そして、直ぐに思い出した。
「ああ、あの時クリスの治療をしてもらった魔法使いの人だ」
馬車の前に飛び出したクリスに回復魔法を掛けて貰った人物だった。幸か不幸か、彼女もこの町に来ていたようだ。タリアは少し考えると、ニヤリと黒く笑う。それはロクな事を考えていない時の笑いだった。直ぐ様表情を取り繕い、今まさに気付いたと言わんばかりの驚きを持って彼女に話し掛けた。
「あら、こんにちは。偶然ですね」
一瞬の間。自分に話し掛けられたとは思わなかった女性が僅かに呆けた後、あっ、とタリアを指差した。その反応からタリアの事を覚えているのが分かった。
「しぃー、ここでは私は只の商家の娘です。ですから、内密にお願いしますね」
「は、はい」
頷きつつも、腰が引けている魔法使いの女性。明らかにタリアを警戒している。
「難しい顔をなさって依頼を見比べてましたが、どうされたのですか?」
「あ、あー。まぁ、どの依頼にしようか迷っていたのです。私って回復魔法しか満足に使えないので、何処かのパーティーに入るか、町で怪我した人の手当をする位しか出来ないので。あとは攻撃にも満たない威力の土魔法で道路整備をするしか……」
自分で言いつつ、どんどん暗くなっていく女魔法使い。タリアは彼女の見ていた依頼を見る。どちらも数時間で終わるような内容で報酬も安い。内容が難しいわけではないので、恐らくネックになっているのは報酬額の方だろう。
「なら、パーティーを紹介しましょうか? 丁度、回復魔法を使える人を探している所を知っていますので」
「えっ、本当ですかっ!?」
彼女はタリアの提案に表情を明るくした。そこに迷うような素振りはない。つまり、それ相応に切羽詰まっているということだ。だからこそ、甘い言葉に惑わされる。
「はい、女性が多いですし、唯一の男性もちょっかいをかけてくる心配はありません。報酬も此処だけの話、かなり高めですのでオススメです。あの時、誠実な対応をしてくださった貴方だからこそ紹介すると思って下さい。他の人には内緒ですよ?」
タリアは可愛らしくウインクした。
「是非お願いします! あ、私はカルナと申します」
「お願いされました。お任せ下さい」
普通に考えれば怪しい勧誘そのものだが、相手の見た目が普通の少女だからか簡単に了承してしまう女魔法使いのカルナ。タリアに手を差し出されて握手もしてしまう。すると、そのまま自然に手を繋がれて逃げ道を塞がれた。タリアの背後にいるエメリアとメリッサは気の毒そうにミスティを見たが、回復魔法を使える人間が必要なのは確かなので沈黙している。
「皆さん、お待たせしました。おや、貴方は確か……」
受付処理が終わったアティが戻り、タリアが手を繋ぐカルナの存在に気が付いた。そんなアティにタリアが誇らしげに言った。
「アティ、アティ。早速成果だよ。パーティーの回復魔法使いゲットしました!」
「それはまた……ご愁傷様です」
哀れみの視線をアティから向けられるカルナ。その真意を知ることになるのは全員が集合した後、パーティーのメンバーを紹介された時だった。
◆
「うう、騙されました。私、また騙されました。もう、誰も信用できない」
宿に戻って再びタリア達の一室。そこにギルドにてパーティーに加入したカルナと、打ち合わせで入室が許可されたウィルネスも集まっていた。
「両親は絶対に儲かるって商人からお金を借りて先物に手を出して破産するし、友達を紹介するとお金がもらえる商売では危うく友達を無くすところだったし、絶対に胸が大きくなる健康法は効果ないし……。挙げ句の果てには、条件の良いパーティーを紹介されるって聞いてみれば、周りは猛毒みたいなメンバーだし。私、前世で何か悪行でも重ねたのかな……」
公爵令嬢、令嬢付きメイド兼精霊使い、令嬢付き教育係兼精霊使い、教会権力者の孫娘兼聖女、公爵家次期当主がいるパーティー。そこに加入する一般の魔法使い。まさに触れると怪我をする猛毒が周囲に散りばめられている状況だ。自己紹介が終わった後しばらく呆然としていたカルナが我に返り、逃げ出そうとした。しかし、手を繋いでいるタリアに阻止された。捕まえた獲物を決して逃がさない蟻地獄のような令嬢である。さらに、何気に出入り口をアティに封鎖されていたので逃走は絶対に不可能だった。
諦めて部屋の隅で、のの字を書いているカルナに一番の元凶が優しく語りかける。
「うんうん、分かるよその気持ち。でも、大丈夫。そのうち良いことあるよ」
「貴方が一番の猛毒ですよ、タリア様? しかも獲物を甘い匂いで誘い寄せる悪質な猛毒湿地帯です」
自分の所業を棚に上げるタリアに、アティの冷静な分析突っ込みが入った。
「そんな馬鹿な。こんなにも品行方正で可愛らしい令嬢なのに。ね?」
「……でしたら、今からでも解放して下さい。見たり聞いたりした事は絶対に誰にも言わないので」
「だ・め。逃げたら首チョンパね」
「ひぃぃっっー!?」
年下のタリアの言葉に本気で涙目になるカルナ。当然、タリアなりの冗談なのだが、カルナからすればタリアの言葉は本気とも取れる。『妹達の命だけはお助けをー』と足元にまとわり付くカルナを適当に宥めつつ、タリアは他の面々を見渡した。その裏で、一連のタリアの黒い性格を見ていた兄ウィルネスが『私のせいでタリアがこんな破綻した性格に。何ということをしてしまったのだ……』と嘆いていたが、タリアの性格がこうなった原因は神のみぞ知る。
「まぁ、これで回復魔法を使う人が確保できたね。罠に関してだけど、ダンジョン内に入ったら他の人の目がないなら、スノトラとかフィーに先行して貰えば良いんじゃない? どうせ再生するし」
「そうですね」
「分かった、言っとく」
タリアの提案に精霊の主二人は即肯定し、彼女達の内側に眠る精霊を驚かせた。ひどい扱いである。
「こちらはダンジョンに入る許可を得ました。正式なギルド登録はしていないので仮冒険者扱いとなり、二日に一回のみ潜ることができます。他の冒険者のように生活費を稼ぐわけではないので十分かと。早速、明日から探索が可能です」
「事前準備とかはどうすれば良いの?」
ダンジョンでは戦うだけではない。当然、休憩時の腹ごしらえや水分補給などが必要となる。
「そちらに関しては、私の方で揃えておいた。こちらの部屋にあるので後で取りに来てくれ」
「流石、ウィルお兄様」
タリアの事以外では出来る男のウィルネスが、ギルドで情報収集ついでに準備を整えてくれたようだ。軍人として対人戦以外の知識も、ある程度教えられていたのが役に立ったようだ。
「では、最後に我々の目的を確認しておこうと思う」
ウィルネスが真剣な表情で言った。
「目的は隣国の間者がダンジョンに潜っているという情報の裏付けだ。可能ならその目的も探るが無理はしない。戦闘も可能な限り回避する。最優先は我々が無事に生還することだ。間者の存在有無だけでも十分な成果と思ってくれて構わない。その上で――」
「アネッサお姉様の病気に役立つアイテムがあれば尚良し、ということですね」
「そうだ。誰か異論はあるか?」
誰も何も言わない。
「ああ、そこの女魔法使いはこれで逃げられると思うなよ? 最後まで一蓮托生だ。良かったな、報酬はグランドール家が十分保証してやる」
ウィルネスの言葉に、一般人代表のカルナが口から魂を吐き出して白くなった。
◆
冒険者のランクは単に腕っ節が良ければ上がるようなものではなく、昇進には実技や実績の他に知識確認や面談もあり、最低限の教養や人柄なども考慮される。低ランク層にはゴロツキレベルの者も存在するが、高ランクとなれば腕、実績、人柄がギルドによって保証された人物となるのだ。だからこそ、何処の街に行っても信頼を得やすいし、尊敬の眼差しを向けられる。万が一、高ランクに認定した人物が犯罪でも起こせば、認定した冒険者ギルドおよび認定者が糾弾される場合もあるので、必然的にランク認定は厳しいものとなる。一説には最高ランクの認定は合格率が一割を切るらしい。
フレバードの冒険者ギルド受付を担当して三年が経過した中堅の受付嬢は、並ぶ者が捌けて暇となったので適当に資料を読んでいた。今、彼女が手にしているのはダンジョンへの探索者名簿で、そこには日付順にパーティー名、メンバー名、ランク、帰還チェック、備考と欄が設けられており、誰がいつ潜ったのか分かるように管理されていた。名簿の中には帰還チェックが入っていないパーティーがいくつもあり、パーティーの暗い結末を示していた。
この日、名簿に追加された中で気になったのは男性が一人で後は女性というハーレムパーティーの存在だった。仮登録となっているが、そもそもパーティーの構成事態が宜しくない。妙齢の綺麗な女性が多かったが、恐らく男性を憎からず思っているのだろう。男女間の問題が沈静化していれば良いが、一度問題が起きれば泥沼化は避けられない。最悪、ダンジョン内で血みどろの女同士の殺し合いが始まってもおかしくはない。事実、過去には恋敵をモンスターに襲わせて命を奪おうとした事例が報告されている。話を聞く分には興味深いが、自分の担当している町で、しかも対応に自分が駆り出されるなど御免被りたいものだ。
「そういえば、小さい子もいたけど、あれって誰かとの子供だったり……」
そんなまさか、と一瞬鬼畜な光景を想像したが慌てて振り払う。いくら何でも、そこまで人としての道を外しているとは思いたくない。
「いや、でもひょっとしたら……」
「こんにちは」
考えに集中していた受付嬢に声が掛けられた。慌てて営業スマイルで迎える。
「あっ、ごめんなさい。本日もダンジョンへの探索申請ですか? それとも、ようやくパーティーの募集をする気になりましたか?」
「そうねー。やっぱり、今日も一人で探索するわ。パーティーはどうしても性分に合わなくて」
「もー、女性単独での探索は危険なんですよ?」
「分かってるわ。だから浅い階層だけにしているわ」
「モンスターだけでなく、人間の男の人にも注意しなくちゃ駄目ですからね?」
「はいはい、いつもご忠告ありがとう」
「いえいえ。では、申請を承りました。お気をつけて行ってらっしゃい、レナさん」
受付嬢の言葉に、女性――レナは艶かしく笑うと、静かにギルドを後にした。




