第二十三話 令嬢、孤児院で泣きたくなる
アネッサ・グランドールはグランドール家の長女で、タリアの実の姉だ。歳はタリアの四つ上の十六歳で、その長い髪は父親のハルバート譲りの金髪である。母からは母性溢れる胸部が遺伝しており、妹のタリアも思わず視線を送ってしまう程だ。母から青髪を、父からは胸囲の無さを受け継いだタリアとは真逆のような姉である。
十六歳となれば、本来は結婚適齢期なのだが、生来病気がちで屋敷どころか自室からも外に出ることが少ないアネッサは嫁ぎ先が決まっていない。グランドール家との関係を構築したい貴族は多々あるが、アネッサを積極的に娶ろうとする者は少ない。妻として迎え入れても病気で命を落とす可能性が付いて回る。また、子供も出来るか分からない。グランドール公爵家程の格となれば正妻に迎えるしかないが、その正妻に子供がいなければ跡取りの問題も起きるだろう。アネッサを正妻として迎え入れた上で、側室として本命の別の女性を迎えたとしても、ハルバートなどがそれを知ればどうなるか分からない。それらを考慮すると、アネッサを娶るのはメリットよりもデメリットが勝るのだ。
そんな事情をハルバートとイリスは十分理解しており、アネッサが希望しない限りは婚姻関係の話は進めない事となっている。そして、アネッサも結婚には特に執着しておらず、むしろ家族との時間を望んでいる様子だった。
「もう、タリアはお父様の所へ向かったのかしら?」
自室のベットに座り、庭を眺めているアネッサが呟いた。思わず出た独り言だったのだが、その言葉をアネッサの従者であるステラが聞いていた。ステラは二十代の女性で、アティの同僚である。時折屋敷の一画でアティと会話をしており、所謂アティとは友人というものだった。
「はい。つい先程、馬車で屋敷を発たれました。アティの他に、エメリア様とメリッサ様が付き添いで行かれるそうです」
「顔を見せに来たと思ったら、あっという間ね」
「非常にお急ぎのご様子でしたから」
「そうね」
つい数刻前にアネッサの元へ尋ねてきたタリアを思い出し、思わず笑ってしまう。
ノックもそこそこに部屋に飛び込んできたタリア。アティも付いている。突然の訪問にアネッサは目を丸くし、ステラは来訪者がタリアと見ると直ぐにお茶を用意し始めた。そしてタリアはいつもの様にアネッサに体調を尋ね、変わりないと聞くと一言。『お父様の所に行ってきます。じゃ!』っと言って部屋を飛び出した。
ハルバートが隣領地に出向している事は知っていたので、つまりはタリアも隣領地に行くようだ。何故そんなことになったのか分からないが、どうやら出かけ前の挨拶だったことだけは分かる。その後、部屋に残っていたアティの口から簡単に説明されて、ようやく事情を理解した。
疫病の発生と、その対処法を発見したかもしれないこと。そして、それをタリアがハルバートに知らせに行くこと。聞いた途端血の気が引いたが、母イリスの了承を得ていると聞き、少しだけホッとした。タリアだけの決断ならまだしも、母も認めているならば、少しは安心できた。
アティのフォローが無ければ全く事情が伝わっていない。しっかり者のようで、実は年相応な側面もあるタリアにアネッサは姉として嬉しく思った。満足に貴族の娘としての責務を果たせない自分に代わり、色々と働いているタリアには心苦しく思っている。そんなタリアが自分の前では抜けた行動をする。家族として心許されているようで、それが嬉しかった。
「アネッサ様。昼食はいかが致しましょう?」
アネッサは他の家族と共に食事をすることは少ない。もちろん可能ならば毎食家族と一緒に食べたいのだが、食欲が沸かず体調も優れないことが多いのだ。毎朝の体調にもよるのだが、大体朝か昼のどちらかを共にする。一日の終わりが近づいた夕食の時間帯が一番辛く、顔を見せることは稀だ。以前は数日間も自室に篭もることがあった事を考えれば、今はかなり高い頻度で参加していることになる。
「そうね……お父様もタリアもいないのでしたら、ここで頂きます。お母様には申し訳ありませんと伝えて下さい」
「承知いたしました」
ステラが一礼して部屋を後にする。アネッサの昼食を運ぶと共に、イリスへ伝えに行くのだろう。
一時的に部屋に誰もいなくなり肩の力を抜く。すると、今まで耐えてきた体の倦怠感がじわじわと侵食を始める。目を開けているのも辛く、指先を動かすのも億劫だ。確実に以前よりも悪くなっている。
アネッサの病気に関して、その原因は分かっていない。ハルバートが四方手を尽くしても未だに不明である。原因が不明なので、当然治療法も分かっていない。定期的に体力を回復させるために、回復呪文を受けている位だ。それでも、一時的で直ぐに戻ってしまう。
医者は安静にしていれば大丈夫だと言うが、気休めなのは自分自身が一番分かっている。日に日に悪化しており、自分の命がそれ程長くないことも理解している。それは恐らく両親もだろう。だからこそ、家族との時間を大切にしたい。無理をしてでも食事を共にし、部屋に帰った後しばらく苦痛で動けなくなったとしても、妹の無邪気な様子を見るために共にいる。可能な限り、動けなくなるまで自分の心に家族の姿を刻み込みたい。そう思っている。
アネッサから見たタリアは大切なたった一人の妹であり、それでいて尊敬できる相手だった。自分だったら音を上げてしまうような仕事を淡々とこなし、それでいて堂々と立ち振る舞う姿は年下とは思えない程だ。昔はただそれだけだったのだが、次第に時折見せるあどけない姿に、少しずつその本音も分かってきた。今では部屋の窓から庭の畑を見下ろし、毎日アティと共に楽しそうにしているタリアの姿を見るのが日課だった。未だ自分の前では取り繕っている様子はあるが、いつかタリアから心の底から本音で話して貰えることを期待している。
「少し眠くなってきたわ」
そっと目を閉じて深く呼吸をする。すると、心なしか倦怠感が薄れた気がする。久しぶりにすんなりと眠ることができそうだ。
部屋の外から僅かに聞こえてくる会話の声。アネッサの口元から小さな息遣いが漏れる。ベットの上に座ったまま目を瞑るアネッサは、ステラが食事を取って戻るまでそのままだった。そして、ステラに呼び起こされても反応がないアネッサに、慌てて人が呼ばれることとなった。
この日を境に、アネッサの容態は緩やかに悪化の一途を辿る事となった。
◆
「アネッサお姉様!」
屋敷に到着した途端伝えられたアネッサが倒れたという事実。ハルバートが一番に馬車から飛び出し、タリアは遅れて駆け出した。冒険者をしていたハルバートと、少し走っただけで筋肉痛に苦しむ令嬢では、どんどん差が開くばかり。タリアが扉が開いたままのアネッサの部屋に到着した頃には、ハルバートはベットの横に椅子を置いて座っていた。
「お姉様!」
「お帰りなさいタリア。どうしたの、そんなに慌てて」
アネッサは部屋に飛び込んできたタリアに、いつも通りの優しい口調と表情で迎え入れた。まるで、倒れたことが誤報だったかのようだ。
「だって、お姉様がお倒れになったと聞いて。お父様も一目散に走って行かれましたし」
「お父様もタリアも心配しすぎですよ? 倒れたと言っても、ベットの上で寝入ってしまっただけですから全然問題ありません。それよりも、ノックもなしに部屋に飛び込んで来たお父様の方が問題です。着替え中だったらどうするのですか? まったく!」
「す、すまない」
アネッサの言葉に恐縮するハルバート。アネッサが倒れたと聞いた事が影響しているのか、いつも以上にその身が縮まっているように見える。
「しかし、父として大事な娘が倒れたと聞けば、一目散に駆け付けるのが当然だと思うのだが」
「だからといって、扉を蹴破りますか?」
見ると、確かに扉の蝶番の部分が欠損している。扉の下の部分も凹んでいる。相当な威力で蹴り飛ばしたのだろう。反対側に誰もいなくて良かったといえる。
「このことは後でお母様に報告して、キッチリと話をしてもらいますからね!」
「う、む……」
これ以上下手な言い訳は逆効果と判断し、ハルバートは無駄な抵抗を止めた。そして、最後にもう一度アネッサの体調を確認してから、タリアに椅子を譲って部屋を出ていった。戦略的撤退である。
「さて、タリアは元気でしたか? 怪我とかしていない?」
「は、はい。私は大丈夫です。それよりもお姉様は……」
「大丈夫。お医者様にも見て頂いて、回復魔法も掛けてもらったので体調も良いわ。今日は久しぶりに一緒に食事をしましょうね?」
今日のメニューは何かしら、と嬉しそうに話すアネッサ。タリアは姉が無理をしていないかと心配になる。確かに今までも時折倒れることはあった。今回が初めてではない。しかし、何処か違和感を感じる。必至に知られまいと隠し通そうとする意思を感じる。根拠はないが、これは勘違いでは無い筈だ。
だが、優しげな外見とは異なり、意外と頑固な姉は絶対に認めることはしないだろう。だから、一旦この場は納得する。
「私も楽しみです」
「良かったわ」
それからタリアはアネッサに隣領地で体験した出来事を話した。兄のウィルネスに偶然出会った事や、疫病――魔力欠如の患者増加を防ぐことが出来たこと。ハルバートの働く姿が格好良かったことなど。魔族と遭遇して戦闘になったことはアネッサの心労を考えて先送りにした。いずれ話すだろうが、今この時は避ける。
そして食事に呼び出されると、アネッサの手を取って共に向かう。握る手は冷たく、非常に弱々しい。指先も以前より細くなった気がする。毎日顔を合わせていた時には気付かなかったが、久しぶりに会ったアネッサは全体的にも痩せたようだ。
耐えるようにして口を結ぶタリア。辛いのは自分ではない。姉であるアネッサなのだ。
この日、アネッサが食事で口にした物は微々たるもので、それが余計にタリアの心を不安にさせた。
◆
夜。ハルバートの部屋には複数の人間が集まっていた。ハルバート、イリス、タリア、アティ。そして、タリアにはあまり馴染みのない五十代位の男性がいた。白髪が混じった頭髪は長年の苦労を物語っているようで、それでもその眼には力強さを感じる。彼はグランドール家が抱えている医師であり、アネッサの主治医の内の一人である。
現在のアネッサには主治医が複数人おり、それぞれが独自にアネッサの診察を行う。医師同士の情報共有は行っているが、異なった視点からアネッサの診察を行うためである。もちろん相当な費用が掛かっているのだが、空き時間には街の住民への診察を行っているので、街全体のメリットとして割り切っている。
その担当医の内の一人が、今ハルバート達の前にいる。
「検診の結果ですが、結論から申し上げますとアネッサ様の病状にはそれ程変わりはございません」
「だが、事実アネッサは倒れたと聞いているが?」
医師の言葉にハルバートが疑問を挟む。
「はい。ですから、以前からそれ程変わらずに悪い状態が続いているのです。いえ、語弊がありました。少し元気が出る日もありますが、基本的には徐々に徐々に悪くなっている傾向です」
タリアがアネッサの体調に関する情報を正式に聞くのはこれが初めてだった。今まではアネッサ本人から調子を聞いており、必ず『少し元気』『ちょっと元気』などと曖昧に濁されていた。
「お姉様のご病気は治すことができないのでしょうか?」
「……残念ながら現時点では不可能です。他の事例も少なく、治療法は分かっておりません。適時魔法で体力を回復させているのですが、ほぼ焼け石に水となっております」
「そんな……」
両親は気丈に振る舞っているが、タリアにはショックが大きすぎて思わず蹌踉めいた。
「それで、あなたの見立てでは娘はいつまで生きることができるのかしら?」
冷静なイリスの言葉。娘二人を溺愛するハルバートには決して問うことが出来ないものだ。医師は少しだけ考えると、告げた。
「二ヶ月かもしれませんし、半年かもしれません。ひょっとしたら数年の可能性もあります。正直、検討がつきません」
「では、数日という可能性もあると?」
「……絶対にないとは断言できません」
つまりは、アネッサは今この瞬間に生命を落としても不思議ではないのだ。
しかし、タリアは知っている。数年などと楽観視できない事を。例の予知夢の光景を見ているからだ。あの時の自分は何処まで成長していただろうか。今より背が伸びていただろうか。髪の長さはどの位だっただろうか。思い出せば、今の自分とそれ程変わらないと結論付けるしかなかった。
アネッサが命を落とすまで、それ程猶予はない。だが、一体どうすれば良いのか。隣領地で疫病が発生した時と同様に、未来視はそれ程役に立たない。隣領地では結局病気ではなかったので、運良く状況を打破することができた。しかしアネッサは明らかに病気だ。産まれてから今日まで、少しずつ体を蝕まれてきた。十年以上猶予があった父や母が病気に関する情報収集を怠っている筈がない。
「こちらでも再度他の者と話し合い、可能性を再検討します。他の領地にいる同期にも連絡して情報を集めてみます」
「ああ、助かる。発生した経費は請求してくれ」
「分かりました」
医師は足早に部屋を後にした。駆け足で去ったことから、まさにこれから色々と動いてくれるのだろう。
「さて、タリア。聞いたとおりだ。正直、アネッサの病状は良くない。そして、私達も打つ手が無いのが現状だ」
「……はい」
当初、タリアはこの場に呼ばれる予定はなかった。しかし、馬車でアネッサが倒れたと聞いた事と、イリスの提案で同席することとなった。イリスがタリアを認めているのか、それとも勝手に暴走しないように牽制するためなのか。それは分からない。
「タリアは今までと変わらずにアネッサと接して欲しい。それがあの子の望みでもあり、タリアにしか出来ないことでもある」
ハルバートやイリスではアネッサは心内を隠してしまう。タリアに対しても同じような傾向だが、それでもまだ妹という立場から壁を取り除ける可能性がある。ここまで事情を知ってしまったので、今まで通り振る舞えるのか疑問だが。
「分かりました」
言いようのない不安感を消すことが出来ないまま、タリアは帰宅初日を終えることとなった。
次の日からは普通に仕事が組まれている。寝不足で手を抜くわけにもいかない。しかし、大切な姉が今、この時に命を落としてしまうのではないかと思うと、なかなか寝付けなかった。
◆
翌日のタリアの予定は、久しぶりの孤児院への視察だった。アネッサのことが気になり正直身が入らないのだが、それで予定を変えるわけにはいかない。タリアがアネッサの側にいることで病気が治るわけではないのだ。
孤児院へは以前、身寄りのないクリスを預けており、その後は直接会ってはいない。時折、エメリアから様子を聞いていた位だ。話では元気にやっているらしく、持ち前の姉御肌っぷりを遺憾なく発揮しているらしい。子供の数の割りには見守る大人の数が慢性的に少ない孤児院では、かなり助かっているとエメリが感謝していた。
孤児院へと辿り着くと、以前は目についた建物の破損箇所が幾らか修復されていることに気が付いた。やはり、エメリアが責任者となったのは正解だったようだ。
「ようこそタリア様。ご足労頂き、感謝いたします」
エメリアが出向いてきた。昨日まで共に行動をしており、アネッサが倒れたことも知っているはずだが、一切言及してこない。今は教会の人間として、また孤児院の責任者として貴族のタリアを迎え入れているということだろう。
「本日はよろしくお願い致します。エメリア様」
ならば、タリアもそのように接する。
「早速孤児院の中をご案内いたします。タリア様が前回いらっしゃった後に、大掃除を兼ねて模様替えを行いましたので、少々雰囲気が変わったかと思われます」
「そうですか。以前はずっと同じ配置でしたし、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えませんでしたからね」
「子供達にもそれぞれが出来る範囲で掃除をしてもらいました。その後は以前よりもキレイに使ってくれるので、毎日の掃除が楽になったのです」
以前も一応は掃除を行っていたが、あくまでも年長の子供が見える範囲を行っていたので細かな場所までは手が行き届いていなかった。しかし、エメリアは幼い子どもにも手伝わせて、掃除の大変さを教えた。結果、掃除が大変ということを学習した子らは少しだけ気を付けるようになった。直ぐに掃除中に遊び出す子供達を、見事に監督したエメリアだからこその結果だろう。
「タリア様。お久しぶりです」
孤児院の各所を以前訪れた時と比較しながら視察をしていると、一人の少女が話しかけてきた。その両手は十歳くらいの女の子と繋がれている。タリアが見ると、女の子二人は少女の背後に隠れてしまった。
「……クリス?」
まじまじと顔を見て、ようやく思い出すタリア。丁寧な言葉遣いから直ぐには気付けなかったが、その面立ちは間違いなくクリスだった。タリアの乗る馬車の前に飛び出したものの、間一髪命拾いした少女。短い茶髪で乱雑な言葉を使っていた男勝りな少女が、今は普通に話しかけてきた。
「はい、以前は大変お世話になりました。エメリア様にもすっかり良くして頂いております。これも、あの時便宜を図ってくださった――」
「クリスねーちゃん、隙あり!」
深々とタリアに頭を下げたクリスの横を、一人の男児が走り抜けた。しかも、すれ違いざまにクリスのスカートを思い切り捲り上げている。両手が塞がっているクリスは巻き上がったスカートを抑えることも出来ず、虚しくもタリアやアティにその中を披露することとなってしまった。固まるクリス。タリアもいたたまれなくなり、掛ける言葉を失う。
呆然としたクリスが少しづつ震え始める。気配を察知した女の子二人はクリスから距離を取り、キョロキョロと他に頼れる人を探す。タリアと目が合った。ニコリと笑うと、安心したのか駆け寄ってきて両手を繋がれた。二人の中でタリアは無害な人物と認定されたようだ。
「おいこらっ、糞ガキ! 待ちやがれ! 俺のパンツをタダ見するとはいい度胸じゃねーか! お礼に裸にひん剥いて表に放り出してやらぁ!」
「やーい、クリスねーちゃんが怒ったー」
即座に逃げ出す男児。手慣れているようで、あっという間に姿を眩ませた。
残されたクリスは叫んで少し頭が冷えたのか、ようやく状況を思い出した。直前までの礼儀正しさは遥か彼方。やはり、人間の性格は早々には変わらないらしい。クリスは身を持って教えてくれた。
今更取り繕うことも出来ず、クリスはバツが悪そうだった。
「あ、あー。その、色々と有難うですタリア様。感謝してます」
「いえ、元気そうで何よりです。子供達にも好かれているようですし、安心しました」
「まあ、子分みたいなもんです。手がかかって仕方のない奴らですよ」
そう言いつつも、何処か楽しげなクリス。やはり、姉御肌である。
「ほら、ミーシャにアルシャもこっちに来な」
「おねーちゃん。もう怒ってない?」
「怒ってない、怒ってない。もう大丈夫だ」
「……分かった」
クリスに呼ばれた二人は名残惜しそうにタリアを見た。一時でも頼られた身としては寂しいが、普段のお姉さん役のクリスのほうが安心するのだろう。グランドール家では末っ子であるタリアは、少しでも妹ができた気分を味わえただけでも満足だ。
行きなさい、という意味を込めて頷く。すると、二人も頷き返してくれた。
「じゃあ、お姉ちゃん達は行くね」
そして、何故かタリアの頭を撫でる二人。
「えっ?」
タリアが固まった。
「もうこわい男の子はいなくなったから、だいじょうぶ」
「でも、また来たら私たちがまもってあげる」
ブハッと吹き出す声がタリアの背後から聞こえてくる。恐らくはアティだ。エメリアの方からも笑いを堪えている雰囲気がありありと伝わってくる。クリスは表情が歪み、そして両太ももを抓っている。
女の子二人の言動の幼さから、タリアの方が年上の筈である。しかし、確かに三人が並んでも身長や体格は似たようなものだ。そのためだろうか。二人はタリアを頼っていたのではなく、守っていたつもりのようだった。タリアは久しぶりに泣きたくなった。既に心では泣いている。
「取り敢えず、子供達が元気なのは分かりました。ええ、元気過ぎる程に。あと、私は十二歳なのですが……」
タリアの虚しくも儚い言葉に、一同は肩を震わせて応えることはできなかった。
その後、一通りの見回りを終えた。定例の昼食まで時間があったので一室で少しの間休憩することとなった。前回クリスを寝かせていた部屋でテーブルを囲ってお茶を飲んでいる。お茶請けはなく、とても質素なお茶会だ。エメリアは昼食の準備を手伝うと言い席を外している。代わりにクリスがタリアの話し相手となった。
「そう言えば」
ふと、タリアが何気なく気になった事を口にする。
「クリスはここに来る前はどのようにして生活をしていたのですか?」
「んっ? 普通に路地裏で寝起きしてたぜ」
部屋には二人の他にアティしかおらず、クリスの口調は完全に元に戻っていた。丁寧な言葉は意識しないと維持することが出来ず、本人も背筋がむず痒くなると言うので、タリアが許可したのだ。
「食事とかは?」
「日雇いの仕事で食い繋いでたし、賄いが出る職場ならそれだけで我慢してたなー。どうしても仕事がない時は、店裏の残飯を漁って比較的キレイなものを食べたり。幸い、俺は犯罪に手を染める前にタリア様に救われた口だからな」
「あなたは、ですか?」
「……まぁ、色々な奴がいるからな」
辛そうに表情を伏せるクリス。孤児院に入れない年齢で仕事も続かない、上手く見つけられない者もいる。そうなれば、盗みに手を染める者は必ず出てくる。そして、一度でも成功して効率の良い稼ぎ方を覚えた者は抜け出せなくなる。汗水垂らして働くよりも、僅かな時間で実の入りが良い盗みを重視する。中にはスリルに快感を覚えてしまう子もいた。
「冒険者を相手に盗みを働いて、とっ捕まった奴もいたな。運良くダンジョンの荷物持ち一回の条件で開放されてたけどな」
「ダンジョンの荷物持ち、ですか?」
「ああ、男どもが結構やる仕事だよ。荷物を背負って冒険者の後に付いてダンジョンに潜るんだ。力仕事だけど、運良くお宝を見つけて戻ってこれれば、オコボレもそれなりの仕事だよ」
「ですが、危険はないのですか?」
「もちろんある。最初の仕事で戻ってこれなかった奴もいれば、数回上手くいって、調子に乗って高レベルのパーティーに付いて行ったら戻ってこなかった奴もいる。重い荷物を持ってるから逃げ遅れる事は多いし、襲われれば対抗する手段なんてない。戦えるなら自分が冒険者になっているからな」
クリスの口調は何処か達観したような割り切ったものだった。これまで何人もの知り合いが戻ってこなかったのだろう。孤児院には入れないが、まだ大人ともいえない子らが、そのような過酷な環境にいることに疑問を抱いていない。
「クリスは大人たち……私達貴族を恨まないのですか? そのような状況を放っているのに」
「なんでだ? 別に強要されているわけでもないし、働こうと思えば選ばなければ別口なんて見つかる。現に俺も仕事がない日が続くことなんて滅多になかった。ダンジョンに潜る奴も一発当てたいから行くんだ。もちろん、覚悟なんてない奴もいるだろうが、それは自分の考えが甘いだけだろ」
タリアは知らないが、ダンジョンに潜ることは誰にでも出来ることではない。一定の技能を保持した正式な冒険者がパーティーの中核として存在することが条件だ。荷物持ちの人間が集まり、素人装備で潜ろうとしても入り口で追い返される。一方、冒険者は荷物持ちを雇う時には正式な手続きが必要となる。そのため、荷物持ちとして強制的に引き連れることはできない。むろん、巧みにすり抜ける輩はいるが、発覚すれば重罪となる。
「俺からすれば、未踏の階層に辿り着いて名誉を得るよりも、確実に命の危険がない街での仕事を探す方が利口だね。ダンジョンで死ぬなんて真っ平御免だ。化物に生きたまま食われるなんて想像もしたくない。ま、それでも男ってやつは名誉とかを求めるんだよな。不思議なことに」
他の誰も成し得なかったことをして名を上げたい。有名になって貴族に雇われたい。大金を得て優雅に暮らしたい。そんな夢を見て潜るダンジョン。そして、あわよくば自分もそうなりたいと願う少年たち。大成する未来が見えない街での暮らしよりも、不確実ながらも可能性を求めているのだ。
「ま、中には病気の妹のために噂を信じていた奴もいたけどな」
「噂?」
「タリア様、そろそろお食事のお時間が――」
不自然にアティが会話を遮ってきた。しかし、クリスの方が早かった。
「エリクサーとかいう万能治療薬のことだ」
「えっ!?」
タリアは二重の意味で驚く。クリスの口から、現在最も望んでいる物の存在が語られたこと。そして、どうやらアティはそれを知っており、尚且つタリアの耳に入らないように試みたことだ。
「そんなものが存在するのですか!?」
だとしたら、アネッサの病気も何とかなるかもしれない。しかし、クリスはタリアの願いとは裏腹に首を振った。
「ただの噂だ。実物を見た者はいないな。大方、ポーションの上位版の品が、過大評価されて噂になっただけだろーよ」
「でも、ひょっとしたら、あるかもしれないじゃないですか!」
タリアの必至な様子に、クリスは何か勘付いたようだ。しかし、それを口にはしなかった。
「妹のためにダンジョンに潜った奴も同じことを言ってたよ。けど、結局見つからなかった。そしてある日、遂にソイツは帰ってこなかった。残された妹は兄に会いたいって何度も泣きながら死んでいったよ。そもそも、エリクサーを見つけても、冒険者が荷物持ちにくれるとは思えないね。買い取るにしても、膨大な金額を払えるわけがない」
分かっている。恐らくは噂でしかないのだろう。だが、もしも。本当に存在するならと思ってしまう。妹のために潜った兄も同じような気持ちだったのだろう。それが例え命を掛けるとしても、無力な人間に出来る唯一の事だった。
「なぁ、タリア様。俺は本当に感謝してるんだ。雨風をしのげる場所を貰ったばかりか、家族みたいな子らと会うこともできた。本当に心から感謝している。だからこそ、言うぜ? そんな都合の良い物が存在するわけがない。忘れるんだな。でないと、アイツみたいに余計に家族を泣かせることになるぜ? だからこそ、そこのメイドもあんたには聞かせたくなかったんじゃねえのか?」
クリスのその言葉がタリアの心に何処まで届いたのか。それはクリスとアティの二人には分からなかった。
◆
「噂の件はハルバート様も把握されておられます」
視察帰りの馬車。その中で、いの一番にアティがタリアに告げた。
「様々な調査を行いましたが、どれも根拠のない話ばかりでして、唯一書籍にその存在が記されておりました」
「書籍って?」
「『創生書記』です」
創生書記とは所謂、神話書である。遥か彼方、人間が神によって生み出された頃から、神や魔族がこの大地を自由に行き来していた頃を記したもので、内容に確たる証拠や裏付ける事柄もない。読む人によっては、ただの空想物語である。それを根拠にエリクサーが存在すると言われても、普通は笑い話で信じない。
「一応、ポーションの類を疑い、常時グランドール家からの依頼で治療系のアイテムは買取依頼を出しております。ですが、今まで特に有効なものは見つかっていません」
「もしかしたら、未踏の階層にあるのかも」
「あるかもしれません。ですが、ないかもしれない。それは誰も知らぬことです」
「……ダンジョン制覇はどの位の進捗具合なの?」
「最近はあまり良くないようです。難易度が上がりモンスターも手強く、さらにトラップの類で引き返す者達も多いと聞きます。報告では下階層ではモンスターがダンジョンの構造を作り変えているため、行く度に道に変化があるそうです」
強い敵に危険の高い罠。さらには地図が意味を成さないとなれば、普通は攻略が滞る。そう、普通の冒険者なら。しかし、ここには予知で未来を知ることが可能な人間がいる。事前に罠を察知し、ダンジョン構造も把握できれば攻略は格段に早くなる。
「なら、私の予知が役に立つかも。何処かの攻略が進んでいるパーティーに私も参加すれば、もっと早く進めるよ」
「それは駄目です」
「でも、そうすればきっと上手くいく。お父様だって――」
「いい加減にしなさいっ!」
アティが怒鳴りつけた。今まで、どれ程困難な状況でも、ワガママを言って困らせても怒鳴られたことはなかった。タリアは体を震わせる。初めて本気で怒るアティにタリアは心底恐怖した。
「だからハルバート様は情報を伏せたのです! そんなことはタリア様もお分かりになるでしょう! なのに、何故そうまでして無茶をされるのですか! 万が一、タリア様に何かあればハルバート様はもちろん、アネッサ様やイリス様、他の方々も悲しまれるのですよ!? 私だって!」
「うえっ、だって、お姉様が、えっぐ、お姉様が……」
感極まり泣き出すタリア。驚きと、無力さから一旦溢れた涙は止まること無く流れ続ける。
「お姉様、死んじゃ、うぐ、わだし、予知しか、えっぐ、できな……い……から!」
堪えきれず、アティに抱きつくタリア。力いっぱい顔を押し付けてワッと泣く。馬車の走る音で外には聞こえないだろうが、それでも大きな泣き声が上がった。アティは優しくタリアの背に手を回して、宥めるように擦る。
大丈夫です。きっと何とかなります。そんな言葉を掛けたくなる。しかし、それは真意ではない。もう何年も解決法を探しているが、何も手がかりはない。正直、かなり絶望的な状況だ。それを分かっているからこそ、ハルバートやイリスはアネッサの望むことを可能な限り叶えようとしている。そして、アネッサもそれを受け入れている。誰も望んではいない。しかし、受け入れるしかないのだ。
屋敷へ辿り着くまでタリアは泣き続けた。泣いて泣いて、涙が枯れるのではと思う程泣き続け、そしてようやく静かに寝入った。
到着後、アティはタリアを背負って馬車を降りる。出迎えた者が驚いたが、疲れて寝てしまったと言い、直ぐにタリアの部屋へと運び込んだ。そして、ベットに静かに降ろして毛布を掛けた。涙は止まったが、目の周りが腫れぼったい。後で冷やす必要がありそうだ。
「まずはハルバート様に報告ですね」
恐らく、タリアが眠って帰ったことは、既にハルバートに伝わっているだろう。しかし、何故そうなったのかを伝えるにはアティが直接行くしかない。
「タリア様をお願いしますね」
言うと、タリアの中からスーさんが現れた。任せろ、と言うように『なー』と鳴いた。アティはもう一度タリアの様子を見て、顔に掛かった青髪を直すと部屋を出て行く。
部屋には眠る令嬢と、見守る一匹の猫が残された。




