第二十二話 令嬢、夢の事実を知る
村にある年季の入った荒屋はそれ程数もなく、十人程の一行が手分けして探索を行えば比較的短い時間で終わる筈だった。しかし、現状は想像していたよりも手間取っている。まったく人気がないので、警戒して複数人で行動しているのも多少は影響しているだろう。しかし、それ以上に一行の行く手を阻むのは各家の惨状だった。
とある家の中から冒険者が飛び出してきた。口を抑えており、足取りもおぼつかない。ようやく物陰に辿り着くと、盛大に嘔吐した。悲惨な光景は大なり小なり経験している筈の彼らだが、それでもこの有様だ。苦しそうにうめき声を漏らす彼よりも経験が深い者も、決して未熟だとあざ笑うようなことはしていない。
入れ違うようにして、タリアが家の中に入る。冒険者が静止を促す声と、すぐ背後に控えているアティ達の息をつまらせる音が聞こえた。
「……ここの家の人たちかな」
平坦な声で呟いたタリアの視線の先には、四人の人間が絡み合って倒れていた。それぞれが生前の姿を想像することが難しい有様で、辛うじて性別と年頃が分かる程度だ。その惨状を言葉にすることすら躊躇ってしまう。
「タリア様、大丈夫ですか?」
エメリアが口を手で覆った状態で心配そうにタリアを覗き込んだ。
「はい、特に問題はないですね。残念ですが、この村で生き残りの方を見つけ出すのは難しそうです」
「……そうですね」
確かに、タリアは見る限り普通だ。表情は哀しげで、口調も沈んでいる。このような結果になってしまったことを残念に思っている事がハッキリと分かる。だが、それだけだ。若い冒険者のように平穏な家族を襲った突然の悲劇と、その結果の姿に心を乱されることもない。年配の冒険者のように、その豊富な経験で割り切るようなこともしていない。心から残念に思う。ただそれだけで、他には何も思うことはない。もしも自分がこんな目にあったらとか、自分の家族だったらなど、普通は思い浮かべてしまうような光景を想像することもない。
(少し、危険かもしれませんね)
エメリアが少し前から感じていた事。タリアは人の死に慣れ過ぎている。エメリアがタリアと出会ってから、まだ長い時間が経っているとは言い難い。それでも、そう感じる程には関係を構築できた。ならば、自分以上にタリアと接しているアティなどは気付いているだろう。気付いてはいるが、打つ手がないという事だろうか。いずれにしても、このまま放置しておけばタリアは自分の身を危険に晒すことへの危機感が薄れていく可能性がある。だが、直接言っても本人はそんな事ないと否定するだろう。どうにかして改善する必要があるが、その手段が思い浮かばない。感情が麻痺するような出来事から隔離するにしても、夢の中での出来事にまで干渉することは人間にはできない。
未だに覗き込んでいるエメリアに、タリアは首を傾げる。何か気になるような事でも起きたのだろうか、と。思わず自分の体を見渡すが、特に異変などはない。
「タリア様、呼んでる」
二人の間に流れた温度差に、メリッサが水を指した。
「何でしょうか?」
「それっぽい家が、あったって」
「では、行ってみましょうか」
そう言い、タリアはエメリアと手を繋いだ。何を気にしているのか、タリアには分からない。それでも、何か自分を心配しているのは分かる。だからこそ、肌で触れ合ってお互いの距離を確認したのだ。現に、少しだけエメリアの表情が緩んだ。
そんな二人の様子を、アティは複雑そうに見守っていた。エメリアの想像通り、アティもタリアの危うさには前々から気付いていた。ハルバートには報告をしているし、彼女自身がタリアを気にかけているが、今のところは改善の兆候はない。タリアの力に頼ってしまう実情もあるのだが、力の制御ができていない状態でタリアが普通の精神となった場合、果たして耐えられるのかという疑問が出てくる。ある一定方向の感情が麻痺しているタリアだからこそ、予知夢を受け入れて直視することができているのだ。そのため、まずは予知夢の制御を行う方法を探っているのが現状となっている。
誘導されて向かったのは、この村の中では比較的小綺麗な建物だった。他と異なり、出入り口の扉はしっかりと取り付けられており、中の様子は見ることが出来ない。よく見ると扉には道具屋の掛け看板がある。このような寂れた村でも需要があったのか、それとも開店休業状態だったのか。もはや知る術はない。
「開けますぜ」
慎重に扉に手をかける冒険者。小気味の良い木板が擦れる音が響き、ゆっくりと扉が開かれた。
「うっ!?」
「どうしたっ!?」
「いや、少し目眩がしただけだ。大丈夫だ」
「そうか、気をつけろ」
「ああ」
冒険者同士がそんな会話をしている。
「アティは何か感じた?」
「若干ですが、魔力が弱まるような感覚がありました。ですが本当にごく僅かですので、魔族が出現したり、陣の影響下に入った時とは異なる感覚です。どちらかと言うと――」
「残り香、みたい」
アティの言葉をメリッサが補足した。彼女もアティ同様に何かを感じ取ったようだ。
「そうですね。陣の影響が僅かに残っている場所に足を踏み入れたとみて良いかと」
「つまり、ここ、かな」
魔力を扱う事に長けており、尚且つ精霊使いの二人が言うのならば、それが正しい可能性は高い。しかし、タリアは二人の言うような魔力が弱まるような感覚は受けなかった。この場にいる者でも違和感を感じた者もいれば、平然としている者もいる。人によって様々だ。
「私は何も感じなかったかな」
「タリア様は元々魔力が豊富ですので、僅かに減少しても感知しないのでしょう」
「ふーむ、なるほどね」
中に足を踏み入れる。建物の中は外見からは想像できないほど荒れ果てていた。壁は剥がれ、支柱は所々欠損しており、今にも倒れ落ちそうで心配になる。道具屋の類となる品は皆無だ。外からは分からなかったが、天井にはポッカリと穴が空いており、空が見渡せる。さらに、その真下の床部分には同様の穴が空いており、地下から出てきた何かが、そのまま天井も突き破って飛び出したように見えた。穴の大きさ、人間には出来ない芸当、そしてコカトリスが出現した地点などを考えれば、自然と事実は見えてくる。
そして、その地下を覗くと一枚の鉄製の扉が変形して転がっている。内部から強力な力で開け放たれて、耐えきれずに変形したようだ。タリアは夢で見た扉と同一のデザインであることを確認した。
「階段のすぐ下にある部屋で、扉に南京錠が付いている。間違いない、あそこだね」
タリアのその言葉に、アティとメリッサが先頭に立った。他の冒険者がいると、万が一戦闘になった場合に巻き添えを食う可能性があるので、タリアが命じて外に出て建物から離れるように指示を出す。入った途端、すぐに出るように言われて戸惑った彼らだが、文句一つ無く従ってくれた。
この場にタリア達のみとなり、スノトラとフェニの精霊も姿を現した。
『最近は呼び出される頻度が高いね~』
「良いから、地下の安全を確認して下さい」
『精霊使いが荒いし』
文句を言いつつ、ブンブンと尻尾を振りながら階段を降りていくスノトラ。階段一段の幅ギリギリの手足を慎重に降ろしていく。人間の足ならば余裕のある作りの階段だが、スノトラの巨大な体を支える手足には本当にギリギリの幅しか無い。
そして無事に下まで辿り着くと、鼻先からゆっくりと部屋の中を覗き込む。
『うん、何もいないね~』
その言葉に肩の力が抜ける。ならば、と続いて地下へと降りていく。しかし、その途中で誰もが顔を歪めた。猛烈な刺激臭。反射的に嘔吐感がこみ上げてくる。村の家々で感じた死臭よりも、もっと強烈だ。
「ス、スノトラ。魔法で換気をして下さい」
『んっ? ああ、これの匂いが駄目なんだね。人間って不便だね~』
部屋の中からスノトラの呑気な声が聞こえ、直後に死臭が完全に一掃された。精霊も人間などの生物同様に痛覚や嗅覚などがある筈だが、耐性が強いのか、それとも気にもならない些細な事なのかは分からない。いずれにせよ、これで階下まで降りることができた。
部屋に入ると、放置された遺体が目に入った。夢の中で見た年若いメイド。スタブが家畜のようにしか思っていない平民の死体を態々片付けるとは思えない。そして案の定、その予測は当たった。夢で見た生前の愛嬌ある姿は見る影もない。扉に伸ばされた手は白骨化しており、放置された時間を物語っていた。可能性は限りなく低いとは思っていたが、タリアの見た夢が外れているかもしれないという希望的観測は完全に潰えた。
「後ほど、遺体を回収して貰い、村に来る前に見つけた遺体と一緒に埋葬しましょう」
「承知しました。それで、タリア様。夢で見られたのは、この場所で宜しいですか?」
アティの言葉は最終確認だった。
「うん、間違い無いね。この部屋の床に陣が設置されていた」
部屋の床を見下ろす。夢でははっきりと描かれていた陣が跡形もなく消失している。息絶えたメイドから流れた血が乾燥し、こびり付いた痕だけが確認できる。しかし、少なくとも最近までは陣が存在していたはずだ。だからこそ、コカトリスが出現してタリア達を襲ったのだから。しかし、その後に何者かが意図的に消したのか、それとも役目を終えた陣が勝手に消えたのか。それは分からない。一応、部屋の中を隅々まで探る。ひょっとしたらと、隠し扉のような存在を期待したが、生憎そんなものはなかった。
取り敢えずは、これ以上この場から魔族が出現する可能性が無くなったので一安心する。可能ならば村中をひっくり返して調査を行いたいが、そんな人的余裕はない。
「陣が少しでも残っていれば、前回見つけたものと比較して法則を探れたのにね」
陣という魔法技術は比較的知られているもので、旅の途中で展開する魔物避けで利用されている。しかし、そのレベルでも魔法使いが専任で学び、さらに経験を積むことで実現できる技術なのだ。陣の構成文字列と魔力さえあれば誰でもできる訳ではない。展開する場所や、日付、気候、星座の位置など様々な要因を考慮して陣の構造を修正する必要がある。しかも、書き方は実現する効果によって千差万別であり、個人で新しい陣を開発するなど普通は笑い話にしかならない。国が膨大な期間と予算を確保し、優秀な魔法使いが相当な人数集まってようやく開発する環境が整う位なのだ。
前回、レオンが用意した陣は幸いにも丸々残っていた。国が解析調査終了後には完全に消し去っただろうが、資料としては残っている。しかし、サンプルが一つだけでは陣のルールが不明だ。そのため、今回の陣が残っていれば参照比較して、ある程度は解析ができると思ったのだが、それも駄目そうだ。
「仕方ありません。陣の消失を確認したという事でハルバート様に報告致しましょう」
アティの言葉に、タリアは静かに頷いた。
その後、一行は村の探索を打ち切った。僅かに感じられた魔力欠如の残り香も既に消えている。村の生存者は皆無で、恐らくは廃村となるだろうが、遺体を放置しておくわけにはいかない。死肉を求めて魔物が住み着く可能性あり、最悪の場合はアンデット化して生者を襲うこともあり得るのだ。心情的にも現実的にも埋葬は行うべきだった。
取り敢えずは見つけられる範囲で遺体を回収して一箇所にまとめる。村の一画に魔法で大きな穴を削って作った。そこへ順に遺体を収めていく。
「この二人は隣同士でお願いします」
道中で見つけた行き倒れの男性と、陣の生贄となったメイドは隣り合うように置いてもらう。生前は一緒になれなかった為、せめて死後は隣にあり続けられるようにと。
全ての遺体が収め終わると、少しずつ土をかぶせて埋めていく。その間、誰も無駄口を叩かない。これ程の人間の遺体を一度に扱うなど、戦争や大飢餓などだ。普通の冒険では多くても二桁に届く程度の犠牲者で相当な事件だ。しかも、遺体の中には成人した者以外にもまだ幼い子も多かった。
全ての作業が終わっても、一行は暫くその場に立ち尽くし、見知らぬ村人たちの冥福を祈った。
◆
ガルゼ王の元に知らせが届いたのは領地封鎖を命じてから十日が過ぎた頃だった。領地への人の出入りを制限して疫病の蔓延を防ぎ、最低限の物資の支給を行って収束を待つ。この場合の収束とは発生地域の人間が死滅することを意味している。病を蔓延させる大本の人間が減れば、拡大は収まる。非常に簡単な原理である。
人間というものは意外としぶといもので、生き残りが絶望視されるような状況でも僅かに生還する者がいる。彼らから発生した状況や症状などを聞き出し、後の同様の現象に備えて確実に対策をとってきた。それは国にとって覆すことの出来ない事実である。しかし、今回は様子が違った。過去に例のない症状で、原因もはっきりとしない。収束するどころか、日に日に病にかかる人数が増えていく報告。段々と隣接する領地へと拡大を見せていったことで、主に付近の領主から強制的な数減らしの提言がされた程だ。
ガルゼからしてみれば、数減らし――つまりは軍を投入しての自国民の殲滅だ。そんな馬鹿なことを許可する筈がない。悪評は国境を跨いで隣国へと伝わり、その内容には尾ひれが付いて行くだろう。また、民の信頼は木っ端微塵となるのは確実だ。現状維持のまま、拡大を防ぎ切るのが最も国としての体を保てるのだ。
そんな中、王へ届けられた一報。差出人の名には、今回の領地封鎖の命を与えたフェンリルの部隊長が記載されている。任務途中で連絡を寄越すなど、現場で事態が急変したり、現場では判断のつけられない状況が発生した時位のものだ。いずれにしても、良い知らせではない。
気が進まないが、封を切り読み進める。読み始める前は疫病が拡大した報告と、不足する人手を補うために通常の軍を動員する要請かと思った。しかし、そこにはガルゼの予想を大きく上回る情報が書かれていた。
思わず声を荒げそうになりながら、寸前に押しとどめる。この場には上層部以外の人間も少なからずいる。敵対とまでは言わないが、間接的に王位に揺さぶりを掛けてくる貴族もおり、その息がかかった者もいるだろう。下手に感情を読み取られると、後々に面倒くさいことになる危険がある。あくまで、定期報告を読むかの如く平常心を保つ。
(また魔族が現れただとっ!?)
前回の魔族が出現した事を聞かされた時には度肝を抜かれ、この国が自分の代で潰えることすらも最悪として想定した。子供達を隣国に退避させる事を瞬時に考え、しかし直ぐに討伐済みと聞いて杞憂と分かりへたり込んだ。旧知の仲であるグランドール家の当主ハルバートからの報告は機密指定とし、極秘で調査をおこなって一旦は区切りとなった。渦中のレナという女の行方は継続して探させてはいるが続報はない。
釈然としない不安が残る中、再び起こった魔族の出現。手紙を持つ手に力が入る。
(被害は……隊員の殉職者が二名か。少ないな。上手いこと撤退できたのか。いや……討伐済みだとっ!?)
今度こそ声は上げなかったが表情が崩れた。こちらを伺っている者が怪訝そうにしている。読み間違えかと思い、二度三度と読み返すが間違いない。魔族は確かに討伐されたと書かれている。
(『フェンリルの一部隊と遭遇戦となり、犠牲者が出つつも討伐に成功。部隊長はウィルネス・グランドール』。グランドール家の長男かっ!?)
選抜部隊故に大々的に任命式が行われないフェンリルだが、隊長格の任命は小規模ながら行われる。その際に。変わった経歴として記憶に残っていた。そもそも、親友の子供なので忘れることなどできない。
(『その際に、民間人を保護。グランドール家次女タリアとその従者達であり、全員無事』か。タリア・グランドールか……)
手紙の通りなら、戦闘時にはグランドール家の長男と次女が共にいた事になる。相当な運の悪さだ。タリアなど、前回に続き二度目の魔族との遭遇だ。自分だったら暫くは外出を避けたくなるだろう。
前回の報告の中で、巻き込まれた側で最も名が挙がったのがタリアだった。貴族の間では頻繁に話に上がる品行方正な少女で、父親のハルバートが猫可愛がりしている事でも有名だ。そんな彼女が魔族と遭遇したと聞いた時のハルバートの心情は計り知れない程の衝撃だっただろう。幸いにも精霊使いの従者のお陰で、大きな怪我もなく生還できたそうだが、褒美を与えるための謁見は療養を名目に実現しなかった。
以前から私的にハルバートと話をすると娘自慢が始まるので、ガルゼは会ったこともないタリアの事を色々と知っている。曰く、妻に似て将来男を魅了する絶世の美女になるとか、魔法は使えないがそれを補うほど優秀で心優しい少女だとか。正直、はいはいと聞き流していたので何処まで本当なのか分からない。
そのため、前回の調査では客観的なタリアの人物像を探らせた。父親の贔屓目や噂などは差し引いた事実のみの調査だ。王命による調査なので、他よりもかなり細部にまで渡り、かつ正確なものだ。結果、タリアの周囲は異常だった。数少ない精霊使いが二人もおり、さらには教会の有力者の孫娘も集っている。外部からは従者と教育係を側に置き、高位な娘同士で気質が合いそうな教会の娘と仲がいい。そんな風に見える。だが、彼女たちの詳細を知れば話が違う。一国の王女以上に過剰な守りだった。流石にハルバートの親バカで終わらせられるような話ではない。余計に謁見出来なかったことが悔やまれる。
むろん、謁見を王命とすれば拒否はされないだろうが、あまり強引に運んで印象を悪くしたくはない。友人の娘であるし、何よりも公爵家としての評判も良いグランドール家と王族との間に縁が結ばれれば内外で安定する材料となると睨んでいた。丁度、自分の息子達とも年齢が近いので中々いい話だと自負している。
その次女タリアが、今度も魔族と遭遇した。これは本当に偶然なのだろうか。当然のように浮かぶ疑問。報告書には書かれていないが、従者の精霊使いも力を貸したに違いない。ならば、今度こそそれを理由に謁見を行い、直接人物像を見てみたい。
「問題ない。定期連絡と、グランドール家の次女が領地に入り込もうとしたようだ。恐らく父親に会いに行ったのだろう。親思いの子だな」
「しかし、流石にそれは……」
「ああ、無謀だ。幼さゆえの行動だな」
タリアの報告で少し驚いた風を装う。まさか、魔族が出現したなどとは夢にも思うまい。
読み終わった報告書を折りたたみ、自らの懐に収める。自室に持ち帰り厳重に管理する必要がある。第三者に任せて情報が流出するなど目も当てられない。
「さて、疫病に関してはこれ位だろう。次は隣国からの間者に関する報告を上げろ。国内が不安定の時だからこそ、活発に動いてくるぞ。特に南のアストールだな。あそこの王は野心の塊でいつ牙を剥いてくるか分からん」
国として、発生した疫病にのみ掛かりっきりになる事はできない。他の領地でも数多くの人間が暮らし、その分大なり小なり問題が起こるのだ。この場に上がってくるレベルの案件もそこそこあるが、もっと小さな案件は数え切れない程あるだろう。報告を受け、吟味して方針を固めて人に任せる。その繰り返しだ。決して終わることのない作業。自分が王位を譲るまで続く長い道のりだ。
この数日後、ハルバートから疫病が収束した旨を知らせる手紙が届き、再びガルゼは驚愕する事となった。
◆
村での調査を終えたタリアは再びハルバートの元へと戻ってきた。報告を受けたハルバートは、陣が既に存在しないことに安堵しつつ、一つの村が全滅したことに己の無力さを呪った。前領主であるスタブの企みであり、本来は隣領主であるハルバートには責任はないのだが、責任感の強さ故だろう。
既に魔力欠如の症状はかなり回復しており、街中では所々の店が営業を再開している。他店よりも早く店を開け、これを機会に定期顧客を増やそうと息巻いている店主もいる。少し前まで起き上がることも困難だった者もいるにも関わらず、商魂逞しい商人たちだった。
ハルバートが王宛に送った手紙により、少数の調査員が何日か前に領地の様子を確認しに来た。王命とは言え、死地に赴くような心持ちで訪ねてきた彼らは事前に聞いていた状況よりも活気ある街に驚いていた様子だった。原因である陣が存在した村周辺ではかなり悲惨なことになっているのだが、そこまでは彼らは知る由もない。調査員が帰った後、しばらくして領地の封鎖が解かれて領外との物流が再開した。当然の事ながら、警戒して訪れることを躊躇する者も多いが、それでもゼロからプラスになったことには変わりない。このまま何事もなく日常が戻っていけば少しずつ足が増えていくだろう。
ハルバートが常時悩まされていた人手不足だが、こちらも目処が立った。隣接する領からの増員が現地入りしてきたからだ。さらに、王が任命した次の領主が赴任してきたのも大きい。年若いが、貴族家の三男で実家の爵位を継げる可能性が低く、これを機に自らの領地獲得を目指すらしい。そんな野心を持つ人間は他にも幾らかいたそうだが、行き過ぎた野心は身を滅ぼす。自身だけでなく、領民までも巻き込む可能性があるので匙加減が難しい。スタブがいい例だ。その点、白羽の矢が立った彼は野心はあるものの、他と違うのはハルバート・グランドールを目標としていることだった。あの人のように立派な貴族とありたい。あの人のように領民から好かれる貴族になりたい。そんな思いから、ハルバートに真似て冒険者にまでなった事があるそうだ。ある意味ハルバート教の熱心な信者である。そんな彼ならば、暴走する可能性も少なく、またハルバートの領地が隣なので上手くやっていけるだろうと判断された。
その為、現在のハルバートは新領主への引き継ぎと、その補佐に徹している。食事や睡眠も確保できて少し元気になってきた。タリアの元へも足を運ぶ頻度が高くなっており、その度に元気を補充していく。
そんな中で、タリアができる事は殆どない。領地の運営など基礎を習った程度で、実務経験は皆無だ。そんな娘が現場で出来ることなどない。そのため、与えられた部屋でゴロゴロしてアティ達と時間を潰す位だ。グランドール領に帰れば良いのだが、ハルバートの唯一の楽しみであるスキンシップの時間を考えるとそれも躊躇してしまう。
しかし、そんなタリアも限界だった。
「うう……はぁ、はぁ……」
苦しむようにして胸を抑えるタリア。呼吸が荒く肩で息をしている。その目は集点が合っていない。
「タリア様、大丈夫ですか?」
そんなタリアをエメリアが心配そうにして声を掛けた。アティは何処か呆れたようにして見ている。メリッサはお菓子を食べている。
「うう、エメリアお姉様。私、もう駄目かもしれません……」
「まぁ、もしかして魔力欠如の症状でしょうかっ!? だとしたら直ぐにポーションを飲みませんと」
慌てて常備していたポーションを取り出すエメリア。しかし、タリアは震える手でそれを制した。
「い、いえ。実は禁断症状が……」
「えっ!?」
「は、畑を見に行きたくて仕方がないのです。それに、美味しいものを食べたい! もう、お芋を蒸したのが主食は嫌なのです! ウインナー食べたい! デザート食べたいです! うがー」
我慢していた感情が一気に流れ出るタリア。これまで食料が豊富にあるとはいえなかった為、かなり切り詰めた食事事情だった。それも物流が回復しつつあるので、少しは改善された。それでも、とうもろこしの粉が芋に変わったレベルだ。常に美味しいものを求めるタリアにとっては非常に我慢ならない。もちろん、他の者の目がある場所ではそんなワガママは言わない。出てきたものは文句なく時間を掛けてゆっくりと食べてお腹を満たした。時には賄いだけでお腹を満たしていた臨時給仕係の幼い少女達と共にコッソリと分け合ったりもした。お腹いっぱいだけど、残すのはマナーが悪いので一緒に食べてくれないか、と言って。涙を流してお礼を言ってくる彼女たちの姿を見て間違ったことはしていないと思っているし、後悔もしていない。お腹は空いたが。
そして、屋敷の畑も気になる。口の固い庭師に任せてきたが、彼らの領分は庭であり畑ではない。正直不安だ。疲れて帰った後に、荒れ果てた畑を目にした瞬間には号泣して転げ回る自信がある。考えるとまた不安になってきた。
「こうなったら、最後の手段に出るしかありません! 無いなら作れば良いのです。この街に私専用の畑を作るのです! そして、そこから取れた食材で美味しい料理を作るのです! これで解決!」
良い感じに暴走しつつあるタリア。今から畑を作っても収穫まで数ヶ月はかかる。作物によっては年単位だ。そもそも、力仕事が苦手なタリアが畑を耕すとなると、手助けが必要となる。今の街にそんな余裕はなかった。
「各家々の子供達を集めて、奉仕してもらうのです。もちろん、お昼ご飯は用意します。そうすれば、親御さんは一食分の負担が減り、子供達も食事ができ、私も畑が用意できる。誰もが得なプラン! 完璧です!」
完璧に穴だらけで無理な計画をぶち上げるタリア。流石にエメリアも心配そうにしていた。
「ど、どうしましょう」
そんなエメリアの言葉に、アティは非情だった。
「放っておきましょう。そのうちお腹が空いて静かになります」
それから暫くして、アティの言う通りタリアは空腹でベットに倒れ込み、そして静かになった。
◆
タリアが色々と限界が近づいてから数日後。彼女はグランドール領へ向かう馬車の中にいた。音を上げての帰還ではない。ハルバートの仕事に区切りがつき、国から帰還の承認を得ての正式なものだ。そのため、馬車の中にはハルバートもおり、行きの倍以上の一行の人数となっている。
行きの時は何よりも到着を急いでいたので馬車の揺れが激しく、移動中は舌を噛む危険があったので誰もが無言だった。しかし、帰りの途は比較的余裕を持ってのスケジュールだ。揺れも行きほどではなく、会話も出来る。また、途中の村々に顔を出しながらなので時間は掛かるが、村人達からハルバートへ感謝の言葉を送られる光景に、娘としてとても誇らしかった。
「すまんな、タリア。ようやく出発だ」
とある村でも非常に歓迎され、せめて宿泊して欲しいというお誘いを丁寧に辞したハルバートが戻ってきた。
「いえ、お父様の功績を目の当たりに出来て、とても嬉しいです」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
やれやれと肩を回しながら苦笑するハルバート。馬車が動き出し、村人達が総出で手を振って別れを惜しんでいる。
「ここが最後の村で、もうすぐ我が領地だ。あとは屋敷まで無事に辿り着けば、この遠征も終わりだな」
「お疲れ様でした、お父様。帰ったらゆっくり出来ると良いのですが」
内心無理だろうと思いながらも、労りの言葉を送るタリア。ハルバートは案の定首を振った。
「いや、帰ったら帰ったで今度は自分の領地の仕事が待っている。イリスがある程度さばいてくれているが、それでも私の確認が必要な案件は多い。また暫くは缶詰だな」
「本当にお疲れ様です」
「まぁ、お前たち家族が近くにいるから今までよりはマシだがな」
今まではどれ程家族が恋しくても会話することもできなかった。家族を愛するハルバートにとって、それは非常に不満だった。どれだけ忙しくても僅かな時間で家族と触れ合えれば頑張れる。だからこそ、帰還できれば満足だ。
ハルバートの言葉に笑うタリア。自分も畑や食事の環境が戻ってくるので大満足だ。
「ところで、今までは忙しくてキチンとタリアからは話を聞いていなかったのだが」
そう言ってハルバートが真剣な表情でタリアに聞く。どうも真面目な話のようで、自然とタリアの表情が引き締まった。
「タリアが今回の一件で見たという夢の話だが」
「過去の夢ですか?」
その件はイリスからも指摘されていたので、把握している限りハルバートには伝えてある。未来ではなく過去を見たことや黒い本のこと、そしてタリアの体調への影響があることなど。伝え忘れた事があるのだろうかとタリアは首を傾げた。しかし、そうではなかった。
「いや、タリアがクロノス平原のような場所に居たという話だ」
「……そちらでしたか」
タリアにとってあまり思い出したくない夢である。見知らぬ平原で立ち尽くし、悲しみに心が埋め尽くされた夢。庭師のトーマスから、そこがクロノス平原で一面に咲く花は死者への手向けとして用いられる葬花と聞いた。本当にクロノス平原かは分からないが、それでも決して縁起の良い夢とは言えなかった。
「私もかつて、両親の葬儀の時に行ったことがあるのでな。あそこは一年中キレイな花々が咲き乱れている、とても神秘的な場所だった」
「確かに、私の夢でもそのような場所でした」
「その夢を見たから、タリアは私の心配をして色々と無茶をしたのだな?」
「……はい。夢を見た直後、お父様が出向されている領地で疫病が発生したと聞かされて、居ても立ってもいられなくなりました」
「その過程で過去を見る力を得てしまったとなれば、私としては嬉しくもあり、無茶をするなと心配にもなるな」
「申し訳ありません」
タリアは縮こまって謝罪を口にした。
「いや、すまない。タリアの気持ちは分かる。私も家族がそんな事になると事前に知れば同じような事をしただろうからな。私がタリアを心配しての言葉と思って欲しい。それに、こうして私が無事に帰ることができるのはタリアが解決の糸口を見つけてくれたからこそだ。もし何も分からなかったら、私も魔力欠如で倒れていたかもしれない」
「はい、私も予知夢を変えられてホッとしています」
流石にここまで状況が収束すればハルバートが疫病で命を落とすことはないだろう。
「でも、本当にクロノス平原はキレイな場所でした。何も知らなければお弁当を持って訪れたいところです」
「確かに、私も初めて行った時には圧倒されたな。生者が死者へと送る花を摘む場所と言われて納得できる空間だ」
「はい、特にあの雪のように舞い散る白い花びらは圧巻でした。それに――」
「なに?」
光景を思い出してうっとりとしていたタリアを、ハルバートの鋭い言葉が遮った。突然の豹変にタリアは急に現実に連れ戻された。
「お、お父様?」
「タリアが見たのは雪のように白い花々だったのか?」
「は、はい」
「それは間違いないのか?」
鋭い視線。まるで領主として妥協ない仕事をこなす時の父の姿。タリアは目を瞑り記憶を呼び起こす。あの時に見た夢の光景。自分が立ち尽くす平原のパノラマ。涙を流し、掌に掴む花びらの色。それが間違いなく白いのを確認して、タリアは頷いた。
「はい、白い花びらでした」
「近くに他の色の花はあったのか?」
「ありませんでした。一面、真っ白の花が咲いておりました」
そこまで聞くと、ハルバートは難しい表情で黙ってしまう。しかし、タリアには突然父の様子が変貌した理由が分からない。話の内容から、花びらの色を気にしていたのだけは分かる。
馬車に乗り合わせ、今まで親子の会話を黙して聞いていたアティとガーディーは驚きつつも見守っている。いや、アティはタリアと同様な驚きだが、ガーディーは何処か信じられないことを聞いたと言いたげな表情だ。彼は理由を知っている。タリアはそう確信した。ならば、とガーディーに問おうとしたタリアだが、それよりも早くハルバートが静かに言った。
「クロノス平原で摘む花の色には意味があるのだ」
「えっ?」
初耳の情報にタリアが惚ける。アティも同様だ。
「青い花は男性が亡くなった時。白い花は――」
これまで、夢の中のタリアが悲しみ嘆いていたのは、父ハルバートが疫病で命を落としたからだと思っていた。夢を見て、平原の存在理由を知り、直ぐに起こった出来事が疫病の発生だ。そうなれば、ハルバートが危機に瀕していると疑いもしなかった。タリアだけではない。アティも母イリスもそう考えていた。
しかし、それは――
「白い花は女性に送られる花なのだ」
ガタガタと揺れる馬車の音だけが、この空間を支配した。
◆
ハルバートから告げられた事実に打ちのめされたタリア。気付けなかったアティも表情は暗い。旧ヴックヴェルフェン領を出た時の明るい雰囲気は一気に吹き飛んでしまった。
むろん、予知夢が既に回避できている可能性はある。しかし、もしもそうでなかったら。そう思うと、体の震えが止まらない。
「タリア様。屋敷に到着しました」
アティが告げた。のろのろと顔を上げて窓から屋敷を見る。まるで何ヶ月も帰っていなかったように懐かしく感じる自宅。幾度も帰りたいと願った場所なのだが、今は何処か気持ちが沈んでいる。
ハルバートが黙ってタリアの頭に手を置き、ゆっくりと撫でる。ハルバートとは再びタリアの持っている情報を整理して、他に漏れがないか確認することとなった。そのためにも下を向き続けるわけにはいかない。
無言の慰めに少しだけ表情を和らげたタリア。父だけではなく、母イリスにも協力してもらい、対策を練ろう。
馬車が屋敷前に到着したのを見た使用人が慌てて走ってきた。今頃、屋敷の中でもバタバタとしている事だろう。当主不在で手を抜くような使用人達ではないが、それでも当主帰還の際には慌てふためくようだ。
一人のメイドが馬車の扉に手をかけた。タリアからすると、顔に見覚えはあるが、名前がなかなか思い出せないような人物だ。そんな彼女が少々乱暴とも思える勢いで扉を開け放った。
「只今帰還したぞ。屋敷に変わりはなかっ――」
「大変ですっ!」
ハルバートの言葉に被せてきたメイドの叫び。嫌な予感がタリアの心に湧き上がる。
「アネッサお嬢様がお倒れになられました!」
タリアは息を呑み、そして目を見開いて動きを止めた。
予知夢は未だ回避できていなかった。




