第二十話 令嬢、辿り着く
コカトリスの石化魔法に対して、スノトラとフェニは咄嗟に己の契約者の身を守った。スノトラはその大きな尻尾を盾代わりとして、フェニは大きな炎の翼を広げて。精霊の体は魔力と時間さえあれば再生が可能だが、契約者は違う。万が一、契約者がいなくなれば精霊は人間の世界で存在を維持することが出来なくなる。そのため、精霊使いと対峙した際には、精霊よりもいかにその使い手を倒すかが決め手となる。逆に、精霊はいかに契約者を守りつつ、戦うかが課題となる。
スノトラは尻尾だけが石化しているので戦闘への影響はそれ程ない。しかし、羽が石化したフェニは戦闘継続が難しい。鳥型である以上、羽が使えないのは致命的だった。徐々に修復していくが、多少時間が掛かる。それまではスノトラだけで対峙することとなる。
飛びかかったスノトラは、その爪でコカトリスの胴体を切りつけた。硬い金属同士がぶつかり合うような衝撃音。ドラゴンのような胴体は見掛け倒しではなかった。スノトラの攻撃でこれだと、人間の斬撃では全く歯が立たないだろう。
コカトリスが反撃で蛇の尻尾を豪快に振り回した。大振りのそれは、スノトラにとって避けることは容易だ。体の大きさからは想像できない身軽な動きで避けると、空振りで体勢を崩したコカトリスの首筋に牙を突き立てた。流石に首筋は胴体よりも脆いようで、深々と突き刺さった。必至に首を振って引き離そうとするコカトリスと、喰らい付くスノトラ。流れ出した血液が周囲に撒き散らされて地面を汚した。やがて、どうしても離れないスノトラに業を煮やしたコカトリスが、勢い良く頭から地面に倒れ込んだ。自分がダメージを負うことも覚悟した捨て身の戦術。しかし、寸前にスノトラは離脱する。結果、地面に勢い良く叩きつけられたのはコカトリスのみだった。
『どうやら、胴体よりも頭付近を狙ったほうが良いみたいだねー』
口の周りを魔族の血で汚したスノトラが分析する。弱点部位が存在するならば、人間の魔法攻撃でも目眩まし程度にはなるかもしれない。むろん、連携の取れない他者の攻撃はスノトラの邪魔にしかならないが、お互いの間合いを知るアティとならば有効になるだろう。
『さぁ、僕の契約者さん。フサフサな尻尾の仇を一緒に取ろうじゃないか。魔法をアイツの頭部周辺に撃ち込んでくれるかな?』
「どうせ、すぐに再生するでしょう」
言いつつ、アティは魔法の準備に入る。自分が得意とし、スノトラからの加護も得ている風の攻撃魔法。威力を高めても無駄な相手なので、発動速度と手数を重視して視界を奪う目的に徹する。致命傷はスノトラの役目だ。準備が終わると、次々と撃ち込んでいく。魔力欠如の症状で普段よりも消耗が早いが、まだ余裕を感じる程度には大丈夫そうだ。
絶え間なく襲い来るアティの風魔法だが、コカトリスは無視して受け続ける。弱点であるはずの頭部に命中しても僅かに頭がブレるだけ。致命傷どころか、怪我すら負わせることはできない。それよりも、隙を突く気満々のスノトラの方が気になるようで、アティには一切目もくれない。だが、人間でいうところの、極小の石が顔に連続して当たる感覚に、鬱陶しさを隠せていない。加えて、スノトラも嫌がらせのように牽制攻撃をしているので、ストレスは倍以上だ。コカトリスが本能に忠実だからこそ、感情がその行動に影響を及ぼしやすい。
『いやー、憎くて憎くてたまらないって顔をしているねー。良いね良いね! 最高だよ!』
ニヤニヤと笑うスノトラ。しかし、すぐに真剣な表情となった。
『確かに、コイツらは総じて個々の力が強いけど思考能力は低い。なにより戦い方が単純だ。簡単に目の前の敵だけに集中してしまう』
もしも、スノトラやフェニを最初から警戒して、同時に相手取るような愚行を避けていれば。もしくは、安々と囲まれずに距離を取って各個撃破をおこなっていれば。こうも簡単に追い詰められることはなかっただろう。当然、コカトリスの隔離した力は人間にとっては脅威だ。初見の人間はほぼ無抵抗に狩り尽くされるだろう。しかし、同等以上の存在――精霊などと対峙した際に、考えが浅いのは致命的だ。
『だから、こんな簡単な罠に引っかかる』
地面が揺れた。気付いた時には既に遅い。コカトリス周辺の地面の温度が急激に上昇していく。瞬時に赤々とした火口のような地質に変化し、僅かに生えていた雑草を一瞬で燃やし尽くした。当然、そんな場所に立つコカトリスも無事で済むはずがなく、足元から肉が焼ける匂いがする。上空に飛び上がろうとするが、未だに再生が終わらない羽は本体の重さを補える程の浮力を得ることができない。
ドロドロに溶解した地面が盛り上がり、その下から真っ赤に燃え上がった一体の精霊が出現した。フェニである。その羽根は既に石化の様子は見られない。メリッサを庇った後、再生を終えたフェニは地下からコカトリスへの攻撃を仕掛けた。体表の温度を限界まで引き上げ、掘り進めるのではなく、燃やし崩して進む力技でコカトリスの真下まで移動して、無防備なその体へと攻撃を加えたのだ。
下からの攻撃は完全に予想外だったようで、防御することも受け身をすることもできずに、コカトリスは跳ね上がった後、地面へとその体を叩きつけられた。いくら強靭な体でも、攻撃を受け続ければいつかは限界が訪れる。スノトラとフェニから幾度も有効打を受けていたコカトリスは、何とか起き上がろうとするが、震える四足には力が入らない。立ち上がっても直ぐに地面へと倒れ込んだ。すかさず、スノトラが四足を風の渦で拘束し、完全に身動きを封じた。
『これで終わりかな。で、どうする? このまま殲滅しちゃう?』
「そうですね……」
僅かに悩むアティ。その視線の先には軍人であるウィルネスの姿。今回の戦闘において、彼はほとんど役に立つことはなかった。正直、いてもいなくても結果は変わらなかった可能性は高い。そのためか、彼は何も言わない。しかし、アティに表情で訴えている。可能ならば生け捕りにしたいと。確かにスノトラに頼んで殲滅する場合は切り刻み、肉片一つ残さずにフェニに燃やし尽くしてもらうつもりだ。しかし、捕獲して調査すれば魔族の生体に関する情報が得られるかもしれない。また、胃という器官が存在するなら、残留物で人間未踏の地の情報も手に入れられる可能性がある。人類は魔族に関する情報が著しく少ない。確保できれば、文字通り金一山に匹敵する価値がある。
また、部下が命を落とした原因が魔族によるものだと判明すれば、その犠牲は他の死因よりも尊重されるはずだ。命を懸けて国を守った英雄として。その際に彼らがどの程度対抗できたかは問題ではない。対峙した結果、その生命を散らしたという事実のみが彼らの名を守り、国の名誉を守り、残された家族をも守るのだ。
アティとしては、問答無用で殲滅しておきたい。弱っているとは言え、魔族が脅威であることには変わりない。捕獲しても人間が施す拘束がどこまで有効となるのかも不明。万が一、逃げ出しでもすれば目も当てられない惨事となるだろう。精霊使いのアティとメリッサがこの場に居合わせたことが、最悪の中での唯一の救いだったのだ。次もそんな運の良い状況になるとは思えない。
やはり、ここは――
「殲滅します」
その言葉に一旦は口を開いたウィルネスだが、何も言わずに悔しそうに閉じた。生かすのも、殺すのもどちらも間違ってはいない。だからこそ、最も貢献した者の意見を尊重する。彼の意見が通らなかったのは、単純に実力が不足していたからだ。
アティが告げると、スノトラが必殺の一撃を繰り出した。強靭な爪に勢いを乗せ、さらに爪先に風魔法のカマイタチを纏わせた強力な一撃。身動きの取れないコカトリスは為す術もなく命を刈り取られる――筈だった。スノトラの攻撃が首を跳ねる直前、コカトリスの眼が再び魔力を帯び始めたのだ。しかし、最初の石化魔法よりも弱々しい。故にスノトラは攻撃を止めること無くその首を貰い受けようとしたのだが、爪先が僅かに切り込んだだけで、切断するには至らなかった。
『……自滅覚悟の石化か。なかなか、しぶといねぇ』
確実に殺ったと思っていたスノトラが、その原因を理解して少しだけ感心したように言った。
コカトリスの首が石化していた。しかも、段々とその範囲は拡大している。スノトラの攻撃から身を守るために、コカトリスは自らの身体に石化魔法を放ったのだ。確かに、石化させた事でスノトラの一撃に耐えることができた。しかし、その代償として自分の魔法で命を落とすことが確実となった。魔法を使用したコカトリスが死ねば石化は解除される。逆に、死ななければ石化は解除されずに残り続けるのだ。
見る見る間に石化の範囲は広まっており、既に無事なのは頭部のみ。蛇の尻尾の先まで硬化して不動のオブジェと化している。
『なんか、逃げられるみたいで癪だから、その前にとどめを刺してあげる』
「スノトラっ!」
今度こそ終わらせようとしたスノトラに、アティの鋭い叫びが浴びせられた。
一瞬の隙を突かれた。石化したため、動けないと判断していた。コカトリスが雄叫びを上げて強引に手足を動かし、その先が崩れ落ちるのを構わずに、一気に飛び出したのだ。当然、手足の先は地面に付いたままで、途中から折れたように欠落している。さらに着地した衝撃で、ますます砕けて手足が短くなっていく。狂っている。文字通り捨て身の特攻だ。
恐らく、コカトリスも自分が生き残れるとは思っていない。羽や手足がもげた状態で長くは生きられない。だからこそ、最後に自分の本能に忠実になったのだ。すなわち、食欲を満たす。ただそれだけである。立ち尽くすウィルネス達には目もくれず、離れた場所にいる最も食欲を刺激する獲物に飛びかかる。少し前まで何度も食らっていた柔らかい肉体。そして、鼻を刺激する濃厚な魔力の匂い。見つけた時には、この地に来て良かったと心の底から思えた獲物だ。
「ひ、ひえー」
その獲物――タリアは突然自分がターゲットになったことに、腰を抜かしそうになりつつ身震いした。その直ぐ側にはエメリアがいて、万全の守りを誇るのだが、それでも怖いものは怖い。自然とエメリアの足にしがみ付いて目を瞑った。
一方のエメリアは終始落ち着いている。準備していた結果を張る。コカトリスの牙よりも早く、その守護が二人を覆った。タリアを落ち着かせるために、背中を擦る余裕すらある。
「タリア様、大丈夫です。この中は安全ですので」
すぐ近くから牙が結界に突き立てられる音が響く。恐る恐るタリアが目を開くと、手を伸ばせば届く距離に大きく開けられた口。唾液と血が飛び散り、結果の膜を酷く汚していた。
「こここ、これって本当に大丈夫なのでしょうか?」
「もちろんです。私の魔力が続く限り、問題ありません」
エメリアの言うように、幾度もの攻撃を受けてもヒビは愚か、衝撃すら感じない。激しい衝突音が聞こえてくるだけだ。
「良かった……って、それはエメリアお姉様の魔力が尽きたら駄目ってことでは?」
「そうですね」
一旦安心し、再び焦り顔に切り替わるタリア。いくら強力な防御力を誇るエメリアの結界でも、発生させる源の魔力が枯渇すれば消える。今のこの場はコカトリスの影響で魔力欠如に陥りやすくなっている。エメリアの魔力量が少ないということは無いだろうが、無限ではないのは確実だ。こんな状況でも表情を崩さないエメリアなので、残りの魔力に余裕があるのか、それともないのか分からない。
「ですので、いざとなったらタリア様から魔力を頂こうかと」
「それは、まぁ。良いですけど……」
結界が無ければコカトリスの美味しいご飯になってしまうタリア。ならば、エメリアに自分の魔力を使ってもらうのには何の抵抗もない。以前、メリッサの精霊であるフェニに魔力ブーストを行うために譲渡したことがあるので、これが初めてではない。人伝に自分が魔力酔いになったら手に負えないと言われているが、この場は仕方ないだろう。
「それに、多分そんな心配はないと思います。タリア様をお守りする、あの二人がそれまで手をこまねいている筈がありませんもの」
エメリアが指差した先を見る。そこには、夢中で結界にまとわり付くコカトリスの背後から迫る夜叉二人と、その精霊二体。助けに来た筈なのだが、タリアはコカトリスよりも恐怖を感じた。
「「やれ」」
そして同時に命令が精霊へと下された。メリッサは兎も角、アティまで口調が刺々しい。非常に怖い。タリアはこれからコカトリスに降りかかるであろう運命に、少しだけ同情した。
ようやく接近を悟ったコカトリスだが、もう遅い。まずは残っていた石化した尻尾がスノトラによって粉々に破壊された。そしてフェニの攻撃で瞬く間に、その身が炎に包まれて見えなくなる。強靭なドラゴンの胴体であるため、直ぐには焼け落ちない。じっくりと、まるで拷問のようにゆっくりと焼かれていく。四足が既に機能していないので逃げることもできない。苦しみを嘆くコカトリスの悲鳴だけが何度も響き、段々とその声も弱まっていく。やがて、重々しい音を鳴り響かせて地面へと倒れ込んだ。鳴き声も、あがく動きも見せない。完全にその生命を閉じた、ただの亡骸だ。
ようやく決着を迎えたコカトリスとの戦闘だが、誰も歓声をあげるような事はしない。無残に殺された仲間への悲しみと、コカトリスが最後まで見せた貪欲なまでの執念。普通の魔物以上に貪欲に戦い、そして足掻いていた。まるで、人間のように。それらの複雑な感情が彼らの口を重く閉ざしていた。
「タリア様、ご無事ですか?」
そんな面々を見守っていたタリアが声掛けられた。見ると、静かに消えていく結界の向こう側に、心配そうに見つめるアティの姿。明らかに命の危険があったのはアティやメリッサなのだが、それでも自分を心配してくれる心遣いに自然と嬉しさが湧き上がる。
「うん、大丈夫だよ。アティとメリッサは大丈夫? 怪我はない?」
「はい」
「問題、ない」
二人の背後でスノトラとフェニが消えていく姿を視界の端に捉えながら、タリアはアティの側まで歩み寄ると、本当に怪我がないか確認するように抱きついた。血と焦げ付いた匂いがするが、とても温かい。無事に生きている。
「生きているうちに二回も魔族と遭遇し、戦うハメになるとは。まったく、タリア様の従者は本当に重労働ですね」
タリアの頭を優しく撫でながら、アティが苦笑して言った。隣のメリッサは黙って頷いている。
こうして、タリア達の二度目の魔族遭遇戦は、突然に始まり、幾らかの犠牲を出しつつも、討伐で幕を閉じた。
◆
魔族討伐後、流石にウィルネスがタリア達一行を引き止めることはしなかった。あくまでも、許可は出さないが黙認する形と最後まで譲らなかったが、それでも通行を黙認してくれるまでになったのは彼なりの譲歩なのだろう。
体の一部が石化した者はもちろん、完全に石化した者も元に戻ることができた。コカトリスに吹き飛ばされた者と、石化の状態で粉砕された二名の隊員は残念ながら駄目だった。二名が殉職し、なおかつ魔力欠如で戦闘行為が行えない者もいる。隊としては撤退するレベルまで任務遂行能力が落ちているのだが、勝手に持ち場を離れることはできない。そのため、各地点に散らばっている他の隊と連携して戦力の穴を埋める対応を行うらしい。タリア達に構っている暇がなくなったとも言える。
「では、ウィルお兄様。私はお父様の所へ向かいます」
「……ああ」
タリアに背を向けたまま、ようやく返事をするウィルネス。その表情は見えない。
「たまには顔を見せて欲しいと、お母様がボヤいておられました。アネッサお姉様もお兄様にお会いしたいと仰っていましたので、近いうちに戻られては如何ですか?」
「そうか」
「もちろん、私もウィルお兄様とお話をしたいです」
「……」
「それでは、ごきげんよう」
タリアが馬車に乗り込む。既にエメリアとメリッサは乗り込んでおり、最後にアティが入って扉を閉めた。行者が馬に鞭を入れると、ゆっくりと動き出した。最後にもう一度兄の姿を見ようと、小窓を開ける。するとそこには、ウィルネスの部下達が馬車に向かって一様に敬礼する姿があった。傷つき、ボロボロになった格好はお世辞にも格好良いとは言えない。しかし、その背筋を張った姿勢と、尊敬の念を帯びた視線を見れば、格好など気にもならなかった。
タリアが小さく手を振ると、嬉しそうに表情をほころばせた軍人たち。よく見ると兄のウィルネスも手を上げかけて、すぐに降ろした。見間違いかもしれないが、それでもタリアは心が満たされた。
今回の襲撃で失われた命は残念である。しかし、その犠牲は無駄にはしない。ハルバートに伝える魔族召喚の陣による魔力欠如について。皆が疫病と思い込み、抜け落ちてしまった可能性。それが、魔族の出現により、憶測から確信へと変えてくれた。そして、陣が存在する地点についても予測を立てることが出来た。魔族が出現した付近に人が住む場所があれば、そこが怪しい。徹底的に調べるべきだ。それにはまず、ハルバートに会い、情報を提供して動ける者で陣を探し出して破壊するしかない。いつ次の魔族が出現して暴れまわるか分からない。ひょっとしたら、既に何処かで破壊を繰り広げているかもしれないのだ。
馬を使い潰す勢いで街へと向かい、何とか辿り着く。街の見張りはほとんど機能しておらず、止められる事無く通り過ぎることができた。仮にもこの領地で最も大きな街なのだが、それ程に疲弊しているのだろう。
領主の館の門の前まで乗り込む。事情を知らずに慌てている数少ない従者達を横目に、タリアは我が物顔で奥へ奥へと歩いていく。荒れた庭を通り、大きな屋敷の扉を開き、目の前の階段を登って上へと向かう。初めて来る場所なのだが、貴族の屋敷というものは大体の作りは似通っている。上の階にある最も大きな扉の部屋が主のものだ。前領主の趣味がひと目で分かるように、扉を挟むようにして自画像が置いてある。美化三倍程度のスタブ・ヴックヴェルフェンの像は健在で、よく屋敷が荒らされた状態で無事だったと感心する。盗人たちもこんな像は価値もなく、壊すだけ労力の無駄だと悟ったのだろうか。
兎も角、タリアは覚悟を決めると、部屋の扉に手をかけて、大きく開け放った。
◆
気付くと直前まで書き進めていた書類に解読不能な文字を書き込んでいた。自分への僅かな苛立ちを感じつつも、仕方ないと割り切る。
ガーディーがハルバートの目前で倒れてから数日。まるでハルバートの苦心をあざ笑うかのように、倒れる者が増えていった。もはや、休憩を取る余裕すら無く、仕事をしていると気付くと意識が飛んでおり、慌てて再開するを繰り返している。もはや、自分達のみで事態を収束させることは不可能だ。外部からの増援が来ると信じて時間を稼ぐことくらいしか出来ない。本音を言えば、親しい者達を引き連れて自分の領地に引き返してしまいたい。しかし、領堺では王軍が検問を敷いているので出入りはできない。また、元々この地に住んでいた者達とも少なくない接点ができており、気の合う者も出来た。今更彼らを見捨てる事はしたくない。
しかし、限界というものがある。昼夜関係なく働き続けてきたハルバートも普通の人間だ。ついに机の上に突っ伏してしまう。只の過労と寝不足だが、意識が混濁して自分が起きているのか寝ているのか判断が出来なくなる。
こんな光景を見ているのは、そのためだろうか。部屋の扉を一人の少女が両手で大きく開け放っている。嬉しそうに、そして誇らしげにしている表情は妻にとても似ており、忘れかけていた家族の温もりが感じられた。
「なんて事だ。ついに幻覚まで見るようになってしまった」
「お父様、やりました! 疫病の原因を突き止めました!」
「やはりそうだ。領地で仕事を任せた娘がこんな場所にいる筈がない」
「しかも、症状の進行を止める算段も付いたので、うまくいけば皆が回復に向かう筈です!」
「幻聴まで聞こえてきた……こんなに上手く事態が動くはずがない。これは夢だ。そうだ、夢に違いない」
身振り手振りで説明をしているタリアだが、一方のハルバートが全く信じる気配はない。完全に目の前のタリアを夢の登場人物と思い込んでいる。散々苦労して押さえ込もうとしていた疫病に対して、特殊な能力があるとはいえ、幼い娘が原因解明から対策までこなせるとは思えない。しかも、ハルバートが限界に達したタイミングで駆け込んでくるなど、都合が良すぎる。だからこそ、夢と思い込んだ。
乾いた笑いを浮かべている父に、タリアは地団駄を踏んだ。狂喜乱舞するとまでは思わなかったが、それでも喜んで頭を撫でてくれる位は期待した。しかし、そんな気配は皆無だ。果てには『タリアは夢の中でも可愛いなぁ。まるでこの世に産み落とされた天使のようだ』などと、寝ていないのに寝言を呟いている。これは当分戻ってきそうにない。
仕方なく、タリアはハルバートに近づくと、その小さな手で父の手を包み込む。
「お父様、私は本物ですよ? 私、アティ達と一杯頑張ったのです」
伝わってくる感覚。少し冷たくなっているタリアの手に、ハルバートがようやく現実だと認識を始めた。落ち着き、現実だと理解してまずは驚いた。次に感染する可能性がある危険な場所に乗り込んできた娘と、それを止めなかった周囲に怒りを感じた。そして最後に、そうまでさせてしまった自分自身に無力さと歯痒さを感じた。
タリアはゆっくりと、そしてしっかりと言葉を紡ぐ。
「実は、私がお父様の書斎で調べ物をしていると――」
信じられないようなタリアの話を、ハルバートは口を挟まずに最後まで聞き通した。そして、最後までその手は優しく、しっかりと握られていた。




