第十九話 令嬢、その身を求められる
ソレはある日、とても居心地の良い場所を見つけた。森の一画にある小さな洞窟。中は浅く、自分が入ってしまえば塞いでしまう程度の小さな穴。最初は自分よりもずっと小さな獲物達が集まっており、好機とばかりに飛び込んで逃げ惑う者たちを片っ端から食い散らかしていった。そして誰もいなくなったその場所に戻ると、とても体が暖かくなった。一夜を過ごすには丁度良いと思い、満腹感に満足しながら眠りについた。
そして翌朝。いつもなら空腹で目を覚ますソレが、いつまで経っても目を覚まさなかった。いい加減、陽の位置が高くなり眩しくて目を覚ましたが、一向に食欲が沸かない。体調が悪いわけではない。自慢の尻尾と羽は健在で、軽く尻尾を振れば近くの木々をなぎ倒し、羽ばたきは大地の岩石を吹き飛ばす程の風圧を生み出した。今まで以上に調子は万全だ。
ソレは自分が何故こんな状態なのか理解できなかったが、深く気にすることはなかった。重要なのは、今の自分が絶好調という事実のみだ。それから暫くの間、そこをねぐらとしたが、とても気に入ったので自分の縄張りにすることにした。
森から現れるオークという、緑色の体の巨体な人型集団を自慢の毒で汚染して全滅させた。サソリの尾を持つ四足歩行の生物――マンティコアは鋭い爪で薙ぎ払って追い払った。しばらくして、その一帯は鶏の頭と、ドラゴンの体、蛇の尻尾を持つソレ――コカトリスのものとなった。
それから暫くは襲い来る敵を片っ端から倒していったが、その間も全く空腹にならない。普段なら退くような相手の数であっても、余裕すら持って蹴散らすことが出来た。今の自分の状態となれた原因を探るべきだ。本能がそう感じたコカトリスは、それまで自分がいた洞窟をゆっくりと眺めた。すると、それに呼応するように洞窟の一部の空間が波打った。思わず驚き飛び下がったが、何も起きない。攻撃ではない。しかし、空間の歪みはそのままだった。恐る恐る近づいて覗くと、その先にはもう一つの狭い空間。見たこともない場所だ。少なくともこの森一帯にはない光景だ。
コカトリスが、その歪みをどうしようかと周りをグルグル回っていると、空間の中に動く者を見つけた。他の獲物と比べてとても小さい体。しかし、本能を揺さぶるような、とても甘美な香りと肉付き。一瞬で虜になった。空腹ではなかったが、思わず大きく口を開けて飛び込んだ。
肉に食い込む牙の感触。温かく、とても柔らかいその肉は芳醇で、今までに食べたことのない味だった。夢中で何度も咀嚼して飲み込む。美味い、そして足りない。もっと食べたい。もっともっと食べたい。
それからコカトリスはそれまで以上にその場を死守した。今なら本来なら逃げるべき相手であるドラゴンでも立ち向かうことだろう。
しかし、ある時を堺にして極上の肉を食べることが出来なくなった。それまで連日のように食べていたものがない。そしてそれが二日、三日と続くと、とうとう我慢の限界を超えた。
狂った叫びを上げて突進。向こうへ行くことはできない。助走をつけて再びぶつける。ビクともしない。何度も何度も繰り返し体当たりをする。洞窟からは岩がボロボロとこぼれ落ちて今にも崩れそうだ。それでも止まらない。
やがて、空間に小さな小さな穴が空いた。それはコカトリスの爪の先程度の小さなもの。しかし、それだけでも歓喜の叫びを上げて自らの身体を叩きつける。体の各所からは出血しているが、その目は狂気に染まっている。
何度も何度も何度も何度も。そして広がっていく穴。頭ほどの大きさになると、無理やり頭を突っ込む。当然体はつっかえるが、強引に押し込んでいく。執念だ。再びあの肉を食べたい。柔らかく、それでいて程よい食感の極上の肉。簡単に食べてしまっては勿体無い。舌の上で幾度も転がして時間を掛けてじっくりと味わいたい。そのためなら、己の体が傷付くことなど恐れはしない。
やがて、完全にタガが外れた、その食欲と執念が身を結ぶこととなった。
◆
久しぶりに見た兄の姿は、タリアの記憶よりもずっと大人びていた。身長も肩幅も端正な顔立ちも、とても父に似てきていると思った。
自分を見る厳しい視線に、わだかまりは解消していないと覚悟はしていた。しかし、同時に心の何処かで時間が解決してくれたのでは、と期待もしていたのだろう。思った以上にタリアは兄の言葉にショックを受けていた。しかし、ここで嘆いている時間はない。一刻も早く父に会いに行かなければならないのだ。
「それは残念です。それよりも、今は直ぐにでも出発をしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「……来た道を引き返すのならば、引き止めはしない」
敢えて兄の言葉を簡素に対応した事で、逆にウィルネスの言葉など眼中にないと思っている様に取られてしまった。今更吐いた言葉は戻せない。
ウィルネスはこの道を絶対に譲る気がないと言い、道を塞ぐ。任務に加え、タリアへの対抗心で取り付く島もない。説得は無理だと感じた。
一旦引き返したように見せかけて、道を逸れてから領地に入り込めば大丈夫だろう。整備されていない箇所を突っ切ることになるので速度も遅くなるし、見渡しの悪い場所ならばモンスターや盗賊に襲われる危険性も増す。それでも、今この場で押し問答をして時間を潰すよりは早いかもしれない。
「分かりました。では、アティ。引き返すことにしましょう」
「……承知しました」
渋々といった体でアティが頷いた。どう見ても、ウィルネスに対して良い感情は抱いていない。アティは二人の関係性をハルバートから話で聞いていただけなので、実際に目の当たりにして思うところがあったのだろう。タリアの兄でなければ、恐らく今頃スノトラの餌にしていたかもしれない。
アティが馬車の扉を開けてタリアをエスコートする。そして、タリアがその足を一歩馬車に踏み入れた瞬間。それが起きた。
地獄の底から鳴り響くような轟音と、甲高く背筋の寒くなる鳴き声。同時に、体から生気を吸われるような脱力感。魔力欠如の症状だ。馬車の従者や隊で魔力の弱い人間がその場に膝をついた。
「敵襲警戒!」
ウィルネスが叫ぶと、どこからともなくフェンリルの残りの隊員が姿を現して、倒れた者を介護しつつ全方位を隙間なく警戒する隊形を取った。その際に、タリア達一行も守る位置取りをしてくれたのは国民を守る忠義からか。剣を抜き、ある者は魔法を唱えて攻撃や補助魔法の用意を整える。
騒ぎを聞きつけ、馬車の中に居たエメリアとメリッサも外に出てきた。
「なに、今の、鳴き声」
短剣を構えるアティの隣に立つメリッサ。手には既に炎の塊が出現している。二人はまだ、それぞれの精霊を呼び出してはいない。ウィルネスを筆頭に他者が多いためだろう。必要なら隠すことはしないが、無駄に情報をさらけ出す事もない。
エメリアはタリアの後ろに立って、両手で抱きしめている。いつでも結界を張る用意がある証拠だ。腕の中にいるタリアはキョロキョロと周囲を見渡している。
「少なくとも、タリア様のお腹の音ではないことは確かです」
「確かに」
アティとメリッサは軽口は言いつつも、油断なく警戒する。しかし、誰も何も見つけられない。
この場の全員が見渡しても何も見つけることが出来ない。しかし、あの叫びは夢ではない。現に体のダルさは消えていない。もしかしたら、目視できない遠くの地点に何かが出現したのかもしれない。そんな事を思い始めた時、タリアの小さな耳に何かが聞こえてきた。
「何か……羽ばたく音?」
気のせいかと思い、両手を耳に添えて集中する。やはり、何か聞こえてくる。聞き間違えではない。
「……上?」
空を見上げる。何も居ない。聞こえてきた方角を中心に遠くへと視線を移していく。そして、ようやくソレを見つけることが出来た。
空の上に停止する黒い何か。かなり距離があるのでタリアからは黒い物体のようにしか見えない。それでも、何かが空の彼方で留まっている姿は普通ではなかった。
「いました。あちらの方角の空に何かがいます」
タリアの言葉に全員が視線を送る。いた、いるな、と思わず漏れた声が聞こえてきた。
かなり距離が離れている。今いる地点に最も近い場所はもうすぐ辿り着く筈だったハルバートが拠点を構える街だ。そこよりも遥かに遠い場所の上空に陣取っている何か。普通の人間があれ程、空高くに行くことはできないし、そもそも羽ばたきの音などしない。明らかに人外の存在だ。そして、タリアの中ではおおよその予測は立っている。恐らくアティや他の二人も同様だろう。あの種の存在と遭遇するのは、これが二回目となるのだから。
しかし、一方のウィルネス達は魔族に関しての情報は皆無だ。軍人である彼らは訓練として魔物の掃討は経験しているはずだ。しかし、魔物と魔族は根本が異なる。姿形は同列におぞましく、お世辞にも親しみが持てるようなものではない。一方の強さに関しては格段の差が存在する。人間の世界で産まれ育った魔物は冒険者が対応できる程度、つまり人間にも届く程度の強さが多い。当然、中には突然変異のような存在が確認されることもあるが、そのための冒険者ギルドと軍隊だ。いくら強くても集団の数で押せばいつかは倒せる。
一方の魔族は環境が異なる。周囲はすべて同族であり、力が全ての世界。必然的に生き残るのは強いものか、隠密に長けたような存在。それらからすれば、人間界の魔物など一瞥の価値もない存在だろう。これは常識的な知識だが、実際に戦闘を体験しているのと、想像だけの状態で止まっているのでは天と地の差がある。
タリアがハルバートから聞いた話として、彼らに伝えようとした。しかし、それよりも早くあちらが動いた。上空でタリア達のいる方角を見たかと思うと、一度大きく羽を広げ、そして急降下。そのまま加速を続けて恐ろしい速さで近づいてくる。どう考えてもこちらを目指している。
「合図で一斉攻撃。ただし、それまでは絶対に手を出すな」
友好的な接触になる可能性は低いと見て、ウィルネスが判断を下した。しかし、万が一相手に攻撃の意思がない場合。こちらが先に手を出せば取り返しがつかない。無用な戦闘ならば隊の消耗を避けるのは当然だ。
そして、その時が来た。
それはタリアが見てきた中で、最も巨大な生物だった。子供を丸呑みできそうな巨大な鳥の頭に、剣で貫くことができるのか不安になる鱗に覆われた胴体。そして、屈強な大人数人をまとめて薙ぎ払えるような蛇の尻尾。人とは異なる生物。人間があれだけの距離を移動するならば、馬車でも何時間は掛かるだろうが、それを僅か数十秒で息も切らせずにやってのける存在。
臨戦中にも関わらず、何人かの隊員が剣を落とし、魔法を維持できずに膝を付いた。恐怖と一気に強くなった魔力欠如による症状のためだ。何とか耐えている者たちも膝が震えて立っているのがやっとな状態だ。
(これは、前回よりも難敵ですね)
魔族の姿を見たアティは、そう判断した。前回の遭遇戦ではこれ程のプレッシャーは感じなかった。頬を刺す殺気がまったく異質だ。気づけばスノトラと、メリッサの契約精霊である炎を司る鳥のフェニが自ら姿を現している。
「あれは、文献で見た。コカトリス。複数の生物の、特徴を、持つ。毒を吐く」
「それは毒消しや魔法でも浄化が可能な毒なのですか?」
「不明。でも、期待しないほうが良い」
「分かりました。倒せる相手ですか?」
「……不明。生物である以上、殺せる、筈」
取り敢えず、不老不死の化物の可能性は減った。戦いになってもやり方次第では倒せる筈だ。
アティはメリッサに視線で合図を送る。先制攻撃を仕掛けるか否か。これだけの相手に先手を取られた場合に、こちらが防ぐことができるか確信は持てない。ならば、無傷の内に先手を取ったほうが良いのではないか、そんな考えだ。
「我、欲ス」
しかし、化物が人の言葉を喋った。それだけで魔物とは一線を画す。だが、逆にこれは交渉の可能性があることを示した。
「そちらは何を求めるっ!?」
ウィルネスが震える体に鞭打って叫んだ。
「そちらが求めるものを、我々が所持しているのか? 交渉次第では応じる用意がこちらにはある」
「我、欲ス、彼ノ、命ノ源」
再び同じ言葉を繰り返し、そして今度はその指先でピタリと一点を示した。
「えっ?」
その先にいたタリアが自分を指差す。困惑し、左右に移動すると指先もそれを追尾した。軍の面々は公爵家令嬢とはいえ、何故突然出現した化物が一人の少女を要求するのか理解できない。しかしタリアに近く、その秘密を共有する面々は、どこか納得していた。ついに、うちの令嬢は魔族からもご指名が入った、と。
思わぬ要求に二の次を失うウィルネス。だが、代わりにアティが一歩前へ踏み出して叫んだ。
「お断りです。スノトラ!」
「フェニ、行って」
二体の精霊がその牙を剥いた。風と炎の強力な魔法と、岩をも砕く打撃。その強力な一つ一つが連携して繰り出される。魔族――コカトリスにとって、それは不意打ちだったようで、ほんの少しだけ慌てたように後退して回避する。
勝手に戦闘を開始した二人だが、ウィルネスから静止の声は掛からない。存在自体を否定したくなる化物。ソレに要求された妹の命。そして、その従者達の予想もつかなかった戦闘能力。あまりに現実離れした出来事が続き、ウィルネスは無防備にも静観してしまった。
ウィルネスの所属する軍ですら、精霊使いは数える程度しか在籍していない。しかも、契約のレベルが低く、術者の言うことを聞いてくれるかは精霊の気分次第だ。絶対に失敗が許されないような任務では使うことが出来ない。それが、今目の前で繰り広げられる光景では、阿吽の呼吸で動きを合わせている二人と二体。そんな精霊使いを二人も従者として配置する令嬢など、前代未聞だ。
「逃がしません。畳み掛けます」
体勢を整える時間は与えない。未知数の能力を持っていると厄介になる。だからこそ、攻撃をすると決めたら電光石火で決めに行く。二人の気迫に呼応するように激しさを増していく攻撃。風で気流を乱してバランスを崩し、そこに炎の塊が連続で打ち込まれる。徐々にコカトリスの高度が下がってくる。上空では人間には攻撃手段が少ない。だからこそ、相手のホームから引き離すことで戦闘を優位に進めることが可能となる。
「それで、皆様はいつまでご休憩をされているのでしょうか?」
まるで見世物のような光景に呆然と立ち尽くしていたフェンリルの面々に掛けられる叱咤。見ると、タリアを抱きかかえ、場違いな安らぎすら覚える表情のエメリアの姿。一瞬、その笑顔に先程の言葉が聞き間違えかとすら思った。
「アレは我が国の貴族令嬢の命を要求しました。にも関わらず、相手が強大だからと、その従者達に任せきりで良いのですか?」
言われ、ようやく沈んだ心に火が灯った。無理難題な任務はこれまで幾多もこなしてきた。公には出来ない任務で命を落としかけた事など日常茶飯事だ。実際、他の隊では殉職者も出ている。今、この時。自分たちにこれまで以上の危機が訪れただけだ。それに、麗しき女性陣にばかり危険に晒している現状に、軍人として、男としても我慢ならない。
「監視任務を保留とし、最優先で敵モンスターの撃退に入る。U字隊形にて攻撃せよ」
ウィルネスの号令で素早く――それでも、通常の訓練時よりかなり遅いが。配置につく。コカトリスとアティ、メリッサが戦う地点を中心にU字で囲む。包囲網の一部に隙間を作り、そこから相手が逃げ出せるようにしておく。完全に囲ってしまうと決死の覚悟で挑まれる可能性があるからだ。討伐ではなく撃退が目的のための陣形。ウィルネスも目の前の化物を野放しにする危険性は理解しているが、自分たちが全滅すれば誰にも知られすに、アレがこの国を闊歩することになってしまう。可能ならば手傷を追わせて離脱させて、周囲に散らばっている他の小隊を呼び寄せて討伐を行いたい。
隊の魔法使いが一斉に火の攻撃魔法を撃ち放つ。メリッサの炎よりも断然見劣りするが、まともに喰らえば人間に重度の火傷を残す威力はある。アティとメリッサに気を取られていたコカトリスの羽に命中した。血走った目で睨みつけられ、魔法使いの隊員が一歩後ずさるが、膝は着かなかった。魔法を使用したため、魔力欠如の症状は酷くなったが、それでも耐える。耐えられる。
視線だけとはいえ、相対する敵から視線を反らしたコカトリス。その隙をアティとメリッサが逃す筈がない。スノトラとフェニに命じて強烈な一撃を反対側の羽に叩きつけた。
憤怒と激昂の叫びが上がる。その表情で魔法使いを見たら今度こそ腰を抜かしただろうが、幸いにもその先はアティとメリッサの精霊組だ。攻撃はコカトリスの片側の羽をもぎ取ることに成功し、無残にも燃えながらすっぱりと切り落とされていた。
「これで空から攻撃されることはありません。しかし、再生される可能性が高いので、早い内に殲滅しましょう」
「憂いは、断つ」
いけるかもしれない。撃退どころか、討伐も見えてきた。敵からの殺気と感じる恐怖には衰えはない。逆に増す一方だ。しかし、追い詰めている状況に、ほんの僅かに心に油断が生まれる。油断と言っても少しだけ肩の力が抜けた程度。それでも、それはこの場の者たちの運命を変えた。
口元から垂らしたヨダレを撒き散らしつつ、大きくコカトリスが吠えた。包囲した面々が構える。そう、構えてしまう。どのような攻撃を繰り出しても、盾や魔法で防御できるように構え、警戒して後退することをしなかった。もし、最初の警戒を維持していれば、コカトリスが何かを繰り出そうと予想して別の選択をしたかもしれない。だが、彼らはそれをしなかった。
一際大きな遠吠えを発すると、周囲を睨みつけるコカトリス。その目は直前と異なり、禍々しく紫の魔力を帯びていた。一体、何を。と思うよりも前に、それは起こった。
コカトリスの眼から強力な魔力が照射される。まさか眼から魔法を繰り出すとは思っていなかった者たちは、避けることもできずに無防備にソレを浴びてしまう。
「なん……だとっ!?」
咄嗟に盾を前面で展開したウィルネスの、呆然とした台詞。その手にしていた隊の剣士が使用する盾が。色あせていた。いや、色だけでない。質感もより固くなり、重さも増している。石化していた。
「うわっ!?」
「腕がっ!? おれの右腕が!!!」
「くそっ、完全に石化してやがる!」
ウィルネス同様に運良く盾だけで済んだ者が石化した盾を取り落とす。運悪く避け切る事が出来なかった者が自らの身体を確認して嘆く。物言わぬ完全に石化した仲間に駆け寄る者。主に魔法職の者が完全に石化した割合が多かった。
「完全に石化した者を退避させろ!」
石化しても即死するわけではない。徐々に外側から体を蝕み、やがて心の臓まで石化が進んで初めて命を落とす。意識はあるのに、動くことも喋ることもできずに死にゆくのは相当な恐怖だろう。しかし、解除できないわけではない。特殊な魔法使いや、魔法具で解除ができるが、手配に時間がかかる。最も早い解決方法はコカトリスを倒すことだが、一気に激減した戦力ではそれも難しい。これで撤退を許容する事はできず、完全に殺すしかなくなった。
そして、これまで追い詰められていたコカトリスがこの混乱の機を逃す筈がない。存在を知らしめるようにして力強く地面を踏み鳴らす。石化した仲間を運ぼうとしていた者がビクリと肩を震わせ、コカトリスを見る。
「あ、ああ…!?」
「逃げろっ!」
ウィルネスの言葉は石化した仲間を見捨てて離れろというもの。しかし、見捨てることを拒んだのか、それとも改めて認識した恐怖に足が竦んだのか。その場に石化したように呆然とする。
コカトリスがグワァッとひと泣きして、その蛇のような尻尾を振り上げ、そして振り下ろした。太い木の幹も容易く折るその威力は、立ち尽くす男を鎧の上からいとも簡単に捻り潰し、さらにはその後ろにある石化した者をバラバラに砕いた。外側の石化した部分と、内側のまだ生身であった部分が入り乱れ、直視できない光景。同じ釜の飯を食べ、厳しい訓練に耐えてきた仲間が二人、いとも簡単に命を散らした。しかし、他の面々は怒りを感じても仇に打って出ることはできない。同様の運命を辿る可能性がある者は他にもいるのだ。
「私が時間を稼ぐ、一秒でも早く離脱しろ!」
重く、使い物にならない盾を投げ捨てるウィルネス。時間を稼ぐといっても、策があるわけではない。幸い、先程の石化魔法は連続して放っては来ない。しかし、いつまたそれが来るのかは分からない。兎に角、目の前の化物の意識を自分に集中させるしかない。そうすれば、最悪自分一人のみの犠牲で抑えられるかもしれない。当然、逃げた者たちを追撃する可能性は残るが。
剣を正面に構える。いつでも切りかかり、または迎撃ができる体勢。その剣先は僅かに震えている。
しかし、
『全く、僕の自慢の尻尾があんまりじゃないか』
そんな言葉と共に、上空から何かが飛び込んできた。舞う埃塵。一瞬、視界が失われる。ようやく晴れた後に恐る恐る見ると、一体の精霊の姿。茶色の長い毛並みに、巨大な体。風を司る精霊スノトラ。それが長い尻尾を地面に叩きつけたのだ。本来なら柔らかい尻尾なのだが、先程の石化魔法を浴びたようで、それは完全に石化しており、ブンブンと振られる尻尾はいつも以上に凶悪な印象を与えた。
『こんな愚行をしてくれた愚か者には、それ相応の罰を与えなくちゃね』
鼻にシワが寄り、口元から鋭い牙が見え隠れする。漏れ出した魔力は風となってスノトラの周囲を舞った。
『さあ、行くよ? その禍々しい頭を存分に切り刻んであげる!』
スノトラがコカトリスに勢い良く飛びかかった。




