第十三話 令嬢、新しい畑に行く
第二章になります。
静かな風がタリアの青髪を揺らす。目を瞑り全身で風を感じていたタリアがゆっくりと目を開いた。一面に咲く白い花。遮るものがないパノラマは壮大で、そして足元に咲く数え切れない花々もまた、風に揺られて花びらを宙に放っている。
(此処はどこ?)
既に今の空間が予知夢なのは確信している。しかし、今自分が立ち尽くす場所は何処だろうか。見渡す限り続く草原。そして咲く白い花々。風に吹かれて飛んでいく花びらはまるで雪が舞うようだ。周囲には誰もいない。記憶をひっくり返すが、思い当たる場所はなかった。
散策しようと足を踏み出す。が、動かない。まるで地面に貼り付けられたかのようだ。仕方なく舞っていた花びらを一枚捕まえた。
(小さくて、綺麗な花)
普段はそれ程花に興味がないタリアが、素直に感じた感想。思わず掌に置いて見続けた。
(…雨?)
そこに一粒の水滴が落ちた。慌てて空を見上げる。夢なので風邪を引くことはないのだが、普段の習慣からだ。しかし、見た先は青空が広がっており、雲一つない。遠くに微かに見える雲は風に流され、やがて見えなくなった。
気のせいかと思い、再び視線を落とす。そして、再度落ちる水滴。やがて、気付いた。
(私が…泣いているんだ)
理由は分からない。しかし、両目からは取り留めもなく涙が溢れかえり、次々とタリアの掌を濡らしていく。体に痛みがある訳ではない。悲しいことがあった訳でもない。それなのに、止まること無くタリアは泣き続ける。
胸に走る痛み。歯を食いしばり、顔を歪めて耐える。怪我はない。しかし、胸内からせり上がってくるかのような熱い痛み。これには覚えがあった。感情の痛みだ。昔、予知夢で繰り返された眼の前で起きる惨劇。それを見ることしか出来ない自分。目を覚まし、無力な自分と理不尽な世の中を呪って泣いた頃の痛み。
我慢していたが、嗚咽すら聞こえてきた。既に視界は歪みほとんど見えない。両手で涙を拭うが無駄だった。
(こんな予知夢は…嫌だ)
悲しみなんて嫌だ。笑っていたい。涙なんて嫌だ。楽しんでいたい。だからこそ、こんな未来は変えたい。
決意し、ゴシゴシと目を袖で拭う。きっと、目はウサギのように真っ赤だろうが気にしない。そして決意を示すように大きく息を吸い、お腹に力を入れて大声で叫ぼうとした時。
突風が吹いた。
巻き上がる花々に目を細める。口に入らないように固く結ぶ。しかし、意識とは反対に口元は緩み、そして静かに漏れる自らの言葉。
「―――」
(えっ!?)
そして視界は花々に埋め尽くされた。
◆
「…重いよスーさん」
タリアが目を覚ますと、首元に精霊スノトラの分霊であるスーさんが乗っかって眠っていた。ふさぐさとした毛並みが頬を撫でてこそばゆい。まだ眠っているスーさんの口からはクークーと小さな寝息が聞こえてきた。
「お早うございます、タリア様。今日はまた面白い寝方をされておりますね。ひょっとして、夜中は寒かったでしょうか?」
視線だけで横を見ると朝支度の道具を手にしたアティが近寄ってきた。椅子が置かれているので、タリアが目を覚ます前には部屋にいたのだろう。
「おはよう、アティ。取り敢えず、スーさん退かしてくれないかな?」
「そんな、私にこんなにも可愛らしい生き物が眠るのを邪魔しろと仰るとは…タリア様もなかなか酷なことを」
言いつつ、アティはタリアの上で眠る茶トラの猫の姿をした分霊スーさんをひょいと抱き上げた。当然、スーさんは目を覚まして眠たげに『なー』と鳴いた。小さな口を大きく開けて欠伸もしている。
「寝る時は外に出ていなかったのに、なんで外にいるのかな?」
「実は、私が先程呼び出してタリア様の首元に放ちました」
「…」
「最初は顔横で眠っていたのですが、タリア様が『これ美味しい~』と寝言を仰った後にスーさんの尻尾に噛みつかれたのです。何が美味しかったのでしょうか?」
「…串焼きじゃない?」
タリアの適当な回答にアティはふむふむと頷いた。しかし、スーさんが本物の猫で無くて良かった。本物ならば今頃タリアの口中は毛だらけの筈だ。
「なるほど。その後、スーさんは噛まれないようにタリア様の首元に移動して眠っておりました。暖かかったですか?」
「暑重かったよ…」
「では、お着替えを致しましょう」
取り敢えずタリアはアティの言われた通り大人しく着替えることにした。
いつもならアティの軽口にもっと気軽に応対していたと思う。しかし、今朝は調子が沈んでいる。理由は明確だ。あの夢の内容が影響している。久々に胸に訴えるかのような悲しい印象を受けた。夢の中で誰かが酷い目に合う光景を見たわけではない。自分がただ涙を流していた光景だ。
「ねえ、アティ」
「何でしょうか?」
テキパキとタリアの身支度を整えていくアティは、手を止めずにタリアの言葉を待った。
「聞いてもいいかな?」
「今朝の予知夢のことでしょうか?」
「…分かる?」
「少々うなされておりましたから」
だから態々スーさんを使ったのかとタリアは思った。
タリアが予知夢でうなされる事など珍しくはない。しかし、心配してアティが直接タリアを起こせば、タリアが夢の内容を話す流れになる。もしも、タリアが言いたくないような内容だった場合。アティは無理矢理には聞こうとしない。タリアが話そうとするまで待つ。だからこそ、間接的にスーさんでタリアを起こしたのだろう。むろん、アティが聞くべきと判断した場合には、タリアが話さざるを得ない状況に持って行かれるが。
タリアは目を瞑り、少しでも内容を思い出すように話した。
「初めて見る場所で、見渡す限りの草原だったよ。あと、辺りには小さな花が一杯咲いてるの。それで、何故かすっごく悲しかった」
正直、話している自分でさえも疑問を抱く。この何処に悲しむような要因があるのだろうか、と。
いつものアティなら『ピクニックで美味しい料理を地面に落としてしまったのではないでしょうか?』などと茶化すが、今は真面目にタリアの言葉を吟味している。
アティはしばらく考え込み、やがて小さく息を吐いた。
「申し訳ありません、タリア様。私では力になれそうにありません」
そう告げるアティは本当に己の無力さを呪っているかのように悔しげだ。
「気にしないで、アティ。私はそれだけ真剣に心配してくれるだけで十分だから、ね?」
「いえ、ハルバート様やイリス様にもお聞きしましょう。それに、メリッサ様やエメリア様。花一面の草原でしたね。でしたら、街の花屋の主人に聞き込みを―」
「アティ。落ち着きなさい」
冷静な口調でまくし立てていたアティの顔を優しく包む。十二歳で小柄なタリアと二十歳のアティ。身長の差は歴然でタリアはベットの上に立ち、さらに背伸びをすることで、ようやくアティの視線に自分の目線を並べることが出来た。
「大丈夫。夢では誰も傷ついていなかったわ。当然、私も。ただ何故か夢の中では悲しかったの。だから危機が迫っているわけではないから大丈夫」
「…本当でしょうか?」
「本当、本当!」
むん、と力こぶを作るように元気を示すタリア。ようやく、アティは表情を和らげた。
「では、もし他にもありましたら仰って下さい」
「うん、分かった。それより、時間は大丈夫? いつもより準備に時間が掛かっちゃってるけど」
「…っ!?」
いつの間にかアティの手が止まっていた。いつも比較的ギリギリまでタリアが眠るため、少しでも準備が遅れると朝食の時間に間に合わなくなる。アティの珍しい焦る姿を見つつ、タリアは完全に身を任せる。こういう時は余計な動きはアティの妨げをしてしまう。
(そういえば…)
ふと、思い至る。
夢で最後に自分が発した言葉は何だったのだろうか。最後の最後で自然と漏れた言葉。しかし、それがどうしても思い出せない。あれ程悲しい印象を受ける夢で、目を瞑れば光景を鮮明に映し出すこともできる。それでもそこだけが抜け落ちたように欠落している。記憶に残らないような些細な事なら良いが。
準備が整った旨を伝えるアティの言葉に、タリアは一株の不安を心の隅にそっと追いやった。
◆
レオン、厳密にはレナが発端となった魔族危機の事件から一ヶ月が経過した。あれからタリアの生活は平穏そのもので、望むような少し頑張り、大きく怠ける時間を過ごしていた。
姉のアネッサの調子も良いようで、以前は共に食事ができる事が珍しかったが、最近は一日置き位で共に食事ができた。そのため、食事の時間が倍待ち遠しくなった。
しかし、不満もある。少し前から父ハルバートが不在なのだ。騒動で隣領地の領主であるスタブが殺されたため、次の領主が王都から派遣されるまでハルバートが領主代理として旧ヴックヴェルフェンへと赴いているのだ。仕事で王から直接頼まれた事とはいえ、不満は不満である。タリアの平穏な生活とは、家族がみんな揃って美味しい物を食べ、楽しく過ごすことなのだ。ハルバートから時折送られてくる手紙には、当初の予想通りスタブはまともな領地運営をしていなかったようで、かなりボロボロな状況だと愚痴が書かれていた。次に帰ってきたときには思いっきり甘えてあげようと思っている。
朝食後、午前中の予定が始まるまで時間があると分かり、タリアは迷わず屋敷の庭へと出向いていた。
タリアの住むグランドール家の屋敷は街で最も広い敷地面積を持つ。領地で最も権力があるので当然とも思えるが、貧乏貴族のような領地では一番の商人のほうが資産を持っているケースもままある。中には、それでも面子を重視して外面だけを整える貴族もいるが、そうなれば当然細かな部分までは手が回らず、特に庭の見えない箇所など雑草が生えっぱなしになっているなど、目も当てられない状態になっている。
しかし、ハルバート家は違う。広い庭の中央には門から屋敷へと続く道が伸びており、その両サイドには念入りに手入れされた草花が咲き誇る。当然のように置かれている噴水は飲んでも問題がなさそうな透明度を誇る。
そして、それらを手入れするのは専属で雇っている庭師達。それも一人や二人ではない。常時五人以上の庭師が所々で丹念に手入れをしている。実は彼らの中には元冒険者もおり、最近ではレナの襲撃の傷が元で引退した者も幾人か庭師兼見回りの警備として準じている。庭師を何十年も経験してきた小柄な老人に、体つきの良い元冒険者が怒られている光景は奇妙の一言に尽きる。
「まあ、アティ。ほらあんなにも綺麗な花が咲いていますわ。庭師の皆さんのお陰ですわね」
花よりも団子なタリアだが、何処で庭師が見ているか分からないので外面モードだ。後ろに控えるアティは『そうですね』と無難な返事を返していた。
「タリア様、お早うございます」
「お早うございます。朝早くから、ご苦労様です」
「は、はいっ! 頑張ります!!!」
すれ違った年若い庭師に挨拶をしつつ、目的の場所へと向かう。タリアが通り過ぎた後、背後から『お嬢様に挨拶されちまった!』と叫びが上がったが聞かなかったことにする。
屋敷から門へと続く道を通り、途中にある噴水も横切る。タリアとしては、キレイな噴水よりも魚の養殖ができる生簀が欲しいのだが、貴族屋敷に生簀は恐らく世界の何処にも存在しない組み合わせだろう。しかしいつか実現したいものである。
そして門の前まで来ると、外には出ずに屋敷の壁に沿って道から外れた。普段は人が入らないような場所なので他の場所よりも雑多としているが普通に通ることはできる。慣れた足取りで進み続け、ようやく辿り着いた場所。屋敷の各部屋の窓からも死角となり、こちらが見つかることはない。庭師やメイドも普通は通らない。そんな空間に突然現れたのは畑だった。
「みんな、元気かな~」
スキップする勢いで畑に駆け寄るタリア。畑にしては小さく狭いが、それでも幾つもの野菜がスクスクと育っている。そう、これは二つ目のタリア専用畑だったのだ。
以前の村でコッソリ栽培していた畑がレオンによって荒らされた後、タリアは後悔した。何故自分は彼ら(野菜たち)を守ることができなかったのだろうか、と。寝込む程後悔し、反省し、そして思い至った。警備が甘い場所だから駄目なのだ。ならば、警備が充実している場所に畑を作れば良いじゃないか。そうだ、自分の住む屋敷には庭があるじゃないか。警備もあり、収穫も近いので楽々だ。うん、作ろう。
そうして、魔族事件の事後処理に忙殺されるハルバートに、ドサクサに紛れて畑を作る許可を得たタリアは、アティを筆頭とした信頼できる者たちと共に、新たなユートピアを作り出したのだ。当然、庭師の何人かには話を通してあり、タリアが不在の場合でも手入れが行くようになっている。完璧である。
当然、タリアの目的は野菜を収穫して美味しく頂くこと。庭師たちには『私達が口にする野菜を作って下さる方々の苦労を知っておきたいのです』と話してある。
「スティーブ、アンジー、ポニー。うん、みんな元気だね」
「本日は収穫されますか?」
タリアの首を捻りたくなる命名を聞き流しつつ、手に籠を持ったアティが聞いてきた。
「うーん、できると言えばできるけど…もう少し大きくなってからのほうが」
ぶつぶつと真剣に考え込むタリア。この位自室でも真面目に生活してくれると良いのだが、とアティはコッソリと心で愚痴を漏らした。




