おまけ 令嬢、特訓する
これはタリアが巻き込まれた一連の騒動が収束してからしばらく経ってからの日のこと。
タリアが一日の予定をすべて消化し、夕食を終えて自室で寛いでいる時。アティはしばらく席を外し、部屋に一人だけとなった。なんでも、夕食後にハルバートから呼び出しを受けたらしい。タリアの側からアティが離れることも珍しいが、その間に代理の者がいないのはもっと珍しい。
これ幸いと、ベットに大の字に寝っ転がり、両手で本を持ち上げて読みふける。今読んでいるのは、『令嬢の友』というタイトルの本で、所謂婦人誌の令嬢版である。国が定期的に発行する貴族令嬢向けの本であり、一冊一冊が手作りであり、かなり高価だ。内容も何処かの領地の特集や、結婚、婚約に関する通達。令嬢としてのマナーから近隣国の最低限の情報など様々である。その価格と内容から貴族のみに販売されるが、購入にも家格による制限が掛けられており、男爵家ではまず入手不可能である。この本を購入できることが、その家のパラメータでもある。
さらに、本の表紙は毎回一人の令嬢が高名な絵師によって写生されており、ここに載るのは全令嬢の夢なのである。ちなみに、タリアは載ったことはない。何度も打診を受けているが、本人の乗り気のなさもあるが、ハルバートがバッサリと話を切り捨てているのだ。曰く、他の貴族家の男どもに愛娘の姿を晒すなど、王や神が許しても、自分が許さない、と。
「おおー、あそこのご令嬢がついに婚約かー。げげ、お相手は噂の伯爵様か。うーん…。色々と女性の噂が絶えない人だけど、大丈夫なのかなー。でも、このご令嬢も結構歳だし…。まぁ、アティよりは年下だけどねー。うぷぷー」
パタパタと足をバタつかせる。スカートがめくれ、きわどい部分まで見えてしまうが、部屋には自分一人である。問題ない。いっそ、窮屈な令嬢ドレスは脱ぎ捨ててラフな格好でゆっくりしたいものだ。タリアはいつも自由を求めているのだ。
「ふふ、随分と楽しそうな記事を読まれているようですね」
タリアの時が止まる。いつの間に部屋に入ってきたのか全く気付かなかった。恐る恐る見ると、ベットの側に聖母のような笑みと、大魔王の雰囲気を出すメイドがいた。これはヤバイ。軽く十回は死ねる雰囲気だ。
「あ、アティの魅力に気付く男の人が現れていないだけで、その…アティはとっても魅力的な女性だよ? 私が男の人だったら、もう一発でメロメロだね! メロメロ! 結婚して下さい!」
「止めて下さいタリア様。傷口に塩を塗られてヤスリで削られている気分です」
目を伏せ哀愁漂うアティに、タリアは話題を変えることにした。
「そ、そういえばお父様は何の話だったの? 何か問題?」
「……実は、タリア様の特訓をお願いされました」
「特訓?」
何とか気持ちを切り替えたようで、負のオーラが消えたアティ。そんな彼女がタリアの目の前に一本の瓶を差し出した。手のひらに乗るサイズで、キレイな赤い瓶をしている。中には液体が入っているが、瓶の色で液体の色は分からない。
アティの手から受け取り、軽く降ってみる。粘度は高くなく、まるで水のように揺れている。
「なにこれ?」
「ハルバート様の酒造コレクションの中から、最も弱いものをさらに水で薄め、メリッサ様の渾身の火魔法で酒分を蒸発させた、タリア様特性の対魔力酔い特訓用飲料です」
「つまり?」
「極度に薄いお酒です」
そう言いタリアの手から瓶を取り戻し、近くのテーブルに常時置いてあるコップに瓶の酒を少し入れる。さらに、水差しから水を並々入れた。割合としては、水が九に酒もどきが一だ。
「さあ、どうぞ」
そのコップをタリアに渡すアティ。当然だが、成り行きについていけないタリア。素直に受け取るわけにはいかなかった。
「せ、せめて説明を~」
「私、ベットではしたなく寝転がり、際どい格好で雑誌を読み、さらには人の年齢を笑うご令嬢に説明できない病気に掛かっておりまして」
まだ根に持っていたようだ。
「……ごめんね?」
胸の間で手を合わせ、可愛らしく謝るタリアに、アティはようやく怒りの矛先を下ろした。
「先日、タリア様が魔力を酷使した際、ひどい魔力酔いに陥ってしまわれました」
ハルバートを救うため、タリアが魔力補充電池になった時のことだ。体調不良かつ急激な魔力消費かつ急激な魔力回復の波で、酷い魔力酔いに陥ったタリアは、盛大にアティにぶっ掛けた。タリアとしては、あまり記憶にないが、その場にいたエメリアやメリッサに聞けば、それは相当だったらしい。アティには怖くて聞いていない。
「今後、タリア様が成長されていけば酔いにも耐性が付くでしょうが、万が一先日のような状況になった場合を考えまして、擬似的に魔力酔いになり、体を慣らすようハルバート様が指示されました」
「それで、お酒?」
「はい」
「確かに、酒酔いと魔力酔いは症状が似ているけど、本当にそれで耐性が付くのかな…」
胡散臭そうにコップを見るタリア。瓶の中身は薄い酒で透明無臭だった。それをさらに水で薄めているので、見た目は完全に水である。
「万全を期して、明日はタリア様のご予定が完全にフリーとなっております。万が一、タリア様のダムが決壊しても、ここは自室です。他の者に目撃される心配もありません」
「令嬢として、それはどうなんだろうね」
「普段の自室でのタリア様からしてみれば、どうってことありません」
ここなら着替えも沢山ありますし、と言うアティ。飲む本人としては全然大丈夫ではないのだが、父が指示を出している以上、これは必要なことなのだろう。タリアの社交デビューには、格式の高い家々が集まると思われる。その中には王族も含まれる。そこで盛大に水芸を披露するわけにはいかない。万が一、そんなことになれば代々伝わる黒歴史となり、最悪タリアは国外逃亡することになる。万年引きこもるならまだしも、生活基盤のない他国での永住など御免だ。
「んじゃ、まあ。取り敢えず一口」
恐る恐るコップに口を付ける。飲む直前になっても液体からは匂いすらしない。少し口に含む。味もしない。モゴモゴと口で味わうようにして転がすが、それでもただの水にしか思えない。意を決して飲み込む。喉が焼けるような熱さも、食道の位置が分かるような焼ける感覚もない。ただの常温水を飲んだとしか思えない。
「うーん、本当に水を飲んでいるみたいだね。体の調子も特に変わったこともな――」
◆
数年に一度の割合で発生する虫による農作物の被害。異常発生した虫が集団で移動し、その道中に生息している植物を手当たり次第食べ尽くす。荒事に慣れている筈の冒険者もただ過ぎるのを待つしか無い。高度な魔法学を学んだ王都の魔法学校を卒業した魔法使い、精霊と共にいる精霊使い。噂に聞く事がある、独自の魔法体系を構築しているエルフでさえも、その災害の前には無力だった。
嵐が過ぎ、荒れ果てた田畑を呆然と立ち尽くす農民たち。越冬するための食料はもちろん、明日食べるものすらも失った絶望で、泣くこともできない。
「彼らはその時、こんな感情を抱いているのでしょうか……」
普段はどんなに忙しくても、涼しい表情で仕事をしていくアティ。外向けタリアの大変な仕事をサポートし、内向けタリアの自堕落なワガママ大合唱にも耐えられる。そんな完璧超人メイドのアティが、非常に乱れていた。髪の毛は飛び跳ね、まるで寝起きである。メイド服は新しいものだが、所々ほつれており、スカートも若干ズレ落ちている。そして、彼女以上に乱れている部屋全体。
『ひゃっはー』
と令嬢とは思えない叫びを上げて暴走したタリア。花瓶の水を飲もうとしてアティに阻まれ、ベットにダイブして掛け布団を体に巻きつけて『タリア巻~』などと、それはもう楽しそうに遊んでいた。整理整頓されていた本棚からは本が乱れ落ち、さながら地震直後のようだった。事実はタリアが本棚によじ登ろうとしてアティに羽交い締めにされた際に引っ掛け落としたのだが。
「まさか、ここまで酷いとは……」
途中から自分だけでは手に負えないと判断して助っ人を呼んだ。内モードのタリアを知る数少ない人物であるエメリア、メリッサの二人である。エメリアは教会兼孤児院に住んでいるが、定期的にタリアの元に通っている。名目上は領主貴族と教会との関係維持となっているが、その実はただのお茶会である。翌日がタリアの休息日ということは事前に伝えてあったので、この日は泊りがけで訪れており助かった。
メリッサはタリアの正式な側近となってからは、屋敷に部屋を構えている。そのため、暇な時は頻繁にタリアの部屋に入り浸っている。といっても、二人でゴロゴロしてアティに怒られてばかりだ。
そんな二人は既にタリアの魔の手にかかっており、早々に地に落ちた。
「エメリア様、そんな格好で寝ますと、お体に悪いですよ」
「ううーん。タリア様ー」
上半身を完全にさらけ出した状態で眠るエメリア。これでも教会に所属する重責の孫娘であり、本人も聖女と呼ばれる程の人格者である。出会った当初からタリアに非常に好意を抱いており、義姉妹の約束を交わした程だ。そんな彼女がなぜ上半身マッパなのかだが、原因は漏れなくタリアである。『ふへへ、エメリアお姉様のお胸~』と叫び、ダイブ。避けるわけにはいかないエメリアを良いことに、思う存分その大きさと柔らかさを堪能し、『服が、服があると正確な情報を測れない!』とついには器用にエメリアの服を脱がせてしまったのだ。そして、直測りである。流石に止めようとしたアティだが、エメリアが満更でもなさそうなのと、矛先が自分に向くのを警戒して沈黙した。アティもエメリアに負けず劣らず、なかなかの持ち主なのである。
エメリアが目を覚ます様子がないので、とりあえず毛布を上半身を隠すように掛ける。
次に、同様に転がっているメリッサに声を掛けた。
「メリッサ様、起きて下さい。流石に同じ女性として、それはどうかと思います」
メリッサは全裸だった。メリッサはマッパだった。
メリッサは一糸厭わぬ姿で、その豊満な胸と、適度に引き締まっている腰のくびれを全開で寝入っている。隠すためのタオルや、ジャストな位置に配置されている本やコップ、葉っぱなどもなく、当然謎の黒や白の光や湯気は皆無だった。
メリッサも毛布で必要最低限重要な部分だけを隠す。その周りには空き瓶が転がっている。タリアが飲んだほぼ水とは違い、メリッサが持ち込んだ本物の酒である。タリア同様に、明日が完全にフリーなメリッサも、自室で晩酌を楽しんでいたようで、ここに来たときには少しだけ酔っていた。そして、その手には封を開けたばかりの瓶。それを目ざとく見つけたタリアが、素早く奪い取り、さらにはコアラのようにメリッサをよじ登って行った。そして、酒口を勢い良くメリッサの口に差し込み、グルングルンと瓶を回して強制的に飲ませた。アティはタリアの付き人としてそれなりの年月を働いているが、ここまで素早い動きを見せたタリアは初めてだった。
そして、良い感じに急激に酔っ払ったメリッサに、小悪魔のタリアが告げたのだ。
『メリッサ様、あなたはもっと精霊を上手く使役することができる筈です!』
『本…当?』
『良いですか? 精霊とその術者が心を交わすことが今より上手くなれば、必然的に力も増します』
『フェニーと…心を…交わす…』
『そう、それさえできれば、より高みへと昇っていける、ハズ!』
『でも…どうすれば…』
『簡単よ。服を脱ぐのよ!』
『…なぜ?』
『貴方の精霊は服を着ているかしら?』
『っ!?』
『そう、着ていない。メリッサ様は着ていても、精霊は常に全裸。つまりすべてを曝け出している。なのに、あなたは服という心の壁を作り、心が交わるのを否定しているわ』
『そん…な』
『だいじょーぶ。今からでも遅くはないわ』
『頑張…る』
『ちゃんと上も下もすべてよ! 羞恥心は敵よ! レッツ、オープン、ユア、マインド!』
『が…ん…ばる』
以上がメリッサが全裸へと至った経緯の全てである。さり気なくメリッサの精霊の名前が言及されたのだが、タリアは暴走中なので聞いてもいなかった。
タリアに騙され、踊らされて産まれたままの姿になったメリッサは、やがて本格的に酔っぱらい、そして地に伏した。アティが頼った助っ人は瞬く間にタリアに無力化されてしまったのだ。恐るべき戦闘力である。ちなみに、自身の精霊であるスノトラにタリアを任せようとしたのだが、呼びかけに応じなかった。ひどい目に合うと本能的に悟ったと思われる。契約をしている筈の精霊にも見捨てられてしまった。
残るは自分のみ。エメリアとメリッサの惨状を見ると、自分も碌な事にはならないだろう。
「いっその事、軽く絞めて落としてしまいましょうか」
どうせ、起きたら覚えていないだろうし、目撃者もいない。だんだんと、そのプランが魅力的に思えてきた。これは不可抗力であり、主の醜態を止めるための最も効率の良い手段なのだ。うん、それが良い。
思考にふけっていたアティが振り向く。メリッサが轟沈してからやけに静かで不安になったのだ。もしもアレが部屋から外に出た時には、この屋敷は終末一直線である。しかし、幸か不幸か。アティの覚悟した最悪は回避できた。
「……眠っているようですね」
ベットの上。それも、普段眠る中央ではなく、本当に端っこを陣取るようにしてタリアが眠っている。手足を抱え込むようにし、キレイにうつ伏せで丸まっている。まるで猫が寝ているようだ。さらにタリアの背中にはいつの間にか現れたスーさんが同様に丸まって寝ている。そして、その背にもピーちゃんが寝ており、タリア、スーさん、ピーちゃんの三段重ねとなっていた。
近づくと小さな寝息が聞こえてくる。この様子なら朝まで目を覚ますことはないだろう。
「やれやれですね。酒癖が悪いにも程があります」
起こさないよう毛布をかぶせる。見回せば惨状が確認できるが、流石にこれから片付けをする体力も気力もない。明日の朝に同僚と協力して片付けをするのが良いだろう。ハルバートへの経過報告もその後となる。万全を期したと思っていたが、とんでもない。敵は安々とこちらの予想を上回ってきた。作戦を練り直す必要がある。取り敢えず、今回はここまでだ。
「では、皆さんお休みなさい」
タリアのベットに潜り込み、目を瞑る。貴族用のベットは高価な分、寝心地も最高だ。自分が使っているものとは天と地の差がある。今日くらいはこの位の役得があっても良いはずだ。タリアに見つかったとしても、苦言など言うとは思えない。逆に一緒に寝たがるだろう。その時はその時である。
やがてアティからも寝息が聞こえ始め、四人と二匹は朝まで目を覚ますことはなかった。
翌朝。惨状を聞いたハルバートが、頭を抱えたのは言うまでもない。そして、セクハラの数々にエメリアは兎も角、メリッサはタリアとの食事に警戒するようになり、酒が出ようものならウサギの如く逃げるようになったという。そんなメリッサの様子に、タリアは不思議そうに首を傾げて見送っていた。本人は完全に覚えていないようである。
騒がしくも楽しい日々。アティはタリアがこんな日々をいつまでも謳歌してくれることを、心の底から願った。
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