第十一話 令嬢、酔っ払う
気付くとタリアは粗末な部屋の椅子に座っていた。
部屋にはほとんど物がなく、あるのは今座っている椅子と古めかしいベットのみ。本棚はおろかテーブルすらない。何故自分がこの様な場所にいるのか。記憶を辿るが、何も思い至らない。覚えているのは屋敷でスタブを拘束し、その後自分の部屋に戻って寝直した所まで。その後は現在まで目を覚ましていない筈だ。だとすると、誰かがここまで運んだのか、夢遊病で無意識に移動したか。
それか、
(夢か)
試しに自分の頬をつねってみる。痛みはない。これは夢だ。普通の夢と異なり、まるで現実世界にいるように鮮明な光景。これで痛みも感じる事になれば、本気で誘拐されたとしか思わないだろう。
夢ならば危険を考えずに行動できる。椅子から飛び降り、一直線に部屋のドアを目指す。ドアは鍵も掛かっておらず、簡単に開いた。
「ああ、リラ! お願い目を開けて! お母さんにもう一度話しかけて頂戴!」
視界に飛び込んできたのは、教会の礼拝堂の中央で泣き叫ぶ女性の悲痛な声と姿。床には毛布で包まれた何かが置かれている。そして、彼女はそれに覆い被さる様にして泣き喚いている。その周りには痛ましそうに見守る幾人かの人。
タリアは少しだけ状況に驚いたものの、直ぐに落ち着く。母親の言動から状況を把握した。恐らく子供が亡くなった。嘆かわしい事だが、タリアは予知夢で人の死に慣れ過ぎている。既に動揺は収まった。
近寄って良く観察する。当然、誰もタリアには気付かない。タリアが声を掛けても、その声が彼らに届くことはないのだ。
彼らは見覚えのある人間ばかりだった。父親であるハルバート。教会の責任者となったエメリアと、自分の従者であるアティ。そして、母親の背に手を置き、慰めながら自身も涙を堪らえようとしている男、レオン。
(だとすると)
泣いている母親を確認する。伏せており、顔が見づらい。何とか覗き込むようにして確認した。予想通りレオンの妻であるレナだった。彼女が揺り動かす毛布の端からは見覚えのある顔が見え隠れてしていた。本来ならば、馬車に轢かれて命を落とす筈だったクリス。現実では死を回避し、元気に過ごしてる筈の少女だ。肌は青白く、動く気配はない。明らかに息を引き取っている。
状況が見えてきた。ここは、クリスが命を落とした世界。ハルバートがクリスの両親と対面して謝罪を行う所。
「リラ、リラ! うぅ…」
「レナ」
泣き崩れるレナを、レオンが気遣うようにして支える。傍から見れば、娘を亡くした悲中の両親。悲しみに暮れる妻を、己の感情を押し殺して支える夫だ。本当はレオンがクリスとは血縁どころか、顔見知りでさえ怪しいと思っているタリアからすれば、彼の言動は滑稽な演技にしか見えない。しかし、事実を知らぬ者達からすれば、レオンとレナは子供を亡くして嘆く両親であり、そんな二人を見る皆の表情は哀しげだ。特に二人の娘を持つハルバートは一層やるせない表情だった。
「すまない、お二人とも。我が家の者が娘さんの命を…」
娘の乗る馬車が、とは言わないのは娘を失ったばかりのレナを気遣ってのことか。この場に夢のタリアが居合わせていないのは、それが理由だろうか。ハルバートの言葉にレオンが首を振った。
「いいえ、貴族様。聞けば娘のリラが不用意に飛び出したと。普段から、元気すぎる娘を良く叱りつけていたのですが、こんな事なら、もっとキチンと言い聞かせておけば……」
「…本当に申し訳ない」
頭を下げ、謝ることしかできないハルバート。命が失われたことに対して、貴族も平民も無力だ。許しを請い、金銭的な償いをするだけ。ましてや、相手が貴族の場合は平民が罪を訴えるなど以ての外だった。平民如きが、と事故そのものを気にも留めない貴族が多数存在する中、頭を下げるハルバートのほうが少数派で、他の貴族からすれば異端なのだ。
(ん?)
ふと、タリアの脳裏に疑問が湧いた。
現実でタリアがレオンの思惑を防ぐことができたのは、タリアがレオンに不信感を抱いたのがきっかけだ。その理由は予知夢で見た、クリスの引き取りに現れた両親がレオンとレナで、その二人がなぜか村で生活しており、話に聞く限りクリスとは縁があるように思えなかったからだ。そのため、念のため調べた結果がアレだ。
レオンはレナとは関係なく子共達を攫い、魔族を召喚して混乱に陥れようとしていた。レナは無関係だった。しかし、今。目の前では二人でクリスの両親役で茶番劇を繰り広げている。しかも、先程からクリスをリラと呼んでいる。当然、クリスはクリスである。リラではない。これではまるで、二人で示し合わせて夫婦を演じているようにしか見えない。だが、レナは無関係…のはずだ。
「当然のことでした。まるで自ら倒れ込むようにして馬車の目の前に……」
アティの言葉に、現実のクリスが言っていたことを思い出す。確か、彼女は全く覚えていなかったと話した筈だ。つまり、寝ぼけていたのか、呆けていたのか、事故のショックで忘れたのか。もしくは…操られていた?
そもそも、村人達が少し人当たりがよく、有能な元冒険者とはいえ、ものの短期間であそこまで信頼を置くものだろうか。自分の家の子供を信頼して日中任せるものだろうか。街から浮浪児を呼び寄せて疑問に思わないだろうか。浮浪児達も、見知らぬ大人の言う事を、あそこまで素直に聞くだろうか。
もしも操られ、信頼できる人間だと思い込んでいれば。信頼できる大人と思い込んでいれば。自分がクリスの父親だと思い込んでいれば。自分自身が考え、単独で事を成そうと思い込んでいたとすれば。
だとすると…
◆
覗き込んでいるアティと目が合った。アティの後ろには、エメリアとメリッサの姿も見える。一同が心配そうにタリアを見つめていた。
「おはよう、皆」
寝ぼけ眼を擦りながら言うタリア。アティが何処と無くホッとした表情で応じた。
「お早うございます。お体の調子は大丈夫ですか?」
「ちょっとダルいかな。でも、昨日よりは良いよ」
「分かりました。今日も体調を優先してお部屋で―」
「アティ、レナはいる?」
タリアがアティの言葉を遮って確認する。正直、アティに告げたより体調は悪い。しかし、言えば間違いなくベットに強制的に縛り付けられる。今は頑張って無理をする必要がある。すべて終わったら、しばらくゆっくりと自堕落な生活に戻りたい。いっそ、ずっとそんな生活を送って生きたい。ハルバートには頑張ってもらおう。
「タリア様は昨日お眠りになられてから、長い時間寝入っておられました。私がいつもの時間に起こしても、まったく目を覚まさなかったので、皆心配しておりました」
「今の時間は?」
「昼を少し過ぎた位です」
言われて見れば、窓からの外の様子がいつもよりも明るい。
「ハルバート様も今朝、屋敷に戻られましたので、昨日の経緯を報告いたしました。非常に驚き、お怒りになられておりましたが、タリア様がご無事な姿を拝見されて御安心されておりました」
「お父様は今何処に?」
「タリア様の寝顔をご確認後、村での調査報告とスタブの身柄を王都に移送するため、既に屋敷を出られました」
タイミングが悪い。もう少し早く目覚めたかったが、言っても仕方がない。
「……レナは?」
「ハルバート様と共に、王都へ行かれました。重要な参考人として証言を求められるそうです」
「馬を用意して!」
起き上がり、ベットから飛び出す。唯でさえ寝起きの上、体調が万全とはいえないため頭が重い。突然のタリアの行動に三人は目を丸くして驚いた。ふらついているタリアをアティが抑えた。
「タリア様、落ち着いて下さい。説明をお願いします」
いくらアティといえど、タリアの調子が悪い時に無茶を許すわけにはいかない。その様子から何かまずい状況なのは分かる。だが、それならば尚更だ。アティが意見を曲げることはないと判断したタリアは予知夢の内容と、そこから至った結論を語る。すると一同に驚いたが、どこか納得したように頷いた。アティも渋々タリアの行動を認めた。
「しかし、今から追いかけても追いつく頃には王都付近です。間に合うかどうか…」
そう思考するアティの様子から、ハルバートが屋敷を出発してからそれなりに時間が経っているようだ。最悪、精霊に伝言を頼む方法もあるが、レオンの時のように精霊の姿を目撃されて警戒又は不測の事態が起こる可能性もある。やはり、確実に追いつき、何とか対応したい。
何か方法が存在しないか考え込んでいると、それまで黙って聞いていたメリッサが胸を張って告げた。
「奥の手、使う。それは―」
その内容を聞いた時、流石のタリアも本当に出来るのか疑った。しかし、発案者のメリッサは自信満々に続けた。
「大丈夫。多分、なんとかなる」
不安は残る。それでも、タリアはそれに賭けた。
◆
ハルバートが屋敷を出てから幾時か。馬車の隊列を組んで王都を目指す一行。先頭に護衛のメンバー。後方にスタブの護送メンバー。そして、それらの馬車が挟むようにしてハルバートが乗る貴族用の馬車が中央の隊列だ。
ハルバートが乗る馬車には、参考人として連れられているレナもいた。そして、普段はタリア付きのガーディーも共にいる。今はハルバートの供として付いており、昨日のタリアを娶ろうとしたスタブの蛮行の一部始終の証人として随伴している。
ガーディーは普段から必要以上には話さないが、今はいつも以上に寡黙で話しかけづらい雰囲気を出している。スタブの件を不甲斐ないと内心気落ちしているのだろう。それに当てられてか、レナも戸惑ったように押し黙っている。むろん、お願いとはいえ、突然貴族に呼び出されて瞬く間に馬車に押し込められたのも一因だが。
「レナさん、疲れたかね? 宜しければ休憩を入れるが」
気を利かせ、ハルバートが尋ねる。グランドール家から王都までは朝早くに出発すれば夕方くらいには辿り着く。既に昼休憩を取ったが、馬車移動に慣れていない人間には堪える。罪人であるスタブを気にかける必要はない。むしろ、ハルバートとしては首に縄を括り付けて走らせたい位だ。しかし、証人であるレナは別だ。場合によっては、王都では複数人の貴族や、ひょっとしたら国王とも非公式に会談することもあり得る。事が重要なため、貴族でも優秀な人間のみ選ばれる筈なので、レナに対して横暴な態度を取る者はいないはずだ。それでも普通の平民は一生のうち、会って会話をするどころか、姿を見かけることもないような貴族メンバーだ。緊張しないわけがない。その時に、彼女が頼れる人間としてハルバートを認識していれば助けを求めやすいし、出しやすい。
そんなハルバートの気遣い、かつ打算的な提案に、レナは気丈に首を振る。
「いえ、大丈夫です。冒険者時代に長距離の移動は慣れてますから。ただ、その時は徒歩が多かったですが」
「はは、確かにね。私も一時期冒険者の真似事をしていたが、殆ど歩いていた思い出だよ」
「え、貴族様も冒険者をですか!? それはまた、意外ですね」
思わず出た本音にハッと口を抑えるレナ。貴族の前で失言は首を落とす可能性すらある。しかし、ハルバートは苦笑するのみだ。
「まぁ、視野を広げるために一時期だけだが。それでも、あの時の経験は私の糧となり、今でも役立っているよ」
そこから、少ないながらも幾らかの会話を行う。主に冒険者としての共通の話題だが、冒険者の昔と今の違い等意外とハルバートにとっても面白く、有意義な時間となった。そして、話題が尽きた頃。
「レナさん、娘は。タリアは村ではどのような様子でしたか?」
愛娘の事を聞く。結局、ハルバートはタリアと最後に会話をしたのは、村に視察で出発した日の朝だ。それから、手紙を読んだり、アティから口頭で様子を聞いたり、眠っているところを見守ったりしただけだ。まだ元気な声を聞いていない。あの慎ましくも、可愛らしい声を無性に聞きたかった。
「申し訳ありません、貴族様。私が直接タリア様と会話をしたのは、挨拶の時だけでしたので。あまり詳しくは…」
「そうか」
少し残念そうに肩を落とすハルバート。
「でも、お付の方と、とても楽しそうにお話をされておりました。それでいて可愛らしく、幼いながらも凛とした方だな、と私は思いました」
「そうか」
同じ言葉でも今度は安堵の表情で頷く。そんなハルバートを見て、レナは貴族でも平民でも子を想う父親は同じなのだな、と思った。
レナは微笑む。
「ですから、もうタリア様とお会い出来ないのが残念です。こんな事態にならなければ、貴族様とは普通会話などできませんから」
「いえ、娘は今後も村へはあそ……作物回しゅ……視察に行くと思いますので、よければその時にでも構ってやって下さい。父親の私が言うと贔屓目と思われてしまうかもしれませんが、娘は他の同世代と比べて外見は別ですが、言動が大人びているため友達が…その、少なくて」
外モードのタリアは公爵令嬢として他を寄せ付けない凛としたオーラを出しており、たまに会う同世代からは遠目に見られ、大人からは将来を期待されている。そのため、友達は少ないのではなく皆無だった。流石にいないとは言えず、ハルバートは少し言葉を濁した。
レナはそんなハルバートの様子に微笑した。
「はい、私で宜しければ喜んで。―――父親を亡くした哀れな令嬢を慰めいたします」
鮮血。
返り血がレナの顔に飛び散る。それまでの穏やかな笑みは消え、狩人の獲物を前にした猛烈な笑みとなっている。その瞳には驚愕に目を見開くハルバートの表情が色濃く映っている。ハルバートが反応する間もなく投擲された暗器は一直線に心臓へと飛翔し、皮と筋肉を破り、骨を砕き、心臓を貫いて即死させる。
そう、ガーディーが手を伸ばし、ハルバートの身を守らなければ。
「ガーディー!」
ハルバートが叫ぶ。ガーディーは手に突き刺さった痛みに耐え、レナと相対する。出血を抑える手の間からは血が垂れ落ちている。その後ろで、ハルバートは腰の剣を抜いた。しかし、狭い馬車中では構えることすら困難。かといって、魔法を使おうにも自分達も巻き添えを食う。レナを問い詰める前に、安全を確保する必要がある。そのために、まずは場所を移動する。
大声を上げ、馬車を止めさせようとしたハルバート。しかし、それよりも早く馬車が急停止した。
「ふふ」
バランスを崩したハルバートとガーディーを横目に、レナは止まった馬車から外へと飛び出す。もしもハルバートの命が目的ならば、今のが大きいチャンスだった筈だ。それを見逃したということは、ハルバートの命は物のついでだったのか。
ハルバートが静止を呼びかけるが、当然無視される。ガーディーの負傷を放っておくこともできずに、とりあえずはキレイな布で止血する。ここで冒険者としての経験が生きた。ガーディーに馬車内で大人しくしておくよう言い聞かせると、外へ飛び出す。弱々しく止めさせようとするガーディーだが、今のハルバートには届かなかった。
中央のハルバートが乗る馬車が突然止まったので、当然前後の護衛達が異常を察して守りに入る筈だが、それもない。外では明らかに非常事態が起こっている。
「こ、これは…」
その光景に聡明なハルバートですら、我が目を疑った。
ハルバートが直接見て判断し、十分な技量と信頼をおけると判断した者たちが、お互いに敵対し、攻防を繰り広げていた。剣が、魔法が、拳が互いに手加減無く相手を狙い、命を刈り取ろうとする。並の冒険者ならば数度の手数で地に伏しただろう攻撃も、互いの力量が均衡しており、致命傷には至っていない。しかし、お互いに少なくない傷を負い、負わされている。このままでは、いずれ命が尽きるのは明白だ。
「手練が多いのね。さすがは有力貴族。護衛にもお金を使っているわね」
馬車の上から声がした。見上げると、レナがハルバートを見下ろして笑っている。その顔は未だにガーディーの血で濡れており、薄ら寒さを感じさせた。
「貴様、彼らに何をした!」
「あらあら、怖い怖い。女性に優しい貴族様は嘘だったのかしら? ああ、そういえば男は皆狼だったわね。危ない危ない、忘れていたわ」
「今すぐ止めさせるんだ! 貴様の夫が死んだことを恨んでいるのならば、私だけを恨めば良い! 彼らは関係ない!」
「夫?…ああ、レオンね。うーん、それは関係ないのだけど。うん、でもまあ。取り敢えずは…」
レナが指を鳴らす。すると、全員が一斉に動きを止めた。そして、一斉に後方の馬車へと向き直る。統一された軍隊のような動きの先には、この状況を利用して逃げ出そうとしていたスタブの姿。両手首を縄で結んで拘束しただけのため、無人となった馬車から自力で出てきたようだ。
無感情な瞳で一斉に視線を送られたスタブは「ひぃ」と情けない声を出して後ずさる。そのまま駆け出したが、すぐに回り込まれた。尻もちをついて、泣きながら命乞いをするスタブ。しかし、目の前の護衛の感情は動かない。
馬車上のレナが優雅に一礼する。
「スタブ・ヴックヴェルフェン様。ご協力有難う。お陰で色々と助かりました」
「な、なんのこと…」
「では、お疲れ様でした」
振り降ろされる剣、剣、剣。容赦なく無防備なスタブに対して、四方八方から斬撃が繰り出され、瞬く間にその生命を奪う。明らかに死んでいるにも関わらず、その行動は止まる様子すらない。何度も何度も何度も繰り返し叩きつけられ、見る見る間に人間の形をした死体が、肉片へと変わっていく。ようやく護衛たちが手を止めた時には、地面に広がるのは血と肉と骨とあとは着ていた服の切れ端。数十秒前までそこに人間一人が存在したとは思えない光景だった。冒険者として、動物や、時には人間の死体を見てきたハルバートも、流石に絶句して見ていることしかできなかった。
「さて、それでは私はこれでお暇を頂きます」
「ま、まて! お前は一体…」
「あとは皆さんでお楽しみ下さい」
そして、次はハルバートに向かってゆっくりと迫ってくる護衛達。走って逃げ出せば振り切れるかもしれない。しかし、馬車内には負傷したガーディーがいる。長年自分を支えてきてくれた男を置いて逃げることはできない。かといって、護衛達に剣を向けるのも心引ける。明らかに多勢に無勢。一人一撃必殺で対抗しなければ飲み込まれる。それでも、切り抜けられる保証はない。
剣を構え、威嚇するが迫る足取りに乱れはない。馬車上のレナは楽しげに見守るだけで、手を出す様子はない。ハルバートの結末を見届けてから姿を消す腹積りらしい。
命の選択。自分とガーディーか、護衛達。全員がハルバートも名を知る者達。彼らは自分が直接選んだのだ。それでも選んだ。長年の友を。
「許せ!」
先頭の一人の首を跳ねる。その直前。護衛達が全員宙に飛んだ。台風に巻き込まれた木々のように、回転して巻き上げられていく人間。ある程度の高さまで上がり、そして自由落下で地面に叩きつけられる。鍛えているとはいえ、かなりの衝撃。そのまま痙攣して起き上がらない。
一体何が、とハルバートは上空を見上げる。馬車上のレナも予想外の出来事らしく、同様に空を見ている。
そこには、
「はっはっはー。間に合ったね、お父様! そして観念するべし、レナ!」
一体の巨大な炎の鳥。そして、その背に乗るのは巨大な猫。そして、三人の女性と一人の少女。アティ、エメリア、メリッサの三人とタリア。陽気に叫んだタリアは偉そうに両手を腰に当ててふんぞり返っているが、その体はエメリアによって落ちないように、後ろから抱きかかえられていた。
◆
呆然としているハルバートの目前に鳥が降り立つ。背に乗っていたタリアと、その仲間が地に足を付けると精霊は姿を消した。タリアはエメリアの腕の中から降り立つと一目散にハルバートに駆け寄り、その胸に飛び込む。普段とは異なる娘の様子にハルバートは混乱しつつも、その小さな体に手を回して抱きしめた。
「助かったよ、タリア。でも、どうしてここに…」
「ふっふっふー。お父様の危機に颯爽と現れて救うのは娘の特権です! これは確定事項なのです!」
意味が分からず、後ろに控えていたアティに助けを求めるように視線を送る。彼女は残念そうに首を振った。
「屋敷からここに来るまで、メリッサ様の精霊で空を駆けてきました。その際に、私の精霊の助力で速度を上げたのですが、それらを維持するためにタリア様の魔力を使用いたしました」
メリッサの炎の鳥を模した精霊の背に乗り空を飛ぶ。そして、アティの猫を模した精霊であるスノトラが風魔法で速度を上げる。本来ならば無尽蔵の魔力を保持する精霊だが、人間の住む世界では上限が限られている。そのため、移動を維持するために外部から魔力を補充する必要があった。その役目を魔力量だけは多いタリアが行う。文字通り、タリアが魔力電池となり移動してきたのだ。
タリアは魔力を多大に保持していても、予知夢以外で行使することができない。一方のアティ、メリッサ、エメリアはそれぞれが戦闘時に利用できる魔法を所持している。ハルバートに追いついた際に戦闘になる可能性が高かった以上、戦闘要員がそこまでに消耗するのは避けたい。そうなると、タリアが動力源として魔力を補給してここまで移動するのは最も理にかなっていた。
「しかし、軽い魔力欠如で魔力酔いを発症しておられます」
魔力が欠如すると、思考力が鈍り運動能力も低くなる。それはアルコールを摂取した時の症状に似ており、魔力酔いと言われている。個人差があるが、眠くなったり、頭痛や嘔吐など体調不良になる症状が一般的だ。しかし、中には非常にハイになる者もいるという。タリアがその稀な例だったようだ。時間が経てば元に戻るのだが、しばらくはその状態が続く。
「ポーションを飲めばすぐに回復します。エメリア様、お願いします」
「はい。タリア様こちらをどうぞ」
エメリアが一本の試験管を取り出す。その中には緑色でドロドロとした液体が収まっている。ポーション。魔力の自然回復速度を高める効能を持つ。その材料は基本的な部分は一緒だが、細かい所で国や地方で差がある。同程度の効果を得るにしても、飲みやすいが量が多い物。飲みにくいが少量で良い物。甘いものや辛いもの。中には材料が門外不出で、噂では口には出せないようなものを含めているものもあるようだ。エメリアが手にしているのは量は少ない。が、禍々しい緑色はどう考えても飲みやすいとは思えない。
「私は酔っていない! 酔っていないぞ~」
酔っぱらいの台詞を連呼するタリアの口に、エメリアはポーションの蓋を外し、強制的に差し込んだ。意外と容赦がない。徐々にタリアの口に流れ込む緑の液体。赤みが掛かった顔が、不味さで青くなる。そして、目を回しグッタリとエメリアに倒れ込んだ。
「ポーションが効いている証拠です。すぐに目を覚まします。タリア様は私がお守りしますので、みなさんはアチラの方に集中して下さい」
見れば、ここまでの流れを余裕の表情で眺めているレナの姿。ハルバート側に増援が到着し、一方のレナは操っていた者達を無力化された。形勢は完全に逆転した状態。それでも彼女には焦りの色は見られない。
「ふむ、精霊使いが二人もいるとは。少しそちらの戦力を見誤っていたようね」
「まさか、本当にレナさんがこんなことをするとは…」
スノトラを横に従え、アティが構える。その横にはメリッサも同様に隙を窺っている。
「あら、確信がない状態でここまで来るとは驚きね。顔ぶれからして、またそのお嬢様が発端かしら?」
「さぁ、どうでしょう。それよりも貴方には色々と聞きたいことがありますので、大人しくしてください」
言って聞くとは思えないが、一応は警告する。普通に考えればレナ一人では絶対に勝てないし、逃げるのも困難だ。そう、普通ならば。
「申し訳ないけど、私も色々と忙しいので。ここで捕まって時間を浪費する気はないわ。というわけで、ハーメルン来なさい」
レナが問いかけると、日中にも関わらず、周囲に霧が立ち込める。それは黒い色をしており、よく見れば魔力を帯びている。警戒を強めていると、レナの横に一人のピエロが出現した。カラフルな服と帽子をかぶり、その手には楽器の笛。遊戯団のピエロとは異なるのは、その首がグルグルと常に回り続けていることだ。人間ではない。
『あれは僕達のような精霊とは違うね。でも、かなり強力な魔力を感じるよ』
スノトラが警告する。
「ハーメルン、確か本で読んだ」
「本当ですか、メリッサ様」
「うん、悪霊ハーメルン。その特性は人心掌握。かつて、戦争で敵の一団を操って、同じ国の兵士同士を戦わせ、全滅させた記録が残ってる。そして、それを使役したのが、南国アストールだった、はず」
「では、彼女はアストールの者の可能性があるのですね」
当然、昔使役していた者は死んでいるだろうし、次の使役する人間が同じ国の人間とは限らない。しかし、悪霊は気まぐれな精霊と異なり、好む条件というものが大なり小なり存在する。人の生き血や生まれたての赤子の命など、聞けば碌なものではないが、それさえ揃えることができれば召喚して再契約ができる可能性も高くなる。そうして国が契約を継続したとしても、不思議ではない。
「さぁ、どうでしょう」
トボけた口調のレナ。さらに霧が濃くなる。これ以上は視界が遮られ、逃げるにしても攻撃するにしてもアティ達が不利になる。
「浮き飛ばしなさい、スノトラ!」
レナの姿が見えなくなる直前、スノトラの風魔法が周辺の空気を一掃する。魔力を帯びていても、普通の霧と変わりなくかき消すことが出来た。アティが魔法を放つと同時に駆け出したメリッサがレナに肉薄する。レナは距離を取ろうと後方に飛ぶが、間に合わない。襟首を捕まれ、勢い良く地面に投げつけられた。レナの体が弾む。受け身を取る余裕すらなかった。容赦ない投技。まともに落ちて背中を強打した。しばらく呼吸もまともにできない。
「魔法のみに頼るのは、二流の証。私は、超一流」
が、倒れ込んだレナの苦痛な表情が一瞬で消えた。にやりと笑い、そして次にその姿全体が消えた。
「っ!? …偽物」
「本物は!?」
見回すが、いつの間にか再度発生した霧で覆われており確認できない。
『楽しかったわ、皆さん。またいつかお会いしましょう』
「待って」
別れを告げたレナを、ようやく回復したタリアが呼び止めた。
「レオンもあなたが操っていたんだね?」
それは確信を持って告げた問い。疑問を呈すのではなく、只の事実確認。
『人聞きの悪いことは言わないで。ハーメルンは元々その人の心内にある感情を大きくする事しかできない。子供達は人肌を求めていた。レオンは最初からこの国に、貴族に憎悪していた。それらの感情を大きくする手助けをしただけよ』
人間は誰しも不平不満を持つ。しかし、それにどう向き合うかは千差万別だ。力で強制的に変えようとするばかりじゃない。他の方法を模索するか、諦めるか、逃げるか。いずれにしても、今回のレオンのような極端な行動に出ることは稀だ。レオンもレナが干渉しなければ、不満を持ったまま区切りをつけて平穏に生きていたかもしれない。それを、レオンが不満を持っていたことが悪いと言った。
「私、あなたのことが嫌いです」
『あらあら、嫌われちゃったわ。でも、またいつか会いましょう。グランドール家のご令嬢、タリア様。あなたはとてもとても面白い子だわ』
「私は会いたくないよ」
『あら、つれない。寂しいわ』
今度こそ本当に立ち去ったのか。周囲の黒い霧が晴れていき、完全に消え去った。後に残されたのは、倒れ込んでいる護衛集団と乗っていた馬車三台に、スタブだったものの欠片。万が一、再度襲撃があることを警戒し、急いで護衛達を起こしていく。
その様子を見ているタリアが、突然口を手で抑えた。
「ううぅ…」
「タリア様、大丈夫ですか?」
体調が悪化したのか。それとも悲しみの感情が心を支配したのか。心配したアティが駆け寄る。
「ぎぼち…ばるい…」
「え…」
タリアの言葉に、一蹴呆けたアティ。しかし、遅かった。
「…げん…がい」
見事にアティに直撃する緑色の何か。思考が停止し、そして再開。アティは気絶しそうになる意識を気合で繋ぎ止める。
タリアは元々体調が悪い状態で魔力酔いに陥り、そこから強制的にポーションで回復させるなど、上下に激しく揺さぶられた。鍛えている者ならばともかく、ただの貴族子女のタリアにはとても耐えることはできなかった。むしろ、ここまで良く持った方だ。今のタリアには公爵令嬢の凛々しい姿はなく、ただ二日酔いに苦しむ少女だった。
それから数時間後、ようやく一行は王都へと辿り着いた。屋敷を出発した時にいたスタブとレナは抜けてしまったが、二人を除いた面々は奇跡的に命を落とすこと無く辿り着くことができた。
王都の門を潜る際、見張りの兵士が馬車の中からうなされる声を聞いたが、公爵家の馬車内を確認する勇気もなく、そのまま見逃された。彼も、まさか噂の令嬢が中で青い顔でうなされているとは思わなかった。




