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please forgive

挿絵(By みてみん)


13.please forgive


 前向きに生きる覚悟を決めた拓海にすっかり気を良くした尚吾は、乃亜とヴィンセントに報告しようとリビングへ戻ったが、ふたりの姿は無い。

 明け放したテラスの向こう側で手を振る乃亜が見えた。

 尚吾は玄関から外へ飛び出して乃亜に声を掛けたが、尚吾を振り返った乃亜の赤く腫れあがった両の目を見て言葉を失った。

 その原因がヴィンセントへの敬愛と感謝だとはわかっているけれど、乃亜の素直さを愛しいと思うと同時に、ヴィンセントへの嫉妬が混じらないわけがない。


「…もっとゆっくりして欲しいってお願いしたんだけど…仕事があるからって…ヴィニー帰っちゃったの」

「そう…なんだ」

 スンスンと鼻をかむ乃亜の両耳には揃いのピアスが揺れている。

 ヴィンセントがどんな気持ちでそれを乃亜にあげたのだろうと考えると、多少の後味の悪さが尚吾を責めた。


「尚吾…。ヴィニーがね、いつまでも尚吾と仲よく暮らすことが、私の望みだって…そう言ってくれたの」

「そうか…」

 顔色一つ変えずに空事を語るヴィンセントの本心はわかりかねる話だが、乃亜がそれを信じ、救われているのなら、ヴィンセントの嘘もひとつの正解なのだろう、と思う。


尚吾は胸に寄り添う乃亜の髪を優しく撫でてやる。

「良いニュースがあるんだ。拓海が二学期から学校へ戻って頑張るんだとさ」

「ホント?」

「ああ、ヴィンセントへの恋心が拓海の気持ちを良い方向に向かわせてくれたらしい」

「…良かった…」

「ヴィンセントを追いかけて、お礼を言ってくるよ」

「僕も行くよ」

「乃亜はしばらく両目を冷やした方がいいな。そのままでもウサギみたいでかわいいけど、まるで俺が泣かしたみたいで極まりが悪いだろ?」

「…わかった。じゃあ、拓海君にデザートの用意したプリン、持っていくね。ああ、ヴィニーは泳いで帰るって言ってたから、海辺へ向かったよ」

「わかった」


 乃亜の額にキスを残して、尚吾は浜辺へ急いだ。

 裏道の急な坂を下り、松林を潜り抜け、浜辺へと降りたが御盆が近い所為か、帰省客も多く、海水浴を楽しむ家族や若者ばかりでヴィンセントの姿は見えなかった。

 あちらこちらと目を配るとやっと崖の下の岩穴へと向かうヴィンセントの後姿を見つけた。

 尚吾は大声で彼の名を呼びながら追いかけた。馬鹿みたいに必死に…。

 やっと追いつきハアハアと息を吐く尚吾を見て、ヴィンセントは見下したように高慢な態度で冷笑する。

「そんなに息を切らして、子供みたいだな」

「呼んだのに…無視しやがって…」

「はて?聞こえなかったが?」

「…」

 ヴィンセントのこういう性根の悪さに腹も立つことも多いが、それが痕に残らないのは尚吾がヴィンセントに惹かれているからではないだろうか。

 岩穴の天上は手を伸ばせば届くほどに高さで、ヴィンセントは奥の岩壁まで進むと背中を凭れさせ、尚吾を招いた。

 尚吾は息を整えて、改めてヴィンセントに近づいて向かい合った。


「あんたに話があったんだ」

「どんな?」

「まずは拓海の事だ。新学期から学校へ行く気になってくれたんだ。ヴィンセント、あんたのお蔭だ。…拓海に近づくなって責めたり、信用ならないって言ったりして悪かった。謝るよ」

「別に、頭を下げられる筋合いではない。拓海に懇願されたとはいえ、尚吾との契約を破ったのは私の方だからな」

「その事はもういい。拓海はあんたに恋をして、未来を楽しむ覚悟を得たんだ。いつかあんたの住むイギリスに行きたいって、これまで見たことない顔で楽しそうに話してた。今更だけど…恋と言う奴は、人を変えるものなんだな」

「全くもって、今更だな」

 真顔で頷くヴィンセントを見て、共感を得たようで尚吾は嬉しくなる。


「それから…あのピアスの事だけど…あんたの許可も得ずに、勝手に乃亜に渡して悪かったと思ってる。お、俺が貰っても使う機会もないからって、乃亜にあげてしまったけれど、よく考えれば、軽率だった…本当に悪かった」

 ヴィンセントは尚吾の懺悔を許すことにした。そして、ゆっくりと目を伏せ、尚吾への様々な企みを考えた。

 不思議なことにヴィンセントは尚吾への悪巧みを思いつき実行することが楽しみのひとつになってしまった。

 

 ヴィンセントは優雅な笑いで尚吾を安心させ、気にするなと手を振った。

「いいんだ、尚吾。あれは…おまえを試したのだよ。あのピアスを尚吾がどうするのか、知りたかった。おまえが乃亜に渡すことは容易に想像がついていたけれど、もしそうしなければ…浮気者と詰り、乃亜に密告する事もできたのだ」

「ヴィンセント、あんたは嘘つきで少しも自分の本心を見せないし、回りくどくて計算高いけど…乃亜にとってはあんたは一等大好きな尊敬する兄だし、あんたも乃亜を心から…(マトモとは言えないまでも)愛している…それはそれでいいと俺も認めてるんだよ。あんたほどじゃないけど、俺もそれなりの大人だからわかるつもりだ。だから…色々抱えるもんは多いだろうけどさ、俺が必要な時は言ってくれよ。たまにはあんたの役に立つことだって、できるかもしれないから…」

 こんなことを馬鹿真面目に告白することが野暮だと判っていたが、尚吾はヴィンセントから顔を叛けなかった。

 そして、ヴィンセントはそんな尚吾に惹かれている自分を認めざるを得ない始末なのだ。


「それは…誘っているのか?」

「バカ言え。乃亜がいるのに俺から誘うかよ。…契約だよ、契約。あんたのプライドが俺を欲しがる時は…相手になってやるって言ってんだ」

「…おまえも相当に、メンドクサイ奴なのだなあ」

「あんたほどじゃあねえよ。それに…どんなことがあっても、乃亜は俺が死ぬまではあんたに渡さないから」

「じゃあ、早く死ね」

「うるせ…」

 顔を叛けた一瞬、尚吾の右腕がヴィンセントに引き寄せられ、ヴィンセントにもたれかかるように寄り添った。

 僅かに抵抗する仕草を見せる尚吾をヴィンセントは制し、身体ごと尚吾の背中を岩肌に押し付けた。


「今更、何を怖れることがある」

「別に…」

「キスぐらいさせてくれてもいいだろう?…明日の夜にはここを出る予定だ」

「え?」

「今朝、急な仕事が入った。カナダのファンディ沖で人魚の子供が網にかかったらしいんだが…仲間が保護しているんだが、私の指示を待っているんだ」

「…大変だな」

「そう思うんだったら、敬愛のキスで見送れ」

「憐みのキスならサービスしてやる」


 ヴィンセントは微笑んで尚吾の憐みを受けた。

 思った以上の丁寧さでお互いの口唇を味わい、それは十分に淫蕩な感情を引きだす行為であったが、彼らはそれを契約の一つと考え、そして同時に互いへの「許し」だと悟った。


「…あんたが今、何を考えているか、当ててみようか?」

「おまえと同じと言えとでも?まさか…おまえほど低俗ではないさ」


 つまりはこうだ。

 要因ファクターは「乃亜」であっても、導かれる心模様はそれぞれに違い、それでも未来の構図は同じものを描いている。


 ふたりは同時に笑った。

 他の誰にも理解しがたい想いを、ふたりだけはわかりあえる気がする。

 そんな気がしたのだ。



「これで私のサマーバケーションは終わりだな」

「拓海には何も言わずに行くのか?」

「拓海には良い思い出だけを残してやりたい」

「身勝手だな。あの子は駄々をこねる子供じゃないし、ちゃんと説明すれば悲しい思いをせずに済むじゃないか」

「わかっているだろう?あの子の未来を決めるのは私じゃない」

「…」


 尚吾は一瞬でもヴィンセントを理解したと感じた自分を恥じていた。異形の者として生きてきたヴィンセントの背負う過去も未来も、尚吾には計り知れない重さなのだ。


『あいつに拓海の事まで荷負わせるもんじゃない。ヴィンセントを好きになったのは拓海の勝手なのだから』


 口唇に残ったヴィンセントの馨しい香りは未だに尚吾を酔わせていた。それはまたヴィンセントも同じであろう。

 「Good luck、尚吾」と手を振り、波打ち際に歩き出すヴィンセントに、尚吾はあわてて「また来いよ」と、送り出す。

 

 波間に消えていくヴィンセントを見送る尚吾は、いつしか無事な航海を懸命に祈る自分自身に少々呆れてしまった。


挿絵(By みてみん)

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