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Again someday

挿絵(By みてみん)


14、Again someday


 拓海がヴィンセントの旅立ちを知ったのは、その日の夕刻だった。

 前日の疲れが祟ったのか、昼食も取らないまま、拓海はいつの間にか寝てしまっていたのだ。あわてて起きて、リビングに降りると、尚吾と乃亜が揃って残念そうな顔をして、それを告げた。 

  驚いた拓海はこのままヴィンセントと別れてしまうのが諦めきれず、もう一度会いたいと願った。


「おれ、今から別荘まで泳いで、ヴィンセントに会いに行く」

「な…馬鹿な事言うな」

「三マイルって五キロ弱だろ?その距離だったら二時間ちょっとで行けると思うし、何回も泳いだ経験あるから心配ないよ」

「確かにここは内海で今は比較的波は穏やかだけど、保護者として賛成できるわけがない。大体、経験者といっても、遠泳をやってたのは中学の時だったんだろ?それにヴィンセントに会いたいからって無理に泳で行く必要があるものか。これが最後でもないし、来年の夏も…と、いうか結構な割合であいつは乃亜に会いに来るから、その時、おまえがここに来ればいい事だろ?」

「違うよ、尚吾さん。今じゃなきゃ…この夏じゃなきゃ、意味ないんだよ。ヴィンセントさんにおれの想いを伝えたい…」

「…拓海、どんなに深く懸命に相手を想っても…叶わない恋だってあるんだ。一途に想う気持ちは尊い。だけど、ヴィンセントはおまえの想いを負担に思うかもしれない」

「そんなの…片思いだってわかってるよ。でも、だからって…諦めたくないんだ。今までだったら、かっこつけて物わかりのいい大人のフリして、自分の気持ちを欺いて、諦めていただろう。でも…今は…本気の好きをぶつけてみたい。馬鹿みたいに必死な自分を好きになりたい。おれ、今だったらヴィンセントさんを追いかけて、地球一周だって泳げる気がする。ホントだって!だから、行かせてよ、尚吾さん」

「…」

「ねえ、行かせてあげようよ、尚吾。きっとヴィニーは歓迎してくれるよ。それくらいの心の広さは充分に持ってる兄だから…」

「乃亜…」

「ね、僕からもお願いするよ」

「わかったよ、拓海。でも、今日は諦めなさい。明日の方が泳ぐには天気もいいし、とにかく安全に泳ぎ切る体力をつけなきゃ。大体おまえ、昼も食べてねえだろ?準備を万全に整えて、体調が良かったら、明日、ヴィンセントの別荘まで遠泳するのを許す。それでいいな」

「はい!」

「夕飯はステーキにするね、拓海君。栄養たっぷりつけて明日、泳ごうね」

「うん、頑張るよ、乃亜さん」


 その夜、拓海はなかなか寝つけなかった。

 昼寝をした所為もあるし、夕食のステーキもまだ腹に残ってなんとなく重たい。

 ベッドに寝転がったまま、波音を聞きながら目を閉じても少しも眠くならない。


『大口叩いちゃったけど、五キロ泳ぐなんて久しぶりだ。明日は無事泳げるといいんだけど…。変なの…こんなに自分の気持ちを誰かにわかって欲しいなんて、今まで思ったことないや。一歩間違えばストーカーじゃないか。片思いに狂う気持ちって、こんな感じなのかな…』


 目を開けて枕元の時計を見る。まだ十一時だ。

 体力温存第一で早く寝なきゃならないのに…と、焦ってみてもどうにもならない。

 拓海は溜息を吐いて、天井を見上げた。


『たぶん…きっと…あの人に焦がれる理由は「憧れ」なのだろう。あの人に愛されたがっている内は、本当の恋愛なんてまだまだ遠いのかもしれないな。でも今は…精一杯に追いかける十八のおれに声援を送ってやろう。…乃亜さんからもらったプロミスリングに願いを込めて…愛しいヴィンセントに辿りつけますように…』

 拓海は乃亜が結んでくれた右腕のプロミスリングの巻貝に口唇を寄せ、願いを込めた。



 翌日、準備体操を終えた拓海は、尚吾と乃亜の見送りを受け、颯爽と海に向かって泳いでいく。

「気をつけていけよ!」

 大声で叫ぶ尚吾に、拓海は振り返りもせず、片手をあげるだけだ。

「あいつ、調子に乗らなきゃいいんだが…」

「大丈夫だよ。ヴィニーにはちゃんと連絡してるし、なにかあったら助けてくれるよ。海に関しては誰よりも頼りになるからね」

「そりゃそうだけど…」

「尚吾、息子を心配するお父さんみたいな心境?」

「え?…」

 ニコニコと見上げて笑う乃亜に、尚吾は腕を組み首を捻った。

「息子…とは違うな。たぶん、あの背中が乃亜やリオンやルイ、ヤン、ヨシュア…ヴィンセントだとしても、俺は今と同じように心配しながら、航海の無事を祈るだろう。家族愛?…いいや、俺の大好きな、大事な人だから、心配になるし、怒ったり喜んだりするんだろうなあ。乃亜と一緒に生活するまで俺はひとり暮らしだっただろ?乃亜が来てくれて俺には大事な人を守らなきゃならないっていう義務が生まれた。責任重大で荷が重いと思うけど、それに勝る喜びがあった。ヴィンセント達が俺の家族になってくれた時も、正直不安だったさ。案の定苦労も多いけどさ。あいつらの事やっぱ憎めないし、俺も頼りにしてしまう時もある。結局は…ひとりじゃないっていいなって、いつも皆に感謝してしまうんだ」

「ほんと?」

「乃亜と出会って良かった。ダメ元でも懸命に口説いてマジで良かったよ。乃亜が死んでしまうと思った時、俺はもうひとりで生きていくのは嫌だと思った。人を愛してしまったら、ひとりには戻れない。だから、拓海には本当は…ずっと一緒に居てくれる相手が良いと思ったんだけどな…。こればっかりは俺の思い通りにはならないなあ」

「大丈夫だよ。拓海君は尚吾より純粋だからね。きっと、ヴィニーの心を捉える日が来るよ」

「なんだ?それ。俺が純粋じゃないって言いたいの?乃亜の為に命を賭けたのに」

「純粋だったのはあの時だけじゃなかったけ?尚吾は悪賢くて計算高いもん」

「おい」

「でもそういうところも僕は好きなんだよ。僕がおバカだから尚吾は腹黒くて丁度釣り合うって、言ってた」

「ヴィンセントが?」

「ううん、ヨシュア兄さんだよ」

「……」

「尚吾はヴィンセントが好きだね」

「そう…かもな」

「嬉しいよ。大好きな二人が仲よくしてくれるの。僕、とっても嬉しいんだ」


 爽やかな海風に柔らかい乃亜の髪が靡く。白くあどけない端麗な横顔は一切の曇りを知らない。

 もし、乃亜が尚吾とヴィンセントの秘密を知っても、ジェラシーを知らないまま育った乃亜に嫉む気持ちが生まれるものだろうか。それとも…二重に苦しむのだろうか。


「帰ろうか、乃亜」

「うん、今日のお昼はなんにする?」

「そうだな…。冷蔵庫の中身を見て考えるか」

「じゃあ、尚吾におまかせします」

「へ?俺が全部?」

「そうだよ。僕の為に尚吾が作るんだよ。ね?うれしいでしょ?」

 そう言って無邪気に笑う乃亜が一番悪賢いんじゃないんだろうか…と、尚吾は訝った。そして、なんとなくだが気が楽になった。

 信心深い完璧を求める人間よりも、陽を見ながら影を知る人間臭い方がよほど信用できる…と、尚吾は世の中を割り切っている。

 自分の心がまっ白ではないのは当然の事。だからこそ綺麗な乃亜を独占したいのだ。無垢な乃亜が自分色に染められるのは、密かな喜びだ。

 尚吾は腕を絡めて寄り添う乃亜を抱き寄せながら、底なしの自分の傲慢さを嗤う。



 拓海の到着を別荘で待つヴィンセントは、桟橋からずっと海岸の方を眺めていた。

 白い波しぶきに煽られながら泳ぐ拓海の姿を見つけた時は、ホッとしたと同時に、海に飛び込みたい感情に煽られ、思わず拓海の名を呼んでしまった。

 リオンに止められなかったら、とうに飛び込んでいた。

「ヴィニー、ダメだよ。拓海は自分にプライドを賭けて、ここまで泳ぐって決めているんだから、ちゃんと辿りつくまで待ってあげなきゃね」

 年下のリオンにわかりきったことを諭され、ヴィンセントは苦笑した。

「そうだな。だが、こうやって見ているだけの辛さを教えてくれる拓海は、良い恋人になり得るかな」

「さあ、ヴィニーの導き次第だね」

「責任重大だな」

「ヴィニーは一見サディストに見えて、その実とってもM指向なんだって」

「は?…」

「って、尚吾が言ってた」

「…」

 リオンの言葉が真実とは思えないが、その冗句に反論する余裕は今のヴィンセントには無かった。

 

 息を切らせ、やっと辿りついたものの力尽きた拓海の身体は沈んでいく。それを引き上げ、冷たくなった拓海の身体にバスタオルを巻き、ヴィンセントは力一杯に抱きしめた。

「よく頑張ったな、拓海」

「うん…おれ、絶対泳ぎ切れるって…自分に言い聞かせて…ほら見て、乃亜さんがくれたプロミスリングの貝が割れて無くなってる…。おれの願いが…叶ったんだよ」

「…そうか、良かったな」

「ねえ、ヴィンセント。頑張った褒美をくれない?」

「もうおねだりかい?」

「…もうヴィニーに会えないって思ったら…寂しく泣いてしまうよ。もっと沢山あなたに触れたかったのに…」

「また、会えるだろう?来年でも再来年でも、いつでも会える。長の別れじゃない」

「…」

 拓海の睫に溜まった涙の玉が、ヴィンセントの心を和ませる。

 若さは時に縛られないし、元より我慢などできる老成した考えも必要はないのだ。


 ヴィンセントは拓海の濡れた髪を撫で上げ、拓海の額に口唇を押し付けた。

「これが今の私の拓海への想いだ。…そして、拓海が今の想いを忘れずにいてくれると嬉しい」

「…」

 ヴィンセントのキスは暖かく、言葉は拓海の心を素直にさせた。

 涙が溢れて止まらない。


「大好きだよ、拓海。君の真っ直ぐな心は私には眩しすぎるほどだ。私に力をくれる。大丈夫だ。私は君を忘れない。…また会おう」

「…ヴィン…」

「何度も言う。大好きだよ、拓海」


挿絵(By みてみん)

 拓海が自宅へ帰る前日の夜、ヴィンセントを除いた皆が尚吾の家へ集まり、拓海のお別れパーティを開いた。

 心のこもった手作りの料理は勿論、ヨシュアはギターで歌を歌い、ルイは拓海にワルツを教えた。当然のように女役は拓海の方だ。

 ヤンは拓海の伸び放題の髪をきれいに散髪し、満足そうに「今まで以上にいい男になったぞ」と、拓海の頭を撫でた。

 リオンは額縁に収めた一枚の絵を拓海にプレゼントした。ヴィンセントが拓海の額にキスをしているデッサンだった。

「あの時のふたりは一枚の絵みたいに綺麗だったんだ。心を打つってああいう瞬間を言うんだね。だから、描いてみたんだよ」と、恥ずかしいことをいつもと変わらず飄々と言う。

「ありがとう、リオンさん。…みなさん、ありがとう。おれ、来年もここに来るから。だからまた仲よくしてください!」

 拓海は全員に向かって、頭を深々と下げた。



 翌日の昼前、尚吾の車で自宅に帰る拓海は、改めて乃亜に向かって、頭を下げた。

「お世話になりました、乃亜さん」

「元気で頑張ってね、拓海君。来年と言わずに、いつでも来ていいんだよ」

「うん。取り敢えず、大学に合格したら遊びにくるね」

「楽しみにしてる」

「じゃあ」

「待って。これ渡すの忘れてた」

「え?」

「プロミスリングの貝殻、願いが叶って割れたんでしょ?だから新しいのを昨晩、拓海に君に渡そうと思って、忘れてたの。ごめんね」

「乃亜の天然はかわいいから許すさ。なあ、拓海」

「勿論だよ。じゃあ、今度も乃亜さんに結んでもらってもいい?」

「うん、拓海君の新しい願いが叶いますように…」

 拓海の手首に乃亜の作った新しいプロミスリングが結び付けられた。

「すげえうれしいなあ…。願いが叶うように、おれ、一生懸命頑張るよ」


 拓海は尚吾の運転する車に乗り込んだ。

 出発しようとする丁度その時、郵便配達人が箱を抱え、門のベルを押した。

 庭に出ていた乃亜が応対し、その箱の宛名を見て、尚吾と拓海に聞こえる様に声を上げた。

「ヴィニーから、贈り物だ!」

「開けてごらんよ」と、窓越しに尚吾が叫ぶ。

 乃亜は縁側から部屋に戻り、急いで箱を開けた。

 丁寧に梱包された中からでてきたものは、メイプルシロップや羊毛のセーターなどカナダからの土産品だ。だがヴィンセントが本当に送りたかったものは…

 乃亜は広げた両手に収まるほどの箱を助手席に座った拓海に「ヴィニーから拓海君へって」と、手渡した。

「え?おれに?」

「そうだよ。きっと素敵なものだと思うよ。家に帰ってからひとりでゆっくり開けてごらんよ。その方がロマンチックだから」

「わかった」

 手を振る乃亜に別れを告げて、拓海を乗せた車は夏を過ごした館を離れた。



 尚吾の車に高速に乗り、快適なドライブを続けている。左手に見える海岸線の景色に癒される者は多いが、助手席の拓海にはそんな余裕はない。

 丁寧にラッピングされた箱を拓海はじっと見つめたまま、一体何が入っているのかばかりを考えた。

「尚吾さん、家までどれくらいかかる?」

「順調に行けば二時間ちょいかな」

「そう…」

「その箱が気になって気が気じゃねえみたいだなあ~。我慢しないで開けちまえよ」

「でも乃亜さんが…」

「乃亜には黙ってるよ」

「…」

 尚吾にしては押し付けがましい気がしたが、尚吾もまたヴィンセントのプレゼントの中身が気になるのだろう。あまり見せたくはなかったけれど、お世話になったお礼だと思い、拓海は決心して包まれた紙を丁寧に開いた。

 中から出てきたのはカエデの木でつくられた箱…蓋を開けたら音楽が鳴り始めた。

オルゴールだ。

 箱の中にはバラの花びらのポプリが詰められていた。


「へえ、バラのポプリか…ロマンチックなことするなあ~。まあ、あいつらしいんだけど」

薄くくすんだ空色のバラのポプリはきっとヴィンセントが言っていた「グランブルー」の花びらだ。その証拠にヴィンセントの香りがする。


「拓海、この曲のタイトル知っているか?」

「え?知らないけど…」

「The last rose of summer…『夏の名残りのばら』って言うんだ」

「夏の名残りのばら…」


 拓海はバラの花びらの奥に隠れた小さなカードを見つけ、つまみ出した。


カードには「To Takumi Again someday…」

と、だけ綴られていた。


『いつかまた…いつかまた会おう…そう言ってくれるの?…ありがとう、ヴィンセント。ありがとう…絶対にまた会いに行くから…絶対だよ』


 拓海は幸せだった。

 大好きな尚吾の隣で乃亜に貰ったプロミスリングを撫で、ヴィンセントの香りに包まれながら、拓海に贈られたオルゴールを聴けることに感謝せずにはいられなかった。


「ありがとう…みんな、ありがとう」

 涙ぐむ拓海に、隣でハンドルを握る尚吾はただ「もう一度聞かせてくれよ、その曲」とリクエストした。

 拓海はオルゴールのネジを丁寧に巻き、流れる音に身を任せるのだ。



 車は山間に向かう。

 今はもう海も岬も海岸線も遥か遠くになり、慣れ親しんだ潮風も波の音も聞こえない。

 車の天上ルーフを開けたら、青く広がった空に鱗雲が浮かんでいた。

 拓海はそっと目を閉じ、この夏の軌跡を頭に描いていく。

 決して忘れる事のない夏を…




  When true hearts lie withered.

  And fond ones are flown,

  Oh! Who would inhabit

  This blesk world alone?


       2014.9.12



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