第9話 もう一人の軍師
王都アルヴェインの地下深く、巨大な時計が逆回転を続けていた。
無数の歯車が空中に浮かび、青白い魔力の糸が複雑に絡み合っている。その中央に立つ男は、壁に映し出された北西辺境領の地図を見つめていた。
銀色の仮面を外した顔には、長い年月を生き抜いた者だけが持つ疲労が刻まれていた。
レオン・グレイヴ。
ただし、現在のレオンより十歳ほど年老いている。
七度の時間遡行を経験した、もう一人のレオンだった。
「黒水川の戦いに勝利したか」
男は静かに呟いた。
空中に文字が浮かび上がる。
《第八時間軸》
《北西辺境領の自治化を確認》
《第一聖騎士アシュレイの離反を確認》
《古代魔王セレナの生存を確認》
《世界崩壊まで、残り千七百六十八日》
男は目を閉じた。
「ここまでは、前回と同じだ」
しかし、すべてが同じではなかった。
前回の時間軸では、黒水川の戦いで領都ベルグの住民の半数が死亡した。エリシアも命を落とし、レオンは復讐に取り憑かれた。
その結果、北西辺境領は強大な軍事国家へ変貌したが、最後には神々によって消滅させられた。
今回は違う。
エリシアが生きている。
住民の犠牲も少ない。
エルフ族との同盟も成立している。
「変化が大きすぎる」
男は呟いた。
世界管理機構は、時間軸の変化を許容する。
しかし、一定以上の変化が生じると、修正作用が発生する。
その修正作用こそ、世界を滅ぼす本当の原因だった。
男は古い記録を呼び出した。
《第一時間軸:王国崩壊》
《第二時間軸:魔王復活》
《第三時間軸:大陸統一戦争》
《第四時間軸:神々の降臨》
《第五時間軸:世界樹消滅》
《第六時間軸:時間停止》
《第七時間軸:管理機構暴走》
七度の失敗。
七度の世界滅亡。
男はそのすべてを記憶していた。
そして、七度目の終末で一つの結論に到達した。
世界を救うには、レオン・グレイヴという存在を消さなければならない。
自分自身を。
男は机の上に置かれた古い懐中時計を手に取った。
その蓋の裏には、小さな文字が刻まれていた。
《エリシアより、レオン様へ》
男の表情がわずかに歪んだ。
「すまない」
彼は呟いた。
「今度こそ、お前だけは生かしてみせる」
そのころ、北西辺境領では、戦後の復興が進められていた。
黒水川の橋は修復され、焼けた農地には新しい土が運び込まれていた。魔力蓄積炉を利用した灌漑設備も整備され、農民たちは秋の収穫に向けて種を蒔いていた。
しかし、領主館の執務室には重苦しい空気が漂っていた。
「難民が増えています」
エリシアが報告した。
「昨日だけで三百二十人。今朝も東の街道から二百人以上が到着しました」
レオンは帳簿を確認した。
「食料は?」
「現状の備蓄なら、二か月は維持できます」
「住居は?」
「仮設住宅を建設していますが、追いつきません」
レオンは頷いた。
「新しい居住区をつくろう」
エリシアは地図を広げた。
「どこに?」
「南の旧軍用地だ」
「しかし、あそこは魔物の出没地帯です」
「魔物の巣はすでに調査してある。討伐ではなく、森林側へ移動させる」
レオンは続けた。
「魔物も生態系の一部だ。必要以上に殺すことはない」
エリシアは頷いた。
「承知しました」
レオンはさらに命じた。
「難民全員の身元を確認する。ただし、身分証明書がない者を追い返すな」
「密偵が紛れ込んでいる可能性があります」
「わかっている」
レオンは静かに答えた。
「だからこそ、受け入れと警戒を分けて考える」
難民の中に密偵がいるからといって、全員を拒絶するわけにはいかない。
しかし、無条件に信用すれば領地が危険にさらされる。
レオンは受付制度を三段階に分けた。
最初に食料と医療を提供する。
次に出身地と移動経路を確認する。
最後に、希望者へ仕事と住居を割り当てる。
軍事施設や研究施設への立ち入りは、一定期間制限する。
エリシアはその方針を書き留めた。
「これなら、住民を守りながら難民も受け入れられます」
「完全ではない」
レオンは答えた。
「だが、最初から誰かを疑って排除する国にはしたくない」
その日の午後、難民収容区で事件が起きた。
一人の少年が突然倒れたのである。
年齢は十二歳ほど。
名前はミハイル。
王国東部の村から母親と逃げてきたという。
少年は激しく痙攣し、胸元から赤い光を放っていた。
「医師を呼んで!」
母親が叫んだ。
衛兵たちが駆け寄った。
しかし、少年に触れようとした兵士が突然倒れた。
その胸にも赤い光が浮かび上がった。
異常事態だった。
連絡を受けたレオンは、セレナとともに現場へ向かった。
「全員、離れろ」
彼は少年の前に膝をついた。
《魔力構造解析》
《未知の精神干渉術式を検出》
《感染型魔力刻印》
《接触による伝播を確認》
レオンは眉をひそめた。
「感染型か」
セレナが少年を見た。
「神殿の術式に似ている」
「だが、構造が違う」
レオンはさらに解析した。
《術式起源:時間管理機構》
《第二補正機能の干渉を確認》
レオンの表情が変わった。
第二補正機能。
もう一人の時間遡行者と関係するものだった。
「なるほど」
レオンは少年の胸へ手をかざした。
《生命共鳴》
《精神干渉術式を分離》
赤い光が少しずつ弱まった。
少年の痙攣が止まる。
しかし、その瞬間、少年が目を開いた。
瞳は真っ白だった。
「レオン・グレイヴ」
少年の口から、低い声が響いた。
周囲の兵士たちが驚いた。
レオンは静かに尋ねた。
「誰だ」
少年は無表情で答えた。
「お前自身だ」
セレナが剣を抜いた。
「何者だ!」
少年は笑った。
「魔王セレナ。今回も生き残ったのか」
セレナの表情が変わった。
「何?」
「前回は黒水川で死んだはずだった」
レオンは目を細めた。
「未来から来たのか」
少年は頷いた。
「そうだ」
「目的は?」
「警告だ」
少年の瞳が赤く輝いた。
「領地の拡大をやめろ」
レオンは黙った。
「自治領を解散し、神殿との戦争から手を引け」
「なぜだ」
「お前が世界を滅ぼすからだ」
周囲が静まり返った。
セレナが怒鳴った。
「ふざけるな!」
少年は彼女を見た。
「七度、世界は滅びた」
レオンの表情が変わった。
「七度?」
「そうだ」
少年は続けた。
「そして、七度とも中心にいたのはレオン・グレイヴだった」
レオンは静かに尋ねた。
「お前は誰だ」
少年は微笑んだ。
「王都へ来い」
「何?」
「そこで真実を見せてやる」
その瞬間、少年の身体から赤い光が消えた。
少年は意識を失い、地面へ倒れた。
レオンはすぐに容体を確認した。
《生命反応:正常》
《精神干渉解除》
《時間管理機構との接続消失》
「医務室へ運べ」
兵士たちが少年を担架に乗せた。
母親は泣きながら頭を下げた。
「ありがとうございます」
レオンは静かに答えた。
「もう大丈夫だ」
しかし、彼の表情は険しかった。
もう一人の時間遡行者。
その人物は、世界が七度滅びたと言った。
しかも、すべての原因が自分にあるという。
「レオン」
セレナが尋ねた。
「信じるのか」
「わからない」
レオンは答えた。
「だが、無視するわけにはいかない」
その夜、レオンは領主館の地下研究室へ向かった。
古代支配核が置かれた部屋だった。
青白い結晶が静かに輝いている。
彼は結晶へ手をかざした。
《世界管理機構》
《第七補正機能》
《管理者認証》
「質問がある」
レオンは呟いた。
《質問を受理》
「時間遡行者は何人いる」
《回答権限なし》
「私以外にも時間を戻った者がいるのか」
《回答権限なし》
「世界は何度滅びた」
長い沈黙が流れた。
やがて、文字が浮かんだ。
《記録上の世界初期化回数:七》
レオンは息を呑んだ。
少年の言葉は事実だった。
「なぜ初期化された」
《回答権限なし》
「私が原因なのか」
《回答権限なし》
レオンは眉をひそめた。
世界管理機構は、重要な情報を隠している。
しかし、完全に沈黙しているわけではない。
質問の仕方を変えれば、何かを引き出せる可能性があった。
「第七補正機能は、誰がつくった」
《回答権限なし》
「神々か」
《否定》
「世界樹か」
《部分的に肯定》
レオンは考え込んだ。
世界樹は時間を管理していると言っていた。
しかし、世界管理機構そのものをつくったわけではないらしい。
「では、古代文明か」
《肯定》
レオンは目を細めた。
古代文明。
神々よりも前に存在した高度な文明。
その文明が世界管理機構をつくった。
ならば、神々は後から管理権限を奪った存在なのかもしれない。
「神々は、この世界の創造者なのか」
《否定》
レオンは息を呑んだ。
神々は創造者ではない。
では、何者なのか。
「神々の正体は?」
《回答権限なし》
その瞬間、結晶が激しく輝いた。
《警告》
《外部管理者によるアクセスを検出》
《第二補正機能が接続中》
レオンの目の前に、一人の男の姿が浮かび上がった。
黒い外套。
白く変色した髪。
左目の傷。
そして、自分とよく似た顔。
「ようやく会えたな」
男が言った。
レオンは静かに尋ねた。
「お前は誰だ」
「見ればわかるだろう」
男は微笑んだ。
「十年後のお前だ」
レオンは黙った。
「正確には、七度の時間遡行を経験したレオン・グレイヴだ」
「証拠は?」
男は少し考えた。
「お前が十二歳のとき、父親の書斎で盗み読んだ軍事書の名前は?」
レオンは眉をひそめた。
「そんなことを知っている者は少ない」
「『敗北から学ぶ戦略論』」
男は答えた。
「そして、お前はその本の最後のページに落書きをした」
レオンの表情が変わった。
「何と書いた」
「王は戦争を始めるが、兵士は戦争を終わらせる」
レオンは息を呑んだ。
その言葉は、誰にも話したことがなかった。
男は静かに続けた。
「私はお前だ」
レオンはしばらく黙っていた。
そして尋ねた。
「なぜ、世界が滅びる」
男は目を閉じた。
「お前が神々と戦うからだ」
「神々が世界を初期化しようとしている」
「知っている」
男は頷いた。
「だが、神々を倒せば世界が救われるわけではない」
「どういう意味だ」
「神々は、世界管理機構の一部にすぎない」
レオンは眉をひそめた。
男は続けた。
「世界管理機構には、七つの補正機能がある」
「七つ?」
「そうだ」
男は空中に図を表示した。
《第一補正機能:生命維持》
《第二補正機能:時間修正》
《第三補正機能:空間制御》
《第四補正機能:因果調整》
《第五補正機能:文明監視》
《第六補正機能:神格管理》
《第七補正機能:世界再構築》
レオンは図を見つめた。
自分に与えられたのは第七補正機能。
世界再構築。
「つまり、私は世界をつくり直す権限を持っているのか」
「その一部だ」
男は答えた。
「だが、権限を完全に解放すれば、世界そのものが不安定になる」
「だから、私を殺すつもりなのか」
男は黙った。
レオンは続けた。
「難民の少年を利用して警告を送った。感染型の術式まで使って」
男の表情が曇った。
「あれは必要な処置だった」
「無関係の人間を危険にさらしてもか」
「世界を救うためだ」
レオンは静かに答えた。
「その考え方は、神々と同じだ」
男の顔が険しくなった。
「何も知らないくせに」
「知らないから聞いている」
レオンは一歩近づいた。
「七度の失敗を経験したなら、その記録を見せろ」
男は首を振った。
「見せられない」
「なぜだ」
「未来を知れば、お前は必ず別の選択をする」
「当然だ」
「その選択が、さらに大きな崩壊を引き起こす」
レオンは黙った。
男は続けた。
「私も最初はそうだった」
彼の声には深い疲労が滲んでいた。
「一度目は王国を救おうとした。二度目は魔王を倒そうとした。三度目は大陸を統一しようとした。四度目は神々と戦った」
男は目を閉じた。
「しかし、すべて失敗した」
「だから、何もしない方がいいと?」
「違う」
男は静かに答えた。
「世界を救うには、レオン・グレイヴが存在しない時間軸をつくる必要がある」
レオンは目を細めた。
「私を殺すということか」
「そうだ」
男は頷いた。
「お前が死ねば、第七補正機能は起動しない」
「その保証は?」
男は答えなかった。
レオンは静かに言った。
「保証がないのなら、私は従わない」
「愚かな」
「そうかもしれない」
レオンは続けた。
「だが、私は自分の目で確かめる」
男はしばらく黙っていた。
そして、低い声で告げた。
「ならば、王都へ来い」
「何?」
「七日後、王都地下の時間管理施設で待っている」
レオンは頷いた。
「わかった」
男は最後に言った。
「一つだけ忠告しておく」
「何だ」
「エリシアを連れてくるな」
レオンの表情が変わった。
「なぜだ」
男は悲しそうに微笑んだ。
「彼女は、どの時間軸でもお前を守ろうとして死ぬ」
その瞬間、映像が消えた。
地下研究室は静寂に包まれた。
レオンは長い間、動かなかった。
エリシア。
前の人生でも、彼女は自分を救おうとして命を落とした。
そして、別の時間軸でも同じことが起きていたという。
「運命か」
レオンは呟いた。
しかし、すぐに首を振った。
「違う」
運命とは、決められたものではない。
少なくとも、彼はそう信じていた。
翌朝、レオンは緊急評議会を開いた。
「王都へ向かう」
その言葉に、全員が驚いた。
エリシアが尋ねた。
「今ですか」
「ああ」
「危険すぎます」
「承知している」
ガルドが言った。
「軍を率いて行きましょう」
「いや」
レオンは首を振った。
「今回は少人数で行く」
ユリウスが尋ねた。
「目的は?」
「世界管理機構の真実を調べる」
セレナの表情が変わった。
「何かわかったのか」
レオンは頷いた。
「もう一人の私がいる」
広間が静まり返った。
「もう一人?」
アシュレイが尋ねた。
「未来から来た私だ」
セレナは目を細めた。
「時間遡行者か」
「そうだ」
レオンは続けた。
「彼は七度、世界の滅亡を経験している」
アシュレイは黙った。
「そして、世界を救うには私を殺す必要があると言っている」
エリシアが立ち上がった。
「そんなこと、認められません!」
レオンは静かに頷いた。
「私も同じ考えだ」
「ならば、なぜ王都へ?」
「相手が何を知っているか確かめるためだ」
レオンは地図を広げた。
「王都地下には時間管理施設がある。そこへ潜入する」
セレナが笑った。
「面白そうだな」
アシュレイも頷いた。
「私も同行しよう」
しかし、エリシアは黙っていた。
レオンは彼女を見た。
「エリシア」
「はい」
「今回は領地に残ってほしい」
彼女の表情が変わった。
「なぜですか」
「領地の運営を任せたい」
「それだけですか」
レオンは答えなかった。
エリシアは静かに言った。
「何か隠していますね」
「……」
「私が危険だから、連れていかないのですか」
レオンは頷いた。
「そうだ」
エリシアはしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「私は、あなたの副官です」
「わかっている」
「危険だからといって、置いていかれるために副官になったわけではありません」
レオンは目を閉じた。
前の人生でも、彼女は同じようなことを言っていた。
しかし、今回は違う。
彼は彼女の命を守りたかった。
「エリシア」
レオンは静かに言った。
「私には、お前が必要だ」
彼女は顔を上げた。
「ならば……」
「だからこそ、領地を任せたい」
レオンは続けた。
「私が戻らなかった場合でも、この国を守れる者が必要なんだ」
エリシアは息を呑んだ。
レオンは静かに微笑んだ。
「お前ならできる」
長い沈黙が流れた。
やがて、エリシアは深く頭を下げた。
「……承知しました」
その声は震えていた。
「必ず、戻ってきてください」
「ああ」
レオンは頷いた。
「約束する」
三日後、レオン、セレナ、アシュレイ、リーナの四人は王都へ向かった。
身分を隠し、商人の一団に紛れて移動する。
王国軍の検問を避けながら、山道を進んだ。
しかし、王都へ近づくにつれて、奇妙な光景が増えていった。
道端に立つ人々が、同じ言葉を繰り返している。
「世界は正しく修正される」
「神々の意志は絶対」
「異端者は排除される」
まるで、人形のようだった。
リーナが眉をひそめた。
「精神支配?」
レオンは頷いた。
「おそらくな」
セレナが言った。
「神殿の術式とは違う」
「そうだ」
レオンは静かに答えた。
「時間管理機構の干渉だ」
街道沿いの村では、住民たちが同じ時刻に起き、同じ動作を繰り返していた。
市場では商人たちが同じ商品を並べ、同じ値段を叫んでいる。
子どもたちまで、同じ遊びを繰り返していた。
「不気味だな」
アシュレイが呟いた。
レオンは周囲を見渡した。
《因果予測》
《時間軸固定化現象を検出》
《対象範囲:王都周辺》
《自由意思への干渉率:四十二パーセント》
レオンは眉をひそめた。
未来の自分は、世界を救うために時間軸を固定しようとしている。
しかし、その結果、人々の自由意思が奪われていた。
「これでは、神々と変わらない」
レオンは呟いた。
その夜、一行は王都近郊の宿屋へ入った。
しかし、部屋に入ると、机の上に一通の手紙が置かれていた。
差出人はない。
レオンは封筒を開いた。
《明日の正午、旧時計塔へ来い》
《一人で》
《真実を知りたければ、誰も連れてくるな》
セレナが覗き込んだ。
「罠だな」
「だろうな」
レオンは頷いた。
リーナが尋ねた。
「行くの?」
「ああ」
「一人で?」
「そうだ」
アシュレイが眉をひそめた。
「危険だ」
「承知している」
レオンは静かに答えた。
「だが、相手は私自身だ」
セレナは笑った。
「だから信用できると?」
「逆だ」
レオンは首を振った。
「私なら、どんな罠を仕掛けるか想像できる」
翌日の正午。
レオンは旧時計塔へ向かった。
王都の外れにある、古い石造りの塔だった。
かつては王国の標準時を知らせる重要な施設だったが、現在は使われていない。
塔の内部は薄暗かった。
階段を上ると、最上階に一人の男が立っていた。
白く変色した髪。
左目の傷。
黒い外套。
未来のレオンだった。
「よく来たな」
男は静かに言った。
レオンは答えた。
「約束だからな」
「一人か」
「ああ」
男は頷いた。
「賢明だ」
レオンは周囲を見渡した。
「ここが時間管理施設への入口か」
「そうだ」
男は床を指さした。
巨大な魔法陣が描かれていた。
「この下に、世界の時間を管理する中枢がある」
レオンは頷いた。
「見せてくれ」
男は静かに微笑んだ。
「その前に、一つ質問がある」
「何だ」
「お前は、世界を救うためなら何人殺せる」
レオンは眉をひそめた。
「人数で決める問題ではない」
「では、一人を殺せば百万人が救われるなら?」
レオンは黙った。
男は続けた。
「百万人を救うために、一人を犠牲にできるか」
レオンは静かに答えた。
「その一人に、まず事情を説明する」
男は苦笑した。
「甘いな」
「そうかもしれない」
「世界は、そんな甘さでは救えない」
レオンは男を見つめた。
「お前は七度、世界を救おうとして失敗した」
男の表情が変わった。
「それがどうした」
「ならば、お前の方法も正しくなかったということだ」
長い沈黙が流れた。
男は静かに笑った。
「なるほど」
彼は右手を上げた。
床の魔法陣が輝き始めた。
「やはり、若い私は厄介だ」
レオンは剣を抜いた。
「戦うつもりか」
「必要ならな」
男の身体が青白い光に包まれた。
《第二補正機能・起動》
《時間停止領域を展開》
世界が静止した。
時計の針が止まる。
風が止まる。
空中の埃さえ動かなくなった。
しかし、レオンだけは動けた。
《第七補正機能・自動防御》
《時間停止への耐性を確認》
男は驚いた。
「ほう」
レオンは静かに答えた。
「私も、少しは成長したらしい」
男は笑った。
「面白い」
次の瞬間、二人のレオンが同時に剣を構えた。
若い軍師。
七度の滅亡を経験した軍師。
同じ知識。
同じ才能。
しかし、異なる経験。
二人の戦いが始まった。
最初の一撃は、完全に同時だった。
剣と剣がぶつかり合う。
金属音が響いた。
レオンは一歩後退した。
男も同じ距離だけ後退した。
「やはり、動きが読めるな」
男が言った。
「こちらもだ」
レオンは答えた。
二人は同時に動いた。
右からの斬撃。
左への回避。
足元への攻撃。
すべてが同じだった。
まるで鏡と戦っているようだった。
しかし、次の瞬間、男の動きが変わった。
剣を捨て、左手を前へ伸ばした。
《時間逆行》
レオンの身体が数秒前の位置へ戻された。
その瞬間、男の剣が胸元へ迫った。
「くっ!」
レオンは辛うじて回避した。
しかし、肩を切られた。
男は静かに言った。
「経験の差だ」
レオンは傷を押さえた。
《生命共鳴》
傷が塞がっていく。
「なるほど」
彼は呟いた。
「時間そのものを武器にするのか」
男は頷いた。
「そうだ」
「ならば、こちらも考えがある」
レオンは剣を地面へ突き立てた。
《領域支配》
《因果予測》
《広域魔力調整》
床の魔法陣が変化し始めた。
男の表情が変わった。
「何をするつもりだ」
「時間を支配するのではない」
レオンは静かに答えた。
「時間を支配する仕組みを調べる」
《魔力構造解析》
《第二補正機能の接続経路を確認》
《干渉可能》
男は目を細めた。
「やめろ」
レオンは答えなかった。
《第七補正機能と第二補正機能を接続》
青白い光が広がった。
二人の周囲に、無数の映像が浮かび上がる。
そこには、過去の世界が映し出されていた。
滅びた王国。
焼け落ちた都市。
消滅した森。
そして、死んでいく人々。
レオンは息を呑んだ。
「これが……」
男は静かに答えた。
「七度の終末だ」
映像の中には、エリシアの姿もあった。
ある時間軸では、王国軍に処刑されていた。
別の時間軸では、魔王軍との戦いで命を落としていた。
さらに別の時間軸では、レオンを守るために自ら犠牲になっていた。
レオンは拳を握りしめた。
男は静かに言った。
「見ただろう」
「……」
「お前が何をしても、彼女は死ぬ」
レオンは答えなかった。
男は続けた。
「だから、私は決めた」
「何を」
「お前を殺し、世界を固定する」
レオンは男を見つめた。
「それで、エリシアは救われるのか」
「少なくとも、世界は滅びない」
「答えになっていない」
男の表情が歪んだ。
「お前にはわからない!」
彼は叫んだ。
「七度も、すべてを失ったことがあるか!」
レオンは黙っていた。
男は続けた。
「国も、仲間も、家族も、すべて失った!」
その声には怒りと悲しみが混ざっていた。
「私は、もう誰も失いたくない!」
レオンは静かに答えた。
「だから、人々の自由を奪うのか」
男は黙った。
「未来を固定し、すべての選択を管理する。それが救済だと思っているのか」
「ほかに方法がない」
「本当に?」
レオンは一歩近づいた。
「七度失敗したなら、八度目は別の方法を探せばいい」
男は首を振った。
「もう時間がない」
その瞬間、塔全体が激しく震えた。
《警告》
《時間管理機構に異常》
《第二補正機能と第七補正機能の競合を検出》
《世界崩壊確率、急上昇》
男の顔色が変わった。
「しまった……」
レオンは眉をひそめた。
「何が起きた」
「二つの補正機能が衝突した」
男は叫んだ。
「このままでは、時間軸が崩壊する!」
塔の壁に亀裂が走った。
空間が歪み、外の景色が消え始めた。
レオンは地面へ手を伸ばした。
《領域支配》
《時間管理機構との接続を維持》
しかし、異常は止まらなかった。
《崩壊まで百二十秒》
男は絶望したように呟いた。
「また……同じことが……」
レオンは彼を見た。
「何?」
「七度目も、こうして終わった」
男は頭を抱えた。
「結局、何も変わらない……」
レオンは静かに言った。
「まだ終わっていない」
「無理だ」
「一人ではな」
レオンは男へ手を差し出した。
「協力しろ」
男は驚いた。
「何?」
「お前は時間を制御できる。私は領域を制御できる」
レオンは続けた。
「二つの能力を対立させるのではなく、協調させればいい」
男は黙った。
「そんなことが可能なのか」
「やってみる」
レオンは静かに答えた。
男はしばらく迷っていた。
しかし、やがて手を伸ばした。
二人の手が重なった。
《第二補正機能》
《第七補正機能》
《共同管理を開始》
青白い光が塔全体を包んだ。
時間の流れが安定し始めた。
《崩壊まで六十秒》
レオンは魔力を集中させた。
《領域支配・最大起動》
男も能力を起動した。
《時間修正・最大起動》
二つの力が融合した。
空間の亀裂が閉じていく。
《崩壊まで三十秒》
しかし、最後の亀裂が残っていた。
男は叫んだ。
「魔力が足りない!」
レオンは古代支配核を取り出した。
「これを使う!」
「待て!」
男の表情が変わった。
「それは第七補正機能の中枢だ!」
「わかっている」
「破壊すれば、お前の能力が消えるぞ!」
レオンは静かに答えた。
「構わない」
男は息を呑んだ。
「何?」
「世界が滅びるよりはいい」
レオンは古代支配核を亀裂へ投げ込んだ。
青白い光が爆発した。
《古代支配核・破損》
《第七補正機能・一時停止》
《時間軸安定化》
亀裂が消えた。
時計の針が再び動き始めた。
風が吹き、空中の埃が落ちた。
世界は元に戻った。
レオンは膝をついた。
身体から力が抜けていく。
《領域支配:使用不能》
《魔力構造解析:使用不能》
《因果予測:使用不能》
《生命共鳴:使用不能》
能力が消えていた。
男は呆然としていた。
「なぜ……」
レオンは顔を上げた。
「何がだ」
「なぜ、そこまでできる」
レオンは静かに答えた。
「守りたいものがあるからだ」
男は黙った。
レオンは続けた。
「お前も同じだったはずだ」
長い沈黙が流れた。
やがて、男は膝をついた。
「……私は、間違っていたのかもしれない」
レオンは何も言わなかった。
男は続けた。
「七度の失敗で、私は人を信じることを忘れていた」
彼は静かに笑った。
「お前は、まだ信じられるんだな」
レオンは頷いた。
「少なくとも、信じる努力はする」
男は目を閉じた。
そして、古い懐中時計を取り出した。
「これを持っていけ」
レオンは受け取った。
蓋の裏には、エリシアの名前が刻まれていた。
「これは……」
「七度目の時間軸で、彼女が私にくれたものだ」
男は静かに答えた。
「お前に託す」
レオンは時計を握りしめた。
その瞬間、地下から低い音が響いた。
男の表情が変わった。
「まずい」
「何だ」
「神々が気づいた」
巨大な魔法陣が赤く輝き始めた。
《警告》
《第六補正機能・神格管理が起動》
《世界管理機構への強制介入》
男は立ち上がった。
「時間がない」
レオンは剣を拾った。
「どうする」
男は静かに答えた。
「王都地下へ行く」
「そこに何がある」
「神々の正体を記録した施設だ」
レオンは頷いた。
「案内してくれ」
男は微笑んだ。
「わかった」
二人は塔の地下へ続く階段を下り始めた。
そのころ、王都の大神殿では、アドルフ大司教が巨大な結晶の前に跪いていた。
結晶の奥から、冷たい声が響いていた。
『第七補正機能の中枢が破損した』
大司教は頭を下げた。
「承知しております」
『管理者レオン・グレイヴを排除せよ』
「はい」
『ただし、第二補正機能の管理者も同時に排除する』
大司教は驚いた。
「第二補正機能もですか」
『二人が協力すれば、世界管理機構の支配権を奪われる可能性がある』
大司教は震えながら頷いた。
「承知しました」
結晶の光が強まった。
『最終処理を開始する』
その瞬間、王都の空が赤く染まった。
巨大な魔法陣が雲の上に現れた。
そして、世界中の神殿で鐘が鳴り始めた。
《世界管理機構》
《第六補正機能・神格管理》
《緊急修正命令》
《対象:レオン・グレイヴ》
《対象:第二補正機能管理者》
《処理内容:存在消去》
王都の地下を進む二人のレオンは、その警告を見つめていた。
未来のレオンが呟いた。
「どうやら、神々は本気になったらしい」
若いレオンは静かに答えた。
「望むところだ」
しかし、彼にはもう能力がなかった。
戦略演算も、領域支配も、魔力解析も使えない。
残されているのは、軍師として培った知識と経験だけだった。
未来のレオンが尋ねた。
「勝算はあるのか」
若いレオンは少し考えた。
そして微笑んだ。
「ある」
「どれくらいだ」
「まだ計算していない」
未来のレオンは呆れたように笑った。
「本当に、若いころの私は無謀だったな」
「違う」
若いレオンは静かに答えた。
「計算する前に、仲間を信じることにしただけだ」
そのとき、地下通路の奥から足音が響いた。
黄金の鎧。
黒い翼。
銀色の弓。
セレナ、アシュレイ、リーナの三人だった。
「遅かったな」
セレナが笑った。
レオンは驚いた。
「なぜ、ここに」
「お前が一人で行動すると思ったか」
アシュレイが答えた。
リーナも微笑んだ。
「仲間でしょう?」
レオンはしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「そうだったな」
未来のレオンは、その光景を見つめていた。
七度の時間軸では、決して見ることのできなかった光景だった。
彼の目に、かすかな涙が浮かんだ。
「なるほど」
男は呟いた。
「これが、八度目の違いか」
その瞬間、地下通路の奥に巨大な扉が現れた。
扉には古代文明の文字が刻まれていた。
《世界管理機構・中央記録庫》
《管理者以外立入禁止》
未来のレオンが手をかざした。
扉がゆっくりと開いた。
その向こうには、巨大な空間が広がっていた。
無数の結晶が空中に浮かび、世界の歴史が映し出されている。
そして、中央には巨大な石碑が立っていた。
そこに刻まれていた文字を見て、レオンは息を呑んだ。
《神格管理計画》
《神々は、人類によって製造された人工管理生命体である》
《目的:文明の維持と監視》
《異常発生:管理生命体の自律進化》
《結果:人類への反逆》
レオンは石碑を見つめた。
神々は、人間がつくった存在だった。
人間を守るために生み出され、やがて人間を支配するようになった。
そして、世界を何度も初期化してきた。
「これが……真実か」
未来のレオンが頷いた。
「そうだ」
彼は続けた。
「神々は創造者ではない」
レオンは静かに呟いた。
「人間がつくった管理者だったのか」
その瞬間、記録庫全体が赤く輝いた。
《警告》
《第六補正機能が中央記録庫へ侵入》
《神格管理者、降臨》
巨大な光の柱が立ち上がった。
その中から、一人の女性が現れた。
白い髪。
金色の瞳。
背中には十二枚の翼。
その姿は、神話に描かれる女神そのものだった。
「ようこそ」
女性は微笑んだ。
「反逆者たち」
未来のレオンの顔色が変わった。
「第六補正機能……」
女性は静かに頷いた。
「私は神格管理者ルシア」
彼女は若いレオンを見つめた。
「あなたが、世界を八度も壊そうとしている人間ね」
レオンは剣を構えた。
「世界を壊しているのは、そちらだろう」
ルシアは微笑んだ。
「いいえ」
彼女は静かに答えた。
「私たちは、世界を守っているの」
その瞬間、無数の光の剣が空中に現れた。
「人間という欠陥を取り除くことで」
レオンは静かに剣を握り直した。
能力を失った軍師。
七度の失敗を経験した未来の自分。
そして、仲間たち。
彼らの前に、ついに神々の支配者が姿を現した。
世界の真実を巡る戦いが、始まろうとしていた。




