↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/15

第7話 八千の軍勢と裏切りの影

北西辺境領の朝は、いつもより静かだった。

領都ベルグの街路から人影が消え、商店の扉は固く閉ざされていた。広場には荷馬車が並び、老人や子どもたちが山間部の避難施設へ移動している。領民たちは不安を隠せなかったが、混乱は起きていなかった。

行政監察官レオン・グレイヴが、敵軍の侵攻に備えて避難計画を立てていたからだった。

「西区の住民、避難完了しました!」

「北区の食料備蓄、移送終了!」

「地下避難路の安全確認、完了!」

領主館には次々と報告が届いていた。

エリシア・フェルンは執務室の中央に立ち、地図を見ながら指示を出していた。

「負傷者と高齢者を優先してください。荷物は最小限に。家財道具は後で取り戻せますが、命は取り戻せません」

若い兵士が駆け込んできた。

「副官殿! 南東の監視所から報告です!」

「敵軍ですか」

「はい! 先鋒二千が山岳街道へ進入しました!」

エリシアは頷いた。

「予定どおりですね」

彼女は地図に赤い印をつけた。

王国軍五千。

神聖騎士団三千。

合計八千。

対する北西辺境領の常備兵力は三百四十人。訓練中の民兵を加えても五百人程度だった。

エルフ族から千人以上の援軍が派遣される予定だったが、まだ到着していない。

通常ならば、絶望的な戦力差である。

しかし、エリシアは不思議と落ち着いていた。

彼女はレオンを信じていた。

これまで、彼が不可能に見える戦いを何度も覆してきたことを知っている。

だが、その信頼は盲信ではなかった。彼女はレオンが不在の間に、万一防衛線が突破された場合の退却経路も用意していた。

勝利を信じることと、敗北に備えることは矛盾しない。

それが、レオンから学んだ軍師の考え方だった。

そのころ、領都から南へ二十キロメートルの街道では、神聖騎士団が進軍を続けていた。

先頭に立つのは第二聖騎士ヴェルナー。

黒い鎧をまとい、背中に四枚の翼を持つ男だった。

彼の周囲には、白銀の鎧をまとった神聖騎士たちが整然と並んでいる。

「敵の防衛線を確認しました」

副官が報告した。

「黒水川沿いに魔力障壁が展開されています」

ヴェルナーは無表情だった。

「障壁の強度は」

「通常の攻城魔法では突破困難と推定されます」

「問題ない」

ヴェルナーは剣を抜いた。

その刃から黒い炎が立ち上る。

「神々の力に抗える防壁など存在しない」

彼は剣を振り下ろした。

遠く離れた山の斜面が爆発した。

巨大な岩塊が崩れ、地面が激しく震える。

副官は息を呑んだ。

「素晴らしい威力です」

ヴェルナーは剣を収めた。

「進軍を続けろ」

しかし、その背後で、一人の神聖騎士が不安そうに空を見上げていた。

彼の名はハインツ。

神聖騎士団に所属して十年になる男だった。

これまで神々の命令を疑ったことはなかった。

しかし、今回の任務には違和感があった。

北西辺境領の住民をすべて排除せよ。

それが正式な命令だった。

兵士だけではない。

老人も、女性も、子どもも。

領地に存在する生命を残してはならないという。

ハインツは剣を握りしめた。

本当に、これが神々の望む正義なのだろうか。

彼は隣の騎士に小声で尋ねた。

「なあ、今回の命令をどう思う」

騎士は無表情で答えた。

「神々の命令は絶対だ」

「しかし、民間人まで……」

「異端者に加担する者は、すべて罪人だ」

ハインツは黙った。

神聖騎士団の中では、疑問を口にすること自体が危険だった。

その日の夕方、レオンたちは領都ベルグへ帰還した。

エリシアが門の前で出迎えた。

「お帰りなさいませ」

「状況は?」

「敵軍先鋒が山岳街道へ入りました。主力は明日の昼ごろ黒水川へ到達する見込みです」

「避難は?」

「八割が完了しました」

レオンは頷いた。

「よくやった」

エリシアは少しだけ微笑んだ。

「ありがとうございます」

その背後に立つアシュレイを見て、彼女は表情を引き締めた。

「この方が……」

「第一聖騎士アシュレイだ」

アシュレイは静かに頭を下げた。

「これまでの非礼を詫びる」

エリシアは戸惑った。

かつてレオンを処刑しようとしていた男が、今は味方として立っている。

しかし、レオンが連れてきた以上、彼女はその判断を尊重することにした。

「歓迎します」

アシュレイは頷いた。

「できる限り協力しよう」

その夜、領主館では緊急軍議が開かれた。

レオンは地図を広げた。

「敵の進軍経路は三つに分かれる」

彼は黒水川を指さした。

「中央街道から四千。南の丘陵地帯から二千。北の山道から二千」

ガルドが尋ねた。

「どうやって止めるんですか」

「三つの経路を、すべて黒水川の東岸へ誘導する」

ユリウスが眉をひそめた。

「敵を一か所に集めるのですか」

「そうだ」

「危険ではありませんか」

「敵が分散している方が危険だ」

レオンは続けた。

「こちらの兵力は少ない。三方向を同時に守ることはできない」

エリシアが頷いた。

「地形を利用して、敵の行動を制限するのですね」

「その通り」

レオンは新しい設計図を広げた。

そこには巨大な魔法陣が描かれていた。

「これは?」

アシュレイが尋ねた。

「神聖干渉遮断結界だ」

セレナが目を細めた。

「そんなものをつくったのか」

「古代研究所の資料を参考にした」

レオンは説明を始めた。

神聖騎士団の力は、神々との契約によって供給されている。

その接続を一時的に遮断すれば、騎士たちは神聖魔法を使えなくなる。

ただし、完全に無力化できるわけではない。

騎士自身の剣術や身体能力は残る。

「それでも、戦力差は大きく縮まる」

アシュレイが頷いた。

「理論上は可能だ」

「問題は魔力消費量だ」

レオンは続けた。

「八千人を覆うほどの広域結界を維持するには、膨大な魔力が必要になる」

セレナが笑った。

「地下鉱脈を使うのだろう」

「それだけでは足りない」

レオンはアシュレイを見た。

「神聖騎士の契約構造を調べたい」

アシュレイは頷いた。

「構わない」

レオンは彼の胸元に手をかざした。

《魔力構造解析》

《神格契約の残留構造を検出》

《接続方式:七重共鳴》

《遮断可能》

《必要魔力量:推定値の四十二パーセント》

レオンの目が輝いた。

「なるほど」

「何かわかったのか」

アシュレイが尋ねた。

「全員の神聖魔力を個別に遮断する必要はない」

レオンは答えた。

「神々との共通接続点を遮断すればいい」

セレナは笑った。

「つまり、一本の根を切れば枝がすべて枯れるということか」

「そうだ」

レオンは地図の中央に印をつけた。

「黒水川の東岸に結界の中心を設置する」

ガルドが尋ねた。

「敵が結界に入らなかったら?」

「入らざるを得ない状況をつくる」

レオンは静かに答えた。

「敵の目的は領都の破壊だ。最短経路を塞ぎ、進める道を一つに限定すれば、必ずそこへ来る」

軍議は深夜まで続いた。

その間、レオンは兵士たちの配置を細かく決めた。

弓兵は丘陵地帯。

魔法兵は黒水川沿い。

騎兵は領都の南側で待機。

エルフ族の援軍は北方から進入し、敵の退路を監視する。

そして、アシュレイとセレナには特別な任務を与えた。

「ヴェルナーを止めてほしい」

レオンが告げた。

アシュレイは頷いた。

「わかった」

セレナは微笑んだ。

「今度は兄妹で戦うわけか」

アシュレイは静かに答えた。

「千年前とは違う」

セレナの表情が柔らかくなった。

「そうだな」

しかし、そのころ、領都ベルグの地下では、別の計画が進行していた。

古い下水道。

そこを黒い外套の男が歩いていた。

男の名はラザル。

神殿が送り込んだ暗殺者だった。

彼の任務は、レオンを殺すことではない。

領都の地下に眠る古代支配核を奪うことだった。

ラザルは壁に刻まれた紋章を見つめた。

「ここか」

彼は懐から黒い結晶を取り出した。

《神格認証》

《侵入権限を確認》

古い石壁が音もなく開いた。

その奥には、巨大な地下通路が続いていた。

ラザルは微笑んだ。

「愚かな軍師だ」

彼は呟いた。

「外の敵ばかり気にして、内側の敵を見落としている」

しかし、彼は知らなかった。

その行動が、すでに監視されていることを。

領主館の地下研究室では、ドランが魔力監視装置を調整していた。

「監察官様」

彼は通信装置へ話しかけた。

「地下に不審な魔力反応があります」

レオンの声が返ってきた。

『位置は?』

「旧下水道の第三区画です」

『予定どおりだ』

ドランは驚いた。

「ご存じだったのですか」

『敵が内部から侵入する可能性は考えていた』

レオンは静かに答えた。

『そのために、古い通路を一部だけ開放しておいた』

ドランは目を丸くした。

「罠だったのですか」

『そうだ』

レオンは続けた。

『ただし、敵を殺すな。捕らえて情報を引き出す』

通信が切れた。

そのころ、ラザルは地下通路の奥へ進んでいた。

やがて、巨大な扉が現れた。

中央には古代文明の紋章。

ラザルは黒い結晶を扉へ押し当てた。

《認証開始》

《神格権限を確認》

《扉を開放》

巨大な扉がゆっくりと開いた。

ラザルは笑った。

「これで、支配核は神殿のものだ」

しかし、扉の向こうには何もなかった。

ただ、広い空間があるだけだった。

「……何?」

その瞬間、背後の扉が閉まった。

地面から青白い光が立ち上がる。

《拘束結界・起動》

ラザルの身体が動かなくなった。

「罠か!」

空間の奥から足音が響いた。

現れたのはレオンだった。

「ようこそ」

彼は静かに微笑んだ。

「ずいぶん遠くまで来たな」

ラザルは歯ぎしりした。

「貴様……」

「神殿の暗殺者だろう」

「答える義務はない」

「そうか」

レオンは椅子に腰を下ろした。

「では、こちらから質問する」

ラザルは睨みつけた。

「何も話さない」

「神殿は、なぜ古代支配核を欲しがっている」

「知らん」

「王都地下の古代兵器と関係があるのか」

ラザルの表情がわずかに変わった。

レオンは見逃さなかった。

「なるほど」

「何がだ」

「やはり、王都地下の兵器が目的か」

ラザルは黙った。

レオンは続けた。

「神殿は七つの精神収集装置を使い、古代兵器を起動しようとしている。しかし、起動には管理者権限が必要だ」

ラザルの顔色が変わった。

「なぜ、それを……」

「そして、その権限の一部が、この領地の古代支配核に存在する」

レオンは静かに答えた。

「違うか」

ラザルは唇を噛んだ。

レオンは確信した。

神々は単に世界を破壊しようとしているのではない。

古代文明の管理システムを奪い、世界そのものを書き換えようとしている。

「もう一つ聞こう」

レオンはラザルを見た。

「世界再編計画が成功した場合、人間はどうなる」

ラザルは笑った。

「救われる」

「どういう意味だ」

「争いも、苦しみも、飢えもなくなる」

「自由もなくなるのか」

ラザルは黙った。

レオンは続けた。

「神々に従うだけの存在になるということか」

ラザルは目を逸らした。

「それが幸福だ」

レオンは静かに答えた。

「幸福を決めるのは、本人だ」

ラザルは何も言わなかった。

そのとき、地下空間に警告音が響いた。

《緊急警告》

《神格認証装置に異常》

《外部からの遠隔干渉を検出》

レオンの表情が変わった。

ラザルの胸元に埋め込まれていた黒い結晶が赤く輝き始めた。

「何だ……?」

ラザル自身も驚いていた。

《自己消去命令を検出》

《対象:ラザル》

レオンは即座に動いた。

「動くな!」

彼はラザルの胸元へ手を伸ばした。

《魔力構造解析》

《神格接続遮断》

黒い結晶が砕け散った。

ラザルは床へ崩れ落ちた。

しかし、生きていた。

「なぜ……」

彼は震える声で尋ねた。

「なぜ助けた」

レオンは答えた。

「お前を殺す理由がない」

「俺は、お前の敵だぞ」

「今はな」

ラザルは呆然としていた。

レオンは続けた。

「神殿は、お前が捕まった瞬間に処分しようとした」

ラザルは震える手で胸を押さえた。

「そんな……」

「使い捨ての駒だったということだ」

長い沈黙が流れた。

やがて、ラザルは顔を上げた。

「……何を知りたい」

レオンは静かに答えた。

「神殿の内部構造だ」

ラザルは頷いた。

「わかった。話す」

その夜、レオンはラザルから重要な情報を得た。

神殿には七人の最高神官が存在すること。

それぞれが精神収集装置を管理していること。

そして、王都地下の古代兵器には、七つの鍵が必要であること。

「鍵?」

レオンが尋ねた。

ラザルは頷いた。

「七つの神格結晶だ」

「どこにある」

「各施設の管理者が持っている」

レオンは考え込んだ。

黒岩修道院。

世界樹。

すでに二つの施設を停止させている。

ならば、神格結晶も残されている可能性があった。

「なるほど」

彼は静かに呟いた。

「敵の計画を止めるには、残り五つの施設を制圧する必要がある」

ラザルは頷いた。

「だが、簡単ではない」

「なぜだ」

「残りの施設には、それぞれ神格級の守護者が配置されている」

レオンは目を細めた。

「神格級……」

「しかも、施設を一つ停止するたび、神々の警戒が強まる」

レオンは黙った。

敵は確実に強くなっていく。

しかし、退くわけにはいかなかった。

翌朝、敵軍八千が黒水川東岸へ到達した。

ヴェルナーは対岸の防衛線を見つめた。

そこには巨大な魔力障壁が展開されていた。

「小細工だ」

彼は剣を抜いた。

「全軍、攻撃準備」

神聖騎士団が一斉に魔力を高める。

空が白く輝いた。

その瞬間、黒水川の水面が青白く光り始めた。

《神聖干渉遮断結界・起動》

巨大な魔法陣が川の上に浮かび上がった。

ヴェルナーの表情が変わった。

「何だ、これは」

神聖騎士たちの身体から光が消え始めた。

「魔力が……」

「神聖魔法が使えない!」

騎士団に動揺が広がった。

ヴェルナーは剣を振り上げた。

しかし、黒い炎が現れない。

「馬鹿な……」

そのとき、対岸の丘にレオンが姿を現した。

「ようこそ、北西辺境領へ」

彼の声が魔法によって拡大された。

「武器を捨てて撤退するなら、追撃はしない」

ヴェルナーは怒りに震えた。

「レオン・グレイヴ!」

「これ以上、無意味な戦闘を続ける必要はない」

「黙れ!」

ヴェルナーは剣を掲げた。

「全軍、突撃!」

八千人の兵士が動き始めた。

しかし、その瞬間、地面が震えた。

黒水川の両岸から巨大な岩壁が立ち上がる。

敵軍の進路が次々と塞がれた。

さらに、川の水が逆流し、巨大な水の壁を形成した。

兵士たちは恐怖で立ち止まった。

レオンは静かに告げた。

「最後の警告だ」

ヴェルナーは歯ぎしりした。

「貴様ごときが……」

その瞬間、彼の背後に巨大な魔法陣が現れた。

赤い光が空へ伸びる。

《警告》

《第二聖騎士ヴェルナー》

《神格権限・強制解放》

《神聖干渉遮断結界を突破》

レオンの表情が変わった。

ヴェルナーの身体が黒い炎に包まれる。

四枚の翼が六枚へ増えた。

鎧が変形し、巨大な異形の姿へ変わっていく。

セレナが叫んだ。

「まずい!」

「何だ」

「あいつは、神々の力を直接受け入れた!」

アシュレイが剣を抜いた。

「神格融合か……」

ヴェルナーの声が変わった。

人間の声ではなかった。

『世界秩序の修正を開始する』

巨大な黒い剣が振り下ろされた。

黒水川の水が蒸発した。

魔力障壁が砕け散る。

兵士たちが悲鳴を上げた。

レオンは地面へ手を伸ばした。

《領域支配・最大起動》

《魔力防壁を再構築》

しかし、防壁は一瞬で破壊された。

《警告》

《敵性存在の出力が想定値を超過》

《勝率:零・三パーセント》

レオンは目を細めた。

「なるほど」

彼は静かに剣を抜いた。

「今度は、少し本気を出す必要がありそうだ」

セレナが叫んだ。

「無茶だ!」

「無茶かどうかは、やってみなければわからない」

レオンはアシュレイを見た。

「協力してくれ」

アシュレイは頷いた。

「もちろんだ」

セレナも黒い翼を広げた。

「仕方ないな」

三人が並んだ。

軍師レオン。

魔王セレナ。

第一聖騎士アシュレイ。

かつて敵同士だった三人が、同じ敵へ向かって剣を構えた。

ヴェルナーは巨大な翼を広げた。

『排除対象を確認』

その瞳が赤く輝いた。

『全員、消滅せよ』

黒い炎が空を覆った。

そして、北西辺境領の命運をかけた決戦が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。