第3章 海と罰
『若人と海』にすべきか若干悩んだ
なお今回はお恥ずかしながら推敲不足です。後日改めて推敲ののち改稿予定ですが、もし誤字脱字等ありましたら恐れ入りますがご一報くださると幸いです。
アンドリア達が中庭に案内されている頃、従僕を除く男性一同は街の小さな広場へ向かっていた。
「副団長」
「どうした」
ヴァレンティーノが声の相手に意識のみを向ける。その先にはタッデオ・リッチ・ディ・チッタノーヴァの物言いたげな顔があった。
「よそ見をするな、前を見ろ。仮にも一番隊を預かる者が何をしている」
「申し訳ありません」
窘められたタッデオは慌てて視線を前方へ戻すが、それでもチラチラとこちらを窺ってくる。眉をしかめたヴァレンティーノが口を開いた。
「言いたいことがあるなら早く言え」
水を向けられたタッデオはおずおずと話し始める。
「その、ロッカ・プリマでは回復魔法を掛けていただき、ありがとうございました」
ヴァレンティーノの前を進むカヴァリエーレ・サンドロ・ベルナルディとマルコ・カルーソが、振り返ることはせずに馬上で頭を下げた。
「私ではない」
ヴァレンティーノの言葉に三人は目を見開く。タッデオが思わずといった態で声を上げた。
「では誰が!」
溜息を堪えながら、ヴァレンティーノは「お嬢様だ」と返す。
「八頭の馬と我々八人同時に、それぞれの疲労度合いに応じて異なる強さの効果が発動していました。あれをお嬢様が……」
サンドロがそれだけを言葉にすると黙り込んだ。タッデオはと言えば、口調が崩れたことにも気付かず声をひっくり返して尋ねる。
「そうだったの!?」
若干の苛立ちを覚えてきたヴァレンティーノだが、気が進まぬながらも彼へ説明してやることにする。
「私はあれ程までの細やかな調節はできん。お嬢様の類稀なる魔力操作技術あってのものだ、他の使い手も同じと思うな」
「ですが、車内にいたお嬢様はどうやって我々の状態に気付いたのですか? サンドロさんのように魔力感知が得意なのでしょうか」
マルコが疑問を口にした。
「サンドロよりも数段上だ」
「なっ」
予想を超えた副団長の答えにマルコも絶句し、声を発しなくなる。
実際には集音の魔術を使用して判断したのであるが、ヴァレンティーノはそのことに気付いていながらも敢えて教えなかった。
平民は、ごく稀に生まれる例外を除き魔力を持っていない。マルコは身分の上では平民だが、父親が魔力持ちで騎士となり、後に叙爵された。マルコも魔力量こそ多くないものの、れっきとした魔力持ちである。
魔力の有無は先天的なものであり、人生を左右する。ゆえに魔力を持たぬ事実を間接的であっても言及することはマナー違反とされていた。魔力持ちの中には己の優越性を誇示するために平気で魔力なしを貶める者も存在するが、ヴァレンティーノはそれに当てはまらない。魔力を持たないフィリッポや騎乗御者もいるこの場で「馬や平民には魔力がないから、魔力感知では判別できない」と説明しない配慮ができるだけの分別は持ち合わせていた。
尤も、魔力を持たない者の状態を判別する方法は他にもある。だが前述した理由により語ることをしなかった。
「お嬢様、将来は王宮魔導士にでもなるのかな」
タッデオの呟きを拾い、ヴァレンティーノは地を這うような声で告げる。
「粗忽者の貴様が何故一番隊隊長の座にあるのか理解できん。閣下と団長は何を考えておられるのか……首都に着いたら覚悟しておけ、魔力感知を鍛え直してやろう」
「そんな!? 余命四日は嫌ですよ!」
悲鳴を上げ、タッデオが前を行く二人に視線で助けを求める。だが彼等は沈黙を貫くという賢明な判断を自らに下していた。
「お前ら薄情だぞ、上官の危機を無視するな!」
「そろそろ黙れ、恥を晒すな。主君の家名に泥を塗る気か」
「ううう……」
肩を落とし馬に揺られる後ろ姿が市場へ売られゆく家畜のようだと、彼の背を見る者は皆一様に感じたであろう。
数分後、広場の前にある長距離乗合馬車の停留所と宿駅が見えてくる。馬車が停止し騎乗御者と騎士達が下馬すると、厩舎から馬丁が出てきた。彼が馬を厩舎に連れていき、修理場を兼ねた車庫へ馬車を格納し馬を外している間に、ヴァレンティーノは宿駅へと入っていく。
「宿駅長はいるか」
郵便役人や宿駅長の詰所に向けて声を掛けると、「はい、お呼びでしょうか」と制服姿の男が歩いてきた。胸元と制帽には国章と郵便ラッパの意匠を施した、盾形の記章が着けられている。彼は制帽を取ると胸に当て一礼した。
「レジンナの宿駅から連絡は来ていると思うが、明日の午前九時に騎乗御者一名と馬を八頭、手配しておいてくれ。八頭のうち四頭は馬車用だ」
ヴァレンティーノは用件を告げ、懐から身分証明書と通行許可証を取り出し提示する。身分証明書は〝ランペドゥーザ公トゥスクルム家当主の名代に任じ、トゥスクルム家騎士団副団長およびマデルラ伯爵サンドーロ家次男、サンドーロ騎士爵であることを証明する〟旨が記載された任命状。通行許可証はランペドゥーザ公爵領と王家直轄領の二通である。任命状とランペドゥーザ公爵領通行許可証にはランペドゥーザ公フェデリーコの直筆署名と紋章、王家直轄領のそれには国王ジャンカルロの直筆署名と王家の紋章がそれぞれ入れられていた。
通常、王家直轄領通行許可証に国王自ら署名することはない。だがフェデリーコの許に届けられたそれは、まさかの国王直筆という代物だった。「アンドリアの使用料のうち」であることは間違いないが、それでもフェデリーコは頭を抱えたという。宿駅長は三通を見るなり息を呑んだ。
「……お、恐れながら騎士様、こちらに手を触れさせていただいてもよろしいでしょうか」
「確認のためであろう、許す」
「ありがたく存じます。それでは失礼いたします」
男は震える両手で恭しく三通の文書を受け取りカウンターへ置くと、胸ポケットから細い円柱形の筒を取り出す。筒は魔道具で、署名と紋章に使用されているインクに含まれた魔力を検出すると反応するようになっていた。文字と紋章の上を慎重に滑らせていき、本物であると確認が取れたことで詰めていた息を細く吐いた彼は、再び制帽を胸に当て一礼する。
「お待たせいたしまして申し訳ございません。完了いたしました」
男が捧げ持つ文書を受け取り、懐へ戻したヴァレンティーノは尋ねた。
「手配は間に合いそうか?」
「はい、明朝九時でございますね。ご用意させていただきます」
宿駅長が制帽を取り一礼して答える。
「ならば良い。パズィテーアの宿駅にも伝令を頼む」
「かしこまりました。他にご用命はございますか?」
「特にない。料金は如何程だ」
ヴァレンティーノは腰に着けた物入れから現金の入った袋を取り出し、料金の計算が終わるのを待った。程なくして、騎乗御者の基本料金と馬の交換作業代、馬八頭分の貸し出し料金、馬車の車軸への油塗布作業代、馬車の保管料と伝令の手数料を合わせた金額が伝えられる。
長距離走行によって摩擦で焼き付く車輪の軸に油を新たに塗布する作業代は宿駅数ヶ所につき一回の頻度、馬車の保管料は宿泊で預ける場合にのみ発生するが、それ以外は宿駅を利用する毎に支払う必要があった。領境等の通行税が必要な区間であれば更に上乗せされる。伝令の料金については、本来宿駅ではなく従者が先触れとして先行するものであるため不要なのだが、一行は最小限の人数で来ていることもあり宿駅に依頼している。
どのくらい最小限であるかと言うと、このような宿駅でのやり取り等は執事の領域であり、騎士が手を出してはならない。にも拘わらず名代を務め、騎士でもあるヴァレンティーノがこの場にいることは異常なのだ。また下働きの女中等も随行していない時点で、もしも知られれば他の貴族家から眉をひそめられること必至であった。
今回、アンドリア以外の面々はルーピエからエテルナまで約六百七十ミリオ(キロメートルに同じ)の行程を進んでいるが、メルフィに来るまでの宿駅や宿泊先の料金だけでも相当な額に上っていた。ただし公爵家という家格を考えれば馬車の台数も荷物の量も使用人と騎士の人数もあり得ない少なさであり、騎士が執事を兼任しているような現在の状況は、トゥスクルム家が吝嗇であると謗りを受けかねない程に安上がりでもあった。
なおチェントロ周辺からパズィテーアまでの地域はスフォーチャ侯爵領なのだが、国王直筆の直轄領通行許可証と元王弟直筆の名代任命状、通行許可証を持つ相手に通行を拒むことは事実上不可能と言っても過言ではない。あくまで法に則った対応を徹底する公正な領主や職員も無論存在するが、大抵は検問所で丁重な扱いを受けるし通行の許可もすぐに下りる。スフォーチャ侯爵領通行許可証がなくとも支障がないのはそれゆえだった。
ヴァレンティーノが明日の手配と精算を終えて宿駅から出てくると、馬丁は作業を終えており騎乗御者と共に彼を待っていた。二人はそれぞれ帽子を胸に抱え一礼している。
「解っている。顔を上げよ」
許しを得た彼等は曖昧な笑顔をヴァレンティーノへ向けた。二人が待ち構えていたのはチップを受け取るためである。
チップは任意ではなく、移動を円滑にするための実質的な必須料金だ。宿駅の労働者は基本給が低いか宿駅の中抜きが多いことから、チップで生活費を賄っている。金額次第で彼等の仕事ぶりは大きく変わり、もしも貴族が相場より低い額を渡そうものなら、貴族の家名を出して「あの家は金払いが悪く教養のない成金だった」「あの家は財政が傾いている。何故ならチップをまともに払えなかったからだ」という悪評を流す。宿駅の情報網を通じて宿駅と貴族社会へ瞬く間に広められたその貴族は、社会的地位を失い没落していく。そのため貴族達は見栄を張ってでも相場以上の金額を渡すようにしていた。
(主家は見栄を張る必要などないが)
代々の優れた領地経営と手広く行なっている商売により、トゥスクルム家はその家格に相応しい以上の抜きん出た資産を有している。適切な額のチップを渡せるだけの充分な路銀をヴァレンティーノは渡されていた。
彼等は両手を差し出し頭を低く垂れ、その手に硬貨が乗せられる瞬間を緊張と共に待ち続ける。
「受け取るといい」
手のひらに硬質な重みが加わったことを感じて二人は恐る恐る顔を上げた。騎乗御者には心付けとして、馬丁には油代も含めて一ビランチャ銀貨五枚――ビランチャはエノトリア王国の通貨単位だ――がそれぞれの手に乗っている。相場の三倍以上もの金額を渡され、二人は彫像と化した。何せ平民向け集合住宅一ヶ月分である。
「足りぬと?」
言葉を失くしている彼等にヴァレンティーノは問うた。ここまで騎乗御者達へのチップは全てこの金額で問題なく――実際には充分すぎる程に――きている。相場より低いことはなかろうと踏んでいただけに、追加を要求されることが少し意外であったのだ。
(同じ南部でも西に近付く程相場は上がるのか? 事前の情報収集が甘かったな)
だがヴァレンティーノの考えは杞憂に終わった。
「いっ、いえ! とんでもねぇことでごぜえます!」
「騎士の旦那様、ありがとうございやす!」
二人が我に返ると、泡を食って直角に近い角度で頭を下げた。貴族に対して返答が遅れることは自殺行為に近い。国法により殺人や傷害は被害者の身分を問わず犯罪であるが、〝露見しなければ罪ではない〟と考える輩は存在する。そして傷付けられ殺されるというのは肉体的なことだけを意味しない。
「問題ないのならば良い、ではな」
戦々恐々と騎士の反応を窺う彼等だったが、ヴァレンティーノの言葉に再び固まった。呆然とする馬丁達へフィリッポが近付き、肩を叩いて正気に戻してやる。
「……は、はいぃっ! それでは失礼しやす!」
「しっ、失礼します!」
礼をしながら二人は宿駅へ入っていった。ヴァレンティーノは幾分表情を柔らげ礼を述べる。
「助かった、フィリッポ」
「いえ」
トップハットを小脇に抱えながら一礼し、言葉少なに返す御者。フィリッポが残っていた理由には見当が付いている。
「移動中のことだろう? あれはお嬢様だ」
「なんと……」
フィリッポは目を見張った。やがてその目は細められ、初老に差し掛かった男の目尻に皺ができる。
「私のような者がこんなことを言うのも烏滸がましいのですが……お嬢様は本当に大きくなられましたな……立派になられた。ですが、お優しい心は昔から変わっておられない。今日は魔法まで掛けてくださって、ありがたいことでございます」
しみじみと話す彼の言葉を、ヴァレンティーノはじっと聞いていた。
「……申し訳ございません。弁えもせず、ご無礼をいたしました」
「構わない。お嬢様には私から伝えておこう」
フィリッポがはっとして身を縮めるも、ヴァレンティーノは手で制して言伝を預かった。
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします」
「ああ。安心して休むと良い」
こちらに頭を下げ続けるフィリッポに軽く手を振り、彼は踵を返して歩き出した。広場の隅で部下達が待機している。
「待たせたな」
彼等に合流したヴァレンティーノへ、タッデオは満面の笑みを向けた。
「問題ありません、ここから見える景色を眺めるのに夢中でしたからね。ほら副団長も見てくださいよ、この絶景! お嬢様も今頃ご覧になっていますよきっと!」
顔を青くしたサンドロとマルコが高速で首を横に振る。間違っても自分はそのような怠慢をしでかしていないという主張だ。
直後、冷え込むにはまだ早い季節だというのに彼等の足元から肌を刺す冷気が立ち昇ってくる。
「メルフィに着くまでは大人しかったからと安心していたのは間違いだったな。己の考えの甘さが忌々しい」
「副団長?」
「今この瞬間も任務の最中であるという認識はなかったようだな、タッデオ・リッチ・ディ・チッタノーヴァ」
サンドロとマルコは兜越しの額に手を当て盛大に嘆息した。もはや副団長を止める気にもなれない。
(俺もタッデオが隊長であることは少々疑問だった)
(そういうところですよ隊長)
ようやく何かがまずいことに気付くタッデオだったが、後の祭りだ。反射的に後退ろうとしたものの、脚は微動だにしない。慌てて足元へ目を移すと、そこには膝上まで見事に凍結し地面に縫い付けられている自身の脚があった。
「あ、脚が……嘘だろ!?」
彼は喚きながら氷を砕いて脱出せんと抵抗するが、それ以上に凍結範囲の広がる方が速い。見る間に首から下は季節外れの氷像と化した。
(副団長の氷結魔法、相変わらず詠唱速度も効果も凄まじい)
サンドロはヴァレンティーノの魔法に改めて驚嘆する。タッデオの末路はさして気にしていなかった。
ヴァレンティーノの手がタッデオの首へ伸ばされる。破砕音を響かせながら彼の足は地面と別れ、首を掴んだ片腕一本で持ち上げられた。
「も、申し訳ありません、副団長。下ろしてください」
「貴様は今から緊急の水中訓練だ。この夕空の下で泳げるのだから嬉しいだろう?」
情けない声と顔でタッデオは許しを乞うも、ヴァレンティーノがにこりと笑って切り捨てる。その目は全く笑っていない。
「エントランスで待っていてやる、さっさと上がってこい。遅れたら承知せんぞ」
「え、いや、その、あの」
タッデオの爪先を海の方向へ向け、ヴァレンティーノは投槍の投擲姿勢を取る。
「ちょ、ちょっと、本気ですか!?」
「口を閉じろ、舌を噛むぞ」
「ま、待って、待っ――」
身体強化の魔術で強化されたヴァレンティーノによって、タッデオは亜音速で投げ飛ばされた。約三百ブラッチョ(メートルに同じ)先の海面へ着水の瞬間、派手な音と水柱が上がる。広場にいた人々は呆気にとられていたが、騎士相手に騒ぎ立てる者はいない。
「行くぞ」
ホテルへ向かい歩き出すヴァレンティーノの後を追い掛けながらマルコが尋ねた。小脇にはタッデオが投擲される前に落ちた彼の兜を抱えている。
「副団長、隊長はあの状態で無事なのでしょうか」
比較的軽装とは言え、胸当てをはじめ武装した状態で首から下は凍結していた。如何な泳ぎの名人でも溺水の危険性がある。
「着水後に凍結を解除した。それで駄目ならばその程度ということだ」
「隊長のことだ、あの人は元気に泳いで戻ってくるさ」
まるで心配する気配のない二人に驚くマルコだが、彼自身、上官が殺されても死なないような人間であると実のところ認識している。
「そうですよね、失礼しました」
メルフィの町並みを囲む海とそれらを見下ろす空は、オレンジとライラックが溶け合いつつある美しい色をしていた。
タッデオ、初期設定ではあのようなバ……ではなかったんですよ、彼が動き出した結果ああなりました
でもその地位に見合った実力は持ってます
ア……なだけです
【登場人物】
アンドリア
└主人公。
ランペドゥーザ公爵令嬢でトゥスクルム家長女。15歳。
教育修道院(修道院の寄宿学校)を2年早く修了した。
フルネームは「アンドリア・カロリーナ・トゥスクルム・ディ・ランペドゥーザ」。
フィリッポ
└トゥスクルム家の御者。
フルネームは「フィリッポ・コスタ」。
ヴァレンティーノ
└トゥスクルム騎士団副団長。
マデルラ伯爵サンドーロ家の次男。サンドーロ騎士爵でもある。
フルネームは「カヴァリエーレ・ヴァレンティーノ・サンドーロ・デイ・コンティ・ディ・マデルラ」。
タッデオ
└トゥスクルム騎士団一番隊隊長。
チッタノーヴァ男爵リッチ家の四男。
フルネームは「タッデオ・リッチ・ディ・チッタノーヴァ」。
サンドロ
└トゥスクルム騎士団一番隊隊員。
ベルナルディ騎士爵。
フルネームは「カヴァリエーレ・サンドロ・ベルナルディ」。
マルコ
└トゥスクルム騎士団一番隊隊員。
カルーソ騎士爵家の長男(本人は平民)。
フルネームは「マルコ・カルーソ」。




