第28話 王女のお願い
セナ達が天蘭王国へ帰還してから、一ヶ月が過ぎた。王城には、穏やかな時間が流れていた。
朝は中庭で剣の稽古をし、昼は執務の合間に顔を合わせ、夜は食卓を囲む。
天命の盾の四人――シウ、セル、リタ、ルイア達は王城の警備と鍛錬を担い、リクスは変わらず皮肉を言いながらも側で目を光らせていた。
血の匂いが消えたわけではない。
けれど、少なくとも表面上は平穏だった。
そんなある日の夕刻。
現王の執務室に、セナとルソンが呼ばれた。
大きな窓から差し込む橙色の光が、机の向こうに立つシウォンを照らしている。
「……話があります」
いつもより静かな声だった。
セナは椅子に腰かけ、首を傾げる。
「どうしたの?」
シウォンは一度、視線を伏せた。
それから、はっきりと言う。
「私は――王位を退きます」
室内の空気が止まった。
「そして、セナ。あなたに王位をお渡しします」
迷いのない宣言。
ルソンの眉がわずかに動く。
「……本気か?」
「ええ」
シウォンは頷く。
「私は王としての責務を果たす覚悟で即位しました。しかし、本来この国を継ぐべきはあなたです、セナ」
シウォンからまっすぐな眼差しが向けられる。
「私は、あなたを支える側でいたい」
静かな誠意だった。
だが、セナはゆっくりと首を横に振った。
「……ごめんね。私はもう少し外の世界を知りたいと思っているの」
シウォンが息を呑む。
「城の外には、まだ見たことのないものがたくさんあった。人も、国も、価値観も」
セナは立ち上がり、窓の外を見た。
「王になるなら、それを知ったうえでなりたい。だから、一年だけ時間をちょうだい」
それはセナの願いだった。
逃げではない。覚悟のこもった、選択だ。
その場に沈黙が落ちる。
やがてシウォンは、小さく息を吐いた。
「……わかりました。一年、あなたの望むままに」
穏やかに頷く。
その表情に、無理はない。
「帰る場所は、ここにあります」
「うん、ありがとう。シウォン」
セナは微笑んだ。
ルソンも静かに頷く。
こうして、セナの決意は固まった。
✾✾✾
翌朝。
王城の門前には、見送りの人影が並んでいた。
シウォンと、その護衛達。
天命の盾の四人とリクスは、既に旅装を整えている。
「本当に行くんですね、セナ」
シウォンの言葉にセナは笑い返す。
「もちろんよ。一年後、もっと強くなって帰ってくるわ」
シウォンが一歩前に出る。
王の衣をまといながらも、その目は昔のままだった。
「あなたがまた帰ってくるその日を楽しみにして待っています」
「ええ、ありがとう。シウォン」
セナが軽く拳を突き出す。
シウォンは苦笑し、それに拳を合わせた。
幼い頃から変わらない、三人だけの挨拶。
ルソンが背を向ける。
「行くぞ」
セナは最後にもう一度、城を振り返った。
高くそびえる王城。大切な人が待っていてくれる場所。
「いってきます」
そう告げて、セナはルソン達と共に歩き出す。
天命の盾の四人が続き、リクスがその後ろにつく。朝日が、彼らの背を照らしていた。
シウォンは門前に立ち尽くし、その姿が小さくなるまで見送る。
一年。それは長いようで、きっと短い。
王と王女、それぞれの道が、再び交わる日まで。セナたちは、再び外の世界へと歩み出した。




