第26話 帰還
翌朝。
王城内に悲鳴が響き渡った。
王の私室から駆け出してきた侍女が、青ざめた顔で叫ぶ。
「へ、陛下が……! 陛下が……っ!」
近衛兵が扉を破るように押し開け、中へ雪崩れ込む。
そこにあったのは、血に染まった寝台と、冷たく横たわるソレザの姿。
胸元には、深々と突き立てられた刃の痕。
「……何者かに、やられたのか」
誰かが呟く。
瞬く間に報せは城中へと広がった。
回廊は騒然となり、侍従達は顔を見合わせる。
女官は涙を流し、兵は動揺を隠せずにざわめいた。
「戴冠式は……どうなる?」
「今日だぞ……!」
「王がいなければ、式は成り立たないのではないか?」
不安の声が幾重にも重なる。
祝賀のために飾られた玉座の間は、今や不吉な静寂に包まれていた。
豪奢な装飾が、かえって虚しく見える。
そのとき。
「――静かにしてください」
低く、よく通る声が響いた。
ざわめきが波のように引いていく。
大広間の中央へ歩み出たのは、シウォンだった。
喪に服す色の衣をまとい、顔には深い悲しみを刻んでいる。
だが背筋は真っ直ぐに伸びていた。
「父上――ソレザ陛下は、何者かの凶刃に倒れました。無念であり、悔しかったでしょう……」
シウォンはそう言い、一瞬、言葉を切る。
その沈黙が、より一層の緊張を生んだ。
「けれど、王を失ったからといって、この戴冠式を止めるわけにはいかない」
シウォンの言葉に臣下たちが息を呑む。
「父上がいない今――」
シウォンは、ゆっくりと玉座を見据えた。
「私が、王位を継ぎます」
静かだが、揺るがぬ宣言だった。
シウォンの宣言を聞いた者達はどよめきだす。
「し、しかし……正式な戴冠は本日、ソレザ陛下のために――」
「予定は変えません。本日の戴冠式は予定通り執り行います」
その瞳は、冷静で、強かった。
「混乱こそが敵の望みだ。王城が動揺すれば、国民にも届いてしまいます。私はこの国を守る。父上の遺志を継ぎ、王として立つ」
シウォンの意志の固い声に再び沈黙が流れる。
そんな中、最初に膝を折ったのは近衛隊長だった。
「……はっ。次期国王陛下に、忠誠を」
それを皮切りに、次々と膝がつかれる。広間に響くのは、衣擦れの音と、忠誠の言葉。
玉座の前に立つシウォンの口元に、ほんの一瞬だけ、誰にも気づかれぬほどの微かな笑みが浮かんだ。
✾✾✾
黎明国の西に位置する町を発ち、数日。
街道を抜けたセナ達は、天蘭王国寄りの小さな村へと辿り着いていた。
乾いた風が畑を撫で、素朴な家々が並ぶ静かな土地。
セナ達は村で唯一の食堂へと入り、遅めの昼食をとることにした。
木造の店内は温かな匂いに満ちている。
煮込み料理の湯気、焼きたてのパンの香り。
「やっぱり、旅先のごはんって最高よね」
セナが笑いながら呟く。
ルソンはそんなセナをまた呆れたように肩をすくめた。
「姫さまどこでも楽しそうですね」
「そうかしら」
軽口を交わしていた、そのときだった。
「聞いたか? 天蘭王国の王が殺されたらしいぞ」
近くの卓から、低い声が漏れ聞こえた。セナの手が止まる。
「何者かにやられたって話だ。しかも昨日、戴冠式があったそうだ」
「王子が即位したんだろ? ほら、なんていったか……」
「シウォン様だ。今日から王になったらしい」
客の男の言葉に耳鳴りがしたように、周囲の音が遠のく。
「……今、なんて」
思わず、セナが呟く。
ルソンの表情が険しくなった。
天命の盾の四人――シウ、セル、リタ、ルイアも、無言で顔を上げる。
リクスが低く息を吐いた。
「ソレザ陛下が、殺された……?」
重い沈黙。
やがてセナが立ち上がった。
「帰るわ」
迷いのない声だった。
「城に。天蘭王国へ」
ルソンがセナを見つめる。
「……覚悟はできてるんですね」
「もちろんよ」
セナの空色の瞳は迷いはなく、揺れていない。ルソンは小さく頷いた。
「分かりました。戻りましょう」
リクスも肩を回す。
「ま、こうなる予感はしてた」
天命の盾の四人も、無言で頷く。
こうして一行は、進路を変えた。
天蘭王国へ――帰還するために。
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王都は、重い空気に包まれていた。
黒布が掲げられ、兵の数も増えている。
だが城門にいた門番兵達は、セナ達の姿を見るやすぐに城門を開いた。
王城へ足を踏み入れるセナ達。
変わらぬはずの回廊が、どこか違って見える。
そして玉座の間の前で、待っていた人物がいた。
「……セナ」
その声に、足が止まる。
セナの名を呼んだ人物は豪奢な衣をまとった青年――シウォンであった。
一瞬、互いに言葉を失う。
「生きていたんですね」
シウォンが息を吐くように言った。
「ええ」
セナも答える。
次の瞬間。
シウォンは距離を詰め、セナを強く抱きしめた。
「……よかった」
その声は震えていた。
驚く暇もなく、今度はルソンの肩を掴む。
「ルソンも無事で……本当によかったです」
そう告げたシウォンの顔は王としての威厳はなく、ルソンとセナの幼なじみとしての顔だった。
セナとルソンは視線を交わす。
「……ただいま」
「ただいま、帰りましたよ」
セナとルソンのその言葉にシウォンは頷き返して穏やかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい。セナ、ルソン」
少し離れた場所で、その様子を見守る者がいた。
天命の盾の四人は、静かに立っていた。
リクスも腕を組み、わずかに口元を緩める。
再会の光景は、束の間の安堵をもたらしていた。
だが、王城の奥には、まだ消えぬ血の記憶がある。新たな王の戴冠と、前王の死。
静かな抱擁の裏で、物語は確実に動き始めていた。




