第25話 裏切りと決意
セナ達は、中華料理店で声を掛けてきた金髪の青年と再び顔を合わせていた。
先ほど絡まれていたところを助けてもらった礼をさせてほしい――そう青年に言われ、「お団子食べたいわ!」というセナの一言で、セナ達と青年とその護衛は和菓子屋に入ることになった。
「お姉さんとそのお連れさん達、改めて先程は助けてくれてありがとう」
和菓子屋の店内の席に座るなり、青年は深々と頭を下げてきた。
「いや、私は何もしてないわよ! ルソンが追い払ってくれただけで……」
セナはそう言いながら、左隣に座るルソンをチラッと見る。
青年はセナの言葉を上げて顔を上げる。
そして、ルソンをじーっと見つめてから、再び頭を下げた。
「ありがとう。感謝する、黒髪のお方」
「いえいえ、そんなに大したことはしてないませんよ。それにしても何故、あの商人に絡まれていたのですか?」
ルソンの問いに目の前の金髪の青年の緑の瞳が揺らぐ。
「俺があの商人に不注意でぶつかってしまって、商品の果物が落ちちゃったからだ……」
「なるほど」
ルソンは納得したように頷き返すと、青年の隣にいた護衛の男が口を開く。
「こちらも一つお聞きしたいのですが、貴方は何故、フードを取らないのですか?」
護衛の男は中華料理店でフードを被ったセナを見たときからずっと疑問に思っていた。
周りの者達はフードなど被っていないのに、この少女はこの和菓子店に入ってからも羽織っているフードマントのフードを外しはしない。
「それは……」
セナが言葉に詰まっていると青年は穏やかな笑みを浮かべながら告げた。
「お姉さんは出会った時から他の人とは明らかに違う異様な何かを放っていた。フードを外せないのは何か事情があるんでしょ?」
「ええ、そうよ……」
「うん、じゃあ、無理には答えなくていいからね。俺にもお姉さん達と同じように人には言えない事情ってやつがあるからさ」
青年――ジュダルはそう言って、机に運ばれていた白い皿の上の三色団子を一本つまみ上げ、そのまま口へ運んだ。
「……っ!? なんだこれ、美味しいな」
思わず声が弾む。
甘味に慣れていないわけではないはずなのに、その顔は年相応の少年のように無邪気だった。
「殿下、」
すぐ隣から低い声が差し込まれる。
ぴたり、と空気が止まった。
ルソンの眉がわずかに動く。
「……殿下って、どういうことだ?」
逃さなかった。
落ち着いた声音だが、問いの芯は鋭い。
呼ばれた当人より先に、声を発した男の肩がわずかに強張る。
その様子を横目で見たジュダルは、小さくため息をついた。
「もう。気が緩むとすぐ呼び方戻るんだから。気をつけてよ、リン」
責める調子ではない。
むしろ呆れ半分、諦め半分の軽さだ。
それから、まるで世間話でもするような口調で言った。
「――ああ、気にしないで。俺さ、黎明国の隣にある影月って国の王子様なんだよねぇ」
あまりにもあっさりした告白だった。
少しの間の沈黙。
店の奥で湯の沸く音だけが、やけに大きく聞こえる。そんな中、ルソンが瞬きを一つする。
「……は?」
短い声だった。
驚きよりも、理解が追いついていないときの声だ。
ジュダルは気にした様子もなく、二本目の団子を手に取る。
「ま、ちょっと事情があってさ。今、黎明国に来てる」
「事情?」
「うん。けど、その事情は内緒」
にこり、と笑う。
だがその笑みは、どこか底が見えない。
セナはその顔をじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……なら、わたしも言っておくわ」
そう一言告げるなり、ルソン達、そしてジュダルと護衛の男の視線が集まる。
セナは背筋を伸ばし、どこか、覚悟を決めたような顔をした。
「私、天蘭王国の王女なの。理由があって、今は旅の途中。――それだけよ」
今度こそ、本当に沈黙が落ちた。
団子をくわえたままのジュダルと、言葉を失ったジュダルの護衛のリン。
そして、初めてわずかに目を見開いたルソンとリクス。そして天命の盾であるシウ達。
静かな和菓子屋の中でただ一人、セナだけがいつも通りの顔をしていた。
そんな中、最初に反応したのはルソンだった。
「……姫さま」
低く、抑えた声。
その一言に、注意と呆れとが混じる。
「今の、言ってよかったのか?」
間髪入れず、隣のルイアも身を乗り出す。
「そうだぞ。そんな簡単に身分を明かしてしまっていいのか――?」
ルソンとルイアの問いに続くように「不用心だよぉ、セナ」とセルが短く言い、「危険です」とリタが続き、「軽率だ」と最後にシウが一言だけ添えた。
四人――天命の盾の反応は見事に揃っていた。リクスは額に手を当てて天井を仰ぐ。
「はあ……、セナってばぁ……」
当の本人はきょとんとしている。
「だって、隠す必要ある?」
悪気は一切ない声音だった。
一方で、向かいの席では、まったく別の沈黙が流れていた。
ジュダルとリンが、揃って固まっている。
目を瞬かせ、言葉を失い、状況を咀嚼して―― やがて。
「……なるほどな」
ジュダルが小さく呟いた。
そして、ふっと笑う。
「お姉さんも、色々あるんだね」
軽い調子だった。
だがその声には、どこか納得した響きがあった。
リンはまだ驚きの余韻を引きずっていたが、それ以上は何も言わなかった。
主が受け入れたのなら、それでいいという顔だ。
それからしばらくして、卓に並んだ菓子はすべて空になった。
三色団子の串も、大福の包み紙も、綺麗に片づいている。
ジュダルは満足そうに息をつく。
「ごちそうさま」
そして立ち上がった。
リンも静かにそれに続く。
「じゃあさ」
ジュダルは振り返り、いつもの人懐こい笑みを浮かべた。
「また会えるときがあったら、そのときはもっと色々話そう」
視線が順に巡る。
セナとルソン、リクスへ。
そして天命の盾の四人へ。
「お姉さんと、その連れの方達。――良い旅を」
それだけ言うと、くるりと背を向けた。
呼び止める間もなく、リンと並んで暖簾の向こうへ消えていく。
足音はすぐ、人混みに紛れて聞こえなくなった。
しばらく誰も喋らなかった。
やがてリクスがぽつりと言う。
「……嵐みたいな人だったね」
「そうね」
セナは小さく頷いてから、店先の通りの先をじっと見ている。
「でも」
「でも?」
「また会える気がするわ」
不思議と確信めいた声だった。
ルソンは何も言わない。
ただ、ジュダルたちが消えていった方向を一度だけ見てから、踵を返す。
「姫さま、行こう。足を止める理由はない」
その一言で、全員が動いた。
セナ達も暖簾をくぐり、通りへ出る。
人の流れに混ざりながら、再びセナ達は歩き出した。それぞれの事情を胸に抱えたまま。
✾✾✾
一方その頃――
天蘭王国の王城。
白い石で築かれた回廊には、夜であるにもかかわらず灯りが絶えなかった。
侍従たちが行き交い、女官が衣装を運び、近衛兵が配置を確認する。
すべては、翌日に控えた一つの儀式のため。
王位戴冠式。その中心に立つ男の名は、ソレザ。
そして――
「装飾布は玉座の段差にかからないよう調整してください」
静かに指示を出している青年――シウォンは、戴冠式にて即位する王の弟の息子だった。
声は穏やかで、表情も柔らかい。
だが指示の一つひとつは正確で、迷いがない。臣下たちは誰一人として逆らわず、ただ頭を垂れて従う。
「……これで問題ありません」
侍従長の報告に、シウォンは頷いた。
「ご苦労様です。明日は忙しくなりそうなので、今のうちに休める者は休ませておいてください」
「はっ」
侍従長は軽く会釈をしてから、立ち去って行く。
残された回廊で、シウォンは一人になった。
そのときだけだった。
彼の口元から、わずかに笑みが消えたのは。
戴冠式前夜。
王の私室には、柔らかな灯りと酒の香りが満ちていた。
「珍しいな、お前から誘うとは」
シウォンの父親が杯を揺らしながら笑う。
「たまには、と思いまして」
向かいに座るシウォンは静かに答えた。
卓には酒器と、簡素な肴だけ。
王の弟と王子の席とは思えぬほど質素だ。
「明日で私は王になる。そうなれば、こうして差し向かいで飲むことも減るだろう」
「ええ、そうですね」
短い相槌。
杯が触れ合う。
澄んだ音が、夜の静寂に溶けた。
ソレザは満足そうに酒をあおる。
「お前は本当に出来た息子だ。戴冠式の準備も完璧だと聞いた」
「恐れ入ります」
「誇っていい。お前がいれば、この国は安泰だ」
言い終えた頃には、王の瞼が重くなり始めていた。
「……少し、酔いが回ったようだ」
ソレザの言葉が鈍る。
指先から力が抜け、杯が卓に置かれる。
やがてそのまま、椅子の背にもたれた。
「……父上?」
シウォンが呼びかけても、返事はない。
静かな寝息だけが聞こえる。
しばらくの沈黙の後、シウォンの表情が変わった。
先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みは跡形もなく消え、代わりに現れたのは、氷のように冷え切った眼差しだった。
「……よく眠っておられる」
独り言のように呟いてから衣の内側に手を差し入れる。
取り出されたのは、細身の短剣だった。
迷いはない。音もなく歩み寄り、
穏やかに眠る父親の胸に――突き立てた。
「っ……!」
刃が胸を貫く。
ソレザの目が見開かれた。
眠りから叩き起こされた意識が、状況を理解するまでに数瞬かかる。
「……シ、ウォ……」
口から血が溢れる。
喉が震え、言葉にならない音が漏れる。
王の手が、息子の衣を掴もうと伸びた。
だが届かずに力が抜けて、視界が揺れた。
やがて、その手は、力なく落ちた。
動かなくなった父を、シウォンは見下ろしていた。
感情はない。
憎しみも、悲しみも、後悔も。
ただ、静かな決意だけ。
「父上」
冷たい声だった。
「私は――あなたを許すことはできません」
その言葉に父親からの返事はない。
シウォンは淡々と短剣を引き抜き、布で血を拭う。
柄を丁寧に磨き、指紋が残らぬよう確認し、部屋の触れた場所すべてに視線を走らせた。
椅子、卓、酒器、扉。
痕跡は、残さない。
最後にもう一度だけ、亡骸を見る。
「……さようなら」
感情のない別れだった。
踵を返して、扉を開け、静かな夜の空気が満ちている外へ出る。
静まり返った王城の廊下を、次期王の息子でであるシウォンは何事もなかったかのように歩き去っていった。




