十三話 霄壌のキアロスクーロ
やっと書き終わった´Д`)...
風が、今一度サクラソウを揺らした。
跪いたベアトリーチェは、墓標の前で未だに手を合わせている。
「…………………………。」
目を開け、名残惜しくその土を眺めた。
「そのうち、遺骨だけは埋葬し直したいな……」
「アウスデリアへですか?」
後ろで手を組んだリュウドウが、静かに相槌を打つ。
「ああ。英傑らの墓地に、共に弔うように」
立ち上がり、拳を強く握る。包帯が擦れ、ぎゅうという音が響いた。
「騎士様」
途端、後ろから老人の声が上がった。
「……! 貴方は」
振り返ると、先程まで畑作業をしていた農園の管理人が曲がった腰で立っていた。
その顔は、数日前に受けた依頼、「農作物の運送護衛」の依頼主だったのだ。
いつぞやの、恐怖に御臨終寸前の様子はどこへやら。現在は至極穏やかな表情だった。
「どうもご無沙汰しております……、依頼の件は、非常に助かりましたぞ」
「いえいえ、そんな畏まらなくても……」
慌てた様子でベアトリーチェは頭を下げるが、身体が芯から軋んだ。
「うっ……」
骨の髄から激痛が染み出してくるようだった。
「大丈夫ですかな……、なんと悲惨な状態だ……」
「ああいや、お構いなく……」
ガーゼの貼られた顔に、苦笑いを貼り付ける。
老人の後ろには、何故か畑作業を手伝っていたフェンネが、麦わら帽子を脱いで様子を窺っていた。
「……こんな場所でいいなら、幾らでもお使いください。…………景色は良い、彼らも静かに眠れるはずだ」
哀れみを含んだ目つきで、墓標を見やった。
ベアトリーチェは目を伏せ、小さく口角を上げる。
「……そう、……ですね」
振り向いて、尻目でその墓標を視界に収めた。
「……待っててくれ。また、迎えに来る」
*
数日後。
ベアトリーチェの傷が完治間際な頃、太陽が真上に差し掛かる刻に、三人は出立の準備を済ませた。
白いサクラソウ。
風が吹くたび、花弁が小さく揺れた。
ベアトリーチェは、その前に立っていた。
包帯の巻かれた腕。
まだ完全には癒えていない傷が、脈打つように痛む。
それでも、目を逸らすことはなかった。
「……………………。」
言葉は、出ない。
何を言えばいいのか、分からなかった。
謝罪か。
後悔か。
それとも、感謝か。
どれも違う気がして、喉の奥で止まってしまう。
アルヴィスの、穏やかな笑顔。
ルルの、騒がしくて真っ直ぐな声。
セレスの、優しく包むような手。
どれも鮮明で、昨日のことのように思い出せる。
それが、もう二度と戻らない。
その事実だけが、胸の奥に鈍く沈んでいた。
膝を折る。
静かに、土へ手を添えた。
冷たい。
その温度が、ひどく現実だった。
「……すまない」
ようやく零れたのは、それだけだった。
弱い声だった。
騎士としても、大英雄としても、あまりにも情けない言葉。
けれど、それ以上は出なかった。
「守ると、言ったのにな……」
乾いた笑いが、わずかに漏れる。
守れなかった。
届かなかった。
剣はあった。力もあった。
それでも、届かなかった。
ならば、自分は何のために剣を握っているのか。
問いは、まだ答えを持たない。
ただ、重くそこにあった。
しばらく、風の音だけが流れる。
誰も急かさない。
誰も慰めない。
それが、かえって優しかった。
背後で、わずかに足音がした。
リュウドウとフェンネだろう。
振り返らない。
彼らもまた、何も言わない。
ただ、その沈黙だけが、そこにあった。
ベアトリーチェはゆっくりと立ち上がる。
視線を、三つの墓標へ。
しっかりと。
焼き付けるように。
「……待っててくれ」
誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からない。
それでも、その一言だけは、不思議と真っ直ぐ出た。
白いサクラソウが、また揺れる。
まるで、それが返事であるかのように。
ベアトリーチェは踵を返した。
もう、立ち止まらない。
背負うものがあるのなら。
進むしかない。
この世界は優しくない。
理不尽で、残酷で、あまりにも容赦がない。
それでも。
それでもなお、歩いていくしかないのだ。
墓標を背に、彼女は静かに歩き出した。
手を振る老人、振り返すベアトリーチェ。
彼らの背中を、暖かい微風が撫でていく。
まるで、理不尽と残酷さをわざと隠したかのような、穏やかな世界が吹かせる風だった。
二
獣道から土の街道へと変わった道を、三人は並んで歩いていた。
昼下がりの陽は高く、空は妙に青い。
旅路には不釣り合いなほど穏やかな風が吹き、木々の葉をさらさらと揺らしている。
先頭を行くでもなく、かといって後ろに下がるでもなく。
ベアトリーチェ、フェンネ、リュウドウは、なんとなく横並びのまま歩幅を合わせていた。
その中で、ひときわ異様なものがひとつ。
「…………。」
フェンネが、無言で巨大なパンを食べていた。
それは最早"パン"というより、小ぶりな盾か何かに近い。
焼き色のついた丸いそれは、少なくとも彼女の顔より大きく、両手で抱えなければ持てない代物だった。
旅人向けの保存食なのだろう。
外は固く、中はずっしりと詰まっているらしく、噛むたびにかなりの労力を要しているのが見て取れる。
「…………むぐ」
小動物のように必死に齧りつく姿は、なんというか、非常に締まらない。
ベアトリーチェは数歩ほどその様子を眺めたあと、とうとう見かねたように口を開いた。
「……切ってやろうか。それ」
「……もぐ?」
フェンネはパンを抱えたまま、きょとんと首を傾げた。
何を言われたのか一瞬理解できていない顔だった。
そのまま数秒停止し、ようやく意味が繋がったらしい。
「……ん、んぐ……っ、だ、大丈夫です……もご……ありがとう、ございます……」
口いっぱいにパンを詰めたまま、必死に礼を言う。
当然ながら全然大丈夫には見えない。
むしろ今にも喉に詰まらせそうだった。
ベアトリーチェは半眼になりながら、小さく息を吐く。
「……いや、喉に詰まらせるなよ……?」
「……もご」
「え? なんて?」
「……もご」
「だから」
会話が成立していない。
ベアトリーチェは額を押さえた。
以前なら、ここにルルが横から茶々を入れて、余計に騒がしくなっていたのだろう。
あるいはアルヴィスが呆れたように補足を入れ、セレスが柔らかく笑っていたかもしれない。
今は、そのどれもない。
だからこそ、この妙に緩い時間が、逆に不自然なほど静かだった。
隣を歩くリュウドウは、相変わらず何も言わない。
視線だけが、ちらりとフェンネの抱える巨大なパンへ向く。
――……あの大きさを、一人で食べる気か。
しかも、まだかなり残っている。
見た目に反して存外食う。
いや、旅の消耗を考えれば当然なのかもしれないが、それにしてもだ。
無表情のまま、ほんの僅かに引いた。
フェンネはそんな視線に気付いていないのか、あるいは気付いた上で無視しているのか、再び黙々とパンを齧る。
「……ちゃんと噛めよ?」
「……もご」
「飲み込んでから喋れよ?」
「…………こくん」
ようやく嚥下したらしい。
小さく喉を鳴らしてから、フェンネは少しだけ頬を赤くし、視線を逸らした。
「……すみません」
「謝ることじゃない。ただ見ていて不安になる」
「……そんなにですか?」
「んー、かなり」
「…………。」
否定できなかったのか、フェンネはそっとパンを見下ろした。
確かに大きい。
買った時は、保存も利くし、しばらく持つし、少し得した気分だったのだが。
こうして歩きながら食べるものではなかったかもしれない。
だが今さらである。
しばし葛藤した末、フェンネは小さく言った。
「……次からは、切ります」
「そうしてくれ」
素直でよろしい、とでも言いたげにベアトリーチェは肩を竦めた。
風が吹く。
木々が揺れ、草が擦れ、遠くで鳥の声がした。
穏やかだった。
穏やかであることが、少しだけ痛いほどに。
それでも三人は歩いていく。
止まる理由など、もうどこにもなかった。
「あれ、リュウドウ?」
横を歩くリュウドウを横目に、ベアトリーチェはハッとしたように声を上げた。
「三人の武器はどうした?」
出立前、彼らの剣、斧、錫杖は小屋の中に立てかけていたのだった。リュウドウがしっかりと回収していたのである。
去り際、彼自身が「持ちます」と預かってくれたはずだったが、その武器はどこにも見当たらない。
「入れてますよ」
首を僅かに傾げ、背中のブリーフケースを指さした。
その様子に、ベアトリーチェは面食らう。
「はっ? えっ? どゆこと??」
「ですから、入れてますって。ほら」
三人の武器で最も大きいのはルルの戦斧だ。全長2m弱はある筈だった。
それを、ブリーフケースに入れてるなどと言う。
しかし、リュウドウは何食わぬ顔でブリーフケースを開け、手を突っ込むと、
「えぇッ?!」
巨大な戦斧が現れたのだった。
素っ頓狂な声を、ベアトリーチェとフェンネが上げる中、リュウドウは戦斧をブリーフケースに押し込み、蓋を閉じる。
「どぅどどどうなってるんだ?? 私の鞄にどんな細工を?!」
身体を傾げ、ブリーフケースの裏を擦ったりしてみる。当然、タネも仕掛けも見つけられない。
「フェンネっ、これはどゆことだッ」
「はぇぇッ? 知らないってぇ」
「空間属性の魔法です。ちょっと細工してみました」
ちょっと、どころではない事態である。
「空間属性……、絶対高等魔法ですよねそれ……」
青ざめるフェンネに、リュウドウは微笑を浮かべたまま解説を始めた。
「ええまぁ。空間、というよりブリーフケース内部の"座標"を歪めています。荷物持ちとして最適かと思い至りました」
「魔法ってすげー」
開いた口が塞がらないベアトリーチェ。
しかしフェンネは依然として血の気が引いた様子だった。
「いや、座標って……。もしかして概念魔法……」
「さぁ。どうでしょうな」
ブリーフケースを背負い直しながら、怪しげな笑みを浮かべるだけのリュウドウ。
目を丸くしたままのベアトリーチェは、そのケースをまじまじと眺めている。
――…………空間、座標……。
彼の台詞、そしてこれまでの芸当を反芻した。
古代竜を切断した光線、虚空からベルトを取り出した妙技、加えて浮遊。
そして、先日聞いたあの言葉。
――固有スキル。
「もしやそれが、君の固有スキルだとか?」
その単語に、僅かながらリュウドウの眉が上がった。
一瞬の時間、彼はベアトリーチェの顔を窺うように覗き込む。
「その用語、教えてもいないのに……、よくご存知でしたね」
師匠が感心するような、そんな表現を浮かべて声を上げた。
「その……、あの時相対した剣士が言ってたんだ……。固有スキルと」
「ふむ……。固有スキルがなんなのかは知ってますか?」
腕を組んで、口に手を当てるリュウドウ。
その質問に、ベアトリーチェはフェンネを肘で軽く小突いた。
「……固有スキルってなに」
「なんで私に聞くんですかぁ……」
当然、彼女から有益な情報など得られない。帰って来たのは情けない表情と声のみである。
「んー、オリジナルの魔法とか?」
ベアトリーチェが人差し指を立てて答えた。
しかしリュウドウはかぶりを振り、口を開いた。
「惜しいですね。解説致しましょうか」
「まじで簡単に頼む」
必死な様子にクスりと笑みを零しながら、リュウドウは言葉を紡ぐ。
「もちろん。
固有スキルとは、あなたという存在そのものに刻まれた、世界との特別な契約です」
「抽象的……」
フェンネの呟きに、リュウドウはまたもや笑みを浮かべた。ベアトリーチェは頭上に疑問符を浮かべたまま、腑に落ちない様子だ。
「段階的に解説しましょう。魔法とは、これまでお話しした通り『呪文(入力)』『計算(処理)』『現象(出力)』という三段階の構造です。後天的に学べ、誰でも習得が可能。貴女の白聖皇剣流も、いわば再現可能な『型』でしょう」
「あぁ、なるほどな。理屈はわかる」
指摘に頷き、ベアトリーチェは自らの剣を愛おしげに撫でた。
「対して、固有スキルは習得も教示も不可能です。なぜか」
リュウドウは指先で空中に光の文字を描いた。
Φ = f(G, N, C, H)
「……ゲェまた出たな、方程式?」
「残念、これは関数です。血統(G)、神経構造(N)、魔導回路の位相(C)、そして人生の履歴(H)……。それら全てを掛け合わせた、貴女だけの『設計図』。それが個体魔導場(Φ)の正体です。指紋が一人ひとり違うように、魂の出力形式もまた、唯一無二というわけですよ」
「……………………。」
親切な口調から急転下落、数式の登場にベアトリーチェは顔をしわくちゃに引き攣らせた。その表情にフェンネは眉を顰め、リュウドウは楽しげに笑みを零す。
「失敬。要するに、親譲りの『素材』に、思考の癖、魔力の通り道の形、そしてこれまでの人生で刻まれた『記憶やトラウマ』。それら全てが混ざり合った、完全オリジナルの特注品ということです。正式名称は『個体魔導特異解』。通称『星持ち』や『オリジナル』。……これなら分かりやすいですか?」
「……その人しか使えない、一点物の魔法ってことか。あのムカつく兄弟なら『光を操る』っていう」
「ええ。弟は光を剣技の速度と火力へ変換し、兄は光そのものを現象として放つ。同じ『光』という素材を扱っても、設計図が違えば出力も変わる」
ベアトリーチェはあの戦闘を回想した。速度、火力、共にこれまでの敵とは次元が違っていた。
「で、君の固有スキルは『座標を操る力』か?」
ブリーフケースの件を思い出し、恐る恐る聞いてみる。しかし彼は、
「残念、ハズレです」
と、即答した。それ以上は語る気配もない。
――またか……。
内心ガッカリしながらも、彼の「踏み込ませない」意志を察する。
魔王が自らの奥の手をホイホイ開示するはずもないか。だが、好奇心は抑えられない。
史上最凶、天地万物を背負う魔王の固有スキルの正体とは。
「ピカピカ兄弟でさえ形態が違いました。完全に一致する特異解は、この世に二つとして存在しません」
「絶対に、か……? なぜそう言い切れるんだ?」
「良い着眼点です。例えば、双子であっても育つ環境や経験、細胞レベルの揺らぎまでは同じになれない。宇宙に一つだけの『あなた』からは、宇宙に一つだけの『答え』しか出ない。同時に二つの正解がありえないのと同義です」
「なるほどな。……ちなみに、それを解析しきっても習得はできない、と?」
「ええ。視力のいい人に『どうやって目を良くしたんだ?』と聞くようなものです。本人のスペックそのものですから」
スラスラとした回答に、フェンネが「例えウマ」と小さく独りごちた。
「そして、固有スキルの最も恐るべき点は『理の無視』です」
リュウドウは指先で新たな数式―― ∇・A = κ ――をなぞった。
「普通、魔法のバランスが崩れれば暴発します。ベアトリーチェさんも以前、魔力操作を誤って『魔導場発散』を起こしましたね?」
「あれ、結構痛かった……」
「固有スキルはそれを起こさない。世界から『君だけは、どんな無茶な計算をしてもチャラでいいよ』という特例許可を貰っているようなものです。身体と完全に融合しているため、どんなに雑に扱っても破綻しない。
以上が『天賦の才』、固有スキルの正体です」
「天賦の才能……特権、か」
理不尽なまでの強さの根源を突きつけられ、ベアトリーチェは己の剣を握る手に力を込めた。
「魔王、なんかとんでもないスキル持ってそう……」
フェンネの呟きに、ベアトリーチェは相槌を打つ。
「だろうな。世界の頂点なんだ、ヤバいやつを持ってるに違いない……」
二人で目を細め、リュウドウをジッと見つめるが、その意図は完全に読まれていた。
「……教えませんよ?」
「ヒントだけッ。私と君の仲だろう……!」
両手を合わせ、拝むような姿勢を取るベアトリーチェに、リュウドウは困ったように眉を下げた。
しばしの沈黙。
「……やれやれ。根負けです。ほんの一端、概念的な話だけですよ」
その言葉に、ベアトリーチェは「待ってました」と身を乗り出した。最強の固有スキルの片鱗。好奇心が肌を粟立たせる。
リュウドウはゆっくりと口を開いた。
「私の、固有スキル、は――」
不意に、世界の音が消えたような錯覚に陥った。
「――……、……っ」
続きの言葉が出ない。
いや、出せない。
リュウドウの端正な口元が、まるで目に見えない糸で引き絞られたかのように不自然に歪んだ。
喉の奥で、何かが蠢くような微かな、粘り気のある音が漏れる。
「リュウドウ……?」
ゾ――――――
変異は一瞬だった。
彼の清潔なワイシャツの襟元。喉元を隠す布地の隙間から、「それ」が這い出した。
――…………??!?!
黒い煤のようでもあり、血管のようでもある、実体の定まらない何かが。それは生物的な脈動を伴って蠢き、彼の首筋を侵食するように一閃して、再び服の奥へと消えた。
ベアトリーチェの背筋に、氷柱を叩き込まれたような怖気が走る。
それは魔力でもなければ、技術でもない。ただひたすらに「在ってはならない何か」を見てしまったという、生物としての根源的な拒絶反応だった。
「……っ、ァッ、……申し訳ない。やはり、言えない理由がありまして」
リュウドウが首元を押さえ、短く息を吐く。
次の瞬間には、彼はいつもの、あの涼やかで理知的な「魔王」に戻っていた。口元の歪みも、あの黒い蠢きも、幻だったかのように消えている。
「悪い、無理を言った……。大丈夫なのか?」
ベアトリーチェの声は微かに震えていた。
先ほど彼が語っていた「宇宙に一つだけの設計図」。
もし今の異形が、彼という存在を形作る「特異解」の一端なのだとしたら。
天地万物を背負うというその背中に、一体どれほどの「呪い」を刻んでいるのか。
彼女はそれ以上、踏み込むことができなかった。
――……今のは、何なんだ…………?、?
「具合は?」
「はい……? 言葉に詰まっただけですが……」
怪訝な表現で、心配をするも、彼の顔には戸惑いの色しかなかった。
まるで、急に体調を心配し始めた、という捉え方のそれだ。
「なっ…………、え」
「………………?」
フェンネすら、彼の異変に気づかなかったのか、首を傾げている。
ベアトリーチェのみが、狼狽しているのだ。
「…………いや、なんでもない。疲れてるようだ」
目頭を抑え、呻き声を漏らす。
――…………考えすぎ、か? 魔王だぞ……、呪いなぞ屁でもないだろうに……。
何か巨大で悍ましい何かを、振り払うように胸中で毒づいた。
三人の歩は緩まない。
街道も、特に違和感は無い。
ただ、ベアトリーチェの背中には鳥肌が居座ったままだった。
――………………彼は……
リュウドウを尻目に眺め、固唾を飲む。
恐らく、触れてはいけない"何か"。
これまでの光景を今一度反芻した。
目測でセラフィエルを遥かに超える強力な光線、渾身の斬撃を素手で受け止める防御、致命傷でも完治させられる回復魔法、灰峠で見た重力魔法らしき攻撃。
「……………………。」
それは、彼女の脳が認知できる限界を超えている概念に思えた。
――森羅万象。
――天地万物。
――……史上最凶。
他の魔王を圧倒し、歴史に大きく名を刻むその力の源泉。
それを知るのは、まだ早いのかもしれない。
三
万緑の森に落ちる木漏れ日が多くなり始め、視界が開け始めた頃。
爽やかに頬と木の葉を掠める風が、しじまを盗んで行った。
「………………。」
前方の轍が眩く輝いている。
森の途切れであった。
差し込む陽光に、ベアトリーチェは手を翳しながら情景を見上げた。
「……………………。」
一気に青い空と緑の景色が広がり、風が吹き抜ける。
上は雲ひとつ無い大海。下は緑の絨毯に、小川のように続く轍が一本。
草木は仄かに揺れ、落ち葉が舞っている。
「……さて、次なる目的地は何処にするか」
一呼吸し、ベアトリーチェは目の前の光景を味わうように独りごちた。
ひたすら中央大陸の西端を目指しているが、細かい地点は行き当たりばったりである。
「一旦、目指すべき場所は――」
ここで頼りになるのが、リュウドウであった。
「『ウェスタ自由港同盟』ですかね。大陸西端の沿岸部に位置しています。それ迄は、適当な最寄り地で補給をしながら進みましょう」
「了解」
「了解です」
彼の提案に進言がある筈もなく、二人は二つ返事で了承を示した。
「てことは、暫く気味の悪い地域に行かなくて良いってことね」
胸を撫で下ろす思いで、ベアトリーチェは呟いた。
小さく頷いたリュウドウは柳眉を持ち上げて、
「当分は手合わせ修行で十分でしょうか」
と言って続ける。
「…………どうやら、少しお強くなったみたいで」
目を細め、顎を摩る彼はどこか嬉しそうであった。
ベアトリーチェはその台詞に目を見開く。
「えっ! 誠か」
リュウドウより遥かに分かりやすく、素直な反応を顕にしていた。
「はい。このまま、地道に歩み続けるのみです」
「……良かった」
微笑みを零し、儚げに視線を落とす。
――…………いつか、皆に顔向け出来るように……。
散華して行った仲間たち、自国の民と戦友、そして――姉上。
彼らの背中を思い出しながら、ベアトリーチェは歩を進め続けた。
風が吹き、彼女の髪を揺らせた。
小さな草片が飛んで行き、フェンネのバックパックに吊るされた袋が振り子のように揺れる。
故郷の守護。
竜人の打倒。
教団を名乗る刺客の駆逐。
それら全てを成し遂げる為に。
「………………。」
今一度、彼女は力強く地面を踏みしめ、その歩を前に運んだ。
見渡す限りの翠原に、天を映したような蒼穹がどこまでも広がっている。
草は穏やかに風を受け、波のように揺れながら、ここが世界の外れであることをどこか忘れさせる。
フェンネが歩みを止め、不意に右手の地平へと視線を向ける。
「……あっ、あれって――」
その言葉に誘われ、ベアトリーチェが不意に目を凝らした先。
遥か遠方、白銀を冠した峻烈な山脈が、両脇から世界そのものを挟み込むようにして聳え立っている。
「…………っ!!」
その険しき峰々の狭間に、楔を打ち込んだかのように鎮座する、巨大な漆黒の影があった。
第五魔王国首都へと続く正門、巨門『絶口』。
一瞬、それを山脈の一部と見紛う者もあるだろう
しかし視線を定め、息を整えてよく見れば、その輪郭は自然のものではない。
直線が走り、角が立ち、人の意志によって積み上げられた、恐ろしいほどの人工の塊がそこに在る。
数千メートルの標高に及ぶ山々を背にしてもなお、その存在感は些かも揺るがない。
全高は数百を優に越え、あるいは千に迫るかという規模で、雲の裾をかき分けるようにして天を仰いでいた。
「…………なん、と」
奇妙な感覚があった。
これほど遠いはずなのに、門が近い。いや、正確には大き過ぎるために、遠いことが信じられないのだ。
経験が「あれは遠くにある」と告げても、視覚が「すぐそこにある」と反論する。
実際にあの麓へたどり着こうとすれば、この地からなお数時間から数日の行程を要するだろう。
それでも、門は今にも手が届きそうな顔をして、こちらを見下ろしている。
風雨に晒され、幾星霜の戦火を耐え抜いたその表面は、滑らかさなど微塵もない。
「荘厳だな…………」
無数の剣傷が、正面の黒鉄に刻まれた古い傷跡として残り、錆びは装甲のように門全体を鈍く覆っている。それは傷みではなく、歴史の堆積。
幾度の攻城を退け、幾たびの侵略を押し返してきたか——その問いへの答えが、黒鉄の表面に直接刻まれている。
さながら、主君の玉座を護り続けた「歴戦の黒騎士」が、甲冑に無数の斬撃を受けながらも微動だにせず立ち続けているかのような、重厚な佇まいだった。
門の足元には、その巨大な影に吸い寄せられるようにして、蟻の這うような密度で城下町が張り付いている。
ここからでは人影はおろか、建物の輪郭すら判別できぬほどに遠い。
それでも、門が放つ圧倒的な尊厳と寄せ付けぬ物々しさは、草原を渡る風に乗ってこの地まで届くかのようだった。
「……………。」
フェンネが、小さく息を漏らした。言葉にはならなかった。
鋼鉄と騎士の国。
その入り口に据えられた「世界の壁」を前に、ベアトリーチェは己の矮小さを改めて突きつけられたかのように、しばらくの間、言葉を発することができず、ただ立ち尽くしていた。
「確か、あれが……」
フェンネの、呆気にとられたようなか細い声が上がる。
その声色は確認のようにも、目の前の情景に対する、インパクトからの萎縮と好奇心からでた声ともとれた。
「ええ」
ただ一人、物怖じせず後ろで手を組んでいるリュウドウ。しかしその溜息混じりの声は、光景に見蕩れているように感じられた。
「第五魔王国『鉄境』。正式国号『鉄境防衛自由国』の首都に続く、桁外れに巨大な防壁門『絶口』です。
鉄境は北方大陸『ノルデリア大陸』と中央大陸の接続部に位置しています。見ての通り、良くない輩や神獣の残滓を一身に堰き止めているのです。
まさに、防衛、鉄壁の権化とも」
「…………第五魔王」
その名に、ベアトリーチェの鼓動が僅かに跳ねた。
旅に出る以前、国防の強化政策として部分的な締結を果たした列強である。
徹底的な防衛と軍事主義。
軍と騎士の練度はまさに世界一。
その騎士道精神の鑑とも言える国風は、まさに騎士の憧れと言っても過言では無い。
「鉄騎王または不動黎王。公名は『バルフォルド一世』。
無知な私でも流石に耳にしていた。国交を結ぶ以前からな……。
北境を単身で支え続ける、騎士の理想像――そう教本にすら記されるほどの御方だ。
その名は武勇だけではない。強者の義務を説き、弱きを守ることを当然として振る舞う、その在り方そのものが尊ばれている。
全世界の騎士が一度は憧れ、そして己の未熟を思い知る相手。
……正直に言えば、私はお会いしたい気持ちと、あまり会いたくない気持ちが半々だった。ああいう本物を前にすると、自分の剣がどれほど浅いかを嫌でも理解させられる」
歩を進めながら、感嘆と謙遜の念を声に滲ませる。
「…………しかしながら、いつか御礼を言いたい。兼ねてよりの共同軍事演習と、部分的軍事協定を許可してくださった」
手前の木々に隠れてゆく巨門そして、城下町ならぬ門下町。
その街をベアトリーチェはもの惜しげに見つめていた。軍事協定により派遣された部隊は、恐らくあの街から派遣された者たちなのだろう。
「案外、寛容な方なんでしょうか……」
純粋な疑問を呟くフェンネ。
口にするまでもなく、二人の視線が同じく魔王のリュウドウへと注がれる。
「気難しい訳では決してないですかね。ただ、騎士道精神と生真面目、規律の権化みたいな方で。
大体は皆さんが想像する人物像と相違無いかと」
「…………魔王ってもっと、物語のラスボスらしくめちゃくちゃな悪いヤツが多いと思ってた」
第五魔王の意外な評価に、ベアトリーチェは斜め上を力無く見上げながら、呟いた。
かつて立ち読みした勇者の御伽噺を思い浮かべる。
国に、ひいては世界に選ばれた聖なる勇者が、その生涯と仲間の命を賭けて挑む最後の難関。物語の終わりを告げる大一番として、魔王は描かれる。
存在するだけで世界を混乱と恐怖に陥れ、ひとたび暴れれば一国を灰燼に帰す。言葉は通じず、交渉の余地もなく、ただ勇者の剣によってのみ打ち倒される、絶対の悪として。
子供の頃からそう刷り込まれてきたし、疑う理由もなかった。
しかし、実際の魔王というのは――どうにも、話が通じてしまう。
「……私を前にして、それを言いますか」
僅かに苦笑を滲ませた声音で、肩をすくめる史上最凶の魔王。
「あっごめん……」
ベアトリーチェの反応も当然である。
隣りで荷物を背負って、その美貌を称える美青年が魔王などとは誰も思わない。
「まさか、次の修行地……? あそこ」
既に木々へと隠れてしまった門。
ベアトリーチェはその方角を控えめに指さしながら、訊いた。
騎士の憧れ。
世界最高峰とも言える、軍事と騎士団の練度。
現役の騎士として、彼女の修行には持ってこいの地であった。
「そのうち行きましょうかね」
目を細めながら、既に隠れた門を視界に納めようと首を擡げるリュウドウは、そう言って、
「今は、事件究明を最優先に」
変わらぬ表情で、静かに残した。
「…………そうだな」
ベアトリーチェも静かに返事をして、視線を落とした。
旅の草道は後回しに、踏みしめる草道の感触へかすかな寂寥を覚えながらも、歩を早める。
視界を遮る木々が、あの峻厳な門を無慈悲に奪い去った。
例えそこが、一人の騎士として生涯を捧げ、心ゆくまで剣を磨くに値する「聖域」であったとしても。
今の彼女には、その憧憬さえもかなぐり捨てて進まねばならない理由があった。
*(閑話)
リュウドウ「個人的には、第五魔王陛下の軍事と戦略は少し借りたいですね」
ベアトリーチェ「やっぱり、戦争も強いんだな」
リュウドウ「強い、というよりは……。
どんな列強も嫌うのが"防衛戦"。もちろん、魔王国も例外ではありません」
リュウドウ「そんな面倒極まりない防衛戦を、あの方は最も得意としているらしくて。大戦期ですら、その不動を貫いたとか」
ベアトリーチェ「それは凄いじゃないか。よほど強固な戦線を築いているんだな」
リュウドウ「殲滅戦と破壊こそ魔王の真髄ですよ。
よくもまあ、あんな耐久戦を進んでやれるものです。変人ですよ、変人」
ベアトリーチェ「……………………」
ベアトリーチェ「…………え、仲悪いのか?」
リュウドウ「いえ、別に」
*
翌朝の街道は、昨日よりも森の色が濃かった。
幹の太い古木が道の両脇に迫り出し、空を細く切り取っていた。
葉擦れの音が絶えず、鳥の声もなく、ただ三人分の足音だけが湿った土を叩いていた。
リュウドウが先を行き、フェンネがまたもや巨大なパンを齧りながらその隣を歩いていた。
ベアトリーチェは二人の少し後ろに位置し、手綱を引くように視線を左右へ流していた。
剣の柄に触れるでもなく、ただ静かに、周囲の気配を測り続けていた。
木々の奥が、深くなってきている。
街道に差し込む光がまばらになるにつれ、何かが変わっていくような気がした。
それが気候なのか、土地の匂いなのか、あるいは自分の内側の何かなのか、ベアトリーチェには判然としなかった。
――………………。
昨夜の焚き火の前でも、眠りに落ちる直前まで、あの門のことを思い出していた。
いずれ、と彼女は胸の内で繰り返した。
――……いずれ、修行も……。
「次の目的地は、この道を真っ直ぐか?」
ベアトリーチェが前方へ向けて問うと、リュウドウは歩みを緩めずに答えた。
「ええ。真っ直ぐ参りますと、『リトリュイーズ大公国』に着きます。最近、治安が荒れ気味との話は耳に挟んでおりますが……、補給には充分な都市でしょう」
「…………別の、ところじゃ駄目っすか」
フェンネが遠慮がちに、しかし切実な響きで言った。巨大なリュックが揺れる。
誰も答えなかった。
街道の沈黙が戻り、葉擦れだけが続いた。
不意に、リュウドウの視線が横へと流れる。
言葉はなく、足も止まらない。
ただその目だけが、街道沿いの木々の奥を、値踏みするように捉えていた。
ベアトリーチェには、それだけで充分だった。
無言のまま二人を追い越し、先頭へ立つ。
鯉口を切る音が、静寂にわずかに沁みた。
「えっ……、えっえっ、?」
フェンネが、リュックごと小刻みに震え始める。
街道の影から、一人の男が踏み出してきた。
男は刃毀れしたマチェーテナイフを中段に構え、腰の短剣を左手で押さえながら、半ば叫ぶように言った。
「ささっさと死ねぇッ……!」
必死、という言葉が似合いすぎる様子だった。
ベアトリーチェは静かに剣を正眼へ戻しながら、視線だけを横へ流した。
「リュウドウ。フェンネを頼めるか」
「承知しました」
即答だった。
フェンネへ視線を向けることもなく、リュウドウは淡々と背後へ告げた。
「下がっていてください」
「え、あ、は、はいっ……!」
フェンネが後退する気配を背中で感じながら、ベアトリーチェは前へ出た。
男が踏み込んでくる。
――……発言、というより様子自体おかしいな……。何かあったのか……。
先程の台詞、そして傷だらけの容姿。
不可解な点が多い。
縄張り争いでもしていたのか。
ブンッ――
大振りの袈裟斬りを、ベアトリーチェは半歩退いてかわし、返す動作で右足を踏み出した。
軍靴の踵が男の鳩尾を捉える。
――構う暇は無いか。
鈍い音がして、男の身体が宙に浮いた。
「ごっ、ぅあ……」
街道の端まで吹き飛んだ男が地面に転がる刹那、ベアトリーチェは既に踏み込んでいた。
――白騎刹閃……!
一瞬。
「…………ゥッ……」
匪賊の断末魔の後、沈黙が戻る。
振り向けば、二人の姿はもう見えなかった。
――しまった、強く蹴りすぎたな……。
蹴り飛ばした時に空いた距離が、木々の濃さも相まって、あっという間に視界を遮断していた。
声を出す必要はないと判断し、ベアトリーチェは剣を引いて前を向いた。
合流は後でいい。今はこの街道を、先へ進むだけだ。
足を踏み出しかけた、その瞬間だった。
ゾッッッ……――――――
"殺気"、と認識するよりも先に、身体が動いていた。
「――――……??!!!!!」
火花が散った。
気づけば、剣がある。
何かを受け止めていた。
腕に伝わる重さが、尋常ではなかった。押し返そうとするが、ぴくりともしない。
鍔迫り合いの体勢のまま、ベアトリーチェは目を細め、相手の得物を確認した。
スコップだった。
「……はっ?」
思わず零れた声が、自分でも間抜けに聞こえた。
もう一度、見る。
ギリギリギリ――――
やはりスコップだった。
軍用の、頑丈そうなスコップ。
それを相手は右手で柄を握り、左の手掌をその上から静かに添わせ、一切の力みなく競り合っていた。
「はぁ?! スコップ……、だと??!」
その声に、相手がわずかに目を細めた。
黒髪のボブに、目元まで揃えた姫カット。
気だるげな垂れ目をした、二十代中頃と見える女だった。軍服を思わせる軽装——黒のタンクトップに、カーキの軍用パンツ。
擦り切れたコンバットブーツが、街道の土を無造作に踏んでいた。
眠たそうな顔をしているくせに、その目だけが剃刀のように光っていた。
「あぁ?」
女は気怠げに、しかし確かに言葉を発した。
「……騎士ぃ?」
瞬間、互いに後退する。
力が弾けるように、ベアトリーチェは足元の土をザラザラと擦りながら勢いを殺す。
一方女は勢いを受け流すように軽やかに跳ね、スタリと――否、音もなく着地した。
ベアトリーチェの鼓動が警鐘を鳴らす。
――足音が無かった……! 魔力も、殺気すら直前までっ……!!
「………………。」
女は何をするでもなく、相変わらず気怠げで無愛想な目つきでこちらを伺っていた。
――……しかも、
手には、やはり軍用スコップが握られている。
――変わった物を武器にしているが、……扱いの練度が凄まじい。…………強いな。
絶大な威圧感も、多大な魔力も無く。
静かに、暗殺するような斬れ味の高い殺気のみを漂わせていた。
その殺気は、
――…………あの、兄弟より………………。
かつて敗北した、セラフィエルよりも、強いと思わざるを得ない。
これは、勘違いなのか。
過剰な防衛反応なのか。
「…………チッ……!」
歯噛みをし、やけくそに剣を構え直す。
――白帝位……!!!
空気が張り詰めた。
そして、弾ける。
「……待った待った、すとーっぷ」
「…………っ?、ッ!?」
場違いも甚だしいほどの、力無い声。
女は両腕を上げ、どうどう、と言わんばかりのジェスチャーを示した。
ダランっ、と腕を下ろし、短くため息を落とす。
「なんか、勘違いしてない? その格好、匪賊じゃないだろ」
左手で指をさしながら、ベアトリーチェの黒い鎧へと視線を巡らせていた。
ベアトリーチェの戸惑いが、そろそろ頂点に至りそうである。
「……いや、ま、まて。君こそ、匪賊じゃ……」
剣は構えたまま、冷や汗を浮かべながら、引き攣る口で疑問を投げかけた。
どうやら、何か行き違いを互いにしていたようだが、
「居たぞッ!! やりやがったな女ァ!!」
男の怒声が、その気まずい空気感を断ち切った。
刹那にして現実に引き戻されるように、ベアトリーチェはハッと目を瞬かせる。
視線を戻せば、二人の匪賊が女目掛けて飛びかかっているところだった。
依然として向き合っている状態。
ベアトリーチェは地面を蹴る。
「おいっ!」
虚しくも、間に合うはずがなかった。
しかし、杞憂に終わる。
サンッッ……――――
軽く鋭い切断音。
女は姿勢を低く、身体ごとスコップで回転斬りを炸裂させていた。
目に追えない。
気づけば、木々は、森は、匪賊の身体は切断されていた。
「はァ……?!」
間一髪で避けたのか、悪運で当たらなかったのか、片方の匪賊が、斬られた同胞の肉塊を見て驚愕する。
軍用スコップの、鋭く研がれた縁がギラリと瞬いた。
その光すら置き去りにするように、
ガンッッッ――
残党の脳天を叩き潰した。
「ぅブ……っ」
頭頂部が僅かに凹み、鼻と目から僅かな血が吹き出る。
すかさず、
「………………。」
女は軍用スコップを刺突の角度へ、匪賊の身体目掛けて突き出した。
目では3撃。
しかし、その胴体を貫き、吹き出た血と形成された穴は無数だった。
ドパっ、と鮮血を零し、匪賊は地面に伏したのであった。
まさに、一瞬。
目にも止まらぬ、刹那。
「……………………。」
「…………なん、な……。君は……」
開いた口が塞がらない。
女は頬に付着した血を払おうともせず、静かに目を細めていた。
温度が負の値を示しそうな、その瞳でベアトリーチェを眺めている。
「……で、誰? 旅人にしては、高そうな鎧着てんね」
億劫そうな声色。
その声は見た目相応、可愛げの残る音声だった。
「いや、その、……君こそ、何者だ……」
ベアトリーチェの目に追えないほどのスピード。
スコップを扱いこなす技量。
現代軍人らしき服装。
何もかもが不穏で奇妙。
「ベアトリーチェさーん!!」
その気味の悪い空気を破るように、フェンネの声が後ろから響いた。
がさっがさっという音を立てて、巨大なバックパックが近づいて来る。
「…………!」
「……?」
二人は互いに、声の方向へ目線を向けた。
草をガサガサとかき分けながら、フェンネが姿を表した。
咄嗟に、
「…………うぇっ」
と、効果音のようなフェンネの声と共に、彼女の体が硬直する。
「……ァァァァアアアア???!!」
クレッシェンドのような悲鳴が、森に反響した。
「んン??! フェンネ、大丈夫か??!」
大きく尻餅を着いたフェンネに、慌ててベアトリーチェが駆け寄る。
リュックが盛大にひっくり返り、荷物が地面に散乱していた。
「あぁ、あ、あ、なっ、なっなななな……」
呼吸が乱れている。顔色が土気色だった。
「本当にどうしたんだ…??」
「何故、なんで、あの方と一緒にいるんですかぁ……?!?」
震える指が、ベアトリーチェの背後を差していた。
「あの方?」
振り返る。
スコップの女は既にベアトリーチェへの興味を失ったように、懐から無造作に布を取り出し、刃に付いた血を拭っていた。
めんどくさそうに、ただそれだけをしていた。
「あの人はっ。貴女と同じ、聖七天大英雄の一角……ッ、『ヴェリアブルガ』……。」
「だい、………。」
言葉が途切れた。
唐突に現れたその台詞を、その単語を脳が咀嚼できなかった。
「自国を単独で崩壊させた……。異名が、『最悪の大英雄』です……!!」
「………………!」
ベアトリーチェの視線が、女へと戻った。
ヴェリアブルガと呼ばれた女は、血拭いを終えたスコップを肩へ担ぎ直し、何事もなかったように前を向いていた。
こちらを見ていなかった。
最初から、何も気にしていないようだった。
「………………。」
三者の間に、風だけが通り過ぎた。
自分以外の聖七天大英雄と、相まみえたのはこれが初めてであった。
その感慨を噛み締める間もなく、ベアトリーチェの脳裏には先ほどの火花がちらついていた——剣を受け止めたのは、スコップであった。
そして、その担い手の異名は『最悪』。
新任の大英雄が、初めて出会った同胞とはよりにもよって、"最悪の大英雄"であったらしい。
*(閑話)
その後のリュウドウ。
「……おいてかれた」
※霄壌は、空と土=天と地。
キアロスクーロは美術用語かなんかで、「対比」とか「反対」の意味です。
ヴェリアブルガとベアトリーチェ、「最悪」と「最弱(最正)」に因んで(?)この名前にしました。
ヴェリアブルガは割とお気に入りキャラクターなので楽しみ。




