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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽
第一章

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十一話 Iter Sisyphi. 三


 間合いが、消えた。

 踏み込みと同時に、ベアトリーチェの剣が閃く。

 初動から加速し、そのまま連撃へと繋がる。

 ――清流(せいりゅう)縁脈(えんみゃく)

 淀みのない流れ。

 一太刀ごとに軌道が繋がり、斬撃は連なっていく。

 水が枝分かれするように。

 だがその実、一切の無駄も淀みもない、研ぎ澄まされた殺意の奔流。

 斬る。

 重ねる。

 逃がさない。

 空間そのものを塗り潰すような連撃。

 だが、当たらない。

 刃は、確かにそこを通っている。

 紙一重。

 否、それすらも錯覚に思えるほどの回避。

 視界の中で、アウソルがずれる。

 消えたわけではない。

 ただ、位置が合わなくなる。

「…………ッぐ」

 次の瞬間。

 黄金の閃光。

 視界の端で、光が弾けた。

 流星のように走り抜ける軌跡。

 遅れて、理解する。

 背後。

「ッ――」

 振り返るよりも早く。

 何かが、通り過ぎた。

 音もなく。

 風すら置き去りにして。

 そして。

 遅れて、痛みが来る。

 肩。

 脇腹。

 腿。

 全身に、同時に走る裂傷。

 血が、弾ける。

 ベアトリーチェの身体がわずかに前へ揺らいだ。

 アウソルは、既に背後に立っている。

 レイピアを下げたまま。

 ただ一言も発さずに。

 一度の交差で、これだった。


 ――……速すぎるッ………………!!


 レシアも、アルヴィスすらも遥かに超える、黄金の閃撃。

 まさに宙を泳ぐ星屑。

 彼の斬撃が見えない。

 しかし、確実に防御の隙をぬって切り裂いてくる。

 ビジュんッ――

 空気を焼き切るかのような、目にも止まらぬ連撃がベアトリーチェを再び襲った。

 ――……仁王(におう)・朧流し。

 両足を確実に地面に着け、重心を下にどっしりと構えた全方位の流し技。

 黄色い火花が、視界に瞬いた。

 だが――、

「……がア゙ぁッ」

 またも血が流れる。

 ベアトリーチェの片膝が、落ちた。

 ――……剣戟が一回しか見えないのに、衝撃は三回分……。速いなんてもんじゃない、なにか……、何かのスキルかっ?

 目の前に、白いズボンが見えた。

 ベアトリーチェを見下ろすように、アウソルが立っていた。追撃をする様子もなく、レイピアを真っ直ぐに構えているのみだ。

「立て」

 ただ短く、そう告げる。

「………………!」

 歯を食いしばり、地面を蹴った。

 そして上体を起こすと同時に、アウソルに斜め下からの斬撃を与える。

 しかし、滑るような移動により、躱された。

「…………期待をしていた。こんなものか、白聖皇剣流は」

 目を伏せ、剣技の名前を口にした。

 その台詞にベアトリーチェは目を見開く。

「なぜ……、知っている……。我々の剣技を、何故ッ!」

「知っているとも。ロードスクヴェルト家、白聖皇剣流。剣士ならば、知らない者が少ない」

 付着した血を、振い落しながら静かに告げた。

「"白金(しろがね)の聖騎士"は、貴様の比ではなかった」

 『白金の聖騎士』。

 その台詞に、ベアトリーチェの鼓動が一瞬跳ね上がった。

 ――……………………ッ………………!

 紛れもない、"姉"の異名だ。

「有名人だろう、かつては大陸最強の剣士と名高かった」

「……当然だ……ッ、この私と同じ尺度で測ろうなど、姉上に失礼だ……!」

「では貴様はなんなのだ。金魚の糞か? 過大評価で、姉君から大英雄の座を盗んだ屑か?」

 彼の言葉が、斬撃よりも深く、的確にベアトリーチェの心を切り刻んだ。

 聖七天の名誉と十字架。

 姉の栄光と、自身にかかった羨望。

「黙れ…………」

「断る。何度でも言う。貴様は剣士という存在を愚弄しているのだ。

 聖七天大英雄であり、白聖皇剣流の使い手のはずだろう、何故そんなに遅い? 誠に、遺憾極まりない……」

 数々の愚弄、何より仲間の死。

 ベアトリーチェの憤怒は既に限界に近かった。

 顔には青筋が幾重も並び、手には柄が砕けるのではないかと思わされるほどの力が籠っている。

「……なら、その目に焼き付けろ。今から貴様を圧倒するのは、『技』でも『地位』でもない! 私の、"意地"と"全霊"だ……!!!」

 ――………………来る。

 アウソルはレイピアを正面に構え、防御の姿勢を取った。

 だが、その守備をベアトリーチェは小細工で崩すことなどしない。

 ――『聖王・巌戸開』!!

 放たれたのは、一筋の白光。

 鉱石の如き硬度と質量を宿した一撃は、接触した瞬間に「衝撃」という概念を爆発させた。

ガアァァァンッ――

 硬質な破壊音が響き渡る。

 盾代わりの剣を、その骨を、そして相手の抱く抗戦の意志ごと叩き潰す。

 神話の岩戸をこじ開けるが如き暴力的なまでの真っ向勝負。

「…………?!」

 思わぬ怪力に、アウソルの眉が上がった。

 斬撃を止められようとも、ベアトリーチェはその腕へ更に力を込める。

 彼女の咆哮と共に、アウソルの足が地面にめり込んだ。

 レイピアが、撓る。

 力では、有意な差があった。

 ベアトリーチェが上だ。

 ギリギリギリ、と金切り音が響く。

「……………………。」

 しかし、アウソルが一拍の呼吸を残したその刹那。

 ――『微光(グリマー)逆光霞(ぎゃっこうがすみ)』。

 強烈な散乱光が、ベアトリーチェの視界を焼いた。

 アウソル自身の初動を隠蔽しながらの、一撃を叩き込む早業。

 黄色に光り輝いたレイピアは、まるで肉体を焦がすかのように、ベアトリーチェの横腹に大きな裂傷を形作った。

 斬撃とともに、アウソルも光速の移動を示す。

「あ゙ッ………………っ」

 苦悶を称えた顔には、冷や汗が流れ出た。

 ジュウゥ、という音が腹部から聞こえ、その裂傷は綺麗に肉を裂き、皮を黒く炭化させていたのだった。

「クッ、うっ……、さっきから……、なんだその技は……!」

 強烈な痛みに腹部を抑えながら、アウソルを睨みつける。

 彼はレイピアを振い、フェンシングのような構えをとった。

「……確かに、私の技も説明しておくのが礼儀か」

 レイピアを傾け、その細く美しい刀身が銀色の輝きを放つ。

「これが私の『固有スキル』。"光度(ルミノシティ)俊刻の星屑(ステラ・ダスト)"である」

「固有……、スキル……」

 荒い息を吐きながら、ベアトリーチェが呻き声をもらした。

「安心しろ、難解で猪口才なスキルではない。単純な光学系魔法を剣技に適応させているだけだ。熱を帯びた、貫通力の高い瞬撃を放つだけに過ぎん」

「………………。」

 アウソルはレイピアを正中線に真っ直ぐ立て、刃を横向きに向けた。

 ジッとその刀身を眺める。

「…………幼少から、このスキルを持て余していた。有りの侭使うのが最も強いという風潮があったからな。だが、私が持っていた才能は、剣だけだった」

 ベアトリーチェは、燻る脇腹を抑えながらも、足に力を込めた。

 ただ耳を傾け、次なる一撃の準備をする。

「白聖皇剣流には、多大なる尊敬を注いできたと言うのに。ガッカリだアウレリア殿」

 その言葉に、彼女は奥歯を僅かに噛み締めた。

「正々堂々とした勝負は辞めるか? 先程から、トドメを出さないでやっているが、直ぐに終わらせてやろうか?」

 そのまま、アウソルは冷徹な目線を向けたまま続けた。

「私が切り殺した、あの雑魚二人のように」

「……!!」

 その台詞は、沈黙を抱えていたベアトリーチェに、更なる熱を与えた。

 怒りの温度が、彼女の全身に力を発揮させる。

「私の仲間を、愚弄するな!!」

 怒鳴りながら、地面を凹ませる勢いでアウソルに重撃を与える。

 彼の防御による刀身と、ベアトリーチェの刀身がぶつかり合い、爆発のような火花が飛び散った。

 ――……重い…………っ。

 初めて、アウソルの表情が崩れる。

 ほんの僅かに。

 細身のレイピアはキリキリと甲高い音をたて、彼の腕は押し負けるように縮こまりつつある。

「貴様がたとえ高尚な剣士だろうと、私は意地汚く抗うつもりだッ」

 怒気に染まった叫び声。

 同時に、アウソルの足が地面に沈んだ。

「技で負けようが、私はッ、貴様を倒すッ!」

「……?!」

 レイピアが、大きく撓った。

 押し負けたのだ。


 ドォォオンッ――


 衝撃音が、地面に大きくクレーターを形作った。

 土埃が舞う中、アウソルは冷静に距離を取っていたものの、

「な…………」

 胸から腹部にかけて、裂傷が浮かび上がっている。

 深くは無いが、確実に血が流れていた。

 そして彼女の力に泣き叫ぶかのように、震える腕。

 埃が風に運ばれ、目の前の、怒りに満ちた"鬼人"の如き迫力の騎士が、露になる。

 獰猛に鋭い視線は、然りとアウソルを捕らえていた。

「力では私が上だな」

 血を多量に流しながらも、ベアトリーチェの構えは端正だ。

「……………………。」

「才能が無い者の抗いで敗れろ。ガムシャラに鍛えた、私の凡才でな……!」

「……来てみろ」

 呼吸を整えるベアトリーチェを前に、アウソルは背筋を伸ばし、レイピアを綺麗に構えた。

 ――力では私が上…………。

 ベアトリーチェは深く息を吸い込み、神経を研ぎ澄ませる。

 ――………………あとは、

 深く、限界まで空気を吐いた。

 ――……速さのみ………………。

 呼吸が、鼓動が、ほんの一瞬跳ねた。

 体に、筋肉に、そして呼吸と血液に熱が灯る。

 ――……『無間(むげん)』……。

「………………っ?」

 アウソルは彼女の息遣い、そして雰囲気が変わったことを察知し、目を細めた。

 無間、白聖皇剣流の奥義。

 ――…………『白熾(びゃくざか)』……!!

 刹那、オーラが凪いだ。

 彼女が纏う魔力、そして剣に纏う魔力は白火のように輝き、静かになった。

 ――……雰囲気が変わったな。様子見でもするか。

 ベアトリーチェは依然として踏み込まない。

 レイピアを倒したアウソルの目が光った。

 ――散光(スキャッター)独妙嘴(どくみょうはし)

 刀身が流星のように、黄金に輝き、目を劈く閃光が破裂した。

 三方向からの光線が一点に収束するような超高速の三段突き。まさに光速と形容できる、早業。

 その視界に捉えられぬ閃撃に、ベアトリーチェは一歩も退かなかった。

 ただ、両足を沈む程に踏ん張るのみ。

 ――……仁王・朧流し。

 先刻と同じ奥義。

 アウソルの攻撃を捌ききれなかった、受け流し型のカウンター技。

「………………!」

 しかし、今回は違った。


 バチッ――――


 雷が弾けたような音が、数回。

 ――……コイツ……!

 彼の目が見開かれる。

 全て、受け流したのだ。

 すかさず、アウソルの迎撃が高速で猛威を奮う。

 ――……散光(スキャッター)千輪(せんりん)

 何百、何千にも見える連続の斬撃が、散水のようにベアトリーチェへ降り注いだ。

 だがそれも、


 ギギギギギギン――


 まるで空から落ちてくる雨粒を全て弾き飛ばすかのように、全て捌いたのだ。

 あまりの変貌に、アウソルは眉間に皺を寄せて、その場に立ち止まる。

 レイピアを正面に、防御の姿勢で彼女を睨めつけた。美しい流線曲状をした、金色のスウェプトヒルトが陽光を反射する。

 ――……格段に………………。

「速くなっているな」

 品定めをするような、低い口調。

 ベアトリーチェは小さく息を吐いて、正面に向き直った。

「……奥義、無間(むげん)の派生技だな」

「………………詳しいんだな」

 彼女の唸るような声に、アウソルは肩を竦める。

「当然。言っただろう、尊敬していたと。

 白聖皇剣流、無間……。かつては居合に用いる、精神統一が源泉の特殊な技だと」

「そうだな……。居合・虚鞘(うつろざや)の土台になる。呼吸と神経、なにより魔力の流れを統制するものだそうだ……」

「ふむ……、ならば今使っているのはスピードに注力したものか。残念ながら、"荒い"な……」

 その鋭い観察眼に、ベアトリーチェは言葉を噤んだ。

「……流派の真髄とも言える技。姉のようにはいかないな」

 苦渋の笑みを浮かべながら、再度剣を正面に置いた。

「御託はもう十分か?」

 血の流れる口からは、低い一声が漏れる。

「そろそろ、お前を叩き斬ってやりたいところだ……」

 青筋が浮かび、目には僅かながら怒りが血走っていた。

 アウソルはその迫力を気にも留めず、密かに口角を上げる。

「頑張りたまえ」

 小さく呟きを残す。強者か、達観者の台詞。

 その言葉から、間髪入れず彼はレイピアを振った。

 ――散光(スキャッター)千束黄道光(ちづかこうどうこう)

 眩い黄金が瞬き、淡く道のように輝く光が幾重もの連撃をベアトリーチェに浴びせた。

 流星、または光線のように伸びる攻撃は、速度が尋常ではなく回避は至難の業だ。しかし、受けようともその閃光は身を切り裂き焦がす。

 ベアトリーチェはフッと一呼吸だけ整え、僅かに体を傾けた。

 ――……清流・白宸転(はくしんてん)

 その技が発動されたと同時に、彼女の体軸が最小限にずれる。そして、剣でその光を撫でるように去なした。

「……!!」

 刹那、ベアトリーチェの動きは素早く流れ落ちる水のように洗練された。

 河川の清水が縦横無尽に、但し滑らか且つ高速で流れるように、彼女の動きはまさに美しき神速だ。

 ――……速度が、格段に…………。

 あまりの速度と足捌きに、戸惑ったアウソルが体勢を引く。

 しかし、遅かった。

 今の彼女にとっては、目に余る遅さ。

 ――……『煌舞(こうぶ)浮舟(うきぶね)波紋(はもん)』。

 水面を流れる舟の如き滑らかさで、瞬間的に間合いが消失した。

 スピードだけならば、アウソルの視界に留まっていたやもしれない。

 だが、ベアトリーチェの姿は靄のように"ぶれた"。

 鋒が、アウソルの横腹に突き刺さる。

 単なる刺突ではなかった。傷は小さく、出血も少ない。

「……ッ…………うっ、ゴあ゙ぁッ!!」

 半拍、遅れてアウソルの体に舌筆にし難い衝撃波が走った。

 白を湛える魔力が、波紋を描く。同時に、アウソルの体は内部から破裂するようなダメージが駆け抜けた。

「……ウッぐ……、かハっ………………」

 口から、鼻から吹き出す鮮血。

 筋肉と骨が軋み、堪らず苦悶に表情を険しくする。

 ――……内部からの衝撃波かっ……、いや、そんなことより……、

 腹部を握るように抑え、背後のベアトリーチェに向き直った。

 迎撃をする気が無いのか、剣を構えたままアウソルを睨みつけているのみだ。

 ――…………なんという速度ッ。

「だが……」

 吐血をしながらも、アウソルは不敵に口角を僅かに上げた。

「荒い、と先程言ったはずだ……。そんなに無理をして大丈夫なのか?」

 挑発するように、ベアトリーチェを見据える。

 彼女の口からは何の言葉も出なかった、代わりに、

「…………ッ………………」

 声にならない呻き声と共に、血が流れ出たのだった。

 見れば冷や汗が幾筋も頬を伝っている。

「無間によるドーピング、慣れない奥義の発動。身体が勝手に崩れつつあるぞ……」

 その台詞を残した寸陰、アウソルの体が光線に紛れたかのように消えた。

「……?!」

 無間による速度の上昇、今のベアトリーチェには目で追えるスピードだ。

 しかし、彼の言通り、彼女の体は悲鳴を上げている。

「……くっ………………」

 太腿、腹部、肩から血が吹き出た。

 先刻より、血を流し過ぎていた。

「一瞬だけ、輝けたんじゃないか?」

 ベアトリーチェは剣を地面に突き立て、必死に立ち上がろうと藻掻いた。

「……そうやって、感情任せで蠢くだけ。大事な仲間すら守れぬ、怒りをぶつけられぬまま、顔に皺を作るのみとは」

 アウソルの息が整いつつあった。

「うっ……、アアあ゙あ゙ぁぁ……!」

 体の至る所から、血を吹流しながらも、立ち上がる。

「チッ……」

 苛立ちを浮かべ、レイピアが振り上げられた。

 しかし、

「?!!――――」

 アウソルの額に、脂汗が浮き出る。

「貴様ぁあ゙……!」

 掠れた声を漏らし、目の前のベアトリーチェを睨みつけた。

 いつの間にか、ベアトリーチェの剣が彼の横腹へと突き刺さっていたのだった。

 力任せに、スウェプトヒルトで刀身を叩きおろし、後ろへと素早く移動する。

「ぐっ……、どこまでも、泥臭いなッ……」

 腹部を抑え、怒気を孕んだ目つきでベアトリーチェを睨みつけた。

 彼女の剣を握る腕は、既に震えていた。

 全身はまるで雨にでも撃たれたかのように、血で濡れている。

「言っただろ……っ。とことん意地汚いのが私だ」

 力無い苦笑を、挑発のように浮かべた。

 震える足で、地面を踏み込む。

 ――……『白騎刹閃・迅』。

 まだ、無間・白熾の効果は続いていた。

 早業に早技の重ねがけ。

「…………グッ!!」

 一瞬で間合いを殺し、アウソルへと一撃が放たれた。

 真正面からの衝撃に、レイピアがまたもや靭る。

「忘れたのか……? パワーでは私が上っ。そして、今ッ、スピードは互角だ!!」

 剣に重みを与えながら、ベアトリーチェは叫んだ。

 アウソルの背骨と腕から、ギシギシと軋む音が響く。

「ほざけェッッ!!」

 彼の怒号が発せられた途端、その体は後方へと吹き飛んだ。

 草木を突き破り、真っ直ぐに飛翔する。

 アウソルはレイピアを地面に突き立て、ガリガリと溝を作りながらも、その勢いを殺した。

「……またかっ」

 苦言を漏らしながら、顔を上げる。

 途端に、

「なっ……」

 目の前に巨大な丸太が現れた。

 否、ベアトリーチェが投擲したものである。

 恐らく、近くの大木を斬って投げつけたのだろう。

「………………。」

 突然の状況にも関わらず、アウソルは冷静にその丸太を切り裂いた。

 ただの目眩しか、僅かな好機を狙っての投擲か。

 どれも違った。

 しかし、結果としてアウソルの虚を衝く。

「――――――っ」

 丸太の斜め下、ベアトリーチェが迫っていた。

 盲点からの一撃のように、彼の反応が遅れる。


 ギッ――


 咄嗟にレイピアを挟んだものの、その衝撃は凄まじく、アウソルの体は瞬間にひしゃげた。

 肋が、内側から砕けた。

 鈍い音が骨伝導のように頭蓋へ抜ける。

「――ッ、ぉ……」

 着地はした。だが足裏の感覚は曖昧で、遅れて血がこみ上げる。

 ドロリ、と喉を焼き、口端から溢れた。

 有効打。――だが、

「……っ、ふ……」

 ベアトリーチェも限界だった。

 握力は抜け、指は剣の柄を忘れかけている。膝は震え、視界は血で滲み、呼吸は浅く細い。

 数歩の距離。互いに動かない。

 落ちた血が、砂を叩く音だけが続いた。


 ぽたり。

 ぽたり。


 アウソルは無意識に肋を押さえていた手を離し、その掌を見る。

 赤が、規則正しく脈打っていた。

「……意地か」

 低く、事実だけを置く。

 その声は揺れていない。だが、彼自身の腕もまた、わずかに震えていた。

「私にもある……」

 短く続ける。

「剣士としての、理由が」

 息を吐く。細く、長く。

 視線は外さない。

 ベアトリーチェは、血で曇る視界の奥で顔を上げた。

 焦点が合う。敵の輪郭だけが、妙に鮮明になった。

「……なら、分かるはずだ」

 ベアトリーチェの声は掠れている。だが、折れてはいない。

「折れるくらいなら――」

 一歩、踏み出す。足が軋んだ。

「この剣ごと、砕ける。仲間も、持つ資格すら……」

 柄を握り直す。骨が軋む感触と共に、わずかに力が戻る。

 息が途切れ、胸が焼ける。

 アウソルは、その動きを静かに見た。

「理解はする」

 淡々と。

「だが、足りない」

 一瞬の沈黙。

 風が止まる。

「その腕では――あと数合だ。

 なぜ、藻掻き続ける……! いくら泥濘で足掻こうとも、目の前には広大な汚泥が広がっている! 貴様の愛剣も、いずれ錆び付くッ」

 必死の断定。揺らぎはない。

 ベアトリーチェの喉が鳴った。

 肺が空気を求めて軋み、血の味が濃くなる。

「……それでもだ!!」

 同じ言葉を、もう一度叫んだ。

 今度は、より強く。

 沈黙が落ちた。


 ぽたり。

 ぽたり。


 剣先から、血が滴る。

 アウソルは僅かに目を細めた。

 評価でも、嘲りでもない。ただ、測るように。

「………………来い」

 それだけを告げる。

 ベアトリーチェは頷かない。

 ただ、足を前へ出す。

 軋む音と、呼吸と、血の落ちる音。

 その全てを引き連れて、間合いが再び閉じていった。


 二


 火花が、弾けた。


 ギィンッ――ガァンッ――キィィンッ……


 金属音が、陽光に覆われた森へと叩きつけられ、幾重にも反響する。

 衝撃は地を伝い、草木を揺らし、枝を軋ませた。

 空気が裂ける。

 振るわれるたびに風が生まれ、土煙が巻き上がる。

 視界の中で、光だけが走った。


 黄金。


 無駄のない斬撃。

 一切の淀みなく繋がる軌道は、まるで計算された機構のように正確で、冷酷だった。

 アウソルの剣。

 それは"完成"そのもの。


 白。


 踏み込みと同時に、大地が鳴る。

 叩きつける一撃は荒々しく、だが圧倒的な質量を伴っていた。


 ドォンッ――


 地面が砕け、衝撃が放射状に広がる。

 ベアトリーチェの剣。

 それは、純然たる"力"。


 ガァァァンッ――


 両者が、ぶつかる。

 火花が弾け、光が爆ぜる。

 その中心で、黄金と白が激突していた。


 ギィンッ――ガァンッ――キィンッ――


 凄まじく速かった。

 もはや軌跡は見えない。

 ただ、残像のような光の線だけが空間に刻まれていく。

 縦に閃く黄金。

 それを白が受け止め、弾き、返す。

 薙ぐ。

 逸らす。

 斬り上げる。

 叩き落とす。

 一瞬のうちに、何十合もの。

 足元は既に抉れ、土は吹き飛び、岩盤が露出していた。

 その岩すら、衝撃で砕けている。

 ただ、斬る。

 ただ、応じる。

 技も、策も意味を失っていた。

 速く。

 強く。

 それだけが、残る。

 アウソルの額に、汗が滲む。

 だがその目は、微塵も鈍らない。

 獲物を射抜く、猛禽の眼。

 ベアトリーチェの頬を、血が伝う。

 視界は滲み、呼吸は荒い。

 それでも、その瞳は燃えていた。

 言葉はない。

 ただ、剣が応じる。


 ギィィィンッ―――


 再び、激突が起きる。

 弾かれた衝撃のまま、二人は同時に跳んだ。

 距離が開く。

 

 ザザザッ――


 地を削りながら滑り、互いに着地する。

 息が荒い。肺が焼ける。

 それでもまだ、終わらない。

 アウソルが、静かに剣を構え直す。

 黄金の刃が、わずかに光を返した。

 ベアトリーチェも、震える手で柄を握り直す。

 白銀の刃が、かすかに鳴る。

 視線が、交差した。

 言葉はない。

 だが、同じ確信があった。

 そして。

 二人は、同時に地を蹴った。

 

 ――白騎刹閃・滝……!

 ――……散光・千輪。


 互いの技が炸裂し、互いに砕け散る。

 二対はまるで激しい舞のように、火花を散らしながら森を駆け抜けた。

 信念と意地のぶつかり合い。

 譲らない。

 ――……先程から、……戦いを経て、速くなっている………………。

 アウソルの目には、死に物狂いのベアトリーチェが写っていた。剣でも、攻撃でもなく、彼女の瞳が。

 既に限界を超え、死の間際に立とうとしているにも関わらず、ベアトリーチェの猛攻はスピードを増していた。

 今や、アウソルの斬撃を全て受けきっている。


 ――散光・独妙嘴……!

 ――……清流・白宸転!!


 一拍に三撃の斬撃。

 全て避け、受け流す。

「…………!!」

「……ッッ!」

 渡り合っていた。

 紙一重の攻防、その輝く連撃はほうき星のように光駆けている。

 しかし、

「……ァ、あ゙ッ」

 限界――否、淵が見えた。

 ベアトリーチェの指が、腕が、もう言う事を聞かない。

 痙攣し、筋肉に力が入らない。

「……っハァ、ハァ…………っ」

 アウソルも、息を荒く、肩を揺らしていた。

 一瞬の睨み合い。

 そして一瞬の撃。


 ギィインッッ――


 鋼が砕けたような音。

「……………………。」

 ベアトリーチェは力無く両腕を垂らした。

 上がらない。指先すら、動かない。

 レイピアの下段からの振り上げに、ベアトリーチェの剣が舞い上がり、地面に突き刺さったのだ。

 震える膝で、何とか立っているものの、やはり腕は柳のように脱力している。

「………………………………。」

 呼吸が掠れ、ベアトリーチェは目を伏せた。

 皮が裂け、肉が抉れ、真っ赤に染まった両腕を半目で眺める。

「………………。」

 アウソルは、丸腰の彼女を迎撃しなかった。

 二人の間には、ベアトリーチェの愛剣が刺さっている。

 ――……もう、腕、が………………。

 下げられたレイピアが、血の赤と刀身の銀を反射させた。

 途端、アウソルが突き刺さった剣の柄を握った。

 そして、

「取れ」

 抜き取った剣を、ベアトリーチェの足元へと放ったのだ。

「………………!」

 目を見開き、ベアトリーチェはアウソルの顔を真っ直ぐに見る。

 右手はレイピアを正中に起き、左手は後ろへ。

 剣よりも直立に背筋を伸ばし、構えていた。

 その目は、黄金の瞳は静かにベアトリーチェを見守るように見える。

「……フゥッ………………ッ、」

 無理やりに、両腕へと力を込めた。

 たとえ張り裂けようとも、千切れ落ちようとも、剣を拾い上げる。

「……………………。」

「………………。」

 そして、構えるは白聖皇剣流・白帝位(はくていのくらい)

 沈黙。

 そして、煌めく信念と、濁り輝く意地が向き合う。

「………………、手数は出し尽くしたようだな」

「………………あぁ」

「……多彩な技で評判の、流派だ。実に見応えがあった」

「……私では、扱いきれてない…………。これも、ほんの一部だろう……」

「……既存の技は全て見切ってみせる、"詰み"か?」

 またもや、一刻の沈黙と静寂。

「あぁ、詰みかもな。しかし私は、道があろうと無かろうと、歩み続けるぞ」

「……………………。」

 その目つきに、アウソルは僅かに笑みを零した。

「ならば。ここからは」

「尋常に……………………。」

「正々堂々と……」

 風が、落ち葉を巻き上げた。

 レイピアと、ロングソードが互いに無垢の銀色を輝かせる。

 空気は張り詰め――否、穏やかに、静かに流れつつあった。

 瞬き。二人の姿が、消える――。

「……ッッ」

「………………。」

 互いに踏み込み、即撃の動き。

 凝縮された時の中、双方の読み合いが交差する。

 ――……どれも強力な技……、だが、全て見切る。

 ――…………スピードと練度はやはり負けるッ、ならばここは……!!!

 間合いが、一髪も無くなった。

 

 ――流星(ファレンデ)眩耀(げんよう)錦冠(にしきかむろ)!!


 眼球を焼き切る程の閃光が瞬き、彗星のような一撃が放たれる。

 その瞬撃は須臾も六徳でも測れないほどの高速だったであろう。

 万物を焼き斬るかの閃光が、ベアトリーチェへと迫る。

 ――全て見切った!! 全て学習した!! 白聖を、正面から切り伏せてみせるッ!

 だが、彼女の心中は揺るがなかった。

 剣を真っ直ぐ、上に構える。

 なんの捻りも、なんの工夫も見えない構え方。

 魔力も、濃く、変則すらしない。

 

 ――……私は、全てを使いこなせない。姉のように、才能が無いただの凡人。


 ――仲間も守れない、故郷も守れない。


 ――………………ならばっ、藻掻くまで!

 

「……!!」


 ――汚く、泥にまみれようとも、私は全力で……ッ


白聖(はくせい)……――」

「……な、」

 技が、白く炸裂する。

未練(みれん)!!!」


 ……――――――――………………。


 光を断ち切るように、白く輝く衝撃が地面を砕いた。

 地震のように大地が揺れ、空気は波打つ。

 彗星は、閃光は切り裂かれ、糸のように舞散った。

 

 地面は窪み、ひびが蜘蛛の巣のように広がっている。

 そして、目の前には小さな渓谷のような割れ目。

 その更に前、

「……………………。」

 血を流し、倒れたアウソルが剣を手放していた。

「………………………………。」

 土埃が晴れる。

 森の中にぽっかりと間に空き地には、眩い陽光が差し込んでいた。


 勝利したのだ。


 *


「白聖・未練…………、だと?」

「…………………………。」

「聞いたこともない……」

「…………そうだろうな」

「私が調べた、どの系統の技にも該当しない……」

「…………ああ」

「なんだ、それは。秘技か…………?」

 力無く、仰向けに倒れたアウソルは、一筋の血を口から流しながら、弱々しく言葉を紡ぐ。

「…………違う」

 ベアトリーチェも、弱々しく言葉を零した。

 その目は伏せられ、まるで切なげとも言わんばかりに、か細い光を湛えている。

「オリジナル……だ」

「………………………………なんだと」

「私が、……編み出した技だ。工夫も、熟練も何も無い、ただの真正面から放つ"意地"の塊さ……」

「……………………。」

「…………確かに、君の言う通りだ。私は剣士を冒涜している……。………………姉に怒られるな、こんなものを使うなど。逃げだ……」

 しかし、アウソルはその台詞を嘲笑でも、怒るでもなく、優しげに苦笑を浮かべた。

「…………良いな。貴様らしい」

 深呼吸をし、胸を上下させる。

「完敗だ、ベアトリーチェ・アウレリア。信念が、意地に負けるとはな」

「………………讃えるのか、私を」

「剣士として、最後の礼儀だ……」

 そう言って、アウソルの目は閉じられた。

 穏やかに、笑みを残す。

「悔しいさ……。だが、私は、剣……を…………――」

 そこで、言葉は途切れた。

 黄金の輝きは、光を失ったのだ。

「…………………………。」

 ベアトリーチェはその遺体を眺めながら、礼をするでも、蔑ろにするでもなく、静かに見守った。

 今思えば、剣士としての礼儀を、剣術への熱意を隠しきれていない人物だったと、ベアトリーチェは振り返る。

 だが、敵は敵だ。

 弔いはせず、ゆっくりと背を向け、歩き出した。

 しかし、遅れて――、

「……ガッは……………………」

 赤黒く濁った血を、咳と共に吐き出す。

 限界など、既に打ち壊していた。

 今、立っているのも、体の原型を保てているのもおかしい程に。

 足を引き摺りながら、必死に歩を進める。

 すると目の前に、

「ベアトリーチェさん!!、」

「……っ、セレスさん…………!」

 揺らめく法衣、尖った耳。

 目を腫らしたセレスが、駆け寄って来た。

「凄い衝撃音が聞こえたけど……、無事なん――」

 ベアトリーチェの後ろの光景に、語尾が消えた。

 静かに傍らへ座り、優しく囁いた。

「勝ったのね……」

「…………………………あぁ」

 瞬間に、ベアトリーチェの箍が解ける。

 崩れるようにセレスに寄りかかった。

「良かった……、本当に良かった……。やっぱり、凄い人よ……貴女……」

 優しく肩を抱きしめ、涙をながしている。

「なんて、傷……、直ぐに治すから……」

 そしてすかさず、回復魔法を起動した。

 緑色の淡い光が、ベアトリーチェを包む。

 擦り傷や、皮の裂傷が徐々に塞がりつつあった。

 ベアトリーチェは力無く、セレスの目元を見た。

「……………………。」

 涙の痕か、擦った痕か、その目の下は赤くなっている。

 呼吸も僅かに、不規則だ。

「すまない……、聞かせてくれ………………っ」

「…………どうしたの?」

 ベアトリーチェは歯を食いしばり、顔に皺を寄せる。

「2人は……、アルヴィスとルルは……、どうなったッ……」

 苦痛を堪えるかのような、呻き声とも聞こえる問いかけ。

 セレスはその言葉に、沈痛な面持ちで顔を伏せた。

「……………………手は、尽くしたわ………………。で、でも……」

 声が曇る。

「…………既に、手遅れだった…………」

「…………――――ッッ…………!」

 顔を歪め、涙を浮かべるセレスを見て、ベアトリーチェは吐き気を堪えるように、表情が固まった。

 直ぐに、その顔は悲しみに濡れ、崩れる。

「ごめ、すまない……、すまん、すまない……、!! 本当に、申し訳ないッ……!!!」

 涙と、嗚咽を漏らす。

「ごめん……、ごめんなさい、私が、私がァッッ、不甲斐ないばかりに……!!!」

 大粒の泪が、頬を伝った。

 アルヴィスと、ルルの笑顔が脳裏を過ぎる。

 共に旅をし、歩き、笑い、食卓を囲み、戦い、背を預けて来た"仲間"が。

「ベアトリーチェさん……!」

 セレスが声を上げた。

 その声音に、ベアトリーチェはハッとしたように向き直る。

「ダメよ、ダメ……! 自分を責めるのは、もう辞めて……!!」

 ベアトリーチェの涙を、親指で拭き取りながら、セレスは顔を手のひらで包み込み、撫でた。

「……あなたの、全てあなたのせいにするのはよして……。ほら、落ち着いて」

 しきりに、頬を撫でる。

 セレスは、ベアトリーチェの頬に触れたまま、静かに首を振る。

「……違う」

 震える声を押さえ込みながら、それでもはっきりと告げた。

「あの状況で、助けられる人なんていない……。あなたは、出来ることを全部やった」

 そっと、肩を抱き寄せる。

「ルルは、そんなことであなたを責めない。アルヴィスだって……そんな顔、望んでない」

 額を軽く当てた。

「謝らなくていい……。今は、ちゃんと悲しんで」

 指に、少しだけ力を込める。

「……私がいるから」

 その言葉と同時に、ニッコリと笑みを浮かべて見せた。

「………………っ!」

「あなたのお陰で、私が生きてる」

 笑顔を湛えたまま、セレスは膝を立て腰を浮かせた。

 法衣が僅かにひらりと揺れる。

「ね?」

 目を細め、今一度笑みを湛えた。

「………………。」

 その笑顔に、ベアトリーチェの心は安らいだように感じられた。


 ビジュん――


「――――――…………………………。」

 ――…………………………。

 ――――――――――――――――。


 その音は、実に一瞬だった。

 まるで耳鳴りか、森の雑音とすら認識しうる僅かな音。

 しかし、その音は確実に、セレスの胸――心臓部へと風穴を作っていたのだった。

「…………………………。」

 燻る断面は、黒く焦げている。

 セレスの体が、糸が切られた人形のように崩れた。

 表情は消え、血の気が引いていく。

 ベアトリーチェは短い絶叫を上げ、彼女の体を支えようと手を出した。


「セレスさ――」

「大丈夫……」


 名前を呼ぶ叫び声を、セレスは優しげな声で、遮った。

 その声は掠れ、今にも消え入りそうな程に小さい。


「……私たちが、……あなた、の心の傷になる訳にはいかない…………」

「…………っ」

「笑って……」

「………………………………。」


「前に、進んで………………」


 一粒の涙と、この上ない優しさを湛える笑顔。

 遂に、地面に倒れる。

 そして、静かに事切れた。


「…………………………………………――。」


 目を見開くことしか出来なかった。

 現実を拒むように、口がわずかに開いたまま閉じない。

 震える両掌は、目の前で途切れた命へと伸びかけ――掬い上げることも出来ず、空を掴むように止まっていた。

「なんだ、急いで駆けつけてみれば」

 声が、落ちる。

 若い男のもの。

 低く、落ち着いている。だが、その音には温度がなかった。

 ベアトリーチェの視線が、ぎこちなく引き寄せられる。

「予想通りだな」

 感情の起伏が、一切ない。

 その言葉が届いた瞬間、周囲の音が遠のいた。

 前方、数メートル。

 アウソルの遺体の、すぐ傍らに姿勢よく立っている。

 直立。不自然なほどに、揺れがない。

 風が吹いているはずなのに、衣擦れの音すら遅れて届く。

 わずかに首を傾げている。

 ただ、それだけの仕草が、奇妙な違和感を残した。

 視線が合った。

 観察。

 値踏み。

 あるいは、それ以下。

 淡く澄んだ金髪が、光を受けて揺れる。

 その下で、純白の法衣が風に翻る。装飾の多い帯が静かに鳴った。

 だが、そのどれもが、本人の存在に追いついていない。

「なんだ、おまえは……」

 やっとのことで、声が零れる。

 喉が焼けるように乾いていた。

 男は、その問いを咀嚼するように、ほんの僅かに間を置いた。

「"なんだ"、か」

 繰り返す声音もまた、平坦。

 ゆっくりと、足元を指す。

 そこには、既に動かぬ肉塊と化した剣士。

 そして――


()()の兄だ」

 

 三


 セレスの目は開かなかった。

 傷口は黒く焦げ付いており、血すら流れていない。

 しかし確実に、心臓を消失させていた。

 死後間も無い。だが、ベアトリーチェには、回復魔法など操れない。

「あ、に……?」

「ああ、セラフィエル=ドムニコ・アンジェロッド。名乗ったぞ。貴様は、ベアトリーチェ・アウレリアで間違いないな」

 淡々と、誠に淡々とした口調。

「……違う、………………ちがうっ、……何者だ、なんなんだお前は!!!」

 曇っていた思考が晴れるように、ベアトリーチェは怒号を浴びせた。

 剣を抜き取り、怒りのままに力を込める。

「何がしたいんだ貴様ァ!!!」

「何が……」

 セラフィエルと名乗った男は、短くため息を吐き、目を伏せた。

「我々は、"教団"の信徒だ」

「……??!」

 あまりに突拍子の無い回答に、ベアトリーチェは息を飲む。

「これが言わなかったのか? 聖七天大英雄を殺す。アウレリア、貴様を殺しに来た」

「何を言っている………………」

 理解が追いつかないベアトリーチェは、疑問を口にするが、セラフィエルはほんの僅かに億劫そうなため息を漏らした。

 無視、の表明なのか。

 そのまま、首を傾げて足元のアウソルを眺める。

「"最弱の大英雄"、本当にこんなのに負けるとはな。死んでまで私に汚名を被せる気か」

 その声音に感情は無い。

 しかし、その足はアウソルの頭をゴリゴリと踏み躙っていた。

「そんな棒切れを振り回して遊んでいるからこうなる。私たちは素晴らしい恩寵を持って産まれたというのに。いい加減、私の役に立ってくれ」

 言いながらも、アウソルの頭を静かに踏みつけ続ける。

 その光景を見かねたベアトリーチェは、

「おい!!」

 と怒りを顕に、声を荒らげた。

 セラフィエルは目線のみで、ベアトリーチェに向く。

「さっきから……、兄弟ならば、そんな扱いはやめろ!!」

「なぜ」

「なっ……、なぜ、だと。血の繋がった家族だろ!」

「だったら何だ。コレは散々私の名に泥を塗っている」

 辟易しているかのような声で、アウソルの頭を蹴った。

 ゴッという音と共に、彼の首が変な方向に曲がる。

 その行動に、ベアトリーチェは息を飲み、セラフィエルを睨みつけた。

「私達のスキルは素晴らしいものだ。しかし、こいつには才能が無い。剰、剣を降って無為に過ごすのみ。

 そして今、最弱の大英雄に無様に負け、私の手を煩わせている。教典に従うに、親族の遺体は弔わねばならんらしい。実に時間の無駄だ」

 続けて、ゆっくりと述べる。

「死んでまで、私の足を引っ張るとは、むしろ凄いな。ともあれ、私が貴様を殺す理由が数個に増えたわけだ、そこだけは感謝だな――」

 言い終える前に、ベアトリーチェの怒りは我慢の限界を迎えた。

 体を軋ませながらも、感情を糧に高速でセラフィエルに斬りかかった。

 まさに般若も超える怒りの形相。

 剣を振り上げた途端に、


 ジュンッ――


 熱が走った。

「……ハっ……………………」

 まるで、世界という空間座標に直接マーカーを引いたように。一直線の"光線"が通った。

 その光は目で追えるはずもなく、瞬く間にベアトリーチェの横腹を円形に削っていた。

「ぐ、がァァァ……ッ!!」

 シュウウ……、と燻る傷口は丸焦げである。

 内蔵は出ていないが、腹部は大きく欠損してしまっていた。

 ――…………なんだ、何が起きたッ。

 苦痛に顔を歪めながらも、セラフィエルに目を向ける。

 彼は、ただ人差し指だけをベアトリーチェに向けていた。

「どうせこいつから、説明はされただろう。同じく固有スキル、光度(ルミノシティ)。私は、真の形態だが」

 ――ルミノシティ……、っ?!

 アウソルと同じ、と告げられたものの、その貫通力と速度、火力は全くといっていいほど比にならなかった。

 後ろに目をやれば、遥後方まで風穴が続いていた。

 岸壁にまでも、穴が空いている。

「どうする。抵抗するか、大人しく死ぬか」

 挑発や奢りでもなく、事務的と言っていいほどの、淡々とした質問。

 彼の指先に、小さく光球が輝いた。

 しかし、彼女の答えは決まっている。

「……愚問だッ!!!」

 そう叫び、セラフィエルに斬りかかった。

 剣を振り上げ、高速で間合いを詰める。

 ――……貯めの長い、長射程のスキルっ! 一気に、懐へ潜り、斬る!!


光度(ルミノシティ)純潔なる聖光(ピュール・ステラ)

 負一等星マイナス・マグニチュード漸近閃(アシンプトート)


 そう、彼が呟いた瞬間、指先に一粒の光球が滑らかに蠢き、一直線の光を放った。

 その光線は紛れもなく、無垢な形の閃だった。

「………………!」

 光速。

 反応など出来るはずも無い。

 気づけば、ベアトリーチェの腹部中央には大きな風穴がぽっかりと空いていた。

「………………グ、………………う」

 とうとうベアトリーチェは、意識を失い、積み木のようにその場へ崩れ落ちた。

「……………………。」

 セラフィエルは無言で、彼女を眺める。

 ――……この女……。私の光線を、僅かに弾いたな。

 彼の技は、確実に心臓を狙って放たれていた。

 しかし、被弾直後ベアトリーチェの剣が咄嗟にそれを遮り、刃は光線の起動を歪めたのだった。

「……………………。」

 少々面食らった様子で、考え込むセラフィエルだったが、直ぐにアウソルへ向き直る。

「まあいい。これで、大英雄の一角は排除。残るは、六人と、」

 ここで、一呼吸の間が空いた。

「8人の、魔王のみ」

 言いながら、アウソルの髪を引っ張り、その体を観察する。

 既に折れたのか、彼の首は紐のように歪み、引っ張られた髪の毛はプチプチと小さく音をたてていた。

 胸、腰が浮く程に引っ張り上げる。

「死体処理、ここで火葬を模して焼き消すのは駄目なのか? 全く、本当に足を引っ張ることしか出来ないな」

 そのままグイっと引き摺り、歩を進めた。


「あぁ……、こんなボロボロになるまで戦うとは。可哀想に」


 その声は、あまりにも場違いだった。

「――??!」

 セラフィエルの表情が、初めて揺らぐ。

 反射的に振り返ると同時に、手にしていた遺体が力なく地に落ちた。

 音が、遅れて響く。

 ――……気配が、…………ない。

 背筋に、理解の及ばぬ寒気が走る。

 淫靡に日差しを鈍く弾いている黒髪。

 耳元で、小さく揺れる装飾。

 そして、場の血臭と泥濘を拒絶するような、完璧に整えられたスーツ。

 この場の現実から、明確に切り離されていた。

 男は、倒れ伏すベアトリーチェの傍らに、いつの間にか立っていた。

 気配も、足音もない。

 ただ、そこにいた。

 白い指先が、彼女へとかざされる。

 触れてはいない。ただ、距離を置いたまま。

 それだけで、空気がわずかに軋んだ。

 ゆっくりと、男が顔を上げる。

 

「ご機嫌よう」


 口元に、わずかな笑みを浮かべていた。

 女性にも見えかねない、現実を歪める程に整いすぎた顔立ちが、逆に非現実味を削ぐ。

 最凶の魔王、リュウドウだ。

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