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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽
第一章

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20/23

九話 Iter Sisyphi.


〜ヴェルシア辺境侯国――エルディアス領へようこそ。

 

王国西縁に位置する本領は、緩やかな丘陵と霧に包まれた街並みが織りなす、静謐と気品の地として知られています。

 古くより交易路の要衝として栄え、各地からもたらされる珍品や工芸品が行き交う市場は、旅人にとって見逃せない見所の一つです。

 領内では精緻な金工細工や装飾品が特産として名高く、特に銀細工は王都にも献上されるほどの品質を誇ります。また、街道の整備と治安維持に力を入れており、辺境でありながら安心して滞在できる地として高い評価を受けています。

 朝靄に沈む街並み、静かに賑わう市場、洗練された文化と人々の穏やかな気風――

 エルディアス領は、訪れる者すべてに上質な時間を提供することでしょう。


どうぞ、心ゆくまでご滞在ください〜


 早々に入国を果たし、ベアトリーチェ一行は『エルディアス領』へと足を踏み入れたのだった。

 手に持ったパンフレットを、リュウドウは丁寧な口調で読み上げる。

「パンフまで用意されているとは。こんな辺境で観光業に着手したようですね。うおw、辺境で観光うおw、財政難うおw」

「うおw」

「うおw」

 リュウドウの発言に、アルヴィスとルルが悪ノリをするかのように、うおうおと繰り返す。

「冷笑やめろ」

 鳥の鳴き声のように、その言葉を繰り返す三人に、ベアトリーチェが辟易した表情を称える。

「けど、すっげー! 都会じゃん都会!」

 真っ先に駆け出すルルは、目の前の栄えた都市を目の当たりにし、テンションがかなり高めであった。

 一人で突っ走らないように、傍らに近づいたセレスは笑顔を浮かべて、

「早めに宿を決めて、ゆっくり観光するのもありかしらね」

「なら急ごうよー!」

「慌てるなルル。3人で探しに行こう」

 保護者のように、アルヴィスが宥める。

 その微笑ましい光景に笑みを零しながら、ベアトリーチェは声を上げた。

「なら先に宿と観光をしといてくれ。私らの方で、街の様子を確認してくる。路銀を稼ぐ手段も探さないとな」

 振り向いたアルヴィスが、「分かりました」と礼を言う。

「善は急げ。斧も研いでおきたいし」

 セレスに肩を抑えられているルルは、その場でジタバタと足を動かしていた。

「宿が決まったらお伝えします。では、また後で!」

 セレスとアルヴィスが手を振りながら、中央の通りに消えて行く。

 白や灰色を基調とした、レンガとタイル造りの街並みは、陽光を反射して美しくそして静謐に佇んでいた。通りを歩く人々は決して多くはないが、露天商や売店などが多く活気に満ち溢れている。

「じゃあ私は、物流の状況でも確認してきます……」

 おずおずと告げたフェンネは、都市の迫力に圧されているようだ。通りの人混みをチラチラと眺めながら、リュックの帯を掴む。

「了解した。何かあったら伝えてくれ」

 ベアトリーチェが手を上げながら、フェンネを見送る。その大きなバックパックは通りに出ても目に付いていた。

 残されたベアトリーチェとリュウドウは、中央の広場にポツンと立ったまま、辺りを見渡す。

「これは……私の気のせいか?」

 突然、ベアトリーチェが呟きをこぼした。

「いえ、正解かと」

 同意するリュウドウの声音はどこか低い。

「街の様子が変だな……」

 周囲の街並みを睨むように、ベアトリーチェは視線を巡らせた。

 活気の乏しい通り。

 堂々とサボタージュをする憲兵。

 バンテージやガーゼを巻いた人々。

 何より、喧騒が少なく、住民の表情も暗かった。

「では、情報集めですね。皆が集合した際に、共有出来るよう」

「そうだな……。酒場にでも行くか」

 大きな酒場やバーは、人の出入りと話の行き交いが最も激しい。情報集めには最適である。

 二人は街の中心を目指しながら、酒場探しに向かった。

 中央通りの端で、だらしなく壁に凭れかかる二人の憲兵。彼らの睨めつけるような視線を無視しながら、ゆったりと進む。

「リュウドウ、もしほかの四人と動きたいなら、無理に私と歩く必要はないんだぞ」

 旅が始まって以来、リュウドウはベアトリーチェの横が定位置となっていた。別々行動の際も、隣で補助をしっぱなしである。

 彼の有能さと安心感に、心は安らいでいるものの、やはり負い目を感じていた。

「貴女と歩きたいので」

 目の前を見据えながら、淡々と即答を返す。

「えっ」

 その返答に、ベアトリーチェは口元をぐにゃぐにゃに緩ませ、頬を赤く染めた。同時に、不審者のような卑下た声が漏れる。

「冗談です。修行の監督役として、責任を全うしているだけですよ」

「テメっ……、さっきから初心な私を弄びやがって……」

 額に青筋を浮かべながら、呻き声を漏らした。

「あ、早速見つけましたね」

 そんな彼女を無視するように、リュウドウが指さした。

 右手側に太い丸太の梁と白いタイルで構成された、ある程度大きめの建物がある。入口付近に吊るされた看板には、『酒処』とシンプルな文字。

「おお、この大きさなら人の出入りも多そうだな」

 建物を見上げながら、ベアトリーチェが感嘆する。

 早速聴き込みをするべく、扉に手を伸ばすが、

「邪魔だ」

 突然、脇から現れた憲兵三人が割り込み、乱暴に扉を開けた。

「ハッ?」

 半ば押しのけられるように、体を仰け反らせたベアトリーチェは、リュウドウの支えにより姿勢を持ち直す。

「大丈夫ですか?」

 背中を抑えていてくれたリュウドウから、心配げな声がかかる。

「あ、ありがとう……。なんだこの街は、尽く憲兵の質が悪い……」

 サボタージュに、悪質なマナー。

 ベアトリーチェの軍人としての感性が、都市の憲兵らに不満を当てた。

「最初に言っていた、財政難が原因か?」

「一概には言えませんね。何か裏でもあるのやもしれません」

 辺境の領地で、申し訳程度に行われる観光業。

 住民らの手当て痕と活気の無さ。

 駐在兵の質悪化。

 ベアトリーチェの頬を、不穏な予感が撫でた。

「……?」

 突如、ベアトリーチェの耳がピクリと跳ねた。

 酒場の中から、怒号が聞こえてきたのだ。

 三人分の怒声は他でもない、憲兵のものだろう。

「揉め事だな、さっさと入ろう」

 眉間に皺を寄せ、すぐさま扉を開け放つ。

「汚職の瞬間ですね」

 冷静に微笑みを残すリュウドウ。

 正面のカウンターに目をやると、先程割り込んで来た憲兵らが、店主に向かって怒鳴っているところだった。

 準備中なのか、他に客はいない。

 故に、店主を守る者はいない。

「チッ、本当に質が悪いな」

 ベアトリーチェは苛立ちを抑えながら、語気強く吐き捨てる。

 真っ先に憲兵らに近寄ろうと歩を進めた。

 しかし、

「すまない、通るぞ……」

 横から聞こえた、くたびれた声に足が止まる。

 いつの間にか彼女を通り越していた人物は、だらしない足取りで憲兵らに近寄っていった。

 後ろ姿は細身で背が高い男性。

 草臥れた黒いローブは、法衣のように何処か重厚さを残している。

 しかし、彼の暗灰色の髪は無造作に伸びており、加えてその猫背からは、僧侶や魔導師の雰囲気は微塵も感じられなかった。

 そして、ベアトリーチェがその男に声を掛ける間もなく、

「昼だから、飲みにこねぇとでも思ったか?」

 男の、疲労によってだらしなく響いた声と同時に、彼は憲兵の一人を横蹴りで押し倒した。

「!?!」

 唐突な出来事に、ベアトリーチェ含む憲兵らが呆気に取られる。

「貴様っ、何しやがるッ!」

 蹴り飛ばされた者の横にいた兵が、その男に殴りかかった。

 憲兵が躊躇なく、市民に殴り掛かるという暴挙。

 しかし、男は全く避けようとも、怖がろうともしなかった。


 ゴイィン―――


 その拳は確かに顔目掛けて放たれたはずだった。

 しかし男の顔直前で、謎の音と共に静止している。

 見れば、その周囲の空間が"波紋"のように波打っていた。

「いッ……」

 拳を抑えながら、痛みに顔を歪める憲兵。

 男は反撃もせず、ただ黙ってその兵を見下ろしていた。

「おい……」

 端にいた憲兵が、他二人に耳打ちをする。

 さらに場が荒れるかと思いきや、三人の憲兵は男を睨みつけただけで、そそくさと去って行ってしまった。

 ――……なんだ今の…………。

 状況に追いつけないベアトリーチェは冷や汗を称えている。

「防御魔法です」

 横にいたリュウドウが、小声で耳打ちをした。

「防御障壁魔法『分圧障壁ディフューズ・シールド』。理論的かつ実践的な魔法だ。彼、手練ですよ」

「詳しいな、嬢ちゃん」

 その小声に、等の男はカウンターに座りながら、掠れた声で返答した。

「衝撃を空間面全体に拡散して無効化する、局所強化が可能な魔法。もしや軍人ですか?」

「…………なんだ、男娼かよ。なら失せろ」

 リュウドウの声に反応して、振り返った男は、口元を歪めて苦言をこぼした。

 その目は眠たげで生気がなかった。薄い無精髭と、無愛想な表情は、匪賊と間違われても無理は無い。

「ローディス……、昼過ぎから飲みに来たのか……?」

 店主が声を抑えながら、問う。

 助けてもらった筈にも関わらず、店主の表情は何処か固く、ローディスと呼んだ男の顔をジト目で捉えていた。

「適当なブランデー……、ロック、チェイサー無し」

 しかしローディスはぶっきらぼうな口調で注文をしただけだった。

 ベアトリーチェはその態度と、何よりリュウドウに対する質問への無視に、本の僅か腹を立てながらも、彼の隣に座った。

「さっきの騒動はなんだったんだ? なぜ憲兵があんな態度を」

 店主とローディスを見やりながら、ベアトリーチェは疑問を口にする。

 しかし、ローディスは答えず、店主すらもしかめっ面を称えるだけだ。

「あんた、旅人か? なら、気にしない方がいい……。注文は?」

 ロックグラスに注がれたブランデーを、大衆酒場とは思えぬ丁寧な手つきでステアする。

「な、何故だ」

「バイソングラス・ウォッカをロックで」

 しかしリュウドウは何食わぬ顔で注文を口にした。

 ――厳つ……。ウォッカとか飲むのか……。

 彼の、見た目の壮麗さに似合わぬ注文内容に、ベアトリーチェは内心で戸惑いを抱える。

「はいよ」

 気怠げな声とともに、ブランデー、ウォッカがそれぞれの目の前に置かれた。

 ボトルがカウンターに置かれる。

 『バイソングラス』と刻印されたボトルの中で、薄灰色の液体に沈んでいる一本の草が揺れていた。

「で、マスター。今月の分さっさと払えよ。さっきのはブランデー代でチャラだ」

 ロックグラスを傾け、ローディスが乱暴ながら語気の無い言葉を投げかけた。

「あ、ああ。これだ……」

 しかし店主の態度は、強張りながらも素直だった。

 手には小さな麻袋が握られており、そそくさと手渡す。

「……足んねぇよ」

 ジャラリと音を鳴らせて中身を確認したローディス。

「い、いや、それで勘弁してくれないか……。昨日、憲兵どもがボトルを割りやがってよ……」

「ならその憲兵に助けを求めるか? 助けてやってんのは俺だろ?」

 グラスをカンっと置いて、隈の浮いた目を細める。

「来月、上乗せする……」

「ダメだ」

「おい」

 ローディスの態度に、声を上げたのはベアトリーチェだった。

「なんの金か知らんが、立場を汲んでやれ。助ける側の態度とは思えんぞ」

 ローディスを正面から睨みつけ、語尾を強くする。

 しかし彼はその迫力に動じることなく、溜息を吐いた。アルコール臭と疲労感が吹き抜ける。

「あのな、金は取るさ。でなきゃ、ここはとっくに潰れてる。守ってやってんのは俺だ」

「それでは搾取と変わらない。見返りを求めようとするな」

「お前、見たところ軍人だな……。じゃあ、無給で働けるか?」

 ベアトリーチェの軽装鎧を眺めて、声音を一層低くした。

「守るってのはな、綺麗事でできてるわけじゃねぇんだよ……。犠牲が付き物だ。軍人なら分かんだろ」

 その台詞に、ベアトリーチェは口元を引き攣らせた。

 彼の、だらしの無い口調によって告げられた言葉は、紛れもなく真実だ。

 現実主義のそれである。

 たが、ベアトリーチェは落ち着いた声音で、即座に否定した。

「守るために犠牲を強いるのは違う」

 彼女の騎士道精神が、語気を強めた。その凛と鋭い目つきは、ローディスを真っ直ぐに睨んでいる。

「……………………。」

 彼は何も言わず、グラスを一気に呷った。

 そのまま立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。

「…………理想で人は守れねぇよ。今の俺は、正義も理想も失ってんだ」

 心底疲れ果てたかのような声を残し、扉に手を掛けた。

 尻目でベアトリーチェを力なく一瞥し、酒場を出ていく。

 黒いローブが僅かに揺れ、扉は無造作に音を立てて閉じられた。

「なんなんだアイツは……」

 低く声をもらし、カウンターに向き直る。

「台詞や、やっていることは公側ですが、憲兵と対立しているようですね」

 ウォッカの香りを堪能しながら、リュウドウが呟いた。

「憲兵よりよっぽどマシなんだよ……、よしてくれ」

 グラスを磨きながら、店主が声を落とした。

 その言葉に、ベアトリーチェは首を傾げる。

「あの男といい、憲兵といい。この街はどうなっているんだ?」

 店主は一瞬手を止め、唇を噛んだ。

 しかし、ゆっくりと口を開く。

「今の軍は信用ならないんだ。ユスリに汚職、市民への暴行まで聞く。それに、近頃は賊とシンジケートの動きが活発になってきてな……」

 親指で掲示板に貼られた記事や依頼書を指す。

 その羊皮紙や灰白繊紙には、事件や護衛依頼が大量に書かれていた。

「あいつはローディス・ハウゼン、魔導師だ。今んとこ市民を守ってくれるのはローディスくらいでな。……昔はあんな感じじゃなかったんだが」

 悲しげな表情を抱え、グラスを棚に戻す。

「しかし……、さっきの金額も安くないだろう。なぜ、金銭を要求するんだ……」

「元々だらしない野郎さ。法外な値段ふっかけてくる軍や民間に比べたら、まだ何とかなる額だ」

「それを食い扶持にしているのかも」

 空になったグラスを静かに置いて、リュウドウは言った。

「民間の軍事個人事業で……、主軍はユスリと暴行。……終わるぞ、この領地は」

 眉間に皺を寄せて、ベアトリーチェは低い声音で呟く。

 彼女の頭に、アルヴィスが話してくれた身の上話が反芻された。『グラン=シルヴァ小王国』、軍の腐敗とトドメの災害で瓦解した国。

 この辺境の小規模領地では、トドメなど無くとも崩壊による終わりは容易に予測がついてしまう。

「重々承知してるさ。もし時間があるなら、依頼でも受けていってくれ。治安の改善にも繋がるし、路銀にも十分だろう」

 棚のボトルを磨きながら、店主がため息混じりに呟く。

 ベアトリーチェはその台詞で、手持ちの路銀が減ってきていたことを思い出した。今回の酒場来店も、依頼を探す目的で入ったのだった。

「丁度いい、勿論受けさせてもらう。リュウドウ、何がいいと思う」

 掲示板を指さしながら、ベアトリーチェは体を傾けてリュウドウに言った。

「とりまアレで」

「おっけ」

「軽いなあんたら」

 即決即断の依頼受託に、店主は戸惑いを浮かべる。

 斯くして、二人は路銀稼ぎの依頼と、エルディアス領の現状情報、なにより謎の魔導師ローディスの情報を持ち帰った。


 二


「宿見つけたにょ」

「ありがちょ」

 そんなルルの報告と共に、一同は格安の宿にて休息を取っていた。ルル、ベアトリーチェ、セレス、フェンネの四人とアルヴィス、リュウドウの二人で二部屋である。

 部屋決めの際に、アルヴィスは冷や汗を流しながら、

「え……、リュウドウさんって男だったんですか……??」

「男性に近いです」

 などと他愛の無い軽口を交わしていたが、やがて空気は自然と引き締まっていった。

 机の上に簡単な地図と紙片が並べられ、各々が集めた情報を持ち寄る。

「まず、路銀稼ぎのために依頼を受託した。近郊農場での積荷作業の護衛だ。大荷物ゆえに、賊が群がってくる可能性が高い」

 ベアトリーチェは淡々と切り出し、そのまま指で地図の一点を叩いた。

「加えて、この領の治安だが……良くない。憲兵や駐屯軍は機能していないどころか、ユスリや市民への暴行が目立つ。正直、戦力としては期待できん」

 その言葉に、アルヴィスたちも苦い顔で頷いた。

「そして――ローディス・ハウゼンという魔導師。この男が、実質的に街の守護を担っているらしい」

 僅かに眉を顰める。

「だが、市民から護衛代金を徴収している。話した印象も……あまり良くはない。合理的ではあるが、信用はしきれんな」

「その辺は、僕たちも同じ印象です」

 アルヴィスが腕を組みながら口を開く。

「兵士の素行はかなり酷い。酒場でも揉め事ばかりでしたし……正直、規律が崩壊してる」

「ただの怠慢じゃ済まない感じだったわね」

 セレスが静かに補足する。

「貴族や軍が、裏で何かと繋がっている可能性……例えば匪賊のシンジケートとか。少し、気にしておいた方がいいと思うわ」

 その言葉に、空気が僅かに重くなる。

「アタシも、ローディスっておっさん見た」

 ルルが椅子にふんぞり返りながら、しかめっ面で吐き捨てた。

「根は悪い人じゃなさそうなんだけどさ……なんつーか、いけ好かないんだよね。ああいう"分かっててやってる"感じ」

 率直すぎる物言いに、アルヴィスが苦笑する。

「……あと、流通も怪しいです」

 控えめに手を上げたフェンネが、小声で続けた。

「物の入りが明らかに悪いです。値段も上がってますし……商人の間でも、最近はこの辺りを避ける動きが出てます」

 視線を伏せる。

「たぶん……匪賊の被害、かなり深刻です」

 ひと通りの情報が出揃い、部屋に沈黙が落ちた。

 机の上の地図は変わらない。だが、その見え方だけが、わずかに変わっていた。

「あとは……、行商人の方々の噂話程度ですが……」

 モジモジと言葉を止めるフェンネに、ベアトリーチェが、

「どんな情報でも構わん。言ってみてくれ」

 と顔を覗き込むように優しく言った。

 フェンネは何かに怯えたような表情を称え、口を開いた。

「『カルト教団』……がなんとか…………言ってました」

「宗教組織……?」

 アルヴィスが怪訝な顔をして独りごつ。

「匪賊のパトロンとか?」

 ルルの考察に、皆が眉を顰めた。

「なんか…………、嫌な感じね……」

 故郷を僅かに反芻しながら、セレスは目を伏せる。

 重く沈みかけた空気を、断ち切るように。

 ベアトリーチェが静かに息を吐き、顔を上げた。

「……とにかく、依頼の時間は近い。みな警戒しながら行動しよう」

 低く、しかし迷いのない声音だった。

 それだけで、部屋に滞っていた思考が、一斉に前へと向き直る。

 彼女は卓上の地図を引き寄せ、指先で紙を押さえる。

「場所はここだ。街道沿いの農場群。日の傾きと同時に積み込みを開始、その護衛に入る。合流は……この裏門前。時刻は三刻後だ」

 簡潔に、必要な情報だけを落としていく。

 余計な言葉はない。それでも全員が理解するには十分だった。

「各自、それまでに休息と準備を済ませておけ。短時間でも構わん、体を落ち着けろ」

 言い終えると、地図から手を離す。

 その仕草が、ひとつの区切りを示していた。

 アルヴィスは無言で頷き、軽く肩を回す。

 ルルは椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。

 セレスは小さく息を整え、祈るように手を組む。

 フェンネはまだ不安げな顔をしていたが、それでも荷物を抱え直した。

 そして――リュウドウだけが、わずかに視線を窓の外へ流す。

 暮れかけた空の向こう、街の奥に沈む気配を、ただ静かに見据えていた。

 やがて、誰からともなく動き出す。

 短い休息。束の間の静寂。

 それが終われば、次は現実だ。

 数時間後。

 それぞれが、決められた場所へと向かうことになる。


 三


 フェンネのみ宿に残り、一同は依頼場所へと赴いた。

 街外れの裏門を抜け、舗装もまばらな街道へ出る。陽はすでに傾き始めており、赤く濁った光が地平を舐めるように伸びていた。

 風は乾いているが、どこか重い。運ばれるべき穀物の匂いに混じって、鉄と土の気配が鼻を掠める。

 やがて、目的地の農場群が見えてきた。低い柵と倉庫、積み上げられた木箱。荷馬車が数台、準備を整えたまま待機している――はずだった。

 しかし。

「……妙ですね」

 アルヴィスが足を止める。

 人の気配が、薄い。いや、正確には――隠れているような気配。

 ベアトリーチェも同様に歩を緩め、視線を周囲へ滑らせた。

 草の揺れ、柵の影、積み荷の裏。すべてを均等に観察するその目は、すでに戦場のそれへと変わっている。

 そして――

「うわ、あのおっさんじゃん」

 ルルが露骨に顔をしかめた。

 視線の先。農場の中央、木箱の山にもたれるようにして、一人の男が立っていた。

 くたびれたローブ。猫背気味の体躯。無造作に伸びた暗い髪。

 そして、何より――その全身に纏わりつく、どうしようもない倦怠。

 ローディス・ハウゼン。

 この領で守護者を名乗る魔導師が、そこにいた。

 彼はゆっくりと顔を上げ、こちらを一瞥する。眠たげな目だが、その奥だけが鋭く光る。

「……はぁ、嫌な偶然だな」

 心底面倒そうに、溜息を一つ。

「私も同感だ」

 ベアトリーチェは遠慮なく顔を顰めたまま、歩みを止めない。

「依頼主の農家ではないな。なぜ貴様がここにいる」

 まっすぐに問う。

 その声音には、すでに警戒が滲んでいた。

 ローディスは肩を竦める。

「逆に聞きたいな。あんたこそ、何でここにいる」

「護衛依頼だ。積荷作業の――」

「――あぁ、それなら」

 言葉を遮るように、彼は軽く顎を上げた。

「来ねぇよ」

 一瞬、沈黙。

「……どういう意味ですか」

 アルヴィスの声が低くなる。

「そのまんまだ。農家も荷も、今日は動かない。動けない、の方が正しいか」

 ローディスは指先で空を軽く弾く。

 その仕草に、ベアトリーチェの視線がわずかに細まった。

「囲まれてるわ……」

 セレスが小さく呟く。

 風の流れが変わった。

 草の擦れる音が、不自然に重なる。

 ルルが舌打ちをした。

「最初からコレ狙いってわけ?」

「さぁな。だが、少なくとも――」

 ローディスは背を壁から離し、ゆっくりと立ち上がる。

「"仕事"にはなる」

 その瞬間。

 気配が、明確に姿を持った。

 柵の向こう、倉庫の影、積み荷の裏。

 潜んでいた人影が、一斉に動き出す。

 剣が抜かれる音。

 弓が引き絞られる音。

 そして、どこか乾いた――金属の擦れる音。

「……チッ、やっぱり来やがったか」

 ローディスが小さく吐き捨てる。

 ベアトリーチェは一歩前へ出た。

 剣に手をかける。

「アルヴィス、ルル、前へ。セレスさんは後方支援を」

「了解!」

「任せろい!」

 即座に応じる二人。

 セレスはすでに詠唱の準備に入っている。

 ローディスは、その様子を横目で見ながら、乾いた呟きを残した。

「文句あっても、共闘するしかないぜ」

 その言葉に、ベアトリーチェの眉がわずかに動く。

「承知している。好きに動くといい」

「なら良い」

 彼はゆっくりと手を上げ、指先に魔力を収束させる。

「生きて帰りたきゃ、足引っ張るなよ」

 直後。

 空気が、裂けた。

 どこからともなく飛来した矢が、地面に突き刺さる。

 開戦は、すぐそこまで迫っていた。

「手伝いは要りませんか?」

 リュウドウが落ち着き払った提案を、ベアトリーチェにかける。

「大丈夫だ。この程度、すぐ終わる」

 しかし、剣を構えた彼女は短く返答するのみだった。

 そのやり取りを、ローディスは傍から眺める。

 ――やっぱ、気味悪いなあの青年。一番強ぇとかか?

「ローディス、下がらないのか」

 気づけば、ベアトリーチェが横に立っていた。

 魔導師は基本後方を担当する。それ故の気遣いだった。

 だがローディスはかぶりを振るのみだ。

「気遣いどーも。けど俺ぁ中距離が得意なんでね」

 言いながら、匪賊の前衛数人を見据える。

 手を翳した瞬間、魔力が密集した。

 ――汎用攻撃魔法『圧束弾(コンプレスト・ボルト)』。

 詠唱も錫杖も無い、最低限の動き。

 魔力を一点に極限圧縮したその魔導弾は、空気ごと加速し弾丸のように射出された。

 パンッ――と乾いた音が響き、遅れて匪賊含む地形が丸ごと抉れた。

「……!!」

 その光景に、ベアトリーチェが眼をむく。

 しかし一番驚いていたのは、同じ魔導師であるセレスだった。

 ――なんという操作精度……! 魔力密度も、初速も卓越してる……。

「めっちゃ強いじゃん、おっさん」

 振り返りざまに、ルルが呟きを残す。

「よそ見すんな、来るぞ」

 等のローディスは短く返答するのみ。気怠げな見た目とは裏腹に、その表情と身構えは熟練者のそれであった。

「では其方の攻撃に合わせる、好きに打ってくれ」

 ベアトリーチェの提案に、アルヴィス、ルルが武器を構えた。

「……あぁ、分かった分かった」

 溜息と同時に、魔導を発動させる。

 瞬間、先程の圧束弾が連発された。

 乱れもなく、完璧な制度の即撃ちだ。

「………………!」

 その腕前に目を見張りながらも、三人は突撃をした。

 なんの暇もなく、開戦がなされる。

 しかし、戦いは早々に片付きそうであった。


 四


 早くも戦闘が終わった。

 地面には倒れ伏す匪賊と、抉れた土。

 まだ微かに舞う砂塵の中で、一同は周囲の警戒を続けていた。

 やがて、倉庫の陰から――

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ……ッ」

 半ば悲鳴のような声と共に、一人の老人が転がるように現れた。

 腰は抜け、足はもつれ、ほとんど四つん這いのような体勢でこちらへ這い寄ってくる。

 顔は真っ青どころか、もはや灰色に近い。

「し、死ぬかと……ッ、いやもう死んだかと……、心臓がッ、心臓が今にも……」

 胸を押さえ、ドクンドクンと自分で脈を確認しながら震えている。

 どうやらまだ動いているらしいことに、逆に驚いている様子だ。

「た、助かりましたぁぁぁ……ッ」

 そのまま勢いよく土下座。

 だが勢いが強すぎて、額を地面に打ちつけた。

「ぐぉッ! ……い、生きてる……まだ生きてる……ッ」

「だ、大丈夫か……?」

 ベアトリーチェが思わず一歩引きながら声をかける。

 戦場では見せない、明らかな戸惑いの色が浮かんでいた。

「だ、大丈夫ではないですっ、 心臓が、もう、あと一撃で……ッ」

「一撃とは何だ……?」

「わ、分からんがとにかく一撃で……ッ」

 意味不明である。

 老人はそのままベアトリーチェの足に縋りついた。

「本当に、本当にありがとうございます……ッ。あの連中、最近やたらと活発で……まさかこんなに早く来るとはっ」

「……依頼の時刻より、かなり早い襲撃でしたね。情報が漏れたのでしょうか」

 アルヴィスが周囲を見渡しながら呟く。

「は、はい。いつもは夜になってから、じわじわ来るのに……今日は、いきなり……」

 震えながら説明する老人の背を、セレスがそっと撫でる。

「もう大丈夫です。危険は去りましたから」

「ほ、本当ですか……? もう出てきませんか……? 地面からとか……木の上からとか……」

「出てきたら、また叩き潰すだけ」

 ルルが軽く戦斧を担ぎ直しながら言うと、老人はビクッと肩を跳ねさせた。

「 ……あ、いや、頼もしい……」

 ベアトリーチェは小さく咳払いをし、改めて老人に向き直った。

「……ひとまず、落ち着け。呼吸を整えろ。ゆっくりだ」

 そう言って、軽く手を差し出す。

 老人はその手を両手でがっしり掴み――

「はぁッ……はぁッ……あ、ああ……落ち着け……落ち着けワシ……まだ生きておる……ッ」

 自分に言い聞かせるように何度も頷く。

「……よし、まだ死なん」

「そうか」

「今のところは」

「そうか……?」

 微妙に不安の残る返答に、ベアトリーチェは眉を寄せた。

 しかし――

 それでも、老人の顔には確かな安堵が戻っていた。

「変なじぃさん……」

「シッ」

 ルルの呟きを、セレスが塞ぐ。

「いいから、早く賞金寄越せよ」

 ぶっきらぼうな声音で、ローディスが老人に詰め寄った。

 老人は目を丸くする。

「ろ、ローディス君じゃないか……。また君に助けられたとは……」

「いいから早く。俺の分は別だからな」

「勿論だとも……。ほれ」

 老人はその態度を気に留めていないのか、慣れた手つきで麻袋を手渡した。

「…………よし。じゃーな、お疲れさん」

 中身を確認し、そそくさと去って行く。

 その背中に、ベアトリーチェが慌てて声をかけた。

「おい! 何故その実力で……、其方は……」

 しかし、肩越しのローディスの視線に言葉を詰まらせる。あの綺麗事を嫌う姿勢が、脳裏を過ったからだ。

「なぜ、そんなに金に固執するんだ」

「……………………。」

 ローディスは沈黙を残しながら、麻袋を懐にしまう。

 そして、ただ一言、

「さぁな……」

 とだけ言って去って行った。

 その声には、何処か遣る瀬無い、それこそ疲れきった色が滲んでいたのだった。


「なんと言うか、完全に悪い人とは思えませんね」

 帰路をゆったりと歩みながら、アルヴィスが呟いた。

 その言葉に、ベアトリーチェは眉を上げる。

「……まぁ、やり方は置いといて、市民を守っているのは事実だしな」

「ええ。なにより、悪人ならルルが露骨に嫌ってるはずです」

「アタシの野生の勘は外れないからね」

 斧を磨きながら、ルルは応えた。

「彼の素性が気になるところね。使ってる魔導はかなり洗練されてたもの。……国軍に所属していたとか?」

 戦闘の様子を思い返しながら、セレスはこぼした。

「従軍歴があるなら、何故憲兵と…………」

 ベアトリーチェは腕を組み、懊悩をする。

「まいいや」

「思考放棄はやッ」

 キッパリと前に向き直ったベアトリーチェに、アルヴィスが頬を引き攣らせた。

「もし軍歴があるのなら、市民のために尽くすのは当たり前だろう。金など要求するな、守銭奴無精髭野郎が」

「めっちゃ言うやん……」

 戦斧を背負い直し、ルルはそのまま続ける。

「ベアさんほど、国の事を思える人はあんまいないよ。アルヴィスとか孤児院のことしか頭に無かったし」

「えっ?! あー、まぁ確かに……」

 アルヴィスの返答に、セレスが嬉しそうに微笑みを返した。

「十分立派だ、自らが育った場所を常に思えるのは。さすが性格もイケメンだな」

 快活な笑顔で、ベアトリーチェは彼の肩を叩いた。

 リュウドウが小声で、

「狙われてますよ」

 とアルヴィスに告げる。

「おイッ、んなわけっ!」

 目を細めるルルの横で、ベアトリーチェが声を上げた。

「年齢差エグいぞッ」


  石混じりの街道を、夕暮れの光が長く引き伸ばしていた。

 戦いの熱が抜けきらぬ身体に、冷えた風が心地よく当たる。

 ルルは戦斧の柄を軽く叩きながら、まだ笑いを含んだ声で続けた。

「てかさ、ベアさんって"国"とか"騎士"とか、そういうの全部ひっくるめて背負ってる感じするよね。重くないの?」

「重いかどうかは考えたことがないな。あるから背負っている、それだけだ」

 即答だった。

 迷いも飾りもない、あまりにも真っ直ぐな言葉。

「カッコよ……、そういうのサラッと言うやつ」

 ルルが顔をしかめる。

 だがその目は、どこか楽しげでもあった。

「でも、」

 アルヴィスが少しだけ歩幅を緩める。

「それって……すごいことだと思いますよ。僕なんて、結局――」

 言いかけて、言葉を止めた。

 視線の先には、遠くに見え始めた街の灯り。

 そこに重なるように、瓦礫と化したあの場所の記憶が、ふとよぎる。

「……僕は、守りたい場所が"そこしかなかった"だけで」

 ぽつりと落とされた声は、夕闇に溶けていく。

「言っただろう、それでも十分だ」

 間を置かず、ベアトリーチェが言った。

「守る対象が明確であることは、強さだ。迷いが少ない分、刃は鈍らん」

 その言葉に、アルヴィスはわずかに目を見開いた。

「……でも、その刃で守れなかったら?」

 小さく、しかし確かに問いが返る。

 ベアトリーチェは一瞬だけ視線を落とし――

「……その時は」

 ほんの僅か、言葉を選ぶように間を置いた。

「足りなかったということだ。己の力も、覚悟も」

 静かな声音だった。

 だが、その奥にある重さは、誰の耳にもはっきりと届いた。

「……厳しいなぁ」

 ルルが顔をしかめる。

「そんなこと真正面から言われたら、立ち直れないって……」

「だから強くなるんだろ?」

 アルヴィスが苦笑混じりに返す。

「簡単に言うなよ」

「ルルだって言ってただろ。"強くなる"って」

「言ったけどさぁ……」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ルルはどこか楽しげに肩を竦めた。

 そのやり取りを見て、セレスがくすりと笑う。

「いいわね、そういうの」

「何がです?」

「ちゃんと"これから"の話をしてるところ」

 柔らかな声だった。

「ルルちゃんは強くなる。アルヴィス君は守る。私は孤児院を作る。――全部、未来の話」

 歩みを止めずに、静かに続ける。

「昔はね、"今をどうするか"だけで精一杯だったの」

 少しだけ遠くを見るような目。

「だから、そうやって先の話ができるのって……すごく、いいことだと思うのよ」

 しばしの沈黙。

 風が、草を揺らす。

「……じゃあさ」

 ルルがぽつりと呟く。

「ベアさんは?」

「え……? 私か?」

「未来。騎士とか国とかじゃなくて、"ベアトリーチェ個人"の」

 その問いに、ベアトリーチェはわずかに目を瞬かせた。

 考える、というより――

 "考えたことがない"と気づいたような間。

「…………特に、ないなぁ」

「えっ」

「騎士としての役目を果たす。それ以上でも以下でもない」

「いや……」

 ルルが手を振る。

「そういうのじゃなくてさ! ほら、もっとこう……普通のやつ!」

「普通、かぁ……」

「なんかこう……休みの日に何するとか、好きな食べ物とか、誰かとどっか行くとか!」

「んー……、鍛錬だッ」

「それこの前聞いた!!」

 即答に、ルルが頭を抱えた。

「ダメだこの人、未来が全部筋トレで埋まってる」

「計画的ってことだな」

「褒めてないですね……」

 アルヴィスが思わず吹き出す。

 その笑いにつられて、セレスも口元を押さえた。

 ほんの一瞬、重かった空気が軽くなる。

 その隙間を縫うように――

「……ただ」

 ベアトリーチェが、ふと口を開いた。

「良い人に出会えたら、考えるかもしれん」

 何気ない一言だった。

 しかし、

「………………うぇ?」

 ルルが固まる。

「えっ」

 アルヴィスも止まる。

「あら」

 セレスだけが、優しく微笑んだ。

「素敵じゃない」

「……あー……」

 ルルがじわじわとニヤける。

「まて、冗談だからな?」

「あん時の"彼氏候補"の話、まんざらでもなかったってこと?」

「喧嘩するか貴様」

 即座に殺気が漏れた。

「ギャっ、急に物騒ッ」

 ルルが飛び退く。

 しかしその殺気も、どこか軽い。

 冗談の延長線にあるような、柔らかいものだった。

 そんなやり取りを、少し離れた位置からリュウドウが静かに眺めている。

 視線は相変わらず、どこか遠く――

 彼らとは違う場所を見ているようで。

「……賑やかですね」

 誰にともなく、ぽつりと呟いた。

 ――……随分、仲良くなってしまった。

 夕暮れの中、街の灯りは徐々に近づいてくる。

 戦いの余韻を残したまま、それでも一行の足取りは、どこか軽くなっていた。


 *(閑)


「孤児院の事思い出しちゃったなぁ」

 しゅんとした様子で、ルルが唇を曲げた。

 セレスが優しい笑顔を浮かべて、ルルの頭を撫でる。

「昔の孤児院は、もっと賑やかだったのよ」

「酔ったボド爺がうるさかった記憶が……」

 アルヴィスが苦笑いを称えた。

「けど絶対に飯くれてた! あとアタシと肉の取り合いも」

「鍛錬の時よりガチの顔してたわねぇ、彼…………」

「私と気が合いそうだな……」

 ベアトリーチェがボソリと呟く。

「絶対合うと思いますよ。お酒好きなら尚更」

 笑顔を浮かべて、アルヴィスが同意を示した。

「なら合うな! 飲み会は好きだ」

 声を上げるベアトリーチェに、セレスが静かに微笑む。

「……なら、是非ともお墓参りしてほしいわ。お酒を持参して、ね」

「孤児院立てたら、裏にお墓立てようよ! この戦斧も突き刺して」

 ルルが嬉々として、背中の斧を摩った。

「勿論、行かせてもろうか。…………まて、お墓に供えるのなら、武器はどうするんだ?」

「素手」

「買えよ……」

 ルルの即答に、アルヴィスが目を細める。

「ずっと使い続けるのも、彼喜ぶかもしれないわね。根っからの戦士だったから……」

 セレスの静かな呟きに、皆微笑みを浮かべた。

 ルルが戦斧を持ち直し、刃をなぞる。

「はは、じゃあもう暫くは、猛威を振るってもらおうか!」

 ブオンという風切り音と共に、斧が目の前に翳された。

 夕日を反射する戦斧は、まだまだ現役のように戦意旺盛な輝きを放っていたのだった。


 *


 夜は、完全に街を呑み込んでいた。

 ベアトリーチェ一行は早々に寝支度を済ませ、各々が部屋で寝静まる。

 石造りの建物が密集するエルディアスの街並みは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。

 通りに吊るされた灯火は、風に揺られて頼りなく明滅し、伸びた影が壁を這う。

 宿の窓から漏れる淡い灯りも、ひとつ、またひとつと消えていく。

 やがて――完全な静寂。

 同じ街の一角。

 人通りの途絶えた、細い路地裏。

 石畳は湿っており、どこからか滴る水音が、規則的に響いている。鼻をつくのは、腐臭と鉄の匂いが混ざった、重たい空気。

 灯りは、無い。

 あるのは、建物の隙間から差し込む、わずかな月光だけ。

 その淡い光の中に――人影があった。

 壁にもたれかかるようにして、立っている。

 腰には物騒なマチェーテナイフ。

 腕は太く、顔つきは屈強な男そのもの。

 静かに、腕を組んで佇んでいた。

「おい」

 突然暗闇から声が聞こえた。

 短く、淡々とした呼び声。

「今日の分だ……」

 影から手が伸びる。その掌には麻袋が握られていた。

「………………来い」

 マチェーテを持った大人が、低い声で告げる。

 影から足が伸びた。

 黒い靴と、くたびれた暗いローブ。

 月明かりに照らされた、その無造作に伸びた髪。

 ローディス・ハウゼンだ――。

「ほらよ」

 短い言葉と共に、麻袋が投げられる。ジャラリと音を立てたそれは、男の手に渡った。

 そして、ローディスはその光景を眺め、そそくさと背を向けるが、

「待て」

 男に呼び止められる。

「あの件、さっさと返答しろ。ボスが痺れを切らしてる」

「……………………。」

 ローディスは答えない。振り返りもしなかった。

「じゃなきゃ、上納金の額を上げる」

 男はそのまま続ける。

 しかし、ローディスは後目に男の顔を眺めるだけで、口を噤んでいた。

「……………………今日のダークエルフの騎士ついてだが」

 思いもよらぬ台詞に、ローディスの眉が跳ねた。

 ――…………あの女のことか? ベアトリーチェ、だったか……。

 今日の依頼で、共闘した際の記憶を反芻する。

「あの女がどうしたって?」

 ため息混じりに、掠れた声で返答をした。その溜息は、半ば態とかもしれなかった。

「あの女を殺すか、仲間になるか。選ばせてくれるそうだ」

「……?!」

 唐突な提案に、ローディスは内心面食らった。

「理由は教えてくれなさそうだな」

 しかし、直ぐに目の前を向き直り、億劫そうな声を零す。

 その言葉に、返答は無かった。

 ただ、男の落ち着いた声のみが暗闇に響く。

「……回答が遅れたならば、ボスが直々に動く。そうなったら、"俺ら"は終わりだ、さっさと考えろ」

 投げやりの言葉に、ローディスは慌てて振り向いた。

「おい、どういう……」

 だが、目の前は暗闇と湿ったタイルのみ。

 男の姿も、何も無かった。

「チッ………………」

 沈黙の中、舌打ちがやけに大きく響いた。

「"ボス"って、何なんだよ」

 俯き、悪態を静かに付く。

 胸中の毒素を吐くように、大きな溜息を零した。

 ――………………"レヴィー"、俺はどうすれば良いんだろうな………………。

 後悔も、遣る瀬無さも全て押し殺すように、力無く空を仰ぐ。

 かつての友人の笑顔を思い返し、心底疲れきった表情を称えた。

「……めんどくせぇ」

 か細い声を残しながら、歩み出す。

 湿ったレンガの壁に、ローディスの硬い靴音だけが虚ろに吸い込まれていく。

 行き止まりのない闇の深淵を歩いているかのような錯覚。夜の静寂は重く、自身の呼吸音さえもが不吉な予兆のように耳に届いた。

 

「ここで何をしている」

 

 突如、路地裏の澱んだ空気を切り裂き、低い女の声が反響した。

 それはまるで、違反者の喉元に切っ先を突きつける憲兵のような、冷徹で容赦のない響きを帯びている。

 ローディスは歩みを止め、彫像のように硬直した。

 動揺を表に出すまいとする意志に反し、一筋の冷や汗が、こめかみから顎のラインへと這い落ちる。

 彼は迷いを断ち切るように、ゆっくりと、背後の闇へ向かって振り返った。

 網膜に焼き付いたそのシルエットに、ローディスの喉が微かに鳴る。

「お前は……」

「………………!」

 月の光さえ届かぬ路地の奥、そこには「夜」そのものが形を成したような女が立っていた。

 光を吸い込む黒い軽装鎧、闇に溶けるほど深い色の肌。そして、ウェーブのかかった髪の間から覗く、鋭い尖り耳。

 見間違うはずもなかった。その峻烈な佇まいは、彼の記憶にある姿そのものだ。

 そこに立っていたのは、ベアトリーチェだった。

Sisyphi = シーシュポス。

ギリシャ神話に詳しい人ならピンとくるかも。

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