八・五話 セキ羽根湿原
閑話です。読まなくてもストーリーに支障はありません。
アルヴィス、ルル、セレスのことが好きなら読むのはアリ寄りのアリ。
「また霧かよぉー……!」
ルルの食傷気味なため息が、湿り気を多分に含んだ地面に落ちる。
ベアトリーチェ一行は現在、『セキ羽根湿原』と呼ばれる荒地を突き進んでいた。
辺り一帯はまるで鳥類の羽が腐り落ちたかのような模様を称える、赤褐色の地面。暗い色の木々が生い茂り、足元にはジメッと湿度の高い霧がたゆたっている。
多湿故か、生物の伊吹がそこら中に満ち溢れており、虫の足音、蛙の鳴き声が響いていた。
「うわっ、泥だらけ」
足元に付着した泥を払いながら、ルルが呻いた。
「頑張りましょう。この泥濘を越えた先に、草原の黎明が待っています。丁寧に進みましょうか」
「韻踏むな。フロー爆アゲってか」
ルルの顰めっ面に、リュウドウは「いえあ」と棒読みで応える。
「ここは危険性とか無いのか?」
辺りをキョロキョロと伺いながら、ベアトリーチェは問うた。
「特には。生息する生物がキモイだけですね」
リュウドウの淡々とした回答に、アルヴィスが
「キモイ……?」
と冷や汗を浮かべる。
「うおっ、早速キショいのいる!」
途端に先頭のルルが嬉々とした声を上げた。
「ルルちゃん、変なのにちょっかい出さないでね……」
セレスが萎縮しながらルルの肩を掴む。
しかし、彼女の制止は叶わない。
「うらッ、ウラっ」
ルルが斧の柄で横たわった丸太をつついている。丸太は大半が腐り果て、中は空洞だ。
そして苔だらけの隙間から、"白いなにか"が丸い頭を覗かせている。
大きさは親指2本分程。
柄で小突かれる度に、表面が波打つように蠢いていた。
「何こいつ。全然逃げないじゃん」
「ルルちゃんっ……、流石にもう、いやああああああっ」
突如、セレスの悲鳴が響いた。普段のおっとりとした印象から一転、その叫び声に後続の四人はギョッと目を見張る。
「ウハぁッ、きんも!!」
ルルの楽しげな声が上がった。
「大丈夫ですか?」
アルヴィスが駆け寄ると、渦中の生物が地面を這っていた。
その白い蛇のような生き物は、ぬるっとした動きで丸太から這い出てきた。
「えキモッ」
堪らずアルヴィスも後ろに跳ねる。
その生物は、おおよその長さが40cm程、幅は3〜5cmで手脚は無く一見蛇のような見た目だ。
しかし、外皮は透明性が高く、赤黒い体内が透けてしまっている。なにより、体表面に腹筋の動きに似た波打ちがあり、体内の消化器官らしき内蔵が蠢いていた。
「リュウドウ、なんだコイツは」
ベアトリーチェの冷静な声色が落ちる。
しかし、彼女はリュウドウの背に隠れており、
「ベアトリーチェさん、動けません」
彼の二の腕をがっしりと掴んでいた。
「その見た目で虫苦手なんですね……」
フェンネの呟きに、ベアトリーチェは至極真面目な顔つきで呻いた。
「ルッキズムか? これでも乙女だぞ」
「ルル! やめろ、つつくな!!」
アルヴィスとセレスの絶叫が響く中、ルルは未だに斧で弄んでいる。
「『ハラウツシ』ですね。吸血型の無脚節足動物だったかと。生息地は樹海の陰湿な地帯なので、このセキ羽根湿原には結構な数がいるはず」
冷静な説明が、リュウドウから成される。
「特徴としては、温度感知で哺乳類に接近し、皮膚に吸盤状の口器を貼りつけ、体液と脂肪を吸います。吸われた部位は局所的にへこみ、痕が残るそうです。群れで行動した場合、人を"干からびた肉塊"に変えることもあるので、気を付けてください」
「えっ、ばりばり危険じゃん……」
肩越しに、ベアトリーチェが独りごつ。
先程の、「キモイだけ」という発言は何処に行ったのか。
「ですので、あまり突っついていると――」
「ウヘヘヘ、あっ……」
「あっ……」
「あっ……」
ルルを羽交い締めにするように制止するセレス、数歩引いていたアルヴィス、そして――誰一人として、次に起こる事態に対応できなかった。
ハラウツシは、戦斧の柄をぬるりと避けるようにしなやかに身をくねらせ、
ベチっ――
的確に、吸い付くべき"柔らかい場所"を選び取った。
「ギェエエエエエエええええええ!!!、!!」
フェンネの絶叫が湿原に炸裂する。木々がびりびりと震え、枝に留まっていた鳥が一斉に飛び立ち、地面の虫すら逃げ惑う。
「うおおおフェンネええええッ!!」
ベアトリーチェの顔から一瞬で血の気が引いた。戦場でも見せたことのない種類の動揺である。
「これは不味い」
唯一、声色を変えなかったリュウドウが静かに呟く。
フェンネは顔面に張り付いたそれを振り払おうと、腕を振り回し、のけぞり、半ば踊るように暴れ狂う。しかし――
次の瞬間にはもう終わっていた。
リュウドウの手が、音もなく伸びる。
掴む。
剥がす。
捕らえる。
その一連は、まるで"最初からそこに何もなかったかのように"滑らかだった。
ハラウツシは、彼の指の間でぬるりと蠢いている。
「……吸血は、未遂ですね」
淡々とした診断。
だが、
「フェンネええええ!!」
当の本人は、すでに限界を迎えていた。
顔面は青を通り越して白。瞳は焦点を失い、口は半開き。魂が抜けたような状態で、ぴたりと動きを止める。
そのまま――
立ったまま、失神。
「と、時既にお寿司ッ……!」
ルルが震え声で呟いた。
「言ってる場合かっ」
アルヴィスが即座に訂正するが、声に力は無い。
「丁度いい。あそこの空き地で昼食を取りましょう」
混沌の中心で、リュウドウの声だけが異様なほど平坦だった。
その提案はあまりにも場違いで、しかし――
誰も、否定する余力が無かった。
*
「この世界が憎い」
膝を抱え、地面に座り込んだまま、フェンネがぼそりと呟いた。まだ魂は完全に戻ってきていないらしい。
「よしよし」
隣に座っているベアトリーチェが、優しく頭を撫でる。
少し開けた空き地には、湿原特有のぬかるみが薄く残り、ところどころに乾いた草地が顔を出している。リュウドウは手際よく石を並べ、簡素なかまどを組み上げていた。
アルヴィスは集めた薪を火に焚べ、セレスは水袋の中身を確認し、ルルは――
「………………。」
首から『反省してます』と書かれた羊皮紙をぶら下げていた。
「昆虫はタンパク源です。早速調理開始ですね」
リュウドウの発言に、空気がザワつく。
「う、嘘だろ………………」
薪を焚べ終え、腰を落としたアルヴィスは絶望的な表情を称えた。
「私は、スープでいいや…………」
セレスも、体を強張らせて冷や汗を流している。
「マジか、遂にゲテモノ食いに触れるとは……」
「殺せ、滅せ。その虫を根絶やしにしろ」
未だに心ここに在らず状態のフェンネを膝に乗せたベアトリーチェが、固唾を飲む。
リュウドウの手には、なんとハラウツシが握られていた。ムカデのように体を捻りながら、バタバタと蠢いている。
「鰻に近いので、下処理さえ失敗しなければ美味しいですよ」
言いながら、リュウドウはハラウツシの頭部を親指と人差し指で強く握って断頭した。
ぶちゅ、という気色の悪い音が響く。
「うへぇあ……」
吐き気を表すように、アルヴィスから呻き声が零れる。
ハラウツシは意外にも、すぐさまぐったりと微動だにしなくなった。
「体内に脂肪と体液を蓄積するので、高エネルギー高タンパクです。とくに外骨格のキチン質は加熱で食感が変わります。キチンと調理すればスーパーフードです」
「ダジャレっすか……」
アルヴィスが生気の無い表情で呟く。
「体内に残った脂肪、血液を除去しないとかなり危ないので、……このように臀側を割いて――」
言いながら、ハラウツシの臀側端を手刀で切り裂いた。
その早業に目を見張る一同を置き去りに、リュウドウは説明を続ける。
「そしてそのまま絞り出します」
焚き火に向けて、頭部から指で内蔵物を扱き出す。
ブリュブリュと食欲を削り取る音を立てながら、赤黒い中身が火の中に消えていった。
「うおぉぉ……、ううぇああ」
ベアトリーチェの呻き声が響く。
「そして、病原リスクをゼロにするためにハードリカーで洗浄します。フェンネさん、ウォッカを」
「ウヘェ、こんなのに商品使われるなんて……」
苦言を呈しながらも、リュックから瓶を取り出した。
「ありがとうございます。じゃぶじゃぶ」
「セルフ効果音??」
ツンと鼻を刺激するアルコール臭。その匂いに苛まれながらアルヴィスは呟いた。
「後は適当に焼くだけです」
グサリと乱暴にハラウツシを枝で刺し、焚き火の周りに設置した。
「これ食うんだ、今から……」
串に刺されたハラウツシをつつきながら、ルルは露骨に顔をしかめている。
焚き火が弾ける。
ぱち、と乾いた音が鳴り、薄い煙が湿った空気に溶けていった。
一同が認めたくはない事実として、現にハラウツシは香ばしい匂いを発していた。
皆顔を顰める中、リュウドウだけが涼しい表情で他のハラウツシの下処理を続けている。
「まぁ、栄養は大事だからなぁ……」
最初にそれを手にしたのは、ベアトリーチェだ。
「なんか、ずっとヤバい物食ってない?」
ルルの言葉通り、近頃のベアトリーチェの食事内容は、腐りかけのチーズと枝のように硬い干魚だった。
「タンパク源、というのに惹かれてな」
「筋トレ界隈っすか……」
アルヴィスの返答を掻き消すように、ベアトリーチェのパキパキという咀嚼音が早速響いた。
「うっわぁ……」
もぐもぐと静かに顎を動かす様子に、フェンネは眉を顰めていた。
しかし、ベアトリーチェはそれを飲み下した途端、表情を明るくした。
「美味い??!」
「えぇ……」
「ど、どんな味?」
セレスが心配気な表情を称え、言葉を零す。
「香ばしい脂と……、鰻とホルモンと、イカの中間的な感じ……」
「それ聞いたら美味そう……」
ルルはそう言い残し、手渡された串を眺める。
顔に皺を称えながら、「ええいままよ」と言った風に齧り付いた。
「あ、うま」
「わぁぁ……」
隣のアルヴィスが頬を引き攣らせる。
「どぞ」
「おい、渡すなよ…………」
冷や汗を流しながら、串を握る。
「……これは、試練か何か?」
串に刺さったそれを見つめ、アルヴィスは静かに息を吐いた。
――……騎士としての人生、誇り、規律、節度。すべてを胸に刻んできたはずだ。
――……けど今、目の前にあるのは――それらと真っ向から対立する"何か"だ。
――旅に出た決意は、綺麗事だけでは通らないと理解していたハズ…………。
理解していた、はずなのに。
――……なぜだ、なぜ最初の壁がこれなんだッ。
「……食うか」
覚悟を決める声音は、戦場に臨むそれと、ほとんど同じだった。
もシャア――
「う、美味い」
葛藤が煙のように消え去る。
その後は、断固拒否するセレスとフェンネの代わりに、ベアトリーチェが串焼きを平らげたのだった。
二
残りの串を、何とも言えない絶妙な表情で食べ終えた一同は、ぬかるむ地面を踏みしめながら、湿原の奥へと足を進めていた。
湿った土が靴裏にまとわりつく。踏み出すたびに、ぬ、と鈍い音が遅れて返る。
木々は低く、枝葉は重く垂れ下がり、空はほとんど見えない。陽光は濁り、薄緑の膜を通したように鈍く地面へ落ちている。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、静かだった。
――いや。
静か、というよりは。
音が削がれている。
虫の羽音も、鳥のさえずりも、どこか遠く、霧の向こうに押しやられているような感覚。
代わりに、耳の奥で何かが擦れるような、微かな気配だけが残っている。
「……なんか、変じゃない?」
ルルが眉をひそめ、小声で呟いた。
その声すら、空気に吸い込まれるように弱々しい。
アルヴィスも周囲を見回し、わずかに表情を強張らせる。
「……ああ。妙に、音が……」
言いかけて、言葉が途切れる。
聞こえたのだ。
――ひそ、ひそ。
――……こっち、だよ。
誰かが、囁いたような気がした。
反射的に振り返る。
だが、そこには湿った木々と、沈んだ色の地面しかない。
「今の、聞こえました?」
アルヴィスの問いに、セレスが小さく頷く。
「ええ……誰かが……」
だが、その"誰か"が、どこにもいない。
再び、ひそひそとした音が耳に触れる。
「敵か……?」
ベアトリーチェの長い耳が、ピクりと動く。
今度は、少しだけはっきりと聞こえた。
――こっちに、おいで。
――さみしい、でしょ。
胸の奥が、ざわりと波立つ。
「えっ……、え、え?」
震えるフェンネは、ベアトリーチェの裾を掴む。
――ひそ、ひそひそ
理由もなく、足を向けたくなるような、不快で奇妙な引力。
「……ご安心を」
低く、しかしはっきりとした声で、リュウドウが制した。
その一言で、足を踏み出しかけていた者の動きが止まる。
彼の視線の先。
倒木の根元、湿りきった腐葉土の上に、それはあった。
耳のようにひらいた、平たい茸。
幾重にも重なり合い、微風もないのに、わずかに震えている。
その震えに合わせて、空気が揺れ――
まるで、囁くような音を生み出していた。
「え?! 耳ぃ?!!」
ルルが声を上げる。
「こ、これが声の正体?」
アルヴィスが恐る恐る、剣先でそのキノコをつついた。
焦げ茶色の耳は、ぐにぃと形を歪める。
「『ササヤキ茸』です。菌類型寄生生物で、腐葉土に自生します。
囁き声の正体は、胞子嚢が周期的に開閉し、空気振動を起こしているだけでございます。ただし、長時間聞けば聞くほど、より明確な声に聞こえてくるのでご注意を。脳が勝手に補完してしまうそうです。
迷い込みや遭難に繋がるそうで、樹海では死亡率が高いんだとか」
緊張の解ける、微笑みを称えて解説をする。
「なんでこうも不気味な生物が多いんだ……」
ベアトリーチェの苦言に、フェンネも便乗するように、
「やはりこの世界が憎い」
と呟きを残した。
「美味いの?」
ルルの純粋な問に、アルヴィスは引き攣った苦笑いを小さく浮かべる。
「食べたくない……」
「ゴムと鉄の味がするそうです。胞子には神経毒があるので推奨はしません」
「やばぁ……」
リュウドウの解説に、フェンネが呻いた。
一行は極力それを視界に入れないよう、大股に跨ぎながら歩を進めた。
気付けば辺りは霧が深くなりつつある。
三
足元の泥濘はほぼなくなり、歩行がしやすくなっていった。
暗い赤褐色の地面には霧が漂い、周りを見渡せば濃い影を落とす木々が生い茂っている。
「…………………………?」
ヒキガエルの鳴き声が、低く響いた。
ベアトリーチェの表情が引き攣り、冷や汗が背中を伝う。
「もしかしてカエル苦手?」
その様子を見たルルが、首を傾げた。
セレスはキョロキョロと周囲を見渡しながら、
「相当大きいのがいるわね……」
と独りごつ。
「いや、カエルは好きな方だが……、そうじゃなくて……」
そう言ってベアトリーチェは言葉を詰まらせた。
「あれは、なんだ……?」
彼女が指差したのは、真正面。
白く霧の立ち込める目の前には、"黒い影が浮いていた"。
揺れるでも、蠢くでもなく、ただ空中に静止している。
「……ッ…………」
アルヴィスの息を飲む音が横から聞こえた。
ゆっくりと歩みを進めるにつれ、影の輪郭が明瞭になっていく。
「な、なにあれ」
流石のルルも、苦虫を噛み潰したような表情で影を睨んでいた。
その影はまるで、"髪の長い人間の頭部"が空中に貼り付けられているように感じる。
「ゆゆ、ゆゆゆ幽霊ですかッ……?」
ベアトリーチェに身を寄せるフェンネは肩を震わせながら、弱々しい声をおとす。
「……斬る?」
いつの間に抜いたのか、ベアトリーチェの顔の横に聖剣が構えられている。その愛剣は霧の中であろうと、銀色の輝きを失っていない。
「いやいや乱暴な……。一旦近づいてみますか? ヤバそうならぶった切って下さい……」
早まる鼓動を抑えるように、アルヴィスが重い口調で述べる。
彼の言を残し、一同は慎重な足取りでその影に近づいて行った。
徐々に距離が縮まる。
10m、7m、5m、3m、1m――。
それは全く微動だにしない。
そしてやはり確実に浮いていた。
「えっ…………、なにこれ……」
ルルのか細い声と共に、その影は姿を表す。
「植物か……?」
色は焦げ茶色、まるでほうき草のような"束状の何か"が宙に浮いていた。
何に吊るされるでもなく、何かに固定されているのでもない。まさに、空中に停止していた。
一体ではない、歩を進める毎に二体、三体と現れ続けている。
「『ウミボウキ』です」
突如、リュウドウの静かな声が響いた。
「分類は不明、主な生息域は樹海の谷間や湿地帯。たまに海面にも現れるのだとか」
「えっ、え? 生き物?」
ベアトリーチェの戸惑うような声がもれる。
その瞳は目の前にあるほうきに釘付けであった。
「こちらは魔物ですね。実体が薄く、霧に溶け込んでしまうそうですが、内部には微細な刺胞を持つ糸状生物が漂っています。それらが密集すると、このようなものになる」
「不気味でキモイの二刀流来たァ……」
ルルが辟易とした顔を称え、そのウミボウキに手を伸ばす。
しかし、すぐさまリュウドウの声があがった。
「触るのはお控えください。刺胞に触れるとかぶれや湿疹の原因となります」
「不気味でキモくて危ない? クソみたいな負の三華鼎立……」
手を引っこめたルルの苦言が響く。
「魔物なのか……。実体が薄いとはどういう事だ?」
ベアトリーチェの問に、リュウドウがウミボウキを軽く避けながら、
「霧や糸そのものが意志を持つわけではなく、自然現象と自律生物の境界にある存在です。ややこしいですが、精密解析の技術が進歩していない現代では、このような定義が難解で……」
「生態も気味が悪いのか……」
アルヴィスが呟きながら、顔を顰める。
各々ウミボウキを避けながら歩みを進めた。
視界は悪いが、霧は薄まりつつあり、ウミボウキの数も減ってきている。
気付けば、セキ羽根湿原の終わりへと差し掛かっていたのだった。
四
「草原だー」
まるで灰峠のデジャブかのように、一気に視界が開け、澄んだ青空から降り注ぐ陽光が一行を照らした。
目の前にはどこまでも続く、だだっ広い草原が広がっている。
「はぁ癒しだ……」
ベアトリーチェは生気の抜けた表情で溜息をした。
「なぜこうも気味の悪い地帯が多いんだ」
「ほんそれ」
斧を背負い直しながら、ルルが同意を示す。
「何はともあれ、やっと落ち着いて進めますね……」
苦笑いを称え、アルヴィスが告げた。
「そうだな、次の目的地はどうする」
ベアトリーチェの言葉に、リュウドウが準備をしていたかのように即答した。
「一番近くの都市に向かうので、『ヴェルシア辺境侯国、エルディアス領』ですね。一日程度で到着かと」
その言葉に、皆が相槌を打つ。
「了解した」
「分かりました」
「りょうかい!」
「ええ、分かったわ」
「ふぇぇ……」
今や当たり前のように意気の投合するパーティとなった一行は、早速歩き出した。
*
「というか、なんでそんなにスラスラ色んなモンの名前が出てくるの? 全知??」
穏やかな暖かい微風を受けながら、ルルはリュウドウに問うた。
「読書という趣味の産物かと」
至って謙虚で淡々とした返答。
しかし、アルヴィスも彼に対して疑念を口にする。
「なんというか……、服装も官僚のような服ですよね。所作も、言葉遣いも綺麗過ぎて……。まさか宮廷魔導師だったりとかしませんよね?」
「……………………。」
――……確かに。魔王がみんなこんな感じとは思えないな……。彼の生い立ちとか気になるなぁ。
口を噤むベアトリーチェは、リュウドウを尻目に考え込んだ。
「魔導師にしてもフィジカル強すぎるけどね。アタシの目は誤魔化せねぇですぜ、立ち姿で分かる」
ルルに同意するように、セレスも口を開く。
「その……、灰峠で銃弾を素手で弾いてたわよね?」
「具体的にはどんくらいの実力なの?」
ルルの直接な質問に、ベアトリーチェも「私も気になる」と言いたげな顔を浮かべた。
しかし、皆の好奇心に集中攻撃をされる中リュウドウはまたもや淡々と答えるのみだった。
「……弱くはない、とだけ言っておきましょうか」
「謙虚だなぁ……」
苦笑いを称えるベアトリーチェ。
にっこりと笑みを見せる彼に、ルルは不服そうに唇を尖らせた。
「出身地だけでも……」
アルヴィスが懇願するように手を合わせる。
「矢継ぎ早ですね。遂にモテ期が来ちゃいましたか」
流そうとしているのか、リュウドウは冗談めかした言を述べた。
「遂に、って……。絶対モテモテだろお前」
僻みが込められたような声を残すベアトリーチェ。
「初めて会ったときは内心びっくりしたのよ。美貌に二度見するのは、生まれて初めてだったもの」
セレスの称賛するような声に、アルヴィスもすかさず同意する。
「玲瓏たる神工鬼斧の容貌と表現出来ますね。なんかそういう種族とか……?」
「人形族だろ、人形族」
「だから違いますよ。ホントになんですかそれ」
ベアトリーチェの台詞に、またもや呆れたような顔を見せるリュウドウだった。
「それこそエルフ族が、造形の良い人が多いって聞くよね」
ルルの呟きに、セレスとベアトリーチェが「むふふ」とドヤ顔を示す。
「ここまでの顔は、綺麗とか整っているとか、そういう次元じゃないですがね」
アルヴィスのため息混じりの呟きに、次はリュウドウがドヤ顔を称える。
「あざすぅ」
「…………。」
そのおちゃらけた態度に、フェンネが唇をへの字に曲げた。
「結局、質問には答えてくんないんだね」
ルルがわざとらしく肩を落とし、拗ねたように呟いた。
わずかな間。
湿った空気が、妙に重く沈む。
「第八魔王国出身の大学院生で、顔は生まれつきです。テクノクラートに関連した職の経験ゆえの素養ですかね」
「めっちゃ急に答えるじゃんッ!?」
間髪入れずに放たれた回答に、アルヴィスは本気で顎が外れかけたような顔になる。
「(上手い嘘つくなぁ……この人)」
フェンネが引き攣った口元を押さえ、頭の中で零す。
「あー、タシカニソンナコトイッテタナー……」
ベアトリーチェの援護は、あまりにも雑だった。発音もどこかぎこちない。
「第八魔王国の……テクノクラート……」
セレスは目を丸くしたまま、言葉を反芻する。
理解しようとしているが、理解が追いついていない顔だ。
「……それって、めっちゃ凄い人じゃん」
ルルが素直に感心した声を漏らすが、次の瞬間、じとりとした目でリュウドウを見上げる。
「え、その"凄い人"が、なんでこんなとこで野営してんの?」
核心に一歩踏み込む問い。
アルヴィスも、わずかに表情を引き締める。
「……確かに。普通の経歴では、ないですよね」
一瞬だけ、沈黙。
だがリュウドウは、まったく間を置かずに、
「現地調査の一環です。ベアトリーチェさんと出会ったきっかけでもある」
と、あまりにも滑らかに返した。
「第八魔王には会ったことある……?」
「いえ流石に」
即答だった。
ルルが半眼になる。
「申し訳ない、答えられない事が多いのです」
そのまま、柔らかく続ける。
「竜の国に着いたら、またお話ししましょう」
穏やかな声音。
それ以上踏み込ませない、しかし拒絶もしない距離感。
アルヴィスは小さく息を吐き、苦笑を浮かべた。
「……じゃあ、その時を楽しみにしておきますよ」
納得したようで、好奇心を抑えきれていない。
だが、それでいいと受け入れた声音だった。
フェンネだけが、ぼそりと呟く。
「えっ、言っちゃって大丈夫なんですか……?」
口元を隠し、ベアトリーチェに耳打ちをしていた。
「……本人に任せよう。3人がパニックにならないといいが……」
「じゃあ、セレスさんの孤児院でじっくり聞こうよ!」
ルルの屈託のない声が、湿った空気を軽やかに打ち破った。
「ま、まだ確約じゃないから……」
セレスは慌てて手を振り、困ったように眉を下げる。だがその頬は、わずかに紅を差していた。
そのやり取りに、ベアトリーチェは小さく首を傾げる。
「孤児院?」
「竜の国に着いたあとの目標なの」
視線を少し逸らしながら、セレスは静かに答える。
「ルルちゃんは、あの国で修行して力をつける。アルヴィス君は、その……ルルちゃんの面倒と、私の手伝いで」
言葉を選ぶように区切りながら話す横で、当の二人はどこか誇らしげに頷いている。
「私は……」
一度、言葉を飲み込む。
それから、ほんの少しだけ背筋を伸ばして、
「孤児院を、新しく建てようと思って……。性分なのかもしれないわね」
そう、はにかむように笑った。
「アタシも手伝うんだよ。んで強くなって、孤児院の護衛になるつもり」
胸を張って言い切るルルの頭を、セレスが優しく撫でる。
慣れた手つきだった。
アルヴィスはその様子を見守りながら、小さく息を吐く。
どこか、安堵を滲ませた顔で。
三人の視線は、自然と同じ方向を向いていた。
まだ見ぬ未来へ。
その話を、ベアトリーチェは静かに聞き入っていた。
やがて――
ふっと、柔らかな笑みを零す。
「良いな。是非とも、手伝わせてくれ」
その声音は、軽やかでありながら、どこか真っ直ぐだった。
言葉の余韻が、しばしその場に残る。
だからこそ――。
次に向けられた視線は、自然と彼女へと集まった。
*
「次はベアさんの質疑応答に移ります」
「え? あ、はい。えっ?」
ルルによる突然の名指しに、戸惑いを顕にする。
「割と詳らかに自分語りしたはずだが……。えーと、軍務経験数十年にして参謀本部の沈殿物、未婚彼氏無しの行き遅れ六十路です」
「半端ない自虐…………」
あまりの自虐的発言に、悲しげな表情をアルヴィスは称えた。
「なら私が彼氏候補になってもいいですか」
リュウドウの淡々とした発言。完全にお巫山戯の台詞である。
しかし、その発言にベアトリーチェは顔を赤く染めた。
「ぇうぇっえ、ウェへっへへぇ、ぜ、でゅふっ是非ぃ……」
「表情やば…………」
あまりの反応に、本心からドン引きを示すルル。
ベアトリーチェの頬は朱に染まり、口元は引き攣り、視線は定まらない。
普段の凛々しさは影も形もなかった。
リュウドウは冷酷にも、冷ややかな即答をした。あまりにも無慈悲な、切り捨て。
「冗談に決まっているでしょう。真に受けないでください、気味の悪い」
「喧嘩するか貴様」
冗談とは言え、絶世の美青年にこのような発言をされた故か、ベアトリーチェの目つきは心の底から殺意が湧き上がっている様子であった。
胸ぐらを掴むような勢いで近づけた顔には深く影が落ち、目は血走っている。
その低い早口からは、戦場で幾度となく命を刈り取ってきた者の、本物の殺意が汲み取れた。
「いやキレ過ぎ……」
フェンネのか細い呟きが残った。
「てか話逸れたじゃんっ、聞きたいことあんの!」
頬を膨らませるように、ルルが声を上げた。
「ごめんて……。美青年に振り回されるのも大変なんだ」
長い溜息を吐き、ベアトリーチェはルルの質問に向き直る。
等のリュウドウは眉をあげて、どこか楽しげだった。
「聖七大英雄について詳しく聞きたくて」
「なんだ、それか……。私には似合わない称号だな」
アルヴィスが苦笑混じりに肩を竦める。
「誇ってくださいよ。
大陸規模で認められる"七人の最強の英雄"だ。大戦期、魔王に対抗するために作られた称号……いわば、人類側の切り札です。
『勇者や英雄の御伽噺』における主人公的な格がある。そして八大魔王はその物語のラスボスてき立ち位置だ」
「な、尚更似合わくなった……。十字架の重さが半端ない……」
「憧れの的じゃん。かっこいいし」
「でも、その実態はかなり曖昧なのよ」
ルルの発言に、セレスが柔らかく補足する。
「軍師のような英雄譚みたいな人もいれば、"国を潰した"元傭兵とか……少し怖い経歴の人もいるって聞くわ」
「まじか」
「えっこわ。良かった、授与式に誰もいなくて……」
ベアトリーチェの呟きに、アルヴィスがキョトンとした顔で質問をする。
「誰も居なかった……? な、なぜ」
「他の大英雄も要出席らしいが、毎回誰も来ないそうだ。まぁ、遠いし、忙しいんだろ……」
その意見に、リュウドウは「呑気な感想……」と小声で独りごつ。
「………………私は」
ベアトリーチェは、少しだけ視線を落とした。
「……評価されたのは、結果だけだ」
短く、言い切る。
「中身が伴っているかは……別の話だろう」
その声音に、アルヴィスは言葉を詰まらせた。
軽口を挟める空気ではない。
「でもさ」
それでもルルは、躊躇なく踏み込む。
「強いじゃん。今までの戦いだって、普通じゃなかったし」
ベアトリーチェは、わずかに苦笑する。
「それでも足りない。私が守れなかったものは、それ以上に多い」
沈黙が落ちる。
やがて、ルルがぽつりと呟いた。
「……ねぇ」
「もしさ、大英雄と史上最凶の魔王が戦ったらどうなるの?」
アルヴィスが眉をひそめる。
「それは……。どうなんだろ……」
「ねえねえ、高官のリュウドウなら予想出来るんじゃない?」
無邪気な、ごく純粋な質問だった。
「残念ながら」
静かに、声が割って入る。
「わたs……第八魔王陛下が圧勝ですね」
あまりにも自然な口調だった。
まるで、事実を述べるかのように。
「oh……、マジかぁ」
「ラスボスがこの世に8人存在し、あの方はその実力的筆頭。彼は、目障りになるのならば七人まとめて大陸ごと吹き飛ばす、とも仰ってました」
「ッ?!!……、っ??!!……うごぉっ」
等の大英雄であるベアトリーチェは、その物騒な発言に息が止まった。
「ゆ、友好的な人という印象があったのになー……」
まるで懇願するかのような、必死の視線でリュウドウを見やる。
「ハッハッハ……、冗談ですよ。俺の権限では、このうな回答は出来かねます」
軽い笑い声を立てる彼に、ルルは心底ガッカリとしている。
「なんだ……。気になってたのに」
慰めるように、セレスが苦笑いをしながら肩を摩っていた。
「しかし、ベアトリーチェさんには、魔王と張り合えるくらいには強くなってほしいですね」
見守るような笑み。その目には、冗談も嘘も無かった。
ベアトリーチェは自分の二の腕を叩き、力強く宣言する。
「見ていろ、あっという間にどこまでも強くなってみせるぞ」
爽やかな笑みに、アルヴィスもつられて笑いを零した。
「成長と努力への自信は凄まじいですね。尊敬の念が絶えません」
素直な感想に、ベアトリーチェは照れくさそうに後頭部をかいた。
「おっ!」
刹那、ルルの声が弾けた。
「都市だ!」
その指差す先。
青空の向こう、遥か正面に――街並みが広がっていた。
石造りの外壁が陽光を鈍く反射し、その内側には幾重にも屋根が連なっている。煙突からは白い煙が立ち上り、かすかに人の営みの気配が漂っていた。
つい先ほどまでの、灰と湿りに閉ざされた景色とは対照的な光景。
皆の視線が、吸い寄せられるようにそこへ集まる。
「……やっと、人の気配ですね」
アルヴィスが、わずかに肩の力を抜いた。
ルルは一歩前に出て、目を輝かせている。
「すっごい……ちゃんと"街"だ……」
セレスも胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「無事に辿り着けて、良かった……」
その安堵は、誰のものでもあった。
「さて」
静かに、リュウドウが口を開く。
「着きましたね。『エルディアス領』です」
淡々とした声音。
だがその一言で、この旅路の一区切りが確かに示される。
「長旅の疲れを癒し、次の出立に備えるには丁度いい場所でしょう」
その言葉に、ベアトリーチェは小さく頷いた。
視線は都市へ向けたまま。
だが、その奥には――
未だ消えない"何か"が、微かに残っている。
束の間の安息。
そして――
次なる波の、静かな予兆。
そこは、転換と進展の場所。
しかし何より、"心の傷"が生まれた地であった――。




