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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽
第一章

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18/23

八話 被検体は歩み続ける


「オ゙ッ……、ゴほっ、クソォ……」

「ダメよ、じっとしてて……」

 ルルがセレスの膝元で、咳とともに鮮血を吐いていた。徐々に傷が塞がってはいるものの、やはり動ける容態ではない。

 腹部からは小腸が一掬い零れ落ちてしまっている。

「アタシも、…………寝てられるかッ……」

 遣る瀬無い気持ちで、顔を歪めた。

 血の滲む手で、地面の灰を強く握り締める。

 彼女の呻きをかき消すように、剣撃の音が崖に反響し続けていた。

 ベアトリーチェと、アルヴィスの技が、霧を照らしている。

 ――『白騎刹閃(びゃっきせっせん)(じん)』。

 白く鋭利な一撃が、空間ごと割くように看護婦へと繰り出される。間発入れず、アルヴィスの連撃が走った。

 だが、

「回復が……っ、なんて厄介な……! なにより、おぞまし過ぎる見た目だ……。メンタルがやられますよッ」

 先刻から数多の攻撃を浴びせている。

 無数の裂傷も与えたはずだった。

「……………………。」

 ベアトリーチェは静かに、看護婦の傷を観察する。

 全て、再生してしまっていた。

 白聖皇剣流『白鉄断燈』の傷跡のみ、辛うじて残っているという現状。

「あぁ……たが、防御はお粗末だ。このまま削る」

「はい……! いつでも、準備は万端です」

 肩を並べ、糸鋸の猛撃を受け流しながら言葉を紡ぐ。

 先程まで奇妙な予備動作に翻弄されていたが、慣れてしまえば特段脅威にはならない。

「魔力だけは、出力をあげよう……。再生能力に、魔力を削る、謎の能力。今の我々では、……倒せない」

「………………! そこで、作戦ということですね……」

「そうだ。……あそこに、窪地があるだろう」

 言葉と同時に、ベアトリーチェは刃を振るい、迫る刃を弾き返す。

 金属音が散る一瞬、その切っ先で示した先――

 岸壁の裾、崩れた岩肌の影に、浅く抉れた地形があった。

 かつて落石か、あるいは長年の風雨で削られたものか。

 地面は滑らかに沈み込み、周囲よりも一段低い。深さはせいぜい一メートルほど。

 人が膝を屈めれば、ちょうど視線と体を隠せる程度の、自然に出来た"受け皿"のような窪み。

 足場はやや不安定だが、岩盤が露出している分、泥濘は少ない。

 踏み込めば、体勢を崩さずに踏ん張れる――そんな地形だった。

「あれを使う。……上手くいくかは賭けだが、信じてほしい」

 次の一撃を受け流しながら、短く言い切る。

 その声音に迷いはない。

 ただの思いつきではなく、戦場で積み上げてきた判断だと、アルヴィスは理解できた。

「……分かりました!」

 信頼を声に発し、剣を強く握り締める。

「では、合図を……! アレを怯ませることくらいは出来ますッ」

「ありがとう、心強い! だが、無茶だけはよせ」

 看護婦の、剥き出しの口の断面から、カヒュぅっという呼吸音が漏れた。

 体をくねらせる度に、顔の穴から赤黒い液体が滴り落ちる。

「私が、糸鋸を持っている手にダメージを与える。それを合図に、連撃を入れてくれ……!」

 剣を正中線に構え直し、ジリと灰を踏みしめた。

 アルヴィスはその様子を一瞥し、剣を振るえるように、重心を低くする。

「了解ですッ」

 看護婦はゆらりと立ち直り、こちらの出方を伺っているように見える。しかし、その眼窩には何も無ければ、何も写ってはいなかった。

「…………………………。」

 ベアトリーチェは唇を噛み、剣を強く握った。

 右足を後ろに構え、膝下に力を込める。

 看護婦との距離は数m。

 その長さをものともしないように、

 ――……『白鉄断燈・(またたき)』!

 その足は地面を蹴った。

 灰色の岩盤に無数のヒビが走る。

 右足を大きく後ろに構え、力一杯の駆け出し。

 その速度はまさに白い閃光か、流星だ。

 そう、なるはずだった――。


 ダアァンッッ――――。


「………………ッっ?、!!!」

 瞬間、ベアトリーチェの顔が歪み、呻き声が漏れる。

「へっ……へへへっ、当たった、良いとこ当たっちまったなあ…………」

 狙撃を行う、髭ズラの匪賊が卑下た笑いを漏らす。

 横にいるローブの女は、やっと上手くいった――と言わんばかりに見下ろしている。

 アルヴィス、セレス、フェンネの目は見開かれ、冷や汗か滝のように湧き出た。

 弾着したのだ。

 それも、ベアトリーチェの右脹脛側面。

 弾は脚を貫通し、地面に凹みを形作った。

 同時に、彼女の脚から赤い血が流れ出す。

 ――……しまった…………ッッ!!

 踏み込みを狙った狙撃。

 当然、体勢は崩れる。

 糸鋸が、目の前に迫った。

「ベアトリーチェ、さん……!!」

 無意識に、アルヴィスの体が動く。

 手負いにも関わらず、凄まじい力で、足が地面を蹴っていた。

「僕がッ……!」

 ベアトリーチェの前に、庇うように、立ち塞がるように割って入る。

 受けるつもりなのだ。

 その、必死の斬撃を。

 しかし、

「………………な?!」

 その体は、強引に手で押しのけられる。

 ドンっという衝撃とともに、アルヴィスの身体は横に倒れ込んだ。

 見れば、ベアトリーチェの手が、彼を跳ね飛ばしていたのだ。

 凝縮された時間の中、アルヴィスは焦燥に歪めた表情で、ベアトリーチェに目を向ける。

 彼女の口が、静かに開かれた。

「……ダメだ。傷つくのは――わた……」

 言い終える前に、糸鋸がベアトリーチェの身体を割いた。

 左肩から腰まで、巨大かつ凄惨な裂傷が形成され、鮮血が波のように溢れ出る。

 血と肉片が、舞った。

 アルヴィスが息を飲む。

 守れたはずだ。庇えたはずだ。

 なのに、何故。

 ベアトリーチェの膝が、崩れる。

 看護婦の追撃は、すぐそこまで迫っていた。

 ――………………。

 

 バチンっ……――


 糸鋸が振り下ろされる、その寸前――

 看護婦の顔に、何かが弾けた。

 パシィッ、と乾いた鋭い音。

 次の瞬間、その頬に細い裂傷が走り、一筋の血が伝う。

 足元へ、転がるもの。

 石だ。

 手のひらほどの、小さな石。

 看護婦はぴたりと動きを止めると、ゆっくりと首を巡らせた。

 それが飛来した方向へ、視線を向ける。

「ッひィぃッ……!」

 そこにいたのは――

 スリングショットを構えたフェンネだった。

 顔は真っ白に引き攣り、呼吸も乱れている。

 それでも両手は必死に武器を握り締め、震えながらも標的を捉えていた。

 護身用のそれで、咄嗟に拾った石を放ったのだ。

「あ゙ぁッ……ナイス、フェンネッ!!」

 直後、吐血で濁った叫びが霧の中に響く。

「……ぅがあぁァァッ」

 ブオンッ――

 空気を裂く、重く鈍い風切り音。

 次の瞬間、看護婦の身体へと戦斧が叩き込まれた。

 ルルだ。

 全身から血を流しながらも、渾身の力で投擲した一撃。

 戦斧はそのまま腹部へ深々と突き刺さり――

 鈍い手応えとともに、赤黒い液体を噴き上げさせた。


 ゴブゅゥぅッ………………


 看護婦の体が、完全に怯む。

 その隙を、ベアトリーチェは逃さない。

 致命傷を負いながらも、その眼光は鋭く光る。

「カマせェ…………」

 ルルの口角が、悪戯に上がった。

「………………。」

 高速で振り上げられた剣は、白い閃光と共に看護婦の右腕を切り飛ばした。

 腕と、糸鋸が宙を舞う。

 遂に、武器を落とさせた。

「セレスさんッ!! アルヴィスの回復に注力をっ!」

 掠れた叫び声が、響き渡る。

 ベアトリーチェはそう言葉を残し、駆け出した。

 セレスとアルヴィスが戸惑うも、構わず血を撒き散らしながら看護婦に向かって突進をかます。

 ドンッッ、そんな衝撃音が鳴り、看護婦の身体は歪んだ。

 しかし、飛ばされた訳ではない。

 なんとベアトリーチェは看護婦を掴んだまま走り出していたのだ。

「一緒に来て貰うぞッ! バケモノがあ゙ッッ!」

 

 ズブッ――


 看護婦の腕が、ベアトリーチェの身体を刺し、風穴を開ける。

 たが、彼女は止まらない。

「おイッ! さっさと騎士を狙え!」

 ローブの女は、匪賊を急かすように怒鳴りつけた。

「ふざけんなッ!! あんなスピードのやつ狙えるか……! 大体なぁ――あん?」

 途端に、匪賊の声は途切れる。

「…………?、???」

 冷や汗が流れ、辺りを挙動不審に見回していた。

「な、なぁ、なんか……、苦し、息苦しくね?」

「はぁ?」

 息が荒くなり、顔には恐怖心が広がりつつある。

 そんな匪賊を、ローブの女は訝しんだ。

 得体の知れない、"何らかの圧"。

 空気が――軋んだ。

「…………………………。」

 崖下、リュウドウの目が鋭く光った。

 霧の中、影が落ちたその顔には、虚空のような瞳だけが覗いている。

 白い手が、何かに向かって掲げられていた。

 言うまでもなく、その手は崖上――匪賊へと向けられている。

 リュウドウ――否、"王"の唇に不敵な笑みが、小さく浮かんだ。

 

「……そろそろ、厭わしいな」


 その声色は、低く威圧感が多分に含まれている。

 彼の指が、何かを包み込むように少しずつ曲げられていく。

 同時に、空気が、霧が、光が――小さく歪んだ。

「だから……、なにかへ――うずゅっ……――」


 ズガァァンッッ――

 

 そんな轟音と、か細い断末魔とともに、匪賊――狙撃兵のいた崖上の頂上が、その岩肌と岩盤諸共、円柱状に押し潰された。

 文字通り、物理的に、上から見えない何かが直接強引に押し潰したかのように、潰されたのだ。

 塵が舞ったのは一瞬。

 鮮血すら見えない。

 岸壁は、円柱状に抉り取られたかのような跡が仕上がっていたのだった。

「えっ…………?!?」

 セレスが、目を見開いてそちらの方向を見る。

「っ……」

 しかし、リュウドウの「問題ない」と言いたげな視線を見るや、慌ててアルヴィスの治療に向き直った。

「……………………。」

 一見すれば大技。

 だが等のリュウドウはその右手を下ろしただけだった。

 何事も無かったかのように、小さく鼻から息を吐く。

「……ベアトリーチェさん。あなたの考えは、当たりです。…………そのまま、」

 か細く、独り言ちる。

 傷だらけの、彼女を向いたまま。


 ベアトリーチェの唸り声が響くと同時に、看護婦の身体は投擲された。脚を掴み、片手で大きく投げ飛ばしたのだ。

 看護婦は丁度窪地の中央に着地する。

 ベアトリーチェは直ぐさま追撃を行うのかと誰もが思っていた。

「…………。」

 しかし、彼女は窪地の縁に立って、看護婦を観察していた。様子を伺うように、慎重に見下ろしているが、その足はいつでも駆け出せるように踏み込まれている。


 カッ……、フッ………………


 看護婦は体を起こし、ベアトリーチェ目掛けて這い上がろうとするが――


 カッ………………カッ…………


 様子が変であった。

 水からの首元を抑え、藻掻いている。

 先程から耳障りな呼吸音も、今や岩を小突くような音しか鳴っていない。

 遂には、その身体は蹲る。

「アルヴィス! 大丈夫か!」

 ベアトリーチェはその様子を見届けた直後、セレスから治療を受けているアルヴィスに駆け寄った。

「もう動けます!!」

 アルヴィスは反射的に立ち上がり、剣を手に取る。

「アレは、……一体なにが起きたんですか」

 蹲り、雑音を鳴らすのみの看護婦を訝しむように、眉を引き攣らせた。

 ベアトリーチェは説明を始めようと、彼に向き直るが、

「なっ……、ベアトリーチェさん!」

 アルヴィスの顔から血の気が引く。

 看護婦が身を捩りながらも、窪地から抜け出ようとしていた。

「問題無い、想定内だ!」

 ベアトリーチェはそう叫ぶと、途端に近くの大木にしがみついた。

 突拍子の無い行動に見えるが、彼女の次の行動は目を見張るものだった。

「ウぅぅううガアぁぁあ゙ァァッ」

 ベアトリーチェは歯を食いしばり、幹に回した両腕に力を込めた。

 足裏が沈み込み、地面が軋む。

 筋肉が軋みを上げるほどに膨張し、全身へと力が集約されていく。

 低く唸るような声とともに、背筋がしなり、腕が引き絞られる。

「えっ……、えっ?」

 誰もが目を点にしてその光景を呆然と眺めていた。

 その行動へではない。

 その、起きている事態へだ。

「フンッッ!」

 腕に血管が隆起し、顔には青筋と汗が浮かび上がる。

 次の瞬間、土が爆ぜた。根が引きちぎられる鈍い音とともに、大木が――わずかに、浮いた。

 そして、

「えぇっ??!」

 遂には、ベアトリーチェの何倍はあろうかと言う太さの幹を、その大木を、抜き取ってしまった。

「うっ……、グッ……」

 声を漏らしながらも、その大木を背負い込む。

 大きく生い茂った枝葉が、カラカラと金属音のような音を盛大に鳴らせた。

「フゥッ……。この地帯の、木々は硬いんだろっ……。ならばッ、これでトドメだ……!!」

 そう言葉を残し、ベアトリーチェはその大木を、

「ッッ……!!!」

 大きく投げやった。

 ゴオッ、という風切り音と共に、大木は一直線に宙を舞い、窪地へと飛んでいく。

 そして、

 看護婦の身体を下敷きに、押し潰した。


 ズドォオオオォン…………――


 凡そ木とは思えない落下音を響かせた。

 地面が揺れ、岸壁から小さな礫がパラパラと崩れ落ちる。

「…………頼むっ」

 急いで窪地を覗き込みに向かう。

「もしかして……」

 アルヴィスがそう声を落とした瞬間、見えた――。


 ごポ……ボコ、ゴポゴポ…………


 一瞬、看護婦の呼吸音かと思われたその音は、

「!!」

 大木の下からねじ曲がった片腕が覗いていた。その周囲には、赤黒い液体の池。その腕の周辺で、その液だまりが泡立っている音だった。

 腕は小刻みに痙攣しているものの、大きく動くことはない。

「流石に、この窪地で再生能力は使えないだろう……」

 そう言い残し、ベアトリーチェは大きくため息をつきながら腰を落とした。

「てことは……」

 アルヴィスが、恐る恐る彼女に向けて言葉を投げかける。

 小さく、笑いを零した。

「ああ……。我々の勝ちだ」

 張り詰めた空気が解けた。

 アルヴィスの肩から力が抜ける。

 しかし、

「……ベアトリーチェさん!!!」

 その叫び声は、彼女の耳にはくぐもって聞こえていた。

 笑いを残しながら、血まみれのベアトリーチェは力なく倒れたのだった。


 二


「凄い……! なんて生命力……」

 セレスの感嘆する声が、ベアトリーチェの頭上に降り注ぐ。

 彼女は今や、皆に囲まれながら治療を受けていた。

「治るんだよね……?」

 ルルの心配げな声が響く。

 全員が固唾を飲んで見守る中、

「!」

 ベアトリーチェはハッとしたように、高速で上体を起こした。

「ぬワッ」

 その勢いに、ルルが思わず驚嘆の声を上げる。

「ん……?!」

 起き上がったベアトリーチェは、慌てた様子で自身の体を確認している。

「良かった……」

 セレスが安堵のため息を深くついた。

「大丈夫、回復魔法を全力で回したから。もう傷は治っているわ」

「すご……、本当に完治しているな」

 大きな裂傷が複数、そして突き破られた腹部。

 戦いの代償はかなり大きかったはずだが、今や全て跡形もなかった。

「ありがとう……、セレスさん。貴女が居なければ、私はとっくに死んでいた」

「気にしないで。リュウドウ君が魔力供給をしてくれなかったら、私こそ力尽きてた……」

 苦笑いを浮かべ、後ろに立つリュウドウを見やる。

 ベアトリーチェもつられて、彼の顔を覗いた。

「……………………。」

 リュウドウは静かに、小さな笑みを称える。

 しかし、彼女の目には忸怩たる思いの色が浮かんでいた。

「…………また、君に助けられたな。昂然としておいて、私は……」

 肩を落とすベアトリーチェに、アルヴィスがそっと背中に手を添える。

「……貴女が居なければ、僕は既にみじん切りでしたよ」

 苦笑をし、励ましの言葉を投げかけた。

 リュウドウはその様子を見て、静かに相好を崩す。

「……問題ありません。アレは、少しイレギュラーでした。詳しい説明は無理ですが、介入せざるを得ない……」

 遠い目で、窪地に横たわる大木を眺める。

 同時に、一同の顔には懐疑の色が波紋のように広がった。

 あの怪物は何なのか、なぜ匪賊らの縄張りにいたのか。

 そして、高価なはずの狙撃銃。

「……………………不可解な出来事だったが、今はよそう。とにかく、皆ありがとう。お陰で死なずにすんだ」

 重い雰囲気を晴らすように、ベアトリーチェが破顔する。

 つられて、場には笑顔が灯った。

「ナイスガッツだったね。アタシも鍛えなきゃ」

 ルルが無邪気に口元を緩めた。立ち上がったベアトリーチェの背中を、軽く叩く。

「ルルこそ。ナイス投擲だ。フェンネとの良い連携だったな」

 ベアトリーチェはルルの頭に手を起きながら、賞賛の言葉をかける。

 未だ冷や汗を流しているフェンネは、照れくさそうに笑みを零した。

「けど、凄いわね……。あの作戦を咄嗟に思いつくなんて」

 セレスの感嘆する声音が地面に落ちる。

 アルヴィスも続けて、

「思いました。なぜ……、窪地を使おうと考えたんですか? しかも化け物が動きを止めていた」

 そう驚きの表情を薄く浮かべる。

 彼の言通り、あの看護婦は窪地に入った瞬間から、動きが鈍り、ついには蹲っていたのだ。

 ベアトリーチェは小さくかぶりを振った。

「リュウドウのお陰というべきか……、灰峠の解説を思い出したんだ」

「ほう?」

 突然の名指しに、リュウドウは興味深そうに聞き耳を立てる。

「解説……」

 一同は、リュウドウが話していた説明を反芻した。

「なんだったか……、"モフェット"と言っていたな。二酸化炭素が溜まる、という現象だ」

「あ!」

 皆の脳裏に、彼の説明文が呼び起こされる。


 ――"モフェット現象"という物があります。言わば、二酸化炭素の溜池ですかね。

 二酸化炭素は空気より重いため、風のない峠の窪地に無色無臭のまま溜まります。――


 危険地帯の、命を奪う、自然の『見えない処刑場』。

「あの化け物、あんな見た目で呼吸音だけは大層な音を立てていた。呼吸が必要なら、断てばいい。そして、何か大きなもので圧殺。単純な作戦で、半ば賭けだったが……何とかなってホントによかった」

 胸を撫で下ろしながら、ため息をつく。

 長年の軍人経験からか、機転の効いた作戦。

 アルヴィスは羨望にも似た眼差しを向け、言葉をもらした。

「大木を引っこ抜いたのは、流石に度肝を抜かされましたがね……」

 クスクスと笑みを零す。

 ルルも目を細めて、

「アタシも、あんな芸当は出来る気しない」

 と呟く。

 ベアトリーチェが頬を赤らめ、戸惑いの色を顕にした。

 続けて、リュウドウが

「結果的に、大木とは良い選択となりましたがね」

 と微笑みを称える。

 一同は怪訝な顔で彼に向き直った。

「硬いからいけるかな、という安直な考えだったんだが……。」

「岩石の密度は凡そ、2,7g/㎤ です。しかし、ここらの木々は説明したとおり、重金属やシリカを吸い上げ、細胞組織に充填しています。故に、あれほどの大木となると長年の吸収から密度は、大きく見積もっても2,8g/㎤ 程度と考えられるでしょう。

 鉄のように硬いどころか、巨岩より重い大木となっています。ですので、貴女の選択は大正解ですね」

 と言って、親指を立てた。

「えっ……、そんなのを引っこ抜いたってこと?」

 ルルの、押し殺された声が落ちる。

 その横で、フェンネが一歩引いた視線を送っていた。

「やばぁ……」

「通りで……、重かったわけだ。腰を痛めるかと思った」

 等のベアトリーチェは腰を摩るのみ。

「ねぇ、エルフってこんな馬鹿力の種族だっけ……」

 純正エルフ族のセレスに耳打ちをするルル。

 しかし、彼女は頬を引き攣らせて、

「も、もちろん違うわよ……」

 と苦笑いを浮かべた。

「ともあれ、魔力の身体強化術が無いと出来なかったな。……よっこいせ」

 ベアトリーチェは呑気と形容できる声音で、ゆっくりと腰を上げた。

「歩けますか?」

 アルヴィスが優しい声色で、ベアトリーチェに向き直る。

 彼女は静かに頷いた。

「ああ。さっさと峠を降りてしまおうか。こんな不気味な場所、もう腹いっぱいだ……」

 背伸びをしながら、苦笑を称える。

 それに呼応され、一行は軽口と笑みを残しながら、早々にその場を歩き去った。

 灰色の砂利と落ち葉が舞い、濃い霧が塒を巻いている。生暖かく湿り気のある微風が、崖の合間を通り抜けて行った。

 おぞましい怪物が死してなお、その峠は不気味な雰囲気を抱えている。


 *


「ハァッ……、うッ、クソったれが…………」

 濃霧の滲む森の中を、ローブの女が足を引きずるように進んでいた。

 枝葉は重く湿り、足元の土はぬかるみ、踏み出すたびに鈍く音を立てる。

 左腕は――肘から先が、綺麗に消えている。

 まるで裁ち落とされたかのような断面からは、未だに赤い血が滴り、地面へと点々と痕を残していた。

 応急的に巻かれた布はすでに濡れきり、止血の役割を果たしているとは言い難い。

「あの男……」

 息を荒げ、痛みに喉を震わせながらも、その声には理性が残っていた。

 ただの狼狽ではない。状況を咀嚼しようとする、冷えた思考。

「なんだ、さっきのは……。スキルか……?」

 吐き捨てるように呟く。

 脳裏に焼き付いているのは、あの一瞬――理解の及ばぬ謎の一撃。

 奥歯を強く噛み締め、口角が引き攣る。

「ハァっ……、聖七天より……あいつを……先に――」

 憎悪と焦燥が混ざり合い、言葉が途切れる。

 ローブの奥で、歪んだ表情のまま冷や汗が伝った。

 足取りがわずかに乱れる。

 だが、それでも止まらない。

「…………報告、を――」

 途切れかけた意識を無理やり繋ぎ止めるように、低く呟いた。


 *


「そのランタン、術式が組み込まれているのか……」

 ベアトリーチェ一行は、軽口を交わしながら、峠を下山していた。

 霧はより濃く、深くなりつつある。

 しかし、彼らが歩む道ははっきりと照らされており、尽く視界不良の懸念は払拭されていた。

「はい、今つけてるのが、フォグランプってやつです」

 フェンネの手にしているランタン。

 それは今、黄色の光を煌々と発していた。

 その光こそが、まるで霧をかき消すかのように道を照らしている。

「祖父の形見でして……。魔物や野生動物の接近抑制と、今使ってるフォグランプ。あとは焚き火替わりとしての機能が組み込まれてます。……ちなみに焚き火替わりはあんま宛にならないです……。」

 言いながら、フェンネはランタンの取っ手をクルクルと回した。

 カチリという小さな音とともに、明かりが黄色から青色、橙色へと変化する。

「すげーっ!」

 ルルが声を上げ、ランタンに顔を近づけた。

 ほの温かい温度と、橙色の落ち着いた色が彼女の顔を照らす。

「術式って凄いわねぇ……」

 とセレスが呟きながら、取っ手を回してフォグランプモードに切り替えた。

「うぎゃーッ」

 途端に、ランタンは強烈な黄色に替わり、目をつく広範囲の光が灯った。

 顔を近づけていたルルの目に、光が突き刺さる。

「わわわ、ごめェんっ!」

 狼狽しながら、セレスはルルを抱きしめ、顔を摩った。

「これこそ魔導工学というやつか……。便利な物だなぁ」

 ベアトリーチェは顎を摩りながら、ランタンを眺める。

 そして、横にいるリュウドウを肘で小さく小突いた。

「術式って、なんだ……?」

 その小声に、リュウドウは肩を竦める。

 しかし、特に苦言もなく滑らかに解説を始めた。

「……定義としては、魔導場の境界条件と演算過程を固定化した構造体です。魔法と違い、術者不要、再現性あり、そして安定解を維持します。まさに魔導工学の金字塔とも。

 L(A⃗, μ) = 0

 この解を維持し続ける装置がまさに術式。魔法が勝手に続く仕組みです。解を崩さない限り、誰が触っても同じ結果が出るという、シンプルかつ美しい発明ですね。

 A⃗_total = Σ A⃗ᵢ

 そして効果を足しても崩れない設計。故に、術者不要または補助のみで成り立つ。

 補足として、μは空間抵抗係数、Lは魔導演算子と定義します」

「ヌぉォん……。アルヴィス、要約してくれ」

「えっ?!」

 何とも覇気の無い顔を貼り付けるベアトリーチェは、隣のアルヴィスに無茶振りをした。

 等の彼は言葉を詰まらせ、焦燥の眼差しを泳がせている。

「えーと、使用者のフェンネさん……」

「えぇッ? 分かるわけないでしょお……」

 突然の名指しに、またもや眉を八の字に、何とも情けない顔を称えた。

「陛下――じゃない……。リュウドウ様、絶対揶揄ってますよぉ」

「失敬。ベアトリーチェさんの反応が面白いゆえ」

「味をしめやがったな」

 クスクスと、口を隠しながら微笑むリュウドウ。

 後ろでセレスにくっ付いているルルが、

「確かに、ベアさんちょっと面白い顔してた」

 と呟いた。

「ベアさん??」

 戸惑い続けるベアトリーチェを無視するように、リュウドウは1つ咳払いをする。

「簡単に言いますか。

 術式とは、からくり人形のような感じですかね。ネジを回せば歩き出す。ネジを回す行為は誰でも出来る、螺を回せる握力のみ。

 魔法が『魔導師の手料理』ならば、術式は『乾燥粉末スープ』です」

「教えるのウマ」

 ルルが後ろから声を上げる。

「結構簡単な物なんだな。要は作り置きの魔法か」

 ベアトリーチェの呟きに、リュウドウが「まさしく」と同意した。

「このランタンで説明するなら、空間中の魔力と取っ手のスイッチによって術式が発動するのでしょう。

 青色は例えるなら蚊取り線香。

 A⃗_out = −∇Φ_repulsion

 翻訳するなら、『嫌な感じの波を出す』というもの。魔力のノイズを出しています。

 このフォグランプも、魔力に乗せて水滴による乱反射を回避している。そして、黄色は透過性が高いという特徴もある」

 言いながら、右手を前方に翳す。

「魔導師が使う、魔導灯にこの理論を適応させれば……」

 すると、リュウドウの手のひらに黄色く丸い明かりが浮かび上がった。

「このように再現出来るというわけです。こちらは術式ではなく魔法ですが」

 その明かりはより眩しく、前方を明瞭に照らしていた。

 周りから感嘆の声がもれる中、フェンネはまたもや情けない顔を貼り付けている。

「あぁぁ……、私の存在意義がぁ……」

 その声に情けをかけるように、リュウドウは微笑みながら手の灯りを消した。

「なるほどなぁ」

 ベアトリーチェがため息を零す。

「使用者の魔力は要らないのか?」

「術式の組み方によって変わりますね。このランタンは必要ないかと」

 ――……奥が深過ぎるな。面白い……。

 リュウドウの解説に、ベアトリーチェ含む一同が目を見張っていた。

 魔法を扱うセレスも、その知識量に面食らっている。

「ランタンの術式を再現まで……。本当に詳しいわねぇ……。博士と話してるみたい」

「ありがとうございます。理論魔導学だけでなく、実践魔導学、構造魔導工学も抜かりなく会得しています。勉学面での弟子も歓迎しましょう」

 学び舎の校長を連想させる、鷹揚な笑みを浮かべて、両手を広げた。

「勉強キライ」

「ワタシモ」

 ルルとベアトリーチェが、仲良くといったふうに、全く同じ表情を示す。

 霧の流れが、彼らの頬を撫でた。

 ベアトリーチェはリュウドウを尻目で眺めながら、腕を組んだ。

 ――魔導、魔力か…………。


 *


「セレスさん。魔力量についてききたいんだが」

 十数分程、霧の中を歩んでいた一行。

 霧の濃さは変わらず、フェンネとリュウドウを先頭に、道をフォグランプで照らしながら慎重に下山を続けていた。

「あのとき魔力供給と言っていたな。魔力って枯渇するものなのか?」

 戦闘後の会話を反芻しながら、ベアトリーチェは横のセレスに約やかな問いを投げかけた。

 セレスは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を泳がせ、それから小さく頷いた。

「ええそうね。……無くなる、というよりは……使いすぎると、動かせなくなる、という感じかしら」

「動かせなくなる?」

「そう。祈りでも魔法でも、続けていると急に"通らなくなる"の。まるで、体の中の何かが固まってしまったみたいに」

 ベアトリーチェは眉をひそめる。

「量が減る、というわけではないのか」

「……どうかしら。正確なことは分からないわ。ただ——」

 セレスは自分の掌を見つめ、ゆっくりと握りしめた。

「同じ術でも、疲れているときは全然効かないし、逆に調子がいいと、驚くほど軽く通ることもある。だから……"残っているかどうか"というより、"使える状態かどうか"が近いのかも……」

「ふむ……。持久力や体調に近しいものを感じるな」

「ごめんなさい。理屈は、あまり……」

 申し訳なさそうに笑うセレス。

 だがその言葉には、実際に魔法を扱ってきた者特有の実感が滲んでいた。

 ベアトリーチェはしばし考え込み、やがて小さく息を吐く。

「……つまり、枯渇するのではなく、一定容量から実用的でなくなると……」

「ええ、そんな感じかしらね」

「やはり、熟練者になってくると魔力量も多いのか?」

 ベアトリーチェの次なる問いに、セレスはすぐに頷いた。

「ええ……多い、と思うわ」

 だが、その返答のあとに、少しだけ言い淀む。

「ただ、その……単純に"量が増える"というよりは、少し違う気がする」

「違う?」

「ええ。感覚の話になるけど……同じ魔法でも、上手い人ほど"重さ"が違う」

「重さ、だと?」

「ええ。こう……ぎゅっと詰まっている感じというか……無駄がなくて、濁りがないというか……」

 自分でも上手く言葉にできていないのか、セレスは困ったように笑う。

「たくさん持っている、というよりは、上手く収まっている感じね。広がっていないというか……ちゃんと中に納まっていて、それが必要な分だけ、すっと出てくるような」

「……なるほど」

 ベアトリーチェは腕を組み、わずかに視線を落とした。

「では、単に量が多いだけでは意味がないのか」

「ええ。たぶん……だけど」

 セレスはゆっくりと言葉を選ぶ。

「量が多くても、上手く扱えなければ外に散ってしまうし……逆に、扱いが上手い人は、同じ量でもずっと効率よく使える印象ね」

「効率、ね」

「ええ、そうよ。それに……たくさん持てる人ほど、そもそも体の"器"がしっかりしている気がするの。無理に詰め込んでいる感じが、しない」

 そこまで言ってから、ふとセレスは遠くを見るように目を細めた。

「……やっぱり、魔力量といえば八大魔王ね……」

 その声音には、はっきりとした畏怖が滲んでいた。

「近くにいるだけで、空気が変わるそうよ。息苦しいというか……押し潰されるような感覚。それこそ、気配だけで圧殺されるような……」

 小さく肩をすくめる。

「見えないのに、"そこにある"って分かってしまうの。あれはもう……量とか、そういう話じゃなくて……」

 言葉を探すように一瞬だけ黙り込み、

「……存在そのものが、違うんだと思うわ」

 と、静かに結んだ。

「魔王、……か」

 口を引き攣らせるセレスに、ベアトリーチェは静かにリュウドウへと視線を送った。

 存在そのものが違う、そう言わしめる人物は今や行商人と肩を並べて歩いている。

「ここの地面硬い……。リュウドウ様、ランタン付けておくので、おぶってくださいぃ」

「ライトオンのまま、私にライドオンってことですか」

「もういいや……」

「…………………………。」

 魔力の感覚が養われた今、彼女の目には、肌には彼が放つ魔力が感じ取られている。

 ――にしては、……やけに気配が無いな。

 存在感、そして魔力の密度は過分に感じられる。しかし、体外に漏れる魔力など一切感じなかった。

 苦笑をもらしたセレスが、ベアトリーチェの方を向き直る。

「こういう詳しい話は、それこそリュウドウ君に任せるのがいいかもね」

 その声に、リュウドウがゆっくりと振り返った。

「お任せを」

「……一旦、理論を小出ししてみてくれ」

 冷や汗をかきながら、恐る恐る声をかけるベアトリーチェ。

「魔力量とは、生体内で安定保持される魔力ポテンシャルの総和であると定義されます。

 M = ∫_V ρ(x) dV

 ρ(x)が局所魔力密度。Vが魔導回路を含む有効体積です。

 セレスさんの言通り、オーラというのは魔力が溢れているのではなく、境界近傍での減衰尾、エバネッセント場です。

 ρ(r) = ρ₀ e^{-r/λ}

 M が大きいほど ρ₀ が大きく、結果として体感できるというわけですね」

「やっぱ分かんね」

 さっそく思考放棄をするベアトリーチェであったが、隣のアルヴィスも同様に目を細めていた。

「セレスさんの台詞を小難しく言っただけですよ。本懐はかなりシンプルだ」

「さて、始まりました。『教えて! リュウドウ教授』の講義です」

 ルルの"大向う"のような声掛けに、リュウドウは笑みを称えて、

「受講料はセントラリア金貨2枚です」

「たっか」

 アルヴィスの唸り声が霧に吸われる。

「回答形式で説明しますね。

 魔力量とは簡単に言えば、体の中に貯められる魔法エネルギーの総量。水が入ったバケツを想像してください。バケツの大きさが容量、中の水が魔力量です。

 オーラも、仰るとおり溢れているのではなく、湯気のようなもの。バケツの熱湯が暑いほど、より濃く立ち上る。

 ちなみに、魔力量とは才能のみで決まるものではありません。天才でも努力をしないと頭打ちです。しかし誰でも高みへ到達できるわけではない。バケツの強度が弱いと、莫大な水量を包みきれず、壊れる。

 最後に、セレスさんの言葉どおり、達人ほど魔力の隠匿が可能です。"詰まり具合"と"操作精度"。いかに湯気をしまいこめるかが重要でしょう」

 一拍、呼吸を挟むように彼は言葉を切って、

「聖七天大英雄らにも、熟練者の魔導師がおられます。彼らは魔力量というより、隠匿そして操作精度が高い」

「アウレリアは例外とする……」

 話を聞いていたベアトリーチェは、頬を赤らめ引き攣った声をもらした。

「総魔力量は、やはり魔王でしょうね。様々な要素で超越的だ」

 その台詞に、ルルが目を輝かせる。

「一番魔力量が多いのって誰?」

 その問に、リュウドウは微笑みを浮かべ、淡々と答えた。

「第二魔王陛下ですね。魔力出力と精度は第四魔王陛下がトップかと」

「やっぱあの二人凄いなー」

 腕を組んで、ルルは感嘆する。その笑みは物語に夢馳せる若人そのものだ。

「えっ…………」

 しかし、ベアトリーチェのみが、懐疑心を抱いていた。

 ――……リュウドウ……、史上最凶の君がそれを認めるのか……?

 思わず、口を開く。

「な、なぁ。史上最凶の魔王とやらは、どうなんだ……?」

 その問に、リュウドウは薄く微笑みを零すのみだった。

 事情を知っているフェンネは、冷や汗を一筋浮かべる。

「アタシ知ってるよ。第八魔王でしょ。名前なんだっけ」

「…………ヴァルゼルト」

 セレスの思い声音が、響く。

「ヴァルゼルト・フォン・ギルデマールだったはずよ」

「なんというか、語感がもう恐ろしいですね……」

 アルヴィスが苦笑を称えて独りごつ。

「いやいや、かっこいいじゃん。突如即位した謎だらけの新興魔王。そして最凶!」

「そう思えるのは逆に羨ましいかな。僕なんか、小さい頃に戦記記録を読んで青ざめた思い出があるよ……」

 あまりに無邪気なルルを見て、アルヴィスが笑みを零す。

「第八魔王……。彼の情報は全く公開されていないそうよ。魔力量も、技量も不明。でも、他の魔王との決闘に勝利しているのは事実。……なにより、森羅をその掌に宿す存在とも……」

 セレスの話に、ベアトリーチェは思わず身震いをした。リュウドウの横顔に目線を向ける。

 ――……不明で、最も強い…………と。

 その容貌は確かに底知れない。無表情を称える今でこそ、美しいという感想しか湧いてこなかった。

「ベアトリーチェさん? 大丈夫……?」

 身震いが視界に入ったのか、セレスが肩を摩ってくれる。

 しかし、ベアトリーチェは前を向き直り、笑みを称えた。

「はっは、武者震いだ。その魔王達に会うことになるかもしれんからな」

 その台詞に、ルルは意気軒昂に口角を上げた。鋭い犬歯が覗いている。

「だね! それまでに強くなったる! ……あのキモイ化け物にも勝てるようにならないと」

 血気のこもった声が、淀んでいた空気を切り裂く。

 重く沈んでいた一行の気配が、わずかに軽くなった。

「僕も、ベアトリーチェさんに置いて行かれないようにしますよ」

 アルヴィスの金髪が霧に揺れ、整った顔立ちに静かな決意が灯る。

 その横で、セレスも小さく頷き、祈るように手を組んでいた。

「…………。」

 ベアトリーチェはその様子を見渡し、ほんのわずかに頬を緩める。

 ――……やはり、仲間とは心強いな…………。

 言葉は無い。ただ、その背中は先程までよりも確かに軽やかだった。

 ――そのうち、リュウドウにも、魔王について詳しく聞きたいな……。

 その時――。

「あっ……! 皆さん!」

 フェンネの声が、張り詰めた霧の中に響いた。

 彼女は手にしていたランタンの火を、慌てて絞っている。

 淡く揺れていた橙の灯りが、ゆっくりと細り――

 代わりに、前方から差し込む光が、はっきりと輪郭を帯びた。

 灰色に閉ざされていた視界の先。

 濃霧が、裂けるように途切れている。

 その向こうから、陽光が流れ込んでいた。

 木々の色も変わっていく。

 灰に覆われた幹は次第に薄れ、やがて本来の色を取り戻した緑が現れる。

 足元の土も、湿った灰色から乾いた褐色へと移ろっていく。

 境界だった。

 灰峠の終わりを告げる、はっきりとした線。

 霧が背後に押しやられ、空気が軽くなる。

 肺に流れ込む空気は、これまでとは別物のように澄んでいた。

「……抜けた、のか」

 誰ともなく、呟きが零れる。

 その一歩を踏み出せば――

 陽の下だ。

「めっちゃ久しぶりに普通の草見た気がする」

 ルルが陽光の眩しさに目を細めながら呟いた。

 若干の薄霧は残っているものの、目の前には開けた街道と草原。見慣れた草木が広がっていた。

 一気に、緊張が崩れる。

「………………。」

 人心地つくように、ベアトリーチェはリュウドウの隣に肩を並べた。

 優しく、微笑みを返す彼の髪は陽光を艶やかに反射している。

「さて……」

 灰色ではない、茶色の土を踏みしめ、一歩を大きく突き出した。

「旅を続けよう。目的地は、まだ遠い」

※用語について。

理論魔導学:数学または理論物理学に該当

実践魔導学:実技、ちょっと頭を使う体育

構造魔導工学:工学、実験物理学に(多分)該当


作中の魔導師(既存はセレスやリル)は基本的に実践魔導学を軸に学びます。

他2つはもの好きか、学者しか学びません。例えるなら、「早く走るのに解剖学や医学すら学ぶ」ようなもの。確かに役立つとは思いますが、脳のリソースが持たないでしょう。


重ねて言いますが、作中の訳分からん式は適当に流してくれて大丈夫です。

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