七話 死者は噛みつかない
ダァンッ――
フリントロック式マスケット銃の独特な、腹に響く黒い発砲音が高らかに鳴る。
ルルは、その音が鳴った寸陰、反射的に斧を翳した。
「……ちょっ、気が散るんだよッ。やめれっ、下手くそ!!」
しかし、周囲への着弾が無いのを確認するや否や、牙をむき出して怒った。腹いせのように、目の前の匪賊を蹴り飛ばす。
「ごっ、オッ……」
先程から、並大抵の攻撃が通用しないルル相手に、苦戦を強いられていた匪賊は小石のように吹き飛んだ。
タンク相手だと油断していたのか、岩に激突し、そのまま意識を失う。
「ベアトリーチェさん!」
その後方、ベアトリーチェがメイスの攻撃を受け止めている最中、後ろからグレイモアによる猛攻が迫っていた。
「…………!」
彼女が振り返るよりも早く、アルヴィスが踏み込む。
「ぅズぁ……ッ」
金髪を揺らし、まるで黄金の閃光のようなスピードで一閃を放った。
その瞬刻の斬撃は、見事にグレイモアを構えていた大男を沈める。
「かたじけない……!」
ベアトリーチェは受け止めていたメイスをカウンターで受け流す。
――聖・朧流し。
「ぐっ……??!」
まるで空を舞う紐のように、彼女の剣はメイスを巻き取り、地面にめり込ませた。
――……『白鉄断燈』ッ!
匪賊の体勢が崩れた瞬間、逆袈裟切りにも似た斬撃が放たれた。
遅れて、まさに鉄を断頭するかのような鋭い音が響く。
しかし、
「ちッ……、あぁ、これもダメかッッ」
ベアトリーチェは強く歯噛みし、悔しさを露わにしている。
技の発動前、剣に魔力が満ちていた感覚はあった。だが、やはり技は成立しなかった。
後悔と反省を置き去りに、直ぐさま反撃が来ないうちに、別の技を繰り出す。
――天穿『川翠の召』。
剣を立てるのではなく寝かせ、後ろに引いた。
そして、バネが発散されるように、蜂の針のように放たれた強烈な刺突は――
「かっ、ァ…………」
匪賊の腹部に風穴を形作ったのだった。
銃にも負けぬ、高速かつ凄まじい力の一点発散。
剣を構え直し、ベアトリーチェは倒れた匪賊を後目にルルの援護に向かった。
しかし、悔しさは拭いきれていない。
数十秒前、マスケット銃の発砲音が鳴った瞬間、ルルが苦言を呈していたが、しっかりと弾着していたのだった。
前線の三人へではない。
バヂィンッッ――
鞭が何かを弾くような、鋭い音とともに、火花で霧が照らされた。
「ひやッぁ!!」
フェンネの叫び声と、その音に面食らうように、セレスが振り向く。
「リュウドウ君?! 大丈夫……!?」
音が鳴ったのは直ぐ後ろ、リュウドウの居るエリアである。
見れば、彼は手で何かを振り払った後のような体勢をしていた。手の平からは白い煙が揺蕩っている。
「嘘……、なんてこと……ッ。直ぐに回復を……」
「………………。」
その台詞を優しく遮るかのように、リュウドウは表情変えず、反対の手を小さく上げていた。制止、または「構うな」の意味が直ぐに伝わった。
「良かった……、びっくりしたわ……。ベアトリーチェさんも含め、ほんとに強いのね……」
「恐縮です」
バフ魔法の常時展開により、錫杖を輝かせながら、セレスは冷や汗を拭った。
「怪我したなら、遠慮なく言ってね……。貴方ほどの綺麗な方に、傷跡は似合わないもの……」
心底、憂いの色を滲ませ、胸を撫で下ろす。
リュウドウはそれに対し、軽く一礼を返した。
「……………………。」
そして、岩壁の頂上、霧と草木に隠れており、本来は見えない――しかし、彼は狙撃手の姿をしかと見据えた。
――やはり狙ってきたか。魔力を小出しして正解か。単純な輩だな。
目を細め、獲物を残虐に弄ぶような笑みを浮かべる。
「ひっ…………」
スコープ越しに、彼は自らの眉間をトントンと小さく叩いていた。
狙撃兵の髭面は、思わず情けない声が漏れた。
「な、なななんだ、なんなんだアイツッ……。くそ、ガキがっ」
そう呟きながら、弾丸の装填に移る。
紙薬莢を口で破り、少量の火薬を火皿へ。
口に広がる、慣れない火薬の味を我慢しながら、弾を込め、槊杖を手に取るが、
「ハァっはぁッ、くそ……」
動揺しきった手は震えており、ただでさえ触ったばかりの銃の装填は尚更覚束無い。
「貴様、誘いに乗るな。装填だけは丁寧にしろ、暴発させる気か」
苛立ちを隠そうともしない、ローブの女の声が頭上から降り注ぐ。
「間抜けが。あのスーツが出ないように妨害し、隙あらば前衛らを攻撃する。何度言えば分かる」
「うるせぇ! 分かってんだよッ……」
冷や汗を滝のように流しながら、髭面は怒鳴った。
「分かってんだけどよぉ……。あいつに、あのガキに見られると、生きた心地がしねんだよ……ッッッ」
息を荒らげ、涙すら浮かべる。
「なんで、何でだァ……ッ。こんな離れてんのにっ、……あ、アイツ……怖すぎるッ」
「……………………。」
ローブの女は、その言葉に目を伏せ、リュウドウに視線を向けた。
――……一分未満、か。
一方、リュウドウは冷静に弾が飛んでくるタイミングを数えていたのだった。
――装填が長すぎる。推量するに、ど素人に銃を持たせただけか。やはり……。
顔を伏せ、口に手を当てる。
前衛を眺め、目を細めた。
倒れるメイス使いの屈強な男。クレイモアを振るう、大男。シャムシールを使いこなす、バンダナを巻いた男。
少数精鋭、なのか。
灰峠、匪賊らの巣窟、そのど真ん中。しかし、人数が少なすぎる。そしてなにより、昨日出くわした賊より、確実に高い練度と、真新しい武器。
剰、高価であるはずの、マスケット銃。
――……裏、か。まさかここまで指がかかっているとは。
バチィィン――
またもや、銃声が響く。
しかし、依然としてその弾丸はリュウドウの掌で砕けていた。同じように、虚しく白煙が漂う。
左手は口に当てたまま、姿勢は直立。右手のみが開かれ、パラパラと鉄片がこぼれ落ちた。
「………………ハッ」
顔を上げ、乾いた嘲笑を短く残す。
「……今暫し、野に放っておいてやろう」
小さく、低く呟いた。
その顔には、怪しげで、妖しげな、含みのある笑みだけが張り付いている。
「よくよく考えれば、変だな……」
匪賊も半数が地面に伏した頃、ベアトリーチェは戦況を見定めつつ、呟きを残した。
「僕も、同じ考えかもしれません」
シュンッ、と高速で切り伏せ、アルヴィスは刻を挟まず彼女の横に立った。
息は上がっておらず、声も冷静そのものだ。
「盗賊が、銃を所持しているのは可怪しい」
「そうだ。しかも長距離のだぞ……」
「ウラァッッ!!!」
前方にて、ルルの雄叫びが短く響いた。
目をやれば、シャムシールの男と対峙している最中だった。
相性が悪いのか、シャムシール使い独特のフットワークとヒットアンドアウェイの足使いに、なかなか決定打を与えられずにいる。
「残りはアイツのみか……。ルル! 援護するぞ!」
アルヴィスが声を上げ、ベアトリーチェもそれに呼応するように剣を構えた。
「大丈夫! もう少しだから!」
しかしルルは、目線を逸らさず拒否をする。
そして直ぐさま、
「付与魔法・重層『防御』…………。」
防御のバフを重ねがけし、戦斧を大きく振りかぶった。
小柄な体躯の倍はあろうかと言う戦斧とともに、跳躍する。
「馬鹿かっ……」
シャムシールのバンダナを巻いた匪賊は、小さく呟く。
「潰れろォッ!」
その瞬間、
ダァンッ――
銃声が鳴った。
刃物のような音ではない。
マスケット銃特有の柔らかく、だが遠くまで突き抜ける音だ。
「??!!」
ベアトリーチェがいち早く反応し、駆け出すが、間に合うはずもない。
「ぅぐっ?!」
弾丸はリュウドウではなく、ルルを狙って飛んだのだ。
ドスっという音と共に、ルルの横腹に直撃する。
跳躍中ゆえ、空中で体勢を崩した。バンダナの男は、その隙を付いた。
「ハッ!」
卑下た笑いと、シャムシールの繊細で素早い斬撃がルルを襲う。
「ルル!!」
アルヴィスが走り出した。しかし、斬撃は直撃。
「あ゙ぁッ??!」
驚愕。匪賊の顔から冷や汗が吹き出た。
刃は確実に胴体にくい込んだはずだ。しかし、鈍い音が鳴り、彼女の肉体はその刃を受け止めていたのだった。
無傷。
弾丸の傷すらない。
「なんのための、バフだと思ってたんだぁ?! おっさん!!」
高らかに笑い、ルルはそのまま戦斧を横一閃に振るった。
機敏な動きは、まるで身体ごと旋回するように見えた。
――転空円撃ッッ。
「ぐ、あぁぁ……っ」
匪賊の胴体から、鮮血が吹き出る。
程なくして、力なく地面に倒れ込んだ。
「ルル! 怪我は?!」
アルヴィスが駆け寄って、彼女の胴体を確認する。
「無いよ。タンクだから」
「タンクの動きではないが…………」
ゆっくりと歩み寄るベアトリーチェは、戸惑いを隠しきれていない。
ベアトリーチェの騎士としての経験上、タンクとは元来重装備に大盾、そして反撃用の武器が基本であったはずだ。立ち回りは、敵の注意を引き、その装甲で受け止める。そして、敵の横腹を高機動の前衛で狩るのが常。
――バフの重ねがけによる、"ゴリ押し"からの、重撃とは……。私より脳筋では……。
「3人とも! 回復しましょうかぁ!!」
後方より、フェンネにしがみつかれているセレスが声を上げていた。
しかし、前衛を務めた三銃士はなんと無傷である。
アルヴィスな爽やかな笑顔を称え、手を振った。
その様子をみたセレスは、安堵の表情を浮かべ、両手で親指を立てた。十八番のガッツポーズなのだろうか。
「さすが、ゴリ押しのタンクと、バフと後方火力の魔導師、そして……閃光の騎士だな」
軽く笑みを浮かべ、ベアトリーチェはアルヴィスの肩を優しく叩いた。
「閃光だなんて……、やめて下さいよ」
照れくさく頬を赤らめるアルヴィスは、満更でも無さそうな笑みを溢す。
「一番硬いやつが、暴れたほうが効率が良いからねっ。任せてよ!」
対するルルは、満面の笑みを称え、満足気である。
「…………聡明だな」
ベアトリーチェは優しく微笑みを返すも、胸中では戸惑いを宿していた。
――やはり脳筋か……。
背後から、フェンネの呻き声が聞こえる。
アルヴィスは鎧についた灰を払い除け、
「手古摺りましたが……」
と続ける。
「これで終わりとは信じ難い。しかし何はともあれ、人数が少なかったのと、セレスさんの全力のバフが功労しました。無事、峠を越えられそうです」
「ああそうだな……、残るは」
ベアトリーチェはそう言って、崖を見上げた。
狙撃兵がまだ残っている。
だが、灰峠にようやく静けさが戻りつつあった。
つい先ほどまで飛び交っていた怒号も、金属の衝突音も、今はもう聞こえない。
代わりに耳に届くのは、崖の上を撫でてゆく風の音だけだった。
足元には倒れ伏した兵の影。
砕けた石と、散らばった鉄屑。
だが戦いそのものは、既に終わっている。
アルヴィスは肩を回し、軽く息を吐いた。
「……しかし、恐らく下山中に残党に会うでしょうね」
「そうだな。それか、精鋭がやられた事で諦めたかのどちらかだな」
ベアトリーチェは剣を振り、刃についた血を払う。
刃は乾いた音を立てて鞘へ収まった。
「ともあれ、人心地だ。これ以上の増援は、今のより強いやもしれん」
言いながら、彼女は改めて周囲を見渡す。
灰に覆われた峠道。
折れた槍。
倒れた敵兵。
それでも、戦場特有の張り詰めた空気は既に薄れていた。
ただ静かに、風が吹き抜けていく。
「……片付けを済ませよう。ここで長居する理由もない。狙撃手がまだいるからな」
ベアトリーチェはそう言って、再び崖を見上げた。
残る狙撃兵は、ただ一人。
彼女は意識を緩めず、二人に歩み寄る。
「強いっしょ、アタシら」
ルルが自慢げに、口角を上げて見上げた。
その様子に、ベアトリーチェは笑みを零す。
「ああ、感服したよ。さて、そろそろ――」
ヒュウ……ゴボッ……、カハッ……ごぼ……
「――――――――――。」
唐突――。それはまさに唐突で突如だった。
気持ちの悪いグロテスクな音に、ベアトリーチェの語尾は断ち切られる。
否、音だけではない。
その音は、直ぐ近くで聞こえたのだ。
気配など、無かった。
足音も、全く無かった。
ただ、"いた"のだ。
すぐそこに。
かハッ……ゴボッぼ……こヒュ……
「――――――――――――」
所々赤黒く汚れた、看護服。
頭部には、防瘴仮面が、黒い半透明の液体に濡れ、霧を通る光を反射している。
呼吸音なのか、湿り気を帯びた何かがつっかえるような嫌な音。
その音と共に、その身体は小刻みに震え、手に持たれた"糸鋸"がうっすらと輝きを歪めた。
両腕を垂らし、力なく立つその姿。
いつぞやのミミゾエという魔物の比ではない、生理的嫌悪感と本能的恐怖を呼び起こす、おぞましき見た目。
その腕が、まるでノイズが走るように痙攣しながら、糸鋸を持ち上げた。
「……ひゅ……………………」
ベアトリーチェの喉が、掠れた音を立てる。
全身の鳥肌が一斉に起き上がり、冷や汗が噴水する。本能が、警鐘を殴り鳴らした。
――なん――――――っ、。
振り替えるよりも、早く。
その看護婦の腕が撓う、糸鋸が横に振られる。
「おいッッ!!!!」
残念ながら、ベアトリーチェの声は遅かった。
一閃、斬撃。
その攻撃は、予想外の威力を内包していた。
ビジュん――
そんな鋭い音が鳴り、三人の身体から鮮血が決壊したように吹き上がった。
「………………!!、!」
ルルの腹部から、腸のような長い肉塊が覗く。
アルヴィスの口からは、赤黒い吐血が溢れ出た。
「………………あぇ」
ルルの喉から、か細い声が血ともに吹き出す。
ベアトリーチェは間一髪、身を屈めたが、大きな裂傷を負っていた。
アルヴィスがルルに手を伸ばそうとしたが、その瞳からは光が失せ、身体は地面に倒れ始める。
「がぁァァッ……!!」
我に返ったように、ベアトリーチェは力を振り絞り、看護婦を蹴った。
倒れはしなかったものの、看護婦はよろめき、距離が空く。
その隙に、ベアトリーチェはルルとアルヴィスを抱きかかえ、
「御免……ッッ」
と赦免の言葉を短く叫んだ。
そして、裂傷が開かないように気をつけつつ、2人を地面を滑らせるように、セレスの方向へ投げた。
「……ッ、あ……っ、ベアトリーチェさん!!!」
蒼白の表情を称えていたセレスは、悲観に満ちた目でベアトリーチェに叫ぶ。
ぬらりとよろめく看護婦と、こちらに背を向けるベアトリーチェの背中。血が、滴っていた。
「な、なんて……こと……、あぁ、……」
足元に倒れる二人を除き込み、震える手で回復魔法を直ぐに起動する。
「ベアトリーチェさ――」
涙を我慢するような声で彼女の名前を呼ぶが、
「構うなァッ!!!」
剣を構え、霧を震えさせる程の怒号が語尾をかき消した。
「……ッ!」
「内蔵は出ていないッ……! 私より、二人を!! 二人の回復に集中してくれェッ!」
そう言うが、ベアトリーチェの腹部からは鮮血が流れ出ており、足元まで赤く染めている。
「フゥッ……うっ、クソっ……」
震える手、呼吸、そして剣を握る手。
全てを無理やり押し込み、魔力を宿しながら構えをとった。
――『白帝位』!!!
ジリ、と礫を踏み潰し、半歩後ずさる。
――なんだ、何なんだコイツはっ……!!
ヒュッゴボッ……、かひゅぅ、コボ……
――お、落ち着け……、おちつけ……! 剣にっ、魔力を、。意識を、追撃にっ……。
ギィンッッ――
「……ッ、ッ??、!」
予備動作の判別がし難い動き。
半ば反射的に、ベアトリーチェはその攻撃を剣で防いだ。
しかし、攻撃を受けた瞬間、違和感が手のひらに伝わる。
――今のは…………。
「き、貴様っ……、何者だ!!! 盗賊の仲間かっ」
――気配が無い……、化け物がっ……。くそ、すまない……っ2人とも……、また私はッッ。
ゴホッ……カヒュゥ……
――集中しろ、……集中を、……。動揺する暇など無いッ。兎に角、こいつを、コイツっを、倒し……
看護婦の手が、またもや痙攣した。
――倒っ…………。
糸鋸が、ベアトリーチェの顔に迫る。
痙攣と揺らめきを繰り返すその身体は、予備動作の判別が不可能だ。
――……聖・朧流し……
白聖皇剣流の、受け流し技。
流水のように相手の攻撃を絡め取り、任意の軌道へと逸らす、カウンターにも使える技。
しかし、
「うっ…………ッ」
その流れは、確実に糸鋸を絡めたはずだった。
横一閃の一撃は、その流れを強引にかき消したのだ。
ベアトリーチェの肩から、血が滴る。
――……なぜっ、確かに技は成立したはず……。途中で、…………魔力の流れが、破綻したっ?
看護婦はグネグネと体を揺らし、糸鋸を握り直していた。
頭部が痙攣する度に、喉元から掠れた呼吸音が聞こえる。
――……『川翠の召』ッッ!!
渾身の刺突。
目にも止まらぬ速度で、その剣先は看護婦の腹部を抉った。
カヒュッっ…………
赤黒くねっとりとした血が吹き出て、強烈な腐敗臭が鼻を付いた。
「…………………!」
安堵も束の間、看護婦の傷口に目をやると
「なん、だと………………」
ベアトリーチェは頬を引き攣らせ、自らの目を疑った。
ミチミチという音を立て、傷口の断面から蛆のような肉片が蠢き出ている。徐々に風穴は縮んでいき、遂には、完治した。
――再生ッ…………!
「リュウドウォォオッッ!」
剣は向けたまま、ベアトリーチェは背後の彼に叫び声を送る。
「………………。」
呼ばれたリュウドウは彼女の横に、瞬間移動のようにスタッと降り立った。
その表情に、いつもの笑みは無い。
「助けを求めるつもりはないっ! ただ……、あれはッ、なんだ…………!!」
苦痛を堪えるような表情で、ベアトリーチェは叫ぶ。
「……………………アンデッドとは、また違うようです」
リュウドウは静かに口を開いた。
「情報が無い。……ただ、気をつけるべきは、貴方も勘づいたはずだ」
目を細め、ベアトリーチェの顔に視線を送る。
彼女はただ頷き、
「ああ、アレの攻撃……。魔力を削る、のだな……」
息を整えるように、詰まらせながら言葉を綴る。
「ルルのバフが通用しなかった……。それに、私の技が、攻撃に触れる度に破綻する……」
「同意見です。…………今回ばかりは……」
リュウドウは真っ直ぐに、看護婦を睨んだ。
その瞳には、厭わしさが感じ取れる。
「…………、大丈夫、か……?」
似合わず、彼の低い声色にベアトリーチェは疑問を残した。
「……………………もし、危うくなれば、契約に則り、私がアレを始末する。……構いませんね?」
語尾だけは、いつもの穏やかな調子だ。
「………………! 、いや、あぁ、君に任せるっ。足掻いてみせよう……」
そう言葉を残し、ベアトリーチェは地面を蹴った。
剣が振られ、糸鋸との間に小さな火花が散らされる。
「………………チッ……」
リュウドウは、静かに舌打ちをした。しかし、その表情は無表情、苛立ちも感じられない。
「…………………………、……悪趣味な……」
低く、か細く、独りごちる。心底、辟易を滲ませた溜息とともに、その言葉は霧に消え行く。
その視線は、崖の頂上の狙撃兵――否、ローブ姿の謎の女に送られていたのだった。
腰を抜かしたフェンネの顔は、蒼を通り越して真っ白だ。今にも気を失いそうである。
その横で、セレスが冷や汗を流しながら、ルルとアルヴィスに手を翳していた。
「…………お願いっ……」
錫杖と手のひらは緑色に輝き、彼らの肉体からは流血が少なくなりつつある。
だが依然として、ルルの目は開かない。
「セレス、……さん………………」
アルヴィスの口が開かれ、今にも消え入りそうな声が発せられた。
「ダメよ……、喋らないで……。今は安静にして……」
涙目で、訴えるように声を振り絞るセレス。
アルヴィスは彼女の法衣を掴み、はを食いしばって、
「お願いしますっ……、僕も、……。ベアトリーチェさん一人に、…………あんな化け物を相手させたく、ない……ッッ!」
掠れた呼吸で、顔を引き攣らせる。
「戦う気なの……?! そんな状態じゃ……」
「頼むッ!」
口から血を零し、唸り声を漏らした。
――…………このままじゃ……。駄目だッ
「駄目なんだっ」
――僕の、役目は……! 彼女一人に……ッ、任せるなんて……!!
「旅に出た意味が、無いッ、!」
涙を流し、必死に訴える。かつての、決意を。
「…………………………、」
セレスは沈痛に目を伏せ、唇を噛んだ。
「………………分かってるわ……。でも、今は回復に集中して……!」
そう言って、掌の輝きを強める。
アルヴィスは、上体を預け、ベアトリーチェへと向き直った。
「がっ……、クソッ!!」
ベアトリーチェの攻撃は、確実に糸鋸と看護婦の体にヒットしていた。
しかし、この化け物に触れる程、攻撃を受けるほどに魔力が逃げて行く。
思うように技を当たられず、魔力防御も、身体強化も暫時乱れつつあった。
「あ゙ァァァァッ!!!」
構えは変則方の、下段。
力を振り絞り、剣を構える。
――…………『清流・縁脈』……!!
滑らかな軌道の剣が、唸った。
――『澄返』!! 『煉飛』……!!
力任せに、数々の技を流れるように繰り出す。
しかし、剣技は途中でか細く散り、与えたダメージはゆっくりと回復されている。
対して、
「づッ……」
糸鋸による、まるで解剖されるかのような斬撃は、確実にベアトリーチェの身体に裂傷を刻んでいた。
今や彼女の身体は血塗れである。
「クソがっ……、あれを……! あの、技さえ、当てれば……なんとか……な――」
よろめきながらも、地面を踏みしめ、次の技を当てようとしたその瞬間、
ダァンッ——
発砲音。
それは——遠くから響いた。
「がぁっ……!……はッ…………」
ベアトリーチェは、口を開き——身をかがめた。
唸り声が、喉の奥から漏れる。
脂汗が、一気に吹き出した。
熱い——いや、冷たい。
痛みが、全身を駆け巡る。
銃弾は——彼女の横腹を、貫いていた。
血が流れる。
服越しでもハッキリと、大きな銃痕が見て取れる。
肉が裂け、骨が軋む音が——自分の体から聞こえた。
——っ、………………!
ベアトリーチェは、歯を食いしばった。
視界が、揺れる。
呼吸が、乱れる。
膝が、震える。
崩れた体勢——
それを、刈り取るように。
看護婦の腕が、撓った。
錆びた糸鋸が、光を弾く。
――斬られっ…………………………
斜め上からの切り落とし。
ベアトリーチェは、反応できなかった。
いや——反応はした。
だが——体が、動かない。
銃弾によるダメージ。
失血。
それらが、彼女の動きを鈍らせた。
錆びた糸鋸の猛攻が——ベアトリーチェの身体を、引き裂いた。
「………………ッ……ッ……!、!」
声にならない、悲鳴。
大きく鮮血が、巻き上がる。
――こんなっ……ところでッッ…………
赤い飛沫が——空中で、弧を描いた。
――……姉、さんっ………………。
呼吸すら、できない。
彼女の身体は——地に、倒れ行く。
だが、
「……付与魔法・重層! 『持続再生』『体力増強』!!」
即座に、セレスの声が霧の中に響いた。
途端、ベアトリーチェの傷はゆっくりと塞がり始め、身体に宿る力が湧き上がってくる。
「…………セレスさん!!」
後ろを振り返り、歓喜の呟きを溢す。
「傷の再生と! 、体力の底上げをしたわ!! けど、あまり頼り過ぎないで……!」
後ろからの、精一杯の掛け声。
ベアトリーチェには、それで十分だった。
「…………上手く、決まってくれ…………!」
――『白鉄断燈』!!
最下段からの、空気すら断ち切るかのような、強烈で高速の技。
剣が看護婦の下腹部から、頭部に真っ直ぐの切り傷を形作り、遅れて鋼鉄を裁断するような音が、峠中に響き渡った。
「……………………!」
看護婦の身体が後ろに仰け反り、傷口からはドロリと血が吹き出す。
身体は小刻みに震えだしている。
遅れて、パサっと、装着していた防瘴面が空から落ちた。その長い嘴と布は真っ二つに割かれている。
擡げた頭が、ゆっくりと持ち上げられた。
瞬間、ベアトリーチェの表情は苦悶に満ちたように、嫌悪感が充満したように歪められた。
「……………………ッ……!!」
その場にいたほぼ全員が、息を飲む。
ゴボッ、……かひゅぅ…………
ベアトリーチェの喉奥から、吐き気が込み上げた。
鼓動は跳ね上がり、冷や汗は増す。しかし、目の前の光景から目が離せない、体も動かない。
「…………バケ、モノ………………」
顔が——無かった。
否。
正確には、顔が数センチ"削られた"かのように——頭部そして顔面だった物の、『断面』があった。
まるでギロチンにかけられたかのように、真っ平らな——いや、鏡のように滑らかな顔の断面。
切断面は、驚くほど整然としていた。
まるで、精密な刃物で切り取られたかのように。
黄ばんだ色をした皮下脂肪。
まだ湿り気を帯びた、柔らかな脂肪組織が切断面から、わずかに盛り上がっている。
その下には、白い上顎骨と頬骨の一部。
骨髄腔が露出し、内部の海綿質がまるでスポンジのように、無数の穴を開けていた。
分厚い舌の根元。
通常は口腔内に隠れているはずの、筋肉の繊維が剥き出しになっている。
舌根は、まだ微かに痙攣していた。まるで、何かを訴えようとするかのように。
眼窩——眼球を収める骨の空洞。
だが、眼球はない。
切断面のすぐ上で、視神経ごと切り取られている。
代わりに、眼窩の奥には赤黒い、ゼリー状の硝子体液が溜まっていた。
そして——
何より、中央の上顎洞からは——赤黒い液体が、滴っている。
ポタ——ネチョ——ポタ——
それは血液と、粘液と、そして脳脊髄液が混ざり合ったもの。
鼻腔の奥、頭蓋底に近い部分。そこから、絶え間なく流れ出している。
切断面の表面には——まだ、神経組織が露出していた。
三叉神経の枝が白い糸のように、ぶら下がっている。
わずかに残った鼻骨の下端。
前頭骨の一部、額の骨が水平に切断されている。
その内側には前頭洞。
副鼻腔の一つが、ぽっかりと口を開けていた。
そしてその奥に、わずかに見える——
硬膜。
脳を覆う、厚い膜。
それが切断面のすぐ奥で、脈打っている。
まだ生きている。
この「それ」はまだ、生きていた。
喉がわずかに動いた。
気管が、空気を求めて痙攣する。
だが鼻も、口もない。
カフュ……っ、……ブふぅ……
切断面からさらに、液体が溢れ出す。
「……な、なぜっ……、その状態で……」
胃が捩れ、背筋が粟立つ感覚がベアトリーチェを襲う。彼女の口からは、呻き声だけが漏れた。
そのグロテスクかつ、生理的拒絶を誘う直視に耐えない歪な光景。
絶句の骨頂。
だが、当然の反応だった。
しかし、無慈悲にもその隙は狩られる。
ブウゥゥゥッ――
途端、看護婦の口から赤黒い液体が吹き出された。
明確に、ベアトリーチェに向けた噴出。
粘り気のある、粘膜とリンパ液、組織液の混ざった体液の吹きかけが、彼女の顔に付着した。
「うっ…………!」
ベアトリーチェは後ろによろけ、慌てて顔を拭おうとするが――
糸鋸は、直ぐ目の前まで迫っていた。
――不味い……ッ、死…………。
「ベアトリーチェさんッ!!!!」
突如、背後からの叫び声が聞こえた。
振り返る間もなく、眼前で黄金の斬撃が放たれる。
「アルヴィス??!」
糸鋸は斬撃によって弾かれていた。
アルヴィスは苦悶の表情を浮かべながらも、剣を握っていたのだ。
しかし、その腹部からは赤色が滲んでいる。
「助太刀しますっ……!!」
「要安静のはずだろう!」
治癒魔法である程度は治った様子だが、明らかに顔色が芳しくなかった。
「怪我を言い訳にするつもりはありません」
だが、その表情は十二分に強さを物語る。
ベアトリーチェは冷や汗を流しながらも、アルヴィスの横に立ち構えた。
「……感謝する。無理はするなよ」
彼の決意にこれ以上の苦言は不必要。短い言葉を交わし、二人で怪物へと向き合った。
「……………………。」
ベアトリーチェの一閃が効果的だったのか、看護婦の体には依然として深い裂傷が残っている。
しかし、動きの鈍りは見て取れない。
「恥ずかしながら、貴女の補助しか出来ない状況ではあります……。どう動きましょうか……」
アルヴィスの額には、焦りによる冷や汗が流れている。苦笑いを浮かべながら、彼女を頼るように耳打ちをした。
理不尽にも、圧倒的劣勢は変わらない。
「充分だ、傷を庇いつつ私の動きに合わせるだけでいい……」
言いながら、看護婦の痙攣を睨む。
そして、尻目に後ろに控える四人を見やった。
理不尽。
劣勢。
不退転――。
恐る恐る、ベアトリーチェの口が開かれた。
「ただの攻撃は通用しない……。だが、私に考えがある……」
「それは有難い……!」
アルヴィスの顔に、引き攣った笑顔が灯る。
「二人でダメージを与え続け、隙を作る。……とにかく、私を信じてはくれまいか……」
「勿論です。……あなたが、唯一の希望。なにより、"仲間"でしょう」
アルヴィスの笑顔に、ベアトリーチェの頬が緩む。
――……………………。
静かに、足を踏み込んだ。
三叉神経ってなんやねん初めて知ったわ




