六話 灰の頂 四
「そうして、旅に出てから早1年と半年です……。ルルを守ると豪語しておいて、僕もまだまだへなちょこで……」
焚き火の明かりに照らされたアルヴィスの顔は、穏やかだった。
匪賊らを斥けた後、一同は川の付近にて野営を取ることにしたのだった。
街道からは、あえて大きく距離を取り、念の為リュウドウが"索敵スキル"を使用して匪賊の危険性を測る。
そして現在。
貼られたテントと、焚き火の横に敷き詰められたマットレス代わりの落ち葉と、その上に置かれたシーツ。
テントを貼っているにも関わらず、セレス、ルル、フェンネはピッタリとくっついて、そのシーツの上で熟睡していた。
川の音は、絶え間なく低い。
焚き火は小さく抑えられ、薪の割れる音だけが時折、霧を震わせる。
保存食を茹でていた鉄鍋と、スープを入れていた木の器は丁寧に洗われ、積まれていた。
湿り気を帯びた空気が、火の匂いをすぐに奪っていく。
対岸は見えない。
森の輪郭は曖昧で、木々はただ黒い柱のように立っている。
水面の白い靄が、ゆっくりと岸へ寄る。
それが風なのか、川の吐息なのかは判然としない。
枝の折れる音が、遠くで一度。
川は何も知らぬ顔で流れ続ける。
火の向こうに、ベアトリーチェの影が揺れる。
揺れているのは火か、それとも霧か。
夜はまだ深い。
「話してくれて、ありがとう……」
神妙に頷き、低い声色を落とした。
焚き火を挟んで、アルヴィスの正面に腰掛けるベアトリーチェは、彼らの生い立ちを静かに聞いていたのだった。相槌も、涙も無く、ただ静かに耳を傾けて。
「……………………。」
沈痛な面持ちで、目を伏せる。
長い沈黙を、薪の弾ける音が埋めた。
「…………強いな、三人とも」
僅かな、ほんの微細な笑みを称え、賞賛をするように、同情をするようにアルヴィスを見据える。
「ありがとうございます……。しかし、あなたこそ、大きな十字架をよろけもせずに背負っている。僕には真似できない……」
アルヴィスは丸太に立てかけた剣を、指先で撫でた。
そして、見守るように暖かい視線を、熟睡している3人へ向ける。
夜は既に深く、霧の中でも真上の月は仄かに光を落とす。
「僕たちは、全てを失いました……。国にいても、そのうち匪賊に殺されていた」
「………………。」
「少なくとも、僕の居場所はルルとアレスさんの横ですかね」
瞼を伏せ、彼は静かに笑った。
ベアトリーチェも、つられるように笑みを零す。
「良いな、それ」
*
二人の身の上話にも花が咲いた頃合い。
「さて、そろそろリュウドウさんと交代しますね」
そう言ってアルヴィスは重い腰を持ち上げた。
「そういえばずっと見張りをさせてしまっていたな……。」
食事の後、数時間に渡り彼の姿を見ていない。つまり、今の今まで巡回をしているということになる。
「彼も、凄いですよね。何でも出来るというか、知識が凄まじい。しかも索敵スキルまで……」
「たし、かにぃ……。まぁ、ああ見えて凄腕の魔導師らしいからなぁ……」
隠し事や嘘が下手なベアトリーチェは、詰まりながらも白々しい声を流す。
――……"この世の全て"などと言われる魔王だからな…………。
「私も詳しくは知らないがね。良い先生であることは間違いないが」
「そうなんですか……。僕も、彼の弟子になりたいですね」
「恐縮です」
突如アルヴィスの横に、霧の中からボウっと白い顔が浮かび上がる。
「うっッわ!!」
身が凍るような声に、アルヴィスは腰を抜かして驚いた。滑稽な程に、尻餅をついている。
「フガッ……」
アルヴィスの声に反応するように、フェンネが寝息を立てた。
「いつでも歓迎します。鬼教官として腕がなるので」
しれっと隣に立っているリュウドウ。肌が陶磁器のように白い故、薄暗い夜の霧の中では幽霊とも間違えてしまう。
「嘘つけ……。安心しろ、彼の授業はかなり優しいぞ」
またもやリュウドウの揶揄いが始まったと、呆れた顔をする。
被害者のアルヴィスは、今にも心臓が止まりそうな顔をしていた。
「ほんとにびっくりした……」
「どうだった? 賊どもはいたか」
ベアトリーチェは焚き火を調整しながら、リュウドウに向いて質問を投げかける。
「いえ全く。半径数kmは見て周りましたが……、どうやら盗賊側も警戒をしているのでは」
その答えに、二人は腕を組み顔を伏せた。
もし考察が正しければ、今日の騒動が既に情報として行き渡っていることになる。
「案外、組織的統率が取れているみたいですね……」
アルヴィスが呟く。
「ともあれ、ご苦労さまです。交代しましょう、休んでください」
「いえ……」
野営は通常、交代制で見張りを継続するのが常だ。
しかし彼の提案に、リュウドウは優しく断りを口にする。
「灰峠に備えて、ごゆっくりお休みください。このまま続けます」
「えっ?」
その言葉に、アルヴィスは面食らった。
「い、いや、寝た方がいいんじゃないですか?」
当然の気遣いだが、リュウドウは表情を変えない。
「ご心配なく。寝なくても大丈夫ですので」
強がりではない。ニッコリと笑みを残して、彼は歩き出した。
「近くで見張ってます。何かあればお声かけを」
言いながら、ゆったりとした足取りで霧の奥へ消えていった。
「今思えば……、彼が寝ている所を見たことないな。仮眠みたいなのはたまに見るが、すぐ起きるし……」
「えぇ、ほんとに人間……?」
アルヴィスの懐疑的な呟きに、ベアトリーチェはかつてのやり取りを反芻する。
――……種族が違うように、体の構造が異なるのですよ。大したことでは無い……――
「ま、まぁ少し道を外れているのだろうな……。とにかく、ここはお言葉に甘えさせてもらおう」
そう提案して、ベアトリーチェは焚き火の中に乾いた薪を付け足した。
湿った薪は、どうしても煙が多くなる。
乾いた枝を選んだつもりでも、この辺りの森は常に霧を含んでいるのだろう。火をくべるたび、白く重たい煙がゆっくりと立ち上り、焚き火の上でとぐろを巻くように揺らいだ。
もっとも、この深い霧の中では、それもいくらか紛れる。
とはいえ、用心に越したことはない。
ベアトリーチェは火の様子を確かめながら、周囲の暗がりへ視線を巡らせた。
霧は森の奥から絶えず流れ込み、木々の幹を曖昧な影へと変えている。夜の森特有の湿った匂いが、ゆっくりと肺に満ちていった。
「まぁ、彼がああ言うなら……。心身を養いますか」
そう呟きながら、アルヴィスは肩を回し、軽装鎧の留め具を外していく。
金具が触れ合う小さな音が、静まり返った森に控えめに響いた。
軽口も程々に、寝支度を整える。
「あぁ……」
武器の位置を確かめる。
野営の習慣として身についた、無言の手順だった。
焚き火が、ぱちりと小さく弾ける。
その火の粉はすぐに湿った空気に呑まれ、闇へ溶けた。
霧の中では、音までもがどこか遠い。
森は静まり返り、夜鳥の声すら聞こえない。
ただ、火の爆ぜる音だけが、かすかに残る。
奇妙なほどの静寂だった。
まるで霧そのものが、世界の音を吸い込んでいるかのように。
やがて会話も消え、焚き火の光だけが揺れ続ける。
その淡い明かりに包まれながら、
一同はそれぞれの毛布に身を沈めていった。
霧は、夜のあいだも静かに流れ続けていた。
*
霧は、森の奥へ行くほど濃くなる。
野営地から少し離れたその林の中を、ひとりの男がよろめきながら歩いていた。
足取りは重く、まともに真っ直ぐ進むことすら出来ていない。
木の幹に肩をぶつけ、枝を踏み折りながら、ただ前へ前へと身体を運んでいる。
匪賊の一人だった。
つい先ほどまで、あの街道でベアトリーチェ達と刃を交えていた男だ。
胸元には、深々と刻まれた裂傷がある。
服も肉も大きく裂け、暗く乾きかけた血が腹から腰までをべっとりと染め上げていた。
それだけではない。
脇腹にも、肩口にも、斬撃の跡がいくつも残っている。
本来なら、とっくに倒れていてもおかしくない傷だった。
それでも男は歩いている。
いや――歩いている、という表現は正確ではない。
引きずられるように、身体が前へ進んでいるだけだった。
瞳には光がない。
焦点はどこにも合っておらず、ただ虚ろな黒が眼窩の奥に沈んでいる。
呼吸も、呻きも、聞こえない。
それでも足は止まらない。
霧に満ちた森の中を、男はゆっくりと進んでいく。
やがて、木々の隙間の向こうに、微かな光が揺れた。
橙色の灯り。
焚き火の明かりだ。
男の歩みが、そこでわずかに止まった。
木の陰に半ば身を預けるようにして、遠くの光を見つめている。
霧の向こうに、ぼんやりと揺れる炎。
その周囲には、いくつかの人影があるはずだった。
男は、それを観察するように――
あるいは、確かめるように――
微動だにせず立ち尽くした。
その瞬間だった。
音は、ほとんどしなかった。
ただ、わずかな風切りだけが霧を震わせる。
次の瞬間、男の身体が横一線にずれた。
胸のあたりで、まるで糸で切り分けられたかのように。
遅れて、上半身が滑り落ちる。
ぬらりとした血が、切断面からゆっくりと溢れ、霧に濡れた地面へと滴った。
倒れた胴体は、声ひとつ上げない。
もともと、声など出せる状態ではなかった。
その背後の闇に、ひとつの人影が立っていた。
霧の中でも、輪郭だけははっきりしている。
"斬撃を放った"ように翳された白い手。
リュウドウだった。
「…………………………。」
無表情に、足元に倒れた死体を眺める。静かに赤黒い血を流している肉塊は、まるで輪切りのように、断面美しく転がっている。
その顔には何の色も浮かんでいなかった。しかし、何処か威圧感と含みを感じられた。
後ろで手を組み、目線のみで辺りを見渡す。
暗闇、濃霧、木々。
何も、誰もいない。
しかし、リュウドウは小さく口を開き、
「久闊を叙する、と言った方がいいのかね……」
いつもの丁寧な口調ではない、王としての圧力を与えるような声色。
「……鼻持ちならんな。狙いは、私とあの大英雄か」
顔色は変わらない。だがその音声には厭わしさが滲んでいる。
俯いて、肉塊を革靴のつま先でつついた。
当然、動かない。
リュウドウは顔を上げた。
その顔にはいつものような、微細で含みのある笑みが張り付いている。
何処か他所を眺めるように、呟く。
「いつぞやの準危険地帯以来ですね」
返事は無い。音も、無い。
無音だ。
夜風すらも、聞こえない。
「……そろそろ、一行はそちらへ向かいますよ」
悪戯に口角を、ほんの少し上げる。
そのまま彼は何も言わず、ゆっくりと歩き出した。
まるで相手にしていないように、ただの障りを指先で払いのけただけのように、巡回へと戻った。
終始変わらず、霧の運ぶ静寂が充満していた。
二
「あれか、灰峠の入口は……」
ベアトリーチェが独りごちる。
翌日、一同は移動を早め、目的地または通過点である灰峠へと差し掛かっていたのだった。
周囲は相も変わらず森林に囲まれている。
しかし、霧の量は倍近く増しており、地形も凹凸が激しくなりつつあった。
目の前には、小さな木の看板。
その看板を境に、街道は細くなっている。
『採掘鉱山 灰峠』という文字が、染みのように書かれていた。
「灰峠って…………、文字通りの意味だったんですね…………」
目の前に広がる光景の威圧感に、アルヴィスは圧倒されながら口を開く。
看板を境にして、その先の道、岩、木々はなんと全て灰色なのである。
濃霧の中、視界が悪くともはっきりと認識できた。
草も、枝も、葉も全て灰一色。
「ヒェぇぇぇ…………」
「マッジで気味が悪いというか……。不自然な光景だね……」
フェンネの鳴き声を翻訳するかのように、ルルが溜息を漏らす。
セレスが錫杖を強く握り直しながら、
「たしか、聞いたことがあるわ……」
と、恐ろしげに言葉を紡ぐ。
「火山ガスが空気中の水分を吸着して、"消えない濃霧"を発生させてるんですって……。景色が全て灰色なのも、火山活動の名残だそうよ」
「正に、自然が作った盗賊の巣みたいだ……」
その説明を聞いたアルヴィスが、苦笑いを残す。
「リュウドウ先生、詳しい解説をお願いします」
ベアトリーチェの無茶振りに、リュウドウは
「えぇ、セレスさんの説明で充分では……」
と、面倒臭さを表すように顔を顰める。
「ま、僭越に口出しをするならば……。
古代から続く火山活動の名残……『火山性エアロゾル』が水分を吸着して停滞し続けているそうです。
微細な硫黄粒子を含んだこの濃霧は、視界を奪うだけでなく肺すらも蝕む。
それと、この不気味な灰色の植生。特徴は、色だけではありません」
滑らかな口調のまま、近くの草を指さす。
「……硬いのです。本来なら緑であるはずの葉がこれほど硬質化しているのは、土壌に含まれる高濃度の重金属を吸い上げ、表面に結晶として析出させているからです。
いわば『生きた金属』……。
この地毒に適応し、シリカで細胞を焼き固めた連中ですね。
火にも強く、石より硬い。ここで匪賊に襲われれば、その強靭な木材で作られた、凶器が濃霧という幕の向こうから飛んでくることになる」
「うわ、いってッ」
リュウドウの説明を聞き、ルルが近くの葉を手にとる。
縁を指でなぞると、それは刃物のように鋭かった。触れるだけならば傷が出来る程ではないが、もし飛び込んだならば血塗れは免れない。
「……確かに、適当な枝でも鈍器になるわね」
セレスが錫杖で近くの木の幹を叩いてみる。
植物らしからぬ、コンコンという甲高い音が響いた。
「流石はリュウドウ教授だ……。他に気をつけることはありますか?」
アルヴィスが額に冷や汗を浮かべながら、彼に向き直る。
リュウドウは情報を思い出すように、顎に指を当てた。
「"モフェット現象"という物があります。言わば、二酸化炭素の溜池ですかね。
二酸化炭素は空気より重いため、風のない峠の窪地に無色無臭のまま溜まります。
森を抜けて一休みしようと座り込んだ瞬間、あるいは荷馬車から降りた瞬間に、酸欠で意識を失う正に『見えない処刑場』。匪賊はこれを『禁域』として利用し、追っ手を嵌めるそうです。
といっても、窪んだ地形に気をつければ済む話」
「詳しすぎでしょ。理系?」
無茶振りの割には目を見張る知識量である。
ルルは面食らった様子で呟いた。
「文理両道、文武両道でございます」
彼女に振り向いて、無邪気にピースサインを示す。
「……これで顔も良いのは狡い気がする」
フェンネが顰めっ面を浮かべ、誰にも聞こえないつもりの小声でぼやいた。
羨みと悔しさが半々に混ざったような声音である。
まるで僻みのようなその呟きに、ルルはすぐさま横から口を挟んだ。
「男は顔じゃないから。もっとこう……モテる要素がいるんだよ。アルヴィスがモテないのもそれが原因」
あまりにも自然な流れで飛び火したその言葉に、当の本人は。
「ゑっ…………」
と、完全に思考が停止した顔を晒した。
目は点、口は半開き。魂が半歩ほど身体から抜けかけている。
か細い声が喉から漏れる。
胸を貫かれた兵士のような顔だ。
「る、ルルちゃん…………ッ」
流石のセレスも、口元を押さえ、苦笑いを堪えるしかなかった。
「ヱっ……、なんできゅうに……」
悲しむでも、怒るでもない。
ただ純粋に、生気が抜け落ちた顔だった。
その様子を見かねたのか、ベアトリーチェが神妙な面持ちで彼の肩に手を置く。
ぽん、と静かに叩いた。
その腕にアルヴィスは涙目のまま寄りかかり、半ば力を失ったように頭を傾けた。
「……安心しろ。私も、権力目当ての男しか寄って来ん」
そう言ってベアトリーチェは、慰めるように彼の肩を摩る。
「そういえば、ベアトリーチェさんって大国の将軍でしたね」
「そういえばってなんだ」
リュウドウの呟きに、眉を顰める。
慰めになっているのかは、誰にも分からない。
アルヴィスは遠い目をしたまま、小さく震えていた。
一方、フェンネはというと――
先ほどの軽口の空気がどこへやら、顔色を青くして周囲を見回していた。
灰峠の入口。
霧は濃く、岩肌は黒く湿り、木々はねじ曲がった影を地面に落としている。
昼だというのに、とてつもなく薄暗い。
不吉な空気が、肌にまとわりつくようだった。
「……なんで同行しちゃったんだろ……」
フェンネが小さく呟く。
肩を縮め、ランタンをぎゅっと握りしめた。
「帰りたぃい……」
その背後で、
ふ、と影が動いた。
いつの間に現れたのか。
「おや……、ひひっ、放浪者かね……」
皺だらけの顔。
曲がった背。
ぼろ布のような衣。
まるで森から滲み出たように、ひとりの老婆が立っていた。
フェンネのすぐ後ろで。
まるで、最初からそこにいたかのように。
ゆっくりと顔を近づける。
白濁した目が、ぬっと覗き込んだ。
「ひっ――」
フェンネの首筋に、冷たい息がかかる。
「あ゙ゃあああああああああああッ!!?!!」
灰峠に、この世の終わりのような絶叫が響き渡った。
「フェンネ?! 何が……、うわッ」
ベアトリーチェがギョッとしたように後ろを振り向く。しかし、その不気味な老婆の出で立ちにすかさず面食らった。
「うわぇっ、魔女?!」
ルルも驚愕の形相で、青ざめているセレスに抱きついた。
等の老婆はそんな彼らの反応を気にも留めないように、背負っている荷物を漁り出す。
「灰峠を通るつもりかね……。どうせなら、何か買ってかないかい」
嗄れており、えも言われぬ邪悪さが感じ取れる声色。失礼とは分かりつつも、魔女という言葉がしっくりくる。
「もしや、商人か……?」
ベアトリーチェが恐る恐る近寄った。
老婆は「左様」と静かに頷き、木の札のようなものを数個取り出す。
「盗賊以外も等しく客だからね……。好きに選ぶと良い」
幾層もの皺を寄せて、口角を上げたままの老婆。
その札には、食料品の名前と金額が書かれていた。
「い、いや……。そんなに食料には困ってな――」
他の皆を背に庇うようにして、ベアトリーチェは断りを入れようとするも、老婆の物腰は食い下がるような印象を受けない。
困り顔を浮かべていたベアトリーチェの裾が、小さく引っ張られた。
「あの……」
すぐ後ろに、フェンネがいた。
耳打ちをするように顔を寄せているが、視線は老婆に向いたままだ。
「こういうタイプの商人は、適当に何か買って去ったほうがいいですよ………………」
小声で、老婆に聞こえないように声を抑えた助言。
ベアトリーチェは「うむ……」と悩むような声音で頷いた。
「えーと……。みな、何か必要なものはあるか……」
後ろを振り返りながら問いかける。しかし、一同は頭を振る。
「食料……は、あればあるほどいいけど……」
セレスは戸惑いながら呟く。
「強いて言えば塩が欲しい所ではありますが」
アルヴィスの声も乏しい。
ルルは渾身の顰めっ面で老婆を睨み続けている。しかしセレスにしがみついたままであった。
「じゃあ…………」
仕方なく、ベアトリーチェは札を指さした。
このままでは埒が明かない。
「この2つの保存食を1つづつ……くれ……」
詰まりながら、言う。
――値段を見るに……、粗悪品なのだろうな。ここは無難に済ませるしか……。
「ひっひ、お目が高い……。無闇に肉を選ばないとはね」
何かを企んでいるのか、単に揶揄っているだけなのか、その湿り気のある笑みはただ不気味さを感じさせるだけだ。
「まいどあり」
そんな掠れた声とともに、ベアトリーチェの手には二袋の包みが渡される。
「あ、ありがとう、……」
終始、老婆はニヤついていた。
そそくさと一同はその場を離れ、灰峠へと踏み入ったのだった。
峠よりも不穏な老婆に圧倒され、いつの間にかこの危険地帯を闊歩している状態である。
「恐らく……、匪賊へのビジネスがメインの、半非合法的商人かと思います」
フェンネの消え入るような声が、霧の中に滲む。
「売れ残りや盗品、闇市で安く仕入れたものから残飯まで……、とにかく安い値で仕入れた品を、匪賊らに売り捌くタイプの方々です……。賊やマフィアとのパイプもあるし、何よりがめついので、粗悪品でも適当に購入して逃げることをオススメします……」
流石の行商人である。旅の知恵とも言える、有益な情報だった。
「粗悪、か……」
ベアトリーチェは包みを開けながら、購入品を眺める。
「ま、マジで食うの……?」
ルルは目を細めて、呟いた。
ベアトリーチェが購入したのは、『燻製チーズ』、『小魚の干物』だった。
大きさはどれも掌サイズ。値段は合計で銀貨1枚にも満たない"激安"である。
「クッサイ…………」
包みを開けた瞬間、鼻を掠める嫌な臭い。
乳製品と魚の独特な臭みが鼻腔を襲った。
思わず、鼻を摘まむ。
「羊乳チーズ……ですかね。表面が黒ずんでる……。削って食べるべきですね……」
アンモニア臭に鼻を塞ぎながら、フェンネが助言する。劣化チーズというものである。
「干魚の方は、腹が開いてないので、内蔵が未処理でしょうね。食べると、エグ味と臭みに襲われること間違い無しです」
リュウドウはベアトリーチェの背後で涼しげに告げた。まるで他人事と言わんばかりの顔だ。
「腐った干し柿みたいな見た目のくせして、とんでもない物を買わされましたね」
「いや言い過ぎ……」
渋い表情を称えてベアトリーチェは零す。
「まぁ、腹ごしらえは大事だ……。私が責任持って食う」
アルヴィスはその台詞に目を見張る。
「えっ、え、無理はせず捨てた方がいいんじゃ……? 僕も手伝いますよ……」
しかし、その額には冷や汗が浮かんでいた。
「大丈夫だ、ありがとう……。見ての通り、食あたりにはなったことがない」
言いながら、チーズの黒ズミ部分を指で削る。
しかし、
「固くね…………??」
再び、彼女の顔に冷や汗が滴る。
乳製品とは思えぬ、カリカリという音が鳴った。
「ベアトリーチェさん……、もうそれ、食べ物の原型を留めてないわよ……」
セレスは未だに顔が青ざめている。
ルルは顔に皺を寄せて、
「石じゃん」
と、忌々しげに呟いた。
ベアトリーチェは無理やり、篭手の金属部分で削り取った。
削り取った欠片をしばらく見つめる。
黒ずみを落としたとはいえ、まだどこか不穏な色合いをしている。断面は、黄褐色。
ほんの一瞬だけ、逡巡する。
だが次の瞬間、覚悟を決めたようにそれを口へ押し込んだ。
――ぐっ。
奥歯で噛む。
その瞬間だった。
ギッ……
食べ物とは思えない音が、彼女の口内から鳴った。
続けて、
ゴリ……ッ、ギチ……ッ
まるで小石を砕くような、硬質で鈍い音が断続的に響く。
アルヴィスが思わず顔を引きつらせる。
セレスは眉をひそめ、ルルは完全に顔をしかめていた。
フェンネなどは、口元を押さえて一歩下がっている。
当の本人はというと――
「………………グッ……、うっ……」
ベアトリーチェの表情が、ゆっくりと歪んだ。
頬の筋肉が引きつり、眉間に皺が寄る。
それでも騎士団長の意地なのか、吐き出すことはしない。
ゴリ……ッ、ギィ……
再び鳴る、不吉な咀嚼音。
咀嚼のたびに、彼女のこめかみがぴくりと震える。
どうやら、かなりの抵抗があるらしい。
それでも数度、顎を動かし続け――
ようやく、飲み込んだ。
ベアトリーチェはしばし天を仰ぎ、喉の奥を押さえるようにして息を整える。
そして、数秒の沈黙の後。
静かに口を開いた。
「…………不味くはない」
一同が固まる。
だが次の瞬間、彼女の顔がさらに渋く歪んだ。
「ただ……」
喉を鳴らしながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「えぐみが、凄い」
そして、無理やり口に押し込む。
「マジかぁ」
ルルが口を開けたまま感嘆した。
セレスは錫杖を強く握り、
「回復魔法、いる……?」
と、恐る恐る、優しく告げる。
「干魚の後で頼む……」
「ほんとに全部食べるんですね……」
フェンネも心配そうに、彼女の顔を伺った。
「薪にしたほうがまだマシでは……」
「い、いや……。粗末には出来んからな……」
次は干魚。
だが、それは誰がどう見ても、食卓に並ぶ類の代物ではなかった。
色は灰色に変色し、身は乾ききって反り返っている。尾のあたりなど、もはや木片のようだ。
ベアトリーチェはそれを手の上でひっくり返し、観察する。
指で腹を軽く押す。
コツ。
乾いた音が鳴った。
ルルは完全に引いた顔で言う。
「うわぁ……」
フェンネは半歩後退した。
しかしベアトリーチェは、あくまで冷静だった。
「問題ない」
短く言い切る。
そして、尾のあたりを持って――
バキッ。
乾いた音と共に、魚の胴がわずかに折れた。
まるで細い枝を折ったような音だった。
「…………」
その破片を口へ運ぶ。
躊躇はない。
そして、噛む。
パキッ。
軽い破砕音。
続いて、
ミシ……パキ……ッ
乾いた枝を砕くような音が、ベアトリーチェの口内から響いた。
アルヴィスの顔が引きつる。
ルルは腕を組み、完全に顔をしかめている。
「枝じゃん……」
フェンネは小声で呟いた。
「魚……ですよね……?」
だが、当のベアトリーチェは黙々と咀嚼を続ける。
パキ……ミシ……
数度、顎が動き――
やがて、飲み込んだ。
彼女はしばし無言で遠くを見つめた。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「……なるほど」
短い沈黙。
それから、淡々と感想を述べた。
「魚の味はする」
そのままつづけて、
「たが、臭い」
「あんたスゲーよ……」
ルルが口を歪めて告げた。
「アウレリア閣下に敬礼」
「お疲れ様でした」
アルヴィスも、彼女に便乗して背筋を伸ばす。
「死んだみたいな言い方だな……」
目を伏せ、ベアトリーチェは苦笑いを残した。
――……こんな不名誉で閣下と久しぶりに呼ばれるとは……。複雑だなぁ……。
「ベアトリーチェさん。これを……」
後ろから、リュウドウの声が耳を掠めた。
振り返ると、彼の手には乾燥させた草があった。
「これは?」
「霧薄荷、香草です。口臭消しと、解毒にお使い下さい」
気の利いた施しに、ベアトリーチェは頬を赤らめながら、笑みを零した。
「ありがとう……、すまないな……」
霧薄荷とは、川辺や湿地に自生する香草の一種である。噛むと強い清涼感とともに、川霧のような冷たい香りが口の中に広る。その爽やかな匂いと味は、しばしば眠気覚ましにも使われる、旅のささやかなお供だ。
ベアトリーチェはリュウドウから受け取った香草をもしゃもしゃと咥えながら、
「ともあれ……、ムグ……、そろそろ灰峠のどぅ真ん中に着むんじゃないか? ムしゃ、むしゃ」
「バイソンみたい……。たしかに、なんか気温も上がってきてる気がする」
文頭に失礼な小言を挟みつつ、ルルは周りを見渡す。
「そのようです。もうすぐ、骨のある匪賊と殺し合うことになるでしょう。お気をつけて」
リュウドウの言葉に、一同は小さく身構えた。
「木々も少なくなってきたわね……」
周囲の深い森は消え、所々岩肌が露出しており、火山活動の名残を感じさせる。
灰色の深みも、どんどん増していた。
「警戒を怠らず、どんな輩も切り伏せてみせましょう」
アルヴィスは柄を握りしめ、笑みを称えた。
「ぶっ潰したらァッ」
ルルも、準備万端のように、血気盛んである。
「ぅあぁ……。何事も無く終わってェ……」
対するフェンネはみるみるうちに涙目になりつつあった。
十色の声色を響かせながら、一行は危険地帯のさらに奥へと歩みを進めていく。
笑い声、軽口、短い返事。声はそれぞれ違う色を持ちながら、狭い岩道に反響していた。
足元の砂利が、かすかに鳴る。
灰峠の空気は乾き、どこか冷たい。
皆の視線は前方へ向けられていた。
崩れかけた岩壁と、曲がりくねる山道の先へ。
それぞれに警戒はしているが、歩みは揺るがない。
ルルは先を睨み、アルヴィスは周囲を見渡しながら進み、セレスは静かに祈るような面持ちで歩く。
フェンネは小声で文句を言いながらも、遅れずに後を追っていた。
しかし――
「……………………。」
リュウドウだけは、歩きながらふと足を緩めた。
その視線は前ではない。
上空。
あるいは、遠くの崖の縁。
岩壁の影。
崩れた岩棚。
人の目が届きにくい高所。
何かを探るように、静かに目を細めている。
その隣で、ベアトリーチェもまた、わずかに視線を動かした。
首をほんの少しだけ傾け、周囲の空間を見渡す。
まるで、無意識に気配を拾おうとしているかのようだった。
足は止めない。
だが、胸の奥に小さな棘のような違和感が刺さる。
――……なんか……嫌な予感だな……。
ベアトリーチェは内心で呟く。
――視線を感じるというか……、殺気、とも違うか……。
どこか遠くから値踏みされているような。
じっとりと肌にまとわりつく、嫌な気配。
まるで岩壁そのものが、こちらを観察しているかのようだった。
ベアトリーチェの視線が、崖の上を一瞬だけ掠める。
だが――
そこには何も見えない。
風が吹き、砂埃が舞うだけ。
それでも、胸の奥の違和感は消えなかった。
重く、鈍い圧のようなものが、空気の奥に沈んでいる。
リュウドウの瞳も、静かにその方向を見据えたままだった。
声は出さない。
ただ、何かを測るように。
灰峠の上空では、風が岩肌を撫でていた。
*
「な、なぁ……おい。もう、撃っていんじゃねえか……?」
ベアトリーチェ一行から、200m前後。その断崖の縁に、一人の匪賊が身を伏せていた。
薄汚れた、灰色のローブに、適当に毟った草木を被り、額には大量の冷や汗が浮かんでいる。
身を潜めている。しかし、異様なのは――。
「馬鹿が。有効射程外だ、良く考えろ。賊の分際で勝手な真似をするなよ」
髭面の匪賊が持っているのは、マスケット銃である。滑空銃身が長く、真鍮製のスコープまで取り付けられていた。
誰が見ても、軍用にカスタムされた、高価な銃火器。
そして、髭面の横に身をかがめているのは、
「うるせえよっ……、こんなシロモノ、使ったことねんだからよ……!」
「尚更黙ってろ。良質な武器と、資金を提供してやってるんだ……。言うことだけ聴いておけ」
匪賊の物より、より灰黒く、深いローブ。
フードを目深に被っており、その顔は一切見えない。
声質は女性だが、匪賊に対する語気の荒らさは、非常に威圧感が感じられた。
「チッ……。あ、足元みやがって……」
髭面の男は、ローブの女に萎縮したようにスコープを覗き直す。
スコープの倍率は悪い。しかし、"的"を十分に視界へと収めることができる。
「ダークエルフの女騎士優先……。いや、最後尾の男に細心の注意をしろ」
低い声色で、淡々と指示が出される。
「あ……? ブリーフケースの……、女じゃねえかよ……」
「……性別はどうでもいい。スーツの、ブリーフケースだけは警戒しろ」
ローブの女と、匪賊らの関係性は分からない。しかし、依然として女の荒い命令口調が、髭面へと投げかけられていた。
「は? なんでだよ……。明らかに戦闘員狙うべきだろ……?」
「意見するな賊。…………あの荷物持ち、得体が知れなさ過ぎる。私の"目"が尽く潰された……。隙をみて、撃ち込め」
ローブの女の、目がフードの中から鋭く光る。
「……うっオ……、おい、あいつ……、こっち向いてね…………?」
匪賊の脈が、大きく跳ねた。
ブリーフケースのスーツ――リュウドウの視線は、静かにこちらを向いている。
「……………………ッ。……何かしてくる様子はない。アイツらが"地点"についたら、時をみて射撃だ……いいな?」
「分かってンだよ……。ほんとに上手くいくんだろなぁ……? "あの変なバケモン"、失敗しても死ぬのは俺らの仲間だぞ。それなりの責任を……」
震える声で訴える匪賊。
女は途中で遮るように、苛立ちを口にする。
「煩い、黙れ。先に移動する。開戦次第、私の地点に来い」
そう言い残して、女は静かに去っていった。
影に溶け込むような、音のない足取り。
――あの荷物持ち……、何故私の位置が分かった……。気味の悪い奴だ……。
「アルヴィス、剣を抜いておけ……。嫌な予感は、どうやら正解のようだ」
「ええ、おっしゃる通りですね……」
先頭のベアトリーチェが、声を抑えるように、横のアルヴィスへと告げた。
続けて、ルルも戦斧を構える。
霧は深い。
しかし、道は開け初め、やがて広場のような岩肌の露出する地点へと辿り着いた。
足元の砂利は無くなり、濃霧立ち込める岩場。まるで、天然のコロシアムのような地形だ。
「皆さん……っ、人影が……」
セレスが錫杖を構えながら呼びかける。
「やっと出やがったね、骨のあるヤツ!」
ルルの荒い声の先、一行の目の前に五人程度の影が見えた。
「……………………。」
匪賊の、主戦力だろうか。
声も無く現れたのは、皆屈強な体格の男共。
ベアトリーチェは剣を抜いて、声を上げる。
「一応聞くが、通す気はあるか」
匪賊らは手に持っている得物を輝かせた。
「ねぇよ」
中央の、三つ編みの男が静かに言う。
手に持たれているのは、メイスだ。
「仲間を殺したのはおめえらだろ。そう易々と通す訳にはいかねぇ」
語気強く、メイスを向ける。
だが、その声色はどこか違和感を含んでいた。
焦燥か、緊張か。
「へっ……、大人しく俺らに殴られるんだな……。増援もまだ残ってんぞ、どうすん――」
「御託は要らん」
ハキハキとした、強い口調でベアトリーチェが遮る。
「さっさと始めるぞ、賊共ッ」
剣を構え、魔力を通す。
メイスを持った賊が、苛立たしげに舌打ちをした。
ガン、ガンッ――
合図を送るように、メイスを地面へと打ち鳴らす。
鈍く、しかし高い音が、乾いた岩地を震わせた。
金属音は峠の空気を裂き、岩壁へと幾度も反響する。
まるで鐘のように、遠くまで響いた。
「……?!」
その瞬間、ベアトリーチェの眉がわずかに動く。
異変。
いや、予感。
ただの威嚇ではない。
この音は――上へ届くように鳴らされたものだ。
彼女の視線が、ほんの刹那だけ崖の頂を掠めた。
断崖のてっぺん。
霧に紛れたその場所に、狙撃兵がいる。
――……虚鞘・無間。
ベアトリーチェは剣をゆっくりと下ろした。
鞘の横へと刃を置き、深く身をかがめる。
構えではない。
沈めるのだ。自分自身を。
目を伏せる。
呼吸が落ちる。
周囲の喧騒が、すっと遠のいた。
耳に入るのは――
岩を擦る風。
霧が流れる微かな音。
遠くで軋む鎧の金具。
敵の靴が砂を踏む感触。
それらすべてが、静かな湖面に落ちる雫のように心へ沈んでいく。
視覚は捨てた。
代わりに、感覚を解き放つ。
空気の揺れ。
霧の流れ。
人の気配。
そして――
魔力の脈。
白聖皇剣流、奥義『無間』。
精神を凪がせ、己という境界を薄める技。
自我を消し、殺気も、焦りも、怒りすら捨てる。
ただ、世界の流れの中に己を置く。
敵が撃つのではない。
弾が飛ぶのでもない。
世界が、次に起こす動き。
それを先に知る。
それが、無間。
そして、次の瞬間。
峠に、乾いた破裂音が響いた。
ダンッ――
「…………??! 何の――」
アルヴィスが声を漏らす。
発砲音だ。
断崖の上から放たれた、狙撃。
だが。
ギィィンッッ――
鋭い金属音が空気を裂いた。
火花が散る。
弾丸は、誰の身体も射抜かなかった。
ただ一人。
ベアトリーチェの剣が、抜かれていた。
誰も見えなかった。
居合の一閃。
鞘――否、鞘の横から刃が走り、すでに納められようとしている。
弾丸は、真横へ弾かれていた。
「はっ??! 嘘だろ……!!?」
一番驚いていたのは他でもない、先程の髭面の狙撃兵。
その場にいた全員が、思わず目を見開いた。
ベアトリーチェの足元に、白い煙を立てながら二つの鉄片が転がる。
乾いた岩地に当たり、カラン、と鈍い音を立てた。
「銃、だと……」
ベアトリーチェ自身も、その攻撃に眉間へ皺を寄せる。
だが、驚きは一瞬だった。
彼女の姿勢は崩れていない。
剣はすでに構えられ、身体の軸も微塵も揺らいでいない。
弾丸は――弾かれていた。
刃で真っ二つに切られた弾は、熱を残したまま地面を転がっている。
ベアトリーチェの瞳に宿る戦意は、むしろ強くなっていた。
「舐めるなよ――」
剣を賊へ向け、低く言い放つ。
「これでも歴戦の騎士だッ」
その声は岩壁に反響し、鋭く峠へ広がった。
「銃……?! ていうか、弾いた??!」
ルルが思わず叫ぶ。
「さ、さすが……というか、超人か……」
アルヴィスも呆気に取られていた。
だが、中央に立つ賊は歯を剥き出しにして怒鳴った。
「……クソッ!! もういい、かかれお前らァ!!」
その号令と同時に――
周囲に散っていた匪賊たちが、一斉に地面を蹴った。
怒号を上げながら距離を詰めてくる。
「ベアトリーチェさん!」
セレスが叫ぶ。
直後だった。
淡い光が三人の身体に灯る。
青白い魔力。
それは薄い膜のように、ベアトリーチェ、アルヴィス、ルルの身体を包み込んだ。
「三人とも、防御力のバフを施したわ! 銃なんて代物に対抗する、精一杯の補助よ……!」
「助かります!」
「さっすがァ!」
「充分だ! ありがとう!」
三人は礼を言い残し、同時に前へ駆け出した。
岩地を蹴り、一直線に賊へ向かう。
その背後では、セレスが素早く次の行動へ移っていた。
バフだけでは終わらない。
魔導火砲――
遠距離支援の準備に入る。
震える指で式を整えながら、周囲へ声を投げた。
「二人とも……近くへ。守るから」
額に冷や汗が滲んでいる。
それでも、その声には確かな芯があった。
フェンネは真っ先に彼女の傍へ駆け寄る。
「死にたくないぃアァ…………!」
涙声だった。
だが――
もう一人は動かなかった。
リュウドウである。
「感謝します。ですが、ご心配なく……。むしろ……」
静かな声でそう言うと、彼は逆にセレスから距離を取った。
セレスが怪訝な表情で振り向く。
「な、なぜ? 危ないわよ……」
リュウドウは崖の上を一瞥した。
そして淡々と言う。
「いえ。むしろ――」
ほんのわずかに目を細める。
「狙撃兵は俺を狙っているようです」
風が峠を抜けた。
「返ってセレスさんが危うくなる。ですので、銃弾の対処は任せてください」
その言葉と同時に、再び遠方で火薬の匂いが弾けた。
「……! わ、分かったわ。気をつけて!」
セレスは頷く。信頼。それだけで充分だった。
岩場に響く銃声。
迫る匪賊たちの足音。
剣が抜かれる鋭い音。
――開戦である。




