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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽
第一章

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15/23

五話 灰の頂 三

以下アルヴィス一行のバックボーンです。

そのまま、読み進めて頂いて問題ありません。


『グラン=シルヴァ小王国』。

 中央大陸中心部やや北西に位置し、細々と(まつりごと)をこなしていた。

 銀鉱山と街道税で栄えた辺境の小王国。

 王国騎士団は精強と評されたが、鉱山労働者の失踪は噂となっていた。加えて、人身売買と孤児の流入。

 大規模な地震と坑道崩落が国の財政を断ち、治安は急速に悪化。

 いまや王都以外は無法地帯に近い。

 いや、今や王都も既に機能はしていなかった。

 壊滅した小国。

 しかし、ここはアルヴィス、セレス、ルルの出身国なのである。


 *


「またテメェか!! 待ちやがれッ!」

 午前の陽光と八百屋の怒号が、閑散とした市場の石畳に照降り注いでいた。

 野菜や果物が落ち、タイルに跳ねる音、乱暴に鳴り響く足音。

「うるさい、脱税ジジイ!! ぼったくるから駄目なんだよ!!」

 屋台をかき分け、走って逃げているのは一人の少女。手にはくすねたリンゴが抱えられており、1つだけ齧った痕がある。

「騎士さん、そのガキだ! 捕まえてくれ!!」

 髭を蓄えた八百屋の男が、息を荒らげながら、その少女を追っている。

 しかし、一向に少女との距離は縮まっていなかった。

 巡回中であった一人の騎士が、すぐさま駆け出す。

「任せてください、すぐに取り押さえます」

 黄金のような金髪を揺らし、穏やかな声で応じる。

 少女の機動力を遥かに上回るスピードだ。屋台を、路地をスムーズに駆け抜け、

「捕まえたっ、大人しく……」

 少女の襟元を掴み、無事確保する。

 ゴロゴロとリンゴが音をたてて、路地のタイルを転がっていった。

 しかし、騎士の言葉はそのリンゴに気を取られて途切れたのではない。

「くそぉ……」

 顔に皺を寄せた少女は騎士の腕を掴み返し、足元を蹴る。

「おい離せって! 別に大したもん盗ってな……」

 少女も同じように、語尾が消えた。

 互いの顔を認識し、騎士と少女は目を見開く。

「ルル?!」

「アルヴィス!!」

 両者の動きがピタリと止まった。

「また君か?!!」

 空のように青い瞳を見開いているアルヴィスは、即座に呆れ顔を浮かべた。

「ねー、今度こそ見逃してよぉ」

 眉間に皺を寄せ、非常に不機嫌な顔つきのルルは彼に向き直る。

 しかし、アルヴィスは大きな溜息をついた。

「ダメだ。ほら、ちゃんと謝ろう……」

 声は非常に優しい。

 しかし、ルルの肩に置かれた手は、決して狼藉だけは許さないという現れだ。

「ちぇ……」

 唇を尖らせ、ルルは俯く。

 斯くして、アルヴィスとルルは一緒に頭を下げることとなった。


「なんでまた盗みなんか……」

 昼過ぎ、二人は並んで市場を後にしていた。

 相変わらず、アルヴィスの溜息が鳴り止まない。

「だって、最近また値上がりしたし」

 口を歪め、不平を漏らす。

 その言葉にアルヴィスは、困ったような、どこかやるせない表情をし、長い睫毛を伏せた。

「近頃の物価高騰、か……。けど、盗みは見逃せないなぁ……」

 言いながら、懐をゴソゴソと探る。

「ほら」

 差し出されたのは、赤く美しい光沢を放つリンゴだ。

「え? やったー! アルヴィスも手癖悪いね」

「違うから……。ちゃんと買ったものだ」

 頬を引き攣らせたアルヴィスとは対照的に、ルルは見るからに嬉しそうである。

 しかし、リンゴを眺めるだけで食べようとはしなかった。

 アルヴィスの顔に、怪訝な表情が灯る。

 覗き込むように、ルルへ声をかけようとするが、

「これで、アイツらにも分けてあげられる」

 とルルのこぼした独り言に、言葉が詰まった。

「………………。」

 アルヴィスは目線を遥か遠く、町外れにある河川沿いの畑へ向けた。

 鏡のように、日光を反射し輝く川と、そのすぐ横にある教会。

「孤児院のみんなにかい?」

 ルルは、教会の管理する孤児院の子供なのだ。

 今年で16の歳。今や、孤児院のお姉ちゃん的存在である。

「そうだよ……。最近、飯少ないから」

 天真爛漫な暴れん坊。

 しかし、その目は面倒見の良さが滲みでている。

 昨今のシルヴァ王国は、治安問題と物価の雲行きが怪しい状態であった。

 銀坑労働者の不可解な失踪、そして人身売買の摘発件数の増大。それに伴った孤児の増加。

「しかもまたアタシみたいな子供増えてんだよね」

 ルルも、人身売買の被害者だった。

 生まれは第二魔王国。しかし幼少の頃の記憶は一切ない。人、竜人、鬼の混血というイレギュラー、だが両親の記憶も当然無かった。

 物心ついて、気づけば売りに出されていた。

 そして、何も分からないまま、騎士団に保護され、孤児院へと流れ着く。

「……あれ、アルヴィス。今日は着いてきてくれるの?」

 二人はいつの間にか、町外れに差し掛かっていた。

「……そうだね。たまには、顔を出してやらないと」

 薄く笑みを浮かべる。

 アルヴィスも、ルルと同じ孤児院の出だった。

「………………懐かしいな」

「え? 前も来たじゃん」

 両親に捨てられ、物心付く前から教会で育った。

 孤児院の数少ない支援者である退役騎士に憧れ、騎士団の下働きとして子供時代を過ごし――。

 今や、憧れの王国騎士団へと辿り着いている。

 国の安全と市民を守り、かつての自分のような、子供達に憧れを向けられる、正義の役職。

 しかし、現実は――。

「おーい!」

 俯いていたアルヴィスは、ルルの声ではっとしたように顔を上げる。

 気づけば教会の前まで来ていた。

「ルル姉おかえりー!!」

「あれって……」

 元気な盛りの子供達が、陽光に負けないほど明るい笑顔で迎えてくれる。

 つられて、アルヴィスも笑顔を称える。

「久しぶり、みんな」

「アルヴィス兄さんだ!」

「アルヴィス兄!」

 10から5歳程度の子供らが駆け寄ってくる。

 ルルは笑顔を称え、リンゴを勝ち誇ったように掲げていた。そして、一緒にはしゃぐ。その様子は未だに童心を忘れていない。

「最近会ってないけど、忙しいの?」

 前歯の抜けた男の子が、心配するように見上げてくる。

「そうだよ。来てくれないと、こいつが寂しがるだろー?」

「は?! 別に寂しがったりしてないし!」

 わらわらと足元に駆け寄って来る子供達。比較的背の高い男の子が、横にいる女の子を揶揄っていた。

「ちょっと忙しくなってきてね」

 頭を撫でながら、優しく微笑む。

「アルヴィス! これ切って!」

 突然、ルルがリンゴを差し出して来た。

 みんなで分けるつもりなのだろう。

「賑やかだと思ったら……」

 教会の門から、一人の女性の声が響いた。

 大人びた、落ち着きのある声色。

「嬉しい来客ね」

「セレスさん」

 頬に手を当て、ニッコリと笑みを称えたエルフ。

 纏っている白い法衣が、微風に揺れた。

「久しぶりねぇ、アルヴィス君。元気? 調子悪いとかない? ちゃんと食べてる?」

 穏やかな口調のまま、矢継ぎ早の質問を投げかける。

 一見すると、過保護な母親のような雰囲気だった。

 当然と言えば当然。セレスはアルヴィスが教会に引き取られる寄りも前から、修道女としてこの教会に務めていたのである。

 アルヴィスも、ルルも、監督修道士として育て上げたのは他でもない、セレスだ。

「大丈夫ですよ。元気いっぱいに、ルルを追っかけ回してます」

「あ?! おいっ!」

 苦笑いを返すアルヴィスに、ルルは狼狽するように声を上げる。

「えっ……、またルルが……」

 額に冷や汗を浮かべ、困り顔を浮かべた。

 慌てて弁明しようとするルルであったが、セレスは悲しげな表情を称え、目を伏せる。

「ごめんなさいねぇ……。もっと、食べさせてあげたいのだけど……。最近は何もかも高くて……」

 唇を引き攣らせ、憐れむ声を残した。

 目の奥に隠しきれない疲労が滲んでいる。

 その言葉に、アルヴィスとルルも沈鬱に顔を伏せる。

 農税は引き上げられ、商人は仕入れ値の高騰を嘆き、街道では盗賊の話が絶えない。

 孤児の数は増え、寄付は減った。

 王国は、目に見えぬ角度で、ゆっくりと傾いている。

「とにかく、せっかくの来客だものね。暗い話はなしにしましょ。ほら、みんな笑って」

 セレスは手を叩き、すぐさま笑みを浮かべた。

 乾いた空気を払うような、明るい音。

 彼女はいつものように、少し大げさな笑顔を浮かべた。

 子供たちがそれにつられる。

 ぎこちなく、しかし一生懸命に口角を持ち上げる。

「いい笑顔ね、ぐっど。楽しく行きましょ」

 両手で親指を立てると、何人かが真似をした。

 小さな笑い声が弾ける。

「じゃあアタシの盗みも笑顔で流して……」

「だめ」

 ルルの小声を、アルヴィスはしかめっ面でかき消す。

 そのやり取りに、子供たちがくすくすと笑う。

 孤児院の皆は、決して贅沢など出来ていない。

 セレスも同じく、その生活は日に日に貧しくなっていく一方だ。

 足りないものは多い。

 だが、分け合うという選択だけは、まだ残っている。

 笑顔は、贅沢ではない。

 それだけが、この教会の最後の備えだった。

 笑顔だけは絶えない。


 二


 アルヴィスとルルには、同じ師がいた。

 血の繋がりはない。

 だが、あの背中は確かに"師"だった。

 ボド爺。

 そう呼ばれていた。

 本名を知る者は少ない。子供たちにとっては、ただのボド爺だ。

 背は低いが、肩幅は樽のように広く、腕は古木の根のように太かった。

 白く縮れた髭は胸元まで垂れ、笑うとそれが揺れる。

 ドワーフ族。

 かつて王国騎士団に所属し、前線を幾度も踏み越えた歴戦の戦士。

 王都では名を知る者も多く、"英傑"と呼ぶ声すらあった。

 だが、本人はその呼び名を嫌った。

 

「肩書きなんぞ、腹の足しにもならん」

 

 そう言って、酒をあおり、子供らの頭を乱暴に撫でた。

 セレスとは旧知の仲だった。

 どちらが先に声を掛けたのかは分からない。

 ただ、孤児院が資金に困り始めた頃、彼は自然とそこにいた。

 教会が管轄するその孤児院は、王国の保護下という訳ではない。最低限の支援と、"黙認"が王国の回答だった。

 だが、実際には寄付と善意で成り立っている場所だった。

 ボド爺は、数少ない"継続して顔を出す支援者"だった。

 金だけではない。

 食料を担いで来る日もあれば、壊れた扉を直し、薪を割り、井戸を整備する日もあった。

 そして何より、子供たちの相手をした。

 アルヴィスとルルは、特に彼に懐いていた。

 いや。

 憧れていた。

 斧を担ぐ姿。

 地面を踏み抜くような足運び。

 戦場の話を語る低い声。

 最初は遊びの延長だった。

 木の枝を振り回し、構えを真似る。


「違う」


 短く、厳しい声が飛ぶ。


「振るな。落とせ」


 それが、ボド爺の教えだった。

 重さを理解しろ。

 地面を踏め。

 腕ではなく、腰で斬れ。

 ルルは素直に叩き込まれ、アルヴィスは理屈を理解しようと食らいついた。

 孤児院の裏庭は、やがて即席の稽古場になった。

 泥だらけになり、何度も転び、それでも立ち上がる。

 ボド爺は笑わなかった。

 だが、二人が立ち上がるたび、目だけが細くなった。


 ――望むなら、強くなれ。


 それが、彼の口癖だった。

 守るために。

 奪われぬために。

 いつか、自分の足で立つために。

 戦斧の重みを教わった日、ルルは初めて"重さ"によろけた。

 アルヴィスは、振り上げたまま腕が痙攣して倒れた。

 その二人を見下ろし、ボド爺は鼻を鳴らした。


「ようやく入口だな」


 それが、始まりだった。

 二年前。

 彼は静かに逝った。

 病だったのか、古傷だったのか、詳しくは誰も語らない。

 ただ、最後まで弱音は吐かなかったとセレスは言う。

 墓は孤児院の裏手、小さな丘にある。

 愛用の戦斧が、いまもそこに突き立っている。

 錆は浮いていない。

 誰かが手入れをしているからだ。

 アルヴィスか。

 ルルか。

 セレスか。

 あるいは、その全員か。

 王国が傾こうと、物価が上がろうと、

 あの斧だけは、まっすぐ天を向いている。

 それは墓標であり、誓いだった。

「早いわね……。もう2年経つのかしら」

 その墓標の前に、セレスは目を細めて屈み込む。

「この歳になると、……時が速いわ」

 見た目は30代もいかなそうな女性。しかし、エルフ故の外見だ。

「思えば、頼ってばかりだったわね……。今が、一番頼りたい時だけどね、うふふ」

 そういって、乾いた笑いを零した。

 手には、小さな白い花が握られている。

 子供達が、特にルルとアルヴィスがよく持ってきてくれた白い花。

 サクラソウ――。


「ほんとに老けないんだなァ、儂はもうしわくちゃになってしまった……」


 そんな、ボド爺の呟きを思い出しながら、サクラソウを無骨な戦斧の前に横たわせた。

 そして、彼に指導されるルルとアルヴィスを思い浮かべる。

 戦士らしく、決して甘くはない指導だった。

 しかし、二人をみる目はいつでも優しかった。

「安心して。二人はもう十分強くなった。ルルちゃんも、来年には騎士団に入るそうよ」

 セレスとボド爺。

 二人で生を受けたこの王国の始まりと黎明を眺めていた。

 それが今や、終わりを静観している気分である。

「けど、……ルルちゃんとアルヴィス君だけは、危なっかしくて目が離せないわ」

 苦笑が溢れ落ちる。

「あなたと同じね……」

 そう言い残し、法衣を撫で整えた。

 ゆっくりと、身を翻す。その背中には、憂いと哀愁が滲んでいた。

 儚さを漂わせるサクラソウが揺れ、戦斧は静かに夕日を反射している。

「そういえば……」

 遠ざかる墓標を、一瞬だけ振りかえる。

 何気なく、独りごちた。

「サクラソウの花言葉って……、なんだったかしら」


 三


 鎧の継ぎ目に入り込む風が、妙に生臭かった。

 城門前の市場は、いつもより声が荒い。

 干し肉の値札が昨日よりもまた削り直されている。商人は言い訳をしない。ただ無言で、銀貨を確かめる目だけが鋭い。

「三倍だと? 冬はまだ先だぞ」

 老婆の抗議に、店主はそう言って肩を竦めるだけだった。

 若い騎士であるアルヴィスは、通り過ぎながら胸の奥が冷えるのを覚えた。

 王都の倉庫には備蓄があるはずだ。少なくとも、そう報告書にはあった。

 だが市場には届いていない。

 王都中央の聖堂裏の石段に、子供が増えている。

 数日前まで一、二人だったはずだ。今日は五を超える。

 年長の少女が幼子を背負い、こちらを睨む。物乞いの声はない。

 ただ、無言だ。

 孤児院はどこも満床だと聞いた。

 ただ一人で監督修道士を務めるセレスも、これ以上は負担を増やせないと。

 修道士は「引き取り手を探している」と言っていたが、最近は見慣れない荷馬車が夜に止まるという噂もある。

 確認しようと上官に進言したことがある。

「余計な詮索はするな」

 それだけだった。

 北鉱山の名簿に、空白が増えている。

 失踪。

 崩落事故。

 移住。

 理由は整っている。書類は完璧だ。

 だが、坑道から戻った鉱夫の目は、何かを言いかけてやめる。

 昨夜、酒場で聞いた。

「坑道は崩れてねえ。崩されたんだ」

 酔いの戯言と片付けるには、声が低すぎた。

 騎士団詰所の奥で、見慣れない紋章の袋が運ばれていた。

 貴族家の家印。封蝋付き。

 団長はいつもより機嫌がいい。

 兵站の不足は「一時的なもの」だと言った。

 市場の混乱も「商人の買い占め」だと。

 だが、買い占めを取り締まる命令は出ない。

 城壁の上から街を見下ろす。

 煙が増えた。

 焚き火ではない。

 廃材を燃やしている匂いだ。

 騎士として剣を振るう相手は、外敵のはずだった。

 だがいま、城下で起きているものに刃を向ける許可はない。

 風がまた吹いた。

 遠くで鐘が鳴る。

 セレスのいる、教会の祈りの時刻だ。

 アルヴィスは気づいている。

 祈りの回数が増えていることを。

 国はまだ立っている。

 城も、王も、騎士団も。

 けれど、何かが静かに抜け落ちている。

 それが何か、彼はまだ言葉にできない。

「違う…………」

 か細い小声が、無意識に漏れ出た。

 ――僕の憧れた、騎士は……。こんな筈じゃ。

 今はもう、目の前にある"典型の正義"に、縋り付くしかなかった。

 たとえそれが、偶像でも。


 四


 最初は、荷車の振動だと思った。

 城壁の上で見張りに立っていたアルヴィスは、石の足場が微かに鳴るのを感じた。

「なんだ………………?」

 風はない。空も晴れている。

 それでも、足裏の奥で、何かが脈打っていた。

 

 どん。

 

 低い衝撃が、遅れて腹に届く。

「??!!……!」

 遠雷に似ている。だが雲はない。

 城下で犬が吠え始めた。

 井戸の水面が揺れる。

 詰所の窓が、音を立てて震えた。

 二度目は、隠れようのない揺れだった。

 石畳が波打つ。

 城門の鎖が軋み、鐘楼の鐘が勝手に鳴る。

 遠く――北西の地平。

 黒い塵煙が、ゆっくりと空へ伸びていた。

 誰かが呟く。

「…………古代竜」

 噂は聞いていた。

 大型の、土属性古代竜。

 山脈を砕き、地脈を喰らう存在。

 遠い辺境の更に向こうで暴れている、と。

 だが"遠い"はずだった。

 揺れは止まらない。

 ――これはっ……、マズイ……!!

 城下の石造家屋が崩れ始める。

 悲鳴。

 崩落音。

 祈り。

 孤児院の方角に、白い粉塵が上がるのが見えた。

「……!!!」

 アルヴィスは駆け出す。

 だが階段の途中で、城壁の一部が崩れ落ちた。

 王都は、守るための石でできている。

 その石が、牙を剥いた。

 三度目の衝撃は、もはや揺れではなかった。

 地面が、沈んだ。

 市場の一角が裂け、荷馬車ごと呑み込まれる。

 井戸は傾き、水が濁る。

 北鉱山から黒煙が上がる。

 坑道が崩れたのだと、誰もが理解した。

 失踪ではない。

 埋没だ。

 だが、坑夫の全てが死んだとは限らない。

 地割れの向こうで、鎧を捨てる騎士の姿を見た。

 誰かを助けるためではない。

 走るために。


 *


「セレスさん!!!」

 アルヴィスが真っ先に向かった場所。それは、自らが育った孤児院。

 皆がいる、思い出の――。

「アルヴィス君……ッ」

 孤児院へと続く道で、偶然セレスと出会う。

 擦り傷と煤汚れが、所々目立った。

「大丈夫ですか……! 孤児院は……――」

「孤児院が……!!」

 アルヴィスが言い終える前に、セレスの悲痛な嘆きが彼の言葉を止めた。

 全身の皮膚から、冷や汗が吹き出る。

 ルルを筆頭に、子供達の顔が思い浮かんでくる。

「ッッ…………!」

 顔を歪ませ、孤児院の方角へ視線を向ける。

 胸元で顔を埋めているセレスの肩に、優しく手を添える。

 深呼吸をし、平常心を取り戻そうと、無理をしながら静かな声色を絞りだした。

「セレスさん……、何がっ……、何が起きたんですか。急いで、向かいましょう……」

「ルルと、近くの市場に……、買い出しに行ってたら……!」

 上げた顔は、涙で濡れている。

「そ、そしたら……………………」

 言葉を詰まらせ、涙を流し続けるセレスをみて、アルヴィスの鼓動が跳ね上がる。

 嫌な予感と共に、腹部から喉奥へと吐き気が迫り上がった。

「…………とにかく、一緒にっ。僕も行きます!」

 そう声を上げ、周りの喧騒と混乱から逃げるように走り出した。


 *

 

 日が落ちても揺れは続いた。

 王城の塔に亀裂が走る。

 貴族街は火に包まれる。

 水路は崩れ、井戸は泥を吐いた。

 騎士団は出動した。

 だが守るべきものが多すぎた。

 命令は錯綜し、伝令は戻らない。

 団長は王城に籠った。


 *


「………………………………。」

 アルヴィスは呆然としていた。

 セレスの手を引っ張って、駆けていたが、無意識に足の力が抜け、立ち止まる。

 河川沿い、畑。

 そして、あるはずの教会と孤児院は、完全に潰されていた。

 積み木を崩されたように、瓦礫と化している。

「…………な、なん……で…………」

 ゆっくりと歩を進め、その瓦礫へと向かった。

 セレスは顔を覆い、後ろを歩く。

「いやっ…………まだ、……」

 まだ子供達を助けられるかもしれない。

 まだ、助かる子がいるかもしれない。

 そう考え、アルヴィスは駆け足で教会の前に立つ。

「ルル!!」

 返事はない。

 瓦礫の前に、ルルは立っていた。

 崩れた石壁。裂けた梁。粉塵がまだ薄く漂っている。

 つい数刻前まで祈りの声があった場所は、形を失っていた。

 アルヴィスの足音が止まる。

「大丈夫か?! 怪我は――」

「……大丈夫」

 声は平坦だった。

 怒鳴りも、泣きもせず。

 感情をどこかへ置き去りにしたような、乾いた音。

「子供達は……みんなは無事なのか……っ」

 ルルは答えない。

 ただ、ゆっくりと腕を上げる。

 震えもしない指先が、崩れた教会の奥を示す。

 その目には、いつの間にか涙が溜まっていた。

 零れ落ちるのに、瞬きすらしない。

 噛み締めた唇が裂け、血が顎を伝う。

「――――………………。」

 アルヴィスの呼吸が止まる。

 瓦礫の隙間。

 崩れた門柱。

 かつてボド爺が金槌を振るい、何度も補強したあの門の残骸。

 その下から、覗いている。

 小さな手。

 泥と血で色を失い、指は不自然な角度で折れ曲がっている。

 ひとつではない。

 いくつも。

 瓦礫の奥に、まだ続いていることを想像させる数。

「あ……っ……」

 声にならない息が漏れる。

 膝が、音を立てて崩れた。

「あぁ……あああぁ……」

 視界が滲む。

 理解が、遅れてやってくる。

 さっきまで笑っていた。

 リンゴを分け合っていた。

 無理に笑顔を作っていた。

 それが、今は。

「なんだよ……」

 喉が裂ける。

「なんでだよ……ッ、なんで……こんな……」

 怒鳴りたいのに、声が潰れる。

 地震。

 遠くで暴れる"何か"。

 王国の傾き。

 そんな言葉では、足りない。

 足りないのに、目の前には結果だけがある。

 ルルの喉奥から、低い音が漏れる。

 泣き声とも、獣の唸りともつかない。

 拳が震える。

 爪が掌に食い込む。

「ルルちゃん……っ」

 背後から駆け寄ったセレスが、その小さな身体を抱き締める。

 強く。

 壊れてしまいそうなほどに。

 ルルは抵抗しない。

 ただ、その胸元に顔を埋め、声を押し殺す。

 肩が、小刻みに震えている。

 アルヴィスは動けない。

 顔色は血の気を失い、青い瞳は焦点を結ばない。

 涙だけが、静かに落ち続ける。

 騎士であるはずの男は、瓦礫の前で膝をついたまま。

 剣を握ることもできない。

 守れなかった。

 その事実だけが、重く沈む。

 風が吹く。

 崩れた梁が、軋む。

 粉塵が、またわずかに舞う。

 誰も、すぐには動けなかった。

 三人は、瓦礫の前で崩れたまま、ただ泣いた。

 祈りの消えた教会の跡地で。


 *

 

 翌朝、王国は別の国になっていた。

 城壁は破れ、門は半壊。

 倉庫は荒らされ、備蓄は消えた。

 聖堂は、壁だけが残っていた。

 修道士の姿はない。

 子供の数も合わない。


 そして三日後。

 街道に旗のない集団が現れる。

 鉱夫崩れ。

 元騎士。

 商隊の護衛だった男たち。

 彼らはもう騎士団の命令を待たない。

 "奪う側"に回ったのだ。

 匪賊。

 それが、国の新しい秩序だった。

 

 北西の空は、今も霞んでいる。

 竜の姿を見た者はいない。

 だが揺れは、忘れた頃に戻る。

 地はまだ、生きている。

 そして国は、もう息をしていない

 腐敗の温床が、災害をきっかけに爆発したのだ。

 もはや国は、地獄だ。


 *


「団長も、貴族もグルだったそうです……。この国は、元より終わりに走っていた……」

 力なく、アルヴィスは呟きを残した。

 横に座るセレスは、細めた目で、遠くで燃やされている家屋を眺めている。

「今まで、僕は何をしてたんでしょうか……。むしろ今は居場所も役割すら失った」

「アルヴィス君……」

 自嘲するような笑いを零すアルヴィスを制するように、透き通るような声が響いた。

「あなたが、何をしたいかが重要よ。これから、何を成したいのか……。居場所も、自分で作るものよ」

「何を…………」

 言い淀むアルヴィスを急かすでもなく、セレスの声はこの上なく優しい。

「私は、あなたとルルに着いて行くわ。どこまでも、ね」

「えっ」

 目を丸くするアルヴィスに、微笑みを向ける。

「保護者ですもの」

 正しく聖母の微笑み。

 潰れた教会を背にしても、その笑みは美しかった。

「ありがとうございます……。けど、すぐには思いつきそうにもない」

 弱々しく笑みを零し、目の前に並ぶ即席の墓標達を眺めた。

 盛り上がった土と、杜撰だが瓦礫で形作った墓標。

「………………。」

 全員を、五体満足で引っ張りだす事は出来なかった。

 だが、弔う。

 そして、祈る。

「――アタシ、旅に出るから」

 唐突だった。

 泣き疲れた空気を裂くように、その声が落ちた。

 振り向く。

 そこに立っていたのは、ルルだった。

 背には、大きすぎる戦斧。

 ボド爺のものだ。

 柄は使い込まれ、刃は鈍い光を帯びている。

 少女の背丈には不釣り合いな重量。

「……ルルちゃん?」

 セレスの声は掠れている。

「それ……ボド爺の斧じゃないか。どうするつもりだ……」

 アルヴィスの視線は、斧から彼女の目へ移る。

「アタシが使う。あの盗賊どもに盗まれるよりは、余っ程マシ」

 揺れていない。

 涙で濡れていたはずのその瞳は、もう乾いていた。

「本気だよ」

 即答だった。

「アタシ一人でも行く。行きたい場所がある」

「どこへ……?」

 一拍の沈黙。

 ルルは、はっきりと言った。

「第二魔王国。ヴォルカン=ドラハト連合王国」

 空気が止まる。

 西方大陸。

 海を越え、幾つもの国境を跨ぐ遠地。

 魔族国家の中でも強大とされる連合王国。

「どうして、急に……!」

 アルヴィスが声を上げ、セレスが思わず一歩踏み出す。

「遠いわ……。危険よ、今の情勢で――」

「もう、この国だって安全じゃない」

 遮るように、ルルは言った。

 怒鳴らない。

 ただ、静かに断言する。

「ここにいたって、守れない。守られない」

 その言葉は、瓦礫の方を一瞬だけ見たことで十分だった。

 アルヴィスの喉が詰まる。

「だから、どうせ出るなら……アタシは、帰りたい」

 背中の戦斧に手をやる。

 柄を、指でなぞる。

「生まれた地を、踏みたいんだよ」

 その声だけが、少しだけ揺れた。

「第二魔王国は、ボド爺が若い頃に修行した国だって言ってた。あの人が、あんな化け物みたいに強くなった場所」

 口元が、わずかに歪む。

「憧れ、かな。……でも一番は、故郷を見たい。それだけ」

「故郷……」

 アルヴィスが繰り返す。

 彼には、ない言葉だった。

 孤児院が故郷だった。

 その孤児院は、もう――。

「一人で行く気か」

 低く問う。

「そのつもり」

「無茶だ」

「無茶でもいい」

 即答。

 目が逸れない。

 あの裏庭で、何度も転びながら立ち上がった目だ。

 ボド爺が言っていた。

 

 ――強くなれ。


 その続きを、彼女は今、自分で選んでいる。

 セレスが、ゆっくりと息を吐く。

「……ボド爺なら、止めたかしら」

「止めないよ」

 ルルは、かすかに笑った。

「きっと、"行け"って言う」

 風が吹く。

 戦斧の刃が、わずかに鳴った。

 決意は、もう揺れない。

「……………………。」

 故郷。

 その言葉が、胸の奥で鈍く響いた。

 アルヴィスには、帰る土地などない。

 この孤児院こそが全てだった。

 だから騎士になった。

 強くなれば守れると、信じた。

 王国騎士団。

 誇りだった。

 紋章を胸に刻んだ日、ボド爺の背中に少し近づけた気がした。

 だが、知ってしまった。

 横流しされる軍資金、賄賂で昇進する上官。

 災害救助よりも貴族の屋敷を優先する命令。

 そして――、

 遠方で暴れる古代竜への対処は後回しにされ、王都防衛の名目で部隊は動かなかった。

 結果が、あれだ。

 瓦礫。

 子供の手。

 守れなかった現実。

――……僕は、何を守っていた。

 剣を握る理由が、分からなくなっていた。

 王か。

 騎士団か。

 腐りきった命令系統か。

 違う。

 そんなもののために、血を流してきたのではない。

 視線を上げる。

 ルルがいる。

 戦斧を背負い、まっすぐ前を見ている。

 喧嘩っ早くて、無鉄砲で。放っておけば崖からでも飛び降りそうな少女。

 だが。

 あの日、戦斧によろけていた少女は、今いない。

 立っている。

 一人で行くと言った。

 無茶だ。

 西方大陸までの航路。

 盗賊、傭兵、魔物。

 今の情勢で単身など、自殺行為に等しい。

――行かせられるか……!

 胸の奥で、何かが噛み合う。

 国家ではない。

 騎士団でもない。

 ただ一人。

 あの裏庭で共に泥に塗れた少女。

 守れなかった子供たちの代わりではない。

 贖罪でもない。

 ただ、守りたい。

 それだけだ。

 剣を握る手に、力が戻る。

 初めてだった。

 命令でも義務でもなく、自分の意志で刃を持つ感覚。

 ゆっくりと立ち上がる。

「一人で行く気か」

 低く問う。

 ルルが頷く。

 短い沈黙。

 そして。

「無理だな」

 ルルが眉を寄せる。

「は?」

「お前は昔から周りが見えない。強くなったつもりでも、危なっかしい」

「な、何それ」

 少しだけ、いつもの調子が戻る。

 アルヴィスは息を吐く。

「僕も行く」

 静かに告げる。

「王国騎士団は、今日で終わりだ」

 その言葉は、裏切りではない。

 決別だ。

「僕が、守る」

 それは誓いだった。

 国家に対してではなく。

「君がどこへ行こうと、僕がいる」

 剣の柄を握る。

「それが、僕の信念だ」

 もう迷いはなかった。

 瓦礫の前で崩れ落ちた騎士はいない。

 いるのは、ただ一人の男だ。

 守る対象を、自分で選んだ男。

 風が吹く。

「ははっ、じゃあ……」

 いつもの勝ち気な光が戻っている。

「ああ、共に行こう。第二魔王国へ」

 アルヴィスが言う。

 差し出された手を、ルルは力強く握り返した。

 乾いた掌同士がぶつかり、短く、硬い音が鳴る。

 その様子を、セレスは少し離れた場所から見つめていた。

 瓦礫の前で芽生えた決意を、静かに確かめるように。

「回復役が、必要でしょ」

「!」

 二人が同時に振り向く。

 セレスはゆっくりと立ち上がり、修道服の埃を払った。

 そして真っ直ぐ、二人を見据える。

 その金色の瞳には、もはや迷いはない。

 祈りだけを捧げていた修道士の目ではなく、旅に出る者の目だった。

「私も、もちろん着いて行くわよ」

 そう言って、二人を強く抱きしめた。

 崩れた国家。

 崩れた教会。

 瓦礫の前で、それでも三人は立っている。

 失ったものは多い。

 だが、それでも残ったものがあった。

 繋いだ手。

 支える腕。

 そして――

 ルルの背に担がれた、大きすぎる戦斧。

 ボド爺の斧。

 長い柄が、夕暮れの風にわずかに軋む。

 まるで、その重みが静かに頷いているかのようだった。

 アルヴィスが小さく息を吐く。

「三人で……」

 一度言葉を区切り、ルルの背中の戦斧に視線を向ける。

 そして、わずかに笑った。

「いや……四人で、旅に出よう」

 その言葉に、ルルが鼻を鳴らす。

「遅刻すんなよ、ボド爺」

 瓦礫の向こうで、風が吹いた。

 戦斧の刃が、かすかに光った。

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