第41扉 廃墟
今日はほっとした日だった。
会社での嵐の如く多忙だった案件を終え、平凡な日々を取り戻りつつある金曜日。
そんな朝、猫の重みで寝返りが打てず、足の痺れで目を覚ます。
猫を避けつつベッドから起き上がり、欠伸をしつつダイニングへと向かった。
猫と鳥にエサを用意し終えてから時計を見ると、出勤時間までにはまだ余裕がある。
コーヒーを淹れてくつろいでいると、テーブルに鳥が飛んできて、男と少し戯れた。
会社に着いて自席に座り、辺りを見回す。
落ち着いた雰囲気が広がっており、遠くから談笑の声も聞こえた。
休憩するために自販機に向かう途中、給湯室の方から紅茶の香りが流れてきた。
給湯室の中を見ると、同僚が紅茶を淹れていた。
彼女は社内随一の紅茶マニアとして知られている。
男はそうか…と納得し、良い香りが漂う廊下を歩いて、自販機へと向かった。
帰宅した男は缶ビールを片手に食事を済ませ、ベッドに入る。
すると、猫もベッドに潜り込んできた。
少し足をずらして猫の寝場所を作り、男は眠りに落ちていった。
翌日。
カーテンの隙間から漏れ出る陽の光で起きた男は、上半身を起こして部屋の中を見回す。
猫の姿は見えなかった。
男がベッドから出て立ち上がると、鳥が飛んできて肩に止まった。
それからダイニングに向かい、猫と鳥にエサを用意する。
鳥はエサ箱に飛び移り、エサをつついた。
男は冷蔵庫を漁り、朝食を探す。
引き出し型の冷凍室を開けると、冷凍食品のチャーハンを見つけた。
それをレンジで温めて食べていると、猫がやってきてエサを食べ始めた。
男は朝食を食べ終わり、猫と鳥がダイニングから出ていくのを見届けると、出掛ける準備を始めた。
自室に戻り、着替えてからリュックサックを用意する。
そして、それを背負い、扉に向かった。
今日は鉄製で白く塗られた、シンプルな扉だった。
ところどころ錆びて、塗装が剥げている。
外壁にはびっしりと蔦が生い茂っており、壁が隙間から少ししか見えないが、コンクリート製のようだ。
円形の凹みに半円状の取っ手がついており、まるで防火扉のように見える。
男が取っ手を掴むと、くるっと回った。
取っ手を引くと、ギシギシ…キイキイ…と軋むような音を立てながら扉が開いた。
扉から、乾いた風が吹きつけてきた。
焼けたアスファルトと深緑の香りが入り混じったような不思議な空気をはらんで。
目の前には、ところどころひび割れた道路と割れて散らばっているガラス、そして管理されずに生い茂った街路樹が広がっていた。
扉をくぐって、空を仰ぎ見る。
寂れた建物と街路樹を縫って、広がる空には巻雲と太陽が並んで居座っていた。
視線を前に戻して歩き出すと、シャリっと砂利が混ざった音が足元から聞こえた。
ゆっくりと歩きながら、辺りを見回す。
並んでいた建物は蔦が絡まり、ところどころひび割れていたり、窓のガラスが割れたりしていた。
それらは自分がいる世界の近代的な建物に近いように思えた。
歩いていく内にカーブミラーのような物を見つけたが、肝心のミラー部分が割れて、無用の長物と化していた。
男は少し疲れて、近くの縁石に腰を下ろす。
そして、リュックサックから飲み物を取り出し、一口飲む。
ふぅーとため息をつくと、目の前を野ネズミが駆けていった。
休憩を終えて飲み物を仕舞うと立ち上がって、道沿いに歩き出した。
しばらく歩くと、甘く強い香りが流れてきた。
先の方を見ると街路樹の種類が変わり、木々はオレンジ色の小さな花をたくさんつけている。
そうして、木々の花を愛でながら歩いていると、様子が違う木を見つけた。
その木の下には、白くて小さな軽トラが放置されていた。
蔦が絡みつき、運転席からも木々が生えて、緑に飲み込まれているようにさえ見える。
過去に人がいたような様子が気になり、外側からあちらこちらと覗いてみたが、文字類を確認することができなかった。
分からないけど仕方ない、と考えた男は、調査することを諦め、先に進むことにした。
ビルのような建物が並ぶ中、道沿いに歩いていった。
ひび割れた路面から伸びた木の根や、散らばっているガラス片に気をつけて、慎重に進んでいく。
どの建物も打ち捨てられた様子で、人の気配は感じられなかった。
更に進んでいくと、ビル群の中に一ヶ所、開けた場所を見つけた。
近づいていくとその場所は石畳が敷かれており、他の場所とは様相が違う。
その場所の前に立って見ると、左右両側に石造りの灯籠があり、中央には木造の簡素な祠が建っていた。
祠の扉は開いており、中を窺い知ることができた。
中には薄緑色の石が祀られていたが、その石は斜めに割れていた。
何だか急に薄気味悪く思った男は、その祠に一礼だけすると、その場所から立ち去った。
来た道を早足で、それでも転ばないように慎重に歩を進める。
なんとか家への扉の前に辿り着くと、ふと気になって振り返った。
そこには二匹のキツネがいて、じっとこちらを窺っている。
いつもなら可愛いと思うキツネが、妙に怖く感じ、急いで扉をくぐった。
…そして、男は意識を失った。
男は気付くと、自室の椅子に腰を掛けていた。
辺りを見回すと、猫はベッドのど真ん中で寝ており、鳥は本棚の上で羽を休めている。
急に力が抜け、胸をなでおろすと、ふぅーーと長いため息をついた。
窓の方に視線を移すと、茜色の光が射し込んでいた。
男はもう一度、ふぅと短いため息をついてから立ち上がり、ダイニングへと向かう。
机に置いてあったオリーブグリーンの石が光った気がした。




