第30扉 航空機
今日は穏やか…というよりは、平凡な日だった。
朝は猫ののし掛かる重みで目が覚め、上半身を起こすと肩に鳥が乗る。
強引に猫を除けてベッドから起き上がると、不満顔の猫は体勢を変えて再び寝に入った。
肩に鳥を乗せたままダイニングへと向かい、猫と鳥のエサを用意すると、鳥は肩から降りてエサをついばむ。
男はそれを見届けずに着替え、家を出た。
駅に着き、電車に乗るといつもの満員電車に辟易しながらも目的の駅まで耐える。
電車から降りて会社まで歩いていると、見上げた空は雲間からちらちらと太陽が顔を出すが、快晴という程でもなかった。
会社に着いて事務所へ入ると、何やら人だかりが出来ていた。
しかし、男はそれに関わりがないとばかりに横目に見ただけで通り過ぎ、自席に座ると仕事の準備を開始した。
画面に向かって淡々と仕事をこなしていると、隣の席の後輩がこそっと話しかけてきた。
後輩の話とは先程の人だかりのことらしい。
あれは『また』隣課の上司がうちの上司にモーションをかけ、それをうちの上司は大声できっぱりと断ったことで騒ぎになったらしい。
お前ら学生かよ…と男は心の中で呆れつつ、目線は画面のまま後輩と受け答えする。
話を打ち切るときの男の最後の言葉は『そんなので騒ぐなんて、平和だな』だった。
男は昼休憩になると、昼食を摂るために外へ出た。
どの店も飯時で程々に混んでおり、回転が早い牛丼チェーン店に入ってサッと済ませる。
店から出たところで、女性の部下を数人引き連れて談笑している例の隣課の上司を見かけた。
関わりたくないな…と思った男は騒ぎに巻き込まれないよう、早々にその場を離れた。
会社に着いて仕事を再開する。
後輩がトラブルに見舞われ、それを助けていたら、いつもより少し長めの残業になってしまった。
それでも問題にするほどの時間ではなく、悠々と…まではいかないが、スーパーマーケットに寄って帰宅した。
少し遅れたことで、猫が『早くエサ、早くエサ』と言わんばかりに鳴いてすり寄る。
しょうがないな…と考えつつ、着替えないままダイニングへと向かい、猫と鳥にスーパーマーケットで買ってきたいつもより少し良いエサを用意した。
着替えをしてからダイニングの椅子に座り、夕飯を用意する。
スーパーマーケットのレジ袋から缶ビールを取り出し、プシュッとプルトップを開けて呷った。
缶を置くと、レジ袋から惣菜を取り出し、電子レンジで温める。
ピーピーピーと急かせるようにお知らせの音が鳴ったところで男は立ち上がり、電子レンジの扉を開く。
少しの湯気と共に、出汁の食欲をそそる香りが中から流れ出てきた。
それをつまみに再びビールを飲み出す。
珍しく三本も缶ビールを空けたところで欠伸をしてから立ち上がり、缶やら惣菜のトレイを台所の水場に置く。
そして、自室に行ってベッドへと倒れこむかのような勢いで寝に入った。
翌日。
男はゆっくりと目を開けると、目の前には猫の顔が。
寝ころんだまま欠伸と伸びをすると、猫はベッドから降りていった。
頭を掻いて上半身を起こすと、鳥が男の頭の上に乗った。
もう一度欠伸をして、男はベッドから出る。
そうすると鳥は飛びあがり、スーッとダイニングの方に飛んで行った。
男はダイニングに入り、昨日の片付けをする。
空の容器を水洗いして、乾かせるように洗い場の上に置いた。
それから猫と鳥にエサを用意すると、猫も鳥もやってきてエサを食べ始める。
その様子を見届けると、いつものリュックサックなどを用意してから扉へと向かった。
今日の扉は、今までの中で一番と言っても過言ではないぐらい異様に思えた。
金属製で曲線状の外壁に、隙間なく空気さえも入り込まないような造りで、小さな窓がひとつついていた。
その窓の先は、カーテンのようなもので中が見えないようになっていた。
取っ手は扉板からくの字型に飛び出ており、それは折り畳んで収納することも出来そうだ。
取っ手の下には右回りの円状に描かれた矢印があり、この取っ手を回すことによって、ロックが外れるのだろう。
男は躊躇いつつも取っ手を回し、力を入れて扉をスライドさせた。
目の前には収納スペースのような大きな扉があり、右手には通路が見える。
風などは感じられず、中からは応接室のような独特の香りが漂ってきた。
扉をくぐって中に入ると、途端に耳に違和感を感じた。
男は耳抜きをすると違和感が消え、そこで初めて足元がふわっとした絨毯の感覚だと気付いた。
通路に進むと、すぐに開けた場所に出る。
その場所には、リクライニングシートが両脇・中央で三列ずつ、規則的に並んでいた。
壁際に視線を移すと、30cm程の小さな窓が一定間隔で嵌められていた。
男は壁際の席に座り、窓を覗いた。
眼下には白い雲が広がり、後方へと流れていく。
時折、緑の大地と青い海の雄大な景色が雲間から見えた。
と…飛んでる。
扉を閉めていないのに?
ハッとなって窓から室内に視線を移し、辺りを見回すが人は一人もいない。
男は怖くなって立ち上がり、前方から後方、乗務員室、少しゆったりしたシートの部屋と次々に人を探しに行ったが、見つけられない。
そこで最終手段として、運転席へと向かう。
運転席を遮るドアの前に到着したが、ドアは閉まっており、開けることも出来ない。
そこでドアをノックしたり、少し強めにドンドンと叩いても反応がない。
落ち着いていられなくなった男は、慌ただしい足取りで家の扉へと向かった。
扉の前に到着した男は、扉が開いていることに安堵し、ひとつ深呼吸してから扉へと飛び込んだ。
…そして、男は意識を失った。
少し時間が経ち、意識を取り戻した男は周りを見渡す。
そこで自分がダイニングの椅子に座っていたことに気付いた。
時計を確認すると、夜に差し掛かるような時間だった。
ふぅーーっと長いため息を一つつくと、立ち上がって猫と鳥のエサを用意し始めた。




