第29扉 滝
今週は雨が続き、鬱陶しい日々が続いている。
そして、今日もそんな日だった。
窓から空を見上げると、厚い雲に覆われ、しとしとと雨が降っている。
そんな朝は少し憂鬱な気分に浸りながらも、気持ちを奮い立たせてベッドから起き上がった。
男がダイニングへと向かうと、寝ていた猫が寄ってきて、身体をすり寄せながら鳴き、エサの催促をしてきた。
そんな猫を見て少し癒された男は、猫と鳥にエサを用意した。
ぽつぽつと降り続く雨に打たれながら、なんとか駅に辿り着き、男は電車に乗る。
生乾きの臭いと濡れた床が、満員電車の雰囲気を一層悪くしていた。
駅から出て会社に向かっていると、歩いている上司を見かける。
声を掛けるつもりはなかったが、風に煽られて傘が折れてしまった場面を見てしまった。
しょうがないな…と、傘を差し出す男。
会社まではあと少しだし、走ろうか…と構えたところで、手を引っ張られる。
説得したが、一度決めると頑として譲らない上司。
結局はひとつの傘に入って、通勤することになってしまった。
出勤途中なのだから当然、他の社員に見られる。
男が自席に着いて腰を下ろすと、あっという間に人だかりが出来て、喧騒の輪の中心へと放り込まれた。
あっちからキャーキャーと歓声、こっちからグダグダと文句の嵐。
実に鬱陶しい、そんな気分から始まった仕事だった。
昼休みもわざわざ文句を言いに来る男連中。
最初は相手していたが、嫌になってそいつらを適当にあしらって席を立ち、ゆっくり出来る場所を探す羽目になった。
幸いなことに仕事上はトラブルがなく、業務を抜け出してまで文句を言いに来る連中はいなかった。
今日は残業しても仕事にならないなと感じた男は、早々に仕事を切り上げ、事務所を出る。
玄関先では上司に男連中が何やら誘いをかけていたようだが、それを横目に早足で駅に向かった。
鬱陶しさで心身にダメージを受け、やっとの思いで帰宅した男。
濡れたスーツを脱ぎ捨てると、下着のままで冷蔵庫に直行し、缶ビールを取り出してぐいっと勢いよく呷った。
その勢いのままにドカッと椅子に座ると、猫と鳥が男の傍らにやって来た。
猫は鳴いて夕飯の催促のようだったが、鳥は頭の上に乗り、羽を休めている。
男はもう一度、缶を呷ると立ち上がり、エサの用意をした。
用意したエサ皿に猫と鳥が向かっていって食べ始めると、男は雨で冷えた身体を温めようと風呂場へと向かった。
そして、翌日。
眠気眼を擦りながら、ベッドで上半身を起こした男は、両手を上にあげて伸びをする。
そして、起き上がり、猫と鳥のエサを用意するためにダイニングへと向かう。
キッチンの棚にあるエサの置き場を見たら、猫のエサがない。
男は慌てて着替え、コンビニへと走った。
コンビニでエサと扉へと向かう準備の物を買い込み、急いで家に戻る。
ハァハァと息を切らしつつもダイニングへと向かい、エサを用意した。
ひと息ついたところで、買ってきた朝食を食べる。
朝食を食べ終え、扉に向かうための準備を終えても、猫も鳥も来なかった。
準備したリュックサックを担いで扉に向かうと、すれ違いで猫と鳥がダイニングへと向かって行った。
そして、男は扉の前に立つ。
今日の扉は、まるで岩肌を削り出したかのような凸凹した壁に据え付けられていた。
扉枠は太い金属、扉板はアルミのような金属で、鈍い銀色の光沢が男の目についた。
左側にある取っ手の部分は深い溝があり、引き戸だと分かった。
その溝に手を掛けると、ヒンヤリした金属の感触が手に伝わる。
男はその扉の溝に両手を掛け、力を入れて右へと引いた。
ガラガラガラと重々しい音が響き、扉が開く。
冷気の含んだ風と土の香りが流れてきて、目の前には薄暗い洞窟が現れた。
薄暗くはあるが、一定間隔でランタンによる光があり、先へと進めそうだ。
扉をくぐって洞窟を進んでいくと、道の先の方から小さな光が見えた。
あれが洞窟の出口だろうか。
近づくにつれて、出口から漏れ出す光は大きくなっていき、それと共にサァーという大きな水音が聞こえてくる。
そして出口に到達すると、目の前にはレースカーテンのように真っ白な水飛沫が視界一面に広がっていた。
その光景に男は圧倒され、しばらく立ち尽くす。
時折、その水飛沫から洞窟へと迷い込んだ水滴が男にかかった。
我に返って辺りを見回すと、出口は正面以外に水から逃れるように下る坂道が左へと続いていた。
そこで男は、その下り坂を降りることにした。
ところどころ水で濡れていた路面の悪い道を慎重に下っていく。
この辺りは森なのだろうか。
木々の香りが清涼な風に乗って、男の鼻腔へと運ばれてくる。
下りきると開けた場所に出た。
正面に滝壺があり、木漏れ日に照らされた中、水音に混ざって聞こえてくる鳥の鳴き声が心地よい。
男は倒木に腰を下ろし、空を仰ぎ見る。
見つけたカワセミを目で追うと、滝壺へと突っ込んでいき、魚を捕まえて飛び去って行った。
落ち着いたところで喉の渇きを覚えた男は、リュックサックを背から降ろし、ペットボトルを取り出すと開けて、一気に呷った。
ふぅ…というため息を漏らす。
日差しは強いが、滝のお陰で辺りは丁度いい気温になっている。
滝壺の方に視線を移すと、遠くの方で一組の鹿が水を飲んでいた。
ふと一陣の風が男を通り過ぎる。
滝の水滴を舞い込んでいた風は、男の頬を濡らした。
男はそれに気付かず、ボーっと空を見上げる。
強い日差しで額に浮かんでいた汗と共に、水滴は背中へと流れ落ちた。
穏やか気分で景色を眺めていると、小腹が空いてきた。
リュックサックから、少し潰れたサンドイッチを取り出して頬張り、飲み物で胃へと流し込む。
腹も満たされた男は、再びボーっと景色を眺め、何をすることもなく過ごしていた。
…そして、どれぐらい経っただろうか。
まだ、日が陰っていないことから、実はまだそんなに時間が経っていないのかもしれない。
それでも男は、ここはもういいか…と感じ、帰るために腰を上げた。
ペットボトルと包み紙をリュックサックに仕舞い込んで、それを担ぐ。
立ち上がると、洞窟へと足を向けた。
普段、運動をしていない男には道が整備されていない登り坂は少しつらい。
やっとの思いで洞窟の入り口に到着した男は、少し息を切らしていた。
タオルを取り出して、顔の汗をぬぐう。
洞窟の土の香りを含んだ冷ややかな風が、男には気持ちよかった。
ふと気になって滝へと視線を移すと、落ちてくる水の中に流木のような大きな物が見えた。
そして、すぐにバシャンバシャンと大きな音が下の方から聞こえた。
大きな音に少しビックリしたが、鳴り止んだことを確認すると、家に向かって洞窟へと入った。
しばらく歩き、扉の前に到着する。
扉の枠にはイモリがくっついていたが、男が近づくと逃げていった。
男はそれを気に留めず、扉をくぐる。
…そして、意識を失った。
男は目を覚ますと、ダイニングの椅子に座っていた。
部屋は暗く、照明がついていない。
暗闇の部屋の中を慎重に歩き、照明をつける。
いつの間にか傍らにいた猫が、眩しそうに瞳孔を細めた。
時計を見て時間を確認すると、20時を過ぎている。
驚いた男は、慌てて猫と鳥にエサを用意し始めた。




