第23扉 空中庭園
今日は凄く消耗した日だった。
何かと言えば、何でもと言いたくなるぐらい心身ともに疲労した日だった。
日々の疲れか寝起きは足が吊って強烈な痛みと共に目覚める、通勤電車はいつになく混んで乗り込めずに一本遅らせる羽目になる、次の電車待ちをしていたら歩きスマホの人物にぶつけられてホームに鞄を落とす。
通勤までだけで、この有様。
仕事中でも先輩のミスで電源が落ちて打ち込み中のデータが消える、自分ではなく同僚の発注ミスで叱責を受ける、開けっ放しにされていたデスクの引き出しに足を引っかけて服を破る…と散々だ。
おまけに気の知れた上司や同僚が居なかったこともあり、慰めやフォローもない。
それらのミスをフォローするために遅くまで残業して、仕事上がりの頃にはぐったりしていた。
それでもエサを待っているであろう猫や鳥のため、頑張って帰宅することにした男。
何故か帰りの電車まで、朝に迫る勢いの満員電車。
這う這うの体で帰宅した男はエサを用意すると、フラフラと倒れそうな足取りで自室に向かい、着替えもせずにベッドへと飛び込んだ。
そして、翌日。
疲れが取れないまま朝早く目が覚めた男は、すっきりさせるためにシャワーを浴びに風呂場へ向かう。
そのシャワーで日頃の疲れが少し溶けていった気がした。
シャワーを終え、風呂場から自室に戻ってきて、ベッドにゴロンと横になる。
そこで気づく。
今日は土曜日だったな、と。
疲れもあって少し迷ったが、結局は行くことに決め、立ち上がってダイニングに向かった。
猫や鳥にエサを与えながら、行くための準備はどうしようか?と考える。
結構時間が経っていてもう正午に近い。
飲み物だけでいいか…と思い、冷蔵庫からペットボトルを取り出すと自室に戻る。
リュックサックを引っ張り出して中身を確認すると、ペットボトルとタオル、着替えを詰め込んだ。
そして、扉の前に立つ男。
今日の扉は両脇に白磁の柱を抱えた豪奢な様相だった。
意匠自体はシンプルな両開きの扉であるが、全体が白く神聖な気配を感じる。
扉板の上部に青を基調とした丸いステンドガラスがはめ込まれていた。
取っ手の部分に視線を移すと黄金色の金属で出来ており、片側には鍵穴が見て取れる。
男はその取っ手に手を掛け、扉を開いた。
扉の先から草原の様な緑の香りと、爽やかな風が流れてきて、男を包み込む。
目の前には一直線の石畳の道、両脇にコスモスの花が咲き誇っていた。
扉をくぐり、見上げると一面の青い空が男を出迎える。
その空には一片の雲も存在していなかった。
空気は澄んでいて、少しの冷気が頬を撫でる。
綺麗に植えられているコスモスを横目に石畳の道を進んでいくと、目の前に大きな噴水が現れた。
噴水の水飛沫が太陽の光を浴びて、キラキラと光り輝いている。
その光は噴水へと落ち、パラパラと音を立てていた。
噴水を中心として四方に石畳の道が伸びており、その合間に三人掛けのベンチが据え付けられていた。
男はその一つに腰を下ろし、ふぅ…とため息をついた。
背もたれに寄りかかり、仰ぎ見る。
どこまでも青が続く空だった。
しばらくして視線を噴水の先の方へ移すと、通路を挟んで両側にガゼボが建っている。
ガゼボの周りは木々が植えられており、丁寧に刈り込みされている様に見えた。
男はベンチから立ち上がると、ガゼボまで歩みを進める。
辿り着いたところで、違和感を感じ、床面へ視線を移した。
ガゼボの床面中央部はガラスで出来ている様だ。
ガラスに近づき、目を凝らすと遠くの方に小さく森や山々が見えた。
そうか、ここは空中だったのか。
ゾクッと背筋が冷える。
男は高所恐怖症ではないが、それでも不安な気持ちが呼び起こされた。
ガゼボの椅子にすとんと腰を下ろし、ため息を漏らして空を仰ぎ見る。
少し冷たい澄んだ空気と花の香りが、風となって男の頬を撫でた。
リュックサックから飲み物を取り出し、それを呷る。
喉の渇きと焦りが引いていき、心が潤うことで落ち着きが戻ってきた。
そこで、周りの景色を楽しむことに気持ちを切り替える。
時折吹く風で、植えてある花や木々がサラサラと音を立てて、踊っている様に見えた。
視線を石畳の道の先へと移す。
そこにはアーチがあった。
アーチには蔦が絡み、上の方には紫色の花が垂れ下がっている。
男はその近くまで進もうと空のペットボトルをリュックサックへ突っ込み、腰を上げる。
辺りの景色を見ながら、ゆったりした歩調でアーチの前まで来た。
アーチの通路は一面、藤の花が咲き誇っていた。
男は立ち尽くして、それを眺める。
時間が経ち、しばらくすると男は動き出す。
アーチの通路には進まずに、引き返すことを選択した様だ。
くるりとアーチに背を向け、歩き出す。
急がず、行きと同じゆったりした歩調で進んでいくと、噴水の前まで戻ってきた。
噴水は最初に見た吹き上がる程の激しい水量ではなく、穏やかに水が流れていて、水飛沫は上がっていなかった。
それを横目に家路の石畳を進む。
途中、オコジョらしき動物がサッと目の前を横切っていったが、それ以外には何事もなく、扉の前に辿り着いた。
気になって後ろに振り返る男。
そこには遠くの方で見守っているかの様に、カモシカがこちらを見つめて佇んでいた。
男は気にする様子もなく、目線を切り、扉へと振り向いてくぐった。
そして、男は気を失った。
目を覚ますと男は自室のベッドで仰向けに寝ていた。
視線を周囲に移すと、猫は男の足を枕にして寝ている。
鳥はこの部屋にはいなかった。
窓から茜色の光が部屋を照らしている。
時計を確認すると、夕方のいい時間となっていた。
起き上がり、その場を離れると、猫が不機嫌そうな視線を向け、再び寝に入っていった。
男は夕食はどうしようか?と考えながら、自室を出て行った。




