第16扉 灯台
今日はゆとりのある日だった。
朝は早起きも寝坊もなく、いつも通りに猫と鳥にエサを与えてから、会社に向かう。
以前に助けた後輩から旅行のお土産を貰い、それを食べながら淡々と日々の業務をこなす。
突発の仕事もなく、ほぼ定時で上がることができた。
いつもとは違う大きめのスーパーマーケットに寄り、いいつまみがないかと惣菜コーナーを物色する。
エサの買い置きが残り少ないな…と、色々買い物したせいで両手いっぱいのレジ袋を持つ羽目になってしまった。
悠々と帰宅した男。
買い物袋の中身をひと通り整理してから、リビングのソファーにどかっと座った。
小一時間、携帯電話でぼんやりと動画サイトを流し見る。
ひと息つき、落ち着いたところで、猫や鳥にエサを与えた。
気分が良かったので、いつもよりもグレードアップしている。
エサを食べている様子をのんびりと眺めながら、プシュッと缶ビールの蓋を開けた。
ゴクンと喉を鳴らし、一気に1/3程を流し込む。
そして、缶を一旦テーブルに置き、買ってきた惣菜を冷蔵庫から取り出して、目の前に並べた。
男が席についたところで、猫は他の部屋に行き、鳥は男の肩に止まる。
それらを気にすることなく、男は惣菜のから揚げに手を付けた。
男は食事が終わった後、ぬるめのお湯が入った深皿を置く。
そうすると鳥はそこに入って水浴びを始めた。
それが男とこの鳥とのコミュニケーションだ。
何故かこの鳥は、水よりもぬるめのお湯の方が喜ぶ。
それをボーっと眺めて時間は過ぎていった。
そして、次の日。
土曜日の今日に備えて、スーパーマーケットで色々と買い物してきた甲斐もあり、準備万端だ。
リュックサックにはいつもの道具一式に食べ物や飲み物、着替えやタオル、そしてアルコールティッシュを用意している。
男はそのリュックサックを担ぎ、扉へと向かった。
今日の扉はいかにも頑丈そうな金属の扉。
白い塗料が塗られているその扉は左右三箇所ずつ、上下一箇所ずつ留め金で封鎖されている様にも見える。
その内、左のひとつは蝶番だった。
留め金や蝶番を確認するとロックはかかっていない。
それらを外し、その扉を開いた。
そこは閉塞感のある円筒状の部屋だった。
どこからか、潮の香りが流れてくる。
扉をくぐり、中に入るとカツーンと足音が室内に響き、壁の外からビューと強い風の音が聞こえた。
目の前には金属製の螺旋階段があり、かなりの高さまで続いている様だ。
ここに居てもしょうがないと考えた男はその階段を登ることにした。
カンカンカン…と金属独特の音が、一歩一歩と鳴り響いて進む。
着いた場所は何やら電気で動かすような機械があり、端の方に上へと続く梯子が掛けられていた。
階段を登った男は少し疲れたため、金属製の箱の上に座り、ほっと息をつく。
リュックサックから飲み物を取り出し、それを呷る。
全部は飲まずにリュックサックへとしまうと、目の前の機械が気になって、じっと見つめる。
大小幾重にも歯車がかみ合っており、何かを大掛かりに動かす装置の様だ。
その手のことにはあまり詳しくはない男は、それ以上の考察をあきらめて立ち上がる。
リュックサックを背負い直すと上に登るため、梯子に手足を掛けた。
登り切った男は絶句する。
部屋の開いた扉から見えた外は、絶景のパノラマだった。
遠くの方に水平線が見え、近くの海岸は絶壁で波が打ちつけられている。
外から吹いた風は潮の香りと後ろへと押し出すような強さ。
もし帽子をかぶっていたなら、飛ばされたことだろう。
視線を周囲に向けて辺りを確認すると、この建物の場所はあまり広くはない孤島に立っている様だ。
波の打つ音とカモメの様な鳥が鳴き声だけが時折聞こえる。
男はそのまま立ち尽くし、呆然と景色を眺めた。
しばらくそうしていると、辺りが暗くなってくる。
厚くて黒い雲が空中に広がり、天候が怪しくなってきた。
潮風が一層冷たくなり、空から水滴が舞い込む。
雨音が大きくなってくると、建物への吹き込みが激しくなり、少し濡れてしまった男は下の階へと降りることにした。
降りた先の機械がある部屋は窓がなく、外は見えない。
雨が吹き込むこともないので、そこで濡れた上着を着替えることにした。
リュックサックからタオルと着替えを取り出すと、着替えを金属製の箱の上に置き、タオルを頭にかける。
わしゃわしゃっと頭を拭き、着替える男。
遠くの方からゴロゴロと雷鳴が小さく聞こえた。
着替え終わり、どうしようか…と考えたところで、食べ物があったことを思い出す。
腹の減り具合もちょうどいい。
窓がなくて味気ない場所ではあったが、食事を摂ることにした。
着替えを置いた箱の上に座り、リュックサックから取り出した食べ物を膝の上に置く。
リュックサックから更に飲みかけの飲み物を取り出し、座った場所の横に置いた。
隔てた壁の外から小さく聞こえる風や雨、そして雷鳴を聞きながら、無言で食事を摂る。
食べ終わった頃にはそれらの音も消えていた。
男はリュックサックに着替えや飲食物の入れ物を詰め込んで担ぐと、再度梯子を登って外の様子を窺った。
あっ!
外はいつのまにか晴れていた。
男は急いで梯子を駆け上がり、外の扉に向かう。
先程の景色とは明確に違う物が目の前に映し出された。
虹だ!
息をのむ男。
半円状に輝く虹は、雨雲が覆っていた空と一線を画す美しい光景だった。
男は呆気にとられ、その場に立ち尽くす。
時間を忘れて呆然と景色を眺めていると、空が茜色を帯びてきた。
それと共に虹は薄れ、消えていく。
もう時間だ…と気づいた男はこの場を立ち去る。
梯子で下の階に降り、階段を下る。
そして、家へと続く扉の前に立つ。
扉の横には大きな蜘蛛の巣らしきものが張っていた。
最初に来たときはなかった筈だけど…と思ったが、蜘蛛は一晩で巣を張るしなと思い直して、扉をくぐる。
そして、男は気を失った。
男は気づくとベッドの横にある窓に寄りかかっていた。
窓の外は薄暗さと茜色の空がせめぎ合っている様に見える。
隣の家の方を見ると、紫陽花の花が庭に咲き誇っていた。




