執事の矜持──『光と影の隙間で』
──本当の強さとは何か。
それは怒りでも悲しみでもなく、ただ静かに立ち続ける力だと、私は思う。
「お嬢様を離せ!」
サンゼールの声が、まるで刃物のように空気を裂いた。普段の穏やかな彼からは想像できないほど、剥き出しの怒気がこもっている。
私はその勢いに目を見張りながら、彼の腕を掴んだ。制止というより、彼を守るためだった。ここで彼を行かせてはいけないと、直感が告げている。
「サンゼール、今はまだ」
私が静かな声で囁くと、サンゼールは驚いたように私を見つめた。その瞳には焦燥と戸惑いが入り交じっている。その目に、かつて見たことのないような感情が宿っているのを、私ははっきりと感じた。
その間にも、バリガは余裕のある表情を崩さなかった。片手を腰にあてがい、まるで事態を楽しむかのように冷淡な笑みを浮かべている。
「やれやれ、余計な手間が増えたものだ。薬漬けの女一人で事足りるはずが……面倒事は嫌いでね」
バリガがそう言って肩を竦めると、玄関ホールの影に控えていた男たちが一斉に微かな動きを見せた。男たちの視線、姿勢、身のこなし、そのすべてに殺気が滲んでいる。彼らはただの下っ端などではなく、明らかにプロのそれだった。
私の背後でイワンが小さく震え、怯えた声で私に囁く。
「クロード先輩、あいつら……本当にヤバそうですよ……どうすれば……」
その震え声に、私はちらりと振り向き、安心させるようにイワンの肩に手を置いた。
「わかっています、イワン。でも、私たちはここで、執事として守るべきものを守らなければならない」
私の言葉にイワンは少しだけ目を見開き、そして固く頷いた。小さなその背中に、勇気が宿ったことを感じる。
一方でサンゼールはまだ激しい息をしていた。彼の肩が荒く上下し、握りしめた拳が小刻みに震えている。放っておけば今にも飛び出しそうなほどに張り詰めていた。
私は彼の前に立ち塞がるようにして、穏やかな声で話しかける。
「サンゼール。あなたのそんな顔、初めて見ました」
その一言に、サンゼールの瞳が大きく見開かれる。私の言葉が予想外だったのか、彼の唇が小さく震えた。
「以前のあなたなら、こんなときは諦めていたでしょう。少しだけ抵抗して、すぐに運命を静かに受け入れていた。でも今のあなたは違う。戦おうとしている」
私の言葉が、彼の心の深いところに届いたのが分かった。瞳の奥に宿った怒りが、次第に新しい決意の光に変わりつつある。
「それがどんなに尊い変化か、あなた自身がまだ気づいていないのなら──私が証明してあげます。さあ、行きますよ!」
サンゼールは私の言葉に静かに頷いた。その表情にはもう迷いはなく、覚悟が色濃く浮かんでいた。
バリガが鼻で笑う。
「茶番は終わりか? では始めるとしよう」
その声に呼応するように男たちが動き出す。しかし私はそれに動じず、堂々と前に踏み出した。背筋を伸ばし、視線を強く前に据えたままはっきりと告げる。
「いいえ。これから始まるのは、クロード流の──『お掃除』です」
私の宣言に空気が一気に凍りつく。
男たちの動きがわずかに止まり、バリガの目が細められる。
サンゼールが私の隣に並び、イワンもまた勇気を振り絞るように私の後ろに立った。私たち三人の間に確かな繋がりが生まれ、それが新たな決意となって心に強く響いた。
私たちはもう、何も恐れない。




