03_60T 『後日談Ⅴ』 キャシディ・エヴァンス、ガイ少年、ルーク・アンダーソン
自由都市ズールからマーニー女子爵が来訪していた。重要人物の警備には、いつも気を遣う。大物らしい、とキャシディ・エヴァンス保安官が緊張するのは、ポレシャ市が田舎町だからかも知れない。
黄昏の時代に子爵と言う称号も、やや胡散臭さの漂う肩書ではあったが、都市の有力者が敢えて名乗るならば、爵位相応に扱うのが礼儀だろう。曠野においても伯爵以上は成り上がりが名乗るに、些かの勇気と危険さを伴う称号だ。最低でも三つか、四つの集落を実効支配し、百人ほどの私兵を抱えている身代でなければ、名乗る方が役不足と見られ、却って軽んじられる。情勢を鑑みれば、子爵と言うのは都市の有力者の家系が名乗るには、丁度、手頃な称号かも知れない。
まだ青々としてる七月の麦畑を縫って西街道から遠回りしてきたのは、ポレシャの穀倉の規模を確認する為だろう。黒塗りの二頭立て箱馬車が見えてきた。七、八人の騎馬護衛が箱馬車を囲んでいる。ほぼ全員がレバーアクションのカービンライフルか、肩に掛けた扱いやすそうなサブマシンガンを所持していた。
騎兵兵装としては曠野で最高に近い品揃え。運悪く数匹の変異獣やら、小規模な屍者の集団に遭遇しても、どうとでも対処できる戦力だ。確かに大物だ、とキャシディは評価する。ポレシャ市の勢力圏内でズールの使者に手出しする馬鹿な盗賊がいるとは思わなかったが、それでも一応ポレシャ側からも迎えを出している。
ポレシャ市にとって、ボルトアクションライフルを所有する狙撃兵たちが最高戦力だが、ほぼ全員が市民か、裕福な正規居住者。かつ、先だっての合戦で呼び出したばかりだし、他に正業を持っているか、警備隊。或いは、治安関係者ばかりだ。その為に今回、お茶を濁す形ではあるが、セラミック鎧か、普通のプレートメイル、鎖帷子などを纏った騎士の一団を迎えに出した。
一際、偉丈夫の女騎士が有角変異馬に跨って、先導している。その後ろからはプレートメイルやハーフプレート、胸甲、鎖帷子に槍や剣の近接武装を携えた煌びやかな騎士たちが馬車を守るように続いている。黒地に黄金麦穂を記した揃いのサーコートにマントの美々しさ、秀麗さは、流石にズールの揃いの制服を着た兵士たちさえ及ばずに、仕事の手を止めたり、立ち止って見とれる民衆に農民や旅人も少なくない。
実際には、極まったコスプレ集団なのだ。文明崩壊後の時代とは言え、銃は買えるし、製造だって出来るのに、彼ら彼女らは採算の取れない武装に収入を注ぎ、折を見ては集まって中世の戦争ごっこに興じ、馬を駆っている頭のおかしい変人の集まりで、しかも、聞きつけた流れの騎士や騎馬傭兵、クロスボウ傭兵が寄ってきて、変人同士で通じ合うのか。満面の笑顔で契約したり、従士役を引き受けてる。相手が銃を使う場合は、きちんと銃で応射しつつ、弾切れと見るや近接を挑む頭のおかしい集団だ。
ポレシャ市は、市民と正規居住者、登録労働者などの身分差(或いは階級と呼ぶべきかも知れないが)は、法制度的に存在するものの一応の民主政体であり、騎士を名乗っているクリスティーネ・モーデュソンも、今は騎士に憧れるだけの単なる変わり者で、市民階級の娘でしかない。ただし、裕福な家系の代々が白兵戦技を嗜み、かつ高価な騎士武装を取り揃えて、戦果も挙げている一族の自称・騎士。騎士ごっこと嘲る者はもはやおらず、既に近隣の人々からも騎士扱いされつつあった。市には無邪気に賞賛する者たちも多いが一部、騎士身分の萌芽ではないか、と邪推――いや、懸念している参事も僅かにだがいる。
「おっ、ポレシャ市随一の騎士だ」
くすくすと笑ったコーデリアは、頬に大きな絆創膏を張っていた。
先日の白兵戦闘で女ランツクネヒトたちに切り裂かれた傷が、高速治療薬を用いてもまだ癒えてなかった。ランツクネヒトは一筋縄でいく相手ではなく、特に白兵での勇猛さと駆け引きの巧みさは、もって恐れられる理由だった。それだけに打ち破った騎士たちは頼りになる存在と印象付けられる。
「本人の前でそれを揶揄ったら駄目だよ」キャシディは帽子を被り直しながら、「真っ赤になって照れるんだから」やんわりと告げると、「なら、なんで名乗るのさ?」コーデリアが首を傾げた。
「兜をかぶるとちょっと人格変わる。戦うのが恐くて、暗示をかけてるのかも」
「難儀な性格だ」コーデリアも帽子を被り直している。目の前では、都市貴族の馬車を市参事のパオロ・ジャッコーニとシエル・ガライが出迎えていた。シエルは参事で会では年少だが、将来を嘱望されている。都市の有力者と伝手を繋げさせる為、同行させたのだろう。
何処からか、音楽が響いてくる。目の前のゴチックめいた旧劇場の壮麗な廃墟からか?今は、巣食った渡り人徒党によって修繕され、浴場として使われているそうだが。
マーニー・モリス子爵が馬車から顔を出すとほぼ同時に、折よく音楽が切り替わった。モーツァルトのレクイエム、ケッヘル番号626は、遊牧民の兵団を使嗾した人間を迎えるに相応しい曲だろう。いいタイミングだと、キャシディ・エヴァンスはニヤリとした。流した者が誰であれ戦死した者たちを悼んでいると言い訳も出来るし、都市貴族には歓迎されてないぞと言う警告にもなる。
選曲は多分に偶然だが、或いはマギーの仕業かな?子爵は焦りを浮かべ、パオロ参事は一瞬だけ苦虫を嚙み潰したように唇を曲げた。雑貨屋を経営するパオロとしては自由都市との交易の再開を待ち望んでいようが、ポレシャの安価な麦が無ければ困るのは、ズールも同じだった。むしろ、向こうの方が立場は弱いかも知れない。だからこそ、自由都市はあの手この手でポレシャ市に影響力を及ぼそうとしているのだろうが。
危険な人物と言うなら、むしろマギーではないか、と思う瞬間も確かに保安官にはあった。市の資料室で曠野の貿易目録と既知領域の地図を眺めながら、物思いに耽る姿には、他者を魅了する危険な野心家の魅力が感じられて、一介の行商人に収まる器とも思えなかった。いや、渡り人から稼いでいる行商人になるのは途方もなく大変な道程なのだ。本人も死に掛けて散々だったと愚痴っていたものを、勝手に野心を推し測るのも危険だし、失礼だとキャシディは頭を振るう。
誰かが何かを企んでいる。有能そうに見える。危険な匂いもする。そんな人物も、世には普通にいる。曠野は危険に満ち、普通の人々だってそう容易くない。よほどに巨大な機構を立ち上げれば、話は別だろうけど。世界は重い。身近な人物を気軽に危険視するべきでもない。
都市貴族の護衛部隊に警備状況、マーニー子爵の為人と見たかったものは一通り見た。キャシディは踵を返した。コーデリアが無言で隣を歩いてくる。
町外れ区画をゆっくりと歩き、時々、顔見知り――正直、かつ働き者の渡り人や自由労働者たちに話しかけ、二言、三言、言葉を交わした。
この程度の顔見知りでも、いざと言う時に向こうは相談しやすくなり、またタレコミも増える。キャシディは結構、小まめに近隣の農村にも顔を出しては挨拶している。 今回の戦争でも、味方してくれた村々の斥候たちは幾らか役立ってくれた。日常的に情報網を構築しておくと、戦争でも多少は有利に戦える。勿論、それだけで勝てるほどに甘くはないが。
【王】の兵団の捕虜と戦死者は百名近くを数えた。対して、味方の損耗――死傷者は、三十名をかなり下回っている。
手練の騎兵を多数抱える遊牧民に対しての戦果とすれば、公正に評価して、大勝利と言っていい。もっとも、それで瑕疵一つない勝利だと、無邪気に喜べる状況でもなかった。ポレシャ市は勝利を収めたものの、利権や賠償金のなにひとつを得た訳でもなく、死んだ市民が帰ってくる訳でもない。そもそも市民や正規居住者、信頼できる常備傭兵の十数名が死傷している。全員が信頼できる働き盛りの男女で、不具や後遺症を負い、或いは長期の療養やリハビリで済んだとしても、もっと小さな居留地であれば、存亡を揺るがすほどの損害と負担であった。
戦争は常にそうだが、今回も大幅な持ち出しで僅かな馬や武装などの戦利品では到底、引き合わなかったし、おまけに頭の痛い問題として、戦闘後に貴重な細胞賦活材が消えていた。戦闘中の錯綜していた状況では、どの順序で出入りしていたかの記憶も定かではない。
数えて足りなかった時には、思わず血の気が失せた。重症の市民だけに使ったはずが、一本足りない。一本で済んだのは不幸中の幸いだろうが、本部に出入りできたのは、保安官たちと下士官。それにマギーのみだ。キャシディはほぼ全員を信用し、信頼もしていた。それだけに、疑いたくはないが、キャシディが自分で書類を確かめ、管理もしていたのだ。例えば、誰も盗んでいない。記録や配分、管理のどこかが曖昧だった。戦闘後の混乱で一本多く使われた。勘違いだったとそんな風に結論出来たら楽だろうが、そうではない。
誰も彼も知っている。言わば、身内だ。疑いたくない。だからと言ってやらない訳にはいかない上に、やりづらい事、この上ない。信用できるのはずっと傍にいたコーデリアだけ。事情を知らない私的な密偵や保安官助手、民兵たちに事情を濁しつつ、各々の生活をそれとなく探らせるのがやっと。
マクロード副保安官は、相変わらず地味な生活をしている。本を多めに買っているビブリオマニアの気があるが、浪費と言うほどではない。そもそも誠実な人間で、教会に対する寄付や孤児、寡婦に対する慈善も欠かさない男性だ。賭博と言えば、仲間とのカードくらい。酒も嗜む程度。二十年間で付き合った女性が二人。一度に複数と付き合ったこともない。天地がひっくり返っても、横領などする人物とは思えない。他の保安官たちに下士官たちだって怪しい者もいない。
マギーも恐らくは違う。相も変わらず時々の贅沢をして一見、怪しく思えるが、行商人としてそれだけ稼いでいる。多分に独自に入手するルートも持っている。
高価な代物だが、ポレシャでの商売と信頼を失う危険を冒して、盗もうとするだろうか。マギーにとっては買える代物だ。そして高価とは言っても、精々が都市通貨で数百。僅かな金額の為に、一万都市通貨以上の利益を上げてる商売を棒に振るか?
一万通貨は、仕事に困らない働き者の労働者が家族を養える金額を普通に上回っている。あり得ない。だけど、では、誰が?誰もが同程度に疑わしくないのだ。
下町を見て廻り、人々に挨拶し、世間話を行いながら、キャシディは並列して脳の片隅で思考を走らせた。金銭目的か?転売は割に合うが、リスクは高い。市民や正規居住者が行うか?考えにくい。やや、否定。
或いは、別口で使う必要があった?
細胞賦活材は、貴重かつ即効性があり、正規ルートでは手に入りにくい。
考えられるのは、表に出せない怪我人を抱えている誰かが盗んだ。
正式記録に残せない治療が必要で、使ったこと自体を隠したい。
この場合、盗みは金銭ではなく、治療薬それ自体が動機となる。
状況2は保留。
それこそ敵兵に盗まれたか?考えられない。
では、 組織の内側にいる、善意の越権者の可能性は?
或いは、市民ではない、誰かしらの重傷者の命を救いたいが動機。
だが、手続きや許可を待てない。結果として、一本だけ消えた。
本人は罪の意識が薄い、あるいは正当化している。
悪人ではないが、しかし、状況2に似ているが、この場合、獅子身中の虫をそれほど恐れる必要はない。
状況4は保留
或いは、マギーに疑いを掛ける事を目的として、盗む内部工作……分からん。
容疑者は、身内だ。誰も彼も知っているし、疑いたくない。内部への疑いは、ある意味、敵と相対した時以上に、キャシディの心身を消耗させていた。
マギーに怪しいところはなかったが疑った。そして、それを勘づかれた。
元より鋭いとは知っていたが、想像以上だった。ああも雰囲気が変わるものか。
何故、疑われたかまでは知るまいし、現状、表面上では何事も無かったように振舞うだろうが、友情には罅が入った。暫くは、或いはこれから先、ずっと考慮しなければならない。そして若いマギーに気づかれるのであれば、マクロード副保安官にだって気づかれる可能性がある。いや、その上で年の功で気づいていない振りをしてるだろうか。胃が痛い。町外れを抜けた中町でベンチに座り込むと、「あんま悩み過ぎない方がいいよ」言いながらコーデリアが胃薬を取り出してくれた。
「モーデュソン兄妹は放置しておこう。狡兎死して走狗烹らる。軍権と治安を一手に握るキャスさんは、むしろ危険そうに見えて、実は無害な連中を活かしておく方が長生きできるさ」コーデリアの指摘に、また、キャシディは胃が痛くなった。自身の立場への観点は無かったのだ。
町外れ、中町と経由したキャシディたちは、保安官事務所に戻る途中、門前町を見回った。食料品店の近くで休暇中のキャメロン保安官補と鉢合わせした。
「あ、キャス姉さん」呑気に言ったキャメロン保安官補の抱えてる紙袋にはジャガイモにパン、ズッキーニ、豆、人参と林檎。鶏肉が詰め込まれてる。
「随分と食べる」紙袋を見てコーデリアが呟くと、キャメロンはもごもごととなにかを呟いた。
「ああ、分かってるよ。犬を拾ったんだろう」キャシディは手を振った。キャメロンが廃墟近くで馬鹿でかい白い犬を連れてるのを、誰かしらが見ていた。最後の戦場で拾ったらしい。
「ああ、よく食べるんだ」キャメロン保安官補は肩を竦めた。鼻歌などを歌いながら、屋台で小ぶりな夏林檎を値踏みしている。
「……悩みが無さそうで羨ましいよ」キャシディが思わずつぶやくと
「悩みくらいあるさ」不満げに唸ったキャメロン保安官補だが、ふと話題を転換した。
「エマの遺言と、ミリーの報告書。読んでくれたか?」
「あー、まだ」仕事山積みで疲れ切った保安官の表情を見て、従弟のキャメロン保安官補は頷いた。「俺の方でやっておくよ。万事、片づけておくさ」
少しは頼りがいが出てきたかな、と従弟を眺めたキャシディ・エヴァンスは、(それでも、こいつってことはないなぁ。多分)と判断していた。仮に従弟の知己が死に掛けて、頼んでくれば正規手順で一本なら融通した。開戦前にあらかじめ、そう伝えておいた。報告し、自分の伝手で後で買い足せば許される。キャシディにはそれくらいの裁量はある。最悪、二本使っても、時間はかかるけれど組織に賠償もできる。隠す必要がない。
結局、ポレシャでさえも、完ぺきではないのだろう。市の危急でさえ、盗みを働く者が幹部にいると言うのは、キャシディにとって、何とも堪える出来事だった。
※※※※
曠野の人々が空港や鉄道、港湾と言った大規模交通機関に直接、手を触れなくなってから推定でも数十世代が経過している。とは言え、一度生じた概念までが消滅するほどに時が流れた訳ではない。なにより本や映画、ドラマと言った情報媒体で人々はそれを目にしている。無法者の砦やレイダー王の領域、盗賊村を含めて、余力を持った曠野の居留地であれば、少なからず庶民に対して娯楽を提供している。
特に映画は上映場所と映写機があれば、多勢に対し繰り返し、安価で楽しみを提供できる為、コスト対効果が高かった。古来よりパンとサーカスと言う諺が膾炙するように、適度な娯楽は民心を安定させてくれる。ポレシャ市など、比較的に善政寄り。言い換えれば、貧困層まで目を配る居留地などでは、浮浪者や廃墟生活者まで、安価で映画やドラマを見れたりできる。
ポレシャ市に限った話ではない。衰退はしても学校はあるし、資源も機構も途絶えて中々実らないにせよ、人々は身近を出来るだけ便利で快適にしようとしてる。
辻馬車やスターリングエンジンくらいは、自作してみせる技術者も少なくない。例え、製造できなくても、航空機や機関車は、市井の人々の想像の翼が届く範疇ではあった。
だから、曠野各地に点在する地下鉄駅に関しても、近隣の住人たちは本来の用途も危険性も理解した上で、現段階では立ち入るべきではない場所だとも判断していた。怪物や屍者、変異獣の巣窟と化した危険な地下世界の入り口として、大抵の土地では近づくものもいないか、逆に厳重に封印されている。
ポレシャ市内でも防壁の外れにひとつ、地下鉄駅が存在している。とは言え、此処は危険ではないと見做されていた。はるか以前にトンネルを封じた駅構内の一部には、神官たちが暮らしている。本来であれば、出入り口も封鎖してしまいたい市当局ではあるけれども、地下の『根の神殿』はポレシャ市よりも随分と古く、近隣で最大の居留地に至る過程で有形無形の援助を受けており、見返りもない援助を受けた際には、ただ神殿の権威を尊重するとの公文書を交わしていた。今、移転や封鎖を求めてしまえば、ポレシャ市は途方もない忘恩の徒になるだけではなく、『根の神殿』は各地の比較的に話の通じる穏健派の神殿や寺院、教会に対し、宗教・宗派を越えて公文書のコピーを配送済みであった。
つまり、強硬策に出た場合、どれほど広がっているかも分からない穏健派の宗教ネットワークを敵に廻しかねない。かなり強硬に移転交渉していた七代前の市長は、公文書の話を聞かされた時に苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。いっそ汚名を着せて、と工作する意見も出たものの却下され、在任中は二度と移転の話を持ち出さなかったそうだ。
そうした諸々の噂話をガイ少年に聞かせてくれたのは、同じ厩で働いているやや年長の牧童だ。サドラン牛のグーに付き添いながら、耕作の手伝いをするだけで一人で贅沢に暮らせるくらいの金が入ってくるものの、ガイ少年は全て送金した。手数料は引かれたが、故郷にほど近い北の町の銀行に都市紙幣か、何処でも使える銅貨の形で武装配達人たちに輸送されて、同時に家族からの手紙も送られてくるはずだ。生活費は、厩や牧舎での日雇いで稼いでいる。住み込みなので色々引かれてるが、この間、給料を貰って勧められていたケーキを食べに行った。確かに驚くほど美味く、妹や母親にもいつか食べさせてやりたいと思っている。
ルークさんやジーナ・Cとは今も時々、会って凄くよくしてもらってる。厩舎の先輩やら騎士(初めて見た)の人たちも親切な人が多い。ポレシャは確かにいい町で、来てよかったと思う。イザベルとは中々、会えない。ちょっと様子が変だったが、ニナが言うには時間が癒してくれるそうだ。
ガイを案内してくれたのは、神官見習いの若い少女だった。十代前半にも見える。修道女にも巫女にも見える灰色の折衷された服装を纏い、しずしずと旧地下鉄駅の神殿を進んでいく。墓参している人の姿は、多くはない。戦死者の多くは、有産の市民や正規居住者だったし、傭兵たちにも墓参りしに来る身内は少ない。
『根の国の神殿』は、貧しい人々の為の墓標だ。宗教を問わず、死者たちが眠っている。ひんやりとした地下鉄駅構内に小さな写真が飾られて、蝋燭が揺れている。
貧しい者たちは、教会や寺院には埋葬されない。
病院でも、治療は後回しにされる。ロニも後回しにされた。
大規模な戦闘を控え、最高の医師と治療は軍人や市民の為に温存された。
それでも、ロニも見殺しにされた訳ではない。輸血や手術を受けられただけよかった。仕方ない事だと、グラハム『狐』バートンは繰り言のように呻いてた。写真の前で立ち止ったガイは、墓前に箱に包まれたケーキをおくと、座り込んだ。
【王】タリウスの兵団が敗走して程なく、自由都市ズールの議員や貴族たちが出張ってきた。和睦を仲介すると嘯きながら、自由都市ズールは、疎遠になりかけていたポレシャ市に対し、適正な価格で小麦を売却するよう求めたが、足元を見た条件は突っぱねられていた。遊牧民たちを使嗾したのは、多分にズールではないかと言う噂も広まっている。「牛を奪う為だけだとすりゃ、兵団は大仰に過ぎるわな」とハロルド・コッゾォがぼやいていた。
戦争が続くのか。人々は交渉の経緯を注視していたが、結局は落としどころが見つかったらしく、遊牧民たちとポレシャ市の和平が結ばれる見通しだ。仲介の労を取った自由都市は得る物は少なかったが、遊牧民たちも咎められず、むしろ、都市の一部街道の警備と通行料徴収の仕事を廻して貰ったとさえ耳にした。噂話に興じる住民たちは「結局、世は事も無し」などと口にしていたが、ガイ少年には好き勝手した悪党どもが得をするような結末がどうしても割り切れなかった。
だってロニは死んでしまった。知り合ったばかりの余所者に親切に振舞って、色々と教えてくれた見習商人の女の子は、今は、もう好物のケーキを食べることも出来ない。エマ・デイヴィスも。二度と帰ってこない。
ただの友達だったけれど、ガイを助けようと命を投げ捨てた少女のことは忘れられそうにない。それでも何時か、この胸の痛みも忘れてしまうのだろうか。
ルーク――歳の離れた兄みたいに感じる――は、いずれ時間が癒すと言っていた。
ガイ少年は途方に暮れたけど、それでも日々は容赦なく過ぎ去っていく。今少し、思い出に浸っていたかったが遠く、地上で午後の鐘が鳴る音が聞こえてきた。休憩時間は今、少しあったが、「また来るよ」と告げて立ち上がった。
神官見習いの少女が後ろに佇んでいた。怪訝そうに眺めたガイだが、合点がいって頷いた。「ケーキは買ってきたばかりです。良かったら食べてください」よくも悪くも、大きな町で暮らしていれば、如才無くなる。
神官の少女は照れたように赤面する。
「そ……そんなもの欲しそうな顔をしてましたか?」
ガイはくつくつと笑って、「勿体ないですし」と差し出した。
少女が俯きつつ、受け取った。きっとロニなら、口笛でも鳴らすだろう。
地上に出ると気持ちのいい風が吹いていた。あと一時間ほどで休憩も終わる。
今日は、休耕田に犂入れをする。沢山の牛が動き回る壮大な光景に胸躍らせながら、ガイは歩いて行った。
ポレシャはいいところだよ、風に混じって、そんな声が聴こえた気がした。
※※※※
曇天の下、夏には似つかわしくない冷雨が降り注いでいた。水に渇した者たちが無作為な雨乞いで煙を巻き上げた為、このような夜に雨が降り注いだのだろうか。
夏にも拘らず、今日はひどく冷え込んでいた。雨乞いした貧民のうち、幾人かは、この冷たい雨で逆に死ぬ事になるだろう。
もっとも、電気やガラス窓で快適な環境に保たれた屋内で暮らす貴族や議員たちにとって、外界でなにが起ころうが影響を受ける事はない。
冷たい雨が屋根や広場を打ち、路地裏で泥濘に足を取られ、冷たく蹲る者たちがいようとも、温室のような屋敷の居室では、暖炉の火が燃え盛り、煌めいた灯りが穏やかに室内を照らしている。外界の苦悶は、あくまで遠景に過ぎず、窓越しに見る風景の向こう側で、中世じみた暮らしをする貧民が悶えようが欠片も興味を示すことはない。
塔高きズールの都において、もっとも巨大な建築物の一つが商会連の所有するセントラルドームであった。都の南端には、密輸同盟が所有する黒き塔『ステンノ』が聳えているが所詮、鋼とコンクリートで出来た醜い旧世界の遺物の再利用に過ぎず、豪奢さも威厳も、白亜のセントラルドームには遠く及ばなかった。
大理石を積み重ねたドームの尖塔は、単なる商業の象徴ではなく、天に向かって伸びる都市の権威と秩序そのものを示していた。対してステンノは、闇に潜む取引の拠点としてのみ存在感を放っている。或いは、密輸同盟がズールを上回る戦力を保持していようとも、自由都市の統治者は、揺ぎ無く商会連――否、ズール成立から続く一握りの家系であった。
セントラルドーム上層において、廊下の一室にある大時計の間では時折、一握りの議員や貴族、豪商たちが集まって世間話を行うことがある。大抵、その後に別の重要とされる会議や民会が開かれるため、回廊はエリートの衛兵隊によって厳重に守られていた。殆んどの者は、出入りする事が出来ない為、予めここで待機を続けるのだ。
テーブルの上に紅茶や緑茶、茶菓子が広げられ、一見、和やかな談笑に見えた。
「さて、 ポレシャが襲われたそうだ。聞いたかね?」
「撃退したそうだ」
「それは喜ばしい。君の友人タリウスは帰ってきたかな」
「わが友タリウスは、無事に帰還した。兵力の六割を保っている」
「力を示したわけだ。これからも頑張って欲しいものだ。己の為にもズールの為にも」
白の塔の最上階。商人たちの会話は、何気なく淡々と続いている。
「報告書を見るに彼は充分に有能に思える。彼の能力と識見に相応しい待遇で迎え入れたいものだな」
「高貴な血筋の客人を迎え入れるのは、ズールの民にとっても大いなる喜びであろう
「賛成」「賛成」「条件付き賛成、然るべき首輪を」
囁きの中、二言、三言のやり取りと取引が行われ、約束が行き交い、次いで話題が転じられた。
「ポレシャは手の内が割れ、弾薬を損耗した。彼らにとって危険ではないかな?不幸なことになるのではと、心配だよ」
「ポレシャの動員能力は、想定以上だ。ポレシャ市はその防衛能力の高さを証明した。戦争は得策ではない。少なくとも現時点では」
「逆に言えば、ズール東方の盾として充分に機能するだろう。
彼のレイダー王や、例の……なんと言ったかな?」
自由都市の有力者たちに取り、ポレシャ市の人物やレイダー王は対等の存在であるが、有象無象の盗賊や無宿人の頭は覚える価値すらなかった。
「無宿人どもや盗賊どもの侵入から中央を守ってくれると期待していのではないかな?」
キャシディ・エヴァンスやヘルナル大尉、マクロード副保安官ら、ポレシャ市の軍事指導者や指揮官たちの資料を眺めながら頷いた。
「良い考えだ。頭目の一人、二人は仕留めてくれるかも知れない」
短い合意が囁かれ、すぐに次の議題に移るが「さて、次の議題だが……いや、もう議会が始まるようだ」開会の鐘が廊下に鳴り響き、議員たちは顔を上げた。
「このような時間帯に開かなくてもいいだろうにな」言いながら腰を上げる。
これから他の議員たちと顔を合わせ、都市の方針を議会で決めなければならない。
表向きの都市の方針を。一応は民衆会派にもそれなりの力はある為、どうでもいい事項について、幾つかの妥協を行わなければならない。だが、真の方針は、名家の当主である元老たちが決めていた。
議員たちを見下ろす位置には、かつて廃都テクタスの議会に置かれていた由緒深き大時計が置かれている。一説には、さらに古い時代より連綿と引き継がれてきた大時計は、ズールに設置されて以来、メンテナンス時以外は一度も止まったことがない。民衆は自由都市ズールの旗印の歯車を、工場のそれと誤解しているようだが、真実は違う。昼もなく、夜もなく動き続ける大時計の間に出入りを許された、一握りの支配者たちの紋章なのだ。
※※※※
街道沿いには軽やかな風に揺れる麦畑が広がり、樽や荷物を積んだ牛の荷車がゆっくりと進んでいた。土塁や簡素な囲いの周囲を子供たちが駆けまわっている。風が茂みや灌木を揺らし、地面に淡い影を投げかけていた。
纏まった休暇を取るには、随分と時間が掛かった。ポレシャの市民軍主力が出払ったために、小規模な盗賊団や無頼の徒党、破落戸たちが蠢動し、一時的とは言え、随分と治安が悪化したからだ。ポレシャ市と三つの地区は揺るがなくても、壁外の小地区や近隣の農村、農場などはそう容易くはいかない。保安官や民兵隊がすぐに駆けつけられない状況と言うのは、悪漢共にとって猫の居ぬ間の鼠の跋扈だったに違いない
誰にとっても想定外だったのは、ポレシャ市民軍が僅か三日で遊牧民に鮮やかな勝利を決め、帰還してきた事だろう。絶好の機会の筈が一転、悪漢共にとっては燻し出されたにも等しい窮地に追い込まれた訳だ。元から数もそれほど多くない悪漢共を、保安官は、街道と集落、農場が襲撃を受けた時間から逆算して、各々の盗賊団のアジトのおおよその位置を割り出し、元からさして数も多くない盗賊団が一つ市民軍に殲滅され、残りのうち二つも、少なくともアジトと物資を失う羽目となった。
廃墟地区で抗争していた徒党もすぐに大人しくなり、少なくとも今は火種は燻っているようには見えない。駆け回った保安官の手腕は評価されたものの目の下の隈は物凄く、市長の「なにか欲しいものはあるかね?」と言う質問に「休暇」と即答した有様には、さすが参事たちも同情を覚えていたようだ。とは言え、話はそれで済まない。廃墟で人間たちが銃弾や火薬を用いて争えば、屍者や変異獣、巨大蟻なども刺激されて奥地より這い出てくる。これらは盗賊や破落戸のように、情勢を見て身を慎んだりはしないし、勝てないからと他所へと縄張りを変えたりしない。本能のまま、或いは何かに促されるままに、人を襲い、喰らい、噛みつき、子を産み、時に同類へと変えて居留地を脅かし続ける。そして、人間の賊徒や破落戸相手と違い、怪物の脅威の小まめな襲撃に対応するには、腕利きの銃士たちを揃え、柔軟に、そしてひたすらに根気強く防ぎ続けるしかないのだ。
結果として、ルーク・アンダーソンも休みなく駆り出された。巨大蟻やらは、騎士たちが鈍器で叩き潰していたが、手強い変異獣と接近戦が危険な屍者ばかりは、射手の出番であった。特に変異獣は、時に壁に昇り、素早い動きで翻弄しながら、数匹で襲い掛かってくる。騎士と銃士たちが連携を取りながら、一つ一つ群れを潰していくしかなかったが、大変な難敵だった。市民軍に死者は出なかったが、装備も練度も劣る臨時の浮浪傭兵には、屍者に噛まれたり、変異獣の餌食となった者も数名は出た。後先考えない馬鹿な無頼徒党がはしゃいだりしなければ、今でも生きていた者がいたはずだ。
時々、ルークもひどく疲れを覚える瞬間がある。際限なく続く戦争と賊の襲撃、湧いて出る怪物――それでも、一連の戦いのおかげで賃金と特別手当ばかりは溜まっていた。
蠢動や襲撃もようやくに落ち着き、一つの区切りがついた頃、北のアルゴーから手紙が届いた。そこには無事を祈る言葉がひたむきに記されていて、ルークは北へと旅立ちたい気分に襲われた。ポレシャ市を終の住処に定めていたが、気づけば、安定や安全よりも心に気持ちを占める面影が、夜な夜な眼前を過るようになっていた。
出物の若い馬を買えたのも、幸いだった。怪我をしていたのを面倒を見る役割を引き受けて日々、手当てをし、語り掛けてるうちに愛着が沸いた。元は遊牧民か、自由騎兵の物だっただろうが、若く素直な馬で、耳元で銃を撃っても驚かないよう調教済みだった。ミリーやガイの事は気がかりだったが、二人とも自力で生活を立てつつあった。丁度、潮時かも知れない。
準備は入念に整えた。地図と食料、水。ライフルはよく整備して、五十発入りの蠟で密封された予備弾薬の箱まで取り寄せた。女が今も待っているか。自惚れているのではないかと、自問自答し、これでいいのかと何度も思い悩んだが、結論は今も同じだった。
辞表を出すと、班長に引き留められた。だが、旅先で待たせてる女がいると言うと、天を仰いでから頷いてくれた。女の副班長に好きだったと告白されたが、冗談だろうか。貯蓄をはたき、辺土の農場では色々と不足しがちな工具や薬、金属製の道具の類などを買い集めて、馬の鞍袋に載せた。見送りには旧知の牧者や班員の他、ミリーとガイ、それにジーナ・Cやイザベル・ミラーも顔を見せた。折あしく、マギーたちは旅に出ているようだが、生きていれば、また会う日も来るだろう。ハロルド・コッゾォが「おい、また顔を見せろよ。奥さんも連れてな」と肘で小突いてきた。 ニヤリと笑って「お前こそいい女を見つけろよ」と肩を叩き返す。
天は高く、風は強い。彼方に巨大な山のように白い雲が沸きあがり、白と赤の丘陵は陽光を反射して銀のように煌めいていた。街の鐘の音が別れを告げるように響いてきた。ルークは一度だけ振り返って、遠ざかるポレシャの街並みを目に焼き付けた。
町の雑踏や商人の呼び声がかすかに届いてくる。
蒼天の下、ルークは馬に拍車を掛けた。ガイやミリーは泣いていた。「――空の下、恙なき旅を」牧者たち――イザベルとジーナ・Cも、各々が天に向かい三発の空砲を発砲する。ハロルドは男らしく、煙草を吸いながら手を振った。
遥か地平にまで続いている前方の街道を、ルーク・アンダーソンは見つめた。
この先になにが待っているか。まだ誰も知らない。
牛を買い付ける話 END
―――――
くぅ疲
群像劇は難しかった。




