03_60R 後日談Ⅲ タリウス
意気揚々と自由都市ズールを進発した【王】タリウスの兵団であったが、辛うじてポレシャ圏から生還した兵士の帰還率は5割を切っていた。
副将であった【族長】ルキウスに名の知れたランツクネヒトの勇剣士ヒルダまでも失い、たった2日間の戦闘の結果としては惨敗と言う以外に形容しようがない結末であったが、戦闘の経緯を慎重に観察していた自由都市の偵察兵らと、報告書を読んだ最高評議会からの評価は、意外にも悪くなかった。
実際、タリウスの指揮は水際立っており、またその戦術も常に明確、かつ最善に近いもので、これを退けたポレシャ側指揮官エヴァンスの指揮の方が尋常ではなかったと言うしかない。仮にタリウス以外の都市議員や貴族将校の誰が指揮を執ろうとも、キャシディ・エヴァンス相手に同等の兵力では、同じ結果にしかならなかった。と言うのが都市軍参謀たちの出した結論で、敢えて反論するものもいなかった。
とは言え、第三者が遠く離れた都市の一室で導き出した結論と、実際に【王】配下として死地で戦った親衛隊や兵士たちからの評価は別である。
敗残の傭兵らが雇い主から離反して脱走しなかったのは、少人数で敵地で脱走しても生き延びれる望みも薄く、支払いを約束された給料も受け取れなくなるからに過ぎない。もし、タリウスが後払いではなく、前払いを選んでいたら、敗戦直後に殺されていたかも知れない。韋駄天ハリスの協力や、まだ生きていた族長ルキウスの人望もあってなんとか兵を纏めたタリウスがポレシャ勢力に張られた封鎖戦を突破し、辛くも虎口を脱してみせると、幾らかは評判も持ち直したが、それでも傭兵にとって、偏に生きて帰らせてくれる指揮官がいい指揮官なのだ。
自由都市ズールに帰還後、報酬を受け取った大半の傭兵たちはタリウスの元を離れたが、金払いの良さに惹かれたか。それとも雇い主が都市と繋がっていると言う風評を考慮したのか。タリウスにとってさえ意外なことに、幾人かの古参傭兵たちは声望を落とした雇い主との契約継続を了承した。いずれにしても、【王】タリウスにとっては、これからが正念場となるだろう。まずは生き残れたらの話であるが。
大地の子の拠点バシカに帰還した兵士たちの足取りは、疲労で鈍く、夏の日差しと舞い上がる埃が肌にまとわりついた。
雑に粗末に補修された廃墟や昔の住宅、泥や端材で建てられた小屋、陽光に色褪せた布天幕や家畜小屋が無秩序に点在しており、崩れた歩道や巨大な瓦礫の隙間を縫って進む兵士たちの隊列に物陰や扉の奥から、好奇と恐れが入り混じった目が向けられている。
散っていながらも眺めてくる群衆には、古くからの住人や廃墟生活者の他、仕事を求めてやってきた自由労働者や渡り人の姿もあった。帰還を聞きつけ、他の地区から見物にやってきたと思しき、労働者や近隣農民、それに浮浪者や乞食の姿まであって「あの中には、ポレシャに飼われてる奴もいるだろうよ」と帰還兵の誰かがそっと囁いた。
家々からは炊煙が立ち昇っていた。飯時の穀類や肉の焼かれる匂いに、家畜や糞尿の臭気、垢じみた饐えた臭いまでが漂っているも、それでも兵団は、母都市に――麗しの自由都市ズールへと帰り着いたのだ。
バシカ地区は、古いコンクリート製の廃墟が多い。建物の崩壊した壁や亀裂を土嚢や瓦礫で埋め、銃兵や斧を持った民兵を配置すれば、一つ一つが強固なトーチカを連ねた、要塞へと早変わりする。コルはそれを行った。
「なんとも……歓迎されておりますなぁ」韋駄天ハリスの感心したような物言いに、「皮肉は止せ」とため息を吐きつつも、「連中の大事な族長を戦に連れ出して、死なせてしまったからな。こんな目も向けられよう」憂鬱そうな表情を浮かべ、【王】は馬車から道沿いを眺めていた。親衛隊と騎兵の過半は連れ帰ったとは言え、得る物もない負け戦。時代が時代なら、長の首を落とすだけでは収まらぬだろう。
露骨な害意や敵意ではない。それでも物陰に隠れ潜む氏族民からの冷たい視線に晒されているだけで、冬の寒風に吹かれているかのように肝が冷える。
老人や女子供の姿が目立った。若者や壮年層が三人、五人と遠征に参戦していたのだから、当然だ。そして小さな氏族にとっては、十人単位の男手の喪失。或いは勇敢で戦える適齢の女たちの喪失は、恐ろしい損害であった。
民主国家であろうとも、専制であろうとも、味方に対する恐さと緊張は常に存在している。戦争責任の追及、失策を犯した者への糾弾、誰が死なせたか。
文明世界の制度が緩和してさえも、人は感情と損失で動く生き物だ。指導者であればこそ、千々乱れる感情の矛先からは逃げられない。法も制度も脆い文明崩壊後の時代。敗戦した以上、血縁と武力が支配に直結する共同体の王であれば、恐れるべき味方との対峙へと至る局面は、避けてはならぬ帰結でもあった。
帰還したタリウスを留守役の氏族幹部コルは表面上、うやうやしく迎え入れた。老人や少年少女の多いコルの兵団が待ち受けている。煮固めた革鎧に火縄銃や燧石銃などマスケット銃を掲げ、ローマの直剣グラディウスを吊るしている。この予備兵団とコルが双子丘の決戦時に居れば……一瞬だけ、そう夢想したタリウスだが、詮無い未練だと切り捨てた。なにより兵力が多ければ、ポレシャとキャシディ・エヴァンスはまた異なる作戦を取ってきたに違いない。
王の天幕前の街路に兵たちを整列させ、「よくぞ、ご無事で帰られました。【王】よ」往時のローマ兵の如く胸に拳を当てながら、コルは生存者たちを出迎えた。親衛隊士らは、やや気まずげに注がれる眼差しから目を逸らし、ルキウスに付き従った遊牧騎兵らは、疲労を滲ませた無表情で、何もかもを無視して天幕や泥小屋、廃屋の片隅や旅籠の一室へと散っていった。
戦士コルは、しかし、族長ルキウスの誰よりも忠実な臣下だった。己が新たな氏族を立てる土台と力量も兼ね備えれば、ルキウスに取って代わる機会もあったが、若き族長を支え続けた男。そんな忠臣が主君を死なせた相手を、例え、【王】と言えども許すはずがない。なにより族長の臣下であって、形式的にも王の臣下ではない。
コルの忠誠心は重く、堅い。だが、族長ルキウスに対する個人的な友誼だけで支え続けるほど、甘い男でもない、とタリウスは見ていた。コルが一義に考えるのは、己の野心や友人への私情ではなく、氏族の事だ。ルキウスが氏族にとってよき統治者であったからこそ、コルは仕えていた。
だからこそ、敗北したタリウスは万死に値すると判断しても不思議はない。
ポレシャのエヴァンスは、恐るべき敵であったが、敗者とは、しばしば単なる無能扱いされる。或いは、即座に殺害されるだろうか。だが……
【王】タリウスが大天幕へと帰還すると、氏族の有力者たちが揃っていた。中には我が子を失ったか、血走った涙目でタリウスを睨んでいる老爺もいた。悲しげに目を閉じている老婆もいる。一同を代表して最年長の翁ムース老が、ひょこひょこと進み出てくると、それでも礼儀を守り、恭しく一礼して申し出てきた。
「……王よ。此度の敗戦、誠に残念な仕儀と相成りました。王と兵士たちの帰還を祝し、生きて帰ったものらを労う為、三日の祝宴を開きたいと思います」
※※※※
【王】タリウスに付き従い、生き残った浮浪傭兵や自由騎兵、逸れ牧者、無宿人の類に対しても、『大地の子』は、何故か気前よく三日間の酒と食事、それに寝床を振舞うことに決めた。
僅かな部族兵や武装浮浪者らが距離を置いた宿舎を宛がわれたのは、倫理観の問題や私有物の概念の違いによって、同じ屋根の下に混ぜるとなにかと争いの火種になりやすいからだろう。
宴会場となる天幕の裏手。韋駄天ハリスが料理の下拵えを手伝っていると、【王】タリウスが手持ち無沙汰な様子で歩いてきた。手には煎った豆の袋を持っており、C型の義手で器用に摘まんで食べていた。
「なんと。芋の皮むきを客人にさせるとは」と眉を潜めるので、罪のない召使たちが咎められないようハリスは弁解した。
「俺が頼んだのさ。どうにもただ飯は落ち着かなくてね」それに召使いや奴隷と親しく交われば、組織や共同体の在り方も自然と見えてくる。怯えているか、親しげか、痩せているか、小金を持っているか、小奇麗にしているか、襤褸を着ているか。
なにより連中には案外、事情通が多く、偶に面白い話を聞けたりもする。
「ならば、余もやろう。久しぶりだ」タリウスは肩を竦めてから、座り込んだ。
「その手で出来るのか?」いい迷惑だと言いたげな浮浪傭兵を前に、【王】はC型義手を外し、皮むき器のアタッチメントを装着する。
「……そんなものがあるのか」とハリスが呆れたように見ていると、「色々と考えられているものよ。義手を付けた者も、時に一人で生きていかねばならんでな」タリウスは肩を竦めた。
「命は拾った様で、なによりだな。王さま」ジャガイモとナイフで戦いながら、ハリスが言うと、「三日の猶予だ」とタリウスは肩を竦めた。
「三日?」と怪訝そうな傭兵頭に【王】は恬然と悪びれぬ態度で説明する。
「三日の間に、生還した親衛隊士や遊牧騎兵の者たちから、聞き取りを行い、その後に弁明を聞くにせよ、聞かないにせよ、余に処分が下される」
「王さまも裁かれるのか」意外そうな傭兵頭の言葉に、【王】タリウスは笑った。
「裁かれぬよりはよかろう。本来は、滅多にないがな。形式的なものも多い」
くつくつと忍び笑うタリウスは、意外にも器用に芋の革を剥いていた。
「上手いもんだね」とハリスが感心してみせると
「練習はいるがな」と言葉を続けた。
「知り合いの義手屋は、庶民でも買える手頃な金額で色々と取り揃えてる。紹介してもよいぞ?」
雇い主タリウスの有難い言葉を、此処だけはハリスも素直に受け取った。
「有難いな。丁度、負け戦をしたばかりで、手足を失った奴らも多いんでね」部下の半数を失った韋駄天ハリスは、皮肉っぽく告げる。
古参傭兵の習性として切り替えが早いのか。そう装っているのか。
「気の毒にな。まあ、雇い主も首を失う前に忠勤の見返りとして、当座を食える程度の金は払うだろう」タリウスも、歓心を買えるかは分からないが、それなりの贖いはすると口にした。
「その金を賄賂に使った方がいいんじゃないのか?審議してるんだろ」桶に山積みの芋を剥き終わると、ハリスは顎を撫でつつ聞いた。
「投票でな。決めるのだ。人数が多く、買収が明るみに出れば、勝ち目も皆無になろう」タリウスの言に傭兵頭は「悠長なやり方だ」と目を細めた。
「感情に任せて処断する前に、ひと呼吸おいたのだ。コルとは何時もそう言う男だ」
「コルとは古いのかね?いかにも手強そうな古強者だ。あいつがいりゃあ、双子丘でも、もう少しは楽できたんじゃないか?」考え込んだハリスの物言いに、【王】タリウスは頷きつつも苦笑を返した。
「余もそれを考えたが、相手はキャシディ・エヴァンスであったからなぁ。その場合、ポレシャは大軍を編成してから出て来たであろうよ」言ってから気づいたのか、タリウスは「いや、兵数が変わらず、指揮官がいれば、もう少しまともにやり合えたかな」と呟いた。
雇い主の考えを耳にした韋駄天ハリスの表情が、苦渋に歪んだ。
「エヴァンスめ。普通は話半分なもんだが……大分、控えめだったな」と敵手であったポレシャ保安官をそう評してから、ハリスは思い出したように質問を返した。
「そういや、リディア・ソーンはどうなった?おまけの兄ちゃんと一緒に死んだか?」
「部下を失って其の儘、行方をくらましたわ」敗戦の後、責任を問われるのを恐れて逃亡する指揮官の話など、さして珍しくもないが、失望を隠さない【王】の言葉は、流石に苦々しさが滲んでいた。
少し記憶を探ってから、韋駄天ハリスは頷いた。
「無理もないさ。生き残りが言うにゃ、相手はエマ・デイヴィスだったからな」
「知り合いか?」尋ねるタリウスに、怪訝そうなハリスは「ポレシャの牧者衆と、合同で変異獣を狩ったことがあってな。五、六人引き替えで仕留めても、順当だろうよ。それより、なんで知らないんだ?昔、あんたの部下だったそうだぜ」
見知らぬ強敵の思わぬ来歴を聞かされたタリウスは、「なんと、まあ。勿体ない事を。そのような腕利きの者が臣下にいたら」思わず絶句し、それから「昔の余はとことん、人を見る目が無かったわ。今も、大して変わらぬが」自嘲するようにぼやいたのだった。
※※※※
空は高く、風の強い日だった。地平の彼方まで、灰色の曇天が覆っている。
大交易市の人出の多さに重なり、夏の暑さと好天気の日々で水やエールが値上がりの兆候を見せていた為、珍しい曇りに自由都市でも各所で神々や神殿、教会に雨乞いを願ったり、水売りの牛荷車に人の列が盛んに往来している。
バシカ地区にも【王】タリウスの名で、樽の水が三台の荷車で届けられた。無駄に騒がず、時節を見て恩義を売るのは、いかにも人情に敏感な【王】のやり口だった。 貴族や豪商ら、数人の都市有力者は、【王】の支援者であるのをもう隠そうともしていない。身内に死なれたもの以外は、それだけで随分と敗戦の将見る目が変わるのだから、人とは単純な生き物だとせせら笑っているのか。或いは、生きる為に過去を切り捨てる民衆の逞しさとしたたかさに苦笑するべきか。
審判の日が来た。大天幕の内側には氏族の長老や、一目置かれる者。年嵩の顔役らへと集っていた。氏族に合流してきた小徒党の長もいれば、多少は血縁があるものの独立している者らや遠縁の小氏族の代表も顔を出して、こそこそと耳打ちしたり、噂話に興じている。
「この年になると腰が痛くてな」
「この天幕はええな。あったかくて」
「タリウスがおらんかったら、貰えるかの?」
「返さなきゃならんらしいぞ」「そりゃ残念」
「どっちに入れる?」「さてなぁ」
口々に好き勝手を言いながら、集まった者たちは、出入り口で白い石と黒い石を一つずつ握っていた。本来、審判は黒い石と白い石を一つずつ持ち、壺を廻して無罪と思うなら白、有罪ならば黒を投じる。昔ながらのやり方だ。壺が廻され、石が一つ、また一つと入れられていく。コルは白い石と黒い石を3つずつ、手に持って、静かに目を閉じていた。
韋駄天ハリスとその徒党、それに声を掛けられたのだろう浮浪傭兵や無宿人らが大天幕近くの空き地や街道に密かに配され、大天幕の様子を窺っている。
確認されただけでも、人数は十五、六人。他に親衛隊。これも殆んど解散状態で大半の隊士が辞めたはずだが、三、四人の男女は、ハリスに合流している。
最悪、力づくでも雇い主を助けようと言うのか。審判から逃げ出した【王】になど、もはや何の価値もないだろうが、やはり、妙に人を引き付けるところはあるようだ。それとも都市にとって何らかの利用価値があるのか。
傭兵どもの勇み足か。それとも、タリウスが逃走を承知したのか。或いは、何者かの依頼と言う線もある。コルは目を閉じたまま、脳裏で思案を巡らせる。
【ウロボロス】には一蹴されたそうだが本来、歴戦の傭兵団は侮れない戦力だ。有力者たちも僅かな護衛を連れているが、連中が襲撃してきたら、身を護るのが精一杯に違いない。
コルも配下の兵団を整列させ、近くの建物に待機させていたが、襲撃を防ぐのが目的の手筈ではない。無秩序な戦闘から『大地の子ら』に属する女子供や家畜、財産を守るための用心だ。タリウスが逃げたいのなら、好きにすればいいとも考えている。
壺が廻ってくる。コルは石を握りしめたまま、微動だにしなかった。
「……コル殿?」戸惑いの気配も遠ざかってくと、やがて中央の絨毯の上に壺の石が広げられる音が響いた。コルが目を見開いた。
数えるまでもない。黒が三に対し白が七で多かった。
【王】タリウスは、どうやら命を拾ったようだ。
※※※※
再び【王】の拠点となった大天幕にコルが密かに呼び出されたのは、深夜だった。大天幕の空き地周囲や街路には、松明の炎の傍らに僅かな歩哨も配されていたが、コルほどの手練であれば、充分に視界を掻い潜れる。
或いは、コルを殺す気かも知れないし、タリウスを弑逆するになるかも知れない。
口が堅い、腹心の部下たちを数名。コルもまた近くの廃屋に密かに配していた。
デン戦争を戦い抜いた老兵たちの生き残り。深い傷を負い、体力が落ち、後遺症も持っている。普段は、下働きや目立たぬ役目をしている男たち――女も僅かにいる――が短時間に限れば、一人一人がジークやリディアなど比肩にならない働きをする。合図があれば、そしてなければ、タリウスを殺すだけの手筈は整えてある。仮に警戒が厳しくとも、潜伏して、何年でも狙い続ける。そう言う兵だ。
「コルです」声を掛けてから、大天幕へと入る。尋ねてみれば、中には僅か四人。
隅に幾つか掛けられたカンテラの灯りが仄暗い内部を面相が分かる程度には照らしている。
【王】タリウスの他は、お気に入りの楽師女たちしかいない。銃や毒なら、手弱女でも大の男を殺せるが、立ち振る舞いや筋肉の付き方からして、戦うものではないと思えた。
「客が来た。お前たち、暫く下がっておれ」タリウスの言葉に戸惑い、心配するような瞳を向けて数瞬を渋っていたが、頷き、一礼して外へと出ていった。
(いざと言う時は、あの娘たちも殺すことになる)
冷酷に決めながら、コルは奥へと踏み込んだ。そしてコルが殺されれば――後始末やアルキス商店との取引を含め、一応の手筈はしてきたが、氏族がどうなるかも分からない。タリウスが影の兵を抱えていても、コルの抱える影の戦力を早々、上回っているとも思えないが、相打つと言う結果もあり得るかも知れない。タリウスが今ここでコルを殺すなら、氏族掌握の為にルキウスを殺した証左となる。ならば、タリウスは生かしておかぬと決めていた。
大天幕の奥には、中世様式の頑丈な金属製金庫や幾つかの半円蓋箱《arch-lid chest》の他、孔雀石の化粧箱や美麗な絵が描かれた陶器、漆塗りの箱などが綺麗に並んでいる。高価な調度品の数々。資金をどこから稼いでいるのか、引っ張ってるのかは知らぬが、【王】タリウスは調達能力には長けているようだ。誰を買収したか悟られぬ為か。審判の後も、如才なく殆んど全員に水の樽を贈っていた。そして、ずっと愚鈍を装うだけの忍耐も持っていた。もっとも、今は、演技を止めたようだが。
深い座椅子と絨毯に坐した【王】は対面を示し、それから「飲むか?」とワインの入った陶器壺を義手で掲げてみせた。
「結構」断ったコルとて毒入りとも思わないが、肉体や頭脳の反応を鈍らせるつもりはない。
【王】は腹を立てた様子もみせずに頷くと一人、手酌で杯を呷った。【王】は表面上、取りあえずコルを殺す気は無さそうに見える。勿論、コルとて思惑は表に出しておらず、油断もしていないが。
杯を干したタリウスは、溜息を洩らした。
「ポレシャは手強い。ズールが和平を仲介するそうだ」それからコルに鋭い視線をくれた。もはや韜晦を隠す意味もないのだろう。
「遺体は返ってくるだろう。主だったものたちはな」と【王】の言葉にコルも「それは、重畳」と頷いた。
【王】が傍らの箱を開けた。中には銀貨、銅貨の袋が詰まっている。
「これは、此度の戦死者たちの家族に。会ってくれぬ者たちもいるでな」タリウスの言に、コルは辛辣に「当然ですな」と返した。
「手厳しいな。だが、そう。当然だ」呟いている【王】タリウスにコルは斬り込んでみる事にした。
「なぜ、無謀な遠征を?」
両者の間に、沈黙が舞い降りた。タリウスの視線が彷徨ってから、コルに見定めてじっと見てくる。死が選択肢のひとつとして机上にあることを、両名とも意識している。
「余の後援者が誰か……口にせずとも、もう悟っておろうな」タリウスが掠れた声で洩らした。
「此度の遠征の主な目的は三つ。ポレシャの征服。それが叶わぬなら、その戦力を計り、弾薬や軍需物資の備蓄を削り、損耗させること」タリウスの言にコルは頷いた。
「もうひとつが、大交易市で寄ってきた浮浪傭兵や無宿人らが都市に巣食う前に多少、削っておくこと。使える者らであれば活かし、後日、他の者どもを抑える為の役割をさせる。間引きと選別も兼ねておった」
自由都市の統治層とは、なんと悪辣なやり口と意図を抱いてるものだと、コルは半ば呆れ、半ば感心しつつ、続きを促すようにタリウスを見据えた。
「三つ目は……『大地の子ら』の能力を証明する事。有用であれば、氏族は都市の勢力のひとつとして迎え入れられ、戦力として組み込まれただろう。その試金石であった」吶々と喋ったタリウスは、「だが、負けた」そう弱々しく付け足した。
「……もっと私的な野心が原動力かと思い込んでいましたよ」コルの言にタリウスが虚ろな笑い声を上げた。
「それもある。見ろ」立ち上がった【王】タリウスは、纏っていたローブをはだけた。下半身に無惨な傷が刻まれている。流石にコルが目を瞠った。
「……去勢された。妹……シーラにもいずれの言い分は有ろうが、彼奴に一矢報いてやりたかった」言うと【王】は力なく座り込んだ。
「余がポレシャを征した暁には、ズールは都市軍を持って、デンへの捲土重来を支援すると約束した」
告げてから、【王】は自嘲するかのように「まあ、痴者の夢だったがな」と洩らした。
暫しの沈黙の後「これだけは言っておくが、野心だけではないぞ」と付け加える。
「氏族のものらや寄る辺なく地を彷徨うろくでなしどもに安住の地をくれてやりたい気持ちもあった」向けられたタリウスの眼差しは強く鋭かった。が「まあ、田舎町の保安官に破られる程度の夢ではあったが」肩を竦めて、虚脱したように坐椅子に深く腰掛け直す。
どうする?とは【王】は聞かなかった。コルの腰には、グラディウスが吊るされており、【王】タリウスは完全に無防備に見えた。
殺すべきか、活かすべきか。暫しを黙考してから、コルは頷いた。
「……族長が死にました。氏族には旗印が必要でしょう。
残された王までも失う訳にもいかんでしょうな」
「血も残せんのにか?」自嘲するようなタリウスの問いかけに「あと、三十年。五十年。氏族の者どもがこの地に馴染み、根付き、もはや族長も王も必要としなくなる時まで。それまでは責任をもって長生きをしてもらいます。陛下」
何処か疲れた眼差しで壁に掛かった地図を眺めているタリウスを後に残し、天幕を出たコルは、中止の合図を送った。煙草を吸う。路地の向こうでも、煙草を吸う光。了解、と返ってくる。
或いは、タリウスは死にたかったのではないか?ふと、そんな思考が頭の片隅を掠めたが、頭を振って妄念を振り払った。煙草を落とし、踏んで火を消した。
兎も角も、どうやら、コルの人生も賭けと選択の連続のようだ。おのれも王の演技に騙されたのかも知れないが、それなら最後まで皆をだましてもらう。
昼間の曇天が嘘のように晴れ渡った星空の下、コルの孤影が夜の街路へと消えていった。




