03_60О 生還
眼前の敵手は、見た目よりも遥かに粘り強い。思ったよりもずっと手強い。だから、マギーは負けない戦いを徹底して積み重ねた。高速で刃を交わしながら、相手の反応速度や筋力を推し測り、太刀筋に技の種類を脳裏に系統だって整理しつつ、起こりの癖。筋肉の緊張や視線、僅かな痙攣まで細かく観察し続ける。防刃コートや肌の細かい傷は無視する。毒は恐らくついてないか、途中の戦闘で刃から落ちている。鉱物毒は使う方も危険があり、麻痺毒であれば、念の為に服用しておいた拮抗剤と多めの水で対抗は可能だと信じたい。
休息と睡眠を取り、最後の食事を行ってより、およそ2時間。最高の生理的状態に保たれたマギーは、連戦に疲労している敵手と交戦を続けている。軍用ブーツで脛にローキックを当てる。太腿を狙うカーフキックの方がいいに決まってるが、そんなものを当てる悠長な隙は互いに与えない。勿論、一瞬の隙を晒せば、喉を切断されるか、腹部を切り裂かれるが、高度に技量が拮抗している熟練者同士の戦闘には、未見の技術体系が相手でもなければ、そう致命の隙は発生しない。そしてマギーにとって、曠野北部の遊牧民の舞うような剣術は、敵味方いずれにしても馴染み深い既知の技術体系に過ぎない。
達人相手なら即死はあり得る。致命的な技量と僅かな体幹だけで人を両断してくる。銃弾も切り落とせる。しかし、それは才能有る人間が高密度の鍛錬を日常化した例外の極限個体に限られており、それ以下の熟練者は、特に防具を付けていれば、簡単には熟練者を殺せない。言うまでもなくマギーも相手の必殺の隙を狙い、しかし、あからさまな囮や誘いは無視し、相手に細かい傷を刻みながら、心理へと踏み込み、洞察している。なにを恐れているのか、なにを思っているのか。なにを欲しているのか。無心にただひたすらに戦いの日々で積み重ねた記憶と研鑽を問われながら、汗が吹き出して滴り落ちる。
ある瞬間、突然に確信を覚える。押せる。勝てる、と霊感が囁いた。戦闘の最中に訪れる、覚えのある手応え。呼気を小さく整え、肺活量を維持しながら、並列的に相手の体力を把握し、七手先で詰みに至ると確信した。
同時に遊牧民の青年もそれを悟ったのか。間合いを保ちながら静止する。
いずれにせよ、次の攻防が最後となる。弄る気はなく油断もない。小刻みに呼吸するマギーが、間合いを詰めようと微かに足の親指の付け根に力を込めた瞬間、荒々しい鎧の足音が響いてきた。マギーは確かめようともせず――視線を逸らす訳にもいかず、足音で判別する。恐らくは、クリスティーネ・モーデュソン。足止めを倒し、本営に突入してきたのだ。そこで改めて周辺の喧騒も、随分と静まっているのに気づいた。
勝ったかな。そして、後はこいつ一人か。それでもマギーは油断せず、また怯懦も押し潰し、踏み込もうとした瞬間、対峙している遊牧民の青年が、フッと笑みを浮かべた。投降でもする気か、思いきや、懐から円形の金属球を取り出し、ピンを外した。
(……手榴弾?!この距離で?こんなものを、自爆!)
混乱しながら、思い切り後退るも、遊牧民の青年はサーベルを構え、突っ込んできた。
(爆発に巻き込まれるぞ!いや、ブラフか)瞬時に爆発物は偽物と判断し、相手の突きに合わせて刀を振るおうと、互いに突きを繰り出し、相手の軌道に相打ち狙いと気づいた。この瞬間に、(乾坤一擲?!)右腕の肉を削られながら半回転して躱し、(凌いだ)と蹴りを叩きつけ、相手が目を瞑っている事に気づき、眼前の世界が白い光に
(躱し……閃光弾?)閉じた瞼を通して網膜を焼き付ける白光が
目が見えない恐怖に、マギーは、とっさに急所を守りながら、地面に転がった。
視力の回復まで何秒掛かる?強烈ではない。昼日中。光順応は恐らく一秒。
脳裏の記憶を頼りに、しぶとく地面を這い廻って、駄目だ。やられる。 いや、一秒持ち堪えれば。湧き上がる恐怖と恐慌を抑制しながら、移動し続け、わずかに回復した視力で涙を零しながら、周囲を見回した。
そこには、遊牧民の青年の姿はなかった。
視界がまだ滲む中、立て続けに銃声が響いてくる。キャシディが歩み寄ってきた。
「……二発当てたと思うが。防弾かな。怯みもせずに駆け去った」呆れたように溜息を洩らしてから、手を伸ばしてきた。
閃光を直視せずに済んだ歩兵たちが、敵手を追いかけていく。
「ともかくも、生き残って勝った、と思う」キャシディの言を受け、周囲に警戒の視線を投げかけつつ、「勝ち切った、かどうかは怪しいけれどね」マギーも手を掴んで立ち上がった。
※※※※
【王】の兵団の撤退を阻むべく、退路に立ちはだかった近隣農民衆の戦意は、間違いなく相当に強固な代物だった。
街道上に土嚢や木柵、逆茂木を用いた防衛線はかなり堅固で、加えて自由農民たちはアーケバスやクロスボウのみならず、秘蔵のバリスタまでを持ち出してきた。これは人の手では取り扱うのも難しい古代ローマ軍の用いた据え置き型の大型クロスボウで、動物の腱(この場合は変異獣だが)を用いて弦を引き搾り、金属の矢など発射する強力な弩砲だ。人物は何処にでもいるもので、眼鏡の技師が辺土の農民軍に混ざりながら、防衛線に配置された四台のバリスタを調整している。
立ち止っていればバリスタを撃ち込み、突っ込んできても弓矢に槍、アーケバス銃やクロスボウで狙い打ちされる強固な防衛線を無傷で突破するのは不可能であったが、【王】タリウスは両翼に騎兵を展開させて小刻みな襲撃を繰り返しては、農民兵の主力を翻弄し、かつ、手練の浮浪傭兵や無宿人たちに遮蔽物を活かした散兵線で射撃戦を挑ませて、敵の対応力を飽和させた挙句、守りの脆弱なポイントを見つけるや否や、輜重の荷車を即席の装甲車にした歩兵隊で突破。後背の歩兵隊からの援護で続いて突破してきた騎馬隊と合流するや、一気に離脱した。
ポレシャ側浮浪傭兵らからなる散兵線の士気は低く、纏まった戦力に対して戦おうとはせずに素通りさせる。【族長】ルキウスとランツクネヒトらによる本陣襲撃に対応する為、ポレシャ騎兵隊と放浪騎士らが呼び戻された最終防衛線も、残った一帯の馬借や牧者、牧童らの騎兵は到底、数が多いとは言えず、散発的な攻撃に終始するのみで【王】タリウスの兵団は、ポレシャの敷いた多重包囲を破り、ついに丘陵地帯へと辿り着いた。
郷士や自由農民らの歩兵部隊は、ある程度を追尾してきたものの、【王】の最後の兵士が山道を越えたらあっさりと追撃を打ち切った。土に馴染んでの粘り強さが農民たちの長所であって、強引な追撃で逆撃を喰らうのを恐れたのだろう。多くの若者を失えば、辺土では共同体の存続に関わる。農民たちが勇敢さに欠ける訳ではないが、しかし、農民軍に不慣れな土地に踏み込んでまでの追撃戦の選択肢と覚悟は持たなかった。
最終的にポレシャの封鎖線を突破できた【王】の兵団は、歩兵が四割未満。騎兵がなんとか五割を維持するのみであったが、中核となる氏族の歩兵隊と遊牧騎兵は六割を維持し、辛うじて軍隊としての体裁を保ちながら、取りあえずの安全地帯と見做される西部丘陵地帯に到達することに成功した。ポレシャ圏に足を踏み入れた際、百六十人を越えていた【王】の兵団は、帰還時は六十人を切っていた。
丘陵へと侵入した【王】兵団は、それでも追撃を恐れるかのように早足での行進を続け、ようやくに足を止めたのは、ポレシャ方面出入り口から時間的距離にして二時間。隘路の交差する盆地に辿り着いてからであった。攻め込む際には意気揚々と通り過ぎた見覚えのある地勢は、座り込んだ兵士たちにとって気持ちのいいものではなかったのだろう。重苦しい沈黙が立ち込めていたが、それでも顔色ばかりは悪くなく、重い手負いを除いた脱落者も殆んどいないのは、【王】タリウスが手配したと称する輜重隊と邂逅したからだ。
並々と満たされた荷車の水樽とエール樽に兵士たちは先を争うように杯を手に取って並び、乾いた喉を潤した。他に薪に食料、毛布と天幕、包帯、薬を満載した三台の荷車は、疲れ切った兵士らや随行の召使いをして、ようやくに雑談を交える程度には気力と活力を取り戻していった。
奥には天幕が立てられ、輜重隊の代表らしき丸々太った商人が微笑みを浮かべなら、【王】タリウスを待ち受けていた。給与の支払いについて傭兵隊長と額を突き合わせていた【王】タリウスは、なにか耳打ちしてから話を打ち切り、天幕へと向かった。ごく少数の親衛隊が護衛が付き従うも、小さな屋根天幕の前で待つように命じられる。絨毯が敷かれ、ささやかな酒肴が卓に載せられていた。
輜重隊は二十人ほど。うち、ライフルを手にした護衛は五人足らず。人夫たちも巨大蟻や屍者から身を護るための武装も携えているが粗末なクロスボウや槍の類に過ぎず、今だ五十を上回る兵団には抗すべくもない。いずれにせよ、輜重隊の護衛や人夫たちは詳しい事情を知らされておらぬのか。雇い主である商人が恭しく、襤褸を纏った敗軍の将タリウスを出迎えるのを奇怪なものを見る眼差しで眺めていた。
肥満した商人は、中世風の装束、風体だが、仕立ては丁寧な工業時代の布地を使っている。卓上の二つの杯にワインを注いでから【王】に先に選ばせると、残った酒杯を掲げた。「まずは、生還に」と告げて商人が無造作に口に運んだ。タリウスも器用にC型義手で杯を掲げ、赤ワインを口にする。
「今回の顛末。最高評議会は、陛下を高く評価しています」
離れた位置で地面にへたり込んでいる己の兵団を一瞥してから、タリウスは苦笑を浮かべ「負け犬としてかね?」皮肉っぽい口調で聞いた。
「資金を受け取っておきながらのこの体たらく。見かけた時には余を始末しに来たのではと疑ったぞ」クッションに座りながらタリウスは囁いた。
「其れに関してはキャシディ・エヴァンスが想定以上でした。事前の調査では、マルグリット・モイラの方が指揮官として脅威と評価されていたのですが」と太った商人はにんまりと目を細めつつも、言葉を続けた。
「ポレシャの戦術に関しては、今だ底が知れませんが、幾らかの備蓄と動員。近隣との協力体制について確かめられました。まずは上首尾かと」商人の物言いと賞賛に、タリウスは鼻を鳴らした。
太った商人は【王】の傲慢な態度を気にした様子もなく、人が良さそうに微笑みを浮かべながら、そっと言葉を続けた。
「いずれにせよ、貴方様は戦術家としての手腕を証明し、かつ、評議会から請け負った任務を二つとも果たされました」
「二つとも、ね」タリウスが含みがありそうに呟いて杯を干す。
「勿論、陛下の忠実なる兵士たちの大半が未帰還なのは残念ですが」太った商人は気にした様子もなく、ワインの壺を手にしてタリウスの酒杯に注ごうとしたが。
天幕の向こう側から、若い女の声が響いてきた。
「その任務って言うのを、あたしたちも聞かせて貰いたいね」
物陰から姿を見せたのは、ランツクネヒトの副隊長イングリッド。燧石銃のピストルを2丁、水平に構えながら歩み寄ってくると「聞く権利は有ると思うけどね」雇い主である【王】タリウスを睨みつける。
「一つはポレシャの威力偵察……ポレシャは手の内が割れ、弾薬を損耗した。
もう一つ、ヒルダ姐さんが真っ先に気づいたけど、タリウス……あんた、傭兵たちが溶けていくのを平然と眺めていたね」イングリッドの指摘に、タリウスは面白そうに瞳を細めた。
「……わ、私はこの辺りで」太った商人が下がろうとして、「座ってな」
イングリッドの手にした燧石拳銃が火を噴いてワインの壺を打ち砕いた。
「お嬢さん、早まってはいけませんよ」丁寧語で喋る商人だが、顔からぶわっと汗を拭きだしている。
「急に早口になったな」【王】タリウスはくつくつと笑ってから、イングリッドに視線を向けて「続けてみろ。面白い話だ」
「今になってようやく……色々と腑に落ちたよ。タリウス、あんたの飼い主はズールの評議会だ」もはや敬称を付けずに、イングリッドは雇い主を睨んで問いかけた。
「面倒な手合いが都市に寄生する前に、纏めてポレシャにぶつけて始末する。それが第二の任務。違うかい?」
「……答えな」燧石銃を突きつけられても、【王】タリウスは動揺を見せなかった。
「余を撃っても一文にもならんぞ?」平然と言うタリウスに「ポレシャも遊牧民に戦時賞金を懸けた」とイングリッドが告げた。
「雑兵でさえ、食糧2か月分と引き換えだ。【王】タリウスなら、差し出せば幾らになるんだろうね」声量は抑えてはいたイングリッドだが震えている。
「ポレシャや東の土豪たちが大喜びするね。持ち物も奪えるわけだ」それでも引く気は無さそうに告げる女ランツクネヒトを前にして、「随分と面倒な手間暇を掛けるものだな。余は嘘偽りなく全力でポレシャに挑み、叶うことならば、東方の麦の町を奪うつもりであったよ」タリウスは吐露するように言葉を続けた。
「今のこの結果は、余と余の兵団が、エヴァンスとポレシャの警備隊に及ばなかった結果だ」
「質問に応えてないよ。もう一つの任務はなんだい?」イングリットの問いかけに対し、「評議会との密約があったか否かについて、イエスか、ノーかで言うならば……」言いかけたタリウスはそっと微笑んだ。「秘密だ」
ランツクネヒトのイングリッドが激したか。或いは、呆れたのかは分からない。ほぼ同時に、陣屋の幕の向こう側から発砲された複数の銃弾がイングリッドを貫いていた。
血に塗れたイングリッドが絨毯に崩れ落ちて、恨みがましそうに唸った。
「酷い、男だね……タリウス……いい男だと思ってたのに、さ」
「すまんな。余は背の高い女は苦手なのだ」何ごともなさそうに呟いてから、しかし、タリウスはC型の義手で奇妙に優しくイングリッドの目をそっと閉じさせた。
「だが、生きて帰ったら、汝らを喰わせてやろうと言うのは、父祖に懸けて、嘘偽りなく本気であったのだぞ」亡骸を見下ろしながら、タリウスはどこか悲しげに告げた。
「へ、陛下。あの」商人が恐る恐ると声を掛けてくる。ひどくどうでも良さそうに眺めてから、始めているのに気づいたとでも言うように【王】は瞬いた。
「もう、下がれ。余も疲れた。話は、自由都市に帰還してから聞こう」【王】タリウスの言に、いまだ蒼白な顔色の商人は、再び恭しく頭を垂れた。
「ご苦労であった。ハリス隊長」垂れ幕の向こう側から、発砲した傭兵頭に話しかける。次弾を装填しながら、韋駄天ハリスは奇妙な目つきでタリウスを眺めていた。
「今の話を聞いててな。いっそあんたをぶち殺すべきじゃないかと迷っているよ」
何処か楽しげにそう嘯いているが、目は笑っていない。
「今回の件、長年の相棒も手下どもも大勢死なせたからなァ」浮浪傭兵の頭の脅かすような言に、しかし、タリウスは肩を竦めた。
「撃っても構わんぞ。人生にはうんざりしてたところだ。
だが、もし余をぶち殺したら、当座を食えるだけの報酬は無しになるなぁ」
暫く銃を構えたまま、ハリスは生き残った部下たちの顔、顔、顔を見回した。それから傭兵隊長は、ベレー帽を取ると「それじゃあ、都市に帰るまでは、よろしくお願いしますぜ。陛下」と軽く一礼した。
※※※※
遠目に目撃した遊牧民の青年とヘレンの最後に思うところが無かった訳ではないが、兎も角も戦いは終わった。何処か放心しつつ、顔を見合わせて顔見知りの戦友たちの無事を喜び合い、失われた知己たちに哀悼の意を示す。中にはさして親しくない者もいたが、表面上を取り繕うにも礼儀の仮面と言うのは重要だ。黄昏の時代には、それさえも持ちえない土地も少なくない。
戦闘に勝利したからと言って、すぐに家に帰れる訳ではない。なにしろ資材の貴重な時代である。陣地を構築したならば、今度はそれを解体して少しでも回収しなければならない。据え置き型の大楯や木柵などは回収して再利用。土嚢の麻袋も一々、中身の土を捨てては折りたたむが、作業を急がせれば腰を痛めてしまう者もいる。
物も大事だが、人も大事にするポレシャなので結局、時間を犠牲にすることとなるが、そうなると人を留まらせる為に水と食料を手当てしなければならない。現地の村々に供出してもらうにしても、軍票で支払うだけでは足りない。人夫への賃金や傭兵への報酬として出す分もあるし、消費した矢玉の補填。怪我人への見舞金。支払いに現金や手当も当てられる。ポレシャ市からやや距離の遠い土地なので、ポレシャ紙幣は受け取ってもらえず、より強大な外貨。或いは銅貨などの貨幣を放出し、それに手形もサインして貰い、傭兵や労働者の特徴を記載し、後日の間違いや虚偽が無いように対策をして書類を作っておく必要があった。
これら全ての振舞いや行動、判断が近隣農村や集落、部落。廃墟民や浮浪者からのポレシャ市の信用に影響し、それを損なうも、積み重ねるも、キャシディ・エヴァンスの双肩に掛かってくる。兎も角も、大軍を動員すればするほどに、事後の負担と処理は大きく伸し掛かり、仮に限界の三百を動員していたら、ポレシャ市の兵站ですら、きっと破綻していただろう。
まず、即座に帰還させるのは、軽傷と無傷の兵隊たちの大半である。これも書類に記載しつつ、五人、六人と班ごとに纏まって歩いて帰還させるが、途中で巨大蟻や屍者、変異獣やコヨーテ、狼などに遭遇するかも知れない。或いは、武装兵らが途中で腹を空かし、水や食料を街道筋で略奪される訳にもいかないので手当てをしておく必要がある。その食糧と水の運搬にも、こんな時代には護衛を付けなければならない。兵士を市本土へと帰還させるのにも兵を出す必要があった。さらに書類を積み重ねる必要があった。本末転倒である。
なおも大多数の部隊を駐屯させつつ、兵站の負担を考えながら、兵士を少しずつ帰還させ、最優先の仕事として自力で歩けぬ者と重傷者への診断を行い、寝台を設け、或いは借り受けながら、治療手当てを行うのに、毛布や薬品、包帯などに医療技術者が送り込まれる。時代が時代なので拉致されない為、護衛も付けないといけない。容体が重いものは、急ぎポレシャ市の病院で受け入れなければならないが、現地の人々などは貴重な薬品をせしめようと、村掛かりで農民兵の重傷を言い立てる。
二百名に膨れ上がった兵士の帰還と受け入れの準備、支払い作業を並行して行いながら、突発的なアクシデントにも対応する必要がある。給与の中抜きに装備、弾薬の横流しに対策して信用できる人物を見張りに付け、喧嘩や勝手な帰還、兵士や傭兵、援軍兵士の手柄に対しての事実認定と感状の発行。それに捕虜の対応と遺体の処理!暴行や強姦、窃盗が起こらぬように見張りつつ、食事と寝る場所を手当てし、これも見張る必要があった。加えて死者が蘇らぬように手を打ったり、息を吹き返す蘇生や誤認の死亡認定と、屍者の転化の区別を付けながら墓場を警戒する必要もある。もう投げられる仕事は、他人に投げるしかない。
「人手が足りないんですぅ!」キャシディ・エヴァンス保安官は半泣きだった。本気で泣きついてきていた。
「マギーさんがいないと過労死する、してしまいます!」宥め賺し、脅かし、恩に着ながら縋り付いてくる。マギーは両性愛者の節があるけれど勿論、誰でもいい訳でもない。トチ狂った友人が慣れぬ色仕掛けまでしてくるのには流石に辟易して「分かった。分かりました。書類作りと計算を手伝います。でもそれだけですよ」と約束した。
家にはニナを待たせてあるのだ。居候共に飯もやらなくてはならない。24時間、流石にそれ以上は手伝えないと釘を刺したマギーは、書類仕事に計算、物資・捕虜の見張り。毛布の運搬やら医師の護衛、防備の撤去と積み込み、怪我人の治療まで手伝って、寝起きしても一向に減らない書類にうんざりしつつ、結局3日間を陣地に泊まり込みで過ごした。田舎町のたった二百人の遠征で膨大な負担だった。常時百人からの団員が好き勝手に動いていた古巣の賞金稼ぎギルドを思い出し、部隊指揮官だった頃に好き勝手に人数を増やしたり、減らしても文句ひとつ言わなかったナーガとか書記たちは、偉かったんだなぁと感慨に耽りながら、仕事の量が軽減され、帰還する目途が立ったのは72時間後だった。
現地の村々に分配して構わない木材や薪の余剰などに、ポレシャに持ち帰る資材の分配と、輸送の采配に責任まで押し付けられ、最後まで使い倒そうとする保安官たちに敬意の怒りさえ覚えつつ、しかも、これで出る手当ては雀の涙で、さらに書類を作成する必要すらあった。正気を疑いつつ、書類の為の書類の為の書類を書き上げる。書類の書類による書類の為の書類を作り上げるのだ。
二頭立ての驢馬の荷車に揺られながら、マギーは高台の陣地を後にした。対面には二名の兵士が疲れ切った表情を浮かべており、隣には手錠を掛けられた捕虜の女ランツクネヒトが、呆然と景色を眺めている。なにを考えたのか、丘の方から駆け戻ってきたのを捕まえた。暴れる様子もなく、今さら殺す理由もないので、労働刑か追放刑に処されるだろう。或いは捕虜交換なり、身代金業者を介しての回収か。それにしても錯覚だろうが、戦闘そのものよりも後処理の方が疲れた気もする。
「ともかく、生き残った」マギーは呟きながら、欠伸した。気を抜いてた訳でも、睡眠不足でもなく、生理的な反応で気疲れから起きたのだろう。口の匂いを気にする。風呂に入りたいし、水も好きなだけ飲みたい。早くポレシャに帰りたい、と考え、おのれが何処かに帰りたい、などと言う感慨を抱いた事実にひどく面食らってから、おかしそうにクスクス笑った。キャシディは、滅多にいない戦術家なのだから書類仕事からはある程度、解放してやるべきだろうが、気の毒に田舎町には人手が足りない。巨大蟻の侵攻では、保安官事務所と共に書類とノウハウの蓄積までも吹っ飛んでしまい、それも新しく確立しないといけないのだ。「帰ったら、保安官助手は辞めよう。割に合わんからね」修羅場から逃げようと決意しつつ、マギーは低く呟いた。




