03_60K 夕暮れの家路
ポレシャ勢に増援歩兵が現れた時も、韋駄天ハリスは「面倒だな」と小さく舌打ちしたものの負けるとは微塵も考えなかった。戦場に不確定要素は何時もの出来事だし、高が三十の動きの悪い歩兵の増援など、決戦兵力としても、予備としても中途半端で到底、大局に影響を及ぼすような戦力ではないと見通していたからだ。ただ、その日の戦闘を後から振り返る度、それまでは偶々、軍を有機的に動かす指揮官と相対してなかっただけなのだと思い返すことになる。
【王】兵団の傭兵や無宿人らが潜んでいる遮蔽はいずれも深く、幅広な岩や窪みなどで、土嚢や丸太を乗せた荷車も頑強に持ちこたえ、ポレシャ勢の火力が多少、増強されようとも充分に耐えられる見込みであった。それに兵士が増えれば、それに伴い、弾薬の消費量とて増すものだ。ポレシャの弾薬の残量がどの程度かは知らないが、現状の勢いで撃ち続ければ、何千発あろうが到底、夕暮れまで持つ筈がない。何処かのタイミングで温存に方針を切り替えざるを得まい。
後は、日没とともに白兵を挑めば、此方は百戦錬磨の傭兵に手練の無宿人、剽悍な部族兵や荒くれの牧童共の集まりだ。仮に弾薬が枯渇しておらずとも、名高い防壁にぬくぬくと守られた市民兵が夜の闇の中、何処まで対抗できるかは推して知るべきだ。
声を枯らして味方の統制を取っている歩兵隊の指揮官、ランツクネヒトのヒルダも恐らくはハリスと同じ目算だろう。手斧の重さを計りながら、岩場の影でハリスは「今に……」低く呟いていた。
韋駄天ハリスは、古参傭兵として様々な戦場で様々な敵と戦ってきた。貴族の私兵は最後の一人まで油断できない腕利きが多く、農民兵は驚くほどにしぶとい。蛮族兵は獰猛だが、いったん崩れると恐ろしく脆い。そしてハリスは、市民兵と戦うのが特に好きだった。古来より傭兵や盗賊、乞食に放浪者が集まって、農村や小さな町を略奪する事例はありふれている。韋駄天ハリスと仲間たちも、喰えぬ時期には幾度かの略奪行に参加した。食い詰め者の傭兵や放浪者の群れごときに負けるとは思っていなかった市民兵たちが弾薬が残り少なくなるにつれて顔色を悪くさせ、白兵にもつれ込んだ瞬間に見せる恐慌と腹を裂かれた瞬間の男たちの絶望の表情。貧しい傭兵や放浪者を見下し、露骨な蔑みの視線を向けてきた町の女たちの眼差しが懇願と媚に染まる瞬間は、下層の無頼どもにとって最高の悦びのひとつで、楽しまぬ浮浪傭兵はいない。
とは言え、ハリスは、群小の傭兵徒党では、雇い主に忠実と言う評判を取っている。不必要な殺人を楽しんだことはなかったし、命令以外で無為な殺戮を行った事もない。殺人行為に淫する無頼の傭兵は珍しくないが、ハリスにとって戦闘はあくまでビジネスだ。略奪も身代金も滅んだ町や村からは奪い取れない。牛や豚は太らせてから食べるもので、痩せた家畜を殺す者は、最後には自らも餓えて死ぬのだ。だから、戦場で二十年近くを過ごして、今もハリスは生き延びてきた。
戦況を観察していると、ポレシャの増援歩兵が西の丘へと展開しつつあった。十字砲火を喰らう。拙いな。と様子を窺えば、流石に【王】タリウス。それとも族長ルキウスか。すぐさま騎兵たちを纏めて、攻撃を開始する。
紙薬莢や金属薬莢を用いるライフル銃の有効射程が、五百メートルと言い、一キロと言っても、そんなものを当てられる奴は滅多にいない。実際に当たり始めるのは、百から百五十メートル。本当に使い物になるのは、よく訓練された兵士で二十メートルとか三十メートルの範囲内。これはAKやARなど二十世紀の銃から、十九世紀のミニエー銃まで殆んど変わらない。それさえ互いに動き回ったり、遮蔽を取ってる者に対して、時々、運が良かったら当たる程度の代物だ。
だから、邪魔するポレシャ騎兵隊を蹴散らした【王】の騎馬隊も猛然と距離を詰めながら、増援歩兵の前を横切るように軌道しつつ、射撃を喰らわせる曲線を取っていた――後、数十秒で猛烈な騎兵射撃が動きの鈍い増援歩兵に浴びせられるだろう。
【王】の騎馬隊の動きは見事に統制が取れており、遊牧氏族の練度の高さを、敵味方に対して如実に示していた。ポレシャ勢は偏差を計算しながら撃つしかない。対する遊牧騎兵、それに一握りの自由騎兵は颯爽と駆けながら、速度を活かして軌道を変えていた。ポレシャの増援歩兵隊に加え、市民軍の本隊も盛んに発砲しているが、まるで当たらない。当たるのは、せいぜい運が味方する瞬間だけだ。遮蔽はないものの、【王】の騎馬隊は速度さえ変幻させながら、増援歩兵への間合いを詰めてくる。
これでポレシャが、東の麦の町は【王】のものとなるだろうか。いずれにせよ、豊かさで知られた大型居留地での略奪や戦利品、そして【王】からの褒美を期待しつつ、「……勝った」とハリスが安堵に呟きを洩らした、その瞬間。【王】騎馬隊の後背を取る丘陵の稜線に、ポレシャ勢の新手が忽然と出現した。思わず、思考を止めたのはハリスだけではなかっただろう。
射撃を浴びせられる絶好の位置から、ポレシャ勢の新手は一斉に射撃した。十五秒に一発。ボルトアクションライフルなのか。十秒から五秒に一発を発砲している射手もいた。流石の遊牧騎兵が衝撃を受け、動きを乱した。ほぼ同時に、壊乱していた筈のポレシャ軍騎兵隊が急速に統率を取り戻し、遊牧騎兵団の側面を掠めるように動きながら、すれ違いざまに発砲した。律動感溢れる機動も、寸前までの逃げ惑う動きとはまるで違った。「……おいおい、もう勘弁してくれ」小さく呻きを洩らすハリスの視線の先、ポレシャ勢本陣と増援歩兵隊までもが此処を先途と、猛然を射撃を【王】の騎馬隊へと浴びせ始めていた。
「どれだけ金を持ってるんだ。弾切れしないぞ」呆然と放心していた韋駄天ハリスだが、見切りの速さが、古参傭兵の身上だ。即座に生き残るための方策を頭の中で練り始める。
一方、向けられる火力が減衰した【王】の歩兵隊は、ポレシャ勢に反撃を目論んでいた。「怯むなぁ!火力を集中して、身を乗り出してる奴を一人でも、二人でも仕留めるんだ!」声を枯らしてるランツクネヒトのヒルダの統制下。一部傭兵とランツクネヒト勢は、必死になって援護射撃を行っていたが、韋駄天ハリスは同僚の真面目さに舌打ちする。ただでさえ距離があるか、遮蔽を取っているポレシャ軍相手には、単発のマスケット銃の類は殆んど効果は発揮しない。それどころか、ポレシャ軍の注目を浴びて、歩兵隊まで再び、反撃の銃火を浴び始めた。
「駄目だ。こりゃ。ポレシャは強えな。負けだ、負け」戦況が不利とあらば、ハリスは勝利に拘泥しない。見切りをつけるや否や、生き残るために方針を素早く定める。
ポレシャ勢のほぼ全火力が味方の王の騎馬隊に集中している。流石の【王】の騎馬隊とても、四方向から半包囲されての十字砲火にはそう長くは耐えられまい。だが、逆に言えば、遊牧騎兵が集中攻撃されている今こそが、足の鈍い歩兵隊が敵の射程圏内から離脱する絶好の好機でもあった。そして幸い、ハリスも部下も、異名の通りに逃げ足には自信がある。
「お前たち!生き残りたきゃ、今すぐ逃げるぞ!死ぬ気で走れ」韋駄天ハリスは、生き残った味方を先導しつつ、北の【王】陣地目指して全速力で駆けだした。ついてこない連中、声が届かない連中に関しては放置する。見捨てると言い換えてもいい。的を分散させるために出来るだけ大人数で逃げ出したいものだが、味方の騎兵がどれだけ粘れるかは分からない。それに一部なりとも留まってくれる方が足止めしてくれる分だけ、ありがたかった。
背後からは【王】の命令に忠実な遊牧民歩兵らの怒号が響いていた。踏み止まった者、逃げ遅れた者らは死ぬことになるかも知れないが、古来からよく言うように、勝てるのがいい傭兵なのではない。生き残るのがいい傭兵なのだ。
※※※※
「サイドワインダー作戦か。あんな綺麗に決まるもんなんだな」
卓上遊戯で行っていた作戦が眼前で現実に実行され、サイコロで振った時と酷似した結果に帰結するのを、ニナは口元に手を当てながら呆然と眺めていた。
無論、実行に至るまでに無数の手筈と手順を踏み、卓上で省かれていた膨大な労力投下と作業工程を瞬時に圧縮しての成果であると理解はしていたが。目の前では、あれほど恐ろしかった遊牧民の兵団。つい先刻まで頑強に粘り続けて抵抗していた筈の【王】タリウスの軍勢が無惨なまでに総崩れしていた。
屋上では大人二人がはしゃいでいる声が聞こえる。普段は寡黙なルーク・アンダーソンでさえ。それはそうだ、銃眼から離れたニナは放心したように口を半開きに座り込んだ。包囲が解かれた。わずか数時間に過ぎない籠城戦さえ、恐ろしいほどに精神力と神経を消耗した。兎に角、疲れた。二度とやりたくない、とニナはしみじみ痛感した。ライフルを抱えたまま、護送犯ヘレナを警戒しつつも、薄暗い影の一部になったかのように静かに隅に座り込んだ。
はしゃいで自分から外に駆け出たり、追撃に加わったりもしなかった。用心深く砦の内部に閉じ篭って、味方が優勢を確保するまで待つと決める。
(此の侭、勝てるかな?逆撃を喰らって押し返される前に、とっとと外に出て、味方と合流するべきかしらん?)と多少の懸念と恐れを抱きつつ、じっと我慢して耐え忍んだ。外からは銃撃戦に加え、弾切れを起こした兵同士が邂逅したか。干戈を交える音も響いてくる。
ただ、時が過ぎ去るのを待ち続けるうち、やがて銃声が遠ざかり、周辺が静かになっていって、扉がノックされた。
足音もなく扉の傍に立ったニナは「誰?」と誰何の声を掛ける。
「キャメロンだ。保安官補。エマ・デイヴィスはいるか?マギーでもいい」若い男の声が返ってきた。覗き穴で一瞬だけ見るも、夕暮れにテンガロンハットで顔は半分、影になっており、見覚えもなかった。
「……ミリーならいる。すまないが私は貴方を知らない。キャス……エヴァンス保安官とは言わないけど、マクロード副保安官か、ローランドさんはいない?」ライフルに弾が込められてるのを確認し、腰のナイフに触れてから、ニナは返答する。
「クレイと徒弟ロニ、それに牛飼いのガイはポレシャで保護した。今はグレイ医師が診ている。
君はニナだな。マギーの妹分。年若い娘でも、イザベル・ミラーなら、もっと舐めた口を聞くだろう。スタンフィールド氏と会わせたらいけないと考えているんだが」
あ、うん。納得したニナは、扉を開けた。
既に夕暮れの色が濃い丘陵地帯に、遠く銃声が響き渡っていた。伝令の馬が埃を立てながら往来し、駆けつけて来た武装農民衆や牧者、羊飼いの徒党、街道筋に屯する馬借たちや、何処の土地にも彷徨っている浮浪傭兵に廃墟漁りの一団なども一稼ぎする好機とみて集ってきている。仮にポレシャ市民軍が惨敗していたら、市や町に馴染んだ大きめの傭兵徒党や用心棒を務める無宿人どもは別としても、群小の傭兵徒党や風来の無宿人らは風向きを見つつも遊牧民側に加わっていたに違いない。
浮浪者や廃墟生活者、放浪者らも思い思いに武装しては馳せ参じてきているのは、逃げ遅れた王の兵団の脱落者を狩りたてて、食糧や賞金を貰う為だ。【王】タリウスや族長ルキウス、それに騎兵の類などは、ポレシャ側の伝令が廻るよりも早く、既にポレシャ圏から逃げ去っているだろうが。
皮肉にも、決戦時より大幅に膨れ上がっているポレシャ勢だが、盆地の入り口に天幕と松明を張りつつ、事務官や書記などが忙しく動き回っていた。民兵の下士官や保安官補らが遅ればせながら馳せ参じてきた自由農民らには親しく挨拶を交わし、一応の顔見知りや紹介者がいる傭兵徒党や牧者衆らには二言、三言を交わしつつ、書類を書いて渡していたが、見るからに無頼の傭兵や浮浪者などには、一応の名前を聞いてから、捕まえたら幾ら、殺害したら幾らと期限付きの手配書を渡すだけの事務的な対応に終始していた。ポレシャ勢に限って言えば、地元であるから負けても再戦の機会はあっただろうが、遠征先で会敵した軍隊などは、きっと負けた側が似たような追撃に遭うのだろうか。
戦闘終了後の今さらに積まれた土嚢と幾つかの天幕の奥。司令部は護衛兵が守っていた。久しぶりにあったキャシディ・エヴァンス保安官だが、市民軍の司令官だけに疲労の色が濃かった。少し疲れた笑顔を浮かべながらもニナを見つけると、親しげに抱きしめ、髪をくしゃくしゃかき回してから「良く帰ってきたなぁ」と、それでも嬉しそうに肯いている。誰かがおのれを大事に想い、生還に安堵してくれるのは、ニナにとっても嬉しい心持ちだった。
何か言いたげなキャシディだったが、コーデリア保安官補が書類を持って駆け寄ってくると、「ルカスが戦死。モーガンも」耳打ちしてきた。
「モーガンは、中町の職人だったね。
ルカスは……」キャシディは沈痛な表情を浮かべつつ、言い淀んだ。
「牧者。年末の冬至の宴で……」とコーデリアの囁きに記憶を刺激されたか。
「ああ、思い出した。あの歌の上手かった……そうか」と頷いてる。
「あとは、ジョーンズ氏が腹部に銃弾を喰らいました」とコーデリアがいささか深刻な口調で追加する。
「重体?」と保安官は尋ねた。
「重症です」と保安官補は返答した。
「細胞賦活材が用意してある。町まで持てば、助かるよ」疲れた表情でキャシディは呟き、椅子に座った。相当の重症にも一定の治療効果を持つ細胞賦活材は、貴重品ではあったが、ポレシャ市ほどの大型居留地なら幾つかは取り寄せられるようだ。
「ジョーンズ氏は、裕福な市民だから」保安官は、力のない眼差しでニナを見上げると、座るのを促すように隣の席をポンポンと叩いた。コーデリアがお茶を入れている。砂糖をたっぷりと入れていた。
キャシディ・エヴァンスは意外と猫舌なのか。少しずつ、舐めるように熱いお茶を飲みながら、「……マギーも重要リストに載ってる」ぽつぽつと言葉を続けた。
「ニナは載ってない。でも、マギーは連盟通貨で三千支払うと保証してた。わたしも推しておいたから。来季からは載る……だから、どんなに怪我をしても帰っておいで」
他にも、数名の負傷者。それも浅からぬ傷を負った男女が天幕に寝かせられている。負傷者たちのうめき声は、簡素な司令部の天幕まで届いてきていた。
「ありがとう……というべきなんだろうね。キャスにもマギーにも」ニナはなんとなく呟いてから、言い直した。「いや。ごめんなさい。感謝してます」
「命に優先順位を付けるのは、私もいい気分にはなれない。だが、やらないともっと酷いことになる」キャシディはため息を漏らした。沈黙が立ち込める天幕だが、誰かが無造作に入ってくる。
「エヴァンス保安官。市民兵たちを帰還させていいかね」マクロード副保安官だった。天幕の傍の土嚢には、スタンフィールド氏が腰掛けている。
ひどく疲れ切った表情。疲労困憊と言った風情のスタンフィールド氏は、常の洒落者の姿は見る影もなく、目の前を呆然を眺めている。他の人々も似たような途方に暮れたような、放心したような表情で、服飾に比較的に気を遣うポレシャ市民や正規居住者たちには、滅多に他人に見せない姿だった。
スタンフィールド氏も、軍人ではない。基本的には市民なのだ。メリッサも疲れた様子でスタンフィールド氏に凭れかかっている。ただし、こんな時でも動き易そうだが装飾の多いヴィクトリア朝的なゴス衣装だった。ポレシャが負けてたら、メリッサの死体を見つけた遊牧民は、大変、困惑してただろう。洗濯大変だろうな、とニナは奇妙にもどうでもいい思考を思い浮かべていた。いずれにせよ、戦場は非日常であり、彼ら彼女らを酷く疲労させている。
「本隊の半数は、すぐに帰還させよう」キャシディは頷き、手はずをマクロード副保安官と話し合う。市は追撃戦の為、入れ替わりで低練度の弱装兵たちを送り込んでくるようだ。金で雇える武装農民衆や武装鉱夫団なども追撃に加わる見通しだった。
「……妙な話」とニナの呟きに、コーデリア保安官補も苦笑を浮かべる。「最初に出すべきだったのだろうが、それは諸々の事情で出来なかった。色々と」
キャシディとマクロード副保安官の会話は、市民兵の帰還後の扱いにまで及んでいた。皆に勲章や配給の贈り物をし、庶民層や労働者にも報酬を弾む。演劇やら映画やらを上映し、お酒、甘味に肉類と言った食べ物の放出と、例年のイベントを早倒しして忙しく演出して、日常に戻れる工夫を凝らしている。庶民に至るまで従軍した人々が心理的外傷を少しでも癒し、戦場のことを忘れて、大半が上手く市民生活に戻れる工夫を細やかに凝らしているようだ。とは言え、その代わりに、ポレシャ市民軍の人々は幾度戦っても中々、戦場へと慣れることができないでいる。
ポレシャが勝ち残って良かった、とニナは本気で安堵した。【王】タリウスがポレシャ圏に侵攻してきたのは、牛やマギーへの因縁だけが狙いの筈がない。いかに高価とは言え、数頭のサドラン牛の為に百人の軍隊を動かす馬鹿がいるものかと思う。十中八九は、侵略の口実だと喝破していた。
良い共同体だ。善良さはあるが、限界があるとも自覚してる。それに、少なくとも法と秩序が機能している。社会や権力者の理不尽な裏切りはない。曠野としてはそれで十分だ。暮らしやすい土地は、百に七つくらいしかない。ポレシャのように暮らしやすい土地は、百に三つだとマギーは言っていた。
相応の軍事力や経済的な機会、近隣の情勢も計算に入れれば、ポレシャは百あるうちで一番か、二番だと評価していた。もっとも別の土地に馴染んでいたら、その土地を高く評価していたかも知れないが。
「そうだ、マギー。それにイザベル・ミラーとエマ・デイヴィスが、まだ合流していない」ニナが思い出したように伝えると、エヴァンス保安官は頷いた。
「これから掃討戦と追撃が始まる。ついでに探しておくよ。出会えたら、拾っておこう」告げてから、ついでに「マギーが死ぬとも思えないが」と付け足した。ニナも頷いた。他二人については言及しなかった。
立ち上がったキャシディ・エヴァンスは、住所メモと市内のホテルのチケットをニナにくれた。
「今日は、いいベッドで眠りなさい。ひどい顔色をしている」
保安官の素直に好意に甘え、ニナは有難く受け取った。倒れて眠りたいほどに。疲れ切っていた。ホテルと言っても小さな建物だが、曲がりなりにも個室と柔らかな寝台がある。それにしてもサドラン牛の輸送は、予想以上に大変な任務だった。
天幕の外では、護送犯ヘレンが保安官助手たちに引き渡され、再び手枷が嵌められていた。
「追撃に連れていく」告げたキャシディの思惑としては、イザベルなり、マギーなり、誰かしらが掴まっていたら、人質交換に使えるかも知れないとの事だ。
ニナにそっと耳打ちにしてヘレンを見つめるキャシディ・エヴァンスの瞳は、身内に向ける暖かな眼差しとは別人のように冷たかった。
厳しい時代、黄昏の時代に責任ある立場の人間は誰しも優先順位を付ける仕事から逃げられない。ましてヘレンは、遊牧氏族『大地の子ら』の身内であろう。身内や友人、家族に含まれない者には事務的に対処するし、敵であれば対応も冷たくなる。
放浪民の娘ミリーから、キャメロン保安官補が話を聞いている。だが、ミリーは口下手で引っ込み思案であり、上手く説明できない。誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせているミリーだが、ニナは最後まで心胆の一端も明かさなかった放浪民の視線を意識的に遮断した。
「ポレシャまで乗っていくかね?お嬢さん」
そう、ニナに声を掛けてきたのは馬上のスタンフィールド氏。背後ではメリッサも馬に乗っていた。ニナは頷くと、立ち止ったゴス装束メリッサの馬の後ろに載せて貰った。
夕暮れの双子丘の麓に続く隘路を、二頭の馬はゆっくりと進んでいった。徒歩でのろのろ歩いているルーク・アンダーソンとハロルド・コッゾォを追い越すと、二人が手を振ってきた。グラハム『狐』バートンは、牛の牽く荷車に揺られながら舟を漕いでいる。見回しても、ミリーは見かけないが、きっと何処かに紛れてる。戦闘が終わった後に無事な姿は確認しておいた。
南西のポレシャ市方面に向かって周囲には驢馬の荷車に揺られ、或いは、力なく歩き続けている疲れ切った市民兵や民兵らの疎らな隊列が続いていた。入れ替わりに、何処にいたのかと思うような数の騎兵や歩兵たちに輓獣の牽く荷車を道中で見かけた。
ポレシャの旗を掲げながら、意気揚々とやってきてはすれ違っていく兵士のうちには、アーキバス銃やマスケット銃を担いだ自由農民や猟師も混ざっているし、こん棒や槍を持った貧農や小作人、農奴と思しき集団までが混ざっていた。
「落ち武者狩りだな」スタンフィールド氏が、ぽつりと呟いた。農村を荒らした訳でもないが、ポレシャ市が【王】の敗残兵に賞金を懸けたようだ。
この手の敗残兵狩りは、下手をすると単独、或いは少数で行動している味方兵や脱落した味方、無関係の旅人が誤認されて襲われる可能性も生じるが、此処は追撃して打撃を与えると決断したのだろう。エマやイザベル、マギーが間違われなければいいけど、とニナは思った。
「……弓に、クロスボウ。またクロスボウ」眠気を抑える為にすれ違う兵士たちの装備を観察していた。すれ違う騎兵たちは飛び道具を携えているが、ライフルを背負ったものは意外と少ないのに気づかされる。
「あれは、ね。駄馬とか、訓練してない馬に乗ってる。
さすがに離れた銃声だけで、棒立ちになることはないけど。馬は臆病な生き物だからね」メリッサの蘊蓄も、うとうとしながらニナは聞き流していた。
薄紫に揺れる西日が世界を壮麗に彩っていた。
先刻まで人が殺し合っていたとは信じられないほど美しい風景に、夕暮れの涼しい風が吹き始めている。
遠く、銃声の残響が微かに届いた。追撃するポレシャ勢と【王】の兵団の残党が何処かで殺し合っているのだ。
「馬だけは幾らか手に入ったが……戦争なんて割に合わない」スタンフィールド氏は、苦々しく呟いていた。今だけは、ニナもスタンフィールド氏に賛成だった。
メリッサは、馬術が上手い。高価なフカフカクッションに尻が収まり、一定の振動も却ってニナの眠気を心地よく刺激してくる。
「ちょ、落ちないでよ」と不安そうなメリッサが唸りつつ、ニナの太腿を揺すったので、寝てないよぅ、と返答した。




