03_60J 双子の丘の戦いⅢ
黄昏の時代に、列強でもそうはいない1000メートルを当てる狙撃兵がポレシャに所属している。故に、【王】タリウスは、騎馬斥候の配置を大幅に見直すことを強いられた。狙撃兵に対抗するには、狙撃兵が必要である。彼のスターリングラード攻防戦を例に挙げるまでもない。百人規模、いや大隊や連隊規模の戦いでも、使い方次第で僅かな狙撃兵は戦いを左右する。
それが、たった一人であっても、例え、高性能弾頭が貴重で気軽に発砲できないとしても、騎兵斥候の行動を縛るのは変わりない。何故なら、騎兵斥候とは基本、有能な青年士官や戦士が務めるものだからだ。高所や見通しの良い場所は危険となり、斥候と斥候の距離も大きく取らざるを得なくなった。
狙撃兵の最大の脅威とは直接的な殺害人数ではなく、その存在に拠る戦略的、心理的な抑止効果にある。存在している可能性だけで、指揮官や伝令、斥候などを迂闊に出せなくなる。加えて厄介なのは、800メートルや600メートルなら、さらに複数名が存在している可能性もある事だ。無論、400メートルでも脅威であることに変わりはないが、その程度なら複数の騎兵や練達の射手がいれば、対応する余地も残されている。
よってタリウスは、一人一人の騎兵斥候の偵察担当領域を大きく取り、巡回させつつ、狙撃兵が存在しうると想定される方角に対して、一定の速度で運動させ続ける事に拠って対処した。天候は晴天であり、風は弱い。遮蔽に利用しうる岩塊だけは豊富であったが、地形は敵にも味方にも公平に作用する。幸い、緒戦を除いては、騎兵斥候に対する首狩り戦術は行われていない。恐らくキャシディ・エヴァンスは、指揮を執る関係で前線を離れられないのだろうとタリウスは推測した。南西方面に重点を置きつつ拡散させた騎馬斥候は少数であったが、それで少なくともポレシャ市からの大規模な増援の動きは監視できる筈であった。
タリウスの本陣に駆けつけて来た騎馬斥候が、到着するや否や口を開いた。
「南西方面の敵陣営から、敵の増援が接近中。歩兵主体として数はおよそ四十弱!」 地図を眺めていた【王】は煩わしげに舌打ちし、手を振りかけてから考え込んだ。 戦場をじっと眺めてから、「……敵に輜重は付いてなかったか?」ふと、思い当たって斥候に尋ねる。
斥候が顔を強張らせる。「つ、ついていました」
「時間は何時だ?いや、3キロを馬が駆けるとして、疾走しておよそ5~6分。合ってるか?」自問自答してから問いかけるタリウスの顔色に怒りの色は無かった。
「は、はい」
「ただちに【族長】ルキウスの元に向かい、すぐに伝達せよ。南一キロに敵の輜重あり。恐らくは弾薬を運んでいる。これを襲撃して撃破せよ、と」【王】の言に「は!ただちに!」騎馬斥候が一礼し、替え馬に乗って駆け去っていった。
「さて、間に合うかな?往復で十二分、ギリギリだろうな」舞い上がった砂煙に顔を顰めながら、タリウスは呟いた。
戦場を望遠鏡で見つめているタリウスの視界の先。騎兵隊が動き出すも、双子の丘に三十名のポレシャ勢(増援歩兵)が出現する。ポレシャ勢本営と人が行き交うと、援軍はタリウスの向かって右手の丘陵へと進みつつあった。
「十字砲火を展開するつもりか」
間に合わなかった。【王】タリウスの心臓が嫌な鼓動を立てるも、まだ負けた訳ではない。僅かなタイムラグで後れを取った、と舌打ちする。もう少し前に本陣を置いておくべきだったか。それにしてもポレシャ勢は足が速い。
さらに立て続けにポレシャ勢本陣で旗が振られると、此処に来て遂に騎兵隊が動き始めた。
運動させず、距離を保ちながら、やはり西の丘陵――向かって右手の麓へと展開しつつある。同時にポレシャ本営からの牽制射撃が【王】兵団の歩兵隊向けて激しくなる。
「騎兵に騎兵をぶつけるのではなく、歩騎混合の十字砲火でこちらの歩兵を完全に潰す気か」十字砲火が完成すれば、歩兵隊は、いよいよ逃げられなくなる。かと言って、先刻までと違い、十字砲火の西端を騎兵で潰そうにも、騎兵隊か、歩兵隊(増援歩兵)のいずれかに攻撃を受ける。歩兵隊を迂闊に撤退させようにも無防備な背中に銃撃を受けるか、或いは、騎兵の追撃を受けるか。その両方か。
嫌な動きを先手、先手と矢継ぎ早に取ってくれる。ポレシャ勢の指揮官は相当に性格が悪いに違いない。と決めつけつつ、敵の弾薬の備蓄量と戦術的な手腕が想定を上回っていたことは認めざるを得ない。
やはりここは一度、歩兵隊を退かせて態勢を立て直すべきか。と結論する。例え、幾らかの損耗を受けるとしても、十字砲火の中心に置かれるよりはましであった。【王】タリウスはどうやって味方の歩兵を無事に後退させたものか、考え込む。やはり騎馬隊での牽制射撃に拠る後退の支援を行うしかないだろうか?
だが、騎兵はどうやったって歩兵よりも遥かに貴重で高価な兵科。割に合うだろうか?
なにか有効な手がないか、と地図を睨んでいる【王】の元、「タリウス!」呼びながら【族長】ルキウスが駆け寄ってきた。
「歩兵隊には、氏族の若者たちも含まれている」馬上からルキウスが叫ぶ。
タリウスが頷くと、従兄弟も覚悟を決めた顔で頷いている。
「これから突撃を行う。敵の騎兵を追い散らし、駆け上がって西の丘の歩兵(増援歩兵)を殲滅し、味方の撤退を援護する」
「そうだな、それしかあるまい。間に合うかは、危ういところだが」タリウスは他人事のように冷静に呟いていると、「……勝たねば、レニを取り戻せない」
静かに告げた【族長】ルキウス・カッシウスは、【王】タリウス・ヴォルトゥリウスをじっと見てから笑った。
「これが今生の別れかも知れん。少しは酒を慎み、身体を厭え」
「ルキウス!」と立ち去ろうと背を向けた【族長】にタリウスは声を掛けた。
「女は身代金を払ってでも取り返してやる。それでも行くか?」【王】が問いかけると「俺が死んだら、ヘレンを頼む」などのたまった。
「変わらぬな。行くがいい。愚か者よ」嘆息し、手を振った。
それから本営に残った十人ばかりの兵士たちを眺めると指示を下す。
「親衛隊前進。一定距離まで前進しながら、援護射撃を行え」どうにも負け戦の匂いが漂ってきたが、十字砲火が完成する前に敵の左翼を打ち破れたなら、まだ勝利できる望みはある。厳しい戦いを強いられているが、それは最初から覚悟していたことだ。
※※※※
大地が揺れていた。盆地の中ほどに聳える『ボルゴの瞳』の中にいても、床の振動から馬蹄の響きが感じられた。ポレシャ勢と【王】兵団の騎馬隊はまるで魚の群れのように盛んに動き回りながら、馬上で銃を撃ち、サーベルやシミターを振り回している。
双方が動き回り、集団で固まってもいないので、中々に銃も当たらず、戦闘は延々と続くようにも見えた。実際は、王の兵団の騎兵たちは、当初から駆け回りつつ牽制射撃を行っており、対するポレシャ勢の騎兵隊は緒戦の機動の後はずっと馬の足を休ませていた。一昨日からの遠征での移動に加え、40分以上の戦闘を駆けまわって、とうに持久力の限界を越えているだろう筈の『大地の子ら』の騎兵たちだが、いかに遊牧民とは言え、一体、どういう馬の鍛え方をしているのか。ポレシャ勢の騎兵隊に動きは引けを取らないどころか、所々で上回り、局所的には押してさえいるように見えた。
屋上の『銃士』ルーク・アンダーソンと『用心棒』ハロルド・コッゾォは、動き回る双方の動きを慎重に注視していた。身を乗り出したりはしない。狭間胸壁に遮蔽を取り、夕暮れに影の伸びた屋上の闇に身を潜めながら、もう手出しをすることもなく戦闘を見物している。援護射撃をするべきなのかも知れないが、聳え立つ丘陵の影に近い部分では、敵味方の騎兵が目まぐるしく入れ替わり、遠目にはもはやどちらがどちらなのかもよく見当がつかない。だから、ただ、蹲って小声で応援していた。幸い、砦を包囲していた王の兵団も姿を消し、戦闘に身を投じている。
残り弾薬も少なく、敵味方の区別もつかず、疲労困憊で下手に勇めば判断を誤りそうだ。情けない話だが、後は味方が勝ってくれるのを祈りながら、もし確実に敵と分かる奴が手の届く範囲に居たら、危険を冒さないように一方的に射撃できるならしておくくらいしか出来ることがなかった。ここまで来たら生き残りたい。余計な真似をして敵の注意を引きたくないという怯懦も多少はルークやハロルドの心の片隅にもあったのだろうか。もっとも長く危険な稼業に身を置いてきた中には、恐怖を認めた上で抑制できる者も少なくないのだが。
「勝ってくれ」「頼むよ」屋上で頑張っていた男たちの懇願するような、ある意味で情けない声を聴きながら――聞きたくなくても聴こえてしまうのだが。ニナは嘆息した。
ニナ自身も結局、碌に戦えず、ずっと蹲って埃塗れでボロボロになっていた。いや、屋上の二人の方がよっぽど奮戦していた。密室で発砲したために黒色火薬で目も痛い。眼病になりそうだ。兎に角、こうなっては出来る事など大してない。涙を零しながら、ニナは小さな砦の奥へと進んだ。そちらもやはり空気は淀んでいるが、多少は煙と埃っぽさがマシだったからだ。
ギョッとする。カンテラに照らされた薄暗い小砦の岩の部屋。護送犯ヘレナの手枷が取れていた。一応、腕は縄では繋がれているが。ミリーが決まり悪そうに俯いた。ニナがグラハム『狐』バートンを睨むも、クロスボウを携えたまま、老行商人は肩を竦める。
「……手配書に腕が立つと書いてあったのに」言いつつも、此処まで来たらどちらが勝つかでニナやヘレンの命運も決まる。悪足掻きは出来るかも知れないが。
それに一連のヘレンとの会話は、ニナには聴こえてもいたのだ。ヘレンは細い窓から、騎兵同士の激しい争いをじっと眺めている。「若様……」とか細い声で祈るように呟いていた。
屋上からはルークとハロルドの喚いたり、呻いたりする声が響いてくる。
「誰かが落馬した!左の岩の奥!」「ルカスだ!」「逃げろ、はやく、ああ!」「……駄目だ、首を刎ねられた」「畜生!いい奴だったのに……」
二人は、知人の死を悲しみ、味方を応援して敵の死に興奮していた。
「追い詰めたぞ」「やっちまえ!ルカスの仇だ!」「転げ落ちた!おお!やった」
多分、遊牧氏族の騎兵が倒されたのだろう。窓から覗いていたヘレンが息を呑んだ。
「……あの」ミリーが恐る恐る尋ねると、ヘレンは微かに首を振った。
「若様ではない……でも、親切にしてくれたわ」
ヘレンを警戒しつつも、ニナも別の窓から覗きこんでみた。ポレシャ勢が押されているように見える。二人、三人と負傷した騎兵が背を向けている。どうにも形勢はよろしくない。此の侭では、敗走するのではないだろうか。
ついにポレシャ勢本陣の丘陵の頂きから、角笛が吹き鳴らされる。
退却の合図。ニナが息を呑んで見守る中、ポレシャ勢の騎兵隊が南の方角へと一斉に逃げ出した。
ああ。味方の為の絶望にニナが喘いでいたら、遊牧騎兵たちの背後を突くように丘の稜線に突然、歩兵隊が出現した。
増援?いや、あれはポレシャ市民軍の本隊だ。いや、でも、本隊は双子の『妹』で戦っていた筈では?「は?」理解できずに、ニナは思わず思考が停止していた。
※※※※
「スタンフィールド氏は、逃げる振りが上手ね」キャシディが褒め称えるとコーデリア保安官補が「……あれは本気で逃げているのでは?」首を傾げた。
充分に足を休んでいた筈のポレシャ騎兵隊は、最初から最後まで戦場を縦横無尽に駆けまわっていた『大地の子ら』の騎馬隊に最後まで及ばなかった。良く戦っていたものの馬を乗りこなす技量と馬の持久力で明らかに劣っており、双子の丘の頂から、戦況を眺めるキャシディ・エヴァンス保安官の視界の下、味方の騎兵隊が遊牧騎兵の突撃に怯んだかのように、ろくに戦わずに壊走した。二、三人は落ちている。生きてるといいが。
補給基地からやってきたヘルナル臨時少尉の増援部隊は其の儘、戦場の左翼へと廻した。それまでは十字砲火を【王】の兵団の歩兵隊に浴びせていたが、今は逆に【王】の兵団の騎馬隊に銃撃を受けて、怯んだように散開し、碌に反撃もしていない。ポレシャ市民軍本隊の射撃も半分は騎兵隊へと向けられているが、動き回って上手く交わしている。なんとも勇敢な騎兵隊だ。羨ましくなるほどの練度と士気の高さに感嘆の吐息を洩らしつつ、キャシディは手を上げた。
双子の丘の『妹』の中腹にポレシャの黒地に麦穂の旗が振られると、キャシディの左手――つまり、西の丘陵の稜線から、四十人のポレシャ勢本隊が現れ、射撃を開始する。位置としては増援部隊からさらにやや北に出現しており、本隊と抽出された打撃部隊で、敵騎兵に対して6時と11時から十字砲火を与える形となる。
流石に【王】の騎馬隊を意表を突かれたか。露骨に動きが乱れた。ついでに遠距離から射撃していた連中の銃撃や移動も一瞬、静止していた。よほど衝撃だったらしい。
同時にポレシャ勢騎兵隊も偽装敗走を停止して、踵を返して攻撃を開始する。
騎馬隊が防戦一方になると同時に、射竦められていた増援の30も意趣返しとばかりに激しい銃撃を再開する。隠れ場の無い四方向、120人からの猛射撃に、短時間で王の兵団の騎馬隊も十騎以上が落馬していた。同時に歩兵隊に対しても反撃が加えられる。完全な十字砲火の完成だった。いかに訓練を積んでようが、射線を躱す動きを人馬共に身に付けていようが、物量と物理法則だけはどうにもならない。
睨み合っていた時間帯に、キャシディは本隊から40名を抽出し、戦略的自由度を確保していた。
抽出した部隊は、索敵に見つかりにくい地形に展開させておき、敵の騎馬斥候は、レミントン700でのキャシディ自身の狙撃と斥候狩りに特化させた特に腕の立つ少数の遊撃騎兵に始末させる予定だったが結局、見つからなかった。まあ、なにもかも上手くいく訳ではない。本陣の部隊は、一分当たり一発から、30秒当たり一発に変更して火力を維持。戦力の抽出を悟らせないようにしておく。30秒当たり一発なら、注意力や神経も損耗しない。偽の十字砲火を演出して危機感を煽り、ギリギリ敵騎兵隊に破れそうな布陣で誘ってから、あとは、二重の罠――偽装敗走と伏兵で半包囲から殲滅する。卓上遊戯や盤上演習ではマギーやヘルナル大尉相手に幾度も打ち破られたものだが、根気強く練り上げた『サイドワインダー作戦』はいけると考えていた。
「同じ手に引っ掛かるなよ」呆れたように漏らした呟きが他人に聞こえたかどうかは分からない。
空気が確かに変化した。敵の士気が殆んど物理的な衝撃を伴って粉砕される瞬間を目にして、コーデリアが感嘆の吐息を洩らした。そして市民軍が、自由射撃を行い始める。ヘルナル大尉が戦場に持ち込んだ弾丸はおよそ四千発。まだ、半分も使っていなかった。キャシディは、味方の兵士にも弾数を教えていなかった。敢えて温存していたのは、無駄遣いを避ける他、火力からポレシャ市民軍の推定弾薬数を敵に誤認させる為。
後は、キャメロン保安官補が丘の頂で狼煙に火を付けていた。煙が上がると、数分もしないうちに呼応するように夕暮れの地平の向こう側からも幾つもの黒煙が上がる。ポレシャ市と近隣集落に対しての勝利の報告だった。今頃、ポレシャ市でも予備軍を追撃の為の編成に切り替えている頃だろう。あとは自由農民たちや、或いは廃墟生活者たちなどが勝手に追撃に加わって、落ち武者狩りをするかもしれないが、其処までは知った事ではない。
「やれやれ。やっと勝てそう」髪を掻いたキャシディが呟いた視線の先、【王】の兵団の騎馬隊は、ばらばらに散って敗走し始め、歩兵隊は、蛇に呑み込まれた獲物のようにのたうち回りながら、消化され、数を撃ち減らされつつあった。
それでも、今回の遊牧民は生易しい相手ではなかった。気疲れしたキャシディは、戦場を眺めながら、岩陰に寄りかかった。「落ち武者狩り、か。連中、果たして何人が生き残れますかね?」コーデリア保安官補が楽しげに呟いていた。




