03_60D 街道封鎖
ジーナを見つめる騎兵たちの人数は三人。男が二人、女が一人。服装に共通する意匠から【王】タリウス配下の遊牧騎兵であるのは、ほぼ間違いない。そう言えば、馬の嘶きも聞こえてたわ、と今さらながらに思い当たった。
この時、ジーナ・Cは衝撃で表情が硬直し、思考は空白に占拠された。乏しい反応がいい方向に作用したのか。実際には、ただ気絶寸前の小動物と同じ挙動だったが、傍目には、他の客に興味が薄い無愛想な女牧者に見えたようだ。
遊牧騎兵どもは軽く顔を見合わせ、肩を竦めると、真ん中の年上の男が「何処から来たんだね?随分と歩いてきた様子だが……」不躾に質問を投げかけてきた。
ジーナは、返答で沈黙を返した。なにも思いつかない。己を追ってる騎馬斥候の手がポレシャ近郊にまで伸びている事に戦慄し、怯え切っていたから、鈍そうに瞬き、低い声で質問で質問を返した。
「……なんで?」とぶっきら棒に呟いた。
「お喋りしたくないよ」ぼそぼそと応えるジーナは、いかにも人嫌いで変わり者の、つまり孤独な牧者にはよく居そうな反応で、しかし、愚鈍を装っていた訳でもない。
なにを応えても底が割れそうだったので、表面上は平静を装いつつ、必死に受け流そうとしていた。
騎兵たちは面倒くさそうに溜息を洩らしつつ「姐さん。面倒を掛けないでくれ。質問に答えてくれりゃあ、何もしないさ」嫌な圧力を感じた。唐突な暴力直前の匂いが漂ってくる。
「北……北の牧草地」ジーナがぼそぼそと言うと、背の高い若い騎兵が、軽薄に笑いながら「羊も牛も見当たらないが……」と聞いてくる。
「近くに待たせてある。仲間に」声が上擦った。これ以上は、問答に辻褄の合う答えを出せそうにない。「ご馳走」と、腹も減っていたが、豆や粥と言ったどこでも食えるが暖かい料理も注文せずに席を立った。
酒場を後にする時も、背筋に粘りついてくるような騎兵どもの視線を感じていた。騎兵たちがジーナたちの正体に辺りを付けていようが、いまいが状況は危険だった。単独、或いは少数で行動している家畜連れの牧者たちは絶好の襲撃対象で、しかも、普段は一帯で見えない力を発揮してるポレシャ市の庇護と統治が遊牧民どもの侵入で麻痺している。遊牧民の斥候たちが小遣いを稼ぎつつ、羊肉で食事を取ろうと考えても不思議はないのだ。
ジーナ・Cは、寡婦に小銭を払って、ライフルを抱えたまま村の便所に入った。水を飲んだばかりだが、恐怖と緊張に膀胱が収縮してる。小便をしながら必死に考えを凝らす。
(連中、後ろをついてこないだろうか?このまま仲間の元に案内してしまうのではないか?)どうしよう。分からない。畜生、私は頭が良くない。それにしても、どうしてあの手の連中は、他人を恐がらせて楽しんだりできるんだろう。それは一生、ジーナには分かりそうにない感覚だった。
取りあえずは、当面の飲み水を確保したジーナは、慎重に崩れかけた双子塔へと戻った。林を抜ける際には、騎兵たちが尾行してきて来ないか。樹木に身を隠しつつ、そっと背後へと振り返っている。人影は見当たらない。緊張に汗を拭きながら、林を抜けた後は小走りで仲間たちの元へと走った。貪るように水を飲むガイ少年と、コップでちびちびと飲む怪我人のロニ。それでも顔色が随分と良くなるのだから、ポレシャ市の病院にたどり着けば、きっと助かるだろうと思えて、安堵の吐息を洩らした。
念の為に街道筋は避けて、やや大きめに迂回をしながら、ポレシャへと進むことにする。日没までには町の入り口に辿り着けるだろう。それでやっと旅も終わる。いや、エマやマギー、ニナたちを救いにいかないと駄目だが、そこから先は保安官の仕事になる筈だ。
ポレシャに近づくにつれ、人や家畜の姿をぽつぽつと見かけ始める。農場や小さな村落が点在し、修繕された廃墟にも頑丈な扉や窓が備えられ、生活の気配が伝わってくる。市の西と南には麦畑が広がり、東は廃墟区が立ちはだかっているが、それでも徒歩で往来できる圏内の危険な野生動物や怪物は、警備隊によって掃討されている。
昨年の冬だかには、恐ろしく巨大な変異熊だかが仕留められて市の広場に晒されていた。空いた廃墟に屍者や巨大蟻が巣食い、野犬やコヨーテなどが野原を彷徨うのは防げないにしても、ポレシャ近郊は、常に淘汰圧が働き、怪物の気配は薄い。
水源は乏しく、土は痩せ、薪も貴重な曠野の一角。完全な安全とは言い難く、野良仕事やら壁の修繕やらの際にもこん棒や槍を手放せないが、それでも一帯の住人は、眠りの前に火にあたり、ささやかな安らぎを覚えられる文明の縁がポレシャだった。
浮浪者たちが住まう天幕や廃屋を縫うようにして進む。僅かな人の気配が伝わってくる。比較的に穏当な住人たち。襤褸をまとい、火の回りで栗鼠や蝉を焼いて食べていた。何処からか馬の嘶きも聞こえてくる。裏道を通り過ぎ、開けた道に出れば、ジーナ・Cが視界の先、市内にあるポレシャ警備隊の監視塔を確認できた。思わず、笑顔を浮かべてガイ少年やロニへと振り返った瞬間、ジーナの顔が衝撃に襲われた。顔に嵐が叩きつけられた。ジーナにはそう思えた。身体が無様に、力なく崩れ落ちる。誰かが悲鳴を上げていた。
仰向けに倒れたジーナの視線の先、建物の物陰から遊牧民たちが姿を見せた。行く手から二人。後ろから一人。いずれも馬に乗っており、背後の女騎兵は、ライフルを掲げながら得意げに手を掲げてみせた。
前の二人は、素早く馬から降りた。背後から現れた女は、騎乗したまま、距離を取って状況を見守っている。
「やめておけ、小僧。その玩具みたいな銃。装填するのに何秒かかるよ?」騎兵たちの笑い声。「俺たちは牛が欲しいだけだ。命までは取らん」とぶっきら棒な声。ガイ少年が何かを叫び、殴打される音。ロニの悲鳴。「怪我人を運んでるな、これは当たりかも知れんぜ」
若い男の騎兵が牛の背を覗き込んでロニの腕を掴み、少女と知って頬を舐めた。ガイ少年が弱々しく抗議し、腹を蹴られて呻いた。
「やめて、酷いことしないで」ロニの懇願する弱々しい呻きに残酷な嘲弄が返される。ああ、とジーナ・Cは、でも、まだ死んだ振りをしていた。
ここまで、来たのに……と目を閉じたまま、喘いだ。
痛覚が戻ってくる。撃たれたのは耳だ。若い騎兵たちは、ジーナを殺した。或いは、勝ったと思い込んだのか。助けなきゃ、と思いながらも、ジーナの身体は震えた。気づかれたら、今にも止めを刺されるかも知れない。恐い。
いやだよぅ、とロニが泣き叫んでいた。ガイ少年は嘲弄され、痛めつけられている。子供の二人が抗っている。なのに、恐くて身体が動かない。臆病な己をジーナ・Cは軽蔑し、今こそ本気で呪った。歯を食い縛る。
もういい。死のう。死ぬけど、もういい。どうなっても知るものか。畜生共め。
死んでやる、と決めた時、男の野太い叫び声が上がった。
ロニが小ぶりなナイフを掴んでいた。
頬を切り裂かれた騎兵が怒りの叫びを上げ、ライフルを徒弟の少女に向ける。
銃声と同時に甲高い悲鳴。ガイ少年が絶叫し、発砲した騎兵へと飛び掛かった。
第二の騎兵がガイ少年へとライフルを構えるが、激しく揉み合っており、発砲を躊躇した。瞬間、ジーナは別人のように冷静に動いた。頭を狙って至近で発砲すると、第二の騎兵の頭蓋にめり込んだのが見えた。其の儘、ガイ少年と揉み合っている男の背中にジーナ・Cは思い切り、体当たりした。銃剣用のナイフが男の背中に深々と突き刺さった。
思い切りのけぞった騎兵にガイ少年が吊り上がった表情で飛び掛かり、作業用の小さな鉈で殴り掛かる。ジーナは、死んだ騎兵のライフルを拾って、第三の女騎兵を狙い、震える手で発砲。これは外れるも、撃たれた馬が暴走する。
女は叫びながら、地面に転がり落ちた。二十メートルほど。
たがいに視線が合った。その時、相手もひどく若い娘だと気づいた。
ジーナは慌てて奪ったライフルを投げ捨て、己の銃を拾い上げる。
互いに急いで腰の弾薬袋に手を突っ込んだ。後込め式銃のシリンダー部分を開き、紙薬莢を切り裂いて、黒色火薬と弾頭を込める。もどかしいほどの手の動き。
もしかして、サーベルでも拾って駆け寄った方が早かったかもしれない。そんな思考が脳裏を掠めた。雷管を付け、狙いを定め、女騎兵とジーナは、殆んど同時に発砲した。
※※※※
結論を言えば、ニナは騎兵たちを散々に引きずり回した挙句、あっさりと振り切って離脱してのけた。廃墟内には馬が使えない隘路に壁や天井の穴も多く、視界や動線は暗所や瓦礫によって断片化されている。音は反響し、痕跡は古いものが入り混じっている。初見の巨大廃墟に踏み込んで、配置や構造を知り抜いたはしっこい地元民を捕捉できる筈もない。
なによりニナは、種族が違う。廃屋に生まれ、廃墟に育った生粋の廃墟種族。
静謐な環境であれば、五十メートル先の針の落ちた音さえ位置を把握できる。草原で遊牧民が鈍重な定住民の軍隊を翻弄するように、ニナは駅前廃墟で間抜けな遊牧騎兵たちを完全に手玉に取った。
仲間たちを先に離脱させると、予定通りに時間を稼ぎ切ってから、小柄な体を生かして地下のトンネルを四足獣のように素早く駆け抜けて、敵の視界外の排水溝から脱出。直後に溝を辿って廃墟から離れると、想定しうる敵の視野を盗んで岩や丘、廃墟の影を縫いながら、予め予定していた目立たぬ廃墟のシェルターへと駆け込んで、無事に仲間たちと合流した。
道中では念の為、気配を押し殺しつつ、物陰から幾度か監視してみたが、追ってくる気配は皆無だ。むしろ、巨大な駅前からは今も銃声が響いてきて、何と戦っているんだ?と思ったものだ。
「なんか余裕だった」と首を傾げつつも安堵し、ルーク・アンダーソンや放浪者の娘ミリーたちを労ってみせる。用心棒ハロルド・コッゾォやグラハム『狐』バートン。三頭の牛も無事だ。護送犯ヘレンは目を閉じて、寝転んでいる。「怪しい動きはしてないよ」とミリーは言ってきた。
一部の旅人だけが知るシェルターには、若干の保存食に煮沸した水の瓶詰も隠してあり、皆に振舞って一息つくと、(物資の備蓄は使ったものが後で補充しておく)あとは其の儘、ポレシャへと向かうもよし。このまま知り合いの農場などへと潜伏することも出来る。ポレシャ方面への街道を封鎖してる可能性も鑑みれば、ポレシャに向かう農民やら行商人に金で手紙や伝言を託してもいい。ポレシャ近郊まで来てしまえば、そこは勝手知ったる地元。取り得る手段など幾らでもあった。
とは言え、土の地面に大型牛の痕跡を完璧に隠し通せるものでなし。嗅ぎつけられる前に移動はするべきだろう。近場で高めの廃墟の屋上まで、身軽な猿のようにスルスルと昇ったニナは、遠景に馬影を確認していた。
どうやら、タリウス。ポレシャへ通じる北から西の主要な街道には、騎兵を廻しているようだ。
「何処までも抜け目ない奴、とはいえ、手持ちの地図は精密さを欠いてるか?」
ふむん、とニナは考え込んだ。地形が開けている場合、馬上からの視野なら2キロから3キロ先の不審な人の動きを察知できるし、相互に連携もしやすい。3騎から5騎の騎兵がいれば、事故や奇襲に対応できる上、面積効率も申し分ない。およそナポレオン時代の教範にも乗っていそうな、軽騎兵に拠る哨戒・遮断のお手本だった。ただし、地元民のゲリラ的な動きは想定していない、対処できない教範だ。
ニナ一人であれば、ポレシャ市に駆け込むことも出来るだろう。これは仲間を見捨てての逃避ではなく、急を知らせ、助けを求めるが故の手段の一つだ。
小さなシェルターの床に座り込んで身体を休めつつ、ニナは地図を開いて次に打つべき手を模索する。あの斥候騎兵の目立つ動きが囮でなければ、位置を固定された騎兵に対して、見つからない程度までポレシャへの距離を詰めておくべきか?戦略的な自由度は下がるけれども。大きく廻り込んで廃墟区域越しに近づいてもいい。それよりは知り合いの農場を訪れて、伝言を頼みつつ、頼らせてもらうのもありか。反骨で善良な農場主や自由農民たちには心当たりがなくもない。いや、巻き込むのも良くないか?とは言え、遊牧民が浸透するような状況で、今の時代、誰だっていきなり巻き込まれないとも限らない。拘り過ぎるのも危険だろうか?
寝転んでるニナに眠気が押し寄せてくる。あまり寝てないし、肉体も頭脳も酷使している自覚はあった。お辛いが、今は我慢の時である。マギーに会いたい。抱きしめられて、よく頑張ったねと褒めてもらいたい。将来の御褒美を想像しつつ、安全性の高い方策を取ろうと決める。つまり、仲間には此の侭隠れて貰い、自分ひとりでポレシャに赴く。それとは別に念の為に近隣の自由農民たちに伝言を託し、無理をしない範疇で連絡を取っておく。
皆を集めて相談しようとした時、ポレシャ方面の空に黒い煙の筋が上がっているのが見えた。いや、ポレシャ方面ではなくポレシャ市の内部から上がっている。心臓が嫌な鼓動を刻んで、ニナは立ち尽くした。
――――
さすがにニナも、一秒か、二秒を自失したと思う。
ポレシャが失陥した?恐怖に近い想像が浮かぶも、それは、ほぼあり得ない。と否定する。
いかに遊牧氏族に百人近い無頼傭兵や無宿人、部族の戦士や浮浪牧人などが加わろうが、数百の規模の巨大蟻襲撃にさえ持ち堪えたポレシャである。短時間で陥落する訳がない。【王】タリウスが此方の想定を越えるような練度や武装の兵士を小隊規模。三十人から五十人で保有していれば、話は別だが。それもそれで、まったく噂にならないのは考えにくい。
だって密輸同盟なら兎も角、自由都市ズールでさえ、そんな部隊は所有してない。
商会連やらギルド有力者の私兵の粋を集めた統合総軍なら可能かもしれないけど、ポレシャ市だって馬鹿じゃない。侵略を受けないよう、自由都市の意見が割れるように常に幾人かの議員や貴族、有力商人を懐柔して利喰わせている。彼らがポレシャと繋がる利権を放棄したり、押し切られるとしても、何らかの前兆はある筈。
或いは、大交易市にやってきた名高いレンジャーや傭兵団の仕業だろうか?
豊かだが小さな町のひとつは、乗っ取れても不思議ない兵力だし、放浪に疲れた有名な団が、最後に安住の地を求めても不思議はないかも知れない。
でも、多分それはない、とニナは蓋然性の低い状況を切り捨てた。仮にそうだったら、どうしようもないかも知れないから、考えない。
多分、【王】タリウスの兵団に攻撃を受けた?牽制として?それならあり得る。とすれば、下層地区かな?背筋に冷たいものが走るも、ニナは動揺しなかった。敢えて身内や知人の心配は脳裏から省き、少し高い廃墟の屋根に身を伏せつつ昇って、よく観察する。
煙は太く、勢いよく昇っており、良く目立った。十数キロ先からでも視認できるだろう。観察しているうちに、煙に色がついている事に気づいた。
青く透明な夏の空を背景にしても、目立ちやすい色合いが滲んでいる。
やはり廃墟の高所に昇ってきたルーク・アンダーソンが隣で「おい、ありゃ色がついてないか?」と呟いた。双眼鏡を除いてるハロルド・コッゾォが頷いて「ついてるな。ううむ。桃色、黒、黒、白だ」
「狼煙かな?」などと頭の上で相談してる二人を他所に、ニナは呆然とした。
「……サイドワインダー作戦?」と呟くと、ハロルドとルークが振り向いてきた。
大の大人二人に真剣な表情でじっと見つめられ、「えっと、心当たりがある」ときまり悪そうにニナは応えた。
「保安官とTRPGをしてた時に……遊びでサイドワインダー作戦って」彼らのなんとも言えない表情を見たニナは、正直に洩らした事を後悔した。




