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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_60C 双子塔の影

 霞む遠方まで続く廃線の錆び付いた線路に、鉄の骨のような車両が停まっている。時折、旅人が身を休める錆の浮いた屋根の下には、喰い散らかされた骨やしなびた野菜が転がるだけだ。廃墟生活者や放浪民にとって絶好の住処になりそうに見えて、近隣の住人が定期的に見回り、車両に棲みついた余所者を力づくでも追い払っている。


 立てられた立て看板には、今も一帯は管理中だと警告が記されていた。

 二、三日であれば見逃されることもあるが、中々に曠野に安住の地は存在しない。大型の旧駅舎と駅前の商店街は、今もかなりの建築物が整然と屋根や壁を保っており、暮らすには良さそうな土地に見えるも、かつての人口密集地には水源が存在していない。自然、暮らせるのは少人数となりやすく、ポレシャ市やら近隣自由農民からすれば、駅前廃墟に作られた集落が屍者の群れ(ゾンビ・ホード)へ丸ごと転化したり、貧しい住人らを奴隷とした略奪者レイダー無法者アウトローどもの前哨基地に変わっても困るのだ。


 工業文明の痕跡が色濃く残る土地では、食い詰めた放浪民ではなく、トロッコを使った旅人や行商人らが線路の上を旅する姿を見かけるそうだ。あくまでも噂で耳にしただけだが、ニナは何時か、トロッコに乗ってみたいと思っている。



 遊牧民らの騎馬斥候を俯瞰できる丘陵から、川底を経由して駅前一帯に至るまでの逃走経路は予め入念に確かめた。馬の通れない段差や瓦礫の隙間、建物内部を通り抜けての通り道に狭い階段。窓から入って抜ける為の渡り廊下。

 塞がっている、と言う場所はなく、すぐに崩れそうな個所もない。危なげな尖った石やガラス片は拾い上げて、馬たちが踏みそうな場所に配置しておく。僅かでも減速したり、注意散漫になってくれると有難い。転んでくれる期待はしてないが、作戦の可能性は高めておきたい。


 屈伸を兼ねた柔軟運動で全身、特に数日を歩き続けている足の具合を確かめる。作戦の三十分前に、チーズと干し肉の食事を残り乏しい水で流し込んだ。運動を始める直前に、全身にエネルギーが廻り始める頃合いだ。ポケットに入れたキャラメルの粒は、作戦直前に口に含む。


 駅ビルの外部渡り廊下。クロスボウを抱えた行商のグラハム『狐』バートンが、ニナを見下ろしていた。

「十五、六歳にしては、……責任感による精神の成熟だろうな」と傍らの用心棒ハロルド・コッゾォに小さく耳打ちする。「将来が楽しみな、子だ。生き延びられたら」用心棒がテンガロンハットを直しながら、囁きを返した。

 聞こえている。ニナの聴力は、優れている。褒められて背中が少しだけこそばゆくなり、ほくそ笑みながら手を振るうと、二人ともに無言で振り替えしてきた。


 今まで過分に『狐』を警戒していたが、現状では一定を信用してもいいかも知れない。出し抜いてこちらを囮にするのではないか、と言う恐さがあったが、ハロルド・コッゾォも合わせれば、皆が助かりそうな間は短慮を起こさず、行動を共にしてくれるかも知れない。我ながら、単純だと思いつつも、脳裏で『狐』だけが逃げ出す可能性を一段階、低くした。


 作戦を開始する時刻が訪れる。ニナは胸に手を当てて、一度だけ大きく深呼吸した。

 不安を感じる。だが、当たり前だ。危険を危険と感じれない方が恐い。

 今は、恐怖を抑制している。大丈夫、勝ち目のない勝負ではない。

 成算は七割から八割以上を保っている、と自分に言い聞かせた。

 双眼鏡で斥候たちをそっと偵察する。一人が此方を見た瞬間に、立ち上がって丘陵の稜線に姿を見せ、狼狽したかのように立ち止った。

 監視地点まで推定で五百メートル。気づくだろうか?そして引っ掛かるだろうか?

 視力のいい人物なら、すぐに見つける筈。どうしても引き付けられないなら、囮にサドラン牛を見せる手も考えたが、鈍足の牛を視認させるのは隠すとしても危険すぎた。もし、斥候たちがニナを単なる少女と見逃すのであれば此の侭、迂回してポレシャ方面へ向かえばいい。


 斥候が気づいた。そして仲間に何かを語りながら、身を起こし、馬へと向かっている。念の為、一発、当たらないライフルを撃つと、最後まで見届ける事無く、ニナは身を翻して川底まで駆け戻った。


 脳裏では、時計がカウントダウンしている。大抵の馬の速さは、全力疾走で人間のおおよそ二倍ほど。ただし、固い地面では足への負担も大きくなる為、全力を出しにくいと予想していた。だから、多分に時速20から30キロ程度の駆け足で追いかけてくる。それでも侮れる速度ではないが勾配も含めた500メートルを駆け抜けるのに、恐らく一分。


 馬蹄の響きが、背後から響いてきた。心臓が止まりそうになる。川底を飛ぶように駆け抜けた。まだ、姿を見せない。馬に乗るのに時間を掛けたかな。

 対岸に渡り切った際、丘陵の頂きに騎馬斥候たちが姿を見せた。

 上手くいった。良いように陽動に引っ掛かってくれた。

 灰色に積みあがった瓦礫の壁の前でニナは後込め式ライフルに弾を込めようとして、上手くいった。慌ててみせるつもりだったが仕方ない。狙いを付けて発砲。相手はすぐに此方の位置を見つけた。


 身を伏せて、瓦礫の穴を通り抜ける。相手が発砲してくる。

 着弾は、足の近く。近い。銃の腕は、侮れない。

 加えて当たれば、どんな素人の銃弾だって熟練兵士を殺すことができる。

 それでも、間抜けだな、と頭の片隅で思う余裕があった。

 タリウスは間違いなく相当の戦術家で、マギーに匹敵するか、もしかしたら上回ってさえいるかも知れない。それでもニナは、早朝に襲撃を受けた際、騎兵たちに感じとった違和感を今こそ認識した。手足が駄目だ。


 駅前の旧商店街を一気に走り抜けた。駅ビル二階のバルコニーには、ルーク・アンダーソンが待機していて援護射撃の準備をしていたが、騎馬斥候たちの動きは、今のところは此方の想定を下回っている。騎兵たちは一塊となって瓦礫の前で立ち往生している。さっさと別の出入り口を探せばいいのに、分離もせずに怒号を放っていた。

 

 若い兵士ばかりで経験が伴っていないのか?適宜に判断できる軍曹もいないようだし、背骨となる古参兵ベテランも見当たらない。

 戦闘経験が少ない。いや違う。場慣れはしている感じがするから、工夫しなければ勝てない敵は避けてきたか、いずれにせよ、戦術を積み重ねてこなかった。

 タリウスは勝ちやすい敵に勝ってきたのか。それとも小さな戦いばかりだったかも。ともかく、数だけは揃っているが、過半が金で雇われた烏合の衆。それに遊牧民の騎兵も熟練兵がいないのは、分かった。


 ニナは、駅ビルの入り口付近で立ち止った。往時の建築技術の高さを窺わせる三階か、五階か。兎も角も、複数の路線が走る広大な駅舎だが、ニナは駅構内には入り込まず、打ちっぱなし床も多い隣接してる商業区域に誘い込むつもりだった。

 ところが、敵の動きが鈍くて、引き離してしまった。いや、それなら、それで問題は無い。目的としては、監視ポイントが開いた間に、ロニたちが遠回りでもポレシャ方面に向かえればいいのだし。引き付けておく予定時刻が過ぎたら、此方も離脱して構わないのだから。


 数秒、十数秒を立ち止って息を整えていると、息絶えた繁華街大通りの十字路から騎馬斥候たちが曲がって姿を現した。サーベルを抜き、全員で一丸になって運動してる。普段からよく馬に乗ってるに違いなく、動き自体はキレがあるが、この状況で挟撃もしてこない。

 とは言え、ニナの銃の腕だって大したことはない。丘陵を抜けた直後の至近戦とは違い、流石のルーク・アンダーソンも発砲を始めていたものの、動き回る騎兵相手には、当てられないでいる。

 それは向こうの射撃も同じとは、言いきれない。騎兵斥候たちは全員、少なくとも銃の腕でニナを上回っている。

 相手は追い詰めたつもりだろうか。確かに戦闘集団としての練度は侮れない。

 油断は禁物だが、建物に逃げ込みながら、ニナはフッと笑った。とは言え、まともに戦うつもりはポレシャ人たちには無かったのだ。 




 ※※※※



 ジーナ・(クレイ)の小さな旅隊は、監視ポイント、と言うよりは街道筋を大きく迂回して、道なき道を進みながらポレシャ市を目指した。とは言っても、完全に道から外れる訳ではない。道が見えるか、見えないか。つまり、街道を遊弋している騎兵連中から見つかるか、見つからないかの距離を保ちながら、かくれんぼのように物陰に潜みつつ、命がけで目標地点を目指すのだ。


 牛一頭を連れたジーナたちを、マギーやエマの仲間と認識しているかは分からないが、高価な価値あるサドラン牛を連れた女牧者に怪我人と少年の三人組は手頃な獲物を探す騎馬斥候にとって組し易い相手であろうし、それはなにも遊牧民だけが脅威とも限った訳でもない。旅隊の同行者は、四頭の羊、牛のグーちゃんに飼い主のガイ少年。そして怪我人のロニ。勿論、武装も貧弱な三人組は、悪漢にとって絶好の得物だろう。そして例え、有力な居留地の勢力圏や街道筋であっても、少し外れてしまえば、追い剥ぎや敵対的な部族が小屋に住み着いていたり、屍者や巨大蟻が荒地に徘徊していたりすることもある。だから、ジーナたちは、本当に用心しなければならなかった。


 予め、ニナやグラハム『狐』バートンに注意されていたが、僅かでも街道を歩いてみれば、タリウスの手勢が小高い丘や谷間から監視網を張り巡らしているのには、すぐに気づかされた。遊牧氏族の騎馬斥候たちが堂々と徘徊している中、普段、使う街道を歩くわけにはいかなかった。ポレシャ市の警備隊ガーズや一帯の纏まった村落、集落の自警団は何をしているのだろうと、牧者娘のジーナ・(クレイ)は不安を抱いた。


 道中は街道を避けながら廃屋や廃墟、それに丘陵や林の影を縫うようにポレシャ市へと向かった。途中、出会った廃墟民や農民、浮浪者ホーボーなどが棲家のトンネル跡や泥の小屋、廃墟の布天幕から汚れた顔を覗かせては、怯えた様子で何事が起きてるのかを囁き合っていた。事情を知らないうちには、想像力を逞しくして、ポレシャ市が占領されてしまったのではないかと危惧する者だっているだろうなと思う。


 廃墟や孤立した家屋に暮らす貧民らの大半は、付き合う価値もないが、害もない連中で、ポレシャ市は治安のいい勢力圏内に僅かな浮浪民が住み着くのを歓迎はしないが黙認していた。中には騎兵らに野菜畑を荒らされたり、湖から汲んできた水桶を半分以上も飲まれたと愚痴っている者らもいたが、正体も知れぬ兵隊たちに反抗しようとは考えないようだ。彼らの武装と言えば、こん棒にナイフ、貧弱な槍や弓がいいところで、比較的に穏やかで暮らしやすいポレシャの統治が崩れてしまえば、一部は略奪や放火に走るかも知れないが、貧民の大半は他所の土地に流れたり、息を潜めて明日をも知れない日々をやり過ごすしかないだろう。


 サドラン牛のグーちゃんの背で運ばれながら時折、ロニは小さく呻いていた。撃たれた脇腹が相当に痛むようだ。気を失ったように目を閉じてる時間も少なくない。急いで運ぶべきか。休憩を挟むべきか。ジーナ・(クレイ)には判断がつかない。


 そもそもが、ジーナ・(クレイ)は、ポレシャ圏一帯にそこまで詳しい訳ではない。牧者としての職業柄、北や東の牧草地への道のりは慣れ親しんでいるし、市内や近郊くらいは把握しているが、荒涼たる地に屍者や賊徒、怪物の彷徨う黄昏の時代(トワイライト・エイジ)。普通の庶民は、暮らしている町や村を除けば、中世や古代の農民と同様、精々が隣村だの近隣の大きな城市だけが生活圏であった。


(んん、牧者としても駄目だな……わたしは)無為に過ごした日々の記憶に忸怩たる想いを抱きつつ、ジーナは胸に掛けた鞄に触れた。

 挫けて、人生を拗ねてなかったら、もう少しは何かしらは出来た、だろうか。

 別れ際、グラハム『狐』バートンは、手持ちの予備地図を貸してくれた。徒弟を無事に送り届けるように期待を込めたのだろうが、それに応えられるかは分からない。


 大まかな地図を貰ったとは言え、現在、歩いている所在地でさえ、碌に把握していない。おおよその方向を把握しながら多分、こっちと思う方角に人目を避けつつ、じりじり、のろのろと進んでいた。だから、どのみち急ぐことは出来なかった。遺棄された廃村など通り抜けるかに関しても、迷いつつも時間を費やして迂回した。単独の屍者やコヨーテと道で遭遇したならジーナでも対処できるだろうが、屍者や変異獣が複数、彷徨っていたら、何もできずに全員が餌となってしまう。


 それでも、裏道にもぽつぽつ、廃墟や倒壊した小屋などが点在している。無人であって欲しい廃墟の狭間を、ジーナたちは慎重に抜けた。屋根は抜け、壁は崩れ落ちて、窓枠だけがかろうじてかたちを保っている。風に吹かれた古いカーテンや破れた布が、時折、人影のように揺れては、ジーナ・(クレイ)をビクつかせた。ひそやかに音を立て、踏みしめる砂利や瓦礫を軋ませながら、幸いにも静謐な廃墟を無事に通り抜ける。 


 ロニは時々、目を覚ますと、傍らで牛の綱を引いてるガイ少年に話しかけたりしていた。

「……ポレシャはいいところっす。あんたにも好きになってくれたら、嬉しいっす」ガイ少年は、うんうんと相槌を打っていた。

 ロニはひどく饒舌でジーナ・(クレイ)に対しても、かつてなく素直になった調子で礼を言った。

「ジーナ。ありがとう。見捨ててもおかしくないのに。あんたは、ただ……羊を買うだけのつもりだったのに」顔色は良くない。

「見捨てないよ」とジーナは、掠れた声で短く告げた。かつては溢れていた、こましゃくれた稚気のようなようなものがロニから薄れているような気がし、(消える前の蠟燭じゃあるまいな)と少しだけ容態を心配した。


 鉱山跡やトンネル跡、巨大な廃墟一帯に廃村、無人の農場などは屍者や変異獣、巨大蟻などの巣窟と化している場合が少なくない。いかにも危うそうな土地やらを慎重に避けながら、それでも小休止を取りつつ、二時間ほども慎重に歩き続けるうち、見覚えのある古い廃墟の双子塔が視界に入ってきたので、ジーナ・(クレイ)も、ようやくにホッと安堵の吐息を洩らした。


 小高い丘に建つ石造りの双子塔は、一昔前の狼煙台だのと言われているが、半ば崩れかけた今は住み着くものもいない。怪物や賊が住み着くほどもない大きさだが、旅人が一時、足を休めるには丁度、良い部屋が備わっている。

 双子塔の根本には草がまばらに生え、周辺にも乱雑に砕けた石が転がっている。丘の陰からは木立が見えるが、林を挟んだ反対側には木や泥、布の小屋が幾つか並んだ部落があって、街道に面した小さな酒場まで備わっていた。


 ロニたちとグーちゃん、それに羊たちを双子塔の奥で休ませると、ジーナは疲れた足取りを引きずって部落へと向かった。行商人や馬借らも時々、立ち拠る酒場では割高だが水も飲めるし、食事もできるはずだった。

 見知った土地に安心したからか。喉の渇きが激しく感じられた。(水……水が飲みたい)と酒場に近づけば、僅かに話し合う声や食器の触れ合う音が響いてきった。牛馬の嘶きも聞こえる。鶏も飼っているようだが、ここら辺では貴重なので買えるとしても精々、鼠や蛙みたいな小動物の肉だろう。


 近くの掘っ建て小屋の扉から幼女が顔を出して覗いていたが、母親か姉が慌てて抱きしめると、奥に消えた。

 妙な態度に(なんだい、あれ)とジーナは、怪訝に鼻を鳴らすも兎に角、喉の渇きを癒すのを優先した。酒場に踏み込むと、椅子に座り「水」と痛む喉で呻きを洩らす。

「ポレシャ・ポンドか、地区通貨。先払い」無愛想な主人にポレシャ通貨を要求され、低額紙幣を出すと、引き換えに水がコップに注がれた。

 ポレシャの外郭地区や廃墟地区と同等に高く、ずっと濁った水だが、喉に染みこむように消えた。もう一杯を注文して、すぐにそれも飲み干し、水筒に入れる為に三杯目を頼む。仲間たちにも水を持っていかなければならない。


「姐さん、随分と乾いてるね」横合いから声を掛けられ、一瞥してジーナはギョッとした。入り口から薄暗い影になった席に座っていたのは、騎馬斥候の分厚いズボンにサーベルの装い。ライフルを手近に置きながら、鋭い視線で値踏みするようにジーナ・(クレイ)を眺める遊牧民の青年たちだった。



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