表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

229/265

03_59S 逃走

 薄灰色の丘が街道脇に波を打つように連なっていた。乾いた砂礫が風に撫でられ、さらさらと細かい音を立てて流れていく。美しい風景かもしれないが、ポレシャ旅隊一行の誰にも、目で見て楽しむ余裕はなかった。

 陽はまだ高く、牛たちの背に落ちる影は小さく纏まっていた。羊たちは不満げに喉を鳴らしながら、何時ものように気まぐれに散っていこうとする。比較的に若い羊ばかりを仕入れたのが裏目に出たとジーナ・(クレイ)が溜息を洩らしながら首を振った。


 手練の銃士ルーク・アンダーソンと老練な行商『狐』、それに旅隊頭マギーは、畳んだ地図を眺めながら、時々、小声でぼそぼそと経路について話し合っていた。今はエマ・デイヴィスが鋭い視力を持つニナと共に殿を務めている。

 やはり家畜の扱いに慣れてるイザベル・ミラーとジーナ・(クレイ)が先頭で牛たちを急がせ、用心棒のハロルド・コッゾが傍らを守っていた。囚人ヘレンは牛の背に揺られ、ミリーやガイ少年は中央で黙々と歩き続けている。牛や羊が地面を踏みしめるたびに蹄が砂を押し分け、跡が微かに刻まれていた。


 地図でしか知らなかった道は、思った以上に起伏に富んだ土地であった。遠く、乾いた草が陽光を弾き返しながら揺れ、草いきれの匂いが風に混じって漂うと、若い羊が鼻を鳴らして逸れようと動き出す。すぐに気づいたイザベルに柳の枝で尻を叩かれて、不満げに嘶きながらも列に戻っていった。家畜たちの鼻息と、荷を揺らす革紐の軋む音だけが、砂礫の多い間道を進んでいる旅隊の存在を示していた。


 のんびり屋の牛たちと不満そうに鳴いてる羊たちとを急き立てるように尻を叩いては、足早に街道筋を進んで地図上だけに標が付けられた地点へと到達する。およそ二十分で一キロ少し。家畜連れとしては、やや速いペースだ。いい事だけではない。家畜たちは疲れやすくなるし、へそを曲げるかも知れない。だから、一頭一頭。名前を呼びながら撫でて、宥めて、優しい言葉を掛けて苦労をねぎらっている。牧者に言わせて貰えば、そこは人と変わらないとジーナ・C《クレイ》などは呟いていた。


 右手に丘陵地帯を望める道なき道から、むしろ南側へと後戻りする形でやや緩やかで昇りやすい砂礫の勾配へと足を踏み入れた。蛇行するように昇っていく傾斜は、牛の足でも遅れずに登れる程度には緩やかだった。追われる気配に脅えながらも、不定期に背後の気配を警戒して進んでいく。マギーさえも、さほど辺りに詳しい訳ではないが、暇を見ては歩き回り、または金を払い、或いは酒を奢って旅人や狩人から聞き出してきた抜け道の幾つかは、地元民でもそれほど知る者は多くないと思えた。


 本来、牛も羊も人以上に険しい地形を昇れるという四足獣なのは一端、置いておく。良い靴を履き、目的地を認識し、体力を配分できる人間は、訓練すれば獣の登坂能力を優に上回れる。それはポレシャ人旅隊の面々にも言えるし、同時に背後から迫ってくるであろうムーテタリウスの兵にも同様の筈であった。家畜連れの足に、手練の集団は追い付きうる。


 ルーク・アンダーソンは地面に屈みこんで、刻まれた足跡を眺めている。牛と羊の蹄跡は形状も深さも特徴的で、十余人とほぼ同数の家畜という編成は隠しようもない。

 見るものが見れば一目瞭然。「岩場に逃げたと一目で見抜くに違いない」との忠告にマギーも頷きつつ「足跡を消したいものだが……」とぼやいてみるも、時間的猶予も不明で手頃な道具も無かった。なにより道中、多くの荷を捨てているし、自由騎兵の死体も転がっている。戦闘の痕跡は、標識のように此方の進路を追跡者たちに教えてしまうに違いない。


 峠口からさらに三十分。歩調を緩めつつ、登り道を蛇行して、やや奥まった地点で一旦、小休止した。マギーは、用心棒ハロルドと共に南側の稜線へと向かった。身を伏せて双眼鏡で街道上に視線を走らせてみれば、およそ八キロから十キロと思しき地点。数台の馬車からなる車列と兵団が黒蟻のように蠢いているのが見て取れた。

 予想以上に接近されている。が、馬車の向きなどから、此方側の位置を完全に把握してはいないようだとマギーは見て取った。


「八キロから十キロか。時間的猶予は、三時間から四時間。こちらが運動しつづければ、それだけ先延ばしに出来るが」抑揚の効いた口調で、マギーは冷静に呟いた。

「くそったれ……賞金稼ぎどもの忠告は、どうやら本物のようだ」ハロルドがテンガロンハットを抑えて、狼のように唸った。

「疑っているのか?」とマギーが尋ねると、用心棒ハロルドは苦虫を嚙み潰した表情で「……おい、本当に俺たちを追ってると思うかね?」と未練がましく呟いている。

「試してみるか?止めはしない」マギーが告げると「悪い冗談であって欲しかったぜ」諦めたようにテンガロンハットで顔を隠した。

 僅かな観察に止めて、二人はすぐに後退した。相手側の装備や編成をこと細かく観察するよりも、移動を優先したのだ。ズール一帯の乾燥した空気は、透明で視界が通りやすい。マギーは、用心深く陽光が入らぬように双眼鏡に覆いを付けていたが、それでも彼方側から気づかれないとは言い切れない。どちらの選択が正しいかは、何時もそうであるように最後まで分からないだろう。



 ※※※※




 弾丸は、ロニの脇腹を貫通していた。容体はあまり芳しくない。毛細血管には個人差があるものの、幸いと言うべきか。脇腹に大きな血管は通ってない。

「いてぇ……くそ、ぶっ殺してやるぅ」マントの上に転がったロニは、銃で撃たれた曠野の娘さんが当然そうするように盛大に毒づいていた。

「安心するといい、エマやルークがきっちり、ぶっ殺してくれたよ」とニナは勇気づける。少なくとも、いい兆候が一つ。ロニの意識は明晰で受け答えはしっかりしている。


 出血はやや多いが、もう止まりかけている。小さな血管が幾つか破れただけだろう。大人勢は動揺を見せなかった。多分に経験値の違いだ。曠野で生きてきた人々に付き物の友人や仲間を失った過去が、感情の揺れ幅を小さくしているのだろうか。

 と言って、どうでもいいと諦めたり、喪失に慣れ過ぎて早々と見切る訳でもない。ロニを毛布に横たわらせ、お湯を沸かして清潔な布を用意し、負傷者を救う為、能う限り迅速に作業するのは、良い大人の有り方だと微かに目を細めた。


 ニナ自身は、動揺を抑えきれない。短い付き合いにも拘らず、ロニの横たわってる姿と対面して不覚にも手が震えたし、幾らかは頭が真っ白になった。

 ニナは廃墟育ちで、人付き合いが乏しい。顔見知りがいきなり傷つくのに時々、耐えきれなくなる。今も泣き喚きたくなる衝動に襲われていたが、さすがに意志の力で抑制した。

 ニナとて黄昏の世(トワイライトエイジ)に生きる娘だった。感情的な反応が命取りになるのは身に染みている。他人の生死の境に当たって大人衆が当たり前に纏う恬淡とした態度は、いまだ身に着けられるものではないが、それでも友人の為に出来ることをやる程度には、覚悟も決まっている。


 深呼吸一つして、医学書の内容を思い起こす。弾薬は長く身体にあれば危険だが、二、三日であれば、まず鉛中毒は引き起こさない。深い場所の弾頭を無理に採れば、出血を引き起こす事もある。設備の整った病院に担ぎ込むまで無理して取るべきではない。ただし、それは20世紀も終わり以降の現代戦で用いられた工業製弾薬を前提としての話だと、師事を受けた医師には忠告されている。旅塵に塗れた指で装弾された手製の紙薬莢は間違いなく雑菌に塗れているし、そうなると破傷風のリスクは無視できない。

「うあ、糞ッ」傷口を見て、ニナは呻いた。脇腹の背中側に複数の小さな傷跡。

 性質の悪いことに体内にめり込んだ衝撃で幾つかに割れて飛び出した。そして多分、一部の破片は体内に留まっている。

 ニナのうめき声を耳にしたロニが、不安そうに唸った。少し迷ってからニナは状態を説明し、命とりではない、と付け加えた。暫くの間、背中の筋肉に幾らかのダメージがあるかも知れないが。

 敢えて割れやすい細工をしたのか。粗悪な弾頭を使ったのかは分からない。散った鉛の薄い破片が、臓腑の間に潜んでいるかもしれない。

「……大きな破片だけでも、取り除いておくべきか。あんたが決めてくれ」判断が付かないので、ニナは其の儘にロニに説明した。

「とっれくれ」ロニは呻いた。痛みで呂律が廻らないでやんの。脂汗を流してる。


 抗生物質の錠剤を飲ませる。水で無理にでも。破傷風が恐い。出来れば、病院で注射してもらうべきだが、今は旅人用の医療キットしかない。

 鉗子、清潔な包帯、火で焙った切れ味の良いナイフ。針と糸。殺菌成分のある薬草の膏薬。持ち歩いて役に立つとも思っていなかったが、実際に使うことになった。消毒液も欲しかったが、高価な割に保存が効かないので持っていない。マギーの高濃度のアルコールが精々の代替品だが、傷口に刺激を与えやすい。廃墟にいた頃は、傷口を己で縫った経験もあったニナだが、基本的には本での座学と外科医先生の見様見真似に過ぎなかった。

(さて、わたしに出来るだろうか)躊躇を覚えて数瞬を固まっていると、不意に横隔膜が痙攣した。緊張で吐きそうだ。恐い。本音を言えば、誰かに代わって欲しい。

 それでも、ニナがやるしかない。牧者たちも軽い手当ては出来るにしても、その程度でしかない。

 エマやルークは家畜を見ているし、イザベルは行く手を偵察しにいっている。それに牧人衆。家畜の外傷を治療した経験はあるとは言っても、ニナとどちらがマシか分からない。ジーナ・(クレイ)は、なにやら項垂れており、その他の大人は、囚人を見張っている。ガイ少年に至っては論外だろう。


 脱脂綿をまず湯煎しないと。鉗子を取りあえず、水とアルコールで洗う。他は……どう処理するんだ。ああ、もう。ベストは尽くすけど、死んでも怨むなよ。髪を野球帽にひっ詰めてマスクをし、泉のように湧き出る血をかき分けながら、傷口に鉗子を突っ込んで、グリグリと鉛の塊を穿り出す。肉にめり込んだ服の破片も丁寧にとって置かないと駄目だ。

 「おーあ……神様……助けれぇ」支離滅裂に口走っていたロニが大きく叫んだ。野生の変異獣に種付けされる雌豚みたいな叫び声だ。

「もう駄目だ……私は死ぬのか」マントの上に転がったロニがしゃべり続けてる。

「死なねえよ」血に塗れた手を僅かに震えさせながら、ニナが冷静を装って告げた。

「弾は急所を外れてたし、ほら。取れた」やっと取れた。鉛の小さな破片を見せてやったのに、ロニは嫌そうに顔を背けた。

「うえ……見せないでいい」汗まみれの儘、ロニは呻きを洩らした。

 傷口に脱脂綿と膏薬を縫って、湿布と包帯で傷口を塞いだ。殺菌作用のある膏薬だけど、湿布を張りっぱなしでは雑菌が増えるかも知れない。

 実際にやると、分からない事ばかりだ。それにしても治療用器具が思わぬ形で役立った。(……転ばぬ先の杖か)ニナは気分の悪さを抑えながら、手を濡れたハンカチで拭った。それでも人の集中力には限界がある。外科医の真似事など二度としたくはなかった。


「……ロニは?」歩み寄ってきたイザベル・ミラーが尋ねてきた。

「脇腹は太い血管ないから多分、なんとか……」ニナは頷いてから、少し黙考。

「……麻酔薬が切れたら、不味いかも。出来れば、都市か。最低でもポレシャの病院に担ぎ込みたいところだけど」

 ポレシャ市には複数の病院と治療院が在る。外科技能を有した医者たちに輸血用血液に消毒液、治療薬、抗生物質、清潔な脱脂綿に包帯、各種の薬剤。そして清潔なベッド。ニナたちが持ち運んでいた医療用器具も本来、ポレシャ市の病院や治療院へと納める為に自由都市で仕入れた代物だった。

「なんで、こんな酷いこと出来るんだろう。私たちが連中に何かしたって訳でもないのに……」ニナとイザベルの会話の傍らで、放浪民の娘ミリーは俯いていた。




 ※※※※




 峻険な岩棚や迫り出した断層が聳え立ち、枯れた谷筋などが複雑に入り組んだ丘陵地帯において、通行可能な回廊を記した地図は命綱となる。偵察に出る直前、万が一に備えて、マギーは地図を仲間たちに預けておいた。


 マギーとハロルド・コッゾォが偵察から戻ってくると、ルークや狐と共に地図を覗き込んでいたエマ・デイヴィスがやや緊張している表情で足早に歩み寄ってきた。

「マギー、あー、み、水が足りない」エマはどもりながらも、真剣な口調で水場はないのかと尋ねてくる。

「十キロ四方に水場はない。だから住人もおらず、獣もいない」やや失念していたマギーは舌打ちし、天を仰いでから気を取り直して「(水の)残量はどのくらいある?」尋ねた。

「ぶ、分配したばかりで残りは200リットルと少し。い、今、多めに使った」強張った表情でエマ・デイヴィスは告げた。


 見込みでは、二日から三日ほどを掛けて丘陵地帯を横断する予定だったが、人間十人と牛四頭、羊五頭に対して、200リットルは一日分の水分にしかならない。

 最悪は牛を捨てる事になるが、マギーは考え込んでから頷いた。

「節約する。分配を半分から四割に抑え、二日半で丘を横断する。向こうに出れば、井戸もある」

「最悪、最後の一日は、水を無しでポレシャに駆け込む」

 ルーク・アンダーソンがつるりと頬を撫でて「牛を捨てるか、四割で踏ん張るかだな」と笑った。

 標高がやや高く、乾燥している丘陵地帯の横断に、水が四割は厳しい。まして季節は真夏。とは言え、冷涼な曠野の気候を考えれば、何とかなる範囲ではあろう。

 それでもミリーは不安そうに俯いており、 ジーナ・(クレイ)も爪を噛んでいる。エマ・デイヴィスが勇気づけるように二人の肩を抱いた。

 イザベル・ミラーは、口を半開きにしてる。「すると、連中も水が無くて引き返すかも知れんね」と馬鹿っぽく見えるが、頭の中では色々と計算していたのだろう。


 しかし、楽観的なイザベルの意見にマギーは難しい表情を見せた。

「さて……向こうの水が切れることは、あまり期待しない方がいい」

「なんでさ」と首を傾げるイザベル。

「五十から六十人として……水と食料。馬匹」マギーは地図を見ながら、指を折った。

「相手が馬車や牛車を主体に移動しているとしたら、平坦な道で日に十キロは往復できる。馬匹や食料についても、街道沿いの村々から買い求められる」地図上の街道沿いを一瞥してから、瞼の上を搔いた。

「水も馬匹も、近くの村から補給して山道の入り口に集積し、そこから奥へ奥へと送り込んでくる。並の能力がある指揮官なら、丘陵地帯でも三日の補給は維持できる」

 マギーが淡々と断言すると、一同は押し黙った。

「こ、此方に補給線を脅かす予備はないし、そしてタリウス・ヴォルトゥリウス。もしかしたら、せ、戦士コルも……」エマ・デイヴィスが嫌そうに名前をあげた。

「デ、デン戦争の生き残りとなると、ほ、補給切れでの撤退は期待できない」

「戦争経験者の二人がそう言うなら、そうなんだろうなぁ」ルーク・アンダーソンが頬を撫でて悲しげに言った。

「とは言え、振り切る見込みはあるだろう」と付け加えたマギーは、皆を見回してから「そろそろ出発しよう。距離を稼いでおきたい」と告げる。

 休憩していた羊たちが、不満げにメェメェと鳴きながら動き出した。荷を降ろしていた牛たちも、のっそりと立ち上がる。イザベル・ミラーは猫みたいに口を半開きにしたまま、無言で働いていた。視線は鋭かったので、状況は完全に理解しているのだろうが「口を閉じなさいよ」マギーは注意しつつも、若者たちだけでも家に帰してやりたいものだと思った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ