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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_59O Every sniper works under stress

 昼に近づき、太陽の日差しが強くなった。七月に差し掛かれば、冷涼な曠野でも日中の気温は三十度を超えてくる。じりじりと肌を焼くような日差しの下、茂みの後ろに伏せているハロルド・コッゾォは、埃っぽい空気を吸い込んでから、テンガロンハットを被った額に噴出した汗を掌で拭った。200メートルほど先では、街道を封鎖するように自由騎兵どもが屯っていて、水筒で水を飲んでいるのが見えた。唾を地面に吐き捨ててから睨みつける。此方もまだ水はあるが、腹立たしい。


 100メートルも離れれば、人の姿は親指の爪ほどに小さくなる。バレルも摩耗した古いライフルで、100メートル先の動き回る騎兵に当てるのは、至難の業だ。

 実戦の際、すべての射手は強いストレスに晒される。アドレナリンが邪魔してくるし、相手も反撃してくる。至近弾の音は身を竦ませる。地に伏せて遮蔽を取りながら、状況を見て身を乗り出し、撃たなければならない。被弾の恐怖に思うタイミングで撃てる訳でもない。風、地形、強い日差し、馬の不規則な動き、時に不安定な地面の揺れ。全てが邪魔をしてくる。


 居留地で保安官が八百で逃げる変異獣を仕留めたとか、両替商の誰それが千メートル先の標的に当てたとか少し前に話題になっていたが、そんなのはモーゼルだのレミントンだのの高性能ライフルを持った金持ち市民が普段から練習しているからだ。勿論、優れた射手であることは否定しないが、ほんの一握りの例外の話で、都や市にだってそう何人もいやしない。いてたまるかともハロルドは鼻を鳴らした。いたら、俺はとうに死んでいる。百で当てられないのだから、食い詰め馬賊どもの武装だって、こちらと似たようなもんだろう。


 楡の木の影で、不機嫌そうなイザベル・ミラーが素早く駆け寄ってきて、ジーナ・(クレイ)を睨んだ。ジーナ・(クレイ)の弾は戦闘中、随分と外れていた。同じ外していても相手の至近に着弾していたハロルドと違い、牽制にもならない。確かに騎兵どもは素早い動きをしていたが、ジーナ・(クレイ)には当てる意志さえ薄かったようにハロルドには思えた。自由騎兵どもの機動は巧妙かつ大胆で、マギーとエマが右手の敵を撃退できなかったら挟撃を受けてポレシャ人たちは皆殺しにされていたかも知れない。


 あやうかった、と同行者の体たらくに全身で怒りを表したイザベルは、年上のジーナ・(クレイ)に怒鳴りつけるかのように口を開きかけ、しかし、静かに深呼吸して普段の気だるげな態度を取り戻した。溜息を洩らし、ジーナ・(クレイ)を一瞥すると「人を撃つのだ。誰だって辛い」呟くと、視線をついと外した。


 人を殺傷するのに向いていない者はどうしたっている。サガとして。

 強盗に銃を突き付けながら、後から抜いた相手に撃ち殺された爺さんをハロルドは知っている。爺さんは、最後まで撃てなかった。

 羞恥か、悔恨か。ジーナ・(クレイ)は唇を噛み、ライフルを抱える手も震えたが、誰にも話しかけられず、涙を零して影法師のように佇み続けていた。多分、仲間を危険に晒しても、誰もジーナ・(クレイ)を軽蔑してはいない。本人は針の筵かも知れないが。


 軍隊ではない。牛を運ぶための旅隊だ。いざと言う時、誰かが人を撃てなかったからと、責めるべきか。しかし、ハロルドや他の誰かが死傷しても、仕方ないと受け入れられるのか。道義的な問題と実際的プラグマティズムの対立だ。

 少なくとも普段の仕事ぶりではジーナは、寡黙だが役目を果たしてくれていた。一人前の立派な人間が人を殺せないことで自責の念に駆られる。イザベル・ミラーもそんなことで年上の娘を責めたくなかったようだが、それでも叱責するべきか。ハロルドは目を逸らし、多少のやるせなさにと息を洩らした。 


 楡の木の反対側から、マギーが戦利品とおぼしきライフルを手に歩み寄ってきた。

 戦況報告のつもりか。まだ敵を見張ってるエマ・デイヴィスが、二人仕留めたそうだ。味方に細かく情報を共有するのは、旅隊頭として間違いなくマギーの美点だ。ルーク・アンダーソンも噂通りの腕利きなのは、安心できる材料だった。自由騎兵どもが相手でも容易くやられるつもりはない、むしろ返り討ちにしてやろうと、ハロルドも腹を括っている。マギーは「よくやってくれた。助かった」とイザベルの肩を軽く叩いた。それから、様子を窺っていた訳でも無かろうにハロルドとジーナ・(クレイ)を一瞥して、小さく頷きかけてくる。


 イザベルは気だるげな様子でマギーを眺めると、「んにゃ、それよりもニナは?」と同年輩の少女の行方を尋ねた。

「後ろの方でロニについてる。あまり芳しくない。あの子、あれで手当ては出来るから」と緊張した表情を保ったまま、マギーが告げた。

 頷いたイザベルの視線の先、街道は微かな塵と土煙に覆われていた。乾燥した空気の下、灰色の岩の奥、僅かに揺れる陽炎の向こう側に黒い影が蠢いている。

 二人とも。いや、ハロルドもジーナ・(クレイ)も含めて、茂みや低い岩場、畑の畝に身を伏せながら自由騎兵どもの様子を窺うが、連中は道中の岩場に隠れた上に時々、牽制するように此方を眺め、唐突に発砲してくる。


 遮蔽を取るにはあまりに覚束ない地形だが、それでも相手は残り四人。うち一人は深手を負っている。連中とて、ライフル六丁を相手にするには、相当に骨が折れる筈だが。

「……連中。退かんね」と街道の彼方を睨みつけ、イザベル・ミラーは吐き捨てた。

「……こう張り付かれていては、敵わんな」ハロルドは思わず愚痴を洩らした。

「いつまでも足止めを受ける訳にもいかない。様子を見ながら慎重に進んでみるしかないかな」とマギーが考え込みながら、サドラン牛たちの集まっているやや後方に視線をくれた。あまり離れていては守り切れないが、近場に置けば流れ弾が恐い。

 グラハムはどう考えてるだろう、と呟くが、『狐』の爺さん。負傷した徒弟ロニに付きっ切りで、後方に引っ込んでいる。どのみち、得物は樫の杖だし、腕も頼りにならないが、借りたいのは知恵の方だろう。とまれ、マギーは首を振った。「……撃退できたら、ズールに運ぶ事も出来るだろうが」自由都市の病院に運び込めれば、ロニも助かると踏んでるようだ。


「此方が疲れるのを待っているんかに?」イザベルの問いかけは、いかにも手練の自由騎兵が取ってきそうな手段だ。マギーは身を屈めながら、指先で小石を拾い上げ、弄んだ。

「……分からん。往来の多い道ではないが、他の旅人が通りかかっても始末する気かな」それから、肩を竦めつつ首を振って小石を投げる。

「死んだ馬を調べたが、それほど水を持っているようでもない。連中も、此の侭、ずっとだらだら見張ってる訳にはいくまい。或いは……いやな考えだが、増援を待ってるのかな?」とマギー。

 嫌な答えを聞いた、とばかりに渋面を浮かべたイザベル・ミラーがそっと腰を上げた。

「ロニを見てきます。離れてくるんでここお願い」と、そっと腰を上げた。


 ハロルドは、温くなった水筒を口に含んでから、執念深い狼のように獲物から離れようとしない自由騎兵どもを、じっと睨みつけた。

 騎馬盗賊と言うものは大概、狙った相手を油断なく窺って、隙があると見れば金目のものを掠め取り、状況が悪くなればさっと立ち去ってしまうものだ。中でも、自由騎兵と言うのは、敵に廻ると厄介この上ない。機を見るに敏で搦め手を好み、しかも、真正面から戦っても手強いと来てる。持久戦に持ち込んで相手をじわじわと削ってくるのも常套で、今こちらが牛や荷を連れ、足が鈍いと知って、長期戦に持ち込んできたのも道理だろうが、立ち往生させられている身としては腹立たしくてならない。嫌な連中だと、唇を薄く引いたハラルドは、憎悪の視線を向けた。


 自由騎兵どもも時折顔を上げ、岩陰からこちらの動きを探っているようだ。

 互いに貴重な弾薬はあまり撃たないが、時折、射程圏内に素早い動きで横切っては、此方を狙える位置に付いて、発砲してくることもある。その癖、此方が来るぞ、と狙いすましていると、射程の外で急激に引き返して哄笑を上げるのだ。沈黙と挑発の繰り返しが神経をささくれ立たせてくれる。


 敵と対峙するというのは、それだけでも神経を削り続ける。しかも、向こうには余裕がある。騎兵は何時でも撤退できる上、徒歩の集団を追尾し続けることもできるからだ。此方は、徒歩の上に牛と羊を連れていた。どうしたって足は遅くなる。

 後ろからは、牛や羊の不安げな鳴き声が響いてくる。現実には、敵の半分を無力化したにも関わらず、追い詰められている、とハロルドは感じた。そう錯覚させるのも、連中の手だろうが。


「くそったれめ……なにかいい考えはないかね?」あまり期待せずにハロルドがぼやくと、傍らのマギーは淡々と答えた。

 「……他に手が無くもないが。余り、いい考えとも言えないな」

 草一本生えぬ傾斜地の上、東の小高い丘を眺めながら、マギーは呟いた。

「追い込み……いや、それはないかな」自問自答しつつ、考えこんでいたマギーだが唐突に顔を顰めた。いきなり屈み込むと、地面に耳を当てる。

「……おいおい、よしてくれよ」騎兵の接近を察知した時のニナの動きにそっくりだ。先刻を思い起こしたハロルドは、うんざりしたように呻いた。

 

 イザベルが息せき切って駆け戻ってきた。「ニナが!騎兵が近づいてると……」そのまま、小さな岩陰の後ろに伏せて、ライフルを構えた。本当に小さな岩陰だが、多少書遮蔽にはなる。

 ハロルドの耳には、まだ馬蹄の響きも聞こえないが、しかし、自由騎兵どもが背後を振り返っている。恐らく、なにかはあったのだろう。いや、誤魔化しても仕方ない。敵の援軍のようだ。

「ああ、もう。あり得ん」上等な皮服を泥に塗れさせて、イザベルが自棄になったように小さく喚いている。

「何人?」ジーナ・(クレイ)も身を隠しながら、マギーに尋ねてきた。今度は、頼りにしていいのだろうか。

「さて……ニナほど耳は良くない」マギーは、ライフルに弾を込めながら、淡々と呟いているが、ふと、思いついたように腰からシャベルをハロルドに手渡してくる。

「これでどうしろ、と」とハロルドは、鼻を鳴らすと「もう少しだけ、穴を深くした方がいい。役に立つか分からないが」マギーも、やや自信なさそうに忠告してきた。

「疲れるだけじゃないかね」片手シャベルを見下ろしたハロルドもぼやいたが、「……まったくろくでもないことになった」愚痴りながらも、地べたに屈みこんで目の前に土を積み始めた。




 ※※※※




 夜明け前の自由都市からは、東の地平は薄く――薄く輝く山岳の稜線が空を仄かに照らしているのが見えた。幾人かの自由騎兵や騎馬戦士は、独自の単独行動をとるそうだ。斥候を兼ね、それぞれが先行して標的一行を追跡する役に出ていた。


 北方の街道は幾つもの脇道や細道に枝分かれしている。自由都市ズールの勢力圏には、街道に沿って幾つかの小さな町や集落、村落や農場が点在しており、中には良くも悪くも自由都市の法秩序に属さぬ居留地や地図に記載されてない間道も存在している。そしてポレシャ人どもが、必ずしも主幹道を進んでいるとも限らない。


 標的を補足次第、本隊へと引き返して報告するように。との命令を一応、言い渡した【族長ニウヴ】ルキウスだが、追手に任じた者らが素直に命令に服するとは考えていなかった。騎兵たちからすれば一躍、手柄を立てる絶好の好機であるし、なによりマルグリット・モイラの首とレニの身柄には、一年くらいは遊んで暮らせる賞金が掛かっている。一応はルキウスに忠実な騎兵も混ざっているが、【ムーテ】の名と言う大義名分に大金への欲望も加われば、放浪部族の騎兵たちに、忠誠心を何処まで期待できるかは族長ニウヴルキウスにも分からなかった。



 貨幣の乏しい時代。農村や小さな居留地では、物々交換が主体だった。古代とは異なっている廃未来。人々が通貨を知らぬのではなく、知恵と用心深さによって通貨を信じていないが為、いまだではなく、そして恐らくこれからも通貨が流通する時代はこないだろう。それでも貨幣には常に一定の価値がある。鉄や銅、真鍮や鉛の貨幣は溶かせばそのまま、鍋や弾丸、ナイフ、工具や農具など有用な道具へと転用できるし、銀や金、プラチナなどは、希少性からも価値があった。


 とは言え、愚かで欲深い商人や村人、農民と言うのは何処にでもいるもので大抵、おのれの鋳造した貨幣に数倍の価値を付けて流通させようとするものだ。

 碌でもない共同体になると、銅に僅かな銀を混ぜて、額面だけは同じ他国の純正銀貨と両替しようとする。勿論、両替は一方的で、他国の銀貨はさらに三枚、五枚……ひどい時には十枚の銀貨モドキに生まれ変わる。そうした私鋳銭や独自発行された紙幣が蔓延る辺土の地に、銀貨で八千都市通貨(ズール・クレジット)と言う金額は、額面では測り切れない価値を有している。食うや食わずの無頼や放浪の傭兵、牢人どもであれば、文字通りに仲間を出し抜き、相手を殺してでも欲する者がいておかしくない金額だった。


 ムーテタリウスが、何人かの有力商人と付き合いを持っていることは、族長ニウヴルキウスも把握していた。月に一、二度は都市内の邸宅に招かれては夜な夜な饗応を受けているとは都雀どもの噂にも有名な話で、恥知らずな、と思う一方、タリウスを通じて自由都市の情勢も幾らかは耳に入ってきていた。むしろ、だからこそ、最終的にはズールに腰を落ち着けようとの判断にもつながったし、奢侈を好むタリウスの機嫌を勝手に取ってくれるなら、好きにしてくれとの想いから放置していた。自由都市の豪商の館ともなれば、亡命貴族やら敗残の将などを抱え込む―――もとい、身を寄せるなどの話にも事欠かないが、流石にデンの正統なムーテを名乗るほどの大物は他にはおらず、さぞや高貴な見世物扱いにされているに違いないとルキウスは決めつけていたものが、相応の資金提供を受けているとなれば、話もまた変わってくる。


 八千都市通貨(ズールクレジット)は、庶民や放浪民にとっては馬鹿にならない金額だった。それも銀貨となると、色々なものに変えられる。都市内に立派な邸宅を持てようし、勿論、小さな羊の群れを買うこともできる。或いは、使うものが使えば二、三十人の兵団に古いライフルなどの兵装を揃えられるだろう。

 族長ニウヴルキウスは、掌でズール銀貨を弄んでみた。ズール銀貨は、掌で折り曲げられる程に薄い貨幣だが、純度は高く品位は良い。いかな豪商とは言え、千枚近い銀貨はパッと出せる金額ではない筈だ。防壁内部で二、三年は遊んで暮らせる。それとも豪商たちにとって、放浪の王にくれてやって惜しくないはした金なのか?氏族の族長ニウヴにとってさえ、都市の豪商の富を推し測るのは困難だった。或いは、ムーテタリウスに何らかの期するものがあるのだろうか。


 いずれにせよ、大金が動いている以上は、両者の間に何らかの約束事が存在していてもおかしくはない。ムーテタリウスが都の豪商らに良いように使われていると見ていたルキウスだが、こうなると逆にムーテの方こそ、意外な口舌で有力商人らを取り込んでみせたか。或いは、相互に承知の上で利用し合っているのかも知れない。それがデン王国への捲土重来か。或いは、豪商たちにとって利益となる何らかの軍事活動なのかは分からないが、『大地の子サンズ・オブ・アトラス』の民を巻き込んで破滅の道へと誘い込むような計画であるならば、けして放置する訳にもいかなかった。或いは、先走り過ぎているのだろうか。



 丘陵を越えて東から陽が射してきた。不気味な赤い太陽が地平に姿を見せている。

鮮血を滴らせる巨大な瞳のような火球が丘陵の果てから空を侵食している。塵が舞う曠野には珍しくもない地獄めいた風景だ。城門に面した商人宅の屋上庭園に、紫の花が露に濡れて輝いているのが見えた。あまりに対照的な風景にルキウスは悲しげに微笑んだ。


 郊外に集結した【ムーテ】タリウスの兵団は、すっかりと戦支度を整え、進撃の時を今やおそしと待ち侘びていた。夜も明けきらぬうちに、使いの侍従たちが郊外の馬借や車借の店舗を廻って扉を叩き、数台の馬車を調達していた。兵たちの列の中で軋んでいる馬車には、幌も無ければ車箱型でもない。粗末な荷車を引くだけの車列であるものの、荷馬には驚くほどの耐久力がある。


「デンの正統な王!嵐の主よ!」呼ばわりながら、誇らしげに嵐の意匠の旗印を掲げるのは、『ムーテ』の親衛隊を気取る氏族の若い戦士たち。タリウスの傍らには、放浪時代の何時に知り合ったか窺い知れぬ、いかにも怪しげな傭兵の一団も侍っている。仕官の話を耳にして参上してきた女ランツクネヒトの一党に元は貴族の私兵の牢人衆も雑談を交わしていれば、逸れ牧者に牧童たちが犬たちを撫でていた。隊列から外れて火を焚いている毛皮を纏った部族の戦士や錆びたライフルの手入れをしている無宿人の姿まで見かけられた。


 座布団を敷いた荷馬車に収まってご満悦のムーテタリウス・ヴォルトゥリウスは、しかし、嵐の主を襲名するには、些か威厳が足りないようにルキウスには見えた。少なくとも先代の『嵐の主』アウルス・ヴォルトゥリウスは、赤子の時も含め、生まれてから死ぬまで馬と女以外に乗ったことは無かった。だが、タリウスのC型の義手では、手綱を握ることは出来まい。


 ムーテタリウスが満足そうに眺めている私兵たちの数は、ざっと見ても四十名から五十名にも達した。或いは、それ以上にも膨れ上がりそうな雑多な集団は、しかし、まぎれもなく侮れない規模の兵団であった。曠野の小さな居留地くらいであれば、征服してそのまま司法官なり、執政官に収まってしまうことだって出来よう。

 しかし、ルキウスは一抹の不安を覚えていた。荷馬車を集める資金と言い、連中を呼べる伝手と言い、豪商たちの支援と引き換えにタリウスはなにを約束した?


「これが始まりだ。シーラめが。いずれ余の軍団がデンに帰還するその時を震えて待つが良いわ。王国を奪還した暁には、引き毟って野良犬の群れに与えてやるぞ」旗印の立てられた荷馬車から兵団を眺め、ムーテタリウスが腹違いの妹に対する憎悪を滲ませていた。

 とは言え、デン王国に対する捲土重来など、現状では大言壮語に過ぎない。痴者の夢の類だ。自由都市の東門には、交易市目当てに来訪してきた大規模な武装隊商や冒険商人、それに高名な廃都探索者ルインハンターやレンジャーらの野営地が広がっている。曠野にも名高いそれらの徒党のひとつとして、人数は兎も角、武装にしろ、練度にしろ、寄せ集めに過ぎぬムーテの兵団など到底、及ぶところではなかった。しかも、そうした練達の武装集団ですら、デン王国の騎兵部隊が相手となれば、善戦は出来ても最終的にすり潰されてしまうだろう程に、女王シーヴシーラの勢力とタリウスの彼我には隔絶した力の差が存在していた。


 馬車の軋みや槍の先端が光る中、若く美しい娘が気まぐれでも起こしたか。名も知れぬ花びらを出征する王の兵団に向かって撒くと、風に舞って荷馬車や兵士たちの肩や頭にかかった。鳥の声がまだまばらに響き、庭園の低木が風に揺れる。美しい風景を眺めながら、ルキウスは何処か信じられない想いのまま、浚われたレニの無事をただ祈った。今日から明日に掛けて、幾人もの人間が死ぬことになる。それはマルグリット・モイラかも知れないし、或いはルキウスかも知れない。



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