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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_59N 自由騎兵

 当て所もなく大地を彷徨う者らのうちでも、まったく自由騎兵という輩ほど、手に負えずに厄介なともがらはいない。曠野において恐るべき者どもと言えば、一が略奪者レイダーで、次が盗賊団。さらに無宿人ノークォータや傭兵団とおおよそ相場が決まっているが、これは連中が数十人から時に百人近い徒党を組んでは、町へと押し寄せ、村々から略奪するからである。


 自由騎兵の性質たちの悪さは、それら城砦や隠れ家を構えた略奪者レイダーや大盗賊団、或いは放浪の傭兵団などとも、また異なっている。武装した放浪者の常として、大半の自由騎兵は誰にでも雇われるし、いくさの無い時期には容易く盗賊に転じる者も少なくない。騎兵の少なさから、居留地に甚大な被害を与える訳ではないが、まったく気軽に小さな集落や孤立した農場、手薄な民家などを襲っては略奪に興じ、女子供を浚い、警備隊や近隣の自警団などが駆けつけてくる前に尻に帆を掛け逃げ出してしまう。


 曠野は植生が貧しく、騎兵の大群が気ままに彷徨うのは困難な土地だ。また居住地の守りも比較的に固い為、他所から侵入してきた騎馬民族や馬賊などが地域を席巻するという事態に陥ったこともない。しかし、騎馬民族や馬賊に対する防壁として働いた起伏に富んだ地形と水源の乏しさは、同時に少数の騎馬盗賊が跳梁跋扈し、散発的な襲撃を行うに絶好の条件を整えてもいる。


 自由騎兵には単独や二、三騎で伝令や荷運びに精を出す者たちもいれば、五、六騎で居留地防衛や隊商護衛の仕事に就くものらもいるが、一方では名うての騎馬盗賊や賞金首として悪評を轟かすものも枚挙に暇がなかった。そして、そうした手練の騎兵が五、六人も集まった場合、圧倒的な威力に対抗できる旅隊や隊商など殆んど存在しない。なにしろ、騎馬盗賊たちは任意のタイミングで奇襲を行える。地形を知り尽くし、機を見て夜陰や悪天に紛れて接近し、疲弊した隊列と弾薬の乏しい護衛だけを見定めて狙う術に長けているのだ。


 その意味では、充分に警戒していたポレシャ人一向に襲撃を掛けてきた自由騎兵どもは、やや思慮に欠けていたが、しかし、その速度とライフル銃が恐るべき脅威であることになんら変わりはなかった。




 ※※※※




 自由騎兵の出自は、様々な階層に渡っている。遊牧民や牧者もいれば、馬借や牧童。壊滅した傭兵団の生き残りや、家督を継げなかった豪族の次男、三男と言う事もある。大抵、サーベルや胸甲など馬の速度を殺さない良質な装備を纏い、ミニエー銃か、もっといい後込め式ライフルを携えていることも珍しくない。


 武装と痩せ馬、そして身一つだけを拠り所として世を渡っていく自由騎兵だが、所詮は根無し草の身。大半の自由騎兵は、それほど金回りがいい訳でもない。強力な武装と武技に飽かして農民の畑から作物を脅し取ることもあれば、街道筋の行商人や旅人、渡り人(オーキー)などから、若干の銭を通行料や護衛代として取り立てることもある。


 中には、農村と遊牧圏や砂漠との物資交換でうまく稼いでみせる者もいれば、商人や地主から保護料を徴収したり、居留地や農村の守備隊や傭兵に収まった者も一握りはいるが、大半の自由騎兵は半ば傭兵、半ば盗賊として細々と稼ぎながら、気前のいい農場主とか、土着の豪族。或いは、都市貴族や辺境の族長。もしかしたら辺土の略奪者レイダーの小王や無法者の城砦なんかに身を寄せて冬を越え、時には略奪行や小競り合いに参加しつつ、日々を生きている。



 マルグリット・モイラに賞金が掛かった。ジェレミー・バートランドにとっては、一応の知己だ。貴族や居留地同士の小競り合いで、敵味方として幾度かを戦った。もっとも、向こうは一介の自由騎兵の事などろくに覚えちゃいないだろうが。

 形のいい尻をしていた。懇ろになれるとは思わなかったが、飲みに誘ってみてもけんもほろろに断られた。そんな程度の浅い付き合いでしかない。


 幾人かの賞金首や、身内を殺された有力者には逆恨みされていたようだが、賞金稼ぎを引退してからのマルグリットは、高名な隊商に転がり込んだので手出ししかねたようだし、その後にはポレシャ市で保安官補の地位を得たとも聞き及んでいた。ジェレミーは時折、馴染みの酒場で共通の知人から動向を聞いたが、他の傭兵連中は、元賞金稼ぎが大型居留地の保安官補に収まった経緯なんて知るまい。


 なにかと立ち回りの上手い女だ。経歴を消しているのも、生き残ってるのも、偶然ではあるまい。現在いまの名乗りとして通っている行商人マギーの名も、随分と背が伸びたのも――或いは、戦闘薬の影響かも知れないが。殆んどの連中は知らない。大型居留地ポレシャの保安官補と言う身分は本来、保身には充分な肩書であった。本人の実力と、用心深い立ち振る舞いからも、今までは隙らしい隙を見せなかった。


 マルグリット・モイラの計算に綻びが生じたとしても、本人の失策からではない。遊牧氏族『大地の子サンズ・オブ・アトラス』が囚人を巡って、ポレシャ市に仕掛けようとしている。古はトロイのヘレネの時代から、美しい女は男たちが争う理由になっている。抗争なんざ興味ないが、身内の女を取り返すと言う頭の悪い開戦理由も、いかにも遊牧民らしく気に入った。


 賞金目当てに相当数の無頼が集まったが、【ウロボロス】マルグリット・モイラは間違いなく一流どころであるし、常に用心深かった。一筋縄ではいかないとジェレミーは踏んでいる。


 それにしても主持ちと言う言葉には、なんとも抗えない魔力がある。例え、その主君が国から追放された廃太子で自称・王であろうとも、夜露を凌げる屋根に暖かな暖炉の傍に座る権利。主君の傍らの席で与えられる酒杯。飢えることのない日々は、根無し草の放浪騎兵たちにとって脳髄が痺れるほどに甘美で魅力的であった。


 寒さ厳しい曠野の冬、ジェレミーも骨の髄まで冷え込むのが堪える年齢に差し掛かっていた。ここで乾坤一擲の賭けに乗り出すと決める。おのれと手勢だけで奇襲を掛け、【ウロボロス】を討ち取って、女を奪還する。マルグリットの事は嫌いではない。むしろ、人格には尊敬の念を抱いている。だからと言って手加減はしない。彼女自身に非はないが、生きるために殺す。或いは、ジェレミーが強敵に敗れるかも知れない。それも覚悟の上だった。




 ―――――




 自由騎兵の一党は、初っ端の奇襲に引き続いて、見事な運動を見せた。機動に劣るポレシャ人たちに対して常に百から百二十メートルの距離を保ちつつ、散開して馬上からライフルを撃ちかける。百メートル以上の射程距離は、ライフルの独壇場だ。他の武装を持っていようがけして対抗できない。この時、常に横合いに素早く移動を行いつつ、不規則に停止しての発砲を忘れない。


 狙いを定め、発砲するとすぐに斜め移動しながら遠ざかり、装填して再び有効射程から銃弾を浴びせる。ジェレミー率いる『月の牙(ムーンファング)』は、ライフル式に改造した騎兵螺旋カラコール運動で、今まで幾度となく、一方的に敵を殲滅してきた。とは言え、敵もさるもの。どうやら四、五名が銃器――それもライフルを所有しているらしく、銃弾の甲高い風切り音がジェレミーの顔の横を通り過ぎた。



 馬上で移動しているにも関わらず、狙いはかなり正確だ。仲間のリュディガーが肩を撃ち抜かれて、転落した。鎖骨でも砕かれたか、凄まじい絶叫を上げている。

「気を付けろ!腕利きが一人いる!」背後にいたクリフが警告するが、ジェレミーもそれは感じていた。

「楡の木に隠れている奴だ!散開して半包囲!優先して仕留めろ!」素早く指示すると、味方が扇状に広がった。楡の木に隠れている射手を射竦める、と、明らかに正確な弾が減った。どうやら、他の射手は大したことが無さそうだった。藪の後ろに隠れ、或いは地に身を伏せている連中も紛れているが、そちらは後回しでいい。ライフルと戦える武器がないなら、どうとでも料理できる。




 ※※※※




 楡の木に銃弾が当たる。反撃しようにも、複数名からの銃撃が集中し、しかも、相手は発砲するとすぐに斜め移動しながら離れていく。「また離れた……連中、手強いな」流石のルーク・アンダーソンも、狙い打ちされ、顔面が蒼白で冷や汗を流していた。


 襲撃してきた騎兵の一団は、さらに大きく散ってくる。今度は、左右両翼に大きく広がり、楡の木に遮蔽しているルークを射線に収めようとしていた。

「この戦術……カラコール。ジェレミー・バートランドかな」やや息を乱しながらもマギーが告げる。

「……月の牙(ムーンファング)か?噂通りに腕の立つ」ルークが嫌そうに言った。


 地べたに伏せてるマギーだが、反撃には加わっていない。手持ちの軽クロスボウは精度に優れて頑丈な品だが、威力は低くて射程も短かった。開けた平野でライフル相手に対抗しようにも、どうしたってボルトは届かない。安物と言われれば反論できないが、言い訳させてもらうなら、ボルトは安くて何処でも補給できる上、壊れにくくて整備しやすい武装であって、なにより発射音がほぼ無音であった。普段旅する丘陵や廃墟で屍者ゾンビや追い剥ぎ、野犬程度を相手にするのであれば、ライフルと同等以上に役立つ局面も多いのだ。


 なのでマギーは、茂みの影で積み荷から荷物を取り出していた。取り出した衣服に一生懸命、片手用シャベルで掘った土を入れている。ある程度、固めてから茂みの後ろに重ねている。即席の土嚢だ。時間と共に防御力は上がるだろうが、作業は遅々として進まない上、一方向からしか防御できない。焼きが廻ったかも、とぼやきながら、恵まれた体力と腕力を生かして伏せた姿勢のまま、休むことなく畑の土を掘っては叩いて固め、茂みの後ろに積んでいた。


 騎兵たちの螺旋機動カラコールは一々、後方に下がって装填を行っている。ジェレミー・バートランドはいかにも老練な指揮官らしく、慎重に距離を保ち続けている為に、此方の攻撃は殆んどが当たらないが、逆に言えば、ポレシャ人たちにも時間を与えてくれていた。そこが唯一の付け目でもあった。


 或る程度、土嚢を積み上げたマギーが身を縮めて、傍にいる射手に頷きかけた。

「……エマ」

 頷いたエマ・デイヴィスが土嚢の隙間に愛用のカンマーラーダー・ライフルを慎重に構えて、廻り込んでくる騎兵に狙いを定める。今までは、敢えて発砲を抑えていた。エマの腕前をかなり誤認している筈だ。


 エマが、息を止め、発砲した。期待通りに騎兵のひとりが馬から転落した。

 身を伏せたエマのところに反撃が来る。即席の土嚢が防いでくれた。

 身を縮めていたマギーにも当たらないが、土嚢に銃弾が突き刺さったのを確かめて、台無しになった商品に悲しげに呻いていた。いずれも恐ろしい腕前だった。茂みの後ろにいても、土嚢がなければ、ほぼ必殺だっただろう。

 エマは、歯を食い縛りながらも急ぎ次弾を装填し、発砲する。外れた。

 敵が慌てて離れようとしているが、味方の誰かがまた発砲した。

 場所からしてイザベル・ミラーだろうか。

 騎兵が悲鳴を上げた。腹か。或いは、馬に当たったか。馬が横転した。

 よろよろと立ち上がった三人目の騎兵。呼吸を整えたエマ・デイヴィスが短い呼吸を止め、三発目を発砲。騎兵は、身体をぐるりと廻して地面にどうと倒れ込む。

 マギーのトリックが上手くいった。残り、三人。螺旋機動カラコールの圧力も半減する。さて、次はどうでるだろうか。



 三人の自由騎兵たちは大きく退き、明白な射程外に留まった。プロらしく、想定外の攻撃や損害を受けた時は、一旦、後方に退いて態勢を立て直すようだ。肩を撃ち抜かれて倒れたもう一人も伴っている。

(取り乱しもしてない……厄介な)とマギーは忌々しく思った。

 数は半減させたが騎兵たちには諦めた気配はない。自由騎兵と言う輩は、総じて粘り強く、手強い相手だ。馬は恐ろしい持久力を持っている。騎兵は延々と後を追尾できる。そして僅かな騎馬盗賊たちが、もっと規模の大きな旅隊を皆殺しにしたのも知っている。とは言え、二人の仲間を失い、騎兵たちも迷っているのかも知れない。マギーは慎重に様子を窺い、それから地を這いずるように身を屈めて、騎兵たちからも離れた場所に転がってるライフルへとにじり寄った。


 離れて落ちているライフルを手に取った。あまりいいライフルではないが一応、後装式ライフルで、味方はこれで六丁になる。弾薬を回収できないかと様子を窺いながら、騎兵に歩み寄ってみると、なんとジェレミー・バートランドその人だ。虫の息で苦しげにマギーを眺めている。


 顔色は蒼白で死相が出てる。出血から見て、程なく死ぬと見て取った。マギーにとって、知らない顔ではない。近くの岩に寄りかからせ、その胸元のポケットから好んでいた葉巻を取り出して咥えさせてやる。マッチで火を付けてやると咳き込んで、「……どうやって」ジェレミーが囁いた。

 マギーは足元の土を掬い取って、麻の小袋に入れてみせた。

 ジェレミーの目に理解の光が宿った。

「ど、土嚢か……そんな手で」

「少人数の螺旋機動カラコールは、相手に対処する時間を与えすぎる」マギーは告げた。

「……破った奴は、いなかったんだがな」死相を浮かべながら、ジェレミーは口の端を吊り上げた。

「ジェレミー……なぜ、襲ってきた?」マギーは尋ねたが、応答はなかった。

 ジェレミーの唇から葉巻が落ちる。どのみち、死に際だからといって口を割るような男ではなかった。


 軽く首を振ったマギーは、死者の身体を漁ってみた。ベルトの革製弾薬袋を戦利品として腰に付けて腰を浮かせると、ニナが音もなく忍び寄ってきて「……マギー。ロニが撃たれた。出血がひどい」掠れた声で告げてきた。「すぐに行くよ」とマギーは応じた。取りあえず、怪我を見てやらないければならない。


 射程外で未だに遊弋ゆうよくするような動きを見せる自由騎兵たちを警戒しつつ、楡の木より後ろの影に下がれば、荷物の影となった地面にロニが寝かされていた。牧者の娘ジーナ・(クレイ)が手当てを施したのだろう。巻かれた包帯が真っ赤に染まっている。ロニの表情は、苦痛に歪んでいた。牧者たちは外傷の手当てにも長じている筈で、すでに治療を施したのであれば怪我人にしてやれることは多くはないが、マギーは手持ちの膏薬と苦痛を弱める為の鎮痛剤を提供した。


 マギーは、貴重な再生治療薬を衣服の生地に忍ばせていた。マギーか、ニナ。どちらかの為の命綱と決めてある。使用すれば、ロニを助けられるかもしれないが、戦闘は依然、続いていた。ニナも言葉にせずとも理解している。少しだけすすり泣いたが、鼻を噛んで立ち直った。おのれを優先するのは仕方ないことだと、マギーは微かに肯きかけた。ロニの為、出来ることはしてやるつもりだが、曠野では次に誰が命を落とすかも分からない。マギーも、ニナも、今日を生き延びられる保証などないのだ。




 ※※※※




 東の空に砂塵が舞っている。曠野には珍しくない風景だった。彼方の稜線に這い上がる赤い太陽が、滴る血のような赤い光を地平から迫り上げている。自由都市ズールの廃屋や家屋、煉瓦造りの建築物や鉄骨の残骸の隙間から、小さな蟻のように無数の人影が現れて通りを往来し始める。いっそ禍々しいほどの陽光が地を照らし合わせるのと引き換えに、崩れかけた塔の窓に灯っていた電気やカンテラの灯りが次々と消えていった。


 都市防壁手前の土塁に昇った『早耳』のヴェックは、早朝の澄んだ空気を美味そうに大きく吸い込んだ。空気の匂いばかりは、殷賑極まる自由都市も田園もさほど変わらない。何時しか、崩れそうな古本の一節で、都市は匂いまでも田舎とは違うと読んだ気がする。もっと緑の多い時代には、石畳や建物の敷き詰められた町の外に、湿った土や木の葉が香り薫らせていたこともあったかも知れない。今の曠野では、都市を歩こうが田園に行こうが塵と埃を含んだ風の匂いだけが漂っている。



 土の上に腰を下ろして、しなびた煙草を一本取り出した。それを指に挟んだまま、辺りを見回して、早朝に火を焚いている連中――他の浮浪者の小さな焚火か。いなければ、都市防壁の外で隊の朝食だけで火を使うような大きめの隊商の料理人とか、そういう奴らを探して、楊枝に刺した煙草の先にちょっと火を付けさせてもらう。気の良さそうな奴がいい。気の荒い奴だと殴られることもあるからだ。それから世間話を二、三交わして戻ってくる。


 ヴェックは浮浪ホーボーだ。人生の大半を小さな町で過ごしてきた。

 居留地によっては、あまり仕事がない土地もある。都市とか、市とか、そういう程の規模じゃないが、農村とか集落よりも大きい。

 なんとなく町とか呼ばれてた平凡な居留地だ。生きていくことは出来るが、働き口は乏しい。農作業の手伝いや煉瓦造り、ごみの処理などで日々の食事と寝床を貰うだけだが、時折は他所の土地で造られた銅貨とか鉄の銭を幾らか貰えた。

 町では貨幣も作ってないのだ。だから、物心ついてもしばらくは、銭と言うものも知らなかった。他所からやってくる行商人から物を買うこともある。それで本を買って、文字を覚えた。


 ある日、ヴェックは、ここではないどこかへ行こうと唐突に思い立った。僅かな食べ物を袋に詰め込むと、そのまま寝泊まりしていた小屋を出て、道をまっすぐ進んで身一つで自由都市までやってきた。一緒に寝ていた作男や召使いたちは、きっとヴェックがトイレにでも行って、そのまま、怪物にでも食われちまったに違いないとでも思っているだろう。ズールの廃市街にある良さげな廃墟に転がり込み、そして其の儘、随分と時間が経った。今では、若い頃に町で過ごした頃を思い出そうとしても、夢みたいにぼんやりとしている。


 他人のお零れを貰う乞食と言う生き方が成立する程に、ズールは豊かな都市だった。自然、盗みでたつきを立てる者らも多く、スリや置き引きをするもの、家屋に忍び込むものもいれば、お上りさんの荷物を狙う引ったくりや詐欺師などもいた。

 ヴェックは盗みはしなかった。気質的に合わなかったし、指先が不器用で盗みに自信も無かった。最初の日に広場で吊るし首になった泥棒の姿を目にしたのもあるが、物資の溢れた都市では、怠惰な人間にも似あいの半端仕事が幾らでも転がっていて、贅沢をしなければ冬以外はどうにかなったし、冬でも似たような浮浪者たちの塒に転がり込めれば、寒さを凌ぐくらいは出来た。毎年、数十人から百人近い新顔が浮浪者や乞食に増えるが、同じくらいの人数が冬に命を落とし、そしてまた都市の路地裏に新参の為の隙間ができるのだ。


 いずれにしても自由都市は、まともに働くよりも僅かな機会を捉える者の方がよほど稼げる場所だったし、誰も他人の出自などに大して興味を持たなかった。数千、盛期には万もの人間であふれかえる都市での生活は、意外にも水にあって、ヴェックはくず鉄やごみ漁りをしつつ、のんびりと暮していたが、裕福な市民や商人にとって、道端に転がる乞食は家畜以下の存在と見做されていて、人々はその存在を気にせずに世間話をする傾向があった。


 ある日、商会連合の中庭に図々しくも入り込んで物陰で寝転んでいたヴェックの目の前で、豪商たちが次の仕入れについて話していた。折しも、酒場で豪商と敵対する商人たちの名前を知っていたヴェックは、今、耳にした話が売れることに気づいた。

 数日後、一人の豪商が商売仇に出し抜かれて、かなりの損害を出したのだが、ヴェックの懐は少しだけ暖かくなっていた。それからは、街中で聞きつけた噂を興味を持っていそうな豪商や貴族の元へと売り込みにいった。中には外れた情報もあったし、買い叩かれる事もあったが、商館の裏口や貴族の館の勝手口で、連中は駄賃と食べ物を与えてくれたし、役に立った冬には他の召使や下働きに混じって、ヴェックが台所の火を落とした窯の近くで寝ることを許してもくれた。


 そんな仕事を続ける間に、盗賊共の仕事の話を耳に挟んで知り合いの商人に警告したり、それで一度、盗賊組合(ギルド)に消されそうになり、警告として顔を刻まれもしたが、ヴェックは何とか命を拾った。ヴェックが消されなかったのは多分に、盗賊たち自身が部外者のいる場所で話を洩らしてしまったからであり、他にも都市には耳が大勢いるからに過ぎない。


 今、ヴェックの懐では銀貨の詰まった財布が重みを主張していた。知り合いの盗賊に仕入れた噂を持っていくと、取引先を紹介された。ヴェックは使いに情報を話すつもりだったが、本人がやってきて大枚を払ってくれた。意外に気さくで面白い男だった。

 思い出しながら、ドラム缶の炎で朝食の鼠と蜥蜴を焼いていると、北への街道を一群の自由騎兵たちが駆け抜けていく姿が目に入った。

「……月の牙(ムーンファング)」唇を舐めてヴェックは呟いた。街道の往来は相変わらず盛んだが、六騎もの自由騎兵は流石に目を引いた。

ムーテ】タリウスの刺客の第一陣。もっとも、連中についての噂が半分でも本当なら、最初の攻撃で終わってしまうだろう。

 ただでさえ手強い自由騎兵でも名うての腕利き揃いだが、情報の買い手は、マルグリット・モイラが生き延びると踏んでいた。もっとも、ヴェックにとっては、どちらが勝とうが割とどうでもいい事だったが。思わぬ大金にヴェックは、にんまりと笑った。暫くは清潔なベッドで可愛い娘っ子に暖めて貰える生活ができそうだ。それとも、今年の冬はのんびり過ごすのもいいかも知れない。




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