03_59M 都市の鼠たち
マルグリット・モイラは、何者だろう。自由都市ズールの裏通りや路地裏では、今も時折、囁かれる名だ。スネイクバイトは、彼女の異名のひとつであり、同時に徒党の名称でもあった。曠野ではそれと名の知れた、幾つかに分裂しつつも存続している賞金稼ぎ徒党『スネイクバイト』の創設メンバーのひとりだ。現役時代はまず一流どころと評されていた。今は荒事から引退し、名を耳にする機会も随分と乏しくなっていたが、およそ関わりのない良民にとっては兎も角、ズール界隈の傭兵や賞金稼ぎの間では、その名を知らなければモグリ扱いされるだろう。
職業柄、怨みは当然に買っているも、武装集団のよくある顛末のように賞金首へと転落する事もなく、かと言って現役時代に派手に名を売るでもなく、ただ仕事だけを請け負っていた為、意外なほどに顔は知られていない。名を馳せていた当時も慎重に顔が割れることを避けていた節があって、顔写真などは殆んど残っていない。スネイクバイトを退団した際も、大半の資料を破棄している。『幽霊』のようなとは、スネイクバイト以前にズール都邑一帯で囁かれていた二つ名だ。
結果、追撃者たちに配られた人相書きは、デン戦争当時の目撃証言を元にした、極めて粗末な似顔絵のコピーとなるも、それも配らないよりはマシだろう。
遊牧氏族と居留地の揉め事として―――例えば、逮捕された身内を取り戻すために相手側の法執行官を襲撃する行為は、戦争の作法として辛うじて許容範囲に留まっている。勿論、襲撃された側からみれば不法な襲撃及び殺人行為に過ぎず、多分に衝突も起きるだろうが、曠野の慣習法における解釈としては合法的行為なのだ。一方で、旅人を無作為に襲撃する行為は、明らかに限度を超えたと見做される。
奇怪な話だが、国際法下での戦争と同様、『大地の子』が法秩序の下に留まろうとするのであれば、例え形式上の建前であろうとも、合戦や襲撃において一定のルールを守るべきであった。さもなくば、街道を差配する自由都市や襲撃された旅人の属する共同体など、諸勢力を挙って敵へと廻すこととなる。敢えてそれを行い、許されるのは、都市を脅かせるほどの遊牧民や領域国家などの大国、大勢力のみであろう。
※※※※
【王】タリウスの臣として、マルグリット・モイラ追討に名乗りを上げた連中は、いずれも似たような同じ穴の貉であった。食い詰めた傭兵崩れ、故郷にいられなくなった蛮族や部族民、鉱山から締め出された鉱夫団、牧草地にありつけない牧者衆。零細冒険団に、主家の滅びた郎党崩れの牢人ども。屍者や変異獣に襲われた村や旅隊の残滓をさらに喰い漁る廃墟漁り一党の姿もあった。
貧困が先か、零落が先か。口の端から涎を垂らして鼠を追いかける痩せ犬同然の無頼どもは、銀八千と仕官の餌に目を血走らせて大天幕から飛び出すや、仲間に呼集を呼びかけながら、行商人から地図を奪い取り、獲物の旅程を読み取ろうと、北の原野に詳しい斥候を求めて夜の市街を駆けまわった。都市に馴染んだ蛮族や部族民、重税で家族が腹を空かせた猟師、獲物の足りない狩人。狼や変異獣、家畜泥棒に羊を失った牧者など、案内人に打ってつけの奴輩も都の路地裏や酒場の片隅には掃いて捨てるほどに転がっている。
どいつもこいつもお馴染みの顔ぶれの悪党どもだ。他所の土地では賞金を懸けられたり、小さな町から指名手配を受けた名もあった。所詮は一山幾らの傭兵や無宿人ばかりで、ランツクネヒトのヒルダも精々一流半か、二流だろう。だが、烏合の衆とて、纏まった人数が集まれば侮れない圧力となる。一流が名もない有象無象相手に、多勢に無勢で命を落とす。それもまた曠野ではあり触れた話だ。
【王】タリウスの兵士どもは、松明を掲げて夜道を駆けまわっては安宿や酒場の納屋に押し入っては寝入った同輩を叩き起こし、都市防壁の裂け目を往来しながら大声で呼集を行い、裸馬で街路を駆け抜けては酔いどれを馬蹄に掛けた。時ならぬ喧噪に廃屋に潜む浮浪や渡り人の女子供は怯え、男たちは息を呑んでこん棒を握りしめた。
響き渡る馬蹄や鬨の声は、近隣一帯の住人たちを怯えさせ、人々は扉の後ろや窓の影から、そっと通りを駆けまわる【王】タリウスの兵団を窺った。
火の粉を散らして連なる松明の明かりに、すわ暴動かと城壁の上に都市軍の動きもみられたが、これはすぐに収まった。下層地区や貧民窟、外郭地区中心の一連の喧騒であったから、都市衛兵たちに咎められることもなかったが、幾度かの誰何を受けては、駆け回る他の連中に出し抜かれまいと慌ただしく鎖帷子や革鎧を身に纏い、槍やマスケット銃を引っ掴んだ兵どもは街道を北へと北へと駆け出していた。
さて、どうしたものかな。建物の物陰で浮浪のヴェックは、頬を掻いた。【王】の軍団の誰も彼もが毒竜狩りにいきり立っている。松明を掲げて夜道を駆け抜け、寝床の手下どもを起こして廻る頭目や隊長殿もおられるようだが、都市の影に巣食う『早耳』は王の大天幕の近くへと留まりながら、もう少しだけ様子を窺ってみる。
自由都市では時として、人を殺すよりも情報や噂を上手く捌く方が金が稼げる。今がその頃合いかも知れないが、売り時を間違えては二束三文の駄賃にしかならない時もよくある。明日の昼頃には、【王】タリウスの追撃の話は、下町のあらゆる安酒場や蚤の市、裏通りの賭博場や売春宿にまで広がっているだろう。さて、誰に話を持っていくか。情報は売り時が肝要だが、売る相手も大事だった。
手堅くいくなら【双つ星】亭のマーカス・ダウエルだろう。
賞金稼ぎ組合の元締めのひとりは、繁華街の有力な顔役でマルグリット・モイラと親しい付き合いだ。知人がでかい賞金懸けられたことを知れば、それなりに払うと踏んでいた。とは言え、マーカスは耳が早く、すでに話の詳細を掴んでいても不思議ない。いや、多分に【王】タリウスの所に密偵のひとり、二人は潜ませていても不思議はない。それに宮廷に出入りするなかで両天秤掛けてるのがヴェックだけの筈もない。抜け目がないズールの乞食や浮浪者など、真っ先にマーカスの処に駆け込んでいるだろう。
他の有力な商人や貴族だって似たようなものだ。飼われてる情報屋どもは、そろそろ、得意先にご注進に及んでいても不思議はねえ。鼻を啜って、ヴェックは首を振った。マーカス・ダウエルは無しだ。売り手が大勢いる。
とは言っても、他に噂を買ってくれそうな奴がいるだろうか?
郊外はどうかな?暫く考えてから、ヴェックは闇夜にぼんやりと浮かび上がる都市防壁の向こう側に想いを馳せた。十年に一度の大交易市目当てに、大手の冒険団やら鉱夫団、遊牧民に牧場主。それに奴隷商人や傭兵団が郊外に駐屯していた。都市とも交渉できるような大物揃いだ。そして、名の知れた人物は誰でもそうであるように、中には、マルグリット・モイラの味方もいれば仇敵もいる筈だ。
※※※※
夏の空の下。ポレシャ人一行の長閑な街道の旅に、透明な歌声が響き渡っていた。灰色と赤茶けた土壌の入り混じった曠野の風景であっても、灌木は風にそよぎ、茂みに小動物の影が見え隠れしていた。遠目には丘陵に咲いたヒースの低木やコケモモの茂みを、野生の山羊が食んでいる姿が見える。
護衛のハロルド・コッゾォが手を翳しながら、「……ちと、遠いな」山羊を見つつ呟きを洩らした。鹿でも山羊でも仕留められたら夕飯が豪華になるが、丘近くの風は、特に晴れた夏の日、しばしば不規則に変化する。ちょくちょく近くに見かける兎や小鳥では、残念ながら貴重な弾薬を使うには割が合わない。
朝方の陽ざしはまだ柔らかく、風は穏やかで、旅はのんびりと続いていた。ニナやイザベル、ロニたちがハミングしている。よく知られた歌謡であったり、アニソンであったり、映画の主題であったりもして、澄み切った声が陽光の中で遠くまで伸びていった。街道沿いに畑を耕す農民たちが手を休める程度には美しくも調和の取れた歌声に道行く旅人や牧者、すれ違った奴隷商人たちさえも思わず檻馬車を止めて聞き惚れていた。
「ミリーも歌おうよ」と放浪者の少女を【狐の徒弟】ロニが誘った。
「歌詞を知らない。映画を見た事もない」と放浪者の娘ミリーは歩きながら、陰気に呟いた。
「教えてあげる。今度、一緒に見に行こう」とロニは誘った。
「……お金がない」むしろ頑なさを感じさせるくらいにミリーは強く拒んだ。
イザベルとニナは顔を見合わせたが、「奢るよ」と行商人の徒弟ロニは何でもなさそうに告げる。ミリーは怒ったように涙目になりかけたが「まあ、待ちなさいよ、君」とロニは平然と言葉を続けようとする。
見かねた様子の牛飼いガイ少年が口を挟もうとしたが、イザベルがその腕を掴んで首を振った。ミリーの保護者役のエマ・デイヴィスは目を細めていたものの、大人たちはいずれも沈黙を保って会話に口を挟まなかった。今日まで見てきたロニの言動や判断力にある程度、信頼を寄せているのかも知れない。
若い娘のジーナ・Cと初老のグラハム『狐』バートンを除けば、誰もが二十歳半ば。用心棒ハロルドも三十路と比較的に若いが、居留地では周囲から一目置かれている人物もいる。そして、大人たちが敢えて見守っていると察したジーナ・C、イザベル・ミラーやニナも口も挟もうとは考えなかった。
「貧しいことに引け目を覚えてると思うけど……そうだね。ポレシャ市だと普通に働けば映画くらい見にいけるよ」とロニは言う。
「それで、君は今の連中と一緒にいるより、うちのお師匠なり、マギーさんなり。エマさんが一番いいだろうけど。身元保証人してもらって、村でも、ポレシャの外地区でも登録して、入れてもらった方がいい」ロニは己の親方である老行商『狐』へと振り返った。
「お師匠、してくれますよね」
「してもいいが。デイヴィスがするだろう」と『狐』のグラハム・バートンは素っ気なく告げた。しかし、ミリーは俯いて歩きながら「よっ……余計、なお世話……誰も頼んでない」感情が決壊したのか。ぽろぽろと涙の粒を地に落とす。
若干の気まずさが漂うも、先頭を歩いていたマギーが懐中時計を取り出した。時間を確認して頷くと「そろそろ小休止に入ろう」と一同に告げてくる。街道沿いの近く、灰色の土に楡の木が聳えていた。ポレシャ人一行が脇へと入り込むと、サドラン牛たちは大人しく従うが、若い羊たちは鼻をフスフスと鳴らしながら好奇心旺盛に周囲の匂いを嗅ぎまわっている。ジーナ・Cは苦労して、めえめえ鳴いてる羊たちの尻を軽く叩きながら、誘導していた。
座り込んだマギーは、パンを齧りながら地図を取り出すと、次の井戸についてルーク・アンダーソンや『狐』のグラハムと相談を始める。牛は兎も角、沢山の水を飲む。羊だって、人間様だって同じである。そして、井戸の使用料は、村や農場ごとに少しずつ違うのだ。
イザベルは、屈伸したり、足を揉んでいる。ガイ少年は、見よう見真似で柔軟している。連行されてる『牧者ヘレン』は、与えられた水筒を傾けながら大人しくしている。ニナも座り込んで休んでいたが、ふと、地面に耕された跡があるのに気づいた。土は堅く、雑草が生えているが、遺棄されたと思しき畑の傍らの楡の木は、さては農民が植えた物だろうか。
すすり泣いている放浪者の娘ミリーに、エマ・デイヴィスが胸を貸した。惨めさと自己憐憫に耐えきれなかったのか、縋り付いたミリーは静かに肩を震わせている。少女の背をエマは軽く撫でてやった。他の随員たちが靴を脱いだり、寝転んで休憩している最中、やっと羊たちを連れてきたジーナ・Cがエマとミリーを眺めた。
羊たちが好き勝手に雑草を齧り始める。一頭がミリーに近寄り、尻の匂いを嗅いだ。静かになっていたミリーが震えた。エマから離れると、鼻を寄せてくる羊にじゃれつかれるうちに、微かに笑った。
普段、寡黙なジーナ・Cはそれを眺めていた。少し迷った様に目を伏せ、それからミリーに向かって恐る恐ると口を開いた。
「ミリー……さっきの話だけど」
「はい」とミリーは落ち着いた様子で返事を返した。
「見れば分かると思うが、わたしは貧しい」言ったジーナ・Cの服装は、実際、草臥れ切って継ぎ接ぎだらけだった。袖口はほつれていて、修繕しようもない。
「ポレシャは、良い町だ。探せば仕事も多い。生き方にこだわりないなら、そうしてもらいなさい」ジーナ・Cの訥々した喋り方をミリーは静かに聞いていた。
「余計なお世話かも知れない。私は牧者に戻りたいから、こんな風体だけど……あまりいい人生を歩んでない人間として忠告するなら、手が差し伸べられることは人生でそう多くないんだ」ジーナ・Cの最後の言葉には共感したのか。「分かってる」とミリーは軽く頷いた。
購入したサドラン牛にもたれ掛ってるイザベルが、やり取りをじっと眺めてるロニを見て「ロニはいい子だねぇ」と呟いた。
「んや、ろくでなしだよ」ロニが軽い口調で呟き返す。
「他人の為に、時間を削ったり、手間暇を掛けるのに?」イザベルはへにゃりと笑いながら言うと、ロニは首を振った。
「だって、ねえ。これから先、十年か。二十年か……」何かを言いかけた時に、近くで休んでいたニナが急に起き上がった。
地面に指を触れ、ついで耳を当てると「振動……馬蹄の響きがする」と告げる。
「八……いや、六騎かな?旅人かも知れないけど……」言うニナに、マギーも軽クロスボウを取り出して弦を引き、ボルトを装填しながら「なにか気になる?」尋ねる。
「かなり早足……街道の旅で」ニナが気に入らないと言いたげに「街道の旅で、あまり速度は出さない。馬を疲れさせるから」報告すると「なにかに追われてるかな?」マギーは考え込んだ。
グラハム『狐』バートンが双眼鏡を取り出して、南へと視線をくれると殆んど同時に、街道上に複数の騎影が姿を見せた。
旅の自由騎兵だろうか。いずれも手にはライフルを背負っている。やはりこちらを見て用心したか。此方に気づいた様子で速度を落としながら、馬首を揃えてゆっくりと近寄ってくる。
「一応、警戒した方が良さそうだけど……」とニナの言葉にマギーが頷き、剣呑な空気を感じ取ったか。ルーク・アンダーソンとエマ・デイヴィスは、ライフルを取り出し、装填をし始めていた。ハロルド・コッゾォも見習って、口で紙薬莢を食い破り、慣れた手つきでパーカッションキャップを装着するが、ジーナ・Cは踏ん切りがつかない様子で様子を窺っていた。
ニナも警戒しつつ、荒事に慣れぬロニやミリーに散開するよう告げようとした時、馬上で銃を構えた連中が一斉に発砲し、パッと白煙が上がった。
「ぎゃん!」と一行の誰かが叫んだ。倒れる音。誰かがやられた?分からない。
後ろを向く間も惜しく、ニナは伏せながら、軽クロスボウで狙いを定めるが、人の手で弦を引ける手持ちの有効射程は精々四十メートル。到底、届きそうにない。
もっとましな装備を持っておけば良かった。怯えながら歯噛みするも、ピュンピュンと連中の弾が周囲を通り過ぎる。首筋の後ろの毛を逆立てながら地べたへと伏せ、さらに転がって茂みの後ろへと潜り込んだ。
無様に見えて、投影面積を大きく下げてくれる。移動すれば、さらに当たりにくい。ただし、相手は騎兵。そう長くは凌げない。そして此方には、弾薬を防ぎるものもなければ、隠れられる場所も見当たらない。仲間たちも応戦して撃ち始めるが、騎兵たちも素早く動き回りながら撃ちかけてくる。初手から殺しに掛かってきて、どうにも逃げられそうもない。サドラン牛を見て悪心を誘われたか。それとも、最初から目ぼしい獲物を探していた悪党か。よりによって騎馬盗賊。或いは、さらに大きな盗賊団の先駆けだろうか。
いずれにしても、射程外から馬上で動き回っては、好きな瞬間に立ち止って狙い撃ちされてはたまらない。背後を見るも、みんなが素早く散開した様子で、イザベルが牛から降ろした荷物を盾にライフルに弾込めしてる姿と、狙いを慎重に定めているハロルドの二人しか見当たらない。
騎兵たち相手に開けた地平とは、いかにも場所が悪い。「まずいな……これ」ニナは呻いた。ぼやく事しか出来そうになかった。とは言え、味方にもライフルが五丁ある。まったく他力本願ではあるが、仲間の奮戦を祈るしかなさそうだ。




