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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_59K 力の主

 痩せこけた托鉢坊主が影のように佇んでいた。街道に横合いの田舎道が交差した十字路の脇で、案山子のように立ち尽くしている。黒い襤褸を着込み、胸元に十字架か。或いは何かしらのシンボルが鈍く光っている。金ではなく、銀でもない。それほど価値のない卑金属だろう。無力な乞食坊主が目立つ場所に装飾品を見せて歩いて、奪われない筈がない。キリスト坊主が近寄ってくると洗っていない布と垢の匂いが漂ってきて、イザベル・ミラーは犬のようにふすんと鼻を鳴らした。牛や羊の匂いは平気だが、不潔な人間の体臭ときたら耐えられない不快さだ。


「神の恵みを」手を上げながらの托鉢坊主の挨拶に、多神教徒イザベルは秒速で嫌そうな顔を浮かべて「セトに喰われちまえ」と罵った。比較的に大人しげだったイザベルの物言いにガイ少年がびっくりしている。それを見たニナが、「あー、今まで猫被っていたのに」と面白そうに呟いた。誰の責任だと思ってるのだろうか?

 ケチな行商人であるグラハム『狐』バートンは、「神よ、わしの財布を強欲な乞食坊主から守護し給え」と十字を切った。爺さんの機知を見たイザベルは今度、その手を使おうと記憶した。


 親切なエマ・デイヴィスは、ポケットを探ってから薄い銀貨を指先で摘まんで異教徒の坊主の鉢へと入れてやった。「あなたの施しは、天において報いられます」乞食坊主の細々とした感謝の呟きに軽く手を振り返すと、囚人ヘレンの脇に立って護送任務へと戻った。


 用心深いマギーは、盗賊団の先兵だとでも疑ったか。軽クロスボウに手を掛けていた。ルーク・アンダーソンや用心棒のハロルド・コッゾも共に四方に警戒の視線を走らせているのは心強いが、特に異常は見当たらないようだ。

「あれは近くの農民の変装だに。爪の間まで土が入ってた」イザベルが振り返りながら指摘するも、「ぼ、坊さんが……野良仕事をすることもあるだろう」エマ・デイヴィスは笑った。自由都市ともなれば様々な宗派宗門の寺院や神殿が建てられており、街道上を巡礼たちが向かう姿も目に入ってくる。巡礼の坊主が街道沿いで日雇い仕事をしながら、聖地や大きな寺院を廻るのは、どの宗教でも珍しくはない。もっとも聖句のひとつも唱えず、エマの付けた異教のアミュレットにも反応しなかったので、本物のキリスト坊主の可能性は低いとイザベルは踏んでいた。それでも、まあ、エマの金だ。好きに使えばいいさ。



 街道を進んでいた一行は、ついさっきの十字路からまた三キロほど進んで、今度は左手にある小さな脇道に足を踏み入れた。西への道を下っていくと、小さな平坦な土地が広がっていた。猫の額ほどの芋畑や麦畑を通り過ぎて、木柵と不器用に積み上げられた土塁を越えてはいると、あばら家や納屋、幾つかの天幕に泥と土の小屋が十戸ほど点在している村落があった。地図が正しければ、リトバーの村だ。


 変異獣や屍者の群れが寄せてきたら、忽ちに滅ぼされてしまうような粗末な防備だが、村人たちは、よそ者はだれもが盗人とでも思っているのか。見慣れぬ他所者たちに軽蔑と警戒の眼差しを向けつつ、ひそひそと囁き合ったり、或いはそそくさと離れていく態度を見せていた。マギーを先頭に、ポレシャ人一行は足早に宿屋へと向かった。他の複数人の信用できる旅人から、宿屋の場所については聞き及んでいる。お茶を奢ったり、謝礼を払い、或いは情報を交換して得たもので、まず間違いはないとマギーやルークは語っていた。


 メレニと言い、リトバーと言い、周辺の居住地はどれも似たような寒村だそうだが、リトバーには近隣で唯一、まともな宿屋が存在していた。外貨を稼げる機会をリトバーの抜け目ないマーブルフット一家は見逃さず、旅人たちにとっても中々に快適な部屋を提供していると聞き及んでいる。あくまで、辺土の寒村にしては、と言う評判だが。


 村の男の幾人かがイザベルやマギー、ニナの容貌に目を止めて口笛を吹いてきた。誰もが黙殺して宿へと足を急がせる。閉鎖的な土地には、妙に自尊心が強かったり、他所の女を娼婦と勘違いしている者もいるので相手にしない方がいいのだ。

「おい、無視すんな。こっちに顔を向けろ。気にいりゃ、一晩、麦一袋で買ってやるぞ」そんな声までが掛けられる。

「なんだ、こいつら」とガイ少年がムッとしたように睨み返すのを、「……気の毒な人たちだ。村人の殆んどは、小さな寒村で一生を終える。或いは、外の世界など想像したこともない」とマギーが宥めるように教えてた。世慣れぬ若者には、妙に親切になるところがあった。

「ふひっ、気の毒だって……」となにが壺に嵌まったのか。イザベルは妙な笑い声を洩らし、ニナと目を合わせてクスクスと笑い合った。ロニは、むっつり沈黙している。



 村で一番真面な建物である宿屋へと踏み込むと、主人夫婦と息子と娘たちが愛想よく迎え入れてくれた。

「誰かのご紹介で?」出てきた主人に「ランド・スコットとオブライエンから」マギーが対応する。知人の名に深々と頷いた主人が、一行を見回した。

「大所帯ですね。相部屋になりますが。食事が足りるかどうか」

「食べ物は此方もある程度、出せる。それと支払いだけど……」とマギー。

「お支払いはズール・クレジットでしょうか?それとも」

「ギルド・クレジットでも、ポレシャ・ポンドでも。そちらの欲しい通貨で」マギーの回答に、フロントに掛けた料金表を示しながら、宿屋の主人は頷いた。

「では、都市通貨で」

「紙幣でもいいかな?」と言いながら、ポレシャ人たちは財布を取り出している。

「歓迎します……こちらの宿帳に記載を」外で家畜を見ている仲間にも宿帳を廻しながら―――あまり字の書けないミリーは、エマ・デイヴィスが代筆した。

 イザベルも名を記載する。Q太郎。ニナの奴が、アホを見る目で見てきた。解せぬ。

 ポレシャ人たちは、各々がリラックスした様子で散らばり、或いは供された冷たい水を口に少し含んで、数秒を毒見してから飲み込んだ。


「おお。グラハム・バートン。それにポレシャのマギー。お二人の御高名はかねがね窺っています。お会いできて光栄です」主人が名高い旅商人に会えた喜びを大袈裟に伝えてくる。如才なく対応してる二人をよそに、夕食の時間を聞き、何人かで外向きには閂が掛かっている来客用の厩舎に牛と羊を入れた。飼料を運んでくる宿の下働きも、他所の小さな町などから連れてきたのだろうか。それにしても息子たちはピカピカのマスケット銃を持って外を見張っている。村の内部を警戒しているようにも見える。宿屋一家の服装は随分とあか抜けており、しかし、村人たちとは不仲なのだろうか、と誰もが少しだけ懸念を覚えて、目配せをしあう。


 どこかの廃墟から運のよい廃墟漁り(スカベンジャー)が持ってきたのか。革張りのソファが置いてある。イザベルは真っ先に一番、座り心地の良さそうなソファに陣取った。一歩遅れたロニが無念そうに隣のソファに腰かける。ミリーも遅れてやってきて、隅に遠慮がちに腰掛けた。

 ガイ少年は、ふぅん、だの、へぇ、だの感心した様子で宿屋の内装を見回してる。

「おいらもいつか、村でこんな宿を開いてみたいもんだ」なんて呟いてるものだから、宿屋の長男っぽい青年が、ちょいと案内してやるよ、と声を掛けると少年。一も二もなく大喜びでついていった。「隣に座ればいいのに、つれないやつ」とイザベルはぼやいた。

 ルーク・アンダーソンは寡黙に地図を開きながら、ジーナ・(クレイ)に明日の進路を説明し、エマ・デイヴィスは、護送中の『牧者ヘレン』を目に入るところに置きながらも、全員分の茶を用意していた。残りの面々は、桶に水を用意してもらって、靴と靴下を脱ぐと先に足を洗っていた。

 

 主人のフェデリコは、相当な話好きのようだ。盛んに外の話を聞きたがっている。捕まった『狐』の爺さんが珍しく辟易していた。とは言え、旅人の情報は、退屈な辺土の村の暮らしにおいてほぼ唯一の刺激、かつ楽しみに違いない。或いは、抜け目なさだけでなく好奇心旺盛な気質が、閉鎖的な村に外向けの宿屋を開かせたのだろうか。


 宿屋の女将に頼まれて、マギーも貨幣を両替していた。僻地の寒村では使いようのない通貨も幾らかは混ざっていて、常識的な手数料でマギーは交換してやったようだ。小さな村では死蔵するしかない遠来の通貨も、より大きな市や都邑に持ち込めば、来訪する隊商や鉱夫団相手に幾らでも使い道があるのだ。

 暖炉が設けられた広間での女将との取引を終えてからも、ノートに金額と相場、手数料などを書き込みながら、マギーは横から覗き込むニナに説明している。

「なにしろ、農村は物々交換が主体だもの。他所との交流が少ない閉鎖的な土地だと、貨幣も使えないところもある」言った瞬間、『狐』のグラハム・バートンが一瞬だけ苦笑いを浮かべた。経験豊富な行商人だけに若い頃、苦労した経験があったのかも知れない。


 旅人が辺土で冬を越えるには、苦労が付き物だ。納屋に泊めてもらうにも、対価を払えなければ、野良仕事などしなければならない。孤立した村なんて、数日を泊まると、もう居丈高な地主が作男か、下男に対するように――ひどいと持ち物を取り上げ、そのまま奴隷のように扱ってくる村人もいる。けれども、職を求めて彷徨う放浪者には、それでも食うや食わずの日々よりマシと受け入れる者もいる。マギーは、ニナにはそんな体験をさせていない、と言う。無駄な苦労だと告げていた。他者の強欲も、図々しさも、都市暮らしで嫌でも目にしなければならない。だけど、狐は敢えてロナに体験させたのかも知れないな、とイザベル・ミラーは思った。


 通貨を嫌い、物々交換が根強い寒村の人々は、別に無欲な働き者ではない。食い物にされるのが恐ろしくて商取引に手を出さないだけの、殆んどは迷信深くて頑迷固陋な人種だ。薪や食料、資源の僅かな喪失でも死に繋がりかねない痩せた土地では、人は間違いを恐れ、生きることそのものが心を頑なにする。稀に例外もいるが、飢えと隣り合わせの大地から生まれた用心深い気質だ。

 そうした属性以外は、他の土地の人々とそう変わらない。場所柄、信心深いが、他所者には疑い深く、同時に驚くほど素朴な側面がある。強欲な者もいれば、無欲な者もいる。悪辣な人間もいれば、善良な者もいる。賢い者も、愚かな者もいる。勇敢な者、臆病な者。優しい者、冷酷な者。時と場合によって立場を変えることも多い。同じ、ただの人間だ。


「……辺土の人々は、理解できないものを恐れるが、食料や土地、建物や家畜など、目に見える富を得る機会に対しては、途方もない図々しさを発揮する時もある」マギーは教えているが、ニナは些か戸惑った様相で考え込んでいる。

「今は、理解できないでもいい。頭の片隅にとどめておいて」マギーは語る。

 都市の機会主義者たちは狡猾で、好機を見逃さないが、諦めも早い。割に合わないと、すぐに退いたり、姿を晦ます。痩せた大地の住人たちは、ある意味で底なしの貪欲さを持っている。都市とは違うかたちで恐るべき人々だが、マギーはそれを知っており、今、廃墟生まれのニナに知る限りの人間の恐ろしさを教えていた。人間不信に陥らない程度に。


「……賢いな」指先で摘まんだ砂糖をお茶に入れて冷ましながら、イザベルは呟いた。

「マギー?確かに悪くはないね」ロニの言い草に、こいつめ。『狐』と比べたな、と内心、思いつつ、イザベルは頷き返した。曠野東部に名を馳せる旅商人『狐』の徒弟だ。きっとニナと同じか、それ以上の知恵と知識を親方に詰め込まれている。マギーの講義に感心は見せても、驚く様子は見せていない。


 快適なソファの反対側に首を巡らせて、「……切羽詰まった人間は、何でもする」と淡々と説明しているマギーを見ながら、「それに恐い」とイザベルは呟いた。

 これは、ロニには理解できなかった様で、首を傾げている。

 人間の恐ろしさを説明している時の、マギーの深く透明な瞳。冬の湖のようだ。イザベル・ミラーの知る一番、腕が立つ狩人や牧者だって、あんな目はしていない。いったい、何人を殺したのだろうか。イザベルは微かに身体を震わせた。

「うわ。ちょっとイザベル。何で、マギーを見ながら、乳首を立たせてるの」とロニがちょっと大きめの声で言いやがった。

「え?そういうんじゃないよ」本気で違うのだ。警戒対象を前にした緊張からの生理的反応なんだ。なのに「許されざるよ?」ニナが文句をつけてくる。戻ってきたガイ少年が頬を真っ赤にして俯いた。ミリーは「知らないよ、もう」とやはり恥ずかしそうに呟いている。




 ※※※※




 影の法廷に被告人の哄笑が響き渡っていた。聴衆らの大半は不安そうに顔を見合わせており、囁きを交わし合っている。農民や自由労働者に混じっている荒くれの傭兵や無宿人ノークォーターでさえ、スネイクバイトの名に動揺の色を隠しきれていない。

 ブリキの義手で顎先を掻いていた【ムーテ】タリウス・ヴォルトゥリウスが虜囚の男を指差した。「沈黙刑」厳かに告げると、楽しげな子供刑吏たちが長い布を引っ張って駆け回り、男の口をぐるぐる巻きにしてしまった。しかし、先刻までの熱気は、すっかりと冷め切っている。


「……懐かしい名を聞いた」ムーテタリウスは、両手のC型義手を掲げて、かちかちと鳴らし、笑った。

「余の腕を奪った女だぞ、なんともしき因縁かな」宮廷に再びざわめきが走った。

 楽しげに嘯くムーテとは裏腹に、族長ニウヴルキウスや幹部のコルなどは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。


 マルグリット・モイラは、曠野に名高い賞金稼ぎだ。同じく名を馳せた腕利きを幾人となく倒している。銃で、剣で、ナイフで、決闘で勝利した回数は十に余るだろう。あまり人を殺してないのは職業的賞金稼ぎだからか。しかし、生かしておいたほうが賞金が高いにも関わらず、目に余る凶賊を容赦なく殺害した時もある。

 活動期間は五年を越えている。同格と見做される凄腕に幾度かの敗北を喫しているものの生き延びた。戦場では十人から三十人の配下を手堅く率いて、殆んどの戦いで勝利するか、優勢に終わらせている。


 ズール一帯で今でも語り草となっている逸話としては、二十人からの無法者アウトローをほぼ同数の部下を率いて打ち破り、首魁を捕らえている。都市と比較してはならない。曠野に二十人の腕利きがいれば、小さな居留地など一日で制圧できる。町の有力者や一帯の小領主くらいの地位には手が届く恐るべき戦力で、マルグリット・モイラは過去にそれを殲滅していた。伝説と呼ぶにはやや格が足りないが、ズール近隣で活動してきた傭兵や賞金首―――特に過去に惨敗した者には、スネイクバイトの異名を聞くだけでも顔色を変える者もいるほどだ。

 あまり知られていないが、立ち回りも上手い。引退した後も、ポレシャ市でそれなりに重用され、手出しされ辛い立場についていた。賞金稼ぎにとっては、理想的な引退生活だ。まず、老練な一流どころと評していい。


 特に農民や出稼ぎ労働者、廃墟生活者などズール近郊の定住民には畏れの色が浮かんでいたが、一方で流れ鉱夫や職工、渡り人(オーキー)や巡礼などの顔には戸惑いも見かけられた。界隈に名の通った腕利きと言われようと、流れ者や庶人の半ばには聞き覚えすらない。ランツクネヒトの娘たちも若干の困惑を見せつつ頭領の様子を窺ったが、ヒルダはなにやらじっと考え込んでいた。


「国王陛下……マルグリット・モイラの首に幾ら出す?」大剣ツヴァイヘンダーを背負った女ランツクネヒトは、【ムーテ】タリウスの前に進み出た。

「……ほう?」と【ムーテ】タリウスが興味深げな色を浮かべて見つめてきた。「団長!?」騒いでる部下たちを背後に、ヒルダは堂々と【ムーテ】タリウスの視線を受け止めた。

「大胆な娘だ。しかし、単なる身の程知らずかも知れぬ。余とてただの小娘を毒竜めの巣に送るほど無慈悲ではないぞ。死人が増えるだけだからな」

 ヒルダは不敵に微笑み、背の大剣を掴むと一息に引き抜いた。近侍たちが立ち上がるのを、【ムーテ】タリウスが制止する。

 ヒルダは刀身を真横に、よく見えるように保ちながら、佇んでいる。ツヴァイヘンダーの柄の下。小さな星型の飾りが揺れていた。


 【ムーテ】タリウスが玉座から身を乗り出した。目を細めてヒルダの剣に揺れる銀製の装飾品をまじまじと見つめてると

「おぅ、ズール英雄勲章。初めて目にしたぞ」王が喘ぐように感嘆を洩らし、聴衆が騒めいた。

「一ペニーにもならないがね。この間の戦で、屍者変異体を叩き切った時に頂いたのさ……襲われてた都市軍士官が推薦してくれてね」ヒルダの言に玉座に深く腰掛けたタリウスが手を振った。

「されば、身の証は充分。勇者よ。見事、毒竜を倒し、囚われの娘を連れ戻せば、銀貨で三千。いや、五千を払おう」

「王さまにしてはしわいね」剣を杖のように寄りかかりながらのヒルダの言。

 周囲の廷臣たちはギョッと目を剥いたが、タリウスは呵々と笑った。

「国を奪われた乞食王ゆえにな……だが、相手はその名の通り、最初のスネイクバイトがひとり。他にも手練を連れていようし、部下も立ちはだかるかも知れん」

 顎をC型のブリキ義手で撫でながら「いけるか?」タリウスがそう鋭く問いかけた。

「スネイクバイトなら、今までに三人倒してる」女ランツクネヒトの自信に満ちた返答にムーテが大きく頷いた。

「よかろう。銀八千だ。勿論、都市通貨でな」

「承知!」ヒルダが剣を鞘に納めた。と、襤褸を纏った傭兵たちが飛び出してきた。


「王さま!女を取り戻せば、お、俺でも八千を貰えるかい!?」図々しい呼びかけだが、目の玉が半ば飛び出るほどに興奮し、顔が真っ赤だ。

 傭兵たちの饐えた体臭も黄ばみ垢じみた衣装も気にした様子なく、タリウスは鷹揚に肯いた。

「無論。或いは、マルグリット・モイラが立ちはだかるかも知れん。戦って倒せるほどの剛の者ならば、余の近衛隊長に任命してやろう」王の言に「まじかよ!」仲間たちと顔を見合わせ、傭兵たちが気勢を上げた。


 銀八千と言う金額に近衛隊長の地位。なによりもマルグリット・モイラは自由都市において侮れぬ力の主と見做されていた。ズール一帯の裏稼業でその名を知らない者は、モグリとして扱われる。逆に言えば、その首には相応の価値があった。討ち取ったものは、その名が曠野の歴史に刻まれるだろう。

 腕に自信の自由騎兵に傭兵の小徒党、猟犬を連れた狩人に屈強の武装鉱夫、ぼろ着を纏った無宿人ノークォーターに、獰猛な面構えの冒険者の一団。一癖も二癖もありそうな男女――ムーテの言う『廷臣』たちが欲望に目をぎらぎらと光らせては、困窮した放浪生活を抜け出したいと次々と名乗りを上げる。


 銀貨で八千には、額面以上の価値がある。ちょっとした土地や農場、小さな宿屋や酒場だって買える。浮浪の輩たちにとっては人生を変えられる金額だ。

「相手はスネイクバイトだとよ。どうする?」

「飯と寝床はくれるからね」「……やるか」

 俸給の不払いや遅配が付き物の雇い兵稼業だが、仮にも王を名乗るタリウス。目に留まって召し抱えられれば、少なくとも安全な寝床と三度の飯には困らない。黄昏の世に主持ちの身分は、危険を冒すだけの価値があった。

 誰も彼もが、その日暮らしの無頼。命は軽かった。とは言え、幾人かの浮浪児やら小僧どもが、俺も!と無鉄砲に飛び出しては、無頼どもに「こわっぱ」と敢えなく押し返され、渋々と聴衆の中へと戻っていく一幕も見られた。


 一方で、怯んだような様子を見せつつ聴衆の後ろにそっと下がり、音もなく大天幕から姿を消す者たちもいた。乞食、浮浪ホーボーに一部の傭兵ども、抜け目無さそうな行商人の姿もあった。早耳ヴェックもいつの間にやら消えている。名高い傭兵や賞金稼ぎには、拠点となる都市に耳を飼っている者も少なくない。遅かれ早かれ今日の出来事は、マルグリット・モイラの友人やポレシャ公使の耳にも届くだろう。



 険しい表情を浮かべたコルが僅かに顎をしゃくった。玉座の傍らに侍っていた薄絹の女が微かに肯き、壺から赤い酒精を銀杯に注うと「お疲れでしょう、陛下」艶冶に微笑みながら、ムーテへと差し出した。

 銀杯を受け取ったタリウスは微笑みを返してから、立ち上がった。

 グルグル巻きにされて唸っている虜囚の女衒の前に歩み寄り、「よくぞ、女の居場所を教えてくれた。褒美として王の盃をくれてやろう」言いながら、銀杯をひっくり返して赤い酒精をその頭へとぶっ掛けた。

 ムーテの気前良さに聴衆たちが歓声を洩らす中「喋り過ぎて、喉が渇いた。お主の水筒をくれぬか?」近くにいた農夫に話しかける。

「へ、こんなんでいいんですかい?安物のエールですぜ」戸惑う農夫から水筒を受け取ったタリウスは、水筒を傾けて口元を拭った。「安酒も偶には悪くない」満足げに言う。


 タリウスの振舞いに、流石のコルが眉根を寄せていた。ジークやリディアも戸惑いを隠しきれない様子だ。韜晦していたのか?ともかく族長ニウヴルキウスは進み出た。

「タリウス!……いや、陛下。なりません。ポレシャ市と揉めます」

 ムーテの面白そうな視線を受けながらも、族長ニウヴルキウスは汗を滲ませて言葉を続けた。

「マルグリット・モイラは、ポレシャの保安官補です。

 得てして腕の立つ外部の者に与える官職。恐らくポレシャ市は、与えた地位以上の価値をマルグリット・モイラに見出しているかと……それに最悪、ズール都の不興も買いかねません」ルキウスとて、かつての敵の現状程度は把握していた。タリウスの振舞いに動揺し、意外の感に打たれていても、氏族サンズ・オブ・アトラスをポレシャ市と衝突させる訳にはいかなかった。


「ズールの方は大丈夫である」ムーテは断言した。

「なにを根拠に……」戸惑うルキウスに、ムーテは叫んだ。

「大丈夫だと言ったら、大丈夫!なのだ!」キャッキャッと甲高い声で笑うと、急に真顔になり、ワインに濡れたままの虜囚の女衒を眺める。

「それにその男も言ってたではないか。

 自分の女も助け出さんのか?そんなにスネイクバイトが恐いか、と」

 頬を引き攣らせるルキウスだが、落ち着いて深呼吸してから言葉を切り返した。

「ポレシャ市は、近隣でも指折りの居留地。万が一にも揉めては、氏族に……」

「名に怯え過ぎよ」C型のブリキ義手を突き付けながら、王は事もなげに告げた。

「マルグリットは、過去の人物。よしんば、ポレシャ市に使嗾される密偵だとしても、その程度は他にも幾人といるのではないか?

 逆に、マルグリットが連中の重要な工作員とすれば、大いにポレシャは打撃を受ける訳でズールは喜び、これも恐れる理由には足らん」タリウスの言葉の内容は兎も角、意外に明朗な言い方にコルが顎を撫でる。

「それでも恐いというなら、余が助けてやろう。あの女には。レニは余にとっても命の恩人故にな」マントを羽織ったムーテタリウスが、ブリキ義手を外し、ドリルを手に装着する。

 軽く回転させて様子を見てから、おのれの手を眺めて苦笑したムーテは、改めて族長ニウヴルキウスに振り返ると「余と余の軍団が救ってやる。そこで見ているがいい」と宣告した。


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