03_57I 一番乗り
暴漢の、最後の一人が。なにか喚くような悲鳴を上げながら、家から飛び出した。
荒い呼吸を整えながら、カンマーラーダーライフルを排莢すると、銃を軽く傾けて燃え残った紙薬莢の滓を取り除いた。出来るだけ正確に。何十回も、何百回も繰り返した動作通りに次弾を装填し、雷管を装填装置の脇に取り付ける。手元を見ないでも、愛用の銃と慣れた指先は、期待通りの動きをしてくれた。
エマの視線は、逃亡者の背中を追い続けている。『嫌だ!助けてくれぇ!』叫んでいる。何を、と苛立つ。武器を片手に他人の家に押し寄せ、先刻まではエマを脅えさせ、震え上がらせていた癖に。
心臓の高鳴りを抑え、呼吸を無理やりに整えて、狙いを定める。星の明かりの下、居留地の大防壁の上で燃え盛る松明やドラム缶の炎が、微かに大地を照らしている。
薄闇の彼方、微かな漆黒の人影を、少しずつ左にずれながら走って逃げている襲撃者の最後の一人。あまり力み過ぎて銃をずれさせないよう、そっとトリガーを引いた。
弾薬が吸い込まれるように標的の背中に飛び込み、貫いたのが手応えで分かった。
妙な話だが、柔らかい標的に当たった時の音なり、反響でも人間は感じ取っているのかも知れない。崩れ落ちた最後の一人を見届けて、ようやく、震えていた指先を顔に触れさせた。何度も息を吐きながら、歩き出す。慌てずにカンマーラーダーに次弾を装填する。流れるような動作に満足する。まだ敵が他にいるかも知れない。小走りに倒した標的に駆け寄った。ゲリースーツの下から、手斧を取り出した。エマ―――牧者たちは基本、銃剣を好まず、使用しない。白兵でライフルを槍やこん棒みたいに乱暴に扱うと、銃身が曲がることもある。
銃剣は18世紀も後半。銃一丁のコストが随分と低下して、槍兵+銃兵よりも、銃の損耗込みで銃兵が槍兵兼ねた方が安くなった時代の産物だ。発想自体はもっと早くからあったが、銃は長く高価な武器であり、壊れても安く補充できる価格になるまで主流にならなかった。銃製造のコストが劇的に下がった時代、ようやく槍兵と銃兵を分けるよりも、銃兵に銃剣を持たせて両方を兼ねさせる方が安上がりになった頃の一時的な流行品。だから、文明が崩壊し、良質な銃がふたたび高価で貴重な逸品になった黄昏の時代、銃剣はむしろ敬遠されている。銃身を曲げてしまいかねない槍扱いなど、文明崩壊でいい銃が高くなった時代に使うのは金余りの都市軍精鋭か、一流のテックハンター勢くらいの物だった。
戦いの勝利に酔ったように興奮し、高揚感と安堵の入り混じった高ぶりの儘、敵にとどめを刺そうと駆け寄って
地面に倒れた青年が、ぜいぜいと、泣き声のように叫んだ。『おかあさん……おかぁさぁん……おかぁさん!』
※※※※
陽がまだ昇り切らぬうちに、二頭の牛たちを連れて渓谷を発った。道なき斜面を、1時間にたった三キロ。けれども歩みの確実さは、馬よりも頼りになる。十キロを越える頃に一度、足を止め、焚き火を囲んで草と水を与えた。同行する老練の銃士がベレー帽を被り直しながら、高い瓦礫の上部で身を潜めながら周りを警戒する――時に斥候に出もするが、警戒と移動の単調な繰り返しが、もっとも安全な旅路だった。
牛たちは荒野の風に打たれながら、飼い主の娘が鞄から出したばかりのリンゴを夢中で食べていた。優しげな大きい瞳に広がる満足げな表情が、他のどんな報酬よりも嬉しく思える。涼しげな風が頬を撫でる中、リズムよく咀嚼する音が響いた。声を懸けながら撫でてやると、嬉しそうに鳴き声をあげ、さらに前足を軽く踏みしめる。長い一日の労苦を忘れてはしゃぐ無邪気な牛たちの姿に見守っていた男も微かな笑みを浮かべた。
サドラン牛は、長毛種だった。文明崩壊前のハイランド種にかなり似ているが少し大柄で雄の体高は、150センチに達する。雌はやや小柄で130から140センチほど。体重は、大抵500キロから700キロ程だろうか。性格は大人しくて気が優しく、人に懐き易くて忍耐強い。寒冷地に適応した毛皮を持ち、長い毛は厳しい寒さにも耐える。乳牛や肉牛としてはあまり適してないが、寿命は二十年近くとかなり長く、労役用の役牛としては現役で長く働けることからも、最高の品種のひとつと目されている。
黄昏の世には、より大型で労役に適した家畜も何種類かは存在しているが、しかし、居留地の井戸の取水量や渓谷にある湖までの距離に足の速さ。糞尿の処理。揃えやすい大型犂や役畜の価格と適した体格、維持の為の水や牧草などを鑑みれば、体躯の割に水がやや少なく済むサドラン牛は恐らく最適に近い選択肢のひとつだろう。サドラン牛は重量犂を牽くだけでなく、時に力強い体躯で石をどかしたり、重い木材を運んだりしながら、土地を開墾していく助けにもなるし、困窮した農村や取引する市場に物資を運ぶ役目も果たしてくれる。勿論、特性の裏返しとしてストレスにやや弱く、綺麗な水を好むなど欠点はあるが、上手く管理を行えば、健康的に長く働ける利点を持っており、ポレシャ市の市民や有力農民たちにとって手を掛ける価値は充分にあると思えた。
一行は、旅を再開する。牛たちが足を進めるたび、乾いた地面がゴリゴリと音を立てた。周囲には灌木がぽつぽつと点在し、砂塵が風に吹かれて舞う様子が見える。赤茶けた大地は、あらゆる生命の息吹を呑み込んでしまったかのように静かで、太陽の熱をそのまま吸い込んでいた。時折、巨大サソリや巨大蟻が遠目の大地を徘徊しているのが見えたが、縄張りに近づいた牛と人間どもには気づかなかったようだ。地平線の向こうにはかすかな煙の柱が立ち上り、静かに居留地の存在を示しているようだった。
割れた道はまるで長年の時を刻んだように荒れ果て、古びたセメントの亀裂が道の全体に広がっている。ひび割れた太古の道路の上には、草と砂が入り混じり、歩くたびに細かい砂埃が舞い上がった。過去の繁栄を感じさせるような痕跡も殆んど見当たらず、今はただひび割れたセメントの隙間から覗く枯れた雑草だけが揺れていた。かつては車列で賑わった国道も、滅多に人も通らない寂寥感の漂う田舎道と化していた。
居留地のバリケードが、遠くにぼんやりと浮かび始めた。赤茶けた地平の向こうに、わずかに人工の線が交わる。道の先に古びた廃屋が少しずつ姿を現し、人々の衰退した感が一層強まった。錆びついた鉄のフェンスや瓦の崩れかけた屋根、色褪せた看板が物哀しげに放置されている。時折、屍者の呻き声や野良の野生動物と思しき気配が廃屋を動き回る気配が微かに伝わってくる。牛たちはわき目も振らずに足を動かして、ゆっくりと重い体を動かしながら、一歩一歩進んでいた。
居留地は下層地区のバリケードが見えてきた。道の両脇には、朽ちかけた廃屋や、崩れた建物の骨組みが静かに佇み、風に揺れる鉄板の軋む音に人々の囁きが微かに聞こえていた。バリケードの上から、声が上げった。「……おい、牛だぞ!」見張りが、遠くから歩み寄ってくる牛たちを見つけ、驚きの声を上げている。声を合図に、見張り台の影から人影がひょいと現れ、バリケードの向こうにざわめきが広がり始める。物見高い人々が声に誘われたのか、バリケードの前に集ってくる。
案内人と護衛を兼ねた老銃士はベレー帽を少し傾け、にやりと笑った。「おお、ついにやったな」と、群衆の中から声が上がった。同行していた行商人も頷いており、元手をなんとか折半しながら、やっとサドラン牛を手に入れた依頼人の娘も思わず安堵の息をついた。
「見ろよ、マカロヴァ爺さんだ」「『影』のニコラスもいるぞ」「早いな、西の丘陵を越えてきたのか?」「牛を連れて?まさかだぜ」「あの娘は?」「ターニャ。炭焼き小屋のターニャだ!」「一番乗り!一番乗りだ!」
足を止めた牛たちの鼻息が白く舞い、娘の足元で砂がきしりと鳴いたその時――老いた銃士が再びにやりと笑い、同行していた行商人が肩をすくめ、娘は無意識に群衆に父親の姿を探したけれど、見当たらなかった。それでも、確かに、たどり着いたのだ。
牛を連れて仲間たちと役所に向かう途中、バリケードを越えて居留地のやや外側の廃墟に面した荒廃した家々の連なる通り。居留地でも貧しい者たちが住み着き、もう数世代も変わりのない暮らしを再生産するように続けている一角だった。サドラン牛を連れて通り過ぎると、地べたに座っていた無気力な若者たちが目を丸くして、見上げてきた。構わずに進み、古びた作業小屋の前にやってきた娘を出迎えたのは、石積みのそばで黙々と作業する父親の姿だった。
炭焼き窯の灰が風に流れる傍ら、背を丸めて木槌を振るう炭焼きの男は娘の姿に気づいても、手を止めず、娘の姿をちらと一瞥しただけだった。
牛の足音が地を踏み鳴らし、娘の気配が背中に近づくと、ようやく動きを止めた。
「――帰ったのか」低く短いぶっきらぼうな声に、娘は頷きながら、口元に微かに笑みを浮かべる。
けれど炭焼きの男は、娘の表情を見ようとはせず、代わりに牛の方をじっと見つめた。
「立派な牛だな。賢そうな顔をしてる……お前が選んだか?」
「うん、サドラン。元手は行商の人と折半して……」炭焼きの娘は、鞄から書類を取り出して、父親に見せようとした。
「……簡単な紙だけど、ある。署名ももらった」
「……契約とかは俺にはよく分からん」炭焼きの男は短く息を吐き、ようやく娘の顔を正面から見た。
「もう、立派な大人だな……これからは、一人で生きてくんだ。失敗も、やって覚えりゃいい」その言葉に、娘の喉がわずかに詰まる。けれど、泣きそうな目は一瞬だけ輝きを増した。
「……ありがと、お父さん」
父親は頷いた。炭焼き小屋の傍の崩れそうな土と泥の小屋から、幼い弟や妹たちが顔を出していた。
男は何も言わず、再び木槌を手に取った。そして――振り向かずに、静かにこう付け足した。
「もう戻ってくんな。お前はもう、この辺りの暮らしじゃない。居留地で自分の道を見つけて、そこで家と家族を作るんだ」
娘は、まっすぐに背筋を伸ばし、それから父親の背を見つめた。
「それがお前が今日までやってきたことの意味だ」背中を向けたまま、訥々と語った父親に小さく「うん」とだけ返事して、娘は牛の首を撫でると、再び歩き出した。
遠ざかっていく足音に、炭焼きの男はまた作業に戻りながら、「見たか。あれが俺の娘だ。自慢の子だ」小さく、しかし、誇らしげに呟いたのだった。
※※※※
昨日までのマギーは、居留地でも最良の斥候の一人と見做されていた。近隣一帯でも上位三人に入る腕前、残り二人とも甲乙つけがたい凄腕と、他の狩人や行商人たちからも一目置かれていた――が、それもつい先刻までの話。およそ一時間前から、マカロヴァ爺さんが居留地最高の斥候の名を不動のものとしたようだ。
暫定一位を奪われても、しかし、別にいいとマギーは言った。地元に根差してからの時間が違う。蓄積した経験と知識からして妥当な評価だし、争っていた訳ではない、と淡々と告げる。
問題は、牛を連れて西の丘陵を越えてきたことだ。ニナとマギーが検討の挙句に難しいと切って捨てた経路をマカロヴァ爺さんめ、あっさりと越えてきた。人間だけなら、難しくはない。羊の群れを連れても越えられるだろう。実際、マギーたちは越えてみせた。だけど、変異獣や巨大蟻、飢えた獣―――野犬の群れやコヨーテ、猪に狼までもが徘徊している広大な丘陵を、たった三人で牛を連れて無事に抜けられるか、と言えばマギーたちの知識と腕前、装備では賭けに成らざるを得ない。それも、分の悪い賭けだ。マギーの知ってる経路では、大きな段差や亀裂があって、踏み台やら橋代わりの渡し板を設置しないと牛は抜けられない。知らない経路を知ってるのか。それとも工夫を凝らしたのか―――まったく、大した爺さんだよ、とマギーは呟いていた。
商売仇でもある爺さんの壮挙に拘ったのは、むしろニナかも知れない。地図を示し合わせて、あのルートか?このルートか?或いは、知らない抜け穴があったのか?推測するも答えは出なかった。丘陵地帯は奥深い地形で、人の足で歩ける渓谷や抜け道が蜘蛛の巣のように複雑に張り巡らされている。一見では何の変哲もなく同じように見える自然の中に、地層や土壌の種類、岩の硬さや崩れやすさなどによって、実際の地形は大きく異なっている一帯も珍しくない。
環境に拠っては、一般的な道のりとは異なる秘密の抜け道や隠れた経路が自然に形成されるが為、地形の神秘的な性質は、数年を歩き回った斥候でも簡単には把握しきれないものだ。文明崩壊のような大災厄の影響や隕石に質量兵器の衝突、特殊な変異生物による環境改造や古の遺跡を隠すための人為的な改造なども存在しうる。例えば、土壌の種類や風化作用によって、崖のような険しい場所が自然に削られ、そこにできた細い小道や隠れたルートが、昔の人々や動物たちの通り道として使われている事例もあった。こうした地質的な特徴は、地元の斥候や猟師、狩人などにも予測しきれない経路や抜け道を作り出す要因ともなりうる。
怪しげな植物の根をコトコトと煮込みながら、陰に籠って何やら思索に耽るマギーを邪魔せずに、ニナは散歩に出かけた。今日一日、身体を休めて明日早朝から、西の丘陵を越えなければならない。日没前に自由都市へと辿り着くのが常の旅程で、余程に熟練した旅人でなければ、中々に難しい道のりよ、と些かの自惚れと共に伸びていた鼻がへし折られた気分である。
二十年、三十年と地元に根差し、狩りの腕も一流の熟練斥候に遅れをとろうと、恥ずべきではない。しかし、他人からすれば、むしろ傲慢と見做されるとしても、悔しいものは悔しかった。自分たちが出来ないと踏んだ険しい経路を、あっさりと牛を連れて踏破してのけた。しかし、先達の力量を見誤ったとしても、学んで次に活かせばいい。斥候は危険な職業だが、現状はそれが許される余裕もあった。
当て所もなく歩いていたニナは、広い空き地の隅に腰を下ろし、折り曲げた膝に腕を乗せて、顔を埋めた。風が吹くたび、髪が顔にかかり、目を閉じたまま、穏やかな風に身を任せる。風の音とともに、遠くから聞こえる廃墟のざわめきが、どこか遠く響いていた。バリケードに近い地区の外れは、見張りの大人たちがいるとは言え、些か危険な場所で、時折は怪物や屍者がバリケードの壊れた隙間や土塁を越えて潜り込んでくることもあった。油断と言えば、油断だろう。それでも思考は空白に沈み込み、今しばし、乱れる心を落ち着けるための時間を必要としていた。
と、遠くから駆ける足音や騒ぎ立てる大人数の声が少しずつ近づいてくる気配が漂ってきた。「サッカーボールだ!」聞き慣れた少女の叫び声に呼応するように子供たちの雄叫びが青空に轟き渡った。
「うっおおおお!」「きゃああああ!」ニナが顔を上げてみれば、興奮し過ぎて鼻血を出しながらピョンピョンと飛び跳ねている少年少女の一団。何も知らないものが広場の情景を一瞬だけ切り取って目撃したら、子供たちが変異ウィルスに集団感染して「ポレシャの未来が全滅だよ!」と誤解してしまうかも知れない。
テニスボールや野球ボールであれば、中に綿だのコルクだの詰めた革製ボールを手作りできない事も無いが、サッカーボールは素人の手にはやや余る。バレーボールやバスケボールも、跳ね跳び具合を再現しがたい。歪な形の凸凹ボールは、思いもよらぬ方向に飛ぶゆえに、サッカーボールはやはり工業製品が一番よ、と物知り顔で頷くのだ。産業革命期の技術は、石油石炭が枯渇した世の中でも維持できる。昔の教科書や青写真にグラインダーや旋盤、やすりのような工具類。純鉄や銅線、手回しの発電機、ピストン型の蒸気エンジンと真空管ラジオ。レトロフューチャーではなく、枯れた技術の洗練が現実に進んでいる。
勿論、サッカーボールも再現品。20世紀辺りの高度な品に比べれば、手作り感の溢れた縫い目の荒い代物に過ぎない。しかし、子供らはサッカーボールを恭しく眺めており、下町の餓鬼大将である少女が――それも親が有力な渡り人徒党の領袖――王権の象徴でもあるかのように台の上で掲げると、マヤ・アステカの群衆でもあるかのように少年少女たちが興奮して喚きたてた。なお、きちんと学校で過去の歴史を学んでいるが、崩壊世界の文明地の子供たちは、過去の情景を再現する遊びが大好きだ。時々はローマ人やら侍、騎士にヴェネツィア人風になったり、スキピオとハンニバルになる日もあれば、サラディンとリチャード獅子心王にもなる。帆船もののTVシリーズが居留地の映画館で放映された日には、隣り合った廃屋を帆船に見立てて、英国人やイスパニア人として両舷接触からの白兵戦ごっこが始まることもある。或る日はオラニエ公になり切って(歴史的には誤認があるが)テルシオを再現もすれば、『航海者の時代』の真似をして、木の板をオールに見立てて漕ぐ真似をしながら、敵艦(隣の廃屋)に乗り込んでいくのだ。武器は棒切れと声ばかり大きい罵倒語で、生死判定が自己申告なのでゾンビも出るが、最終的に袋叩きに会うので、大抵は素直に死ぬか、負傷者役になる。例え、どれだけ乾いた風の吹く日でも、遊びに励む子供たちの目に映る世界は過去の幻想と繋がっていた。
「僕はロナウジーニョちゃん!」他にもベッカムが三人いたり、ペレが四人いたりするが、荒野では誰もが過去の記憶と品をありがたがる。なお、サッカーのルールはあやふやである。いい年をして混ざりたがる二十歳以上の男女もいれば、大人でもサッカーボールには興味を示す集団もいて、しかし、顔見知りだとして迂闊に貸し出せば、所有権が明確であっても中々、返ってこないと言う事例もそこそこに発生しうるのが文明崩壊の社会である。故にサッカーボールは中世王権国家における象徴や工芸品の如く、貴重であり、尊重されなければならない。
「へい、羨ましい?仲間に入れてあげなくもないのだわ?」頭目の少女が影から覗いている少年に声を懸けてやれば「ばあか!!」罵声を発して逃げていった。哀れで愚かなへそ曲がりの少年だが、同情には値しない。自分から孤立してやがる。ポレシャ居留地はそこそこにまともな社会で、大人に近づけば、否応なしに人付き合いは広がる。家庭環境が悲惨な小僧にも、幾度かは手が差し伸べられる。十五を過ぎる頃なら、改めるか、一生変わらないかだ。素直に仲間に入れてもらう奴だって多いのだ。
隅に座り込みながら、ニナは何とはなしに逸れ者の未来について想いを馳せた。多分、仲間というか、世間に加わる為の最後に近いチャンスだったんだろうな。と推測してみる。文明崩壊の世に、比較的貧しい階層の若衆社会を拒絶すると言うのは、しかし、おのれも相手から拒絶されると言う事もである。ポレシャは曠野で殆んど例外じみた上位十二%に入るくらい善良な土地(※マギー調査)であるから、仲間に入らなくても困窮すれば、哀れなろくでなしさえ幾らかは助けの手が差し伸べられる。だけど、普段からの知己とはぐれ者では、善良な土地でさえも当然に温度差は大きい。なお、指を加えて、仲間に入りたそうにしている牧者の子供たちは全力で無視されていた。牧者―――羊飼いたちは、スコットランドの先祖たちと同じく、杖を使ったゴルフモドキを好んでいる。後は変異獣の頭蓋骨を使ったサッカーだ。ちょっと野蛮過ぎて、人として付き合いたくない領域の手合いである。大きなダガーを持ってて、喧嘩でもすぐに人を刺すし、棒切れで頭にフルスイングしてくる。戦闘訓練をしっかり積んだ輩が、転んだ相手の頭部を蹴るので、ちょっと恐すぎる。怪物彷徨い、盗賊や追い剥ぎもいる荒野を旅しないといけない。町や村との取引だって騙してくる商人や定住民もいる。荒っぽく生きざるを得ない牧者たちは、同時に善良な渡り人や自由労働者たちがお付き合いするにはやや恐い存在でもあった。
ポレシャは、かなり大きな居留地で、人によってはポレシャ市と呼ぶこともある。市政は比較的に公正で搾取は少ない。自由労働者や渡り人のような真っ当な働き者たちは自然、保守的となり、揉め事を嫌う性質を帯びている。まともな生涯を過ごせる望みがあるからだ。一方で、武装がより貧弱な廃墟生活者やら浮浪者などは、牧者たちに対して強気に出たり対等に交渉できたりもする。失うものがないからだ。そんな牧者たちでも、軍隊を持ち、武装して人数も多い市民たち相手には下出に出らざるを得ない。その市民たちは外部の勢力を警戒しつつも、物資をもたらす隊商には丁重に対応している。歴史は螺旋階段のように進む、とは誰の言葉だっただろうか?契約と力関係の織りなす均衡に彩られた居留地社会の構造は、都市と移動民が複雑に交差した後期封建制の様を彷彿とさせるとニナは常々、想うのだった。
声を懸けた若い娘―――路地裏の王女様は、振られた相手の背中を一瞥し、ふん。と鼻を鳴らすと、ヘローウとニナに声を懸けてきた。
「サッカーしようぜ!」
「明日から仕事。今日は、休めて置かないと」ニナの素っ気ない、しかし、残念そうな返答に、あー。とこちらも残念そうに呻いている。
適当に人数を分け、十分ほどで一試合。その後はインターミッションを挟み、またチームを組みなおして一試合と遊んでいるうち、サッカーボールの出現を聞きつけてまた湧いてくる新手の少年少女たちもいれば、休憩に入る者らもいる。
一度、人数が会わなくなった時、路地裏の王女さまは周囲を見回してから、ずっと見物してた若い娘を勧誘する。
「へい!そこの見慣れぬお嬢さん!人数足りないのだわ!」
「……やり慣れてないけど」言いながらもソワソワしている。
町外れ地区の通りで時々、見かけた廃墟民か、放浪民の娘と思しき貧しげな身なりの若い娘。地区の人間ではないが、視線はサッカーボールに釘付けで、幾度か羨ましそうに遊んでいるのを眺めていたのを幾度かは目にしている。
路地裏の王女さまは、見慣れぬ相手に手早くルールを説明した。
「足を使ってボールを蹴る。手は使わない。キーパーは使える。これだけ!」
「下手糞だけどいい?」との返答に王女さまはサムズアップを返すと、手を掴んでコートに引っ張り込んだ。
『路地裏の王女』の父親は、渡り人の王だ。要するに徒党を率いる顔役で、実際の爵位を持ってる訳ではないが、綽名としては市民議会からも冷やかし混じりに『陛下』などと呼ばれている。ポストアポカリプスで乱世でもある。小さな領邦のひとつや二つ、望む野心家が廃墟に潜んでいてもなんの不思議もない時代ではあった。多分に『陛下』の下に集まっている人間たちの方も―――いや、むしろ彼らの方が本人よりも、国作りの大望を望んでいるのかも知れない。実際、人口が数十人から数百人の小国など、雨後の筍めいて曠野に生まれては泡のように消えている。
そして『路地裏の王女』、無邪気にも見える友人の罪の無さそうな人懐こさに、ニナは危険な匂いを感じ取ってもいた。子供のうちに同じ放浪民に勧誘し、巧みに仲間を増やせるのもある種の才能だろう。あれで人を見る目もあるし、同時に切り捨てる冷淡さも持っている。友人として好意を抱いている。しかし、それと同時に警戒するのは矛盾していない。何故ならニナも、日常のささやかな望みとは別に曠野にある種の野心を抱いて生きている類の人間であったからだ。ニナのそれが経済的な野心であり、友人と競合する野望でないのは互いに幸いだろう。
危うさと将来性が同居するのは、才能を持った若者に共有する宿命である。二人ともに何者にもなれず、或いは自分より才能と運に恵まれた競争相手に敗れて曠野に躯を晒したり、或いは、何者かの膝下に―――いや、それは今、考えても仕方のない事だった。
それに現在のニナちゃんの立場は、ただの行商人の相棒に過ぎない。丁稚や徒弟よりも些かマシな立場であるけど、今はまだ何も成し遂げておらず、何者にもなってない。秘めたる野望が、ただの願望で終わる可能性だって少なからずあるし、マギーと一緒に稼ぎを増やしながら、今は少しずつ家を建て増し、幸せに暮らせたらいいな、くらいの淡い望みくらいしか抱いてない。まあ、よい。最初のうちは、恋人になりたいと思っていても、また、変な事を考えてるな、とマギーに相手されなかった。目標は一つずつ叶えるから人生は面白いのだ。




