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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_57G ミリーの世界

 惨めで貧しく危険と隣り合わせな生活が、放浪民の人生だ。一日の食費が五地区クレジットほどで、日雇い仕事で二十程の地区クレジットを稼いでいる。一年間に千クレジット貯めるのが難しくないように思えて、実際にはひどく困難だった。居留地に登録した労働者さえ、仕事が見つからない日もあれば、労働の対価を現物支給で受けるのも珍しくない。勝手に廃墟に住み着いた他所者であれば、尚更に労働は買い叩かれるし、公式通貨は愚か、配給チケットも手に入らずに地区の商店で買い物するのも難しかった。他所者とも取引を行う外部地区や廃墟の市場では、買い物するにもツケは効かずに割高な値で買わざるを得ない。食料以外にも、薪も買わなければならないし、余裕が少しできれば衣服や石鹸、アルコールに布切れ、針と糸など、その他こまごまとした消耗品に忽ちに費やしてしまう。


 さほどの贅沢や無駄遣いをしてる訳ではない。放浪民の暮らしは、基本的に生きるために必要最低限な物資しか揃えていない。食料、薪、衣服、日用品に消耗品など、すべてが生活維持に必要なもので、それでも収入は限られている。偶には肉を食うし、酒も飲み、煙草を吸う。子供に木切れで出来た玩具を作ってやる事もある。


 廃墟には屍者に変異獣、野犬に巨大蟻だって彷徨っている。稀には曠野から猪や熊、コヨーテに狼などが入り込んでくる。身を守る為のナイフや槍、盾、クロスボウのボルトや弓矢、火縄銃の火薬に円弾マスケットは、言うまでもなく廃墟での生存サバイバルに必要不可欠で、放浪民にとっては馬鹿にならない金額で取引されている。それでも部族や無法領域、専制君主、或いは軍閥や共和国などの鉱山奴隷やガレー奴隷、農業奴隷よりはまだ恵まれた境遇だと人々は己を慰め、歯を食い縛りながら日々を生き抜いている。人として必要最低限の生活であって、生存に必要最低限ではない。自由はあるし、時には慰めに嗜好品なども僅かに購入できる。


 それでも、ギリギリの綱渡りのような日々であることに違いはない。子供が風邪を引いて薬を買えば、支出は何週間もの間、食生活に響いてしまう。医療品を買える。服も替えられる。肉の一切れ、酒の一杯、煙草の一服を楽しむことは出来るが、本質的には、大抵の浮浪者ホーボーや廃墟生活者たちとさして変わらないか、ややマシ程度には不安定で危うい日々を放浪民は送っていた。殆んどの放浪民は、貧しいままに人生を終える。貧困から抜け出せるものは滅多におらず、定職の口にありついたり、行商などで稼げるようになったものは、いずれ僅かな知己や身内だけを引き連れて、そっと姿を消していった。他者の嫉妬は、常に警戒すべき人生の陥穽だ。稼げたものたちは幸運だが、貧困から抜け出せたものはさらに賢明に違いないとミリーは皮肉っぽく頭の片隅で考えた。我武者羅に金を欲していたリドリーだが、しかし、他者に対して見栄を張る性質が特に大きかった。あれでは仮に上手くいったとしても、長続きは難しかったに違いない。リドリーに限らないが、己を大きく見せようとする性質は、命を守ることもあれば、破滅を引き寄せる事もある。人生は儘ならぬものだ。



 父のリドリーは、そうして放浪民たちが生活を切り詰め、何年もの歳月、爪に火を点すようにして貯めた百クレジット、二百クレジットと言った命のように重たい金をかき集めて詐欺師に預け、逃げられた。詐欺師に名を騙られただけの、無関係のエマ・デイヴィスの住処に仲間たちと共に乗り込んだ挙句、今度は消息を絶ってしまった。本人がぶち殺されるだけなら構わないが、強力な牧者衆の怒りを買ったり、或いは、仲間たちを巻き添えで死なせていたらと考えると、ミリーも気が気ではない。



 地下室には、饐えた匂いが漂っている。薄暗い通路や部屋の片隅に寝起きする者たちもいたし、放浪者たちの服は数十年も継ぎ接ぎしながら着込んだ代物が多かった。垢や埃などで固まり、汗と陽光に色褪せた服を着込んだ人々から漂う煙草の匂いと安酒、それに発汗の入り混じった馴染み深い悪臭。廃墟の暮らしに水は無駄遣いできない為、皮膚病や肺病を患っている者も多い。凶悪な怪物の体液を浴びて皮膚や衣服が爛れている者もいる。爪痕や歯型に肉の一部が抉れている老人や大人たち、隅で蹲って啜り泣いている子供。赤子を抱えた母親。絶えず、苦しげな咳やぜいぜいとした呼吸音が響き渡っている。固まって囁き合う男女の影から怒りと不信の入り混じった複数の強く鋭い視線がミリーを貫いている。



 リドリーの名を囁く不穏な口調の呟きが耳に届き、脅えたようにミリーは肩を震わせた。仮に父リドリーが死んでいたら、ミリーは天涯孤独となる。誰も守ってくれるものがいない厳しい立場へと陥りながら、なお、生きていかなければならない。ミリーが何かを行う度に頭ごなしに否定し、嘲り笑いながら、邪魔するだけ邪魔した挙句、最悪の立場に追い込んでから失踪してくれた父親と儘ならぬ人生に、ミリーは低く乾いた笑い声を洩らしかけた。


 私刑に掛けられるのではないか、と恐怖に震えつつも、しかし、今すぐに吊るされることはない、とも踏んでいる。被害者などは、ミリーの態度をふてぶてしいと見做すかもしれない。放浪民の共同体は小集団の雑多な集まりで、そもそも価値観さえ共有してない。法を知らぬ、守らぬ者たちもいれば、法の概念が異なる者もいる。家族間や氏族の掟を優先するもの、他族や異教徒の財は、奪っても罪科とならぬ土地の出の者もいれば、盗みを悪さとも思わぬ者もいるし、追放前―――或いは崩壊前の故郷で族長や貴族、議員や長者に連なるものであった為に、別の土地でも王のように振舞う権利があると思い込んでる者もいた。一旦、浚った女は奴隷であり、盗んだ財貨は所有物と見做す者もいて、そうした者らの常識からすると、奪い返そうとする身内や定住民の方が礼儀を知らぬ『蛮人』と見做されるのだ。


 掟の厳格さも一様ではない。厳しい環境で原理主義に染まった部族では、しばしば掟が絶対で、反すれば命を奪われる事も珍しくないし、渡り人(オーキー)のように緩やかな集まりでは、盗みが弁済や追放だけで済む集団もあると聞いている。今いる共同体は比較的に穏健、かつ文明的で、ポレシャ人や渡り人(オーキー)と似たような価値観の者らや小集団が寄り集まっているが故、ミリーが処断されるとしても、審判を経てからであろうし、少なくとも弁解の機会も与えられるはずではあった。浮かない気持ちのままに、断罪を待つ罪人のような気分で、ミリーはひと気の少ない壁際へと持たれかかった。話しかけてくる者は一人としていない。気づかわしげに一瞥してくる同年代が数人いるだけでも、まだ上等だろう。


 居心地の悪い沈黙にひたすら耐えているうち、ようやくに階段から足音が響いてきた。金を奪われた放浪民を代表して、居留地の連中との折衝に赴いていた者たちが帰還したのだろう。微かに安堵の息を洩らしたミリーの視線の先、重たい鉄の扉を開けた者たちが、松明を掲げながら入り込んできた。部屋中央に置かれたドラム缶に炎が燃やされた。天井の通風孔だけで換気が足りるか不安になるも、頭上に伸びた太い煙突の風車型ファンが、外気との温度差でカラカラと回る音が聞こえていた。



 痩せこけた老婆が、まるで祈るかのように両の手を合わせている。扉を開けてくたびれた顔つきの大人衆たちは、首を横に振ったり、重い溜息を洩らしながら、迎え入れた人々に囁くような声で結果を告げている。ホーソンも重い足取りで椅子に腰かけた。「自分で取り返せ、だと」掠れた、まるでひび割れたような声がホーソンの口から零れ落ちると、手にしていた紙が近くに寄った者らに手渡される。


「犯人に賞金が懸けられた」ホーソンの告げた言葉に、しかし、誰もが当惑したように顔を見合わせたり、どういうことだと小さく言葉を洩らしている。額の汗をタオルでゆっくりと拭ってから、「追手を出さなければならない」ホーソンは疲れ切った表情で一同を見回した。


「……俺たちは賞金稼ぎでもなんでもない。追跡の仕方なぞ知らん。それに荒事も得意ではない」誰かの困惑したような囁きに、ホーソンもやや投げやりになった様子で吐き捨てた。

「俺もそう言った。保安官はな……俺たちが、牧者衆の住処に殴り込んだことを持ち出した。無関係の者らに暴れておきながら、盗人は見逃すのかと冷たい目で見られたよ」一同のざわめきの中「……言われたよ、あの目でな」ホーソンは低く押し殺した声で呟き、額に手をやった。仕草には諦めが滲んでいるように見えた。


 定住民のよそ者へと向ける嫌悪と警戒の視線に晒された体験は、誰もが共有する苦い記憶だった。理解の呻きと沈黙が徐々に広がり、陰気な静寂が立ち込めてから、保安官事務所に赴いた大人衆のうちの一人が口を開いた。

「みな、話は聞いたと思うが、エマ……いや、ヘレンは、俺たちの金を持って自由都市へと逃げた。身柄を抑えて金を取り戻すんだ」

「どうやって……そもそもが、本当に自由都市へと逃げたのか?」周囲から疑念を呈する声が上がる。

「それは保安官の情報を信じるしかない」と疲れたように大人衆が言いかえした。

「……厄介払いではないかな」誰かの若い声が自信なさげに告げる。

「ポレシャの民警はそれなりに信用できる。嘘を付く理由がない」別の大人衆は、淡々と告げた。

「……そうは思えんが、な。正直に喋って、追放刑にされるのも嫌だからな。俺にはどうでもいいさ」舌禍を起こした息子が追放刑に処された中年男が吐き捨てる。

「兎も角も、賞金稼ぎを雇うなり……」そうした意見を冷やかすように「どこにそんな金があるのさ」と嘲笑が割って入った。

「それが出来ないなら、追手を出して彼女を捕まえるしかない。望みは薄いが、やらないよりはマシだろう」告げたホーソンは、苦痛に耐えるように表情を歪めていた。



 戸惑い、或いは苛立ったような囁きの中、人影の後ろから声が投げかけられる。「その前に、あんた。ホーソン……牧者の長老と話したそうだけど、うちの息子……リドリーと一緒に行った連中はどうなったんだ?」問いかけに賛同するように呟きが増えた。

「そうだ。リドリーたちも戻ってこない。そちらはどうなった?」

「分からん。だが、恐らく……」小声で呟いたホーソンは、首を振るうと仕切り直すように咳払いしてミリーに視線を転じた。

「どうなんだね?ミリー」

 身内のミリーが知らないだろうことを当然、悟っているだろうホーソンは、しかし、ぬけぬけと矛先を逸らしてきた。そして、どんなに父親を嫌っていようと、ミリーはリドリーの娘だった。

 小さく息を呑んだミリーの様子を見て、傍らから疑問の声が上がった。

「なぜ、ミリーに聞く?」

「わたしは長老と話したが、エマは身内ではないと言われた」ホーソンは淡々と言葉を続ける。「逆に言えば、エマがどうするかは長老にも分からないそうだ」言って、ホーソンがやや大げさに手を振った。

「リドリーたちもわたしの部下ではないからな。立派な考えがある大人の男や女が自分の考えで行動しているんだ。身内なら、分かるんじゃないかと思ってね」一見、穏やかなホーソンの言葉には、しかし、明らかに突き放す冷淡さや皮肉が込められていて、実際にはリドリーやお前らの身内が勝手にやったことは、俺たちには関係ないと突き放している。


 ホーソンの意見に賛同する低い唸り声が部屋の隅から聞こえた。

「君が、仲間が気になるなら、長老なり、牧者に聞いてくるのはどうだろうか?」ホーソンは、ミリーに微笑みながらそう告げた。あっさりと責任転嫁すると―――いや、ホーソンにとっては正論なのだろうが――――本来の関心事であろう、奪われた金を巡っての討論へと話題を戻した。


 部屋の雰囲気が冷たくなり、視線が集中しているのをミリーは感じていた。

ホーソンのしたたかな振舞いは、計算され、抑制の効いたものだ。こんなしたたかな中年男でさえ這い上がれないか、とミリーは反論も思いつかずに、ただ感心し、鼻を鳴らした。或いは、ホーソンの始まりは、今よりもっと悪い立場だったのか、それとも成長した結果が今の態度なのかな。いずれにせよ、仲間から金を吸った挙句、無駄にしたリドリー。計画や思惑を乱したリドリーに対して、ホーソンらがいい感情を抱いていないのは確実だった。


「金を失い、八人も行方知れずに……この上、若者たちを自由都市まで送れと言うのか」誰かの慄くような呟きがミリーの耳元に届いた。居心地が悪い、などと言うものではない。周囲の怒りと悪意の渦を肌に感じて、冷たい汗が滲み、殆んど身動きが取れなくなる程だった。

「……なぜ、お前が生きている」我が子の喪失を悟った老婆のしわがれた囁き声と共に、鋭い視線が背中に突き刺さっているのを感じた。嫌悪と怒りを孕んだ強い眼差しが向けられたのは、生まれて初めてで、ミリーは反射的に唾を飲み込んだ。頭目のホーソンが常の冷たい眼差しの中、微かに憐んだように目を細めたが、したたかな有力者でさえ、集団の突き上げから我が身を守るのに必死で助け船など出すまい。喉が痛いほどに乾燥している。どうにも、死ななければ収まるまいな、とミリーはおぼろげに思った。




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