03_57F 苦悶の棘 エマ ホーソン ミリー
一般的な居留地では犯罪者や容疑者、或いは重要参考人を賞金首に認定する際には、相応の法的手続きと時間を要するものだ。
証拠の偽造や変装などで他者に冤罪を擦り付ける知能犯もいれば、証拠の捏造に誤認、或いは権限を持った者の暴走や汚職、思い込みなども存在しうるからだ。その為、一口に賞金首と言っても、疑う余地のない凶悪犯に対する殺害や生死問わずの広域手配から、詐欺師や常習の軽犯罪者に対する捕縛推奨(死体の場合は2割から5割)の手配、プレ容疑者な重要参考人を対象として、殺傷が犯罪となる生存・捕縛のみの時限手配に至るまで、様々な段階が存在している。
事がことだけに『牧者ヘレン』の賞金首認定は、ポレシャ市の行政手続きとしては、かなり異例の速さで行われた。なんと言っても、居留地の施策『サドラン牛輸送任務』を利用しての詐欺事件であるから、既に牛の輸送任務に従事している牧者や護衛たちへの悪影響を防ぎ、出資している商人、市民に不安を与えないよう、議会としても早急に対策を講じていることを印象付ける必要があった。
市当局は、速やかに手を打った。社会秩序の維持に市当局のメンツ、放浪民たちの慰撫と政治的な事情が絡んで、ヘレンが犯人と判明してからわずか三時間。『牧者ヘレン』への賞金首認定が下され、同時に地域指名手配と自由都市および賞金稼ぎギルドへの通告が決定された。
とは言え、『牧者ヘレン』の手配はある意味、スケープゴートとしての側面が大きかった。通常、法的根拠となる市民や正規居住者、或いは何らかのギルドに所属している者の証言や具体的な証拠、裏書などもない。証言は、金を取られたと言う放浪民によるのみで、被害者たちが失うもののない集団であるので、まず暴発させない為に怒りの矛先を逸らし、不満を鎮める意味合いもあった。一方、招集された参議の半数近くが証拠不足や目撃者の信憑性について疑義を呈し、犯行の断定に慎重な立場を取ったので、賞金首としては生死問わず、しかし、捕縛推奨と条件が付けられた。死んだ場合も賞金は支払われるが、捕縛に比較すれば半額となるので、仮に『牧者ヘレン』が冤罪であったとしても、命を拾える可能性は少なからずあった。スケープゴートとしては、牧者のエマ・デイヴィスも選ばれかけたのだが、無実の人間を犠牲の贄にするのは気が進まないとエヴァンス保安官他、数名の参議がやや庇ったのと、牧者衆がいかな反応をするか不鮮明な状況から見送られた。
『牧者ヘレン』賞金額は、800都市通貨。騙し取った金を所持していると見られ、放浪民たちが己の手で捕らえて、金の一部なりを取り戻せれば、賞金と合わせて損失をある程度でも補填し、踏み躙られた尊厳や権利を取り戻す一助となる筈だった。詐欺にあった放浪民たちは、単独では牧者衆に対する脅威にはならないだろうが、或いは、略奪者徒党などと手を結べば、厄介な事態にもなりかねない。被害者である放浪民たちを早急に宥める必要があって、死んだ人間は返ってこないにしろ、金を取り戻せる希望がある限りは、牧者たちに無謀な武力抗争を仕掛けはしないであろうと言うのが、兎も角もポレシャ参議会の展望ではあった。勿論、参議たちは無能ではないので、武力衝突の可能性を軽視せず、有事に備えて町の中心部と放浪民の住居周辺に見張りを立て、即応可能な戦力を密かに配置している。有力者たちの道義的なジレンマか、牧者衆たちの反発を嫌っての実利的な判断かは分からないが、いずれにせよ、エマ・デイヴィスは命を拾った。
※※※※
居留地の広場に再建された保安官事務所は、北米西部の古い情景を思わせる。それも実物と言うよりは、西部劇のワンシーンから切り取ったような小奇麗な建築物だった。意識して再現された19世紀のレトロな仕立ては、演出としては充分に効果的だっただろう。風雨に晒された木材も再利用しての建築物は、かつての火災や怪物の襲撃の爪痕を完全には隠しきれていない。
外見は木造に見えて、所々にセメントを用いた堅牢さは、小さな砦として機能するよう設計されており、市民や居住者たちには、無骨な心強さを感じさせる。重量に軋む分厚い木製扉にはくすんだ錫製の鐘が吊るされ、誰かが出入りするたびに澄んだ音色が響いた。
事務所の空気は、煙草の煙と油の匂いが混雑している。壁際の掲示板には、近隣一帯のニュースや事報、賞金首の手配書がベタベタ無造作に貼られている。歳月を経て、色褪せた紙切れもあれば、つい最近追加されたばかりの紙もある。奥の部屋には、賞金稼ぎが犯罪者を捕縛した新聞記事に、比較的に評判のいい賞金稼ぎや傭兵の類の顔写真なども張られていて、連絡法や雇用に必要な金額なども書き込まれていた。有名賞金稼ぎの横に(どうやら本人)(逃がすな!)などと書き込まれている。
出入り口の待合室と事務所など、所々が分厚い木や鉄板で仕切られており、無法者が乗り込んできても防戦できる仕組みとなっていた。保安官たちの机には、書類が雑然と散らばり、リボルバーや分厚い帳簿に人によっては花を飾ったり、或いはオタクっぽい怪物やSFの金属フィギュアも置かれている。天井には電灯と古びたランプが共に吊るされ、奥部には鍵付きの武器棚があり、ショットガンやライフル、各種弾薬が整然と並んでいた。右手には薄暗い留置場。廊下の鉄格子の奥に小さな檻のような空間が幾つか並び、乾いた藁が敷かれ、使い込まれたブリキの水桶が片隅に置かれている。事務所裏には馬屋が配置されて、保安官や助手たちの馬がつながれている。曠野へと続く道を見渡せるように、鐘楼に小さな見張り台が設けられ、見張りがライフルを抱えながら常時、警戒している。市民や正規居住者にとって、保安官事務所は居留地と無法の荒野の境に立つ、最後の砦と見做されていた。
しかし、文明地と曠野の境界に揺蕩う放浪者や浮浪者たちにとって、保安官事務所は、必ずしも安心できる場所でもなければ、法秩序の象徴でもない。いや、身分の不安定な者たちにとっては、法と秩序は必ずしも味方ではなかったと言うべきか。
保安官呼び出された数人の放浪民。老いも若きも含まれた放浪者たちの目の前で、保安官は『曠野の怪物【マル秘】完璧図解』と描かれた本を読んでいた。
「……此の怪物は、背後から密かに襲い掛かってきて人間の脳みそを啜る。弱点は分からない。ここから先は君の眼で確かめてみてくれ……ふざけんな!」保安官はゴミ箱に本を叩き込んでから、集まってきた放浪者たちに鋭い視線をくれ「……三十分の遅刻だな」刺々しい声で告げた。
保安官、と言っても、男は随分と若い。保安官の一人なのか、副保安官なのか。それとも、もっと下の保安官助手なのかも放浪民たちには見当が付かない。高圧的な物言いにムッとしながらも、放浪民たちは出入り口で武器を預けていたし、壁には数人の民兵や保安官たちが武器を携えて並びながら油断ない視線を向けてきていた。
「わしら、時計持ってないもんでな」放浪者側の代表の苦々しい言い方にも、保安官は、そっけなく頷いた。
「まあ、いいさ。その分、お前たちに割く時間が少なくなるだけのことだ」言ってから机の上に一枚の手配書を差し出した。
「今しがた、印刷所で擦り終わったばかりのものだ。金を預けたのは、そいつで間違いないか?」言われた放浪民たちが、若い女の手配書を手に手に廻して眺めた。
まじまじと似顔絵を眺めてから「あまり似てないけど。ああ、こいつだよ」「だけど、名前が違う。ヘレンじゃなくて……」口々に呟いている放浪民たちに若い保安官が断言した。
「ヘレンだ。エマ・デイヴィスこそが偽名。エマと言う名の牧人はいるが、騙られた別人だ」若い保安官は舌打ちした。部屋の隅の机では、書記官が無言でペンを動かしていた。
「……ヘレン?」「似顔絵、ちょっと似てないな」不満そうに囁く声が洩れている。
「ホーソン。説明していないのか?」若い保安官は、苛立たしげに放浪民たちの代表に問いかけてきた。
「俺たちは、単一の集団でもないんでね。小さな氏族や家族単位で集まって暮らしてるんだ」ホーソンはハンカチで額を拭きながら答える。保安官事務所に呼びつけられた詐欺被害者たちは、状況を把握していない。苛立たしげに、また落ち着かない様子で囁き合い、目配せをしたり、咳ばらいをしながら、壁際に並んでいる民兵や自警団員たちにチラチラと不安げな視線を向けていた。
「ヘレンは他所の土地から流れてきた。よくいる流れ者の牧者だ。名前しか名乗らないのも、よくあることだがな」例えば、エマ・デイヴィスであれば、同じ逸れ牧者であっても、土地の牧者の古老などがデイヴィス一族のいずれかを知っている。そういう意味で、遠来からやってきたヘレンには、誰の身元の保証も為されていない。
「市当局は今朝、『牧者ヘレン』に対して、指名手配を懸けた。牛の買い付けに関する詐欺事件の容疑者として、捕縛で八〇〇都市通貨。殺害で四百都市通貨」
「そ、それで……わしらの金はどうなるんだね」放浪民の老人が声を上げた。貧しい人々にとっては、それが一番に気になる点だった。
「奴が捕まれば、金は幾らか返ってくるだろう」若い保安官は冷たい目を向けてきた。
「或いは、奴を捕らえた賞金稼ぎどもが戦利品として持ち去るかも知れんがな。其処まで責任は持てん」若い保安官の言葉に、放浪民たちの中から不満めいた囁きや怒りのうめき声が上がり、嫌な緊張感が室内に立ち込めたが、決定的な決裂までには至らなかった。壁際には訓練された武装した一団が並び、立場が弱く、非武装の放浪民たちに睨みを聞かせていたし、大体が若い保安官が彼らを騙した訳でもなかったからだ。
恐らくは、その無関心が保安官の冷徹な態度の理由であり、或いは自業自得と見做しているのかも知れない。幾人かの放浪民は天を仰いだ。やるせなさから悪罵を吐いても、実際に一同を騙した人物は遠く離れた場所にいる。保安官も悪い訳ではないから、自棄っぱちで八つ当たりも出来ない。
少なくとも一応の代表というだけあって、放浪民たちは冷静さを何とか保っていたが、しかし、手持ちの情報が余りにも限られていた。『牧者ヘレン』の正体も今まで知らなければ、所在地も不明。金の行方も、仲間がいるかも分からない。大事な金を取り戻す術のない放浪民たちは途方に暮れ、悲嘆に沈んでいたが、若い保安官が手元の書類を眺めながら告げた言葉が一抹の希望を引き留めた。
「幾人かの目撃者の情報から『牧者ヘレン』が自由都市方面へと向かった事が確認されている。お前たち自身の手で追い付き、捕縛することが出来れば、金を取り戻すことが出来るかも知れんな」どうでも良さそうな言葉ではあったが、放浪民たちは若き保安官に視線を向けた。
若い保安官は必死さの込められた強い眼差しに怯んだ様子も見せず、淡々と説明している。
「ただし、殺すのはお勧めしない。何故ならば、奴が都市のいずれかの組合なり、大商人なりに金を預けていた場合、それを引き出せるのは当人だけだからだ。裁判の末に詐欺だと立証できれば、希望はあるが、都市に根を張った地元組織を相手に勝訴するのは難しい」
放浪民たちから再び、不安げな呻きが洩れて「どうしろと言うんだね」放浪民の老人が弱々しい声を洩らした。
「奴をポレシャの法廷まで連行できれば……まあ、有罪判決が出た後なら、法的手続きに則って市当局がある程度は、干渉できる。だが、あまり期待しないことだ。大国に属する団体と言うのは、小国の政府など舐めて掛かるものだからな。まあ、何もしないよりはマシだろう」若き保安官は、少し自信なさげにそう告げた。
多分に、思考誘導はされてるのだ。放浪民たちに選択肢を与えながらも、どちらを選ぶべきかを巧妙に示唆している。財産を失った放浪民たちの怒りの矛先をずらす思惑もあるには違いないが、しかし、示唆された計画自体は妥当な選択肢を提示していると思えた。
※※※※
飾り気のないコンクリートの部屋に足を踏み入れると、ひんやりとした冷気と微かな湿気が感じられた。先に集まってきた人々は、隅の方に纏まった人影を成して小声で囁き合っていた。チラチラと向けられる非難がましい視線には隔意も感じられて、ミリーは落ち着かない様子で唇を噛んだ。薄暗い部屋には、窓一つ存在していない。階段を下りてきた入り口からは殆んど明かりは差し込まず、ガス缶やカンテラの僅かな光の他、高い天井の換気口から差し込む僅かな自然光だけが室内をおぼろげに照らしている。
大地には廃都が墓標のように聳えていた。しかし、高度工業文明の遺構が広がる廃墟一帯には、鏡合わせにもう一つの世界が交差している。上下水道。ガス電気といったライフラインのインフラストラクチュア。地下鉄に地下街。シェルターに地下倉庫。そして大災害に備えて建設されていた地下都市。かつて人々の営みを支えていた広大な地下世界も、今は先史文明の玄室として静かに忘れ去られるか。或いは、底知れぬ深淵を孕んだ変異体や屍者たちの徘徊する虚ろな死都と変わり果てていた。
ポレシャ市に面した古い繁華街の小さな廃墟の一角に地下室はあった。店舗の単なる地下だとも、或いは地下街や駅構内の一部だとも、囁かれているが、奥の廊下へと続く扉は厳重に封鎖されており、時折、不気味な唸り声の聞こえてくる扉を誰も開けようとしないので、誰にも分からない。地上は、屍者や変異した野犬が彷徨っている。放浪民たちも火縄銃や弓、槍やナイフなど多少の武装は所持しているが、闇の深い夜でも、出入り口を封鎖することで地下では比較的に安全に過ごす事が出来た。
単に放浪民と呼ばれている。特定名はない。家族単位や小さな氏族、或いは逸れ者や孤独な旅人などの寄せ集めの集まりだからだ。一時的に加わるものも入れば、離れるものも珍しくない。数人の代表らしきものたちがいるものの、考えもバラバラで、結びつきも弱かった。
ミリーの父リドリーは、一応の頭目の一人だ。昨晩、七人もの人数を引き連れてねぐらから出かけたが、夜が明けても一向に戻ってくる気配がない。犯人とは別人らしいエマ・デイヴィスの住処に直接、乗り込むと息巻いていた父を引き留めようとはしたものの、感情的に怒鳴り散らされるのが嫌になって結局、ミリーは好きにさせてしまった。今は後悔している。自業自得の父はどうでもいいが、他の皆は果たしてどうなったのか。
やはり頭目の一人であるホーソンさんが、牧者の長老のところに駆け込んで危急を知らせたそうだが、農民や渡り人に比べれば牧者たちが荒っぽい性分であるは確かであったし、エマ・デイヴィスからすれば、武装した団体が乗り込んできたのだから、痛い目に遭わされているかも知れない。
近隣の農民たちが好き勝手に囀るところによれば、全員が殺されたとも、生き残りが牧者たちに監禁されているとも聞かされたが、お喋りな農民たちは兎角、話を盛り勝ちで、鵜呑みには出来ない。揉め事になったのは確かだろうが、帰ってこない中には、友人のサーシャも混ざっている。今は、誰もが不安にさいなまれながら、兎に角、無事を祈っている。部屋の隅では、息子の返ってこない老母が掌で顔を覆っていた。サーシャの兄も、強張った表情で妻を慰めるように抱き寄せている。
肩身の狭さを感じ、ミリーは落ち着かない様子で身じろぎする。元々、エマ・デイヴィスを名乗る女を連れてきたのは、父リドリーであった。元来が思い込みが強く、強引に物事を進める節があって、状況が自分の左右できる範疇に収まっている間は、頼りがいがあるとも見えなくはないが、同じように押しの強い人物や大きな組織、力関係で不利になる相手など、一つ覚えの図々しさや怒鳴り声が通じない局面となると、途端に鍍金が剥がれ落ちてしまう。
どうにも渋っているような素振りを見せる偽のエマ――詐欺師のヘレンにやや強引に話を纏めたのもリドリーなら、不満を抱えた大人数を連れ、エマの住居に怒鳴り込んだのも父のリドリーで、揉め事を起こしやすい性格が悪い方に悪い方にと転びがちな状況に、さらに事態を引っ搔き回した挙句、大勢を道連れに消息を絶っている父をミリーはどうしても好意的には見れなかった。




