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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_57E 果てなき曠野 キャシディ マギー

 キャシディ・エヴァンス保安官は、欠伸を噛み殺した。早朝、まだ薄暗いうちに叩き起こされて、居留地の近郊にある農村の、また少し歩いた距離にある羊飼いの住居へと足を運ぶことになったのだ。徒歩ではなく、小型の荷馬車に揺られてではあるが、辛いのは変わらない。


 現地は、既に民兵や自警団員、保安官補によって封鎖されている。遠巻きに見守っているのは近隣の農民や廃墟民たちで、立ち入り禁止のロープの向こうで好き勝手言ってる。中世と差して変わらぬ暮らしをしているようで、そこは高度文明の末裔。映画館やら推理小説で刑事コロンボやら、シャーロック・ホームズやらを見ている連中もいて、探偵気取りであれこれと勝手な推測を重ねてる連中も少なくない。

「サドラン牛の詐欺に絡んだ事件と見たね。エマは名前を利用されたんだろうが逆恨みで襲撃されたのさ」殆んど正確に事態の推移を当ててるお喋り探偵がいて、一応はまともな治安機関として証拠が揃うまでは断言できない立場の保安官としては、それもまた業腹だった。地元紙っぽい、どうせ壁紙新聞やら、農村の回覧板新聞の記者らが、好き勝手に入ろうとして自警団員に怒鳴られている。ウッド&ブラスのカメラやフラッシュの激しい19世紀から20世紀初頭のカメラで撮影したり、おどろおどろしい挿絵を描いている連中もいて、ごっこ遊びみたいな新聞記者の分際で、一丁前に報道の自由を振りかざして事件現場に入り込もうとする好奇心旺盛な鼠との戦いには、無法者以上に苦労させられる。


 とは言え、文化的な自由度や人々の心のゆとりを表しているのは保守的な保安官にも理解できるので、よほど度が過ぎなければ多めに見るのがポレシャ市の百年来の伝統であった。こういうごっこ遊びの記者が居られる事自体が、ポレシャの暮らしやすさの証でもあるのだろう。デメリットとして、レイダーや他都市のスパイに成りすましされ、影響力を行使される恐れもある一方、利点として、居住者に共通の話題や議題を提供することで、多様な生き方や考え方を持った人々から一定の協力を得られやすくもなる。


 民主的な社会を高度に運営するには、ひどく高いコストを払いながら、不断の努力を要しなければならない。キャシディ自身は、曠野で存続するにはもっと専制的な社会を築くべきではないかと考えているが、年長者たちに逆らったり、友人たちを敵に回してでも、そうしたいと言う程の信念を抱いてる訳でもない。キャシディ・エヴァンス保安官は多分、どんな体制に生まれても、不満を抱きつつ、その中で全力を尽くしただろう。今も、まあ、誰もがそれなりに不満を抱きつつ生きてるのだろうと、多少の諦念を抱きながら、ぬるま湯めいたポレシャで、共同体に貢献しつつ、上手く生きていく為に尽力していた。


 近くの農村からも武装した若衆が応援に来ていて火縄銃片手に挨拶を送ってくるのを適当にいなしながら、苦虫を嚙み潰したようなキャシディは現場へと足を踏み入れた。


 廃屋を利用した羊飼いの住居を一目見た瞬間、僅かに頬を痙攣させる。意地の悪いGMがシナリオに用意する殺人鬼の巣にそっくりの構造をしていたからだ。屋根に穴が開いている。一見すると何もない場所を住人だけが素早く回り込んだり、廊下に射線が通っている構造もそっくりだった。友人マギーが賞金稼ぎの頃、捕まえた殺し屋の住処が、こういう構造だったらしい。如何に侵入者を殺しやすい位置に誘い込むか、巧妙に計算し尽くしているのは「これは、あれだ。殺人嗜好者の巣穴だな」キャシディはぶっきらぼう、かつ無責任に断定した。羊飼いのエマ・デイヴィスに対して酷い誹謗中傷であった。

「で、襲撃者は?」キャシディが尋ねると、先に見聞に来ていた検視の医者が一瞥してきた。

「返り討ちにあった暴徒の死体が、野外に二つ。屋内に入ってすぐの廊下に三つ。部屋に二つと一つ」屋内に踏み込みながら、医者が説明する。

「凄いね。一人一発だ。七人を一発で仕留めて、一人はナイフか」しゃがみ込み、死体を一瞥したキャシディが感心したように鼻を鳴らした。


 死体の位置と傷の位置、倒れ方だけ眺めて、保安官は、頭の中で勝手に組み立てる。「まず、これを天井の鉄パイプに乗りながら撃ち抜いたかな。第一射では、発射炎マズルフラッシュを掴みこそこねて、戸惑ってる火縄持ちに二射目で仕留める」

 廊下を覗き込んで、足元に転がってる死体を眺め「三人目がクロスボウで反撃。躱しながら廊下に降り、寝転んだ姿勢で装填しつつ腹を撃つ、と。出血したのを放置して、やってきた連中から逃げ出して」

 最後に保安官は、廊下の左の部屋へと踏み込んだ。

「此方の部屋で隅の戸棚に登り、穴から屋根を伝って反対側……いや、違うか。ではなく、廊下の奥に陣取って射線を確保してから、何かで廊下に誘い出し、さらに二人を撃ち抜いて、残りが逃げ出したのを、窓で一人、庭先で二人狙撃。それでお終い」


 キャシディは、まるで戦場の跡を分析するように、エマの行動を一つ一つを逆算して読み取った。

「お見事、名探偵」医者が手にした書類を振りながら、皮肉っぽく首を振った。

「うちに出来る奴いるかな?」キャシディ・エヴァンス保安官の言葉に、近くでメモを取っていた保安官助手が「勝手知ったる家の中とは言え、大したもんです」と顎を撫でた。相手は武器もお粗末な、高の知れた暴徒とは言え、たった一人で片付けられる腕前となると、居留地の保安官や民兵、傭兵にもそう多くはいない。

「まともなら、保安官事務所うちに欲しいくらいだよ」

 エマの戦闘技術に対して、些かの驚きと共にまるで評価するような物言いをすると、保安官補が肩をすくめた。


 曠野の殆んどの地域では、自力救済が基本であった。治安や司法に対する信頼がなければ、民衆は自然と己の力を頼むようになる。ポレシャの治安も比較的良好だが、それでも一定の自衛は認められている。居留地内や地区内では保安官や民兵、自警団によってそれなりに治安は保たれている一方、近郊の農村に自主独立の気風が強まるのは、一帯の治安までは保つ力がないからだ。


 無法者に襲撃を受けたり、強盗が襲ってくる状況で、人々は己の力で命を守らなければならない。正当防衛の範疇が広い一方、それでも非武装の人間が殺されたりすれば、村の自警団によって逮捕されたり、居留地から出向してきた保安官によって取り調べが行われる。


 今回の件に限って言えば、襲撃した八名は武装していたし、迎え撃った側は一名。羊飼いのエマ・デイヴィスが後込め式ライフルを所持しているとは言え、襲撃者も曠野の放浪民であれば、一度や二度は小競り合いの経験もある筈だ。

「近所の農民が六人。叫びながらエマ・デイヴィス邸に向かうのを見たと口を揃えて証言しています。防壁の監視所の警備兵も、松明の明かりが向かうのを見たと」農村まで行って聞き込みに当たるまでもなく、物見高い農民やら廃墟民に浮浪者ホーボーども。そこら辺だけ、無駄に高度文明マインドを持ち合わせているようで、事件現場で野次馬しながら好き勝手に論評している連中が聞きもしないうちに昨晩の出来事をぺらぺらと喋ってくれた。

「……正当防衛だな、これ」保安官助手の呟きに、疑いの余地も無さそうだ。そもそもが、仮にもエマ・デイヴィスは居留地に登録した牧者。他所から流れてきて半年立たない、廃墟に住み着いた移住者たちとでは信用度が違った。

「で、エマ・デイヴィスは何処に?」キャシディの質問に民兵が親指で示した土地の境界の石垣。見るからに意気消沈した様子で大人しく腰かけている奇怪なボロ布の塊が、エマ・デイヴィスらしい。


 その姿は、不潔な最下等の乞食にも見えて一瞬、眉を顰めたキャシディだが、よく見れば、輪郭も曖昧な襤褸布の塊は、暗夜においてゲリースーツに似た機能を持って、背景に溶け込む迷彩として働くに違いない。歩み寄ってみると、口を半開きにしての憔悴したエマの表情だが、夜半まで続いた戦いで碌に寝ても無ければ、食べてもないからか。疲れ切った虚ろな目つきでキャシディを眺めてきたので、掛けられた手錠を外してやろうと屈みこんだ。

(あ、これ。殺しを気に病むタイプかな)

 悪党をぶち殺しても熟睡できるタイプの保安官は、人を殺すと一々、気分が悪くなる人間もこの世にはいるのだ、と思い出しつつ、多少は同情したので「正当防衛だね」と頷きかけた。


 お咎めなしと告げられたにも関わらず、エマの表情は沈んでいた。キャシディは苦笑を浮かべて「なんだ、辛気臭い奴だな。返り討ちにして生き残ったんだ。誇りたまえよ」己の価値観に基づいて慰めてやるも増々、沈みこんだ陰気な表情を浮かべて「て、手加減できなかった」ぽつりと漏らした呟きに、これは手に負えんわいと保安官は天を仰いだ。

(追撃仕掛けておいて、良く言うよ)と冷ややかなキャシディだが、恐くて殺し尽くすまで止まらなかったのだろう。幸か不幸か、エマ・デイヴィスは、暴徒たちを返り討ち出来るだけの戦闘力を備えていた。


「まあ、殺されるよりは、ましだろう。暫くは余り家を離れずに、自警団に呼ばれたら、詰め所に来る事」首を振りつつ手錠を外してやってから、ついでとばかりに保安官は懐から紙きれを取り出した。

「ああ、そうだ。昨晩、出来たばかりなんだけど、エマ・デイヴィスを名乗っていた女性の似顔絵が出来たんだ。一応、確認してくれるかな」

「れ、例の詐欺師?」頷いた羊飼いの娘が似顔絵を受け取って、覗き込んだ。

「イエス、見覚えある?」保安官の問いかけに少しだけ動揺したように目を瞬いて、「……ヘレン?」エマ・デイヴィスは小さく呻きを洩らしたのだった。


「放浪の牧者に似ている……逸れ者だけど、少し親しかった。きついな」言ってエマ・デイヴィスは、へへっと陰気に笑った。知人。或いは、友人に嵌められたから、と言う訳でもないが、本人的にはきっと笑うしかないのだろう。暴徒たちを退けて、だから、お終い、という訳でもない。まったく理不尽な話だけれども、エマ・デイヴィスは昨晩の決闘で確実に怨みを買った。これから先、身内に狙われることは当然に可能性としてありえる上、エマには大した地位や財産も無ければ、有力な友人もいない。他の牧者たちは、彼女を助けるだろうか?それとも見捨てるかな?とエマの先行きを案じた保安官は哀れみを感じた。


 中世の時代、農民が一生のうちに得られる情報量は、50万から70万字。新聞一部ほどに過ぎなかったと言われている。出所も怪しい俗説に過ぎないが、立場によって受け取る精度や密度、そして精査能力も変わってくるのは確かだった。

 曠野の人々の生活環境は、千差万別にして多彩であった。放浪者ワンダラー浮浪者ホーボー、廃墟生活者も多種多様であって、伝手や知恵を持って抜け目なく稼いだり、他者から金を巻き上げたりする者もいる一方、まともに金を稼ぐ為の方法すら、分からなかったり、容易く騙されてしまう者もいる。


 不運はある日、突然に降りかかってくる。分別もつかない暴徒に襲われた挙句、安住を脅かされるエマ・デイヴィスの理不尽は、弱さも愚かさも関係なしに殆んどの生活者に起こり得る身の上でもあった。


 もっとも、狙ってる連中も、流れの貧しい放浪民ワンダラーたちだ。牧者衆たちがエマを守って抗争になるかも知れないし、或いは、因果を含みつつも和解するかもしれない。

「暫くポレシャを離れた方がいいかも知れない」保安官の忠告に「……何処に行けと」牧者の娘の力ない呟きが返ってきた。

「ん、その通り。無責任だった」保安官はうつむいて、静かに謝った。貧しい娘にようやっと手に入れた家と家畜を捨てて他所に行けと言うのは、人生を諦めろと言うのに等しかった。


 東の高い峰を越えて太陽が大地を照らしていた。曠野の地では比較的に自然が残ったポレシャには、赤茶けた荒野の全景パノラマに、しかし、緑豊かな草原や木々が点在し、穀物畑が波のように風にそよいで、黄金色の穂が太陽の光を受けて輝いている。エマの家から見下ろす位置にある農村から、風が揺れる草の間を抜けてさわやかな香りを運んできた。「……ど、どうすれば、いいんでしょうかね」呆けたような表情を浮かべながら、エマはぽつりと呟いた。




 ※※※※




 曠野には廃墟が点在している。赤茶けた大地に所々、灰色の茸のように建築物が聳え立ち、遠目に根元を往来している蟻のような黒い粒が、旅人の隊列や商人の荷馬車、時折、ごく稀にボロボロの車両が埃を巻き上げながら走っている。


 朽ちかけた建築物の崩れた壁面には枯れた蔦が病んだ血管のように絡まり、割れた窓からは風が吹き抜けていた。鉄筋が剥き出しになった高層の残骸は、かつての都市の名残を語るように傾き、骨のように風化した看板がところどころに残っている。


 巨大な駅舎は、無人の筈だった。夕暮れも迫りつつ、不気味に影が伸びる駅前を近道とばかりに通り抜けようとして盗賊の斥候に遭遇し、僅かな通行料を取られてしまう。旅人や行商人たちが度々、通り抜ける場所に網を張っていたらしい。

 捕捉された、と言うよりは出会い頭の事故であり、即座に逃走に移って振り切ったと思った瞬間、前方の街路に回り込まれていた。どうにも、地の利は盗賊たちにあって、大人しく通行料を支払った。旅人には、侭ある事だ。身代までを取られなかったのは運が良い。曠野の頂点捕食者にも見える盗賊共も、しかし、定期的に都市の警備隊によって狩り立てられる。


 風が吹き抜けるたび、乾いた砂塵が舞い上がり、廃墟の隙間を抜けて遠くへ流れていく。旅人たちは、誰もが無言で進み、ただ、目的地へと向かっていた。やがて、ズールの圏内へと足を踏み入れる。警備隊が定期巡回している自由都市の勢力圏内、怪物の大群は掃討され、盗賊たちが大手を振って暮らせなくなる、法と秩序の支配している土地だった。


 夕暮れ前、一行は小さな村へと辿り着いた。曠野の慣れぬ道を進んでいる間は、常に足に余裕を残さなければならない。

 毎日、まだ進めるにも関わらず、行商人のマギーは早め早めに足を止めて、時には、旅人の隠れ家めいた冷たい廃墟で息を顰めて一晩を過ごし、或いは、旅籠の狭い部屋に、普通の部屋並みの賃金を支払って寝泊まりした。旅程の消化具合も、じりじりする程に遅く、羊飼いであるジーナ・クレイさえも幾度も焦れて抗議したが、マギーはけして譲らなかった。その癖、盗賊に遭遇して金を奪われるのだ。或いは、組んだのは失敗だったかときつく睨みつけるも、熟練の旅人と自認するマギーには、蛙の面に小便とでもいうかのように気にした様子を見せなかった。


 曲がりなりにも文明圏に足を踏み入れて、ようやく息をつくことができた。都市紙幣を支払って井戸を借り、贅沢に水を浴びて旅塵を落とすと、マギーとニナは石鹸とお湯を使って丁寧に身体を洗い合った。ジーナ・クレイは、早々に一時離脱すると、村の散歩へと出かけた。今は顔を合わせたくないと見える。


「ジーナちゃん。羊飼いのジーナちゃんは私たちのやり方が気に要らないみたいだね」同名のジーナがいるので、少しややこしいなと、ニナはクスクス笑った。

「何度も引き返したり、偵察の為に遠回りしたり、迂回したからね。迂遠に思えたかもしれないけど、初めての道だったし」いた仕方なしとマギーは頷いた。


 ジーナ・クレイは若く、経験不足であったけれど現状、比較的に間違えを許容する余力もあれば、リカバリーする為の経験を積める好機でもあるとマギーたちは捉えていた。よく知らない街道の地図を製作しつつ、効率的にトライ&エラーを積む体験と、成功と失敗を見分ける嗅覚を身に着ける好機にもなっている。此の積み重ねは無駄にならないし、許容できる失敗回数を体感や数字として学ぶことも出来る筈だ。そして、ジーナ・クレイに質問されたら、マギーもニナも教えるつもりだった。しかし、ジーナは羊飼いでありながら、一度として意図を尋ねてこなかった。既に成熟した思考をしており、より効率的に旅が出来たのか。或いは、同じ集団に属する経験豊富な先導者に当たり前に助けられてきた為、想像力が欠如して、単なる失敗や手間暇だけ多い旅に見えたかも知れない。ジーナがすでに経験を積んでいるなら問題ないし、共に学べるならそれも良し。もし意図に気づけないほど鈍いのなら、残念だが、それはそれで仕方がない。


 身体を拭いた後、借りた納屋に敷いた毛布の寝床に転がりながら、ニナが地図を描いていた。マギーも描いているが、ニナの精緻さには及ばない。頭脳の理解力の問題ではなく、絵の描写能力の差であって、地図の余白に天幕と略奪者のデフォルメを描き、日時を記載するニナの絵は、一目で非常に理解しやすかった。地図は旅人たちにとって、大切な手の内だ。旅の地図を見せなかったのも、若きジーナ・クレイの危機感が薄かったり、マギーたちの旅の過程を理解できなかった理由かもしれない。


 七つ。マギーとニナが街道上で確認した危険地帯の数だった。変異獣の巣食う一帯。街道上の屍者の群れ。略奪者の潜むトレーラーパーク。駅廃墟の盗賊たちの地下トンネル。無法者の砦が築かれたオフィス街。武装放浪者たちが暮らす天幕村……そして、金のありそうな行商や旅の美人が度々、いなくなると密かに囁かれる立派な旅籠。


 割合的には人間の敵は人間と言ってもいいが、土地が変われば、脅威の性質も変わるので遠出も又恐ろしかった。怪物が潜む沼地。ヒルや熱病、病原菌に悩まされる湿地帯。酸の雨が降り注ぐ旧世界の残骸や粘液獣の多い湿地。殺人機械が彷徨うと言われる廃都市もあれば、半魚人に占領された沿岸地域の噂も聞こえてくる。透明な獣が音もなく忍び寄る山岳もあれば、生中な大砲では太刀打ちできない巨獣の彷徨う密林も、彼方の地から生還した旅人の記録に記されている。


 人類が脅かされたり、滅びた地域もある中、細々と生きてる曠野の人類領域の片隅。街道沿いには、村ぐるみで盗賊であったり、泥棒宿なんてのも時折、あって、ほぼ確実に大丈夫だと評判の村や農場、宿屋以外には泊まらなかったマギーたちの秘密主義も羊飼いの娘の不信を買った理由かもしれない。


 納屋の外では火が焚かれ始めていた。曠野には人を狩る獣が徘徊し、世界に死はありふれている。夕暮れが迫る中、人々が己が信じる神々に祈りを捧げている。信心深く、敬虔なのか。それとも恐怖に呑まれない為、必死に縋っているのか。或いは、日々、儚き命を見つめているからこそ、神々を感じているのかも知れない。古代オリエントで炎と光を崇める拝火教が生まれた理由も、今のマギーには分かる気がした。


 沈む夕日を眺めながら「今日も、なんとか生き残りました」マギーの声には、精神的な疲れと微かな安堵も混ざっていた。ニナの背を軽く抱きしめつつ、安心したように脱力する。「はい」とニナが手を握って、ほほ笑んだ。




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